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匣の街  作者: Mr.Y
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游と新と夢路

 運動後のアドレナリンの勢いに任せてドアを開けた。みたくもない現場を目撃する覚悟だったが、横になってテレビで映画を観ている蛇渕さんの姿があるばかりで古市希美(フルイチ ノゾミ)の姿はなかった。

「よう。おつかれさん。遅かったな」と、映画を一時停止をして僕の方をみていった。ちょうどエイリアンが口を開けてなにも知らない哀れな作業員を捕食しようとしているシーンだった。僕は視界の端にうつったゴミ箱のティッシュの山をみないふりして「はい。鹿島さんに根掘り葉掘り色々訊かれて、なかなか帰してくれなくて」と少し蛇渕さんを責めた声で嘘をいった。

 蛇渕さんはマグカップふたつをテーブルに置き、いつものようにインスタントコーヒーを瓶のまま掴むと無造作にマグカップに入れ(どうみても適量ではなかった)お湯を注いで、僕に差し出した。そして、またテレビの音量を少し落としてから映画を観ながら話し始めた。

「ソノコ(鹿島さんのことだ)はさ。調理師専門学校卒業してから、テラスに雇われたんよ。あそこ、ネットで輸入雑貨やってる男がオーナーやっててさ。元々近所の農家連中から出荷できない果物集めて加工してジュースとかジャム? コンフィチュールっての? そんな小洒落たモン販売しながらカフェやろうってコンセプトだったらしい。でも出荷できないものを安く農家から仕入れようなんてチンケな商売うまくいくわけないんだよ。農家からは嫌われる。立地的にもオシャレなモン売ったところで買いに来る客なんていないし、出荷できない果物使ったところで素人に毛が生えた商売人が安定した品質の加工品なんてつくれるわけがない。潰れそうなところをソノコが調理師専門学校の知識とバイト経験でいまの形に立て直したんだよ」

 映画でちょうど「私が生き残ったのは美人だからではありません」と女性兵士が上官に向かっていっていた。

「んでさ。オーナーに気に入られてあの歳で店長やってんの。一方、俺はさ。プレス工場で安月給で働いているわけよ。なんか格差っての? 感じちゃうわけ。収入とか人生経験、かいくぐった修羅場の数とか。ソノコだってオーナーといい感じなんじゃない? ノゾミは……ソノコと友人だけど」

 鹿島さんとオーナーのことはよくわからないが、全部理解したうえでやってるのか、このひとは。そのうえで裏切らざるを得ない何かがあるのだろうか。収入だとか経験不足からくる優劣が恋愛にどう関係してくるのか僕にはよくわからない。ただ彼のなかで僕には理解できないなにか理由があるのだ。軽蔑していたが、わずかに情状を酌めるような気がしてきた。

 映画で「ああそうさ。アイツらは生物として完璧だ。ただ俺たちを利用し繁殖して、喰うのが問題なんだ。ロボットのおまえにはわからんさ」と兵士が恐怖にひきつった顔に汗を光らせて無表情のアンドロイドに詰め寄っていた。

「俺、特別な存在になりたかったんだよ。けど勉強できる頭もない。運動神経も人並み。格闘技のセンスも。おまえならわかるだろ? 日長一日、飽きもせず工場にこもって精密な単純作業をするだけが能だ。あとは人並み以上が身体の大きさとペニスだけなんて笑える存在さ」

 僕はなにもいえなかった。それがどうしてこういうことになるのか理解はできない。好きや愛から恋愛になるのではないか。それが劣等感を感じたところで、どこでどうなったら裏切りとなるのか。古市に看護されているうちにほだされたのか、それともほだしたのか。そういう鹿島さんが感じているであろう推察も頭をよぎった。

 蛇渕さんは話しながら包帯に巻かれた左中指を親指で撫でながら「わかってくれよ」という心情を滲み出させていた。

 僕はわからないながらもわかったふりをしなければならないのだろうか。もしここで蛇渕さんの問題を問いただし、指摘したところでなにか得られるのだろうか。鹿島さんと蛇渕さんはよりを戻せるのだろうか。僕はいま同情して理解したふりをすれば簡単なのだろうか。

 映画は佳境を向かえ生き残りを賭けた戦いとなっていた。もう気の利いた言葉より銃火器が火を吹き、人類とエイリアン双方の血飛沫が舞う。次に気の利いたセリフが出るのは勝負が決してからだろう。

 僕はもう無言で立ち上がり、冷蔵庫のなかから晩御飯のおかずをつくろうと食材を探した。

 とにかく動いていなければならない。思考を重ねると怒りが湧いてくる。最初は理解できない蛇渕さんへの恨み言だったが、結局その怒りは僕自身の無力さに起因していた。僕が蛇渕さんを頼らなければならないからこうなるんだ。僕ひとり生きていければ蛇渕さんの複雑な劣等感からくる浮気くらい笑ってすませるのだから。

 晩御飯をつくっていると頻繁に蛇渕さんのスマホがメッセージの着信音を鳴らしていた。おそらくは鹿島さんと修羅場なやり取りをしているのか、古市と胸焼けするような甘いやり取りをしているのか、どちらだろうと思っていた。

 野菜炒めと味噌汁、温め直したご飯をテーブルに並べると蛇渕さんが「食べ終わったらちょっと、おまえについて訊きたいひとがいるってさ」といってきた。

 蛇渕さんとメッセージのやり取りをするのはてっきりあのふたりか仕事関係くらいだと思っていたがどうやら違うらしい。ふとガスマスクの男(蛇渕さんは<組織>といっていた)を思い出した。

 また僕は連れ攫われることも覚悟しなければならないのだろうか。ただの僕の身の上話で終わればいいが監禁されるの嫌だ。逃げ出すとしたら鹿島さんのところに転がり込むしかない。かなりのやり手らしいから僕の境遇もいくらか対応してくれるはずだ。楽観的ではあるが可能性はいくらかある。

 そんなことを考えつつ少しは冷静な僕がいた。あいつらは徹底的に僕を避けてもいた。一方的な質問のみで会話を避けていた。視線もガスマスクの黒塗りされたガラス越しにしか合わせない。もしかしたら僕の息を嫌っていたからガスマスクをしていたんしゃないかと思うくらいだ。彼は僕が恐れる以上に僕を恐れているんじゃないか。それこそ放射性物質か毒劇物を扱うみたいに。その彼の密かに怯えた態度が僕を冷静にさせた。理由はわからない。確実に彼は僕を恐れている。いざとなれば蛇渕さんから習った空手とやらで一発殴るか蹴ってやるだけだ。

 食べ終わると同時に僕のスマホの着信音がなった。それはNoBodyと表示され(そんな名前のひとは僕の電話帳に記録されてはいないはずだ)テレビ電話による通話のようだった。

「それに出てくれ」と蛇渕さんがいったので僕は従った。しかし、画面は真っ暗だった。

 テレビ電話なのにあちらの顔はみえない。そしてこちらの顔は電話の向こうの相手に見えている形だ。

「わかっているとは思うが、相手は<組織>だ」

 僕は思わず蛇渕さんのほうをみた。蛇渕さんはいつものなにを考えているのかよくわからない表情だったが、少し緊張しているようでもあった。

「画面をみていてほしいそうだ。まずは……」

 僕はてっきりスマホから相手の声が聞こえてくると思っていたが、質問は蛇渕さんがするらしい。ますますよくわからない。<組織>とやらは徹底的にぼくという存在を嫌悪しているのではないか。それに質問の意味がよくわからなかった。

「ミシャクジ」「旧い土偶」「八ヶ谷峠」「北斗七星の八番目」「△駅と▽駅の穴」など聞き馴染みのない言葉が蛇渕さんの口から発せられた。

 蛇渕さんもメッセージをただ読まされているだけ、僕もその言葉に答えなくていいらしい。ただテーブルに立てられたスマホの黒い画面を黙って見続けているように、とのことらしい。

<組織>は遠回しに僕が知っているなにかを探りたいのかもしれない。つまり僕は<組織>の知り得ないなにかを知っているのだ。だがそれを直接僕に聞くことは<組織>にはできない。それがなんであるのか僕にはわからないが、監禁されたときも身の上を訊かれるばかりで僕は自分の半生を彼に伝えたにすぎない。

 このやり取りで僕の反応をみているとも考えられる。<組織>が知りたいことを僕が知っているのではないか、と思い再調査しているのかもしれない。顔をみるだけでそんなことが可能かどうかわからいが、<組織>に表情から嘘でも見抜く超能力者でもいるのだろうか。

 むしろ戸惑っているのは蛇渕さんのほうだ。

 発せられる言葉には「俺はなにをやらされているんだろう?」という戸惑いしかなかった。

 すべて終わると唐突に画面が切れ、ホーム画面に切り替わった。

「何なんだよ、これ?」

 蛇渕さんが戸惑いに我慢できなくなっていった。

「わかりません。おそらく僕がなにか知っていると思ったんじゃないですかね? 以前、監禁されましたからそのときに調査できなかった。もしくは調査漏れがあったことからの再調査とか」

「おいおい。本当に<組織>に監禁されていたんかよ?」

「まえにいった通りです」

「全部本当だった、とか?」

「はい」

 うむ、と蛇渕さんは頷き、初めて僕のいったことを受け止めたらしい。

「それみせてください」

 蛇渕さんが読み上げた質問の言葉が知りたかった。僕にはなんのことかよくわからなかった、というのもある。一度調べて<組織>とやらが調査しているなにかがわかるかもしれない、と思ったからだ。

「マジかよ」

 蛇渕さんと僕が<組織>から送られてきたメッセージをみようとしたら、そのメッセージが文字化けした。そして一度フリーズすると電源が落ち、再び立ち上がるとそのメッセージが消えていたのだ。

「俺のスマホ、いつの間にか<組織>にいじられてる?」

「そうなると僕のスマホもそうなりますね」

「マジかよ」

 蛇渕さんが呆然とした。そして「なんか俺、いつの間にか犯罪とか加担してたりして」と今更気づいたのか独り言をいった。

「僕、監禁されてますからね」

「マジかよ」と蛇渕さんはつぶやくと腕を組みじっと考えているようだった。

 僕はどうしようもないので食器を台所に運ぶと洗い始めた。なにかしないと堂々巡りの思惑にふけってしまいそうだったからだ。

 ただ<組織>が僕の表情からなにかを読み取り、再び拐いに来なければそれでいい。そのことを祈るばかりだ。そもそも僕が監禁された理由もまだわからない。もしかしたら<組織>の思い込みで僕は監禁され、疑われている可能性だってある。

 アパートの外から車の走る音、バイクのエンジン音、救急車のサイレンが遠くから聴こえていた。少なくとも今すぐに<組織>はやってはこないだろう。


「これやるよ」

 朝、蛇渕さんに寅壱の紺色のドッカージャンパーを渡された。

「最近、寒くなってきたからな。チャリ通勤も朝晩辛いだろ? それ一枚で真冬でも大丈夫だ。ポケットに手を突っ込んでも暖かいんだぜ」

 やや大きめでサイズが合わないが着れないわけでもなかった。そもそも僕の服の大半は蛇渕さんからもらったものだった。

 ありがたい、と思うと同時にポケットに手を入れたとき、なにかに手が触れた。

「じゃあ、俺は仕事行くから。あと夜、道場連れていくからな」

 蛇渕さんはひと足早く出ていった。

 僕は出勤するにはまだ早かったが、外に出ると駐輪場の自転車に跨り、ポケットのなかにあった折りたたまれた紙を取り出した。そこには「盗聴、盗撮の可能性、外で読め」と書かれていた。

「スマホもいじられてるかもしれない。だからこれに書く。おまえを友人に預ける。信頼できるやつだ 。あと古市はたぶん<組織>の構成員。俺の指ももしかしたら<組織>がらみ、プレスが誤作動起こすはずがない」

 走り書きで書かれていた。

 なんとなくだが僕のなかで繋がりが明確となっていった。そして薄々は蛇渕さんも気づいていたのだ。

 それが<組織>への不信感となったのだろう。


 夜、僕は道場に連れていかれた。

 なんでも『喧嘩一武闘会』とかいうセンスの欠片もないインディーズ格闘大会に出場するという連中が体育館を借りて集まっていた。人数は十数人ほどで全員一八〇センチくらいの長身で幅も重さもありそうな猛者ばかりだ。元々細身の蛇渕さんがさらに細くみえ、猫背気味の風貌が弱々しさに拍車をかけていた。

 なんでも白露夢路(ハクロ ユメジ)とかいう友人に僕を預けるらしいがそれが誰なのかよくわからない。ただいわゆる(ヤカラ)な連中の誰かにお世話にならなければならない、となると少々頭が痛かった。

 蛇渕さんは指を怪我して、かれこれ数週間満足に動いていない。いきなりスパーリングなんてできるのだろうか、と心配だったが、案の定、実力の半分も出せないままで、素人に毛が生えたような内容のスパーリングだった。

「もうちょっと練習してから来ればよかったですね」

 僕が体育館の壁に寄りかかって座ってる蛇渕さんにタオルとペットボトルを渡しながらいった。

「ばかやろう。誰のために来たと思ってやがる。俺はエンジョイ勢なんだよ。まったく、ガチ勢相手はきついって!」

 タオルで顔を拭きながらいったが、調子を取り戻せば形くらいは互角に戦えるだけの差しかないように思えた。

 おそらく大会に出るのは三人だろう。三人が三分戦い、一分インターバルを入れながらスパーリングをしていた。

嗜虐趣味者(サディスト)だな」

 その三人に対してそう思った。自分より強いやつを許せない。かといって弱すぎるのは視野に入らない。手を出せば歯向かう、けれどその歯向かいを切って捨てられる、ちょうどいい弱者を好んでいるようだった。もっと強くなるならその三人で練習すればいいのだ。

「あの三人でスパーリングすればいいのに」

 思わず呟いていた。

「実力が拮抗してるし、あいつら負けん気強いからどちらか怪我するまでやるからな。大会出る前に怪我しても仕方ないだろ?」

 そんな蛇渕さんの言葉も言い訳に聞こえた。そんなときひとりが宙を舞った。クリンチから内股で投げられたのだ。足先が弧を描く。途中、投げた側が床に叩きつけるのはまずいと思ったのか手を離すとふたりとも体育館の床に転がった。

「あれが夢路」

 ははは、と僕は笑った。

 三人とも顔つきが変わった。技とか力とかじゃない明らかに自分らより強いかもしれない雰囲気を醸し出しているやつがこの場にいたのだ。そしてそいつはなにをしても無表情かつ無感動に相手を打ちのめすべく淡々と動いていた。

 ライオンが同じ大きさの捕食昆虫に会ったらあの三人みたいな顔をするかもしれない。

 結局、そのあと夢路さんと誰も組まなかった。

「ああみえて情に脆いから、家庭の事情で戸籍がなくて住むにところがない。そこら辺で野宿して寝泊まりできるとこを探してみようと思う、とかなんとかいって。あとダメ押しで市役所などで、自分は非常に厄介な存在だとか、なんとかいえばいいんじゃないか? あとは俺がフォローすんよ」

 練習後に夢路さんと蛇渕さん、僕の三人で話すと夢路さんは最初は「自分も住み込みで働いているからと」渋ったが結局は蛇渕さんの言葉通りとなった。

「それにしても夢路さん、強いですね」

 僕がいうと「打撃はわからないから相手の練習になったかどうか……」と顎の無精髭を撫でながらいった。

「でも明らかに夢路さんの強さに驚いて組まなくなったじゃないですか?」

「大会まで日がないから予測不能な相手と組んで怪我したくないんだろ? それより俺が打撃覚えんとな」

 僕は最初、夢路さんを褒めて機嫌をとろうかと思っていたが、どうやら本人は褒められているというのに気がつかないようだった。そして三人や僕のことより自らのことを思案している。

 ああ、なるほどと思った。

 このひとは他人には興味がないのかもしれない。


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