△▽の怪異 #11
その心臓は石のように堅く、臼の下石のように堅い。それは鉄をみること藁のように、青銅をみること朽木のようである。
地上には、それと並ぶものはなく、恐れを知らぬものとして造られた。それはすべての高きものを見下ろし、すべての誇り高ぶる者の王である。終末の獣。
そんな言葉が相応しい姿をした怪物。そして、その頭のうえに乗った神宮寺晶さんはこの異世界の終末を宣言しました。しかし、それと同時に風に吹かれた灯りのように忽然と姿が消えると、辺りは霧が立ち込め、暗くなっていきました。それは深い霧のせいばかりではなく、日蝕で太陽が隠れたように陰り、世界全体が影に没したようでもありました。
どうして怪物が消えたのかわかりません。神宮寺さんがその怪物の頭に乗っていたのも理解を超えます。そして病院のなかにいる何者かに高らかに宣言したのも謎でした。私はなにもかもわかりません。しかし、それはまるで息を飲むような壮大なファンタジー映画の断片を観ているようでした。そのファンタジー映画の全容は私には永遠に知りえないのかもしれません。ですが、あちらから私を観ることがあったのなら別の映画を観ているようでもあるでしょう。曾祖父から続く因縁話の最終局面でもあるのです。その最終局面であちらの状況と、こちらの状況は交わっているようでした。私がとっさの嘘をついたときの、あの拝屋樹の慌てぶり。きっと▽中央病院にはなにかがあったのでしょう。
確実なことはなにかが起こりました。その起こったことに巻き込まれないように、私は動かなければならなりませんでした。しかし私は絶望に項垂れ、受け入れ難い真実に呆然としていました。拝屋樹に対して反論できるものは一般常識くらいしかなく、私が霊能者として、なんの疑問もなく生きる道は、彼が指し示してくれたような心持ちにすらなっていました。そして狐がしたある種の耐え難い暴力は、私は抗ってはいけないもので、むしろ身を捧げ悦び受け入れるべきものだったかもしれないとすら、思い始め、首筋にあの甘い疼きを感じていました。
そんな暗い思いに支配されそうななか、辺りに青白い光に包まれました。まるで八ヶ谷峠全体が巨大なスポットライトに包まれたように光の柱が何本も立ち並びました。その光源は上空にただようUFOクラゲ(拝屋樹のいうところのUAP)でした。しかも数多くのUFOクラゲが八ヶ谷峠の上空を重力を無視して漂っていました。それはクラゲの群れを海中から見上げるような壮大な光景でもありました。やはり、拝屋樹はこれらを現実世界に放つために八ヶ谷峠に来ていたのでしょう。
UFOクラゲたちは主がいなくなったのを戸惑っているのか、あるいは解放され浮かれているのか、そのどちらかは私には判別できません。ただ思い思いに重力を無視して漂い、地上に存在する影や建物、寺院を興味深げに照らしているのです。一匹が私の側を飛行してまた上空へと飛んでいきました。一瞬でしたが、その巨大さに私は驚きました。まるでクジラのように大きいのです。そして、かなりの速さで低空飛行したにも関わらず不思議と風圧のようなものはわずかにしか感じません。しかし、そのUFOクラゲが通った場所にあった杉の木はみるも無残に押し切られていました。
その場所に私がいたら、と思うと背筋が泡立ち、うっすらと汗が滲みました。しかも上空にいるUFOクラゲの何匹かは以前、拝屋樹の手によって現実世界に解き放たれていました。
青白い壮大な光景に心奪われかけていましたが、この場は危険だということがわかりました。緊張に息が上がりました。気を静めてゆっくりと深呼吸をして、落ち着くと私は当初の目的を思い出しました。
ただ、この道を封じればいいのです。
夜子は寺院に行きました。彼女がいるあちらで、なにかしらの動きがあるはずでした。
私はUFOクラゲに怯えながらも真言を唱え、それがくるのを待ちました。
UFOクラゲにも真言は効果があったのかはわかりません。あの原始生物に似た者が、いったいどんな思考を構成しているのかわかりません。ただ、こちらに来もせず、重力を無視して漂い、立ち込めはじめた霧越しにこちらを青白く照らします。私はその光に照らされながらも精神を統一すると、まぶたの裏に夜子がみえました。
夜子も拝屋樹と対峙してました。
おそらくは拝屋樹の影でしょう。言葉はわかりませんが、彼は朗々と夜子に向かい語っていました。それは私を暗闇へと啓蒙した言葉と同様のものでしょう。
私はどうすることもできません。ただ、そのときがくるのを待ちました。私の考えでは夜子は狐にも怪異にも私の呪力すら効果のない存在です。それは現実世界にあって存在し、けれど魂は存在し得ない状態でした。そして狐すら自らのものとしている。けれど夜子が拝屋樹の言葉をどう判断するかはわかりません。
そのとき鼻先になにか触れるような感覚がありました。わずかでしたがそのおぞましさを感じます。UFOクラゲか、集落にいた影か、もしくは私の知らないなにかが地中から森のなかから這い出たか。私はその姿を確認したかった。目を開けたい気持ちがありました。けれどみてしまっては後戻りできないだろうという確信がありました。私はそれらと近い存在であり、目を見開いて真実をみてしまえば私は……「目を開け」その感触が誘うようにいっているように感じました。私はその感触に反論するように、ただ真言を唱えました。
真言を唱えていましたが、引っ張られるように思考が混濁してゆきます。けれどそのとき、この異世界の存在が一変するほどのことが起こりました。
それは地震でした。真言はおろか、目を閉じていることさえできないほどの巨大な地震で、立っていることもできず、膝を着き両手を着いて身を守ろうとしても身体が浮きそうになるくらいの地震でした。まるで異世界全土が震え、その存在を崩壊させようとしているかのような地震でした。
目の前にいた存在も影もありませんでした。いま思えば私の暗い魂が聞かせた声のような気もしました。
こうやって思い返して書いていると、まるであのときの私はあの異世界に、▽町に留まりたかったかのようです。ただ世界を一変させるほどの地震があったお陰でここにいるような気すらします。
そう、世界を一変させるほどの地震。それが、いつ終わることもないほどの地震が、世界のすべてを包み込み、遠く▽町の建物も揺れているのがわかりました。土煙をたて、崩落している建物もありました。私はいつの間にか寺院に掴まり揺れに耐えていました。
改めてみるとこの寺院はこの異世界にあって、さらに絢爛な寺院です。素材は現実世界の木造ではなく、大理石のように滑らかで乳白色、木目にも似た灰白色の筋がところどころに走っている未知の物質でした。まるで寺院を建設するためにできたような素材、寺院のIDEAともいえる温かな素材。
私は地震に揺さぶられながらもその素材と寺院に魅せられていました。
そのときです。
なにかが割れた音が聞こえました。
それは寺院の奥から反響するように聞こえ、私は身を切られるような切ない気持ちになりました。けれどそれは夜子の勝利の鐘ともいうべき音でした。
彼女は拝屋樹の影に打ち勝っていたのです。しかも物理的に。寺院の奥にあったガラクタの一部を振るいありとあらゆるものに叩きつけていました。
そして揺れる地面から上空を見上げるとUFOクラゲたちの姿もいつの間にかありません。住処に帰ったのか揺さぶられる大地を離れ、遥か上空に避難しているのか。
私は再び目を瞑り真言を唱えます。
すると私の声が聞こえました。私の肉体の声です。私という魂が抜け出しても私自身は真言を唱え続けていました。
やはり夜子には呪いはおろか拝屋樹の影の言葉すら効果はなかったようでした。そればかりか拝屋樹は夜子の逆鱗にふれたのでしょう。それとも彼女のなかの狐が暴れたのか、彼女は原始の森林で叫ばれるような怒声を寺院の最奥で放ち、壊れたガラクタを壊れた椅子に持ち変え、その目にみえるすべてを破壊しているようでした。
そして、あちらの世界も終末に近づいているのでしょう。現実世界に戻るとあれだけ禍々しかった寺院は、もはやただの奇抜な木造建築としてのみ存在し、異世界との接点を失いつつありました。
思い返してみれば私は拝屋樹を現実世界から出る足止めをし、夜子を守るはずが、逆に飲み込まれ、魅入られてしまっているばかりでした。
しかし最後に私にしかできないことがあります。
私は異世界への道を塞ぐ封印、四方固めをはじめました。これは地鎮祭でも使われるものですが、ララさんの小説でも使われるかもしれませんので詞を書きます。ただ、本来、祭事や封印のときにつかわれる詞なので重要な言葉は伏せさせていただきます。
東には長目かる□□のみことに申し上げ参らせ、此れ□□。西にはいく□□のみことに申し上げ参らせ、此れ□□。南に天ちくまんく□□のみことに申し上げ参らせ、此れより北には龍千万億千万□□のみことに申し上げ参らせ、此れより中おんに□□大日大正太明を待て、□□驚かせ只今の申し事申しをとしある共ききおとしなくなしかけこし、かけならびに日天とのさを以ってさし上四羅諦のへをはりこしきのへを持ち本の坐位氏所い本のさしろい送り届け、其の祈念梵論、そわか。
一又□□山なとにて、□□を祀り与える事ハツ称にわも人一大二羽、一と二とばかりたり谷、七つ峰、七つのうちの□□共を今日の山こに授け給うべし、十二大里山の神と喜びをさせ賜れと申込、経巻き□□ごん十二辺おあらかみちんめ、そわか。 一又うちの山、四十八、他の山、四十八く十六の山々谷々の□□共をこのすのえいれて、四方固めを申す也。
唱えていると、どこかで私と似たように唱えている声が聞こえました。私の霊感による聴力がそれを捉えました。それは同じ真言だったり、経だったり、詞だったりしました。私の知らない呪文のような言葉、日本に存在しない言語すら聞こえました。ありとあらゆる封印が、まるでこの日このときを待っていたように、△市のどこかで唱えられていました。その声が私を背を後押ししてくれました。それらの声に、私は私のなかにあるわずかな暗闇が申し訳なく思えました。それくらい堂々と清らかな響きで多種多様な呪いによる交響曲でした。おそらく△市にいた霊能者、霊感の強いひとはそれを聞いたに違いありません。
その後押しもあったのでしょう。儀式はすみやかに終えると、異世界の気配は消えました。その途端、
ふいにその交響曲も消えました。
あんな壮大な詠唱の交響曲でしたが、その余韻も名残りもありません。ただ、その役目を終えたのです。再びその役目があるまで彼らは沈黙を続けるのでしょう。私はもう聞くことはないでしょう。いえ、聞きたくない。そう強く願いました。
地固めを終えると、私は寺院のなかへ急ぎました。夜子の声はまだ聞こえていました。それは怒声から涙声に変わっていました。一切の脅威は去りました。けれど彼女自身のことが心配でした。
「夜子!」
寺院の奥に彼女はいました。もう元々なんであったかわからない棒っきれを右手に持ち、眼鏡の奥の目を怒らせ、肩で息をしており、額は汗で光っていました。それは普段のすこしおどおどとした彼女からは想像もできない姿でした。
私は駆け寄り彼女に抱きつきました。私が彼女を危険な目に合わせてしまった。本当は簡単に終わるはずだ、とタカをくくっていた。けれど簡単ではなかったし、私があそこから戻ってこれない可能性すらあった。
「ごめんね、ごめんね。二十二歳の黒咲夜子にあなたを守るように頼まれたのに危険な目にあわせちゃって」
私は彼女に縋りつくように抱きしめながら、謝りました。するとなんだか涙が溢れ出しました。危険な目に合わせた申し訳なさか、それとも危機を脱した安心感からか、涙が止まりません。そんな私に「ううん、いいのよ。拝屋さん。たぶん、そのために黒咲夜子がここにいた。だから、あなたが今、ここで拝屋の怪を終わらさせることができたんだ。あなたの真言はずっと聞こえていたよ。こちらこそ、ありがとう」
まったく夜子らしくない言葉にさえ、抑えようとしていた涙が再び戻ってきました。馬鹿みたいに泣いていた私の頭にポンと彼女の手が置かれ、優しく撫でてくれました。
「それ、イケメンしか許されないやつ」
私は夜子の手を払って怒りましたが、夜子はまた同じように頭を撫でてくれました。
このメールのどこかで告白しましたが、私は性的マイノリティの傾向を持ち合わせています。ですから、あのように好きでもない女性に優しくしてもらうのは正直、困りました。私には神宮寺さんという憧れがあるのです。
「私より先に彼氏つくるなよ」
その声は労るようでしたが、同時に残酷でもありました。私の思いなんぞ夜子は知らないのでしょう。そして知ってしまったら、きっとこんなことしてくれないのでしょう。
別の涙が出てきました。
ですから「やなこった」と精一杯強がりました。情けない涙声で。




