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匣の街  作者: Mr.Y
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游の自宅にて

 僕はなにもかもに打ちひしがれ、帰路につきました。その際、様々なことが胸中に湧き上がっては消えてゆきます。結局、僕の行っていた観察なんて子供じみた……それこそ夏休みの自由研究のようなもので、それは僕自身の慰めになるかもしれませんが、そんなものただの気晴らしか自己満足のようなものだったのです。小発見を積み重ねたところでこの▽町を理解することはできませんし、勇と翔の失踪についての真相なんてとてもたどり着けないのです。それどころか僕の追い求めていた謎が向こうからやってきました。それはまるで嵐のように目につくものなにもかもをすべてをなぎ払い消し飛ばしてしまったのです。その力……暴力といってもいいほどの力で僕の生活、いえ、▽町の住人すべてを一変させてしまいました。

 その力の持主は皆に『博士』と呼ばれていた存在で町長はおろか、裏で▽町を仕切っていたと思われる拝屋樹すらなにもできず、博士の思うままにクラスメイトの大半を▽町の外へ導きました。その後、クラスメイトは綺麗さっぱり消えてしまいました。そのクラスメイトの一部はいくつか発見されたそうですが、彼らが生きているかについては皆口を噤んだまま語ろうとはしませんでした。ただ新聞に書かれたままいえば「卒業式で中学生ら失踪」でしょうか。一面を飾りましたが、まわりはどこかあきらめたような雰囲気が漂っており、誰も彼も話題にはしませんでした。それよりはむしろ変わってしまった▽町の生活のほうを悩んでいたのかもしれません。そちらのほうがより切実で喫緊の課題でしたから。


 話は変わりますが、あなたはゾンビ映画は好きですか?

 僕はわりと好きなんですよ。お父さんには観てはいけない、といわれてはいました。教育上よくないと考えていたのでしょう。けれど僕はこっそりとお父さんの持っていたDVDを拝借してたまに観ていました。もしかしたらお父さんは気づいていたかもしれませんね。

 どんなシーンが好きですか?

 社会も法律もインフラもすべて崩壊した終末の世界をサバイバルするところ? ヘッドショットしか効かないゾンビへのガンアクション。もし自分が登場人物だとしたらどうやってサバイブするかとか、見終わったあとの現実に戻って安心感を覚える……なるほど、そういう観方は僕もします。僕はあなたと比べると少しニッチな趣味かもしれません。僕が一番、好きなシーンはゾンビが生まれるところです。死体であったはずのものが動き、噛みつき仲間を増やす。そして都会がパニックとなるシーンが好きです。そのときに初めてゾンビをみたひとが重傷者と勘違いして看護しようとするシーンがあったらさらにリアリティが増します。「大丈夫ですよ。必ず助かりますから! 動かないでください。え? このひと、脈がない……そんな!」とかね。そして噛みつかれゾンビになってしまう。さきほどみせていた献身的な博愛主義も善意も失って、ただ生者に噛みつきたいだけの化物に変えてしまうシーンが好きです。絶望感が? いえ、それは解放感といってもいいのではないでしょうか。善意の区別のない解放感。混沌といってもいいくらいの、すべてのしがらみがなくなる瞬間ってなんともいえないんです。

 ただ、それはあくまでテレビのなかで起こっているときに観れるものであって、現実的に起こればただ単なる災害です。

 ちょうど卒業式で博士が▽町の町民と夜の住人とを一緒に住まわせろ、と拝屋樹に命令した以降、数日間がそうでした。

 秩序が崩壊した後は混乱と混沌があります。ゾンビ映画の最初のシーンみたいにね。そして喧騒のあとには静寂が訪れるように混沌のあとには秩序ができていきます。結局、ひとは混沌だけのなかでも秩序だけでも生きられない。交互に繰り返し喧騒と静寂の螺旋をもって発展してゆくのでかまもしれません。そうやって考えれば博士が夜の住人と▽町民とを一緒に住まわせるというのも発展を加速させるという意味合いにおいては必要なのでしょう。ですが、それは人道にもとる人外の巨視的観点からの行為です。多くのひとが亡くなりました。夜の住人は僕ら第二成長期止まりの者を下にみていました。しかも存在が許せないのかもしれません。ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』の上巻のはじめのほうのホモ・サピエンスが人類黎明期に自分たちホモ・サピエンス以外の人類を滅ぼした、という話を思い出します。夜の住人たちも第二成長期止まりの者と自らをわけて考え、自らと異なる種である僕らをどうにかして排除したいように思えました。そして僕ら第二成長期止まりの者はひとの枠を超えた夜の住人たちの存在に嫌悪しかありません。大方(おおかた)の人類は近親憎悪するという遺伝子が組み込まれているものなのかもしれません。しかし、そうでない夜の住人もいたようです。そして夜の住人に対抗でき交渉する町民もいました。もともと▽町に来た人類は少なく皆、家族や親戚、または友人なのです。ですからお互い話し合い、▽町に再び秩序をもたらしました。


 その間、僕はお父さんにいわれ家にこもってただ窓から▽町をみていました。テレビは映らなくなりました。ラジオではしきりに家の外に出るな、と注意喚起がなされ、外からは時折、消防や救急、警察のサイレンが鳴ります。

 あの博士の瞳の奥にあった深淵が思い起こされます。この混乱も結局、あの深淵の一部なのです。それにより多くのひとが亡くなりました。お父さんも「すぐ戻る」といったきり、戻る気配もありませんでした。けれどお父さんはこうなることがわかっていたのでしょう。冷蔵庫にも押し入れにも十分な食糧と水がありました。そして外の喧騒は家に入ってくることはありませんでした。

 博士の言葉が思い出されます。僕はこの▽町において他の人とは違う特別な存在だということです。その特別性は僕だけでなく、僕の探している幼き日の友人たちにもありました。僕は博士の計画のなかで生まれ、育てられてきた。それは同時に▽町の支配者である博士の庇護対象でもあるということです。だからこの家には▽町の住人すべてが入ってこれなかったのでしょう。あるいはただ運がよかったのか。ラジオでの注意喚起が叫ばれなくなった頃、お父さんは疲れた顔で帰ってきました。


 訊きたいことは山のようにありました。

 卒業式でのこと、博士のこと、勇と翔のこと、そして僕自身のことと、博士とお父さんの関係……なにより僕のお母さんのことをです。

 ですが出た言葉は「おかえり」といったきり僕は黙ってしまいました。なにから話していいのかわからないのです。

 お父さんは「ただいま」というと、夢遊病者のように新聞を僕に渡して台所へ行きました。冷蔵庫をみてから野菜炒めをつくるのか野菜を切り始めました。そしてぽつりぽつりとまるで独り言のように話はじめました。

「私の人生は疲れていてばかりだ。おそらく私は考えというものが浅く、結局、人生というものはなにもかもがうまくいくとタカをくくっていたのだろう。だから簡単に騙されたし、利用された。私は吹けば飛ぶような存在だったのさ。両親は生きているうちは面倒をみてはくれてはいたが、兄とは最悪な関係だった。両親が亡くなれば私はもう居場所すらなかったし、助けてくれるひともいない。人生をのらりくらり生きていく(したた)かさも持ち合わせてはいなかった。ただ妙なプライドばかり高い人間であり、特別な存在だと信じて疑ってなかった。だからなにもかも失うことになった。本当になにもかもが嫌になった。いっそのこと死のうとロープだけを持って深夜、山へ入った」

 ところどころはフライパンで野菜と油が炒められる音で聞こえませんでしたが、おそらくそんなことをいっているようでした。話の内容とは異なる野菜炒めのいい香りが漂ってきます。僕は聞こえないふりをして新聞の『▽町、今後の規定』という文字とふたりの別種の人類が手を取り合う写真を眺めていました。

「ただ枝に吊るされたロープの輪に首を入れ、だが首をくくる勇気もなく、下山して社会に戻る勇気もなく、ただただ震えているとき、辺りが昼より明るくなった。ちょうど夏の真昼間にクスリで飛んだ時のように瞳の受光体が鋭敏になり、光を受けすぎて辺りが絵の具の原色のままになる感じで辺りを極彩色に照らしたんだ。その光の光源は空にあった。UFOだよ。しかしその光っているのは目だった。あれは未知の文明の機械ではなかった。生き物に近い。だが地球の進化系統樹からは大きくはずれたものだった」

 野菜炒めを皿にいれ、冷蔵庫にあったご飯をレンジにいれ温めました。まるでコンビニの店員のような生真面目さでレンジの前に立ち温まるご飯をみつめていました。

 奇怪な話は続いていました。

 ときにぼそぼそと消え入りそうになります。僕に聞かせるつもりなのか、独り言なのか判別がつきません。ただお父さんは外でなにかあったのか朦朧としているようでした。

 テーブルに野菜炒めとご飯を置き、レトルトの味噌汁を作りました。

 僕は食べ始めましたが、お父さんはうなだれたきり、箸に手をつけません。ただつぶやきが続いていました。

「蛇鱗の霧を抜け、ここに来た。当初、ここは地球でない惑星かと思った。そこで博士に実験を頼まれた。おぞましいと思ったよ。あのとき、なんで首をくくらなかったのか、と私自身を責めるくらいに」

 これから先はご想像に任せます。

 僕は彼の息子であり、彼の保護の元で育ち、学びました。彼に多大な恩があります。ですから彼の尊厳は守らなければなりません。

 つまりは博士のいう通りでした。博士の言葉を借りれば彼は胤として存在していたのです。提灯鮟鱇(チョウチンアンコウ)の雄のように、生殖のため次第に自我を失い、内臓を失い、なにかと同化する手前でした。なにかはわかりません。それは遠方にいた人類上位種だったかもしれませんし、▽町そのものだったのかもしれません。彼と不可視目のなにかは強固に繋がっていました。けれど苦しみはなかったようでした。むしろ快楽だと力無い声でいってました。その言葉はいわされていたのか、彼が自分でいっていたのか僕にはわかりませんが。

 僕は毎朝、彼に見送られて学校にいってましたが、彼は僕を見送ると作業着で一日中▽町をぶらついているだけだったようです。

「▽町はまだ解決すべき問題を抱えているがじきによくなる」

 料理を前に生気なく椅子に座り、自身のことを淡々と語る彼をみて、僕はここにいてはいけない、と強く思いました。

 結局お父さんもクラスメイトも博士の実験材料だったのですから。

 愛すべき存在も僕を見下し劣等感を与えてた連中もです。そしてその実験材料からできた僕もまた実験材料なのでしょう。

 博士の気まぐれで、神と対話しろと▽町を覆う霧のなかへ歩かされ残酷なまでに呆気なく消えてゆくか、なにかひととは違った生き物に辱めを受けるのかもしれません。

 博士から▽町から逃げなくてはと、いまにも家の外に駆け出したくなります。

 けれど▽町から逃げる場所なんてありません。

 博士のいうとおりに生きなければならないのか、と思うと震え、肌が泡立ち、博士の眼窩の奥の暗闇を思い出されるのです。

 あの暗闇は恐怖より、あれが現実なのか夢なのかわからず、ぼんやりと嘘なのではないか、と疑う気持ちにすらなりました。だってあんなものをみるはずがないのです。信じられないものをみたのは確かです。だけど理性がそれは現実ではないというのです。そして同時に本能が、あの暗闇から逃げなければならない、と強く主張するのです。自分のことながらわけがわかりません。しかも博士に自分が必要とされたことに喜びを感じたのです。ひとの命をなんとも思わない怪物が僕に神をみて、神に会えといったときの高揚感をなんと表現したらいいのかわからないくらい興奮してしまいます。ひとを弄ぶ博士の言葉に対してなぜ僕は喜びを見出してしまうのか、もっと憤りを感じてもいいはずです。それは心の奥底にわだかまって、ただ嬉しさがある不思議に僕は博士と僕自身に嫌悪しました。

 彼が笑いました。朗らかに。

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