游の計画
僕がいまなにを考えているかって? ……うーん、強いていうなら最善のことを考えていますよ。どうやったらここから出ることができるのだろうか、とかね。とりあえず、こうやって話を訊いてくれるのだから、まだ僕にも一縷の望みはあるのでしょう。
そうですね……僕にとって最善とはなにか? 自由になることでしょうか? いや、僕の知りたいことをすべて知ることでしょうか? 正直、僕にはなにが最善なのかわかりません。小さいときもそうでした。もしかしたら、いまはそれ以上にわからくなっているのかもしれません。最善というもなのがわからないからこそ、いまここでこうしてしまっているのかもしれません。
おそらく僕の一番最善だったのはお父さんのいうことをよく聞いて、周囲の皆さんと仲良くし、敷かれたレールの上を早くもなく遅くもない速度で一生懸命走ってゆくことだったのでしょう。けれど、そんな生き方は僕はできませんでした。結果的にですが。
いまでもあの時点に戻れたのならばお父さんと人生を歩んでいく方を選んだに違いありません。ですが、僕は最善よりも可能性と真実を求めたのです。そこにはやはり久方さんと出会った影響があったに違いありません。
そうですね。話を戻しましょう。
小さな僕はこの世界を知ることからはじめました。
町の外はどうなっているのか、この町がどうやってできたのか……あまりに多岐に渡っていてどこから手をつけていいのかわかりません。まだ小さい僕は『きまり』を破ることから世界を知れはしないか、と考えました。そうですね。さきほど話していた最善とはほど遠い考えです。危険をともないます。ですが真実は得やすい、と思いました。
それにまだ小学生高学年の僕にはできることが限られていました。これが一番手っ取り早かったのです。
いえ、危険なことは避けました。
久方さんはいいました。そうです。真実の足音の話です。それはひっそりと僕の方に近づいてくるだろう、と。つまり僕はまずは現状を知り、些細な変化に気づけるようにと思ったのです。変化を知るにはまずは日常を知らなくてはならなりません。まず僕にあった変化は幼なじみの勇と翔の失踪、久方さんとの出会い、団地の三号棟の突然の撤去です。
小さな僕のできたことは学校帰りに団地に行き三号棟の空き地に立ち寄ることだけでしたけどね。それでもなにもしないよりはいくらか気が紛れましたし、なにより、少しでも周囲に気を配り知るということに敏感になりました。
そして勇と翔の失踪についてです。そうです。夜に出歩いてはいけないという『きまり』がありました。さすがに外出はしませんでした。ええ、勇と翔と同じ場所にいけるかもしれませんが、それは危険をともないますし、なにより僕は怖かった。『怖さ』とはなにか、ということを考えると『怖さ』とは知らないことだと思います。知らないことをなくし、知ってしまえば少なくとも危険とは距離を置くことができます。洪水の際、川に近づかないように、地震がきたら机の下に隠れるようにね。
ですから僕は観察からはじめました。
観察というのは不思議なものです。小さな僕にとって驚くような発見でした。だってそうでしょう? 生命とは細胞の集合体です。ただの細胞だけならなにも知らずただ栄養摂取と体液の循環、排泄を繰り返すだけです。それが、たまたま人として生まれてきたから様々なことを『みる』ことができる。知ることも。想像を膨らませて怖さを感じることもできる。人は細胞の集合体にすぎないのに。同じもので、けれどもまったくといっていいほど違う。
そこを分かつものがなんなのか?
あなたかだはどう思っているか知りませんが、僕は魂だと思っています。
例えば桜が咲き乱れる桜並木があったとする。僕はその桜をきれいだなぁと思う。けれど桜は僕をみてはいない。それどころか僕の姿を『みた』ことのある桜は一本どころか一輪も存在しない。そのことを考え不思議に思い、自分の思考だけでは永久にたどり着けない深みをみたようで怖くもなりました。
いえ。桜に魂がないかとか、そういう話ではなく。あくまでそれは例え話です。
もし桜並木の桜のなかで僕をみることができる桜があったとするなら、それは人と同じ魂をもっていると思います。その桜はきっと人と同じ感覚を持っているかもしれません。たくさんの花のなかにはそういう一輪もあるかもしれませんよね。人のなかで神をみることができる者がいるように……話がずれましたね。すみません。
こちらの話にも興味がある?
僕はどうやらついつい喋りすぎてしまうらしい。
こんな長く落ち着ける夜は久しぶりだからかもしれません。
話を戻します。
なぜ▽町では夜は出てはいけないのか、カーテンを閉め切って寝なければならないのか。
僕はまずそれを知ることをはじめました。
夜はこの町はやつらの住処になるから、と聞かされていましたが、その、やつらとはなんなのかは知識としては知ってましたが、それを自分の目でみたかったのです。僕は深夜に目を醒ますとカーテンを少し横に寄せ、窓から夜の街を覗きました。
そこには不定形の生き物……いえ、生き物という範疇にはおさまらないなにかが活動していました。おおよそ生命は太古の昔に発生した生物から由来しているように大きくかけ離れた種でもどこか共通点があります。人類と鯨のように目がふたつあり、酸素を使い呼吸し、頭でものを考え、子育てをするようにね。しかしやつらは違いました。口で説明するのは難しいです。そのひとつひとつの個体を説明するのは困難ですが、あえていえば人類や動植物、昆虫等とは違う起源をもつ生物といえば理解してもらえると思います。
そのなかでも人間に近いの生物もいました。
それらは人間と同等の知性を持ち合わせているようでもありました。衣服を身にまとい、歩き、電信柱にたむろしたり、道を行き交い会話らしきコミュニケーションをとったりしていました。夜になるとでてくるのです。
ここでは彼らを仮に『夜の住人』と呼ばせてもらいます。
いえ、夜の住人の性格は温厚ではないようです。僕が観察を続けるなか、その個体のひとつと目が合ったときがあります。カーテンを少し開けていただけなのに僕に気づき、ゆっくりと近づいてきて、二階までふわりと飛び上がると、窓枠に張り付き夜通し僕の名前を呼んでいました。ええ、やつはなぜか僕の名前を知っており、窓を開けるように哀れっぽい声で懇願したり、お父さんと同じ声を使ったりして開けさせようとしました。彼、または彼女かもしれませんが、そいつはガラス窓くらい壊せるはずなのです。けれど壊さず、ガラス窓に張り付いて僕に語りかけてきます。僕は恐怖に震えました。そいつのまとわりつくような眼光は僕の目を通して内臓すらみえるのではないかという錯覚すら覚えました。僕は必死に布団にくるまりながら夜があけるのを待っていました。そしてそいつが苛立ち怒声をあげながら窓を叩きはじめたときです。外が騒がしくなり嵐が起こったようにけたたましい声が聞こえると、外は静まりかえりました。僕はそっとカーテンをあけるとそこには夜の闇が広がるばかりでなにもありません。ただ、窓ガラスの縁に血の跡があり、窓ガラスもよくよくみると拭き取った跡があったのです。僕と目が合い、会いたがっていたやつの最後の名残りだったのかもしれません。そして、そいつらが去った夜の街、道端の電柱の街灯下にコートを着た老人がこちらをじっとみていました。その目は僕を咎めるように鋭く睨んでいるのです。
勇と翔がこんな夜の外に出歩けるはずはありません。そしてあの老人は▽中央病院の医院長だったのではないか、と思いました。だって、数ヶ月に一回ある定期検診のときに会っていましたので……間違いありません。
危険とともに発見がありました。夜の住人と目を合わさないこと。▽町は夜の住人の住処でもあり、昼と夜で人間と夜の住人と住みわけ、生活時間をわけているかもしれないということ。△中央病院の医院長(正式な名前はわかりませんでした。ただ『博士』と呼ばれていたようです)は夜の住人に襲われることはないということ。
ノートなどには記録しませんでした。万が一、お父さんに発見されたらよくない気がしていたので。
そして、あれは中学に入ってしばらくしたくらいでしょうか。夜に人間の男女が歩いていたのです。男の方は中年か初老でしょうか。総白髪でしたが背筋がピンとしていたので中年かもしれません。スーツ姿で、もう一方は疲れたように歩く若い女性でした。
白髪の男性は若い女性の肩を担ぎ、急ぐように歩いていました。必死に夜の住人や不定形の生き物から逃げるように。
その日は静かな夜でした。まるで彼らの足音が聴こえそうなくらいの。その夜に白髪の男性の声が響いていました。
最初はなにをいっているのかわかりませんでした。けれどそれをいっていると誰も彼らに手出しできないようです。遠巻きにみているだけでした。
やがて近づいてくると声が聴こえてきます。
「おんあびらうんけんばざらだとばん」
それは不思議な言葉でした。なぜか僕はその言葉を聴くと総毛立ち、息が荒くなりました。彼はその不思議な言葉を繰り返し繰り返し唱えていました。やがて僕の家を通り越し、彼らは街のなかに消えていきます。
夜の住人に会わずにいる方法があったのに驚きました。なにがどう作用しているのかわかりませんが、言葉ひとつで夜の住人は近づくことすらできないのです。
僕はその男性に会いたくなりました。彼は団地の方へと消えていったので、おそらくは団地の方だろうと思い、何度か団地に訪ねにいきましたが、総白髪の男性といえば背中の曲がった老人ばかりで結局、彼には会えませんでした。もしかしたら、彼は僕のみた夢だったのか、と思うこともありました。
けれどあの言葉は耳に残っています。
『おんあびらうんけんばざらだとばん』
最初は口にするだけで気持ち悪くなっていましたが、何度も唱えているうちに平気になってきました。不思議な言葉です。これで夜も歩き回れる、と思いました。けれどどの程度、夜の住人を避けられるのかわかりません。窓越しに僕の名前を呼ばれたときの記憶が蘇り、結局、僕は夜に出歩くことはできませんでした。
僕はそうこうしているうちに高校生になりました。僕はご覧のとおり大く強い男にはなれなかった。けれど慎重さと執念深さは身につけたと思います。ただただ諦めなかった。勇と翔がどこにいったのか、を調べました。線路沿い、川沿いを歩いたりしてみても最終的には検問に引っかかる。▽町の外へは行けないのです。検問所の向こうはまるで壁のような霧がたちこめています。
陰鬱な顔の検問の人たちに訊くと「あちらには行けないんだ」と素っ気なくいわれるばかりでした。僕は道のない山を歩くとか、手製の筏または盗んだ船で川を下るとか考えましたが、結局、それを実行に移す前に川で手帳を発見したのです。
それは偶然でした。誰もそんな風雨に晒されて汚れた手帳なんて目の端に捉えても見向きもしないでしょう。
けれどそのときの僕は吸い寄せらせるようにその手帳を拾いました。それはよくわからない専門的な仕事のメモ書きや仕事の予約、記録がほとんどでしたが、後ろの方のメモ帳にはびっしりと日記らしきものが書いてありました。
僕は家に帰り、その手帳をドライヤーで乾かすとその手帳をゆっくりと調べることにしました。
持ち主の名前は拝屋礼とあります。
その名前は聞き覚えがありました。久方さんのいっていたこの▽町をつくった拝天會という教団の教祖が確か拝屋樹だったはず。その子が拝屋仁だったから……さらにその子、樹の孫かもしれない。少なくとも拝屋家に関係する親戚に違いありません。
僕は興奮し、その手帳を読み始めました。




