△▽の怪異 #7
預かった呪物は本来、祓うかさらに封印を強めてそのままにして置くか、二択しかありません。祓おうにも私の知識だけでは対応しきれないものの様ですし、封印を強めて預かるにしても私にはこれもまた知識がない。
これはお父さんの帰りを待つしかなかったのでどうしようもない。ですから持ち出すのは簡単でした。
それにお父さんはこのとき、すでに連絡もなく帰ってきていないときでした。お母さんの話では依頼者から凹凸建設の作業服を渡され、着替えてどこかへ行ったといいます。もしかしたらと拭えない不安が湧き上がっていました。
そして八ヶ谷峠でみた拝屋樹と思われる人影とUFOクラゲとなにか関わりがあるのではないか、それに△市公共建築改修事業でよくみる防水防塵シートにプリントされた凹凸建設の文字……いまは点と点ですが、線で結びつけられなくもない。そうするとみえてくる状況がある。その状況にお父さんは巻き込まれた。
私は御札の貼られたアロマボトルをジュラルミンケースからそっと抜き出しました。なにがなんでも夜子に協力して欲しかったのです。それに夜子自身だっていまの△市の状況と無関係ではないはずだと思いました。
作戦は簡単です。八ヶ谷峠のあの寺院へいってなかにあるはずのモノを壊すだけです。私は外からサポートに回ります。あの生物的な霊を抑え、拝屋樹とUFOクラゲが現れるのを防ぐだけです。あとは夜子に寺院に祀られているモノを破壊するなり移動させれば完了です。
そんな簡単でいいのか、と思うでしょうが、考えてもみてください。
なにかをどこかへ移動させるには『なにかしらの運動』が必要です。ですがそれはこの現世での話です。あちらから現世に移動させるとなるとその『なにかしらの運動』が異なってくる。おそらく寺院のなかにあるモノはそれを手助けするものでしょう。
そもそも異界との出入口は漫画か映画のように光り輝く力場やあからさまな門があるわけじゃない。おそらくなにかが置かれ、普通とは違う場所というだけに過ぎないと思います。極端な話、他とは違う場所という雰囲気がありさえすれば超常者の拝屋樹はあちらもこちらにも行き来できる。おそらくは拝天會の信者も一人ひとりそうやって送ったのではないか、と考えられます。
このあたりの場所の話を具体的に説明しても煙を掴むような話になるので難しいですが、例えばあの寺院に入るとします。私のように霊視と目視を同様に扱える者には騙され欺かれ寺院のなかを迷い、出てくるまで時間がかかるに違いありません。そしておおよその人間は騙されたまま迷い続けあちらへと誘われるでしょう。つまり私見ですが寺院は異界と現世双方にある場所になっている。みたこともない生物的な霊がいたことがその証拠です。現世からみれば寺院のなかはおそらく形があるばかりで実在はしていないです。実在していないから形ばかりに目がいき迷い騙される。この原理を完全に理解しているのは拝屋樹だけでしょうが、あのUFOクラゲを空に放った時間は昼過ぎでした。ああいったモノはやはり暗闇を好みます。もしかしたら拝屋樹もあちらの時間とこちらの時間の違いが把握しきれてないとも推察できます。
そんな難しい場所ですが、簡単にあちらから行き来できなくさせることはできます。封印とは実在していない形をみたままに定めてやることの意味合いもあります。みえる形を整え、そのまま実在させればいい。一番簡単なのは別の実在、物そのものを置き換える。そうです。社や石仏、地蔵、色々ありますが実在を置き換えてやる方法と、以前いった通り現代では別の建物を建てるのが一番有効かもしれません。ですが私は霊能者です。それより簡単にできる方法があります。そして形があるが実在していないものを簡単に見極められる人物も私の近くにいました。黒咲夜子。彼女なら魂を欠損しつつ肉体を維持し、高度な抽象的な概念(高校生活、勉学についていけてました)を操り理解することができる。つまり彼女の目を通して寺院をみれば、あそこはただのアウトサイダーアートの廃墟に過ぎないということになります。
思い返してみれば夢で大人びた黒咲夜子に「私を助けて」と頼まれましたが、実際は私が頼む形になっていました。ですが黒咲夜子はUFOに連れ拐われた。UFOクラゲがひとを拐う可能性だってある。五年前にも拝屋樹が放ったUFOクラゲが彼女を誘拐した可能性が高い。つまり彼女はこの一件に確実に関わっている。そして魂を欠損した状態にまでなって帰ってきた。
もしかしたら「私を助けて」の意味は欠損した魂の状態で黒咲夜子として生きてゆくための救済を求めたのかもしれません。
すこし話が飛びます。このあたりの私の考えを詳細に話したいので。
魂はひとを生かします。また生きるためには魂が必要です。その作用は未だ不明です。そもそも肉体という物質になぜ魂という非物質がどうやって結合しているのか、肉体と魂はどう影響し合っているのか誰も説明できません。今日では魂も精神も脳細胞が起こす電気信号ということになっています。けれど古代エジプトでは魂は九つに分類されて機能し、ちょうど内蔵のように各部位が機能することによって人間の生命活動がなされていると考えました。
(この考えに当てはめると霊感のない方にも、このときの夜子の魂の形が理解できるかもしれません。移植できる臓器を全て抜き取られ、或いは生きるギリギリで切開された状態を想像してみて下さい)
しかし、現在も魂を知らず知らずのうちに分類しています。生命と命、精神(ここでは精神の説明は除外します)です。例えば物質に命が宿る場合もあります。言葉上ですが「人形に命が宿る」といいますが、「人形に生命が宿る」とは使いません。あきらかに生命と命が違うものだと本能的に認識しています。
魂をみて生きていた古代人はその魂の部位を肌で感じていた。物質的に満たされ、もう魂をみつめることのなくなった現代人でもわずかながら魂に対しての感覚は残っている。それが魂のなかにある生命と命だと思います。
人形の例でわかってもらえたと思います。命は自分だけではない他者から認知されることによって機能する魂の一部なのです。つまり『黒咲夜子』としての実在を固定するためには家族だけの認知だけでは足りないのです。人間社会で生きていくのは生命活動だけではない。命(言葉を変えれば、かけがいのない存在)として認知されなくてはならない。そうでなければ彼女は生命活動をしている人形に過ぎない。だけどそれは人間ではない。だから大人びた黒咲夜子はもい一方の彼女の近くに存在した霊能者であり同級生の私に「私を助けて」と頼んだ。そうするとこの霊験が偶然でないことがみえてくる。
話を戻します。
この方法では黒咲夜子を危険に晒してしまいますが、同時にあそこを簡単にかつ速やかに封じることの出来る者は私と彼女以外ありえない。
私は決心し、瓶にさらに封印を施し溢れ出す気を鎮めると学校へ登校しました。
最近知ったことですが私以外にも霊能者が学校にいたのです。そのひとの名前は神宮寺晶といいます。霊能者なんてそんなにいるものじゃない、と聞かされていましたが、まさか同級生にいるとは思ってもみませんでした。そのひとは神道系の霊能者でしたが、私には彼女のいう神様を私はみることができません。おそらく視野が違うのでしょう。それに霊能者であることを隠していました。ここだけの話、私は彼女に憧れていました。私のように常に独りでいるわけでもなく、周囲には友人がおり、運動神経もよく、頭もいい。責任感があり何事にも率先して素早く取り組む。ややひとを見下すような雰囲気があり嫌っているひともいましたが、そこは彼女の容姿と相まってそうみえるのは仕方ないと思います。
私としては自分というものをしっかりもっている、という感じが好きでした。
私は一方的に憧れるばかりでつき合いはありませんでしたが、放課後にふたりっきりになったとき(いま思えば彼女が私に話し掛けたいと思っていたのかも)私に自分も霊能者だと告白してくれたこともあります。
呪物を持って登校したらその神宮寺さんに気づかれてしまう可能性がありました。けれどその日は彼女は風邪で休んだらしく私はホッと胸を撫で下ろしました。彼女ならこの存在をあっという間に感知できるでしょうし、神道系の霊能者ということで穢れた呪物を持ってきた私を軽蔑するかもしれませんから。あとは夜子にみせて信じてもらうだけです。
本来、夜子が私の霊能を信じてくれれば話は早いのですが、そういった私の話には全然、興味を持ってくれません。呆れ顔で話に合わせてくれますが。
でもあの瓶をみせるのをどこでやろうかと悩んでいました。
変に他人に茶々を入れられて万が一にも開けらるたらたまったものじゃありませんし、学校には学生や先生のなかにも〈組織〉の構成員がいると思われました。
これはもう放課後に人気のない体育館の裏にでも呼び出すか、と昭和のヤンキー漫画か古い少女漫画みたいな状況を休み時間にぼんやりと考えていました。
そんなときです。上の階へと続く階段から担任の先生と水色の作業服を着たひとが話しながら降りて来ました。話の内容は屋上の貯水槽の点検の話らしいのです。「昔、自分たちが学生のときは屋上に上がれたのに」とか「△市は昔、貯水槽で自殺があったから規制が早かったので学生のときにはもう上がれなかった」とか点検の話も早々に学校の屋上の話を楽しそうに話しているのです。
担任は私の姿をみると「おお、拝屋、この鍵を戌角先生に渡しておいてくれ」と屋上の鍵を渡しました。そうすると意気投合した作業員と話しながら下へと降りていきます。
私は受け取った鍵を手のひらにのせ、しばらく眺めていました。これは借りてて、放課後使ったあとに返せばいいのでは、と思いました。けれど、あまりにおあつらえ向きなのです。不気味なほど。
ですが選択肢としては間違いない。屋上なら誰も入れませんし、〈組織〉が関与していたとしても屋上なら盗聴器などの心配はありません。なにかにセッティングされたようにひとつの選択に引き寄せられていました。
そして私は放課後、夜子と一緒に屋上へと行きました。
屋上に出ると夕日が今日一日の最後の光を赤く辺りを染め上げていました。盗聴器、盗撮などの機材の心配もあります。屋上中央で私は夜子に尋ねました。
「夜子はどこまで知ってるの?」
「全然わからない。でもあなたが<組織>の人かも知れないってことだけはわかる。そして、最近、私に声をかけてくれる人たちのなかも<組織>の構成員がいるかもしれないってことくらい」
なかなか用心深く、慎重な意見でした。
仲良くなってもシニカルに周りをみています。
「さすがは黒咲夜子」
まるであの夢でみた大人びた夜子が目の前にいるようでした。また誤解もあるようでした。どこから話した方がいいものか少し悩みましたが、すべて話すことにしました。。
「半分正解で半分は間違い。私は<組織>を知っているけど構成員じゃない。もしかしたら恨まなきゃいけない集団かもしれない。まぁ、その話はいいや。あなたを守ってくださいって頼まれたからさ。なにから守るかしらないけど、とりあえず<組織>関係と思われる人から守ろうかなって。あ、でもこの時期に赤点採ったら守りきれないから、それは自己責任ね」
緊張をほぐすために冗談交じりにいいました。そのせいか、夜子も少し緊張がとけたようでした。
そもそも、友人を屋上に連れ出すってなにかの告白みたいで気恥しさもありましたし。彼女は私のタイプではなかったので勘違いされてもまた困ります。
「私を守るって誰に頼まれたの?」
「黒咲夜子。おそらく二十二歳の黒咲夜子」
私はすべてを話しました。夢で大人びた黒咲夜子に会って助けを頼まれたこと。この世界ではないもうひとつの異界というべき場所が怪異という形をとって近づいてきていること。拝屋家は代々、そういった怪異を祓ってきていたこと。おおよそのことを話しましたが、夜子は冷笑的に笑うだけで真に受けません。そんな世界があるならCo2を送って地球温暖化防止をすればいい、核廃棄物でも廃棄して原発再稼働だとか、前向き過ぎる提案が続々と出てきます。あくまで霊的なことは信じない現実主義者のスタンスを崩しません。
私は当初の予定通りポケットからあの瓶を取り出しました。
「みてよ。これが怪異の一端……」
霊感というものがほとんどないお母さんですら脅えた呪物です。それをみせればさすがの黒咲夜子だって私のいうことを信じると思いました。百聞は一見にしかず、です。実物であるその呪物をみれば誰でもわかるはずでした。
「はず」だと思っていました。けれど「はず」なんて予想に過ぎません。そう、私は間違っていました。やはり魂が欠損しているということは霊的なものから影響を受けないばかりか、みえないし信じることも感知することもできないのかもしれない、と気づきましたが遅かった。
彼女はそれを受け取ると中身をみるべくなんの迷いもなくかぐるぐるに巻かれた御札を剥がしたのです。
私は慌ててその瓶を夜子の手から奪いました。これはヤバいと真言を唱え、印を切ろうとしたはずですが、時間が間延びしたような感覚がありました。
私が動くより早く蓋が回りました。その蓋は通常の動きですが、私の動きが遅いのです。カツン、と屋上のコンクリートのうえに落ちました。そしてなかから漣の音が聴こえ、中身の液体が零れ落ちます。それは私の手のひらにも付着し指と指の間にねっとりと這いました。熱い。それが最初に呪物に触れたときの感覚でした。
それは明らかに生きていました。やがて鼓動すら感じ始めました。慌てて左手で拭い取ろうとしましたが、それは執拗いオイル汚れのように左手にも付着します。それは次第に膨れ上がり、歓喜に湧くように鼓動が激しくなっていきました。ふいにあの寺院にいた生物的な霊を思い出しました。あれは魂に張り付き、血を吸ったヒルのように膨れ上がった。あれと同じような状況になりつつあった。しかも最初にコンクリートに落ちた液体も足に張りつき太腿に登ってきていました。
熱い、という感覚と時間が間延びしたという感覚。知覚は目まぐるしく回り、私は現状を打開しようと足掻きます。私は真言を唱えていたつもりでしたが、口はおろか身体もゆっくりとしか動けません。
一音一音が重なり完成する前にその呪物―もう怪異といってもいいかもしれません――その怪異は私の口からなかに入っていきました。
最悪なことにそれは肉体というより魂のなかだったのです。




