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匣の街  作者: Mr.Y
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夢路と游

「喧嘩慣れしているから、優劣がわかれば必要以上にボコられない、ってねぇ」

 俺の目の前で激しいスパーリングがおこなわれていた。そして虚実交わる拳足のなかでカウンターの左フックが当たり、マウスピースが口から飛び出て放物線を描いて、体育館の床に落ちた。

 本来、空手サークルでのスパーリングは代表が禁止していた。やっても軽いマススパーくらいだ。格闘技は怪我のさせ合いみたいなものだ。それを忘れて本気でやって大怪我になれば大問題だ。けれど空手サークルの大人の部は『喧嘩一武闘会』出場を目指しているのだから軽い練習では物足りないのだろう。そして週二の練習だけでも足りないらしい。だから代表と日高さん(指導者みたいな立場らしい)に黙って、道場内の有志を募り、火金以外にも体育館を借りスパーリングメインで練習しているのだ。

「こりゃ、スポーツ保険対象外だな」

「それこそ自己責任さ」

 蛇渕はまるで他人事のようにいった。

「俺みたいな初心者誘ったって最初のアップで目慣らしマスくらいしか練習ならんだろ?」

「最後の追い込みでミット持ってもらったり、クリンチからの投げの練習をしてもらいたいらしいよ。あとはタイマーお願いするわ」

 そんなもん、自分らでやれよ、といいたいが当然のようにストップウォッチを渡された。一言いおうとしたが蛇渕は出場予定だろうと思われるひととスパーリングを開始したので仕方なしにタイマーのスイッチを押した。

 大会に出場予定の選手はおそらく三人なのだろう。

 この三人が相手を変えつつ、ひたすら三分スパーをやって一分のインターバルを繰り返していた。

 それにしても先日の練習より人数が多い。きっとこちらをメインに考えている人もいるかもしれない。年齢はバラバラでだいたい二十代から三十代、なかには高校生らしきやつまでいた。それに皆道着ではなく、トレーニングウェアを着ている。遠目にはちょっとした半グレ集団にみえるかもしれない。

 蛇渕は出す攻撃はカウンターをとられ、様子をみればコンビネーションの練習台になっていた。最後は鋭いローキックをもらい崩れるところにぽん、とヘッドギアを叩かれてタイムアップとなった。まだまだ初心者の域を出ていない蛇渕は強者と強者との間の練習のようだった。

 確かに優劣の差がはっきりしている相手にはボコらない。

「おつかれ」

 俺は蛇渕の背中を叩いてやったが、蛇渕はマウスピースをとりながら、息苦しそうに手をあげて応えただけだった。そして、後ろで大の字に寝転ぶ。

「じゃあ、えっと。白露だっけ? ちょっとやってみる? マウスピースないなら当ては弱くするから」と声を掛けられた。

 まぁ、話のタネにでもとシンガード(すね当て)をつけ、蛇渕から引き剥がしたヘッドギアを被るとオープンフィンガーグローブをつけた。

 それにしてもこのオープンフィンガーグローブは薄い。こんなものでひとを殴るなんてヤバいな、と思った。『喧嘩一武闘会』は路上での喧嘩を意識しているらしく、殴る蹴るがメインで寝技は数秒だった。それならボクシンググローブでいいじゃないか、と思うが単純にオープンフィンガーグローブのほうが客受けしたからだろう。この格闘技イベントは喧嘩がモチーフということで普段着や作業着、特攻服を着た選手、格闘ゲームのキャラにコスプレした選手すらいた。最近は格闘技人気が下火で刺激的じゃないと興味のないひとを巻き込めないし、そのままやっても既存の格闘大会との差別化ができないから運営も知恵を絞ったのだろう。その知恵は格闘技人気を再び燃え上がらせているのかもしれない。

 俺はその燃える炎の可燃物のひとつなのだろうか。

 でも少しはどこまでできるのか試してみたかった。

 ジャブが本来なら何度か刺さった。あくまで練習だから当てられただけだ。これが本気なら鼻血くらいはもう出ている。俺は集中した。深く集中すると相手のジャブが厄介だが少しはみえた。初心者だから勝ち筋なんてものはない。だが俺の本能は人生経験のなかから県大会の柔道の組手争いを思い出させた。それに比べればいくらか遅いか、同等だ。それがいけなかった。オープンフィンガーで相手を掴めたのもいけない。ジャブの引きに合わせ懐に入り首に手を掛け、続くであろう右拳を相手の腕に左手を絡めることに成功すると、俺の身体は無意識に柔道の内股をかけていた。

 ヤバい、と俺は技をやめ手を離すとふたりとも体育館の床に転がった。

「いや、すみません!」

 相手は大会を目指している。怪我でもさせたら申し訳ない、と起き上がるなり謝った。

「なんだ? いまのすげぇ!」

 これが大会か実戦なら終わってるよ、と純粋に喜んでいるようだった。あとで教えてくれよ、と仕切り直しに別のひととスパーリングを始めた。

 たぶん、読めない攻撃をしてくる初心者の俺だと怪我してしまうかもしれないと思ったのかもしれない。

「昔よりキレが増したな。というか恐怖心がまるでないよな」

 息を吹き返した蛇渕がいった。

「そうかな」

「いいんじゃないの。その調子で」といって「それと俺の秘蔵っ子」と、高校生くらいのやつを指さした。

「あいつ、ちょっと前から家に居候してるんだ。暇潰しに教えたけど、これがなかなかだったから連れてきた」

「ふぅん」と俺は相槌を打つと高校生と選手候補がスパーリングを始めるのをみた。

 そいつは早かった。小さく身長は一七〇センチくらいで痩せ型だからだろうが、それ以前に天性のバネがあるようにも感じる。

 いっぽう選手候補は一八〇センチくらいで俺より太いから八十キロくらいだろう。このひとも決して遅い動きではないはずだが、高校生の動きに比べると鈍重にみえた。

 ジャブとローキックの牽制で相手の出方をみているのだろう。その均衡を破るべく、高校生のフットワークが早くなった。あきらかにギアをあげてきた。攻撃線を定まらせないために左右、前後にフットワークをし相手の出方をうかがっていた。だがリーチが違うからなかなか自分の間合いにいけない。選手候補のほうはもうスピードのギアはあがらないらしい。けれど回り込まれないようミドルキックを放ち、かつ相手の間合いにいれさせないためストレートパンチを放つ、リーチをふんだんに利用した戦い方となっていった。このまま続けば高校生がジリ貧になりそうだったが、選手候補がいくらか戦術を変えてきた。あとで訊いたら得意な戦術ばかりではなく、自分より早い相手とインファイトをしてみたかったらしい。その選択は練習という意味合いにおいてはよかったかもしれない。それと観戦している俺にとっては面白くなった。高校生は選手候補のストレートをダッキングし、左ボディを返した。その攻撃はかわされたが、はじめて選手候補を後退させた。「シッ」と、一呼吸いれた。おそらく気合いをいれたのだろう。重心を蹴りとストレートのときの軽やかなものから、拳に体重を乗せる重心になった。拳と拳が交差する。選手候補は高校生の拳をパリング(はたき落し)、高校生は選手候補のウェービングやダッキングでかわす。両者のかわし方の違いは体重差があるのかもしれない。軽い攻撃はパリングした方が早いし消耗も少ない。重い攻撃をまともに防御できないから身体ごとかわすしかない。体力の消耗は身体ごと動かす高校生のほうが大きいが選手候補も以前のスパーリングで消耗しているから五分かもしれない。そのなかでわずかに被弾しあうが、その被弾もコンビネーションのなかの捨てパンチに被弾しているようだ。だが両者、熱くなっている。観戦者たちもどれか一発が当たったら割って入って止めようとしていたようだ。その熱く危うい拮抗のなかで高校生が勝機をつかんだ。パンチのフェイントでパリングを透かし、ガラ空きになった顔面に拳を叩き込むフェイント。慌てて選手候補が顔面ブロックをする。ようやく掴んだ好機だ。空いたボディに拳を叩き込む。当たったと思ったが、高校生のほうがバランスを崩した。瞬間、選手候補はスウェーでボディをかわし、反動で膝を高校生の顔面に叩き込む。しかもいつの間にか、しっかりと首に手を引っ掛けて後ろに逃げられないようにしていた。一瞬、容赦なくぶち抜いたと思ったが、寸止めだった。そして、首相撲から膝を軽くやり、亀のようにガードしている高校生の手を軽くフックで引っ掛けガードを外し、アッパーをしてタイムアップだった。

「くそっ!」

 高校生は心底悔しそうにしていたが、いやいや、これだけできれば十分だろう、というのが俺の感想だ。

「まさか、あいつここまでできるとはな」

 蛇渕が心底驚いていた。まぁ正直、蛇渕より強い。秘蔵っ子どころか逆に指導をしてもらったほうがいいかもしれない。

 高校生はオープンフィンガーグローブとヘッドギアをとると、顔が打撃でところどころ赤くなっていた。少し鼻血が出ていたのを無造作に手の甲で拭う。

「ほらよ」

 俺はティッシュを渡すと高校生は一瞬、ぎょっとしたが「ありがとうございます」と礼をいい、マウスピースも噛んでいなかったのか口端の血も拭った。

 その後は三人のミットを持ってやったり、クリンチからの投げの練習をして終わった。

 この三人が一番動いて練習していた。次の日も仕事だろうに、と心配になるくらいだが心底充実した顔をしているから、それをいうのも野暮だろう。

 体育館を閉めるとまたタバコを吸いながら「だれが出ると思うよ」と話し合いはじめた。なんでも地方枠というものがあってN県でひとりしか本戦に出れないらしい。それとオーディション兼、マッチメイクがあるのだ。イベントのテーマが路上での喧嘩なので、大会前に特設会場でマイクパフォーマンスをしながら因縁つけあって大会の対戦相手を決めるという特殊なマッチメイクイベントがあった。

「俺、てっきり脚本あると思ってたよ」

 俺がいうと金髪の選手候補が答えた。

「それが違うくて、前に志麻が別のジムから出場したとき」と高校生とやったでかいやつをタバコで指さして「プロデューサーが出てきて『じゃあ、面白くしてよ!』てそれだけだったらしいス。んで志麻、あんま喋れねぇから、最後に残ってた空手の日本チャンピオンをじっとみてから『やらないか?』とか……」

 まわりが心底楽しそうに笑った。

「切り抜きでショート動画にされてるし」

「思い出させんなよ」

「いや、あれはよかった。負けたけど()ってたじゃん」

「相手が悪かったからなぁ。あのローキック、マジすげぇから。だから空手のローキックとり入れようと調べたら近所に空手あるじゃん。だからここ来たけど教えてるの元キックボクサーっていうね」

 賑やかに話していた。でかいのが志麻、金髪の中肉中背で喋りまくるが加賀、細身で顎髭があり志麻以上にあまり話さないのが多田で、この三人が顔写真と経歴のついた専用履歴書を送って、エントリーしているようだった。このなかで誰かひとり通る可能性が高い。顔は三人とも強面の(ヤカラ)だし、彫物もある。なんなら仕事も解体屋に鳶に工事現場、三者三様の(盛りに盛った)家庭事情と武勇伝もあるからドラマ性もある。けれど三人にとっての難問が因縁つけあいマッチメイクするあの場らしい。妙な悩みを面白おかしく話すだけ話すとお開きとなった。

 また俺と蛇渕だけが残るかと思ったが、あの高校生も残っていた。

「なぁ、そいつ誰よ? 蛇渕の親戚とかなにか?」

「いやさ。説明すると長くなるけど実は孤児っていうか……」

 蛇渕は言葉を濁し「戸籍がないやつなんだよ」といった。戸籍がない、と聞いてなんとなく是枝監督の映画『誰も知らない』が頭をよぎった。

 高校生は元気に動いていたが口数も少なく、感情の起伏も同様に少ない。長く髪を切っていないのか、伸びた髪を後ろで縛っているし、頬がこけているせいか切れ目の目が大きく感じられ、なんとなく狐を連想させた。着ているものは蛇渕のものだろうか。紺色の寅壱のドカジャンをオーバーサイズで着ている。なにもかもが満たされず、周囲の情けで与えられたものばかりでできている存在のようだった。

「俺も預かってくれって、頼まれたんだけど。最近、俺、彼女ができてさ。アパートで一緒に住むと、色々とな。たぶん少しの間なんだよ。だからさ、夢路、こいつ預かってもらえね?」

「犬猫じゃあるまいし。こういうときは市役所とか警察に行くしかないだろう?」

「いや、それがまだなんとも……どこの誰だかわかったら連絡するよ」

 蛇渕の困り顔が少しわざとらしかった。蛇渕のいうことを素直に聞くのも癪だが戸籍がない、というとこの高校生が可哀想になってきた。いや、戸籍がないとなるならば高校にすらいったことがないかもしれない。

「はぁ、こっちも家借りてる身なんだがな」

「すまん」

「家主の圭介さんが断ったらこっちもそれまでだからな」

 同情してしまい安請け合いしてしまったかもしれない、と思った。圭介さんはあんまりこういうことには口を出さないタイプのような気がする。実際、俺の生活に関しても口出しはしていない。ただ仕事をしてくれればそれでいい、と思っているようだった。

「ていうか、おまえの名前は?」

「僕は犬飼游(イヌカイ ユウ)といいます」

「犬飼、おまえはどっちがいいんだ? 俺と蛇渕と」

「蛇渕さんには数週間、大変お世話になりました。これ以上迷惑をかけるわけにはいかないでしょう。勝手なのは承知のうえですが、できれば白露さんにお願いしたいです。もし駄目でしたら、そこら辺で寝泊まりして僕の住むところを探してみようと思います。おそらく市役所などでは僕は非常に厄介な存在だと思われて……」

「いや、うちに来い」

 話を遮って俺はいった。もうすぐ雪の降る季節に身寄りのない少年を外に放っておくなんて俺にはできなかった。

「ありがとうございます!」

 犬飼は俺に拒否されると思っていたのかもしれない。ぱっと喜びに顔が綻び、深々と頭を下げた。それをみて蛇渕は満足そうに頷いた。犬飼の顔はともかく、蛇渕のその顔は少しウザかった。

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