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まずは手を離さないこと、それから  作者: 真名瀬こゆ
パラダイムスクラム
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第6話

「機械の命が住まう常夜の都市、パラダイムスクラム。で、ここはただでさえ治安の悪いパラダイムスクラムでも最悪の無法地帯シンギュラリティポイントのはずれ」


 珠紀には覚えのない名称だった。日本に住んでいたとはいえ、日本の地名すべてを知っているわけではない。もしかしたら、どこかにロボットの実験都市があるのだろうか。しかし、どうしたって日本には思えない。続けて「……、私がいたところと違う世界なんですか?」とエミリオの話から得た情報の確認をとる。


「ああ、そういう意味でいうならここは”箱庭”、君がいたところは”下界”――、いや、こんなこと急に言われても理解できないよな」


 ウルはふむ、と口元に手を当てて考えごとをし始めた。かと思えば、すぐに「そうだな」と肯定をする。


「厳密には違うけど、気軽に行き来できる位置関係じゃないのは確かだし、別の世界って認識で問題ない」

「それじゃあ、私はどうやってここに……?」

「隔たりを越えて攫われてきた。君の存在は禁忌の証明になるから。……これだと言い方が悪いか。君の人間性を否定してるんじゃないんだ」


 暗さに目が慣れ始めた珠紀は、ちらちらとウルの様子を盗み見る。目つきのせいか勝ち気な雰囲気のある青年。得体の知れなさはエミリオと同等であるが、友好的な対応であるのは比べるまでもない。

 窮地ではあれど、袋小路でエミリオと対峙していたときよりは随分と緊張感が薄れている。そうしていると、正しい恐怖心が忍び足で戻ってきた。珠紀は自分が本当に何も持たない無力なのだと急速に自覚し、酷い眩暈に襲われた。

 少しでも自分に課せられた役割を減らすために「人違いじゃないんですか?」と問うてみたところで「あり得ない」ときっぱり否定される。

 静寂の支配する路地裏の片隅、二人の会話は闇に溶けていく。そんなやりとりの間に生まれる沈黙を嫌うように遠くからサイレンの音が鳴り響いた。方向は空が赤く色づいている倉庫街。いつの間にか空を染める色は濃くなり、範囲が広くなっている。


「本当にやりすぎなんだよなあ」


 呆れた声がぽつりと零れ落ちる。ウルは気まずそうに珠紀から目を逸らした。「悪い。説明をする義務があるのは分かってるんだけど場所がな。続きはパラダイムスクラムを出てから話したい」と決断を迫った。

 珠紀はまだ迷っている。時間に際限がなかったとしたら一生迷い続けるかもしれない。答えを出すための判断材料が少なすぎるのだ。


「無理を言っているのは分かってる。俺が君だとしても簡単に賛同はしない」


 尻込みする珠紀の心情は、配慮のできる青年にとって想像の範疇だったらしい。実に手厚い気遣いだ。


「君が元の世界に戻れるように協力する。だから、頼む。俺に協力してくれないか? 裁判に出て欲しい」


 ウルは誠実さを示すように深々と頭を下げた。

 状況が状況だ。いくらウルが理路整然と嘘偽りなく説得したとて、珠紀はその真偽を判別する知識がない。ここでウルが珠紀を完全に説き伏せることは無理に等しい――、それはお互いに共通認識だった。

 そうとなれば、この取引の行く末は珠紀の一存にかかっている。

 珠紀は思案した。ここまで悩んできたようなことを改まって考えたのではなく、自身の感情論と直感を持ってウルを信用できるか否かについてを考える。

 唐突に現れた青年は親切でいい人間だ。弱者側である珠紀に強制することなく、話し合いをして協力関係を築こうとしている。


「…………、私と一緒にこの世界に来た先輩が、エミリオって名乗ったアンドロイドに捕まってるんです」


 凛とした声はサイレンの残響をかき消す。黒く澄んだ瞳は迷いを孕みながらも決意をしていた。


「片桐さんを助けてください、お願いします」


 珠紀の額がごつんと地面にぶつかる。

 結局はウルと珠紀が最初に交わした問答がすべてだった。お互いに助けを求めている。ウルの助けになるのは珠紀だけ、珠紀の助けになるのは――いるかいないかも分からない。だとしたら、対等の関係になれるウルはむしろ臨むべき相手なのではないだろうか。


「正直、あなたの話はよく分からないし、私にあなたを助けられるかどうかも分かりません。でも、できることは協力します。だから――」

「乗った」


 顔を俯かせたままで心情を吐露していた珠紀は恐る恐ると顔を上げた。目の前には差し出された右手。

 珠紀は迷わずにその手を取った。力強く握り返される。

 ばちり、視線がぶつかった。


「俺はウル。長い付き合いになることを祈ってるよ」

「内海珠紀です。よろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしく」


 手から伝わってくるウルの体温に珠紀は無性に泣きたくなった。実際に涙が滲んでいる。無意識にも気を張り続け、恐怖と孤独に圧し潰されそうだったのだ。ずっとつらかった呼吸がほんのわずかでも楽になったことに安堵する。

 涙の粒がまつげを飾る前に珠紀はあいている手で目元を拭った。


「その先輩とやらを助けに行く前に約束して欲しいことが二つある」


 ウルは握手したままの手をさらに強く握る。珠紀には痛みよりも熱が感じられ、また泣きたくなってしまった。


「迷子と誘拐を防ぐためにも、まずは手を離さないこと、それから――」

「それから?」

「死なないこと」


 一番単純で、おそらく一番難しい。

 珠紀はすぐに首肯してみせた。生きて元の世界に変えるためにこの手を取ったのだから。ただ、引っかかることはあった。


「……優先順位が逆なのではないでしょうか」

「いいね。思ったより冷静だ。助かるよ」

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