第7話
暗い方へ、暗い方へと走って珠紀はこの路地裏にたどり着いた。一度は通ったはずがまったく記憶に残らなかった道をウルに手を引かれながら歩く。
機械の街という名の通り、生き物の姿はまったくない。それどころか、土や草などの自然物すら見つけられなかった。独特なかたちをした建造物が土地を奪い合うように乱立していて、何のための建物かは外観から想像もできない。
狭い道を出る手前でウルは外套のフードを被った。目元までがすっぽりと隠れて視界が悪そうであるが、彼の足取りは特に変わりない。
「こっちの街路灯がある道が大通り。大丈夫だとは思うけど、もしはぐれたときはとにかくこの道に出てくれ」
道路を挟んで等間隔に並ぶ電灯は人の住む街をかたちだけ真似したようで、淡い光は照明としての役割を果たしていなかった。人間が住んでいるのならば不便なことだろう。
「この道、パラダイムスクラムの街中を一周してるんだ。外に続いてるのはこの道だけ」
「道なりにに行けば出られるってことですか?」
「そういうこと」
右に行っても左に行っても同じ街並みが続いているが、ウルは迷うことなく左の方向へと進んだ。観光案内でもするかのように「他の区域はともかく、シンギュラリティポイントでの出来事は全部ロットーの耳に入っていると思っていい。身の安全を考えても、ここから離れる一択だ」と建物の軒先を指さした。
監視カメラのデザインはこの世界でも元の世界でも大差ないらしい。小さな赤いランプを傍に灯らせた無機質なレンズがじっと二人を見つめていた。一つに気づいてしまうと勝手に他のカメラも目に入ってくる。どうやら、エミリオに死角はなさそうだ。
「あの、ウルさん」
「ウルでいいよ。俺も適当にしてるし、堅苦しくしなくていいから」
「え、あ、ありがとうございます」
未だに鳴り響くサイレンの音。煙は空に上り、焦げたにおいが風に運ばれてくる。あの袋小路が近づいてきていると察し、珠紀は不安げに「正面から行くんですか?」と尋ねた。ウルは「ああ」と短く肯定の返事をする。随分と気軽な返事だった。
珠紀は無意識のうちにウルと繋いでいた手に力を込めた。不安。目覚めから脱走までの体験はすでに嫌な記憶として心身にはびこっていた。レンズでできた瞳の怪しい輝きが頭から離れない。俯き気味で緊張に体を強張らせる珠紀の歩調が遅くなると、ウルの歩く速度も引っ張られていく。
「安心してくれ、珠紀に負担をかけることはないから」
「いや、あの……、頼んでおいてあれなんですが、私、ウルさんが傷ついたりする可能性があること、頭から抜けていて、その、すみません」
「心配性だな。いや、心配してくれるのはありがたいけど」
珠紀の心配をウルは朗らかに笑い飛ばした。能天気というよりは、対処法を熟知しているといったようで欠片の不安も抱いていないようである。
「きっと珠紀が考えているようなことは起きないし、意外とあっさり片がつくだろうさ」
ウルの言葉が励ましなのか、真意なのかは珠紀には分からなかった。ただ、自信があることだけは伝わってくる。震える手を握り返され、それ以上を口にするのをやめた。喉まで出かかっている弱音を押し戻し、動きの悪い足を前に出す。
しばらくの間、二人の間にある音は足音だけだった。
唐突にウルの足が止まる。境界線が引かれているわけではなかったが、その先から明らかに街の様子が変異していた。か細い灯りの暗がりの街が、色とりどりのネオン光る鮮やかの街に。
そのちょうど境目には機械の人形が立っていた。片桐と一緒にいなくなった人形と同じモデルのようだが、同じ個体であるかは定かでない。
「案内はいらない」
機械人形の対応を待たずして、ウルはきっぱりと言い切った。そして、珠紀を連れて再び歩きだす。動かない機械人形の隣をすり抜け、いくつかの道を曲がるとネオンの色が青と白の二色に減った。
珠紀の心音が危険信号を発するように騒がしくなる。火事の余波を受けて息苦しさは悪化し、さすがに見覚えのある袋小路にたどり着いたときには顔が土気色になっていた。
「おかえり、タマキちゃん」
廃車の上から降ってくる声。怯える珠紀を背中に隠すようにウルが前に出ると、エミリオはわざとらしく驚いた調子で「おや、もう友達ができたの?」とおどけて見せた。片桐にそうしていたように、彼の目には珠紀以外はどうでもいいようである。
ぱさり、と布の擦れる音。ネオンの色に負けず、鮮やかな緑が輝く。
「久しぶりだな、ロットー」
フードを取ったウルはエミリオに負けず劣らずの胡散臭さで微笑んだ。