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まずは手を離さないこと、それから  作者: 真名瀬こゆ
パラダイムスクラム
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第3話

「キミのお名前は?」


 単なる質問にも妙な圧力がある。

 機械の手。荒廃の袋小路。異なる世界。ネオン輝く市街。機械人形。通じないはずの言葉。アンドロイド。

 珠紀の頭の中は断片的な情報がぐるぐると渦を作り、最後には真っ白になろうとしていた。振り切れた恐怖心は限界を超え、思考を放棄した冷静を取り戻させようとしている。

 珠紀は逡巡した。エミリオは信用はできない、逃げたところで見逃してもくれないだろう。あちらが対話を望んでいるうちは大人しくやり取りをした方がいいのではないだろうか。

 しばらくの沈黙のあとで、珠紀は固まった口を開いた。


「内海珠紀」

「あ、あの、私は片桐――」

「タマキちゃん。短い付き合いになるけどよろしくね」


 エミリオの言葉が分からなくとも、珠紀の言葉は分かる片桐は二人が自己紹介をしていると察したのだろう。しかし、最後まで言い切ることはできなかった。この距離で聞こえないなんてことはありえない。


「なんで?」


 片桐は小首を傾げた。言葉以上のすべてが詰まった純粋無垢な疑問。どうして雨が降ったら地面が濡れるのか、そんな摂理を尋ねるような物言いだ。

 珠紀はいよいよ隣にいる女が得体のしれない化け物に思えてきた。会社で働いているときに彼女の性格が気になったことはなかったし、こんなにも話が通じない相手だと思ったこともない。

 ぎょっとした様子で返事に困る珠紀を横目にエミリオはふっと静かに息を漏らした。


「やっぱ連れてって。うるさくてかなわないや」

「ま、待って……! 片桐さんを連れてくなら、私は何も話しません!」 

「いいよ、別に」


 迷う時間も与えてもらえないらしい。


「タマキちゃんの人となりには興味があったけど、条件つけられてまで知りたいとは思わないし。それにキミの方から話したくなっちゃうんじゃないかな」


 そう言って、エミリオは足を止めていた機械人形に先を行くよう促した。再びに重い足音が鳴り響き始める。もう距離なんて残っていない。


「片桐さん……っ!」


 珠紀は決心した。迷っても仕方がない、逃げきれるかどうかを考える余裕もない。ただ、捕まったらおしまいだということだけは分かる。

 片桐の手を掴もうと伸ばした手――、その先には誰もいない。

 珠紀が掴むはずだった手は冷たい機械の手を握っている。


「ふふ、行きましょう。私の王子様のところに」

「はっ!? 何してるんですか!?」


 裏返る声、困惑に叫ぶ珠紀を刺すのは蔑む視線。片桐はふいと顔を背けて機械人形とともに歩き出す。振り返ることもない。

 珠紀はぱくぱくと口を動かした。悪い運命に向かう片桐にかける言葉が次々に浮かぶのに声にはならない。

 引き留めるために伸ばした手は力なく垂れ下がっていく。どっどっど、と唸るような心音に聴覚が支配される。自分が間違っているのか、いや、そんなことはない。だって、こんな状況でどんな思想で動いているかも分からない機械についていくなんて――、珠紀は瞬きも忘れて遠ざかっていく背中を見つめる。


「ボク、何でも屋をやってるって言ったでしょ?」


 エミリオはサングラスの位置を直しながら、雑談の一つを披露するように「今、受けている依頼は大口でさ。とんでもない大金を積まれてる」と言葉を紡いだ。

 青白いネオンの光を受けた男の真意は欠片も見えない。


「どんな仕事か知りたい?」


 挑発的にねめつける仕草はアンドロイドとは思えないほど実に人間らしかった。

 憔悴する珠紀はただただエミリオを目で追うばかりで応答する気力もない。否定されることも止められることもないのだから、エミリオの話は次へと進む。


「試験管に入った血液だけぽいって渡されてさ、”下界”にいる血縁者を探して――」


 瞳に当たるカメラが対象にピントを合わせた。下瞼を持ち上げるように目を細める。

 アンドロイド――エミリオという個体の行動はどこまでがプログラムなのか。エミリオの振る舞いは人間そのものだ。自分で考え自分で行動するだけではない。こういう出方をされたら相手は不快になると分かって、わざわざ嫌味な言動をしているようである。

 均整の取れた唇がもったいぶるようにして開く。隙間から見える白い歯も赤い舌も人間のそれであるのに、哀れな異邦人を映す目だけが無機質だ。


「殺してくれって」


 珠紀はエミリオの語る言葉を上手く受け取れなかった。言語としては理解できたが、意味が分からない。


「……? ……、殺し?」

「キミのお父さん、どんな人か知ってる?」


 話はさらに混迷していく。珠紀はもう反応もできなかった。自分だけに向けられている説明だというのに訳の分からない講釈を聞いているような気になる。右耳から左耳へと抜けていく雑音のよう、頭の中にこれっぽちも入っていかない。

 とはいえ、珠紀に返答する余力があったとしてもその質問には答えられなった。


「とんでもない悪党だよ。あの人に比べたら、ボクがしてることなんて可愛い悪戯さ」


 彼女は自身の父親について何も知らない。顔も名前も知らない、どこの誰なのかも、それこそ異世界に知り合いがいるかなんて知る由もなかった。

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