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匣の街  作者: Mr.Y
30/54

光と花、影と蕃神

 気づけば私は学校に来ていた。周囲の空気は重い。ぼんやりとした意識で授業を受けていた。先生のいっていることがどこか遠くから聞こえてくるようで、なにをいっているのか理解できず、耳から入ってくる雑音のひとつのようだった。シャーペンを持つ手が止まり、ただ黒板に書かれたものを必死に書きとるばかりだ。授業が理解できないやるせなさと身体の怠さに、休み時間も机に突っ伏したまま身体を休ませるばかりで、友人ひとりも声をかけてこない。しんみりと既視感のある孤独が心の奥底から滲んでくるようだ。そしてまた授業がはじまるが、それもまたぼんやりと聞くばかりだった。さすがにおかしい、と思った。登校はどうやったのだろう。確か、高熱を出して……ああ、そうか、とそこではじめて気づいた。私は学校を休んで寝ていたはずなのだ。それなのにこうやって学校で授業を受けているなんておかしくはないか。それなのに授業が始まれば私は授業を受けるし、休み時間には休む。これは夢で頭のなかの妄想の一種なのではないか。それでも日常と同じ状況におかれるとそのまま流されてしまう。

「それは人間だからしょうがないさ」

 後ろから声がした。あたたかな木漏れ日のような優しい口調だった。けれど授業中だ。後ろを振り返るなんてできやしない。せっかく進学校の△高に入学したんだ。勉強はしっかりしなければならない。ぼんやりする頭でまた黒板に書かれたものをノートに書き写す。なにを書いているのか、私のいまの頭ではわからない。ただのチョークで書かれた白い点と線の集合体をみて、シャーペンで同じ形の黒い点と線の集合体を書いていた。

「これはあなたの夢のなかさ」

 それでも勉強についていかなければならない。この三年間部活に勉強に学生生活を一生懸命頑張ってきた。結果を出さなくては、それに私はまだ進路だって決まっていないんだ。とにかくいまは勉強くらいは。

「目を開け。Open your eyes――あなたの好きな映画の台詞だろ?」

 私はエドゥアルド・ノリエガのほうが好きだ。ああ、でも『バニラ・スカイ』も『オープン・ユア・アイズ』も本当に面白かった。あの物語は私に色々な示唆を与えてくれた。だが私はあんまり映画のことを友人に話したことはなかったはずだ。私の部屋にはWiFiが繋がりにくい。だからよく古いDVDを観ていた。しかし古い映画のことなんて話したとしても誰も興味がないだろう。学校で映画の話なんてしたことはなかったはずだ。それを後ろのひとは知っている。いったい誰だろうと興味が出てきた。

「興味を持ってくれて嬉しいよ。あなたがちっちゃな頃、よく話を聞かせてくれたけど、いまはあんまり話してくれなくなったからな。まぁ、私も私であなたと話をしなかったからなぁ」

 聞き覚えのある声だった。ひどく日常的に聞いてる声だ。それは親や兄、家族や親戚など私に近いものを感じたが、私と同年代同性の声となると予想もつかない。言葉使いも口調もひどくぶっきらぼうで、まるで私のようだった。

 授業は続いていた。けれど興味は背後にいる者に向けられている。私はノートに板書することすらもうしていなかった。

「後ろを振り返ってくれないか? 悪いと思っているよ。こんな状態にしてしまって。こんなにも辛いもんなんだな。私にはわからなかったよ。ごめん」

 なにをいっているのかわからない。いまは授業中なんだ。後にして欲しい。そんなとき先生と目があった。ひどく責められた気分になった。だがいまはなんの授業でどの先生が指導しているのかすらわからない。ただ影のような時間だった。

「影、いいね。そのとおりだ。この日常は偽りのものだ。実在するものの輪郭、影そのものさ。あなたはこの影に閉じこもり日常を演じ続けている。けれども私はあなたに会いたい。これは、この状況は、あなたちの言葉で……なんといったか。そう、結界というものだ。線を引く。そうするとあちら側とこちら側ができあがる。自分の場所と他人の場所だ。まだあなたたちがあちらにいたときの習性みたいなものさ。それはこちらではまやかしだ」

 なにをいっているのかわからない。ただ先生も同級生も皆、私のほうを責めるようにみていた。

 私は勉強しなければならない。部活も精一杯やって同級生と肩を並べ、追いつきまた追い越さなければならないのだ。

「なんのため?」

 自己研鑽。

「違うね。もっと根本的なことだろ? なんでここの学校に入ったのかわからない?」

 見下されないため、見下したやつらを見下すため。

 ああ、なんか私って汚いね。

「そんなことないさ」

 見下したやつらを見下すのが?

「いや。その行為は褒められるべきことではないねは確かだが、それにいたる経緯はどうなんだろう。なんで見下されたのか覚えてないか?」

 私、神様がみえるっていったから馬鹿にされた。みえるなんて有り得ないって。神様なんて想像上の存在だって。けど私はみえている。神様は確かに実在している。なんでひとに合わせて実在するものを想像上の存在としなければならないのか、みえるものをみえないふりしなければならないのか。

「うん。それはあなたにとっては難しい問題なんだろうな。でもそれは配慮だ。あなたの気配りだ。あなたは周囲に合わせただけ。そして、そのあとは自覚してるようだけど、すこしいけないね。周囲から見下されたから、逆に見下したいなんてさ。でも彼らに存在を証明できない以上は仕方ないね」

 あなたは誰?

 いや、私は後ろにいるひとが誰なのかわかった。だからなおさら逆に振り向いては行けない気がした。

「あなたの友人の拝屋雫、彼女と同じにすればいい。彼女のように生きるのもひとつの道さ。自分を押し込めるから(いびつ)になる。夢で会ってわかっただろう? 素直な子さ。拝屋家から代々続く研鑽の歴史も学識もある。少々変わった趣味があるけど、たとえあんなことをしたって彼女は真面目に……」

 背後にいる者の声とともに頭のなかに幻視(ヴィジョン)がみえた。戸惑う私の頭を押さえつけ、唇を重ね、唇を舌でこじ開け、侵入させ、恍惚の表情を浮かべる拝屋雫の姿があった。やがて拝屋雫は唇を滑らせ頬から首筋へいき、唇と舌でひときわ柔らかい肌を探り当てると、そこに強くキスをする。皮膚下は小さく内出血し、首筋に拝屋雫のキスの跡ができていた。

「いつの間に!」

 驚き、私は反射的に後ろを振り返っていた。

「彼女は自分の夢のなかだと思っていただけだからさ。限りなくpersonalな空間だからひとに迷惑はかからない。なにをしてもいいだろう。ただ、あなたが実際にそこにいた。彼女も彼女だけど。普通、夢は重ならないから……」

 そこにいたのは学生服を着た私が立っていた。顔も背格好も声も私だが、けれど私ではない。髪は肩より長く、顔にも違和感を覚えた。少し私と違う。顔の造形が完全に左右対象なのだ。私と同じ姿だが、それはむしろ私の理想とする私の姿だった。そしてなにより目だった。瞳の虹彩は文字通りやや暗めの虹色に揺れ煌めき、その中心にある瞳孔はみつめているとそこに落ちてしまいそうになるくらい暗く、同時に魅惑的だった。

「ミシャクジ様?」

 私の声に彼女は優しく頷きいった。

「結界は(ほど)かれた」

 さきほどまであった教室はどこにもなく。そこは一面、岩と剥き出しの地面があるばかりで一木一草生えてない青灰色の荒野だった。風は乾いた土の匂いを運び、耳にざらつく音を残す。空には魚鱗状の厚い雲に覆われている。その雲ははるか上空の暴風によって空一面に押し流されていた。まるで空全体が雲を押し流す大河だ。私が知っている世界が裏返ったような別世界。地球ではないどこか他の惑星にでも来たかのようだった。

 そして鏡写しのように神様が目の前に立っている。その顔は私で、いまこの場で私も神様だった。

「晶」と私にくれた名を呼んだ。

 彼女は……いや、彼でも彼女でもない。このお方に性別があるのかすら理解に及ばない。ミシャクジ様という呼称すら、私の家で祀っている神様がミシャクジ様だからそうだろう、と思っただけで名前の確証すらない。当の本人すらひとの呼ぶ名前は意味を成さないようだ。ただ私が「ミシャクジ様」と呼ぶと微笑みを浮かべた。するとミシャクジ様の視野が滑り込んでくる。

 身体が舞い上がった。風が身を切り裂くように打つが痛みも寒さも感じない。夢なのだから当たり前だ。そして夢だから痛覚がない。ある意味、夢を通じて神と会うのは双方にとって有利に働くのかもしれない。現実で神様が認識できるのだろうか。意識を溶け合わせて、こうやって飛び回ることができるだろうか。本来の神様の姿では私を驚かせてしまう可能性もあるかもしれない。一部の姿すら奇怪な容姿だったし、神様の姿を人間が認識できるのかも定かではない。夢での訪問は意味があったのだろう。もしかしたら自身が会う前に拝屋雫に会わせたのも、すべて神様の(はか)らいだったのかもしれない。そして私が神様の姿を恐れてしまわないよう。私の姿になって現れたのだろう。

 視野はさらに広がり高々度の空。いや、空すら超えて地球の大気と宇宙の境目がみえる。下方にはひとや動植物の気配が感じ取れた。神様は生きているものが好きなのだろう。それは色とりどりの彩光のように、地上の銀河のように感じ取れた。そのとき神様はその光を花にみせた。大地に海に咲き誇る花々、大輪の花々に包まれた花の惑星。それはところどころに咲き誇り美しかった。ありとあらゆる場所で、砂漠にも深海にも。咲き誇り、散り、種となり……幾千幾億繰り返す。

「ねぇねぇ」

 その花々の絨毯のなか誰かがこちらに話しかけた。

 色とりどり、大小の花々をかき分け声のするほうに向かうと小さな薄紅色の花がこちらをみていた。そう、みていたのだ。数多くの、幾千幾億の花をみてきた。そのどれも美しく目を楽しませ喜びも悲しみも与えてくれた。ときに語りかけ水をやった。けれどこちらをみてくれた花はなかった。語りたけ応えてくれた花はなかった。神様は嬉しかったのだ。だからその花に名前をつけた。「(アキラ)」と。

 私も嬉しかった。

 すべてが明らかになり、私は私として生きていける気がした。これから続く長い人生、ただこの思いを糧に生きていける気がした。それはまるで冬の闇夜を照らすあたたかな光だった。

 神様は語らなかった。もうなにもいうことはないのだろう。

 私たちは夢のなかの荒野の山の山頂に降り立った。その地形はいくらか見覚えがあるような気がした。

 伊夜比子(イヤヒコ)山の山頂のような気がした。草木芽吹く時期なのにも関わらず、なぜ荒野なのか生命の気配がないのか不思議だった。

 隣にいる神様は神妙な顔で平野を指差した。

 地理的に△市のあるほうだった。

 そこには雲が竜巻のように渦巻いていた。目を凝らすと△市がみえた。なぜ雲が渦巻いているのか、わからない。ただ荒野が広がるなかに△市だけがぽつりとある不思議な世界だ。

 いや、ここは境目だ、と神様の意識の一部が滑り込んできた。ここは辺獄であり、limboであり、賽の河原であり、三途の川であり、黄泉比良坂でもある。古今、生死の淵を彷徨い奇跡的に生還できたもの、あるいは霊的実験の果てに人類がぎりぎり認知できた世界と世界の結び目だ。ここにひとなど住めるはずはないのだ。だがひとがいた。それは光でも花でもなくなったひとだった。

 神様は悲しんでいるのがわかった。

 だが複雑な雑音が滑り込んでくる。私に認識できない複雑な経緯があるのかもしれない。それはひとではない影のようなものがひとに取り憑き、ひとになるというような幻視(ヴィジョン)だった。そのことに対し、神様は驚くわけでも悲しむわけでもない。ただ私は驚き震えた。神様からみたら人類は別世界からの住人なのだ。なにかの隠喩なのかもしれない。みたままの幻視(ヴィジョン)だとは思えないようなこの世のものとは思えない奇怪な影だった。しかし、そんなことより人類を生き物を影に変える存在が許せないらしい。

 そういう存在が△市全体に蔓延(はびこ)っていた。いや、私の知っている△市ではない。建物も道も△市のようだったが、△市ではなかった。それは裏返った世界の町だ。▽町と呼ぶのが相応しいのだろう。

「■■■■」

 神様の異名、もう誰も語らぬ名を呼ぶものがいた。その声を辿り、▽町中央病院に視線は動いた。ここに元凶がいた。

 白衣をまとった痩せた老人だった。枯れ木を思わせ、頭髪はない。かつて存在した気配すら思わせないくらいだ。顔面に刻まれた皺と彫りの深い顔のなかから覗かせる目は深い知性を感じさせた。

 それは光を花をここに招き寄せ、影に変える存在だった。まるでそれが本当の存在だといわんばかりの傲岸不遜な態度で椅子に深々と座りこちらをみていた。そう、その白衣の老人にはこちらがみえるのだ。

 神様は静かになっていた。

 幻視(ヴィジョン)も声もなく私の傍らにいた。私にすべてを任せているのだろう。行使すべき力も権利も私の手のなかにある。

「私はdeus(デウス) ex(エクス) machina(マキナ)だ。おまえの物語を終わらせに来た」

 私の口から意にせず言葉が発せられた。

 その言葉にやつは歓喜の声をあげている。

 眼窩も口内も鼻孔も耳孔まで黒々と影を漏らしながら。

 白衣の老人の身体のなかはどうなっているのかわからない。きっと崩壊星collapsarより尚暗く光すら抜け出せない暗闇があるに違いない。

蕃神(アダシクニ カミ)め」

 忌々しく吐き捨てた呟きは――。


 私を呼ぶ声がした。

「大丈夫ですか?」

 誰かわからないが、どうして私の部屋に白衣を着たおじさんがいるのかわからない。そのおじさんはマスクと手袋をして私に話しかけている。

「立てますか?」

 なにがどうなっているのかわからない。戸惑う私におじさんは「私は救急救命士です。お母さんが救急車を呼んでね。えっと、晶さん、具合はどうですか?」と話しかけ続けていた。

 そのおじさんの隣には白衣のおばさんが私の腕になにか圧迫する器具をつけ血圧を測ってくれているようだ。「かなり低いです」とどこかに連絡している。どうやら私の具合は想像以上に悪いらしい。

「大丈夫ですから」と立ち上がろうとするにも力が入らず上半身を上げるので精一杯だった。

「無理しないで」とおじさんに止められた。

 お母さんが心配そうな顔で覗き込んでいる。

 おばさんが「ええ、顔色は悪く、血圧も非常に低いです。ええ、意識は戻ったようですが、まる二日なにも食べていないようで。はい、熱も非常に高く。寝ているときに叫んでいたらしく。はい、感染症の可能性も……はい」と、救命救急センターにでも連絡をとっているようだった。しかし、私を受け入れてくれそうな病院がないらしい。

「かかりつけ医はないようです。まだ若い子なので。Y村病院は……いまはいっぱいですか。あ、はい。わかりました」

 救命士のおばさんがほっとしたしたようにいった。

「晶さん、ちょっと遠いけど、これから△市中央病院にあなたを搬送しますね」

 私の病気がいつの間にか悪化していたことに驚き、だが同時に病院がみつかったことにほっとした。これでこの怠さも高熱も治るのだろう。

 しかし、なぜか行先を△市中央病院と聞いて、背中に獰猛な獣の爪をたてられたかように、ぞっとした。

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