△▽の怪異 #4
私は明るく楽しくテキトーでハッピーならなんでもいいと思っている。それ以上は望まないし、それ以上のことなんて想像すらできない。だがそれは利己的な欲求なのだ。強いていうなら『私』が明るく楽しくテキトーでハッピーならあとはどうでもいい、ということになる。内省なんて考えたこともなく、私と私の友人だけにそれは適応していた。だから明るく楽しくテキトーでハッピーの裏で誰かが暗く苦しく複雑な不幸を抱いているなんてどうでもよかった時期がある。
それは社会に出てから嫌というほど思い知らされた。就職してから学校や家族、友人内ではない会社というものに入った。ここではここのルールがある。自分だけ嫌なことから逃げる訳にもいかない。社員それぞれに役割があり動いていかなければ工場は動かない。よく社会人のことを『社会の歯車』と(軽蔑の意味を込めて)いうがあれは言い得てて妙だ。まさしく社会は歯車と歯車が噛み合ってできている。そして、ひとつの歯車が動かなくなればあとの歯車も動かなくなる。そして全体は爆音を轟かせながら止まってしまう。
私はそのことを入社してからしばらく経つときに思い知らされた。経理の先輩がいきなり辞めてしまったのだ。暗く陰気で真面目さだけが取り柄のひとが結婚を理由にだ。結婚をしたらさらにお金が必要だろう、と思うだろうがそれは察して欲しい。この会社はこのひとが辞めるまでそういう昭和の香り漂う境遇だったのだ。
私は就職してからそのひとの下に付き仕事を習ったが、仕事はともかく人柄が合わなかった。とにかく辛気臭い。他の社員から下にみられ、ストレスを溜めていたのは新入社員の私からみてもよくわかるくらいだった。けれど他の社員だってそれとなくイジリのようなものだった。「悪気はない。よくあること」という感じだ。だがそのひと(というのも味気ない。ここではナナエさんと呼ぼう)にとっては傷つくことなのだろう。または変にプライドが高いのか、私たちからみた世界とナナエさんからみた世界とが違ったものなのか。つまりはお互いが毎日どうしようもなく噛み合わず、ねじれたリズムを刻みながら仕事をしていたのだ。
そんな変拍子はナナエさんが辞めるときに最高潮に達した。彼女は私に引き継ぎもせず、しかも長年使っていた経理関係の関数をすべて消去していったのだ。復讐劇のグランドフィナーレなんて映画かドラマくらいしか喜ばれないものだ。愉快な逆転劇なんて主人公だけ喜び周囲はドン引くエゴイスティックな幕引きだ。
ナナエさんの脇で営業と経理関係をしていた社長もわけがわからない様子だった。入力すれば勝手に計算してくれたものがピクリとも動かないのだ。
繁忙期間近の関数関係のパズルが始まった。
しかも頼られたのは、私だ。専門学校を明るく楽しくテキトーでハッピーに過ごしてきて、なんとなく就職できて(ホント、運だけは良い)世の中舐めまくり、浅く広い上澄み人生しか知らない私だ。
日々、積もりゆく請求書と領収書をまとめながら、死んだエクセル関係の関数を生き返らせるべく入力してゆく。税理士やうろ覚えの社長(失礼だがほとんどいらない情報ばかりだった)にも訊いた。それは業務というより推理に近く、また確証がなければ確定申告のときにえらい目合う。思い返したくもないが、結果はなんとかなった。
あのときはいなくなったナナエさんに何度、悪態をついたのかわからない。周囲も私同様かそれ以上だった。だって彼らにナナエさんに対する悪意はなかったのだから。だが彼女は自分の境遇を周囲を恨んでいた。あのメガネの奥の目には恨みしかなかった。それを晴らしたくてこんなことをやったのだろう。彼女の気は晴れたのだろうか。けれど周囲からは恨まれた。それは彼女の望んだことだろうか。ただやらなくては彼女の気は晴れなかったのだろう。確かめる術はないが、なんとなくわかる気がする。だって私ならそうするだろうから。現にナナエさんの暴挙の後、昭和の香り漂う気風は平成を飛び越え、瑞々しい令和の社風となっていった。
『私』と『私』が対峙したとき、必ずなにかしらの不具合が生じる。それを解決する。またはうまくやっていくために会話というものが存在するはずだが、その会話やコミュニケーションがナナエさんと社員たちとの間でうまく執り行われていなかった。そればかりかそのコミュニケーションが間にあった溝をさらに深いものに変え、修復不能にまでしてしまった。
(割を食ったのは私だ。ナナエさんも社員たちも私に謝れ。社長も脇でみていたのなら給料上げて欲しい)
つまりはもう少し、お互いがお互いを理解しなければならないし、自分が良くても相手はそうとは限らない。また自分の殻に閉じこもって自省ばかりでは相手に図に乗らせるばかりになってしまうし、自己主張ばかりでも譲らなければただの自分勝手だ。軽蔑すべき社会の歯車にさえなれない。
こういうと小中学生の生活指導に思えてくる。
学校というものは勉強というより社会性を学ぶ場だというのもよくわかる気がする。
でもこれがあくまで基本で個人間ではさらに複雑になっていくようか気がする。
例えば私たち双子の姉妹のことだ。
つまりはそういうこと。会話を積み重ねても溝は埋まらない。歩み寄りより、いかに相手を屈服させるかだ。暴力はなにも物理だけではない。ナナエさんのように自分しか知らない関数関係をばらばらにするのだって暴力。私のように学校で仲間内で賑やかにやっているだけで一部の人間には暴力だっただろう。キキのやったことは自分自身の価値を上げて家族に認められ、最終的に私を見下すこと。それも暴力だろう。違うだろうか? わからない。私はナナエさんのように内にこもって被害妄想を暴走させたとも思える。その結果、私は我が家を出てひとり暮らしをはじめた。
だがここに来てさらによくわからなくなってきた。
<組織>と呼ばれる秘密結社とキキは繋がっていたのだ。まさかの秘密結社だ。しかも私のハンドバッグに盗聴器までいれている。
わけがわからなすぎる。
「それにしてもさ。拝屋さんへの話どうだった? 続き書けそう?」
帰宅する途中の車内で聴いていた音楽の音量を下げ、そんな他愛もない話をしてくる。そこに悪意はないし、むしろ興味深げだ。本当に私の小説の続きに興味があるのか。それとも見下した相手のトンチキな物語を楽しんでいるのか。
いかん、いかん。ナナエさんの気持ちがわかりすぎるほどわかるいまの私は彼女のように少し病んでいるのかもしれない。そうなると一時、キキの褒め言葉に浮かれていた自分が情けなくなる。言葉通りに受け取ることもできず、かといってきまぐれに不機嫌になることもできない。
「あのさ。これ、どういうこと」
手のひらで踊らせられるのは勘弁して欲しい。
むしろ私が手のひらで踊らせるほうが楽しい。
「ふぅ」とキキがため息をついて車をコンビニの駐車場に停めた。そして盗聴器の先をしばらく摘む。おそらくスイッチを切ったのだろう。
「マジかよ」
そういいながらカーウィンドウを開け、ポケットからポッキーみたいに細いタバコを取り出し火をつけた。
一見、冷静そうにみえるが、この顔はかなり焦っている顔だ。よくわかる。だって私ならそういう顔をするから。
「まったく、都市伝説の闇バイトなんて長々やるもんじゃないだろ?」
もちろんブラフだ。いつはじめたかなんて私は知らない。だがキキは見事にハマった。驚いた顔をしたのだ。
「かなわんなぁ。でももう辞めるつもり……」
ちょろい、あまりにちょろすぎる。簡単に吐くとは裏があるのか、それともやっていることがストレスだったのか、どちらかわからないが、淡々と私に話し始めた。
最初は自分が誰も知らないとこで動いているのが快感だったらしい。ひととは違った何者かになれたような特別感に酔いしれていた、と。
「けど、裏で動いているといつの間にか後暗くなるもんよ。性格悪くなるっつうか」
目の前のひとと話ても裏を探るようになるらしい。話していること、行動になんの利益不利益があるのか考え、思いを巡らせるようになる。私はインターネットで陰謀論にハマりかけたときを思い出していた。おそらくそれと似たようなものだろう。
「そんなとき、ララの小説みてさ。ああ、身内でも知らないことは知らないしなぁって。ララさ、そんなキャラじゃないじゃん。長文ちまちま打ってるなんてさ。それよりひとと話しているほうが楽しいかと思ってた。全然、ページビュー伸びないし読者少ないのに損得無しになんでこんな苦労して楽しんでるのか考えたらさ」
いやいや、なんで勝手にみてるん? ページビュー伸びない、読者が少ないとか私のガラスのハートに引っ掻き傷つけんなよ。性格悪くなるのが嫌だからや秘密結社辞めたいんだよね。まずは性格悪いの治そうか。
「私はちっちぇなって。家の事業でかくしても楽しくはないよね。なんか後暗いし、そういうのって違うくね? ってさ」
その後も〈組織〉とやらのことを話していたが、拝屋雫や噂に聞く都市伝説レベルのことしか話さなかった。たぶんそれ以上のことをキキは知らないのだろう。末端として細々と活動をしているようだ。多くの闇バイトの末端と同じく全容を知らずにただいわれたことをしているだけのようだった。私の想像通りだ。こうなると拝屋雫の力にはなれそうにない。
「私もさ。キキが私を疎ましく思ってたんかと思ってたんよ。だから家業引き継いで私の居場所なくさせようとしてたんかなって……」
さきほどもいった通り個人間の溝は話し合うしかない、というのが私の見解だ。壁があるならとっぱらえばいい、溝があるなら埋めればいい。明るく楽しくテキトーでハッピーになるにはそれが近道なのだから。
そんな私の言葉にキキは吹き出した。
「被害妄想じゃん。単純に私があんたの姉ちゃんだし。家業引き継ぐのが普通かと思ってただけだから」
いまの口調には私の吐露した話が図星だったという雰囲気があった。だが口にしている言葉も本当のことだろう。キキは考える人間だ。黙って長く深く。それで出した答えを石橋を叩きながら進む。だから間違いも失敗も少ない。だが、私からみたらうざくも感じる。臆病でびくびくしているようにみえる。だから私はキキを見下してしまう。だがいまはこうやって第三者としての視点でキキと私をみている。不純な気持ちで興味を持った文学とやらも役に立つものだ。私はこのキキの卑怯な臆病さを許せるようになっていた。つまりは「そういうことにしておくわ」と突っ込まずにいえるようになったのだ。
「じゃ、これ、返して」
盗聴器を摘んだが私は力いっぱいそれを掴んだ。
キキは私がなぜそうするのかわからないようだった。
「いやいや、キキ。<組織>の顔みたくね?」
キキと<組織>とのやり取りは大抵の場合、駅のコインロッカーだとか市営体育館のロッカーらしい。つまり顔をみたことがないのだ。
「ちょっとマジでいってんの?」
「マジもマジ、大マジだよ。幸い私とキキと顔も一緒だし<組織>も騙せんじゃない? それで<組織>がどういう秘密結社か調べるって、どう?」
「はっ! よくいうよ。興味ないね」
「出処のわからない金掴まされて?」
「貰えるものは貰っておく。危いことには首を突っ込まない。いらない質問はしない。長くやっとくためのコツ」
「じゃあ、なんで私なんかの声を盗聴するわけ?」
「それは△市UFO事件を追っているからその情報が欲しいんじゃない? それとも小説家になろうの底辺作家に興味があるとか? そもそも、いらん疑問持つと怪我じゃすまないよ」
本当になんで私なのだろう。できれば安全に<組織>のひとと話ができないだろうか。情報は提供する。だがこちらも知りたいことを教えて欲しい。
私は盗聴器のスイッチを入れ、ハンドバッグに入れた。キキが頭を抱えゆっくりと紫煙を口から吹き出した。
「じゃあ、いつでもなんでも聞いてよ。答えられる範囲でなら、だけど」
苦笑いを浮かべ憎々しげに私をみながらいった。
「こっちもあちらから連絡あったらよろしく!」
私はそんなキキにとびっきりの笑顔で返した。
私の作戦はこうだ。キキの代わりに私が盗聴器を持っていく。そこで<組織>のひとに会う。そうすればキキと<組織>のこと。封印との関係性。どうして私に盗聴器をしかけたのか。なにもかもが解決するのではないだろうか。




