晶と雫
最近、黒咲夜子という転校生がやってきた。
△高は県内有数の進学校で勉強ばかりやらせる高校だ。そんな高校に転校してくるなんてどういうことだろう。もう高三だ。進路もだいたい決まっているだろうし、これから慣れない高校で大学受験対策とか気が重くはないだろうか。親の転勤による引越しか、あるいは両親が亡くなって祖父母に引き取られたとか。そもそも内申書とかどうなるのだろう。
転校生が来る、ということを聞き、クラスはにわかにざわついたが、先生のいうところでは「親の転勤による急な引越し」であるらしい。高校、最後の一年でなじみのないクラスメイトがひとり増えるのも妙な感じだ。転校生も同じ気持ちだろう。高校のイベントには一切参加せず、あと一年だけ、ただ一緒に授業を受ける。クラスになじむ時間があるだろうか。なにをするにも孤独な学校生活というのは精神的な負担も大きいと思う。
私たちだってどう対応していいのかわからない。そもそも転校生がどんな性格かもわからない。高校最後の一年、風波をたてず高校生活を送りたいひとが大半だろう。だから皆、ただ遠目に当たりさわりのないつき合いしかできないだろう。けれど思わぬひとがその転校生と連むようになった。
あの霊能者・拝屋雫である。
喋る喋る。こんなにも喋るひとだったかと思うくらい喋ってた。また声が大きい、軽音部でボーカルしかやりたくない、と宣言しただけはある。もしかしたら独自にボイストレーニングをしているのかもしれないくらい声の通りが良いし滑舌の良さには舌を巻く。しかし、話す内容はオカルトそのものだった。
自身の白髪は霊能に目覚めるときに起こる巫病のせいであるとか、軽音部でギターの練習をしたが才能なさすぎて呆れられたのが、いつの間にか楽器にさわったことない。私はボーカル専門だとか、まるで好きな男子に媚びる女子かよ、と思うくらい黒咲夜子に懐いていた。
そしてどこでそうなったのか知らないが黒咲夜子がUFOに連れ拐われたといっていた。そして五年の月日が流れていて、復学したとか……なにをもって拝屋雫がそんなことをいっているのかわからない。一度、彼女の頭のなかをみてみたい。きっとアンティキティラ島の機械とかヴォイニッチ手稿が出てくるに違いない。少なくとも我々人類には知り得ないなにかが詰まっていることだろう。
そして黒咲は周りに助けを求めるような視線を送ってくるが、誰もがそれに応えようともしない。あの拝屋雫からいったい誰が助けられるというのだろうか。絶対面倒くさいことになる。そもそもみんな勉強が精一杯で面倒事は勘弁してほしいのだ。
「それにしてもさ。夜子、UFOに拐われて宇宙人に×××された? リアル異種姦とか近くに経験者いないから気になっちゃって 」
拝屋雫のセクハラ発言に黒咲夜子は「え? 宇宙人と? そりゃ、ちょっと憧れるけどね。あははっ」と、さきほどの助けを求め泳がせていた目が、打って変わってさわやかなものへと変わり、拝屋雫に親しげな笑顔で答えていた。
黒咲夜子、ついに壊れたなと思った。
みんな同様に思ったに違いない。休み時間にワイワイガヤガヤとざわついていた教室が一瞬、時が止まったかのようにしんと静まり返ったからだ。
意外に会話しながらも不思議とみんな人の話を聞いているものなのだ。
そんなこともあり、孤立した者同士の拝屋雫と黒咲夜子の結束は強くなっていた。なにをするにも一緒だった。転校生は孤立するかと思ったが、親友を得たようでよかったのかもしれない。
私には黒咲夜子が少しうらやましかった。
拝屋雫のオカルト話には興味があったからだ。いまだ中二病として笑われたことを恐れている私がいる。せっかく高校で運動もでき(バスケでは県大会止まりだったが)、優等生として周囲に認められていたのに、また中二病だと周囲に笑われたらどうしよう、と恐れているのだ。だが実際、私は霊能者だ。いまだって目を瞑り、もうひとつの目を開ければ神様がみえる。そう、私にはいつだって見守っている神様がいるのだ。
だから拝屋雫ともっと話してみたい。巫病のことについて詳しく訊きたいし、霊能者として拝屋雫が私の神様がみえないのはどうしてか、というのも訊きたい。そして、知りもしないはずの他人のことがどうしてわかってしまうのか、煩わしい霊だか魂だかがみえるのか……そしてなにより、拝屋雫、あなたがどうして霊能者だということを包み隠さず周囲に話せるのか訊きたい。
数日経った後、不思議と周囲は黒咲夜子に興味を持ち始めた。 そのせいか、拝屋雫はまたひとりでいることが多くなっていた。
なぜかはわからないが、黒咲夜子にそんな魅力があるわけでもないだろう。ただ周囲に馴染めずおどおどしつつも、私は動じてませんと無理に背筋を伸ばしているような垢抜けない女子のどこがいいのかわからない。だが、黒咲に言い寄るひとたちの行動もどこかぎこちなく無理をしているようでもあった。
そんなときだ。私は放課後、しばらく学校に残ることが多くなった。いままで部活動をやってから塾へいっていたが、部活を卒業したので時間が空くのだ。Y村まで帰宅して、また△市の塾までいくとなると労力もお金もかかる。塾の方にも時間変更をお願いしたが、なんとかするからもう一ヶ月ほど待ってくれ、とのことだった。仕方なしに教室か図書室で受験勉強をしていた。
そんな夕方の教室で拝屋雫とふたりきりになった。
いつもは同じような境遇の数人と同じように勉強をしたり談笑をしたりしているのだが、その日は私たちふたり以外誰もいない。むしろ、拝屋雫が教室に残っているほうが意外だった。
「拝屋さん、帰宅部だったよね?」
「ちょっと、邪悪な気配がしてさ」
大真面目に中二病丸出しでいってきた。こいつはいつもそうだ。周囲にどういう目で見られているのかわかっているのだろうか。私の思いなんぞわからないのだろう。拝屋雫は古びたノートをみながら印をきって深呼吸をしていた。
「橘先生のことでしょ? こういうときは害がない、人に頼まれてないなら放っておくのが通例なんじゃないの」
私は英単語帳をみながらいった。
拝屋雫は私の言葉に目を丸くした。
「疑わしきは罰せず、霊もその限りじゃないってね。そして、その印相は降魔坐。邪なものじゃなかったら効果ないって。それに橘先生、戌角先生しか目がいってないから、たぶん大丈夫。そりゃ、戌角先生が浮気とかしてたら、大変だけどね。でも浮気する男なんて通り魔に刺されてもいいんじゃない? 刺されても橘先生のせいにならないし、気の狂った変質者が牢屋にぶち込まれて、二股かけるイケ好かない男が入院するだけ。自業自得さ」
「神宮寺さんて……」
私は英単語帳を閉じ、拝屋雫のほうをみた。呆気にとられた彼女の顔をみてなんだか清々している自分がいた。
「そういうこと。私はあんたみたいに開けっぴろげにしないだけ。それにしてもあなた、黒咲さんに懐いているみたいだったじゃん? なにがあったん? 転校生だからって気を使うキャラじゃないよね? 彼女からは霊的なものはなにも感じないし」
本当はこんなこといいたいわけじゃないのだ。もっと親しみ深く、わかり合えるようになりたいのだ。霊能者同士にしかわかり合えない気持ちを共有したいのに、どうしてもマウントをとりたいような口調になってしまう。
「夢で会ったから。そして頼まれたんだ、二十二歳の黒咲夜子に」
「……それは」
私は言葉を繋げなかった。夢と聞くと大半のひとは笑うだろうが私たち霊能者にとって夢は侮れない。
例えばいまより霊能が盛んだった平安の頃の話だ。『更級日記』の作者、菅原孝標の女は使用人の部屋で猫を飼っていたが、姉の夢でその猫は先の大納言の娘の生まれ変わりだと知り、自らの屋敷に招き入れ大事にした。そして屋敷に来るとますます上品に振舞ったというのだ。ほかにも夢は身体から魂が抜けてなにかするという意味があった。好きなひとのもとに行く、生霊となって祟る。良い夢をみたひとからわざわざ大金を出して買った者すらいた。夢といっても馬鹿にはできない。しかも霊能者がみる夢ならなおさらだ。私にはまだ経験がないが、きっとなにかしらの意味がある。拝屋雫が夢の話をしたとき、彼女の必死さがようやく私にも理解できた。
「そのときにUFOのことも訊いて……」
夢でのことは荒唐無稽でもなにかしらの意味を持つ、なにかのメッセージに違いないだろう。なるほど。もしかしたら、黒咲にUFOについてのことを探るために、いきなり宇宙人に強姦されたとかセンシティブな質問したのかもしれない。確かにインパクトはある。黒咲が恥ずかしい思いをするだけで、なにも得られなかったようだが。
私は様々な思いを巡らせていた。
まさか本当にUFOが関係しているわけではないだろう。そうなればUFOはなにかのメッセージだろうか。それかUFOに関する霊的なものなのか。 しかし私には思いつかない。思いつくだけの霊的な情報に私は乏しいからだ。
「それに、夜子って、あまりにも霊的なものがなくない?」
「確かに」
「記憶喪失らしいし。私の見立てじゃ、彼女は魂の片割れなんだと思う」
「なるほど、荒御魂、和御魂に別れたとか……」
私は荒御魂と和御魂の話、神と人との魂の分割と分霊についての私見を話した。もしそれが可能なら黒咲夜子はかなりの霊能者ということになる。もしくは他の霊能者になにかされたという可能性もあるかも知れない。
「なんか話が早すぎて怖いんだけど」
「なっ!」
拝屋雫の顔がいつもより優しげになっていた。私に対する壁がなくなったというか……その雰囲気が気恥ずかしかった。それに霊的な会話なんて両親と兄(実家の神社を継ぐべく奈良県の皇学館大学で学んでいる)くらいしか、話をしたことはなく、同級生とこんな話をしたのは生まれて初めてだった。不本意ながら楽しく、口調もやや早口になり熱っぽくなっていたのがさらに気恥ずかしさが増す。
「もしかして、神宮寺さんて<組織>の人間じゃないよね」
いきなり拝屋雫の目に力が宿った。射抜くような心の内を見透かすような目だ。
<組織>と訊いて、放浪阿闍梨の阿田大輝さんを思い出した。彼もあの夜<組織>の名を口にしていた。なにか霊能者の組織なのだろうか。霊能者を支援したり、人をさらったり、除霊をするような。
「……知ってるなら教えてくれない?」
拝屋雫の目から力が抜け、すがるような口調になった。
「はぁ」
私はため息が出た。拝屋雫には見抜かれてる。彼女は<組織>に対してのなにかしらネガティブな思いがあるのだろう。だが私の知っていることは少ない。
私はあの夜出会った少年・戌井勇と阿田大輝さんについて話した。できる限り詳細に。
「あの放浪阿闍梨が!」
「そう、彼は本物だし、公安や警察からも信頼があるって自分でいってた。けれど<組織>がなにをする集団なのか私はわからない。ただ男の子を縛り上げどこかに連れていくなんて、まともなひとたちには思えない」
「そっか、やっぱそういう集団か……もしかしたらさ。私の父親は<組織>の構成員なんだよ。なんとなくだけどさ。わかるんだ。<組織>は霊能者を集めている。もしかしたら神宮寺さんもって」
「<組織>だとしたらどうしてたわけ?」
「△市でなにがしたいのか訊きたい。最近、お父さんは休みなく出ずっぱりだし……UFOの拉致者帰還、UFO映像の強奪、たぶん<組織>が絡んでいる。それにお父さんが電話でいってた再封印ってなんなのか気になるし、この学校の生徒にも先生にも大量に出回っている指示……わかるんだ、私。誰とも仲良くないから、集団に属してないから、だからこそ、偏見なしに俯瞰して周囲をみることができる。知らんぷりしたふりして第三者としてみてるから。それが霊能者として古くからの人の世の関わり方だし。家族にも学校にも<組織>は侵食してきている。△市を飲み込みたいのか、△市を守りたいのか、それともなにか利害関係の方向性が合致してるだけで<組織>は独自の考えで動いているだけなのか」
拝屋雫は本気で悩んでいるようだった。
「背負い過ぎだって。<組織>が動いているとしても私たちにはどうしようもないし、それよりはできることをすれば、いいんじゃない?」
「だから……」
「とりあえず、橘先生の邪念を払おうと?」
「話が早すぎ。別の意味で」
「ダテにクラス一軍やってませんよ」
「ははっ、一軍候補の二軍かと思ってた」
「はっ! ナードがなにいってんだか! それと本気で気をつけた方がいいのは黒咲さんじゃない? 最近、変にみんなに好かれるじゃん」
「え?」
「もしかして、転校生だから、興味があるから黒咲さんに話しかけてるって思ってる? せっかくだから学校に馴染めるようにって、普段気なんて利かせないのに、少し身を引いてるとか、なんの気遣いだよ、まったく。 頼まれたんでしょ? 夢の中で守ってって。十中八九、<組織>絡みなんじゃない? あまりに不自然過ぎるから……」
私の話はまだ途中だったが、拝屋雫は立ち上がると机に出したノートをしまい、鞄を担いだ。
「じゃ!」
「話が早いのはどっちだよ」
「いや、なんか、ありがとう!」
後ろくらい振り返ろよ、といいたかったがいわないで置いた。だって未練がましいし、また明日会えるし、また話せるのだから。