第2話 英雄の凱旋などない
魔王を滅ぼした――その確かな手応えを胸に、俺は歩いていた。
肩に感じるのは、勇者の外套。焼け焦げた布きれを手放すことができず、いつの間にか巻いていた。
道中、誰とも出会わなかった。
山も、谷も、街も、あまりに静かすぎて。
まるで“英雄の凱旋”など、最初からなかったかのような空気が漂っていた。
そして数週間後――王都に何とかたどり着いた。
高くそびえる白壁に守られたその城塞都市に、一歩、足を踏み入れた瞬間だった。
「……え? 一人?」
「まさか……冗談でしょ?」
城門の前にいた兵士たちの視線が、俺の背後を覗き込む。
誰もいないと分かると、その顔が不審と困惑に歪んでいった。
「おい、どういうことだ。魔王討伐の任務じゃなかったのか?」
「勇者様や、他のメンバーは……?」
問いかけに、俺は口を開こうとした。だが喉の奥で何かがつっかかって声が出なかった。
それでも声を絞り出した。
――誰も……帰ってこなかった。
それを口にした瞬間、自分の中で何かが崩れそうだった。
沈黙を肯定と取ったのか、兵士の顔色が変わる。
「……まさか、お前一人が生き残ったのか?」
その言葉が、あっという間に広がった。
「ただの治癒士が? 一人で帰ってきた?」
「まさか、全滅……?」
「そんな……嘘だろ……勇者様が……?」
噂は、風より速く走った。
“魔王討伐の唯一の生還者が治癒士だった”
その異様な事実だけが、独り歩きしていく。
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聞こえる。全部聞こえる。
俺が歩くたびに、まるで音が波紋のように人々の耳へと広がっていく。
「魔王討伐で生き残ったのが治癒士一人って、どういうこと……?」
「本当に倒したのか? 魔王……」
「ありえないだろ。あのメンバーで……生き残ったのが“あいつ”だけ?」
声が、俺の足元を切り裂いていく。
疑い、困惑、恐れ、そして――悪意。
いつの間にか、俺は王都の人間たちの目にとって「不自然な存在」になっていた。
報告のために王宮に向かった。
いや、向かわされたという方が正しいか。
剣を持った兵に囲まれ、まるで犯罪者のように導かれていった。
玉座の間。
王が静かに俺を見下ろす。
「……魔王は、倒されたのだな?」
「……ああ、間違いなく」
「生き残ったのは、お前一人と?」
「そうだ。エリクも、サラも、リュカも、フィーネも……みんな、最後まで戦って……死んだ」
喉が詰まる。言葉にするだけで、胸の奥が崩れていきそうになる。
「その証拠は?」
……証拠?
「……証拠なんて……魔王は、俺の“創造”の反転術式で存在ごと消滅した。残るものなんて、何もない」
その言葉を口にした瞬間、空気が変わった。
「“創造”を反転して“破壊”したと?」
「そんな魔法……理論上存在するとしても、実行できる者などいないはずだ」
「まさか、“魔王側”の技術を手に入れたのでは……?」
「いや、そもそも最初から通じていたのではないか?」
「仲間を売って、自分だけ助かろうとした裏切り者……!」
一気に、突き刺さってきた。
目の前に立つのは、俺を「王国を救った英雄」として迎える人間じゃない。
俺を裁こうとしている、誰かだ。
「黙れ……」
喉からしぼり出すように言った。
「黙れ」と言いたかったのに、声はあまりに弱々しかった。
「エリクは……勇者は、俺に託したんだ……!」
俺は必死に訴える。彼の思いを無駄にしないために。
「俺の魔法を、信じてくれた……! 最後の力まで預けて……! それで、俺は……!」
拳が震える。
この手で、最後まで治そうとした。
命を、癒そうとした。届かなかった。全員、助けられなかった。
「なのに、お前らは……!」
気づけば叫んでいた。怒鳴っていた。
でも、その声は誰の胸にも届かない。
玉座の王は、目を伏せたまま、静かに命じた。
「――レオン=ヴェステル。お前を王都より追放する」
「理由は、お前の語る“創造”の魔法が危険すぎること、そして……仲間たちの死を巡る不審の数々」
そして最後に一言絶望の一言が告げられた。
「もはや、お前の存在は、王都にとって脅威だ」
まるで、それが当然だと言わんばかりだった。
「…………」
何も、返せなかった。
あんなにも信じて、戦って、すべてを賭けて――たどり着いたのが、これだ。
追放は翌朝に執行された。
誰も、見送りには来なかった。
通りには人がいた。だが、皆、俺を見ようとしなかった。
目を背け、口元を隠し、ひそひそと――まるで、死神でも通ったかのように。
「魔王に寝返ったって噂、ほんと?」
「まあ、仲間全員死んで自分だけしかも治癒士だけが無事とか、不自然だよね……」
「本当に英雄だったら、仲間を救えてたんじゃない?」
胸が、抉られる。
剣が突き刺さるよりも、何倍も深く、痛く、苦しい。
エリクの言葉が、蘇る。
『後は、頼んだぞ、レオン』
頼まれた。
なのに……これが、俺の“後”だったのかよ。
王都の門を出て、外の空気を吸った瞬間、崩れるように膝をついた。
もう、立っているのもしんどかった。
「はは……なんだよ……」
誰もいない地面に向かって、笑った。
「これが……英雄の末路か」
握りしめた勇者の外套だけが、今の俺にとって“本当に信じてくれたもの”の名残だった。
涙は出なかった。
もう枯れていたのかもしれない。
それでも、胸の奥で何かが叫んでいた。
「癒せなかった……救えなかった……それでも、俺は……!」
声は、風にかき消された。
誰も聞いていない。
俺一人しか、生き残っていないからだ。
だけど、それでも。
――まだ、生きている。
そのことだけが、唯一の事実だった。