游と顔のない男たち
深夜の病院の廊下天井の電灯は光量を落とし、かわりに足元の間接照明が仄暗く足元を照らしていた。その廊下には白いベンチがあり、青い作業服を着た男がタブレットをみながら座っていた。
廊下には立ち入り禁止と書かれた立札と赤いパイロンが置かれていた。男の座っている場所はその立札のある立ち入り禁止区域だ。その男の脇には作業用の黒のプラスチック製のケースが置かれている。そのケースは年季が入っており角が擦れて白化し、ところどころに赤茶や灰色のペンキ汚れが付着していた。ひと仕事終えたのだろう。そのケースはしっかりと締められ帰りを待つように置かれているばかりだ。
男はタブレットに映る映像を凝視していた。その青白い光に照らされる男の顔は若くもなく老いてもいない。目は大きくもなく小さくもない。また鼻は高くもなければ低くもなかった。どの部位も平均的で目を逸らしたら記憶にとどめておけないような不自然なくらい普通の顔だった。
タブレットには映像が映し出されていた。そこには椅子に固定されるように拘束衣を着せられた少年と直立不動で少年の前に立つ男がいた。その直立不動の男は防護服に身を包み、ガスマスクをしていた。男が質問すると少年が話し始める。
その質疑は長い時間行われていたのだろう。タブレットに表示されている録画時間は三時間を超えていた。しかしそのふたりに疲れはみえない。少年は拘束されながらも、まるで話すことが嬉しいように次から次に訊かれてもいないことまで話し、ガスマスクの男は直立不動のまま静かに、かつ慎重にひとつひとつを吟味するように質問をしていた。
ガスマスクの男が「君は拝屋雫の名前を内側に入ることで知ったといったな。だが君は黒咲夜子の内側に飲み込まれたのになぜ黒咲夜子の名前を知りえなかった?」と淡々とした口調で訊いた。その声に感情らしいものはない。ただわずかばかりの好奇心だけは感じとれた。
「おそらくは拝屋雫のときは僕が侵入したからでしょうか? 空き家に入った泥棒のように家のなかに侵入し、彼女の情報を盗みみれた。けれどあの欠損した女子……黒咲夜子でしたか。 たしかあなたの口からその名前を聞いた覚えがあります。▽町で博士の隣にいた助手のようなひとだと。逆に訊きたいものです。あなたはなぜあちらのひとの名前を知っているんですか? もしかしたら彼女は僕と同じく▽町から△市に迷い込んだひとなのでしょうか? いや、でも雰囲気が違った。▽町では落ち着きのある理知的な大人の女性でした。けれども△市ではじめてみたとき、拝屋雫と話す声は多感な少女のそれだった。同姓同名の別人? いや、あなたは博士の話のときに僕に確認をとった。博士の隣にいた女性の名前は黒咲夜子ではないか、と。彼女はあなたにとって重要人物に違いない。違いますか?」
「質問に答えろ」
「またですか。いつもそうだ。でもまぁ、押し問答しても無意味なんでしょう。無駄な時間をくだらない押し問答で費やすなんて無粋ですから答えますよ。正直、僕にもわからない。これが答えです。拝屋雫のときが侵入なら、黒咲夜子のときは彼女に招き入れられたからなのかもしれません。招き入れられた以上、家主の目を盗んで空き巣のようなことはできない。そして僕は客というより誘拐されて監禁されたようなものだ。いまのこの状態のようにね。だから名前を知りようもないし、そのときなにがおこったのか記憶にない。彼女という家の一室に招かれ、閉じ込められたようなものだ。周囲を遮断され、僕自身の感覚もなくなっていた。あったとしても断片的だ。壁越しに物音や話し声を聴くような感じかもしれません」
ガスマスクの男は深呼吸をした。その呼吸音はフィルターを通って苛立つ風音となって口から漏れた。
少年もため息を漏らした。
「本当にわからないんです。なにがどうなったのかまるでわからない。ただ、気づいたときには、あの道に置き去りにされていた。遠くにはバスの後ろ姿がみえただけだ。僕はなにかから引き剥がされたようにそこにいた。いや、用済みになったガラクタように。いらなくなったから、そこに投げ捨てられたようなものだ。飲みきったペットボトルだって丁寧にラベルを剥がれゴミ箱に捨てられる。僕はそれ以下だったか、というような不思議な寂しさがありました。そしてあのUFO事件をみた。△市の上空にやつらがいた」
少年は自身のみたものを記憶のなかから思い出し確認すように話した。
「▽町の奇妙な建物に飼われていたものと同じ光を放ち重力を無視して空を遊泳するあいつらと同じものが△市に無数に現れていたんです。あのとき△市と▽町は繋がっていた。あの▽町の昼と夜の住人の騒乱の夜のようにあいつらは空を飛んでいた。そしてそれに混じって……いや、同数でしょうか。違うものもいた。あれが『UFO』でしょうか?」
ガスマスクの男が「ああ、機械的なものがUFOだ。そして▽町のやつらと同類はUAPと分類……」と、返答した。それは少年の問に意せずに話してしまったようだった。ガスマスクの男はそのことに気づき言葉を切った。そしてその映像をみていた作業服の男は顔に手を当て「ばか」と、思わず声を出していた。
「はじめて僕の質問に答えてくれましたね」と少年は心底嬉しいのかほがらかに笑った。
それに対しガスマスクの男は無言だった。そして室内の銀のトレイに置かれた注射器に薬をいれた。
「はぁ」と少年はため息を漏らした。
「またですか。次は僕はどこに連れていかれるのやら。それとも知らないうちに山奥に捨てられるか海の底に沈められるか……もしそうだったら、せめてあなたの名前くらい教えてくださいよ」
軽口を叩きながらも身体は強ばっているようだった。手のひらには汗が滲み出して電灯に光っていた。無造作に左腕の拘束だけ外され、血管がみえるように上腕をチューブで縛られる。そしてアルコール消毒を塗られた。その動作は流れるようで慣れているようにみえた。
「消毒の際アレルギーの有無を訊くのが規則なんじゃないですか? 看護師免許も医師免許も持ってないひとが注射なんて怖いなぁ」
注射器を刺され薬液を身体にいれると手早く脱脂綿を刺された箇所に置きテープでとめた。
「ふぅ。これって効くまで時間のかかるやつですよね。一応は僕の身体を気づかってくれてはいるんですね。まぁ、眠るまで話をしましょうよ」
何度もこういうことをされているのだろう。少年の声は落ち着いたものだったが、それはあきらめのようにも感じられた。そして、また話し始めた。
「僕が黒咲夜子に飲み込まれたとき夢をみてました。さきほどの例えで話せば監禁された一室にあったテレビに映像がついたような感じでしょうか。なにもすることがない僕はそれを凝視するように見入るしかありません。それはおかしな夢のようでした。あの▽町を覆う霧が晴れ渡ったんですよ。町の周囲はまるで地球でない他の惑星のように荒涼とした土地がどこまでも続いていました。そして町を横切る川の下流から巨大ななにかが海嘯のような波をともなって遡上してきました。次いで巨大な地震。大地が張り裂けるような音とともに、立っていられないくらいの揺れ、そして川の水は大波となって堤防を楽々砕き溢れ、川から巨大な顔が現れた。それは僕の目には鯨にみえた。少なくともあれほど巨大な生物といったら鯨しか僕は知らないからそうみえたのかも。周囲の堤防に香しい肉花のような奇怪な花が大地を割って咲き誇りました。そうです。性器のような花だ。いや、そもそも花なんて性器そのものじゃないか。おしべとめしべを剥き出しにして咲いている。そして大地に口にあたる根を突っ込み土の養分を食む奇怪なものだ。ああ、話がずれましたね。そうそう、そのとき声が轟きました。女の子の声です。『私はdeus ex machinaだ。おまえの物語を終わらせに来た』地響きとともに轟音を響かせながら。しかもその女の子はその巨鯨の頭に立っていたのです。大きな揺れも慣性の法則も無視して、そこに立ち宣言しました。けれど着ているものはグレイのトレーナーでした。着古され、首周りなんてヨレヨレで風を受けてだらしなくはためいていた。なんであんな格好で真剣にキリッとした顔でいい放てるのか。おかしな夢でした。ですが、誰の視野だろう。遠くのものが近くにみえたり。あんな巨大な鯨の頭のような高いところをみることがなぜできたのか。いや、あの鯨、目が八つほどあった。巨大ヤツメウナギかもしれません。ああ、あの視野は黒咲夜子の視野なのかもしれませんね。僕は彼女に招かれ捨てられたのだから。それとも博士の視野の可能性も……」
力無く少年は項垂れなにかもごもごと言葉にならない音を発すると、呼吸はしだいに寝息のそれにかわっていった。
ガスマスクの男はカメラに向かって手を上げた。すると廊下にいたタブレットをみていた作業服の男は録画停止をタップした。
すると作業服の男の座っているベンチの横のドアが開き、ガスマスクの男が部屋から出てきた。
「どうでした? 最後にちょっとやらかしてしまいましたが、まぁ大丈夫でしょう。次はもうないでしょうから」
ベンチに座っていた作業服の男がガスマスクの男にいった。
ガスマスクの男はそのマスクを外そうともせず「そうだな。訊きたいことは訊けた」と作業服の男の隣に座った。
「そして、だいたい理解できた」
「理解できた? 本当に?」
作業服の男は怪訝そうな声色でいった。どこか小馬鹿にしたような声色でもあった。
「ああ、あれは自分が特別な人間だと思いたい思春期特有の妄想を語っているだけだ。定職につかない片親にその日暮らしの不遇な生活、しかもいい加減な親のせいで戸籍すらない婚外児だろう。世間には馴染めなかったに違いない。どうしても馴染めない学生生活を異形の同級生として表現していた。そのなかで片思いの女子に性的暴力を振るおうとして嫌われた、といったところか。そしてそのことが学校にバレてしまい家出した」
作業服の男はため息をついた。
「私にもそう思えます。いや、現実にはそうなのでしょう。けれども違う」
「ああ、そうだろうな。すべてあの子の口にした通りなのかもしれない。だが、私たちに確認するすべはない。いつもと同じだ。あちらを観察できるのは人類だけだ。深宇宙を観測できるのが我々で人類には不可能のように。我々にアレを観測するのは不可能だ」
「そもそもアレに関係すれば、人類も我々も知らず知らずに認識を浸潤されるように別のものに変化させられる。人類はともかく我々には耐性がない。ガスマスクや防護服すら無意味かもしれません」
「気休めだ。放射線が目にみえないようにアレも目にはみえない。もしかしたら同様……ではないにしても効果はあるかもしれない」
「そうですね。そもそもアレはまだ我々にとって未知の存在です。我々の船すら模倣されました。あんな有機生物じみた見掛けであの速度で飛行ができるなんて……」
「アレと距離を置くしかない。どういうことか知らないが、こちらの手の内をさらさなければアレは我々を模倣することはない。そもそも我々に興味がないのか。関係をもたなければ侵食してくることもないようだ。<組織>をつくって人類を利用しアレを理解しようとした前任者はあちらに飲み込まれ行方不明だ。おそらくは生きてはいないだろう。彼の代わりに来た軍人はアレと戦い命を落とした。彼女は歴戦の強者だった。人類が一対一で戦えるものではない。しかし、アレはどうやったか知らないが対人で彼女を上回り、しかも<組織>をつかって彼女を殺めた。だから我々がアレから身を守る術はとにかく関わらないことだ」
ふたりの間に沈黙が流れた。
もしかしたらふたりとも、暫し前任者たちの死を悼んでいたのかもしれない。
「そうですね。これを用意しました」
作業服の男はマイナンバーカードとスマートフォンをポケットから取り出した。
「個人番号とスマホです。これであの少年、犬飼游もこちら側で生活できます」
「人類の模倣か?」
「ええ、どんな理解不能なことが起ころうが現実問題として処理します。そうすることによってアレと距離をおける」
「『あれは目の錯覚だ』『あの現象は科学的に証明できる』『俺はきっと疲れているんだ』」
ガスマスクの男は肩をすくめた。
作業服の男は笑ってから真剣な顔に戻り話す。
「もし、犬飼游のいうことが本当ならあの△市UFO事件で博士とミシャクジは会ったということになります」
「それだ。▽町はどうなった? 博士は?」
作業服の男は首を横に振った。
「ただ我々に知り得ることは、観測は失敗したということです。我々のあらゆる機材も船も<組織>を使った人類を利用をしてもアレの一部を知り得ただけでした。A国に帰還する際、UAPは我々を追いかけた。ただ無目的に。なにをどうすることもなく、不気味なほど静かに我々の船の動きを真似をして……」
「そして、消えた。まるで最初からなにもなかったように」
ガスマスクの男はガスマスクを外した。
その顔はあまりに普通だった。肌は白くもなく、黒くもない。髪は短くもなく長くもない。驚くほど平均的な顔立ちだった。もし目を離したら思い出すのに苦労しそうなくらい普通の顔だった。かといって作業服の男とは違った顔でもあった。
「私たちはこの地域で最後の事後調査をしなければならない。▽町への道を封じ、▽町について知り得た情報を仲間の待つA国へ持ち帰らなくてはならない」
自分にいい聞かせるようにガスマスクの男はいった。
「どうする? また<組織>をつかうか?」
「ええ」
「アレは△市UFO事件の際、我々が操る<組織>を逆につかってみせたぞ」
「しかし、それ以外方法はありません。これ以上、我々が犬飼游を監禁して我々に影響がないともいえません。それにこの病院ももう使えません。そろそろ怪しまれます。ですから<組織>をつかうのが適切でしょう。一時的に<組織>を操られましたが、UFO事件以降、アレが<組織>のネットワークに侵入した形跡はありません。いま<組織>は完全に我々の手のなかにあります。把握しやすいように少人数で扱っていますから異常があれば気づくでしょう。それに<組織>の働きによって▽町への道は閉じつつあります」
「なるほど、ならばそれでいこう。それにしても犬飼を誰に預ける?」
「独身でアパート暮しの工場勤務者にしました。近所づきあいも挨拶程度で目立たない存在です。けれど交友関係は広い。適任だと思われます」
「▽町の調査は?」
「独自にUFO事件を調査している者がいるので、近づけました。あとは封印地の綻びを発見した者の近くにも構成員をふたりほど。ひとりは力のある霊能者です。あとは……」
作業服の男はタブレットを使用し名前の一覧をガスマスクの男にみせ説明をし始めた。
覚えていられないくらい平均的な顔のふたりが話しているベンチの向こう、立ち入り禁止の立て札の方から背の高い痩せた男が歩いてきた。
男がベンチまで来るとさきほどまで話し込んでいた男たちの姿はすでになかった。まるで夜の廊下の影にそのまま消えてしまったように。
ただマイナンバーカードとスマートフォンだけがベンチに置かれていた。
「これか」と男はマイナンバーカードとスマートフォンを手に取った。その左手中指は欠けていた。
マイナンバーカードの写真をみて「野郎か。これが女の子ならテンションも上がるんだがなぁ」とつぶやく。そして少年が尋問されていた部屋へと入っていった。
しばらくすると拘束衣を外され患者衣姿の少年と背の高い痩せた男が出てきた。男は少年に肩をかせて歩く。少年はまだぼんやりしているようだった。
「はじめまして犬飼くん。俺は蛇塚新。大変だったな。病院の看護師に知り合いがいてな。身元不明の少年が栄養失調で運び込まれて困っているからって、その看護師の頼みで俺がおまえを引き取ることになったんだ。しばらく家で暮らしな」
「……ああ、そういうことですか」
薬で朦朧とした意識なのだろうが少年はすべてを察したようにいった。
「……そういうことだ」
蛇塚は意外そうに頷いた。




