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まずは手を離さないこと、それから  作者: 真名瀬こゆ
パラダイムスクラム
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第2話

 珠紀は自分が選択を誤ったのだと察した。何がと問われても分からない。でも、間違えたのだ。ともかく、男の琴線に触れたのは確かだった。

 男の言葉は棘のついた蔦のようで、珠紀の心臓にぎりりと絡みつく。締めて潰す痛みに襲われ、囚われの彼女はぎゅっと胸元を押さえた。身体の芯が冷え、指先が震える。蓄積していた恐怖が破裂したようだった。


「内海さん?」


 片桐は変わらずの穏やかさで、尋常ではない様子の後輩の肩に手を乗せた。痛みも衝撃もない接触に珠紀はびくりと大きく体を跳ねさせる。瞳孔の開いた目は化け物でも見つけてしまったように揺れていた。

 珠紀の様子に左右されないのは片桐だけでなく男も同じだった。何事でもないようにぱちんと手を打ち鳴らす。


「ソッチのは商品部屋、コッチとはまだ話すことがあるから」


 胡散臭いながらも見せていた友好さは、もうわずかほども残っていないらしい。不穏を誤魔化すつもりもないようだ。

 男の指示に応じ、物陰からのそりと影が現れる。

 珠紀たちへと向けられた赤い電光の単眼、ネオンを反射する金属の四肢、不完全な機械人形は人に寄せるのを諦めたかのような中途半端な姿でそこに立っていた。

 珠紀はひゅっと息を呑む。大きさこそ違えど、その人形の腕から手、指のかたちは彼女を捕らえた巨大な手とそっくりだったのだ。

 男が人形に与えた命令からしてもここに長居したっていいことはない。むしろ、悪いことしかなさそうだ。

 がしゃんがしゃんと重厚な音とともに運命が迫ってくる。まるで死へのカウントダウン。とにかく逃げなくては、と珠紀は力の入らない手で片桐の手を取り立ち上がった。


「ここから逃げ――」

「内海さんも一緒に行きましょう……!」


 片桐は恍惚の表情で珠紀の握り返す。青白い世界でも紅潮した頬の色は褪せない。


「彼は使者。私、これから王子様のところに連れていかれるのよ。それで、この世界を救うことになるの」

「な、にを言って」


 いくら天然なところがあるとはいえ、まだ浮ついた発言をする先輩を前に珠紀はどうすればいいか分からなくなっていた。絶望と疑念。一瞬、ここに自分を連れてきた犯人は片桐だったのではと疑ってしまったほどだ。

 感情の見えない人形は鈍足ながらも着実に近づいてきている。


「危機を解決に導くうちに私と王子様は運命的な恋に落ちて、それはとても――」

「いつまでそんなこと言ってるんですか!! 商品部屋なんて絶対に悪い場所に決まってる!!」

「えっ……?」


 甘い声で垂れ流される妄想、それを切り捨てる声色は鋭い。珠紀はこの異常事態の中で平静を保ってはいられなかった。いや、むしろ彼女こそが正常なのかも知れない。

 逃げ場も分からない見知らぬ場所、物騒なことを言う見知らぬ人間、現実味のない夢想を語る顔見知りの人間。

 帰宅時に持っていた手荷物は近くにない、とはいえ、もし連絡手段があったとしてどこに繋がるというのか。縋れる先もなく、取り乱すなという方が難しかった。

 喚く珠紀の頭上から「面白い友達だねえ」と男のからかう声が降ってくる。ほとんど反射で「うるさい!」と吐き捨てた彼女の反応に、男はけらけらと笑声を上げた。よっぽど面白かったらしい。


「キミって情け深いなあ。ボクだったらそんなの捨てて逃げるけど」

「誰のせいでこんな……!」

「ボクじゃないよ」

「内海さん、あの人が何て言ってるか分かるの?」


 投げ込まれた石。広がる波紋。

 珠紀は男に食ってかかっていた勢いのまま片桐を叱責しようとしたが声を出せなかった。夢見る少女のように軽やかな語り口だったはずの先輩が、妬ましいものを見る目で待ち構えていたのだ。

 違和感。何かがおかしい。

 何を言っているんですか、どう聞いても日本語じゃないですか――珠紀はそう言いたかったはずなのに、片桐の態度がそれを許さない。

 

「は、あ? 今、そんな冗談、笑えない――」

「そうなんだよねえ。普通なら、ソレもキミもボクの言葉なんて分かるはずないんだ」


 助け舟は意外な場所からやってきた。

 ぼろの車の上から飛び降りた男はとさりと柔らかな音とともに着地する。この場を照らすネオンと同じ青い髪がふわりと揺れた。美しい布をいくつも重ねて羽織った服は動きにくそうであるのに、彼の動作からそんな不便さは感じられない。宙を昇ってしまいそうな足取りはたった数歩で機械人形に追いついた。二人分の足音がぴたりと止まる。

 珠紀は目前に迫った脅威を見つめるしかできなかった。そして、この距離だからこそサングラスの向こう側にある瞳の異質さに気づく。

 いくつも重なり合うレンズ。それぞれがピントを合わせるために細かく動いては止まり、また動いてと忙しない。

 精密に人間を模した挙動をしているが、瞳の輝きは明らかに人間のものではなかった。

 カメラを内蔵した色のない瞳が愉快そうに歪む。


「生まれた世界が違うんだから」


 男もまた機械の人形であった。しかしながら、隣のそれとは比べものにならない完成度の人型である。感情の起伏に移ろう表情は人間でしかないのに、それをかたち作る部位は機械のそれだ。

 驚きと恐れ、衝撃と困惑。

 どうしたらいいのかと思案と混乱に溺れる珠紀。何十年先の未来に見れるかも分からない存在に高揚する片桐。男の目に後者は映っていないようだ。


「キミが大人しくボクと話をするっていうなら、ソレをすぐにどうこうするのはやめてやってもいいよ」

「……」

「そう怖い顔をしないで。取り引きしよう。ボクは譲歩する、キミはその対価を差し出してくれればいい」


 見目では機械と分かっても、声だけでは判別がつかない。自然な発声と心地よい抑揚。饒舌に問いかける男は「あ」と短く声を漏らす。


「名乗るのを忘れていたよ。ボクはエミリオ・ロットー。そうだなあ、この街の何でも屋さんってところ。報酬次第で何でもするんだ」


 安心できる要素が一つもない。信用も信頼も皆無な自己紹介だ。名乗りを聞かされない方がよかった、と珠紀は顔をしかめた。

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