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匣の街  作者: Mr.Y
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夢路と游の技

 俺が帰宅すると、テーブルに晩御飯が並べられていた。

「すまん。俺、ラーメン食べてきたんだ」

 やっと帰って来たか、と俺をみていた游の顔が徐々に苛立った顔へと変わっていった。

 時計をみるといつも晩御飯を食べる七時を過ぎていた。

「晩御飯までには帰ってきてくださいっていってましたよね。それなのにラーメン食べてきたって。せめて連絡してください」

 游は苛立ちながら、テーブルに並べられたご飯に味噌汁、ホッケの切り身と春菊のサラダを冷蔵庫に入れると「朝ご飯に温め直して食べて下さい」と咎めるようにいった。

 俺は「すまん」というしかない。

 料理のほとんどが游の手作りだった。白露本家のお祖母ちゃんからもらった春菊も游は「どう料理しようか」とスマホで調べていたのを思い出した。せめて食器でも洗おうかと思ったが、俺が動くより先に游が食器を洗い始めた。

 俺はひとり暮らしが長いせいか、気ままに暮らす癖がついているらしい。

 なんだか游の背中が俺を責めているようで申し訳なくなった。

 すると游はなにか思い出したように振り返っていった。

「あっ、昼過ぎに阿田大輝ってひとが来たようですが知り合いですか?」

「ああ、知り合いといえば知り合いだけど、」

「あのひとと会うのは、もう止めた方がいいですよ」

 嫌悪感が滲み出るように一言いうと、また食器を洗い始めた。

 話題が変わって、ほっとしたがまさか阿田さんのことだったので、すこし意外だった。きっと游もお祓いの押し売りでもされたのだろう。だが、俺としてはあのひとに悪い気はしていない。

「いや、悪いひとではないぜ。なんか△市ラーメンを絶賛してたし」と一応の弁護をしておいた。

「はぁ、地元のラーメン絶賛されたくらいでなびいていたら、そのうち大変な目に会いますよ」

 俺の阿田さんに対する何気ない弁護の言葉は、食器を拭きながら吐かれた深いため息で応えられた。

 游は心底、阿田さんが嫌いらしい。まるでオカルトを現実のようにいうひとだが、悪意は感じられなかった。だから「なんだ、お祓いの押し売りでもされたのか?」と、冗談交じりに笑いながらいったが、游はその言葉に一瞬青ざめた顔をした。

 よほどしつこくいわれたのかもしれない。どういうふうに、お祓いの押し売りやら見当がつかないが、阿田さんはひとをみながら対応を変えているのだろうか。俺に対しての態度と、游に対しての態度がまるで違うのかもしれない。そういえば、お祓いとかの動画をYouTubeで流しているといっていたような気もする。すこし興味が出てきた。あとで観てみるのもいいかもしれない。

「……あのひとってよく会いますか?」

「ああ」

 阿田さんに会うのは、これで二回目だが、年内はY村の知り合いのお宅で厄介になりながら、△市内の封印? とやらの見回りをするらしい、と阿田さんから訊いた話を游に話した。

 すると游は「僕のことは話さないでもらえますか?」とすがるように頼んできた。

 あのひとの物腰からすると、そんなひとにはみえないが、やはり游の怯え方は、なにかあったもののようだった。もしかしたら阿田さんとの間に、游のトラウマにふれるなにかがあったのかもしれない。

「ああ、わかった」

 そういうとすこし游はホッとしたようだった。

 やはり游は複雑な過去を持っているのだろう。そのことについて訊きたい気もしたが、游が話さないのならこちらから訊くものではないだろう。俺自身も似たようなものだ。あまり過去のことは話したくはない。振り返って他人が訊いて楽しいものではないだろうし、またひとの過去より大方のひとは自分で精一杯だろう。もし過去を語りたいなら訊くくらいはするだろうが、それは過去にすぎない。もうどうしようもないことが大半だ。

「じゃあ、片づけも終わったし、行きますか!」

 游は気を取り直したようにバッグを持って軽くシャドーをした。

 なるほど、今日は道場の日だったのだ、といま気づいた。それと蛇渕が体育館に来ていたのもそういうことだったのか、というのも。俺はなかなか抜けているのかもしれない。

「そういえば、蛇渕に体育館で会ったんだけど、ちょっと道場の方、休むってよ」

「これでしょ?」

 游は小指を立てて笑った。こいつはこいつですこし蛇渕に対して心配があったのかもしれない。

「彼女と同棲生活するからって爪弾きにされたのにいいのかよ?」

「僕は蛇渕さんを応援してるんで」

「どういうことだよ」

「ひとの恋路を邪魔するやつは馬に蹴られて死んじゃえって、ことですよ」

「意味わかんね」

 なんとなくだが俺は蛇渕と游にうまいように騙され居候を許したのかもしれない。蛇渕は「少しの間だけ」とかいっていたが、当てにはならないだろう。まぁ、とりわけて悪い気はしないが。


 道場(といっても体育館だが)に行くと、いつものように俺よりでかいヘビー級の志麻、金髪に髪を染めた中量級の加賀、無口の細身で高身長の多田(階級がいまいちわからない)の三人が誰よりも先に来ていて、軽く汗をかいていた。その後、ぞろぞろとひとが集まってきたが、やはり蛇渕の姿はなかった。それに日高とかいう指導者も今日は仕事が残業なのか休みらしい。

 皆、思い思いに身体を動かして身体を温めて始める。

 俺と游も軽くアップして身体を温めていたが、初心者を教えてくれていた蛇渕がいないし、指導者もいないとなると、なにをどうしていいのかわからなかった。

 すると游が共同の備品である年季の入ったミットを持ってきて「持ちますよ」といってくれた。

 俺は何回か打撃の練習をしただけだから不安があった。俺のような初心者がインディーズとはいえ格闘技大会の選手と一緒に練習して相手は練習になるのだろうか、と。ふと周りを見渡すと皆、一通りの打撃はこなせているのだ。

 游が親切に指導してくれてはいるが、これでは相手の調子を崩してしまわないか心配だった。

「もっと自信を持って!」「集中!」游の叱責は的を射ていた。フォームよりメンタルに比重を置いてミット持ちをしているあたり、動きに俺の心情が出ているのだろう。ひとつ深呼吸をして無理矢理吹っ切りミットに打撃を叩き込んだ。

 游のおかげで迷いを吹っ切った打撃を十分にできた。柔道でも空手でも格闘技一般、なんでもそうだと思うが百パーセント正解はありえない。ただ百パーセントに近づくことはできる。それには数をこなさなければならない。単純なことだ。ミット打ちやサンドバッグはその点いいものだ。カウンターを気にしなくていい。ただひたすら思いっきり打って百パーセントを目指すだけだ。自信を持って集中する以外ありえない。

 十分、身体が温まると俺がミット打を持ち、游が練習を開始した。游の動きは迷いなんてなかった。游の指示でコンビネーションのミット打ちをするのだが、持ち手の俺が間に合わないくらいにまで素早く打撃を叩き込む。突き蹴りが回転するように放たれるのだ。難をいえば打撃が軽いのが玉に瑕だが、俺の指摘に「いまのミットはコンビネーションの練習ですから!」と、自身の攻撃の軽さには自覚はあるらしい。そして妙な負けん気があった。

 そのとき「じゃあ、始めるんで!」と、三人のなかでリーダー格というか、口がよく回る金髪の加賀が号令をかけた。

 俺はヘビー級の志麻のところに着いた。体重的に俺が集められたなかで一番重かったし、でかいひとなら間違って当たっても大丈夫だろうという楽観からだ。

 游に「自分が殴られること考えないんスか?」と呆れ顔でいわれたが、まぁ、あっちはセミプロだから大丈夫だろうし、俺も軽くだが首は鍛えてあった。

 自分よりでかい相手とやる。漫画や映画みたいに小さいやつがでかいやつに勝つなんてなかなかない。体重の優位性は強い。柔道の練習で嫌というほど、その優劣は知っている。ただ、これは練習だ。

「お願いします」とグローブをタッチすると間合いを空けた。ジャブの差し合いからの間合いの探り合いになったが、ちょっと拍子抜けした。以前と違ってみえるのだ。游と一緒に生活して、暇つぶしに(じゃ)れるように練習していたのがよかったのか、いまさっきのミット持ちで高速打撃を打ち込む游の動きに目が慣れていたのか。どちらにせよ。打撃がみえれば、と相手のジャブの引きに合わせて間合いを詰め右フックを打つ。もちろん相手はガードが間に合うが、そこが狙いだった。ガードごと頭を抱きかかえ、左手で相手の右手を掴む。あとは崩しながら、内股で投げた。もちろん崩して受け身をとりやすいようにした。そのまま抑え込む。

「寝技は三十秒でしたっけ?」

「ああ」

 誰かがストップウォッチを押した音がした。

 けれどそれは無駄だった。志麻は寝技に関してはガードができる程度だったからだ。

 加えて重い体重を寝技で活かしきれていなかった。もう数ヶ月あればコツを教えることもできたが日がないのが悔やまれた。志麻は容易く俺にガードを崩され、バックに回られ、裸絞にタップするしかなかった。

「また内股か。あと寝技が難だな……」

「日がないから打撃に専念したほうがいいですよ」

 次のスパーリングは選手交代せず、俺が投げにいく間合いを軽く教えた。志麻も慣れたものだ。間合いを維持し、攻撃を仕掛ける。蹴り足を掴まれても冷静に対応できていた。

 休憩に戻ると游がハイタッチを求めるように手のひらを俺に向けていた。

「なんだよ?」

 意味もわからずハイタッチをしてやった。スパーリングのあとだったからだろう。アドレナリンが駆け巡っているのか力の加減ができず思いっきり游の小さな手を弾くように叩いてしまった。

「痛っ!」

 游は心底痛そうに手をさすったが、その声には喜びにあふれていた。

「なにしたんだよ」

「加賀さん、ヘコませたんで」

 よくみると相手を変えながらマススパーリングして三人の選手の練習をするはずが、加賀は体育館の壁にもたれ掛かり、ティッシュで鼻を覆っていた。目の辺りもすでに赤く腫れ始まっていた。

 游のミット打ちを思い出した。各種の蹴り、左ボディフックから右ストレートに繋げる打撃だった。あれは加賀相手の専用コンビネーションだったのだろう。

「馬鹿!」

 俺は游の頭を叩いて「そういう練習じゃないんだよ」と諭した。

 しかし、俺の言葉に游は「いや、実戦形式が一番です。練習になるはずですし、試合なんていったらガチじゃないですか? それにもう日がないわけですし」と反省の色はなかった。

「あのなぁ、加賀さんだって、仕事があるんだ。そのなかで時間つくってこうやって、練習してんだよ。試合になれば選手同士、意地の張り合いになる。怪我しにいくようなもんさ。勝っても負けてもどこか痛める。それに頭打って意識飛んだら一ヶ月は打撃の試合は出れないんだよ。もし効いてしまってたら、おまえ、どう責任……」

 俺が游に詰め寄っていると肩を叩かれた。振り返ると加賀さんがニコリと笑っていた。游はどれだけ本気で殴ったのだろうか。加賀の金髪に血がついており、金色と赤色のコントラストが目に嫌でも飛び込んできた。

「いいって、いいって。犬飼もガチでやりたいんだろ?」

 嫌な空気になってきた。

 あとのふたりは普通に練習している。周囲は(ヤカラ)な連中が多い。こういう空気には慣れているのだろう。皆、自分の動きを確認するか、マススパーに集中している。ひとりふたりがニヤニヤと楽しそうにこちらをみていた。

 こういうときに蛇渕がいないのは困る。あいつなら煙に巻くようになだめてくれるだろう。そしてこういう状況にならないために指導者がいるはずだが、今日は休みときた。

「游、俺とガチスパーやろう」

 加賀はマウスピースを噛みながらいった。

「マジっスか!」

 俺の心配や嫌な空気とは裏腹に游は心底、嬉しそうにいった。

「いやいや、止めようぜ……」

 こういうやつらは面子だ。相手は高校生だから、といいかけたが、逆に高校生だからこそ後れを取ったのが許せないのだ。そして、お互い怪我のないように練習する、という暗黙の了解事項を先に破ったのは游の方だ。確かに指導(ヤキ)を入れなくてはならない。

 加賀の理屈がわかるだけに八方塞がりだった。

「俺が審判やります」

 ボコられるのは目にみえているが、過剰にやられないために止めるくらいはできるはずだ。問題は適度に游がやられなくてはならない。

 お互いグローブタッチはしたが、会釈はなしだった。

 三人をメインに練習しているのだが、ここだけ空気が違った。マススパーで当たらない連中がこちらをじっとみている視線が刺さった。

 游はジャブより先にローキックを走らせた。無闇な先手は悪手だ。加賀の方がでかいしリーチもある。相手に合わせて動かなければ、自分のリーチを相手に教えているようなものだ。

 加賀は冷静だった。しっかりガードを固め、リーチを探り、出鼻にジャブ、回り込めないようにミドルやローで游の移動を殺す、游のステップインが速くても、サイドに回り込めないのなら、真っ直ぐに来るしかない。わかる攻撃はどれだけ速度があっても防げる。

 前のスパーで游が加賀に打撃を入れられたのは、初めに間合いも速さも認識してないときに、一気に仕掛けたためだろう。

 お互い、打撃は当たりはするが明らかな被弾をしてないのは、間合いを制した加賀だ。たまに意表を突いた攻撃を游がしてくるのだが、明らかに加賀の間合いでやっているため、浅くなる。游が加賀の間合い感を崩そうと踏み込むと加賀の攻撃に被弾する。被弾し、ダメージが蓄積されていけば頼みの速さも失ってゆく。加賀の制空権のようなものが出来上がってきているのがわかった。

 俺なら相手のコンビネーションとともに詰まった間合いのときにクリンチで掴む。けれどいままでみていたなかでは游に投げやクリンチなんてないだろう。

 拮抗状態だったが、リズムが変わった。制空権を確保した加賀が、游が打開策を練る前に仕掛け始めたのだ。加賀の攻撃の鋭さが増す。

 確かに游から十分に間合いも攻撃も速さもステップも奪った。あとはお返しだろう。

 游は後ろに下がるかと思ったが、半歩前に進んだ。

 加賀の制空権のなかでボディワークをつかい回避する算段らしい。前回、游のスパーを観たときの焼き直しかと思った。あちらはパリング、游は足を使ったディフェンスで疲労が溜まるというものだ。動きの癖というものは、なかなか抜けない。疲れてくれば頭も働かないから仕方ないだろう。勝負はみえたと思った。

 そんななか游は執拗に左側に拘っていた。

 左のミドル、ロー。そして、左ボディフック……そのときだった。加賀は游の左ボディフックをガードすると同時に、右フックを放った。游は左ボディフックの流れで右ロングフックを放った。お互いガードが間に合ったが、游の本当の狙いは右フックではなかった。

「やりやがった!」

 俺は心のなかで叫んだ。

 游が右フックをガードさせ、相手の頭を掴む。俺の内股を見様見真似で繰り出したのだ。

 被弾されながらも間合いを詰めたのも、左側への攻撃も、すべてこれのための布石だった。

 加賀の両足が宙を舞った。

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