夢路と遺跡と
白露夢路なんて名前嫌いだね。
「どうして?」
俺がまだお母さんのお腹のなかにいたとき家の壁に竹久夢二のカレンダーがかかってた。お母さんがそれをみて俺の名前を夢路にしたんだって安直すぎるよ。だいたい竹久夢二が女に汚いやつだったことも知らないで。絵が綺麗だったから俺の名前を夢路になんてさ。それにはじめての子だったから名前に『二』をつかわず『路』にして、夢を追いかけるような人になって欲しい、なんてもっともらしいこといって。だったら最初からたまたま目に入った竹久夢二の絵からだったなんていうなよ。二とか路とか、夢を追ってほしいとか、全部あとづけじゃないか。
「わが子に対して誠実でありたかったんじゃない? たまたまにしろ、あとづけにしろ。勘違いにしろさ。自分の気持ちをすべて正直に話したかったんだよ」
そうかもね。うまくのみこめないけど。
「親だからね。近すぎるんだよ。私から見たら素敵にみえるよ。直情的かつ直感的。綺麗なものを自分の子供にあげたい素直な審美眼。そして少なくとも私の目の前にいるの君は夢路くんなの。儚い美女を描き続ける竹久夢二の名前をもらった夢を追いかける夢路くん」
また、そういってもらえて嬉しいよ。
「どうしたの? なんで泣いてるの?」
ひどい夢をみたんだ。
「どんな夢?」
起きたら忘れてしまった。ひどい夢だ。失望感ばかりでどこにも希望がない夢。
「よしよし、だからってそんなに泣かなくてもいいじゃない? 大きなクセして、君は可愛いなぁ」
ああ、こっちが夢だ。だって君とはもう会えないんだった。君が俺にふれてもそれはいつかどこかでふれた記憶に過ぎないんだろう。この手のぬくもりも、その優しい瞳も、この会話も俺の頭のなかの記憶に過ぎない。いま君が本当にいてくれたらいいのに。俺はいま必死に頑張っている。君を忘れたいから。君に会えないからいっそ君を忘れ去ってしまいたいんだ。そうしないと俺は身を削ってでも君の記憶を辿り続ける。どうせなら削れきって砂になれたらよかったのに。
朝、スマホのアラーム音で目覚めると、テーブルの上の獣頭型土器(記念に黙って拝借した)をみてため息をついた。
「田んぼに遺跡があるかもしれない」
あのとき突然の発見に驚き慌てて圭介さんに連絡し、ついでに市役所や大学に連絡したのが間違いだった。俺はてっきり遺跡発掘というものは国から全額援助が出て発掘されるものとばかり思っていた。しかし現実は土地の所有者が主に払うらしい。しかもその田んぼは借りた田んぼだった。もし発掘が行われるとしたらその面積分の収入が絶たれる。地権者も発掘は許さないだろう、とタカをくくっていたら、早くも翌日、N大学の教授が地権者のほうへ伺って発掘許可を得ていた。俺と圭介さんは慌てて地権者の方の家へ伺ったが「いやぁ、なかなかの費用だけど、すごい遺跡でも発掘したらこの辺の地価も上がるんじゃないかってな。まぁ、発掘規模がどんなか知らないが、うちは了承したよ」と気楽に山師根性を出しながらいってきた。いやいやいや、こちらも仕事が、農地賃貸契約が、といい寄ったが、時はすでに遅かった。N大から連絡がきてかなりの面積を掘ってみたいらしい。権利は地権者にあるので結局、俺と圭介さんはなにもいえなかった。とりあえず、来年は一割の減収は確定だ。
愚痴らせてもらえばこんな北陸地方の田舎の遺跡に歴史的に重要なものがあるわけでもないだろう。むしろ、どんなに掘り返しても一部の知識人の知的欲求を満たすだけの土器の破片が出てくるばかりで観光スポットが出土されることはないに等しい。そんな小発見くらいしか見込めないなら田んぼとして耕し、安くても米を作って売ったほうが経済的にもいいんじゃないか、と思う。そんな無駄な怒り、というか一年にして無駄な農家的義憤のようなものがふつふつと沸いてきた。しかし圭介さんは達観したもので仕方ない、とあきらめ農機の整備をしていた。
俺はひとり憤りどこにそれをぶつけよう、と部屋を見渡したが、義憤をぶつけて失うのは俺の所有物くらいしかない。(その所有物も必要最低限のものだ)かといって俺はストレスを発散できるような趣味も持ち合わせていなかった。
「走るか」
こういうときはジョギングでもするしかない。酒を飲んだりタバコを吸う金はない。酒もタバコを買う金がないのにパチンコなんていけるはずもない。映画を観るのは億劫だ。本を読みながらじっとしているのも趣味じゃない。
俺はジャージに着替えると軽トラックに乗って体育館へと向かう。
最近、市長が老朽化いちじるしい△市の公共施設を建て替えたのだ。圭介さんによるとそのお金の出処はよくわからないらしい。市長は関東出身者で大物政治家と繋がりがあるとか、役所がお金を積立てていたとか、建設工事を受け持ったのが東京の建設業者だったので市長は△市政後、東京進出を狙っているとか、様々な憶測がながれたが、完成してみたら多くの市民は金の出処云々よりも新しい施設を呑気に受け入れていた。そのなかで体育館と図書館は有名な建築デザイナーが設計したことで有名だった。気晴らしがてら見物を兼ねてジョギングでもしようかと体育館へ向かったのだ。
真新しく綺麗で近未来的な外観と明るい館内に少し興奮しながら受付でジョギングコースはあるか、と訊いたら三階にジョギング専用の場所があるといわれた。しかも無料らしい。ちなみに有料でトレーニングジムがあり、近辺のジムより低価格だとオススメされたが、いかんせん、いまはまだ贅沢はできない。俺はフラットな階段をあがり、三階にいった。そこは期待していたようなジョギングコースではなく、人ふたりがようやく並んで歩ける狭い通路にエアコンの通気口ダクトが天井を這う一周一二〇メートルの短いジョギングコースだった。もしかしたら体育館の外観と競技場、武道場、ジムなどを精一杯デザインして余った余白でつくられたのかもしれない。
無料のコースなんてこんなもんだ。
しかし走りはじめるとなにも考えなくてすむのがいい。ただ足を踏みしめ身体を前へ前へと突き進む。
そもそも田んぼの面積が少なくなれば、その分仕事が楽になるということだ。まだ慣れてないのもあるが、一年頑張ってみてかなり疲れた。少し楽してもいいかもしれない。問題は収入減をどうするかだが、楽になった分、畑での収穫を直売所などに持っていくのはどうだろうか。そうだ、自分でどうしようもないことはあきらめよう。この農閑期を利用して別の仕事を探してみるのもいいかもしれない。いや、それは圭介さんに不義理なんじゃないだろうか。けれど冬場だけ働きに出るのもいいかもしれない。以前、勤めていた工場にも冬場に農家がバイトとして働きにきていた。せっかくだから資格でもとって手堅い冬仕事をみつけようか。ぱっと思いつくところで危険物取扱者とか大型免許とか、家に帰ったら調べてみよう。
ほどよく疲れてきたので足を止めた。
ベンチに座り、息を整えていると汗がぽつぽつと床に滴った。
「もしかして白露か?」
懐かしい声が頭の上からふってきた。
「誰だよ」と思い見あげると額に汗が滲み初冬には似つかわしくないTシャツ姿(まぁ、今の俺も似たような姿だが)の長身の細目の男がいた。
「ああ、蛇渕か。久しぶり」
工業専門学校で一緒だった蛇渕新だ。学生時代は同じ柔道部で汗を流した仲だった。同じ背丈(一八〇前後)でよく組んで練習していた。確か同じ△市出身で卒業後はプレス関係の仕事をしているはずだった。
蛇渕は俺の隣に座ると訊いてきた。
「平日のこんな時間にこんなところでなにしてんだ?」
「それはこっちのセリフだよ。俺はこの通りヘマやっちまって療養中……あと三日休めるんだけどな。身体なまっちまって」
そういって左手をみせて第一関節がなくなった中指をみせた。
「それ、なんのミカジメ?」
俺の冗談に蛇渕は苦笑いをした。俺の他に何人もの人にいわれたに違いない。
蛇渕はプレス機の安全性、本来の使い方していれば怪我は起きない。ヘマやったのは俺が手順をショートカットしてしまって……と長々と怪我の話や同級生の近況、身の上の話を一頻り話すと「おまえはどうした?」と今度は俺のことを訊いてきた。
俺は一年間、実家に引きこもっていたことを伏せ「食器工場を辞めて、いまは親戚のを継ぐつもり」と近況をいった後、「田んぼから縄文だか弥生時代の遺跡が発掘されそうで」と田んぼの収入が減るとか発掘後は田んぼとしてきちんと直してくれるのだろうかとか、地権者は山師根性丸出しで観光地化できないか甘い考えを持っているとか、それでむしゃくしゃして走ってるとか、散々愚痴を聞いてもらった。なんのしがらみもない気心の知れた同級生にはこういう話は話しやすい。心の澱を一気に吐き出すと俺はすこし楽になったような気がした。
蛇渕はへぇと相槌を打ちながらも興味ありげだった。そして「それ、どこの田んぼよ?」と訊いてきた。
俺はスマホでマップアプリを開くと「ここ」と指差した。すると蛇渕はその地図を拡大し、遺跡がみつかった田んぼ、△駅を指差し、△駅を中心に遺跡の田んぼの真向かいの田んぼを指差した。そこは圭介さんが所有している田んぼだった。
「たぶん、ここにもあるぜ」
「奈良県や京都じゃあるまいし、北陸の田舎にそうぽんぽん遺跡が発掘されてたまるかよ」
「俺の勘は当たるよ。……なぁ、もし、遺跡発掘が金になったら掘るか?」
蛇渕は俺の顔を覗き込んだ。その蛇渕の顔は俺の知らない蛇渕の顔だった。
「いや、冗談だよ、冗談。忘れてくれ。また会おうや。そうそう、俺さ、いま空手の道場通ってて。本格的な流派じゃなくてキックボクサー崩れが教えてる……サークルみたいなもん? 火金で学校の体育館借りてやってるから。詳しくはラインしとくから考えといてな」
蛇渕は細い目を更に細めて、にこやかに笑うと俺の肩を叩いて階段を降りていった。もしかしたら蛇渕は俺に会うためにここにいたんじゃないか、と妙な考えが頭をよぎった。
「いや、まさかな」
俺は自分の考えを笑い帰路につく。
帰り道、蛇渕の指差した田んぼにいった。
そこも畔が崩れた場所があった。排水口ではない場所が崩れていた。圭介さんが「ここはなんど盛っても崩れるっけ。除草剤は撒かずに草刈り機で対応したほうがいい。草の根で畔を固めとけ」とアドバイスをされた田んぼだった。
圭介さんが若いときに麻の土嚢で畔を積んだのだろう。崩れた土砂のなかに麻袋の切れ端があった。そして、その土砂に土器らしき破片がみえた。
ここはネズミやモグラのいた形跡はない。なんで崩れたのだろう、と固まっている畔の土と崩れた際を指でなぞるとスコップの跡らしき形跡があった。誰かが自然に崩れるように細工したかもしれない。それとも長雨で土が崩れるとこういう形状になるのだろうか。俺には判断がつかない。ただあの見たこともない蛇渕の顔が頭にチラついて離れなかった。




