白露夢路
俺は一回死んだも同然だった。
あるいは死んだようにかろうじて生きていた。だが、かすかながらも生きるためにはやはり死んではいられないのが人間というものらしい。腹も空けば喉も乾く、無為に過ぎ行く時間、天井と壁ばかりみていては退屈だ。だから重く気だるい身体を引きずりながら俺は働くことにしたのだ。しかし働きながらもあのとき自殺してしまえばよかったのかもしれないとか、無気力の果てにそのまま生命活動を停止してしまいたかったとか、果たせなかった願望は、常に俺の心のなかにある。しかし俺はなりふり構わず死ぬような意思の弱さはなく(あるいは強さか)、心も身体も忌々しいくらいに頑強で健康だったのかもしれない。
ただわかったのは彼女との別れに傷つき、なんとか立ち上がるのに俺は一年という月日が必要だったということだ。
(彼女についてはいつか話す機会もあるだろう。ただ、いまはできるだけふれないでもらえると嬉しい)
だがその傷はいまだ埋まらずに静かに血を滲ませている。
しかし別れは誰もが経験するものだろう。誰もが死んでしまうように。当然のことといえば当然のことだ。誰もが経験する。誰もが傷つく。早く回復するものもいれば、いつまでも(あるいは生涯にわたって)引きずるものもいる。俺のことを笑うものもいるだろうし、同情するものだっているだろう。人は人それぞれだ。
丸一年、部屋とトイレの往復経て、なんとか部屋を出て「なんでもいいから仕事をしなきゃな」と両親を前につぶやいたのがきっかけだ。
「だったら、本家の圭介さんが人手を欲しがっていたから、是非行きなさい」
喜びと輝きに満ちた両親の言葉になんだかウザさを感じたが、前にやっていた食器製品工場に戻るわけにもいかないし、学歴だって履歴書の空欄をいくつか埋めるくらいの学歴しか持ち合わせていない。資格も自動車免許くらいだ。だからとりあえず人手の足りない親戚が一番頼りやすかった。色々衰弱しきった俺になにができるのかは知らないが。
圭介さんは祖父の兄に当たり、家を継いで稲作農家をやっていた。
北陸地方に位置するN県では田植えはゴールデンウィークに行われることが多く、小中学生のときはゴールデンウィークとなると田植えの手伝いとしてかり出されていたものだ。(高校からは適当な理由をつけて逃げていた)
俺は家からそう遠くない圭介さん宅へと伺った。
圭介さんはもう七十くらい(正確な年齢は忘れた)と高齢だった。そういえば中学生から会ってないからもう十年以上も会っていないことになる。月日の過ぎるのは早いもので記憶にある圭介さんとは違って皺は深く刻まれ、猫背は常に重荷を背負っているかのようにさらに丸くなっていた。だがそれ以上に驚いたのは圭介さんだったに違いない。小中学生のときはそれこそ毎年会っていたし、電話で働きたいという旨を報告し、日時を告げ、家に伺ったにも関わらず俺の顔をみてからの第一声は「どなたらろ?」とだった。
その呆けた顔にもう認知症でも患ったのかと思ってしまったが「電話で連絡した白露夢路です。ほら、圭二さん(俺の爺ちゃんだ)の孫の」というと顔を輝かせて笑って「ああ、あの子がこんなに大きくなったんか! 俺も老けるわけらの。そういやぁ。いい歳こいて、引きこもりのニートやってたって聞いたけど、もう止めたんか。前の会社にも迷惑かけたろ……」と俺の繊細な神経をもみくちゃに逆撫でしまくってくれた。
正直、ここに来たのは失敗だったと一時は深く後悔した。
昔、田中角栄が日本改造論をぶち上げたときに近所の田んぼの真ん中に新幹線の通る△駅ができた。 当初は「なんで田んぼの真ん中に新幹線が通るんだ? 税金の無駄遣いだ」とやや冷笑気味に語られていたが、やはり駅ができたとなるとそこを拠点に樹木の根葉のように発展してゆくのが街というものなのかもしれない。元々農業のほかに鉄鋼業がさかんな△市だ。交通の便がよくなったおかげでアパートやマンションなどの住宅ができてきた。次いで大型店舗や飲食店と発展をとげた。そんななか元々田んぼだった△駅周辺の稲作農家は色めき立った。不動産屋のいわれるがまま、田んぼを埋め立て土地を売ったり貸したり、アパート、マンションを建てたり貸したりした。最初は羽振りはよかったが、どうも金があると人は頭を使わないらしい。あれよあれよというまに時代は移ろい、米の消費は伸び悩む。減反政策は始まる。米価は下がる。誰も農家なんて継がない。副収入源だったアパートやマンションは老朽化で建て直しにお金がかかって維持管理で精一杯。収入は常にリフォーム代に消えてゆく。また土地で稼ごうとしても結局田舎だ。△駅より少し遠くなっただけで、どれだけ安くしたって売れない。終いに売れない田んぼを人に貸して他所に仕事を探しにいく始末だった。
勘のいいは人はお気づきだろう。
跡取りのいない農家の田んぼや金が回らず人に貸し出していた田んぼを一手に借り受けたのが白露圭介さんだったのだ。
自分の年齢も鑑みずに他人に頼まれたらニコニコと笑顔で借り受け、膨れ上がった面積は十町歩以上。ヘクタールにすれば十以上。坪にすれば三万坪以上。東京ドーム何個分かは誰か計算してくれ。とにかく七十歳以上の方がひとりでこなせる量ではなかった。
(ちなみに奥さんは腰を痛め家庭菜園に精を出している。跡取り息子は跡も継がず関東に家を建て働いているらしい。いや、時勢を感じ逃げたのだ。きっと)
いまでもどうやってひとりでこなしていたのか謎だ。人手不足どころではない。俺は圭介さんと一緒にひたすら働いた。一年間、廃人だった俺は倒れそうになりながら肉体労働に精を出し、廃人から労働者となり、一年で見違えるばかりの過労廃人になっていた。もしかしたらいまの方が死に近いかもしれない。
「まだ慣れないのに色々すまんなぁ。疲れたらいつでも休むなり辞めるなりしていいっすけ」
しかし俺より高齢の圭介に気をつかわれると俺はニコニコ笑いながら「いいですよ。もしよかったらずっとやりますよ。親戚ですし、なんなら農業継いでもいいです」といってしまう。なかば圭介さんに気をつかい、なかば本気で自分が継ごうとも思ってしまう俺は圭介さんとは親戚なんたなぁと呑気に納得してしまった。
それに忙殺されているうちは目の前のことに集中して過去のこととは距離を置くことができた。ただただ疲れた身体を引きずりながら一日の終わり、泥のように眠り、朝は作業のことを考えながら目覚めることができる。
しかし、冬ともなると農閑期にあたりやることは少なくなる。かろうじて「継ぐなら確定申告の準備もやらんばな」(圭介さんのなかでは俺が継ぐのは確定事項になっているようだ)と書類やらレシート、領収書の山を食卓に置き、老いた頭で必死に俺に指導してくれたが、その指導よりはネットで検索した方が早かったし、あやふやなところは税務署に直接訊きにいった。どうも俺は面倒事や忙しいことのほうが落ち着く性格らしい。そういった面で自営業は俺に向いているかもしれない。働こうと思えば働けるし、休もうと思えば休めるし、時間もつくれる。後で自分で埋め合わせなければならないが。
ある日、確定申告準備の簡易的な簿記も終わり、やる仕事が少なくなってきた。季節は本格的な冬へと向かっていたので仕様がない。
雨は降り続け、たまに氷気を帯び白くつぶてのように田んぼに落ちる。注文された米の配達を終えると俺は本格的に雪が降り積もる前にと、稲刈りをしていたときに気になった排水路へ向かった。排水口がある畔がネズミの巣になったのか、あるいはモグラの通り道になったのか、崩れていたのだ。
気にはなっていたが忙しく直せてなかったので農閑期を利用して直そうと晴れの日をみて田んぼに向かった。
そこは稲刈りのときよりさらに崩れ、軽い土砂崩れのようになっていた。スマホで圭介さんにどうしたらいいか訊くと土嚢を買ってきて積み上げた方がいいかもしれないとのことだった。
ホームセンターにいくのも面倒だったので俺はとりあえず、簡易的にシャベルで排水路に落ちた畔の土を上げた。そのときだ。ガリッとその土のなかに石のような感触をシャベル越しに感じた。土を退けるとそれは土器の破片のようだった。
どうやら畔の土から出てきたようだ。俺は畔と排水口周辺の土を掘り返すと次から次へとなにか土器らしきものが出てきた。ついでに排水口周辺の田んぼも少し掘ると耕土域(約十五センチ)より下から土器の破片や狐だか猪だかわからない手のひらサイズの土偶もでてきた。俺はその獣頭型土器を排水路で少し洗い、手で転がした。それは青いゴム手袋の上で転がり、泥まみれで掘り出されたことを喜んでいるようにみえた。
「さて、どうしたもんかね」
忙しいことはいいことだ。今を凝視せざるを得ない。俺の興奮気味の声を見計らったように空から冷たい雨が降ってきた。




