盤上で踊れ、夢路
なにか新しいことをはじめるときの緊張感があまり好きではなかった。できることなら習慣から外れず、黙々となにかひとつのことに没頭しているほうが俺には向いていると思っていたが、ふと最近のことを思い返すと新しいことをはじめてばかりだ。仕事など、しなければならないのは当然として、なんでこうも新しいことに手を出し続けるのだろうか。もしかしたら新しいことをはじめる、という習慣に俺は没頭しているのかもしれない。
「ねぇな」
俺のつぶやきは蛇渕のミドルキックがミットに深々と突き刺さる炸裂音にかき消された。
「こうやって、軸足の踵が相手に向くくらいまで回転させて……」
手足が長く柔軟性のある蛇渕の蹴りはまるで木刀のようでもあり鞭のようでもあった。あの足には柔道部時代にも苦戦させられたものだ。切磋琢磨という偉そうな言葉があるが単純な言葉にすればシーソーゲームともいえるかもしれない。苦戦をする。対策をする。その対策を打開される。苦戦する。対策をする。そうやって力と技を向上してゆく。あの頃の俺は終わりのないシーソーゲームに真剣にはしゃいでいた。やつはまたそのシーソーゲームに俺を誘っているのかもしれない。
けれどそんなことを冷静に考えてる俺は冷めているように思える。もうあんなシーソーゲームは楽しめるだろうか。だが夜のなにもない時間をこうやって汗を流すのもいいかもしれない、とも思う。蛇渕の指導通り動けるように俺は蛇渕の持つミットにまだまだ下手な蹴りを叩き込んだ。
空手サークルが活動しているのは中学校の体育館だった。どうせなら新設された市営体育館でやればいい、と思ったが、蛇渕は「新設された体育館は冷暖房完備だが使用料が高いということでここでやっている」と俺がいうより早く説明した。なんでも代表は元プロキックボクサーらしい。空手着なんて着ているが特定の流派はなくキックボクシングを教えているらしいが、門外漢の俺には空手もキックボクシングも同じにみえるから細かい突っ込みは入れようがない。なんでも柔道と違って空手は多数の流派があり、その流派の名前を使えば問題があるが、空手という名称を使ってもなんら問題がないという。だからキックボクシングの名称をつかうより空手という名称をつかったほうが親しみやすく参加しやすいだろうということらしい。そんなに空手って親しみやすいか、とも思うが、大人が十二名(半数は仕事の関係で休みがち)、小中学生が十名くらい在籍していた。空手が親しみや参加しやすい、といっても正直、門外漢の俺にはこの人数が多いのか少ないのかわからない。
練習は少年部と大人でわけられ、少年部は八時半くらいに整列し「ありがとうございました」と元気よく道場に礼をして帰っていった。
そのあとは大人が六人、ふたり一組になってミットを打ち合ったり、交互にコンビネーションのドリル、技の練習をこなしたりした。
「柔道経験者なんだろ? なるほど体力あるわけだ。まぁ、フォーム覚えるまで苦戦すると思うけど、体力あるから大丈夫。ああ、会費はスポーツ保険入れて三千円でジムとかより格安だよ」
練習終わりに代表が話しかけてきた。外見の印象は丸だ。顔も肩も腹も太ももも丸い。キックボクシングはスリムな印象だったが、代表はとにかく丸かった。どちらかといえば柔道経験者にもみえなくもないが、基礎の動きのキレは空手(キックボクシング?)のそれだったから世の中よくわからない。
それにしても別に入りたいから来たのではなく、ちょっと蛇渕に会いに来ただけだったが、なんとなく練習に参加してしまっていた。けれど俺は「はい。よろしくお願いします」とアドレナリンに脳がやられたのか、条件反射的に答えていたのが悔やまれる。けれど危険物取扱者試験や農耕車免許試験などと比べればいくらかストレス発散にはなるのは事実だ。
大人は二十代がメインだろうか。なんとなく輩な雰囲気のある顔が多そうだったが、身体を動かしまくって汗をかき、赤く上気した顔はスポーツマンのそれだった。
そのなかで品性方正な俺くらいで周囲からは浮いた存在なのかもしれないと思ったが、体育館のガラス窓に映る皆の姿はどれも似たり寄ったりだ。けれど汗を拭くため上半身裸になった連中のほとんどは背中がアーティスティックに彩られ、たとえ仲良くなっても道場生たちと一緒に温泉旅行は無理だと思わざるを得なかった。
「蛇の知り合いか?」
代表が子供たちを指導している間、大人の指導をしていた目つきの悪い背の低い男(彫物はなかった)が俺に話しかけてきた。
「ええ」
「もうちょい、力任せじゃなくてフォームを意識してな。そのあと力に頼らず、脱力して最後まで意識を切らさず打つんだ。まぁ、最初は形をきっちり身体に覚えさせ……」
いっていることがバトル漫画みたいでよくわからなかったが、柔道と同じでフォームが重要で余計な力はいらない、ということなのだろう。
そして体育館を閉めて代表は「おさきに」と軽く手を挙げで帰っていったが、ほかの連中はタバコを取り出し、晩秋の夜空に紫煙をたちのぼらせながら、ミットを胸に当て、それに突きを軽く当て打撃力の質について考察していた。タバコを吸いながらではあったが、その言葉はソムリエのように手厳しく、また妥協がなかった。
「なにやってんだ、あれ?」
俺と同じくタバコを吸ってない蛇渕にいった。
「研究だよ、突きにしたって蹴りにしたって思いっきりやればいいってもんじゃないからな」
「全力で打てば痛いだろ? そこに違いがあるなんてな」
「わかってねぇな。全然、違うぜ」
なんとなく話してから蛇渕に遺跡について話そうと思ったが、なんとなくの話のほうに蛇渕は食いついてきた。
「ちょっと、ミット持って……」
周りの連中と同じようなことになってしまったが、説明を受けると確かに違いがあった。力んでパンチ、投げっぱなしのパンチは身体が押される感じがしたが、脱力と極め(打撃で生じた衝撃の反作用を戻さないように身体を固めている?)だとミット越しに拳の骨が肋骨に当たる感触があった。
「すげぇ……」
思わず声が出ると、その反応が新鮮だったのか他の連中も集まって俺の持っているミットに軽く質を追い求めたパンチを放ってゆく。皆、少しずつ質が違うのがわかった。一番上手いのが背の低い男で一番下手なのが蛇渕であるあたり、蛇渕が俺をここに誘ったのがなんとなくわかってしまった。
「体重をのせた後ろ足から生じた力を膝、腰、腕、拳先まで伝えるんだけど、それをいかに無駄なく螺旋状に……」
背の低い男が簡単な説明(相変わらず俺にとってはバトル漫画のそれだったが)をしてるのをツマミにタバコを味わっている妙な連中ばかりだ。こんなやつらに出会ったのは俺の人生で初めてかもしれない。
「日高さんには敵いませんよ」
蛇渕がいっていたが負けん気が滲み出ていた。皆も口には出さないが同様のものを纏っていた。
「俺、引退してっから、寒くなると野球できねぇから来てるだけし」
その負けん気をいなすように軽い口調で話しながらバッティングフォームをしておどけてみせた。
「空手に戻りゃいいじゃないスか」
「顔にアザつくって役場仕事はできねぇからさ。指導だけ。まぁ、長いやつらはもう俺のできることはできてるし、汗かくために通ってるだけだ」
確かに市役所の役人が目の辺りに青タンつくっていたらぎょっとする。そしてその言葉でお開きになった。
ばらばらと挨拶をして帰ってゆく。日高さんは黒いホンダのバイクに乗って帰っていった。
「なにが役人は顔にアザつくれねぇだよ。そのホンダのレブルは役場に乗ってっていいのかよ」
蛇渕は俺と同じことを思っていたらしい。俺のいいたいことをつぶやいた。
皆がいなくなったが蛇渕と俺はその場に立ったままだった。つまりそういうことだろう。
「遺跡あったわ」
俺はいった。
「やっぱりな」
「けど、土嚢で埋め戻した」
「余計なことを……」
「食い扶持がなくなるんでね」
俺の言葉に蛇渕は腕を組み少し悩んでから「いくらだ?」と訊いてきた。
「駅近の田んぼは二反半だからおおよそ二十万」
「安いな」
「経費さっぴけばさらにさがる」
「よくやれるな」
「だからあの辺の農家は辞めている。売れない土地はうちが借りてやっている。米は安いから面積で大量につくらないとな。他に金になるようなことあるんだろ?」
「<組織>って知っているか? 連絡来たら金になる」
「そんな怪しいとこから連絡来ねぇよ。……組織って、それ、朝に会った坊さんもいってたわ」
「え?」
「でも俺が埋め戻したのを誉めてたぜ。なんか行き違いでもあったんじゃね? 確か阿田大輝っていうひとで……」
「放浪阿闍梨か!」
彼からもらった名刺を蛇渕にみせると興奮が抑えられないようだった。彼は俺が思ったより有名人なのかもしれない。
「でもあのひとが掘るな、といったら……うむ。掘らないほうがいいよな」
「で? なんかの組織って、この辺にある遺跡掘り起こして観光を活性化させるとかいう組織か? 鉄鋼業にハサミに包丁、ついでにカトラリーと遺跡の多い『北陸の奈良』とかで観光活性化でも目指してんの? うちも田んぼの他にも鹿でも飼えば儲かるとか?」
蛇渕は俺の言葉に目を丸くしてから、笑った。
「違う違う……そっか、おまえ都市伝説とかまるっきり興味ねぇだろ?」
「ないね」
本当にない。テレビでそういう特集があるときも流し観するか、裏番組で他に面白そうな番組があればすぐにチャンネルを変えた。どうせ秘密結社やら陰謀論なんて楽しいだけの嘘だろう。それを証拠に都市伝説や陰謀論の特集番組はわざとらしい暗そうなセットに芸能人が眉をひそませながらどこか楽しそうに番組を進行させている。それに観光活性化の秘密結社ならありがたいばかりじゃないか。
「じゃあ、まぁ、いいや。とりあえず遺跡のひとつは掘り起こされる」
「不本意ながら。で? 金になるん?」
「俺はなる」
「なんでだよ」
遺跡発掘と蛇渕の共通点がまるっきりなかった。
「金ヅル掴んでね」
「やめとけよ。中指をプレスで詰めて、次は闇バイトで人生詰むなんてさ」
「いってろ。とにかく、俺は白露夢路に駅の近くの遺跡のことを話した。これが<組織>の指示だ」
まるっきりわからない。なんで蛇渕が俺に遺跡のことをいって誰が得をするのだろう。
「そして放浪阿闍梨がおまえを知った。たぶん<組織>がなにか一手を打ったんだ。王手に繋がるさり気ない一手をさ。盤上にいるおまえが羨ましいよ。そうそう、なぁ知ってるか? 駅に昔、遺跡があって、そこを中心に鼓星(オリオン座)と同じ形で集落が存在していたんだ。しかも駅の遺跡は柄杓星(北斗星)の一星と重なり合っていた場所だった。おそらくは古代に鼓星が最初にあり……」
ああ、蛇渕はこういうやつだった。基本スポーツマンだったが、ネットもゲームも大好き、YouTubeでN県の行っては行けない場所、とか観て、なんとかいけないものかと大はしゃぎしてたし、オタクの連中とよくわからんアニメの考察を延々としていた。それでいて性格はあかるく運動もそこそこできていた。クラスでもよくわからない立ち位置で友人は少なかったかもしれない。そういえば柔道部のときも変に縁起担ぎをするやつだった。思い込みが激しいというか、なんというか疲れるやつだ。
「おいおい、『MU』じゃあるまいし、オカルト雑誌とかネットなんて真に受けんなよ。つまりだ、俺は金にならない。おまえは金になりました。今後はどうなる?」
「役者は揃った。盤上で踊れ、夢路」
蛇渕はなにかのアニメかゲームの決めゼリフみたいなことを得意そうにいった。正直、うざい。
「だから、そういうのはいいって!」
「なんにもならんさ。そして、なるようになる」
「ダルいわ」
「それにしても、空手来るとはね」
「いや、やるつもりはさらさらないんだけど」
「でもそのわりに真剣にやったしな。はじめてにしてはよかったんじゃね? 代表もセンスある、ていってたしよ」
そのあとは空手サークルの話になった。
流派はないから先生じゃなくて代表(想像もつかないが昔はスリムだったらしい)と呼ばせているようだ。大会は他流派のグローブ空手かアマチュアキックボクシングのオープン大会(どんな団体でも出場できる大会)をメインに出場しているらしいが、最近YouTubeであったアンダーグラウンドの素人喧嘩自慢大会が大バズりしてから、こちらのサークルでも入門者が増えたらしい。
「それは俺でも知ってるぜ『喧嘩一武闘会』だろ?」
昔、ドラゴンボールであった天下一武道会と同じ響きで覚えやすい。なるほどだから背中に彫物があるひとが多いわけだ。
「その大会に出場することがいまこの道場の目標なわけ。素人喧嘩自慢ではじまったけど、回を追うごとに技術レベルが上がってるからさ。色んなタイプの人間が必要なんよ」
「まぁ、ボコられない程度なら汗かきに来てもいいぜ」
「ありがとな。でも基本的に喧嘩慣れしたやつらだから優劣がわかれば必要以上はボコらんよ。基本気のいいやつらさ……まぁ温泉旅行は無理そうだけどな」
けれど蛇渕の中指は少し詰めてある。どちらかといえばおまえはあっち側だと突っ込もうとした。
「まぁ、俺もこの指だからあいつらと一緒だけどな」
蛇渕は俺と同じことを思っていたらしい。俺のいいたいことを俺より先にいった。




