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匣の街  作者: Mr.Y
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游と記憶霧

「アラタ、指潰したんだって?」

 朝の営業時間が終わったとき鹿島さんに訊かれた。その言葉はどこか棘がある。「なんで私にいわなかったのか、それとアラタはなんで私に教えてくれなかったのか」と言外に責められているようだった。そのとき鹿島さんの顔はネガティブな興奮を冷静な仮面で覆っているようだ。それはまるで高度な手術にのぞむ外科医を思わせる。こんな顔、接客や調理ではみせたことはない。いつもは朗らかな顔をしているひとがまるで別人だ。その変貌に僕はたじろいてしまう。いったいどういったらいいのかわからない。返答次第ではただでは済まない気がした。しかも心細いことにいまは店長である鹿島さんと僕しかいない。

「僕も蛇渕さんが退院してから知ったんです。あのひと僕にも一言もなかったんですよ」

 鹿島さんには信じてもらえてないような顔だったが事実だ。とにかく僕は鹿島さん側だという(てい)にしなければならない。そうでなければどうなるかわかったもんじゃない。

「で、いつから? ノゾミとつき合ってんの」

 僕が知るわけはない。まるで僕が蛇渕さんになったような気分だ。代役として責任を押し付けられたように感じる。ここでヘマをやってしまえば僕は居場所を失うのではないか、と妙な強迫観念すら覚えたがあの古市とかいう女性のことはまるっきりといっていいほど知らない。鹿島さんの口ぶりからふたりは知り合いだろうと思うくらいだ。

 それに本人は病院に運ばれた僕を介護したというが、あきらかに嘘だろう。僕はガスマスクの男に捕まったのだから。いや、しかし彼女のいうことが本当だとしたら? そもそもあのときのことはぼんやりとしか思い出されない。薬を打たれたせいだろうか。しかし注射痕は綺麗さっぱり消えている。もしいま僕の自認のほうが誤りだとしたら? なにがなんだかよくわからなくなってきた。

 様々な疑問が押し寄せ言葉にならない僕に鹿島さんは「はぁ」と深い深呼吸を思わせるようなため息をした。

「君にこんなこといっても仕方ないのはわかっているよ」

 鹿島さんも嫌な気分を僕にぶつけてしまったことに後悔を感じているようだった。しかしそうしなければやってられないというふうだ。つまりは蛇渕さんと鹿島さんはうまく連絡は取り合えてないのだろう。本当にあのひとはなにを考えているのかわからない。

 思えば僕は蛇渕さんのことをよく知らない。知り合って数ヶ月しか経っていない(同じ部屋で暮らしてはいるが)。蛇渕さんは仕事から帰ってくるとふらりとどこかへ出掛ける。それ以外は僕に空手を教えるか、昔のDVD(ハリウッド映画のSF)を飽きもせず観るかのどちらかだ。だから部屋だってさっぱりしていた。本棚はDVDボックス代わりか靴箱になっていたし、服も寝具も家具も必要最低限だ。趣味とか個性なんてうかがい知ることはできない。ただたまに歌う鼻歌は古いJロックで、トイレに清涼飲料水のおまけでついてきたような海洋生物のフィギュアが何点か飾られている(不思議と埃は被っておらず定期的に拭かれているようだった)だけだ。

 気まずい雰囲気のなか僕はフロアを掃き始めた。すでに掃き終っているし、ダイニングにある食器はあとは食洗機の乾燥を待つばかりだったからだ。でもなにか仕事をしてないとすまないような気分だった。

 なんでこんなことで板挟みにならなきゃならないのだろう。本来なら僕は高校へ行き、三年生として高校生活最後の生活を謳歌し青春の一頁(ページ)を、とふと考えた。いや、僕は自分の意思でそれを捨てたのだ。だからここで深く知りもしないひとの情けで生活させてもらっている。後悔だらけだが、あそこにいたところで……あそこ? なにか頭のなかで霧がかかったように思い出せない部分があった。それはすこし手を伸ばせば届きそうだが実におぼろけなようにも感じられた。

 そのとき「すみません。まだ空いてないですよね?」と店のドアについている呼び鈴が鳴って女性がドアから顔を覗かせた。

「おひとり様ですか? どうぞ、好きな席に」

 時計は十一時で開店まであと三十分はある。しかし店長は珍しく時間外の来客を受け入れた。おそらく気まずいのは僕だけではないのだ。鹿島さんも自分をどうすることもできないのだろう。それだけ鹿島さんの蛇渕さんへの思いは強かったのかもしれない。

 僕は水を持って女性の座った席へいくとその女性はにこやかな笑顔とともに「ありがと」といった。

 僕はすくない接客業で感じたがお客には二種類あると思っていた。店員を自分と同等とみる方と自分より下とみる方だ。たぶんに後者は疲れる。そしてこの方は疲れない方だろう。

「メニューがお決まりでしたら」

 僕の決まりきった言葉なんて意に介さないように「そうそう、五月×日にあった△市UFO事件ておぼえてる?」と訊いてきた。

 これが繁忙時ならちょっといらついたかもしれないが、なにぶん本来なら営業前だ。答える時間は十分ある。

「×日ですか……すみません。そのときは僕△市中央病院に搬送されていて」

 僕が話すのを訊くとメモ帳を取り出し彼女はメモをし始めた。こんなことを訊いてこのひとはなにを、と思ってしまった。それにあの日を境に僕は大変な目にあったのだ。それが顔に出てしまったのだろう。

「そうだよね。いきなりこんなこと訊かれても、ねぇ? 私、ちょっと△市UFO事件について調べてるんだよ」と話し始めた。

 少し面を食らったというか変わった趣味だとは思ったが、こうやって喫茶店の店員にまで訊くとなるとよほど熱意があるのだろう。僕は「なるほど」と頷いた。

「不思議な事件だったから私のなかでまだ理解が追いついてないのか。それとも宇宙人が私から決定的ななにかを奪っていったのか……」

「UFOは宇宙人の乗り物じゃない。あれは生物です」

 話していた女性の言葉を遮るように僕の口から言葉が出ていた。意図してなかった言葉だ。しかも強い語調だったのだろう。

「すみません。なにかバイトがご迷惑をおかけになりましたか?」

 鹿島さんが来て女性と話し始めた。

 女性は「いえいえ」と少し焦ったように詫び「私は星野ララといって……」と名前を名乗って少し焦っている鹿島さんの誤解をとこうとしていた。

 ララさんは鹿島さんにも△市UFO事件について訊き始めた。なんというか開けっぴろげというか明るい方だ。ひとはどこか壁を持って生きている。それは自分を守るためなのだろうが、僕を含めどこか必要以上に壁をつくって生きているようでもある。けれどこのララさんはそれがないように感じた。あるいはひとより必要最低限を知っているのかもしれない。そして開け放っているぶん、他人はこのひとに対して自分も壁を開け放たなければならないと感じるようだ。ララさんの処世術なのか性格なのか判断はつかないが明るく気持ちのいい方であるのは間違いない。

「私はUFO事件のときはここでみてましたよ。あっちの窓から、ほら、中央区がみえるじゃないですか? あそこにお客さんと集まって一緒に……」

 ふたりは話し込んでいた。休日の昼、これから忙しくなるのに暢気に話している鹿島さんに少しほっとした。あの剣幕で一日一緒に仕事するとなるとこちらも堪える。でもあの星野ララという女性、何者なのだろう。肩より少し長い髪に白いシャツに黒のカーディガン、スラックス。休日の普段着では僕の少ない知見では職業はわからない。ただのUFOマニアだろうか。それともなにかの雑誌やサイトの記者とか。わからないがみた目とは裏腹に変わったひとであることは間違いない。

 それより△市UFO事件とはそんなに有名なのだろうか。僕は彼女たちが話すような劇的な光り輝く航空ショーだか天体現象をみてはいない。僕がここに来たときにそれは起こったとすると……僕になにか関係あるのだろうか。それにどうして僕はUFOを宇宙人ではなく生物だと断言していたのか。

 なにか頭のなかが霧がかり重要なことを思い出せないでいた。もうこのまま帰って寝てしまいたいくらいに朦朧としたが、店の入口からまたお客さんが入ってきて、僕が対応しなければならなかった。そして忙しさに身を任せているうちに頭の霧も幾分か晴れ、喧しく忙しい一日に忙殺されていった。


 疲れた身体を自転車に乗せ、気だるくペダルを漕いでアパートに着くとカーテンのかかった窓から電灯の光が漏れていた。

 ここしばらくは指の怪我で蛇渕さんは仕事に行ってないのだ。晩御飯と風呂の準備をしなくては、とドアノブに手をかけたとき、ためらった。かすかに声が聞こえたのだ。

 その声は女性のもので僕には聞き馴染みのない雰囲気の声だった。いまは僕は部屋に入ってはいけないと思わせる声だ。

 僕はため息をついた。

 おそらくいま部屋には古市希美(フルイチ ノゾミ)が来ているのだろう。まったくどういうつもりなのかわからない。たったいま鹿島さんに会ってきたばかりなのだ。苦情を聞き、意見を合わせ、一応の一体感すら得た。そんな僕自身からすれば鹿島さんと蛇渕さんのほうがお似合いのカップルだ。利己的だが単純に僕にとって色々話が早い。生活も精神(メンタル)も安定する。しかし古市とかいうよくわからないひとに生活の安定をかき乱された。そもそも蛇渕さんは古市のどこがいいのか。

 鹿島さんと古市、どちらも一七〇くらいの長身の女性で髪は肩くらいの一重まぶたの女性だ。(蛇渕さんの好みのブレなさに呆れるくらいだ) どちらも魅力的な女性だろう。ただまさかと思うが古市の方は胸が大きかった。

 僕は頭を抱えた。

 とりあえず、時間を潰すべく近くの住宅団地の真ん中にある公園の東屋に座って休んだ。

 いっそ蛇渕さんのところから出て、なんのツテもなく孤立無援で生きてみようか、と考えが頭のなかを駆け巡る。

 しかしやはり仕事をして生活費を得なければならない。このままバイトも続けられるか不安だ。まだ注文をとったり食器を洗うくらいしかできない。そんなことは僕じゃなくても誰でもできるだろう。蛇渕さんの紹介で雇ってもらっている以上、鹿島さんと蛇渕さんの仲が切れたら僕は辞めさせられるような気がした。

 腹を括るしかないが、屋根のないところで寝るわけにもいかないし、食べるものにも困る生活なんて僕には耐えられそうにない。いまはただ成り行きに任せるしかないか、と様々な自己問題提起に一応の自己完結をした。

 それにしても蛇渕さんだ。

 ふたりの女性に手を出したとかどういうつもりなのだろう。僕ならひとりを好きになるだけで十分だし、ふたりにいい寄られたところでひとりに決めるだろう。女も女だ、あんな糸目のどこがいいのか。面倒見がよく誠実なようでいてただ八方美人で裏では(本当に反社会的、秘密結社的なにかと繋がっている)なにをやっているのかわからない。

 ただ少し羨ましくもあった。いま女性と身体を重ね合っているのだ。僕も女の子と……そう考えただけで馬鹿みたいに身体が反応していた。さっきまでの気難しい諸問題をどうするかで悩んでいなかったのに、すこし気が休まるとこれだ。

 僕は心底望んで求めているのだろう。それというのも一度繋がり合ったからに違いない……しかしその甘い記憶に顔の無い女の子が断片的に思い起こされた。すると額に油汗がふつふつと湧き、鳥肌が立った。僕はその顔の無い女の子に恐怖していた。

 その女の子の顔にはあるべきはずの目も額も鼻もない。ただ唇だけがあり「止めろ」と声なく形づくられる。そして、僕はその顔の無い空間に吸い込まれるのだ。必死に足掻くが力が入らない。僕の手も足も霧になったようにその女の子の身体も服も掴めない。暗い闇のなかへと……思い出すのも嫌になった。

 そうだ。蛇渕さんは「おまえはなにか過去に酷いことがあって記憶喪失だか記憶を自分で改竄して、その酷いことを忘れようとしてるんじゃね」といっていたことがあった。

 もしかしたら、この記憶のイメージはなにか僕の酷い過去の隠喩なのかもしれない。ただ気持ち悪いことを思い返すのは自分自身を痛めつけるようなものだ。

 僕は東屋から出て、誰もいない公園の電灯の下で蛇渕さんから教わった技のシャドーをした。まずは基本の攻撃、ステップ、防御。そして動作をしっかり確認するように連続技(コンビネーション)。最後は相手を想定しながら動いた。

 秋の夜に僕の口から白い息が漏れ出す。しっとりと全身汗ばむくらいには気持ちも晴れてきていた。

 帰って蛇渕さんに愚痴でもいってやろうと少しは前向きになれた。

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