古市希美
深夜の病院は怖いイメージがあったが、それは最初だけで慣れてしまえば別にたいしたことはない。ただの暗い職場だ。いまはそれより救急科に配属されるほうが怖い。イメージなんかよりリアルすぎる。そんな馬鹿なことを考えながら、夜の病室で寝息を立てる患者さんの見回りをしていたら、寝ぼけて点滴を外してしまったひとがいたので、点滴を直してあげた。薬液がいくらかこぼれたが適切に再処理したし問題はないか。ナースステーションに戻ってきて、お茶を飲んでいたときにLINEをみると〈組織〉からの指示があった。
『神宮寺晶の病状詳細求む』
無茶いうわ! いくら看護師だからってできることと、できないことがある。電子カルテの閲覧は禁止されているのが〈組織〉の人間にはわかんないのか。
いやいや、仮にも都市伝説にもなっている秘密結社なら凄腕のハッカーとかが、この△中央病院のコンピューターをハッキングして様々な情報を抜き出すとかできんもんかね。かといって、最近、この片手間バイトの成績もよくないしなぁ。蛇渕新と仲良くなれってあったから、頑張ってみたものの。あいつ、なかなかカタブツだかんなぁ。身体だけの関係なら楽なんだけど……いやいや、私が安くみられるなんてプライドが許さないから、そんなことしないけどさ!
鹿島その子にこうも早々、気づかれるとは思ってもみなかった。第一、なんで蛇渕と仲良くならなきゃならんのかね? そりゃ、看護師なんて不規則だし、出会いなんてないし、日々忙しいし、ドラマみたいに医者との恋愛なんてあるはずもないし。ていうか、みんながみんな疲れ果てた顔で自分たちよりヤバい症状のひとたち看んのが仕事なわけで。そのなかでそこそこのやつを紹介してくれんの(まぁ、紹介というか〈組織〉の指示なんだけど)は有り難いけどさ。まさか、その子の彼氏だったとは。旧来の友情も儚く壊れるってもんか。
まぁ、友情っていったって中高校で一緒につるんでいただけで、いまはなんの接点もないから割り切れるけど、自分と関わりないところでも嫌われるのはやっぱり嫌なもんだ。私は八方美人じゃないけどさ。それに相応しい価値があるのかね? 蛇渕は。
期待できるのは〈組織〉からの報酬くらいか。
でも新たな指示が来たってことは蛇渕のことはもうどうでもいいってことかもしれない。結果は金額に出てくるから仕事の成否はあちらさんの評価を待ちますか。
とにかくいまは神宮寺晶とかいうひとか。
なんとなく字面的に見覚えがあったが、この病院でいつ、どこであったのか思い出せないでいた。電子カルテの検索を使えば楽なのだろうけど、確か暗証番号があった気がするし、閲覧履歴がつくと私的にまずい。そのことを考えるとやはり本業に精を出すのが一番だな、と思ったが、次の仕事に繋げるためにも少しは動いておいた方がいいのかもしれない。
『いつ、どの病棟かわかりますか?』
動くつもりはないが、一応、返信しておいた。
正直やる気はない。ただ私はいつでも動きますんで、というポーズに過ぎない。まぁ、電子カルテをみたくはないし、聞き取りするにもみんな日々バタバタと忙しく仕事をしているのに、そんな個人情報を聞いて回るなんて嫌すぎる。面倒くさいときは適当対応。これに限る。「動くには動きますけど、いまはちょっと……」というニュアンスだ。
『春の終わり頃、ドクターヘリの発着場に無断で入ったことがあったはず』
一気に思い出した。いたいた、いました。そういう名前のひと!
神宮寺晶なんて少年漫画のキャラクターみたいな名前だから勝手に男性だと思い違いをしていた。そうそう、女の子だった。確か高校生で高熱が続いて一時意識を失ったとかで救急搬送されてきたんだった。それが翌日早朝になぜか病院屋上のヘリポートにいて注意をされたって。
ヘリポートへのドアは緊急を要するから施錠をしない指導だったんだけど、あのあと施錠することになったんだっけか? まぁ、いいや。
『病状はインフルエンザB型。頭痛と高熱、倦怠感。熱は一時期、四十度。抗インフルエンザ薬投与。通常対応。数日で退院しました』
これでお金がもらえるなんて辞められない仕事だ。簡単すぎる。報酬が入ったら新しいバッグを買うか。それとも寒くなってきたからコートかブーツでも買おうか。金銭に余裕があるっていいことだ。生活に潤いだらけでどんどん部屋が狭くなる一方だ。いや、ここはいっそ一軒家でも建てる? 独り身で? ウケる。
それにしても都市伝説ではこういう小さな仕事が積み重なって一大事業が起こっているらしいが、本当なんだろうか。でも私は聞かれたことを答えたまでだし、簡単な仕事の依頼を引き受けただけだ。これが紛争やパンデミック、国家転覆、テロリズム、様々な陰謀に繋がるとしたら間違っているのは私ではない。世界が決定的に間違っていただけだ。だから鼻歌交じりに今日も〈組織〉の仕事をする。
返信はすぐに着た。
『目についてなにかいってなかったか?』
目? その文面に私の鼻歌は止まった。
インフルエンザが重症化して入院したはずだ。目に関する合併症は、いま思い出す限りではないし、そこまで重篤な患者さんではない。また〈組織〉の隠語(というか、遠回しになにかいいたいなにか)かとも思ったが、それとも違う。
『目についてはなにもなかったと思います』
『些細なことで構わない。右目だ』
私はあのときのことを思い出そうとした。
確か、△市UFO事件があった翌日だ。
なぜ、ヘリポートにいたんだ? あの子は。神宮寺晶と△市UFO事件は関わりがあるとか、〈組織〉が UFO事件と関わっているとか、いやいや、余計な詮索はやめておいたほうがいいかもしれない。私はただ〈組織〉の一構成員として末端の仕事をしていればいいのだ。そうすれば簡単な仕事で生活余剰金を得られる。
『思い出す限りでは目に異常はありませんでした。眼鏡もつけていませんでした』
その後、すぐに既読がついたきり、〈組織〉からはまるでもう用はないとばかりに、なにも返信はなかった。




