晶と夢世界
カーテン越しの薄明かりのせいで早朝だと思ったが、時計をみると、もう夕暮れだった。高熱のせいか、あっという間に時間が過ぎてゆく。まるで現在から未来にいく片道切符の高速タイムマシーンに無理矢理乗せられたかのようだ。
深夜、夢の中で私はなにかをしていた。重要ななにかを。しかし、寝過ごしたと、慌て学校に行こうと起き上がったらすべてを忘れてしまった。起き上がったのはいいが、熱は引いてないし、節々の筋肉痛が酷かった。夜に一口飲んだスポーツドリンクは当然なんの効果もなく、相変わらず身体は重く、立ち上がっても目が眩んでまた横になりたくなる。
お母さんは「もう一日寝てなさい。もし、明日熱が下がらなかったら病院へ行こう」と心配そうにしていた。
私は市販の風邪薬を飲むと、横になり目を瞑る。暗闇がやってきて意識が暗闇に溶けるようにして形を失った。 私は夢の中で考えていた。 ひとは意識というもので身体を動かしていると思い込んでいると、いう話を聞いたことがあった。
伝統派空手をやっていた兄がいってた。空手は相手より早く拳足による有効打突を当てる競技だ。そのため一瞬の集中力がものをいう。兄の考えでは意識してから動くのは遅いらしい。よくわからない、というと、生理学者のベンジャミン・リベットの研究を例にしていた。その研究によれば身体の行動が先で意識はそれに付随して行動を認知していることを証明した。つまりは意識が行動を起こしているのではなく、運動神経が先に行動しているらしい。だから上達には無意識で技がでるまで身体に覚え込ませる反復練習が有効だという。そして極めれば相手の無意識行動を見抜き、意識外から相手に悟られず攻撃できるはずだ、と得意な顔で説明していた。
(長々説明され、どんな学びを口にするのかと期待したが、びっくりするほど普通のことだった。だが普通なものは複雑怪奇なもののうえに成り立っているのかもしれない)
この話が本当なら意識は錯覚ということになる。こうやって夢のなかならば無意識下で世界を感じ、行動することもできる。身体の五感とは切り離されているが、そうは感じない。むしろこちらの方が自由のような気もする。つまり本来、睡眠時やぼんやりしている時間など無意識という状態のほうが通常なのではないか。身体は好き勝手に動き、口は好きなように喋っている。意識がそこに介入して自分がやっていると思わせている。 だが錯覚ならば意識はなんのためにあるのだろうか。
「それは現実世界で他人と出来事を共有するためさ。いつ、どこで、なぜこういう行動をしたという理由づけは、他人と共有するうえにおいて重要だからだ。集団行動や現実社会で生きていかなければならない人類にとっては、特に」
いつの間にか私の枕元に拝屋雫が片膝を立て座り、軽く首を傾げ見下ろしていた。アディダスの黒のトレーニングウェアなんて着ている。
いや、なんで拝屋雫が私の部屋になんで来ているんだ? 有り得ない。いや、有り得るか? 直情的で周囲のことなど意に介さない拝屋雫なら思いついたらすぐに行動するだろう。その結果ここにいるのも有り得なくもない。だがこれは拝屋雫本人ではないのだろう。私は無意識下でこういうことに詳しそうなのが拝屋雫だと思っているからみえているに違いない。
「そりゃ、そうだ」
拝屋雫も頷いている。私はいま無意識下にあると意識した。つまりは私はいまのこの考えを認知するべきと、意識は選択し、無意識下のこの状況を覚えておくべく、意識しているのではないか。
「難しく考えんなよ。熱下がんないよ。いまは夢の中でやらなきゃいけないことがあるんじゃないの? 」
そうだ。神様に玄関で会ってから熱が出たのだ。つまりこれは神様がみせている夢かもしれないのだ。 私は夢の中で起き上がった。 確かに身体に重さがない。ついでに現実感もない。
これが霊能者がみる夢ならば現実世界にもなにかしらの影響があるはずだ。今昔、そういうものと相場は決まっている。なぜだかはわからないが。
「それは夢は肉体から切り離された状態だからさ。魂そのものといっていい状態だ。そして、ひとが夢をみるとき、世界もまた夢のなかにいる。もしかしたら世界は人間と同じで夢をみるのか、それとも人間のみる夢は世界の魂とふれ合うことができるのか。……誰もわからないけどね。ただ現実世界の理想をなぜか皆、夢と呼ぶ」
拝屋雫は困ったように笑った。
なんとなく拝屋雫のいいたいことは理解できた。だが夢はやはり夢で、ままならないものだろう。ただ、霊能者である私は常人よりはそれを意識的にかつ確実におこなうことができる。
「そのとおり」
だから神様は私を夢のなかへ誘ったのだろうか。それとも単純に学校へいってはならない、ということも考えられる。神様の意思なんてひとには窺い知れるものではないだろうが、私はこの夢のなかでしなければならないなにかがあるのは確かだろう。
ふと私の着ているものはユニクロで買った部屋着のスウェットの上下で拝屋雫はトレーニングウェアなのがなぜか引っかかった。
「拝屋雫、あんた、本人じゃない?」
「バレたか」
寝ているとき着ているものがそのまま夢のなかで着ているだけなのかもしれないという推察は当たった。
「いや、けれど起きたら忘れるもんよ。魂っていったって魂魄とか荒御魂和御魂にわけられるし。そしてこれは拝屋家の奥義なんだけどね。さらに古代には魂はさらに分割されて考えられていたんじゃないかって。例えば紀元前四千年のエジプトでは肉体、個性、真名、命源、影、心臓、不死、精神、生命力と見えないはずの魂を九つのセグメントとして捉えていた。さらに遡れば人類発祥時に生まれた秘術は今日の外科手術レベルで魂をみていたのかもしれないって」
「なるほど、時代を経てオカルトが衰退し、かわりに科学が発展した。そして魂についての詳細は忘却の果てとなった、と。あなたは夢を知覚している魂と知覚してない魂のふたつがあるっていいたいってこと?」
「さっすが、話が早い」
「じゃあ、魂が分割していたとして夢や現実を別々に知覚してる可能性だってあるわけか」
「それは誰にもわからない。それにもしかしたら私たちは覚醒していようと夢のなかであろうと、話すときは常に複数の意識と対話しているのかもしれない。それを調べる術は太古の昔に失ったけど、この推論の証拠をあげるとするならば、暴力より会話によって成り立ってる現代社会ですら理解と誤解が交互に渦巻き複雑怪奇だ」
なかなか新鮮な意見だ。
「つまり、ここでなにがあったのか私、雫は起きればなにも覚えていない可能性が高い」
「で? なんで私の夢に出てきてん?」
「つれないなぁ。左小指で繋がってる赤い糸がみえないの?」
拝屋雫は冗談交じりに微笑みながら気持ち悪いことをいった。さらに夢なのかしっかりと私の小指と拝屋雫の小指に赤い糸が繋がっていた。
私は「はいはい。そんな台詞は黒咲夜子にいってやんなよ」と指をはさみの形にして赤い糸を切った。それは本当のはさみで切られたように、はらりと毛布に落ちて消えた。
「それだよ。まさに私は夢で黒咲夜子に頼まれて、もうひとりの黒咲夜子を守っている。きっと彼女は魂を分割して実体化した稀有な存在だ……おそらく本体というか、片割れと夢で会ったんだ。疑問も理由もなく。ただ果たさなければならない約束として私は会った。きっと、あなたもそういうことがこれから起こる。それに対して覚悟はある?」
拝屋雫は私を真剣な眼差しで見つめた。それに対して私は立ち上がる。拝屋雫も立ち上がるが、どうしても私が彼女を見下ろす形になる。
「覚悟ってなんだよ?」
「覚悟は覚悟さ。霊能者としての」
「私はたぶん生まれてからずっと神様をみてきた。それが私の霊能力だろう。拝屋雫、あなたにもみえない神様の姿を私はみることができる。人間なんて塵芥くらいにしか思ってないであろう御姿をさ。それに対しての覚悟?」
「そう。あと神様に裏切られたら、どうするかってこと。それに塵芥くらいにしか関心がない存在があなたを利用しているだけかもしれないよ。私の曾祖父さんもおそらくそんな存在に魅入られた」
「あなたの曾祖父さんのことは知らないけど。神様に裏切られる? それは信じてないのと一緒じゃない。裏切られたなんて利己的な期待を寄せてるってことじゃない? 神様に期待なんてしてないよ。言葉をかけてすらもらえてない。ただ私に名前をつけてくれて、見守られているだけ。それが初めて学校に行こうとしたら家に戻れと指示されたんだ」
拝屋雫が予想していなかった言葉に驚いた顔をした。
「それは危ないんじゃないかな? もし自覚なしに神様の意のままに人生歩んでいるとしたら? 自由意思なんて存在せず、神様とやらに善悪区別なく、いいように操られていたとしたら? 拝屋家で神とは超常の存在だ。現世か異世界か、あるいは宇宙から来訪した者か。ここではないどこから遠くから来た力のある存在だ。拝屋家はそれを用心している。それこそまだ拝屋家がまつろわぬ民、山窩だった時代からね。神は正しく祀られているうちはいい。だけどときに神は零落して妖怪になる。月並みな言葉だけど、その道筋は複雑だ。神して正しく祀られ祭司がとり行われる。しかし、その祭司の意味や神が忘れ去られるとなにかわからないものが、祭司をとり行われないとやってくる、というように変遷してゆく。恐ろしいものを鎮めるための祭司となる。そして神は妖怪、怪異となる。また逆も有り得る。意味不明の力ある存在が祀られ神となる場合だ。多種多様な状況が想定される。そして、おそらく私の曾祖父さんはそのような存在にやられた。あなたはどう?」
「はぁ」私はため息をついた。
「かしこみかしこみ、さ。ただただ祈るだけ。拝屋雫、あなたはたぶん力の強い霊能者なんだろうさ。だからそういうことがいえる。霊的なものを祓い、浄化できるものとして捉えているんだろう、神様すら同一線上に置いて考えている。だが私のみえてる神様はそんな低俗なものとはまったく違う。例えば太陽に月に大地に海だ……その力にひとが抗えるとは思えない。私のみえる力はそういうもんさ。その力が私にここでなにかしろ、と命令するなら、はい。喜んで、だ」
「私には違いがわからない。場合によっては私はあなたと戦わなくてはならない」
トレーニングウェアの上着から手のひら大の煤けた金色の奇妙な器具を取り出し、私の胸に突きつけた。掴み手があり、両端に鬼灯状の突起物があった。仏具でみたことがある。たしか独鈷とかいうものだ。
「もしかして私を妖怪扱いして、退治しようとしてる? 物騒だな、拝屋雫」
「こうしておかないと私や夜子に被害が及ぶかもしれないからさ。特にいまは状況が込み入っているからなおさらだ」
放課後、霊能者同士の会話ができたと浮かれていたが、私と拝屋雫とは相対する存在なのかもしれない。
「同じ霊能者なんて初めて出会ったからてっきり仲良くできるものと思っていたけどね」
「神宮寺さん、いま私は確信してるんだ。私は黒咲夜子に出会った。夢を介してね。夜子は怪異に侵食されない存在だ。怪異が侵食する魂の部分を失っている。けれど実在し、考え、行動できる。そのおかげで私の家、拝屋家が起こした怪異を終わらせられるかもしれないって。話せば長くなるけどね。曾祖父さんが起こした怪異をお祖父さんが刺し違えて終わらせた、とお父さんから訊いていた。けど怪異はお祖父さんの働きによって現世との接点を失っただけだった。やつらは静かにこちらに侵食してきている。あなたはもしかしたら怪異側なんじゃないかって、私は疑っているんだ」
「いったろ? 私は神様側さ。怪異側でもゴーストバスターズ側でもない。そして、拝屋雫、黒咲さんを守るといったり、怪異を鎮めるために必要といったり……矛盾してるぞ。目の前に都合のいい存在が現れたからって利用するのは、ちょっと違うんじゃないか?」
「怪異が侵食してきている△市と同時期に黒咲夜子の片割れは舞い戻った。そこに必然はある。夜子は必ず守る、怪異も必ず鎮める!」
拝屋雫は私の胸に突きつけた独鈷を押しつけ力を入れた。
私はこのときこれが夢だということを忘れていたが、こんな状況でも不思議に冷静だったし、なんだか必死の形相の拝屋雫が愛おしかった。
「やれやれ、神様は拝屋雫、あんたに協力しなってさ」
「え」と拝屋雫は呆気にとられた表情をした。
だって私が拝屋雫を愛おしいなんて思うはずがない。なぜ私が拝屋雫をフルネームで呼ぶのかといえば、敵対心があるからだ。いや、対抗心か。もしかしたら私も拝屋雫のように霊能者であると、周囲にありのままいえる人間になりたかったかもしれない。そんな拝屋雫に愛おしいと感じている。それに私は胸によくわからない武器を突きつけられて冷静でいられるほど胆力があるわけでもない。だからこの心持ちは神様の計らいだろう。
「ありがとう!」
拝屋雫は私の首に抱きついた。柔らかくいい香りの髪の匂いが鼻をくすぐる。
「よせよ、いい匂いさせんな! くっつくな!」
拝屋雫の冷たい耳たぶが熱で火照った私の頬にさわる。そして「実は私さ」と拝屋雫が耳元をくすぐるようにさやいた。
私は拝屋雫を引き剥がそうと雫の身体にふれたが、その柔らかさに戸惑い、手をどこに置いたらいいかわからなくなった。
拝屋雫は戸惑う私の額に額をつけて目を瞑った。
「ま、いっか。これは夢だし……」とつぶやいた。
近い近い、顔が近い。物心ついてから、こんなに他人に顔を近づけられたことはなかった。それになにが「ま、いっか」なのかもわからない。
拝屋雫の顔が横に傾くと唇に柔らかな拝屋雫の唇が重ねられた。それだけで私は驚き呆然としたが、とろり、と口内に甘く熱い舌が侵入してきて私の歯を柔らかくこじ開け、私の舌と絡み合い――。
「おはよう。どう? 具合は」
お母さんの声がした。もう朝なのだろうか。私は起き上がろうとしたが、身体は重く相変わらず熱は下がっていないようだった。汗でべとつくシーツが不快だった。枕元にあった赤い糸をゴミ箱に捨てると、お母さんが新しいシーツに替えてくれた。シーツを替えてくれている間、私は着替えをしたが、なんとなく着古した部屋着ではなく、どういうわけかすこし気の利いた服を着たいような気がしていた。
こんな状態で起き上がって学校に行くなんて、丸腰でエベレスト登頂を目指すように感じる。私は着替え終わると天井の木目模様を無関心に眺め、その無意味に再び目を瞑った。
「なんか最悪な気分。凄い悪夢をみたかも」
「じゃあ、学校には休むっていっとくね。テーブルにごはん置いておくから食べて。もし動けたら病院行こう」
私は「うん」と頷いた、はずだ。なぜなら目を瞑ると私はまた再び夢をみていたから、現実に起こったことになんの自覚も持てなかった。




