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匣の街  作者: Mr.Y
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△▽の怪異 #8

 そのあと私は気がつくと駅の近くのマクドナルドにいました。窓ガラスの向こうは暗く、街灯がともり会社帰りのサラリーマンが家路につきはじめていました。私は頭も身体も心も疲れ果てただぼんやりとホットミルクティーを両手で抱ていました。

「飲みなよ」という声にうながされ温かいホットミルクティーを口にすると温かさが身体中に巡って行きます。ミルクティーの甘さと夜子の心配する声に私はようやく意識を取り戻し、なぜ自分が屋上からマクドナルドにいるのか、と夜子に訊きました。けれど彼女はおかしくなった私を連れてここに来たというのです。

「けど私、あまりマックに来ないのになぜかここに来てさ。だいたいポテトのLサイズなんて初めて注文したよ。えーっと、屋上でのあと、アレ? なにがどうしたのか。雫がおかしくなってさ。急に殺して、死ぬとかいったかも? ああ、保健室にいけばよかったのか。でも気が動転してて。でもなんで私マックに来たん?」

 自分でもなにがどうしてこうなったのかわからないようでした。時間の前後感覚も狂い、記憶の欠損もある。状況を説明すればするほど辻褄が合わずわけがわからなくなってきているようでした。

 この状況は覚えがあります。お父さんの助手として憑き物を祓うときに同じようなことをいっているひとをみました。いわゆる狐や狸に化かされた状態です。怪異に曝されると理屈や常識を超えた出来事が起こります。脳というものは現実世界を理性的に認知する部分が多く、怪異のほとんどは理性でとらえることはできません。

 瓶の中身の怪異がなんであるのかわかりませんが、拝屋としてはあの怪異にあえて名前をつけるとしたら『狐』といったところでしょうか。

 狐はどこにいったのか。とりあえず、事実が歪められ過程や状況が変化したなら、とにかく起こった出来事を箇条書きのようにいってもらいました。

「雫が小瓶を取り上げる。水が零れ落ちる。コンクリートに染み込む水。円を描いた小瓶。屋上は船。周りは漣立つ音。フェンスに登る雫。雫は死を口にする。雫を私は引きずり下ろす……いや、おかしい。フェンスから引きずり下ろしたならコンクリートに落ちたはず。けど私たちに怪我もなければ服にほつれもないんだけど……まぁいいや、最後にマクドナルドでホットミルクティーとポテトLを注文した」

 私はその夜子の言葉を聞きながら真言を唱え、神経を研ぎ澄まします。その言葉に私自身も身に覚えがないか、また言葉の裏に私たちの身の内にまだ狐が潜んでいないか調べました。その時は気配はなにもなかった。つまり私たちは運良くなんとかその狐をやり過ごせたようでした。

 けれど私にひどい疲労が溜まっていましたし、身体中に鈍い痛みもありました。一方、夜子のほうはなにもなく理性的にさきほどの怪異の詳細を話そうと頭を捻っていました。

「人は理屈に合わないものを理解することはできないから。だから理屈に当てはめ怪異に名前をつけ妖怪にしたり都市伝説にしたりするんだ。もしくは完全に忘れる。霊感のない人は特に……だから夜子も忘れるんじゃないかな。夢みたいなものだから。霊能のある私にはそれを確認でき、捕まえ、消すことができる。けど焦ったわ。夜子がいきなり封印を解くから。あっ、あの紙が封印だったんだけどね。初めて会う強い怪異だった。正直、あちらに持っていかれかかったし。夜子の機転のおかげで助かったよ」

 説明しようと悩んでいる夜子に私は言葉をかけました。

 夜子にはなにもなかったようですが、私はわけのわからないうちになにかしらの暴力を受けたようでした。おそらく瓶のなかの狐は私に向かってきたのでしょう。私は夜子の手助け(どうやったのかわかりませんが)でなんとか撃退できた。けれどかなり消耗してしまった。夜子がいなければ屋上で倒れたままか、本当に屋上から飛び降りていたかもしれません。

「とりあえず家まで送るわ」

 夜子はいいました。私は明るく振舞って隠しているつもりでしたが、この疲労を隠しきれていなかったのかもしれません。

 夜子と帰路に着きましたが、話していると夜子に違和感がありました。ただ日常会話をしただけですが、受け答えは普通ですし、顔色もよかった。けれど夜闇の街灯に照らされた彼女の顔は彼女であって彼女の顔でないような感覚でした。霊視でちらりとみてみると夜子の魂の欠損部になにかががっちりはまってみえるのです。一瞬、彼女のもう一方が戻ってきたのかとも思えましたが、それはまるで違う者の魂でした。それは不健全な集合体です。狐憑きのように魂になにかが混じり合ってる。けれど主導権は夜子ががっちりと握っているのでしょう。奇声を発することもなく、身体の自由が効かないわけでもない。他人や自身に害を与えるような素振りもなく安定していました。

 狐に間違いありませんが調伏どころか魂に封印されているようにもみえます。

 一度、詳しくみてみたいのでお礼ついでに家に寄っていくよう進めました。一度断られたものの夜子はにこやかに承諾してくれました。

 けれどそのあとがいけなかった。

 あの瓶を預けたひとが来ていたのです。

 呪物に関しては守秘義務があるのでお客様が誰だったのかいえませんが、夜子と顔見知りだったようです。わけを話して謝るのが精一杯でなんとか許してはもらえたものの。結局、その日に夜子をみることができませんでした。

 思いもつかない来客と取り返しのつかない自身の失態に言い訳や謝罪で焦り、ただでさえ疲労の濃い身では自分のことで精一杯でもうなにもする気が起きません。

 お母さんはお父さんが行方不明ということで心労が絶えないらしいので私が弱音を吐くわけにはいきません。ですが、あの日はお客様と夜子が帰るとどっと疲れが出て、無性にお風呂に入りたくなりました。

 私は家事の手伝いもそこそこにお風呂に入りました。

 そこであの狐が私にしたことがわかりました。

 私の肌の柔らかな部位に赤く線が幾重にもありました。それは力づくで求められた末にできたものでしょう。そのために肌の皮下に赤く充血しているようでした。首筋の鎖骨の辺りに吸い付いた跡があり、背中にも柔らかく引っ掻かれた筋が何本も走っていました。他にもここでは書けないような箇所にも。霊視でみてみてもそれは変わらず傷跡になっていました。私はひどく気持ち悪くなると同時に下腹が熱くなり、心臓が胸骨を叩くようなひどい興奮を覚えたのです。頭は意識を飛ばされそうになりながら、混濁した意識のなかでわずかな理性で必死に抵抗していた。けれど魂はその狐の行為に興奮し欲望に応じていたのではないか、と思いました。相反する思いのなかでその暴力の跡に指を這わせると私の口から情けない声が出ました。外に漏れないように抑えましたが、浴室の密閉された空間に響いて、私の耳に入ります。その声に私の鼓動は早くなり息は激しく弾んでいきます。

 八ヶ谷峠の歪んだ寺院で胸に張り付いた霊にやられたものと同じようでいて違います。あれは魂だけだったのに、これは肉体にも影響を与えていました。

 次第に耳朶も頬も赤く染まり、首筋についた赤みが腫れたように熱くなりました。それに順応するように身体の敏感な部分も熱く腫れたように熱を帯びてきます。浴室の全身鏡に映る私は次第に目の輝きを失い、陰気に溺れたように空気を求め、顎が上を向きます。息は弾み切り口は半開きのまま、手は狐に与えられた暴力を再現するかのように、暴力痕に指を這わせ、いつの間にか脚は開かれていました。甘い疼きと痺れに酔い、それによってもたらせられる高揚に指と指の間に湿り気すら感じ、後戻りできないような背徳的な恍惚感に没入しようとしていました。

 その一方で私は拝屋家の口伝を思い出していました。

 人類は現世ではないどこか遠くからやってきた、とする教えです。もともと人類は深淵よりやってきた霊的な存在で類人猿と交わり他人類を滅ぼしたという話です。

 私の身に起こっていることもその一旦なのでしょう。あちら側の存在に求められたが、否定してしまった。本当はそれに応じたい激しい欲求があったにも関わらず。その無念をこういった行為で慰めているのではないか。これは穢れ、間違った行為であることを思い出せ、と理性が本能を捩じ伏せようとしていました。

 同時に淡い嫉妬心がありました。結局、狐は夜子に憑いたことです。それもやすやすと身の内に取り込まれ、飼い慣らされているのです。

 そんな頭がぐちゃぐちゃになりそうな状態のなかで思い出されるのは神宮寺晶さんでした。彼女のことを思い出すとここから抜け出せそうな、彼女の姿を道標にできそうな気がしました。

 おんあびらうんけんばざらだとばん。

 真言がゆっくりと浴室に響き、何度か唱えると私は平常心を取り戻していきました。


 話は変わりますが、ララさん、ここまで読まれておそらくもうご理解頂けているかもしれませんが、私はそういう人間なのです。キキさんが恋愛相談ならララさんに任せた方がいい、と帰り際仰っていました。

 もしよろしかったら、気恥しいですが次回会ったらアドバイスよろしくお願いします。

 そうはいってもララさんや夜子が対象かといえばそうではなくて、やっぱり好きなひとはひとりだけなのです。またそういう目でみてしまうのもそのひとだけなので私自身、私のことがよくわかりません。もし不快に思われたら申し訳ございません。

 不快でしたら会ったときにこの話題に関して無視していただけたら、と思います。


 話を戻します。

 結局、夜子に霊的なものを理解させることもできず、家の仕事を失敗させてしまう。すべては悪い方に向いていると思いました。拝屋なのにどこかにお祓いでも行きたいような気分にすらなりました。

 そして、相変わらず神宮寺晶さんはまだ風邪が長引いているのか休んでいました。

 けれど夜子に取り憑いた狐は相変わらずそこに居続け動く気配すらありません。私は夜子には「もうなにもいないよ」といった手前「いやぁ、実は取り憑かれてるわ! ごめん、ごめん」ともいえず、とにかく一応は祓おうと真言や手短な儀式をしましたが、一向に埒があきません。狐は強固に夜子の魂に縛られたままなのです。

 術式を拝屋から修験道、陰陽道(ふたつは俄仕込みですが)に変えてももはやいない、といっていいくらいの反応でした。神宮寺晶さんがいればあるいは本式の神道も試せたのでしょうが、なんとなく結果は同じように思えました。

 逆にお祓いとみせかけ(じゅ)を編んでみましたが、これにもなにも影響がないのです。さすがにこれには私は目を疑いました。霊感のない人間でも呪は影響があります。アフリカ諸国、中央アジア諸国では呪をかけることに対して法律で規制があります。日本も同様で丑の刻参りなど強力な呪をかければ罰則があるくらいなのです。(表向きは脅迫罪や名誉毀損のていですが) 呪は霊的なものを完全に排除した状態や、霊感のまるっきりない人間でも十分に影響がでるのです。これは人類がまだ霊的存在だった頃からの名残でしょう。狐の影響があったかもしれませんが、いまの夜子には霊的な影響はなにもないのかもしれません。こういった話は聞いたことがありません。拝屋の伝承にも伝わっていない。いえ、そもそも怪異というものは不定形なものなのです。その場その場で状況判断で対応していくのが最適解だとお父さんもいっていました。

 私は決心しました。

「そうそう、休みにハイキングにいかない? ほら、これから受験勉強も大変になってくるし、夜子は修学旅行もいってないじゃん。夜子の学生時代の想い出づくりも必要だと思う」

 夜子を騙してでも拝屋が起こした怪異を鎮める、と。

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