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匣の街  作者: Mr.Y
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晶と神 #2

「かけまくもかしこき……」

 嫌な妄想を打ち砕くべく、私は祓詞を小さく呟きながら人気(ひとけ)のない通路を歩く、通路には小さな間接照明や非常口を示す緑色の電光が灯っていた。私はエレベーター手前にあった四階の案内標識でみた手術室を目指す。しかしこの▽中央病院は不思議だった。壁と床のつなぎ目、天井、すべてが一体化しているような印象を受ける。それは鉄筋コンクリートで塗り固められたというより、一枚の鋼板から削り出されたような一体感なのだ。壁に設置された手すりも後付けで取り付けられてはいない。ビスも留め金も存在せず、やはり壁と一体となっている。ひとつひとつが詳しく説明しようとしても理解が追いつかないのだ。足元の間接照明すら、これが電気によるものなのか、有機的な発光体による光なのではないかと疑えた。つまりすべてが現実感がないのだ。むしろ現実より高度なもののようにも感じる。この▽中央病院は現世の△中央病院を模倣したものではなく、もしかしたらこちらが先にあり、それを模倣して、拙い技術で△中央病院が建設された、とするほうが或いは説得力がありそうだった。

「……かしこみかしこみもまをす」

 何度も小声で唱えながら歩くが通路に果てはない暗闇が広がっていた。この暗闇をかき分け歩いたところで果てはなく私の足では通路の果てにたどり着くことはできないのだろう。

 だが手術室はみつかった。

 大きなドアには当然のごとく鍵は掛かっていなかった。それとも手術室は(非常時などに備えて)鍵は掛けないのが一般的なのだろうか。

 嫌な予感が突如として沸き上がり背筋を泡立てる。

 もし万が一あの老人が私がここですることを、あらかじめ理解していたとしたら?

 けれど私は再び神さまに合わなくてはならない。ここはあってはならない場所だ。そして、現世と完全に隔絶しなくてはならない場所だ。

 あの神さまと一体となったときの視野を思い出す。ひとは光であり花だった。突然引き剥がされたことにより、あの百花千花の花畑のなかに紛れた私を見分けることができないのではないか。それとも、老人の手によるペテンで現世から私を異界に誘ったせいで見失ったのか。もしかしたら影だらけのこの世界で私がみえないとも思えた。それならばこの身に神さまを降ろすだけだ。

 私の身を生贄として捧げよう。私にはそれがどういう意味を持つのか知っている。

 柳田國男の著書のなかであったことだ。

 完全な身体は人間として神から遠い存在であり、片目を潰す、片足を切ることで不完全な身体になり、神に近づけるという。つまり、神と同じ欠損を持つのだ。これは「神と人間の境界を曖昧にする」ための儀礼となる。幸い柳田國男が調べた諏訪信仰と神宮寺(ジングウジ)家が祀っているミシャクジさまは深い結びつきがあると思われる。その信仰に「片目神」「片足神」が存在するという。この延長線上に生贄の儀式があったと柳田は推測している。諏訪の神体が「片目の神」だった可能性も考察していた。実際、御柱祭の「木落とし」で人が死ぬのは、生贄の代替行為の名残りであるとも。

 つまり神は人を喰うのだ。

 それどころか一年ごとに神主を生贄としたのではないか、と推察している。それが片目を潰し、片足を切り、異形となった神職を一つ目小僧や片足の妖怪としてみたのではないかという。

 私は神さまと会い、△市から出ようとしている怪異を鎮めよう。それが生まれながらにして神さまがみえる私の役目ではないだろうか。そして私は異界で異形の妖怪へと姿をかえるのだろうか。

 手術室へ入ると紫色の光が点る医療用洗浄機がみえた。そこにはメスやハサミ、鉗子、ピンセットなどの専門的な器具が何本も並べられていた。私はそこからメスを一本、手にとった。

 私はメスの刃をそっと左手の甲に当てた。ほんの少し当てただけなのにそれは皮膚の上で赤い血の線をつけた。

 私でなくても他にいるのではないか。私がなぜひとり痛い思いをしなければならないのか。そんな思いを抱きながら、手術室中央にあるベッドに横になる。私の上には手術用無影灯が暗く存在していた。

 私は私の意志を無視した。

 私が神さまがみえる理由はたぶんここでこうするためだったのだろうとメスを右目のこめかみあたりに構える。

 激痛がともなうなら一瞬がよかった。いや、眼球は神経の塊だから切ったあとも痛いだろう。痛みはどれだけ続くのだろうか。何日か何週間かあるいは一ヶ月か。しかも片目は不便だろう。傷跡は醜いだろう。

「懸けまくも畏き……」

 私は祓詞を唱えると震え汗ばむ手に握られたメスを真一文字に横切った。

 鮮血が手術室用無影灯に飛び散り、激痛が走り、血流は高まる。心臓はドラムのように身の内側から激しく叩き、その度に目に激痛が走る。思わず手で傷口を押さえるが、指の間から首筋へと熱い血が零れ、患者着を汚すものとばかり思った。

 ただ視界が一瞬白く焼けた。

 そのとき笑い声が聞こえた。勝ち誇ったような、緊張が一気に抜け安らいだような、またおおよそ考えられない深みから這い出るような声だった。

「幾千万、幾億万、幾星霜、いったいどれだけの手筋を読んだか」

「だがかくて深淵への入口は開き私は帰る」

「贄だ。贄だ。ミシャクジの血肉だ」

 それは一方向からではない。手術室のいたるところ……いや、暗闇から出てくるのだろうか。そうではなくこの病院のなかの闇という闇が発している声のようでもあった。あまりにおぞましく耳障り声が私の肌を泡立てる。その声を聞くと頭が痛くなる。私のなかにあるすべてが拒絶しているのだ。その声を意味を聞きたくもないし、記憶したくもないのだ。しかも、それはどことも知らない言語で聞こえた声は一音だったが、なぜかその一音で同時に複数の意味が理解できた。頭が痛くなるほどの衝撃と耳鳴りがした。額に汗が滲む。

 しかし、それはふつりと切れ、かわりに聞き馴染みのある声が聞こえた。

「勝利なんて確信してるね。まったくあいつは私とやり合ったと思っている。詰みだとすら思い違いをしている」

 神さまの声だった。

 私は確実に目を切り裂いたと思った。来たるべく激痛に耐えようと身を強ばらせていた。しかし右目は無事だった。どうしてそうなったのかわからない。そして引き剥がされたと思っていた神さまは私のなかにいたのだ。

 これはペテンだ。神が博士とやらに仕掛けたペテンだった。

「分類するため境界線を引きたがるのは人間の都合で境界線が引けないことのほうが自然さ。封印? 境目? 私には関係ないさ。ああ、色々、そういうのはあるね。だが人間の礼儀に則ってこちらも礼儀を尽くしているだけだ。ラプラスの悪魔気取りでなにもかも知り得たと思うな。あの深宇宙からの来訪者気取りか? まぁ、一言いってやる。幾億万、幾千万、ご苦労さま」

 私の口が言葉を紡いだ。

「神さま」

「やぁ、そうだ。けれどあまり喋らない方がいいぞ。私が喋るのと晶、君が喋るのは同じ口を使っているのだからな。君らの基準ではおかしな奴だろう?」

 言葉は軽いものだった。あの巨体と存在感から発せられるものには似合わない。きっと私の脳と心をつかっているからなのだろう。時折、言い表す言葉を選んでいるようだった。きっと、人類の語彙の少なさに困っているのかもしれない。

「あの老人。いや、ここでは博士と呼ばれているから博士と呼ぼう。さぁ、はじめようか。博士を……occidunt.」

 私は立ち上がった。いや、神さまが立ち上がった。

 私はやはり生贄だったのだろう。私の意識はなかった。ただ、恐怖は過ぎ去った。痛みも安らぎもなかった。周囲の気温も感じなければ、匂いもなかった。きっと生まれるまえはこうだったのだろう。或いは死後も同様か。あらゆる五感は遠のき、ただ六感だけが作用した。

 哄笑が聴こえた。

 悩みもなく、配慮もなく、しがらみもない。ただ純粋な笑い声だった。それは暴れながら、あるいは踊りながら笑うのだ。花が咲いていた。馨しい香りと目に鮮やかな色彩を帯びて、一切の無邪気さと清らかさに包まれ、私までその心持ちになり、共に踊った。頭を振り、手を伸ばし、あるいは抱き、足を絶え間なく交差させ、ステップを踏む。聞こえない身の内から起こる旋律(リズム)に身を任せ。

 神楽を思い出していた。

 私の家族が仕える伊夜比子(イヤヒコ)神社に万葉の頃から伝わる古い神楽をだ。それは七曲の稚児舞と六曲の大人舞より構成されていた。年に一度、この神楽の全十三曲が奉奏される。子供の頃、ダンスとも踊りとも違う動きの舞というものに四苦八苦したものだ。だが、私は他の子とは違い神さまにみられているのがわかった。初めて稚児舞を舞うとき、私は今日こそはちゃんとみてもらおう、と当日緊張しながらも真剣に舞った。 そのとき神様は確かにいつもと同じく私をみていた。だが、稚児舞だろうが、大人舞だろうが、無関係にみているだけだったのだ。そのときはやるせなさはなかった。けれどいまさ充実した舞の感覚があった。神宮寺家は客人神を祀っている関係か大人舞はやらないが、いまは全十三曲の舞がすべて舞えた。まるで何百何千と練習したように舞が身体のうちから躍動するのだ。

 おんあびらうんけんばざらだとばん。

 そんな声が聞こえた。

 身の内から起こる旋律とは違う旋律に苛立った。だから私の旋律を余計に高らかに歌い上げ、踊った。

 だが、その旋律は止まりはしない。

「うるさい!」

 私は声を上げた。

 そこにはスーツを着たスキンヘッドの老人がいた。額に汗し、酷く疲れ、膝をついて肩で息をしていた。床にはボロボロになった机やひしゃげた椅子、綿が飛び出たソファがあった。それに一際大きな机越しに椅子に座ったあの博士がいた。その博士は白衣を着て椅子に腰掛けていた。しかし、眼窩はおちくぼみ、口を開け上を向いていた。

 死んでいる、と思った。

 誰が殺したのだろう。

 そもそも、私は手術室にいたはずだ。なぜここにいるのか。ここはいつか神さまの視点でみた▽中央病院の部屋のようだった。たしかにその名残があった。なにかが破壊し尽くしたのだ。天井も壁もすべてを信じられない力を奮って。なぜだか私はそれを断片的に知っていた。

 私は恐る恐る白衣の老人に近づき、その恐ろしい死顔を覗き込んだ。その生気のない顔にぞっとするような笑みを張りつけていた。

「ああ、なんてことを……なんてことを……」

 後ろから声がした。あのスキンヘッドの老人が目を見開いて呆然として私をみた。その目はなにか暗闇から現れた亡霊をみたような驚きと恐れに染まっていた。

 破壊され尽くされ四方なにもなく空ばかりのこの部屋、いや、この場所に日が射した。

 十一月の弱い光の太陽が私を照らす。見渡すと辺りは四方何も無い。本当になにもなかった。博士も老人も破壊され尽くされた部屋も。ただ、空がみえた。青空だった。朝が来たのだ。

 私は△中央病院の屋上にいた。

 私が立っていたのは大きく白く丸が書いてあり足元にHとある。私が立っていたのは救命救急用のドクターヘリのヘリポートだった。

 いま起こったことが飲み込めず呆然していると屋上入口のドアが開き移動式ベッドを運びながら四人の男性看護師がやってきた。空には救命救急用ヘリが着陸しようとホバリングをしていた。

 最初、看護師たちは驚いていたが「どうしてこんなところにいるのか」と怒られたし、ヘリが降りてから緊急搬送に慌ただしいのに私の面倒までみなくてはならない看護師たちは興奮し、怒りながらも、冷静をよそおい言葉だけは丁寧に私を病室に案内してくれた。私だって意味がわからない。ただただ平謝りするしかなかった。

 やがて病室へ戻ると、昨日の夜のことを思い出し窓を開けようとしたが、やはり窓は換気できるくらいにしか開かなかった。

 神さまはなにをしようとしていたのか。また博士と呼ばれたひとはなにをしようとしていたのか。わからないことだらけだ。あのひとたちは人類よりきっと巨大な存在なのだろう。彼ら(あるいは彼女ら)は人の魂を乗せた大きな基盤で戦っていたのではないか。彼らの言葉からそれはすこし窺えた。幾多の手筋のなかで私は最後の重要な一手だったのだろうか。けれどあの言葉はただの戦いの比喩だったとも受け取れる。正直、なにをどういっているのか意味付け、それすらできない。それに博士の死顔はなにかを達成したような表情だった。もしかしたら博士にとって死は終わりではなく、別の形態なのかもしれない、とあの顔を思い出すと思えてくる。実在や生命の有無、私の目への傷や巨大な存在を無にしたり、形のない存在として現れたり……ペテンだ。不敬だろうが、彼らは大いなる詐欺師たちだったのかもしれない。

 私はもうひとつの目を開く、そこには天井に続かんばかりの背丈の老人が私をみていた。

「ねぇ、あなた様はなにをしたのですか?」

 不思議と神さまがみえにくかった。どうも視界がぼやけるのだ。だがすぐに気がついた。どうやら右目の視力は神さまを捉えることができなくなっているようだった。

 そのことに戸惑う私を神さまはいつものように静かに私をただみていた。あのときの饒舌さはなく、ただ静かに。

「傷跡は醜いですか」

 私の問に神さまの首がわずかに左右に振った気がした。

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