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匣の街  作者: Mr.Y
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土葬と火葬、死後について

 私が小説を書くようになったきっかけは以前どこかで書いたと思うが、それをもう一度書きたいと思う。自分自身の原点回帰のためと、今度書こうとしている題材がまさにそれだからだ。もし、これを書ききったら私は書くことをやめるだろうか? 作品を書いているときの創作意欲や書き終わったときの満ち足りた興奮(カタルシス)は感じなくなるのだろうか。もしそうだとしたら書かないほうがいいのではないだろうか。いや、いまはこれを書くことにだけ集中しよう。なるようになれ、だ。書きたいから書く。書きたくなくなったら書かない、ただそれだけだ。小説を書けなくなったとしても私の小説を心待ちにしてくれるひとなんて極少数だろう。その数人といまの私自身にあらかじめ謝罪をしておこう。この謝罪が無用だったと笑えるときを願いながら。

 私が小説を書こうと思ったきっかけは△市UFO事件を直にみたときにふと小説を書こうと思ったのだ。目の前で起こった不可思議な現象をまえにその正体に思いを巡らせるわけでもなく、なぜだか小説を書こうと決心していた。その発想の飛躍は現実主義者の私にとってかなりスピリチュアルな体験だった。

 私の尊敬する小説家のなかに村上春樹がいる。

 彼はよく晴れた日、神宮球場でヤクルトとカープの試合をビールを飲みながら芝生のうえで観戦していた。一回裏、ヤクルトのデイブ・ヒルトンが広島の外木場投手の球を打ち返しツーベースヒットを放った瞬間、なんの根拠や理由もなく小説を書けるのでは、という気がしたらしい。それはまるで空からなにかが降って来たようであり、それを両手で見事に受け止めた、と。

 私のようなネットの片隅で自己満足的に小説を書いている身で自惚れも度が過ぎるかもしれないが、そういった天啓は書く人には誰でもあるのかもしれない。私の場合はUFOが蛍のように飛び交う夜の帳が落ちかかった夕空で、村上春樹の場合はツーベースヒットという差はあるかもしれない。ただ、どちらが強烈な天啓を得ているのかといえば私には大作家のような些細なこと(あくまで私の認識からすればだが)にすら天啓を見出す繊細さはないのだろう。

 話がずれたが、私はいままさに△市UFO事件の話を書こうとしている。天啓に応える力量が備わってきているのかもしれないし、私自身が天啓云々とは関係なく、単純にそうしたいだけかもしれない。ただうまく小説に落とし込めるかどうかという不安もあり、私にしてははじめて取材なんかも行っている。(よくある世間話やUFO事件について友人や知り合いに訊くのが取材というのであればだが) 私のなかにある想像力だけではどうしようもなくなったというだけなのだが、その行動力は以前の私にはなかったものだ。なにかに背中をおされているのか、私自身の執筆活動が一定の力量(レベル)に達したせいなのかわからない。ただ、いまはそうせざるを得ないような気持ちなのだ。

 そのために蒐集した話をメモ書きのように書き連ねてみる。この話たちが小説として日の目をみることはないかもしれない。けれど今作が小説として完成したならば、この話たちは根のように見えないところで小説を形づくる要素を確実に担っているのだ。


『土葬と火葬について』

 N医療福祉大の学園祭へ友人三人と出かけた。友人の妹がそこの生徒だったため、妹がどんな大学に入ったか興味があったのだろう。私も誘われたのだ。友人の妹がやっている模擬店にいったり、イベントを楽しんだりした後、ちょっと有名なお笑い芸人(名前が思い出せないが、もうひとりの友人がファンだった)のイベントがあるので、はじまるまでの少しの時間、陽射しの当たらない場所で座って友人の妹や大学やお笑い芸人について話しながら休んでいた。すると学生のひとりに声をかけられた。自然人類学研究所(サークルなのか学校内にある研究所なのかいまだわからない)がおこなっている骨格標本特設教室というイベント展示がされているというのだ。私はやんわりと断ったが「あまりにも人が来なくて」と学園祭に似合わない寂しそうな顔をされると私はなにか申し訳なくなってくる。友人ふたりはお笑い芸人のイベントへいくのでと、きっぱり断ったが、私は学生の寂しげな顔に負け「まぁ薄幸の苦学生を救ってくるわ」と義侠心を出し友人ふたりと一時別れ、その骨格標本特設教室へ向かった。教室のまえには『骨格標本特設教室』と言う文字に歌川国芳のがしゃどくろがデザインされたポスターが張られていた。その教室は建物の三階にあったし、案内する学生がいなければ、わかりにくいかもしれない。もっとひとが来るように下の階ですればいいのに、と思ってなかに入った。そこには多数の人骨の標本、実物などが壁一面にディスプレイされており、なかには動物の骨もあった。異様な雰囲気で、壁上部にある採光窓からの弱い光と電灯が照らす骨ばかりの風景のせいか、陰鬱で現代的な地下墓地(カタコンベ)のようだった。

 だがなるほど、と思った。ふだん自然人類学研究所として使われている教室をそのまま学園祭に来た客にもみせるため展示場にしているのだ。

 学生がいっていたとおり確かに客はまばらで白衣を着た教授らしき人の他は中年の夫婦が展示を観ていたり、子連れの若い女性が子供と一緒に頭蓋骨のパズルを組み立てていた。そして普段、学生が使う机に様々な骨が置かれていた。入口で渡されたパンフレットによると自然人類学研究所とは主に骨の成長、加齢による変化、火傷、骨折、傷などの治る過程や死後、焼いたり、傷つけたりして骨がどういう状態になるのかを研究をするらしい。他にも検察などからも事件事故後の遺体の骨の状態について問い合わせに答える場合もある、と書いてあった。

 意外に興味深い展示場だったが、なかでも私個人として興味を持った展示があった。縄文時代の火葬された骨だ。しかも現物が置かれ、机の上に「さわらないで下さい」という注意書きとともに展示されているのだ。縄文時代に火葬があったなんて知らなかった。しかも骨盤から出産した痕跡がある女性の骨らしい。私は日本人が火葬をしたのは仏教伝来した後だと思っていただけにそれだけで常識が覆った驚きがあった。

 説明書きによると日本で初めて火葬されたのは七○○年(文武四年)に仏教僧の道照と『続日本記』に記載があり、それ以前は土葬が一般的だったが、四千から三千年前の縄文時代後期に現在の火葬骨のように千度近い高温で完全に白骨になるまで被熱され火葬されたものが存在するらしい。

 その説明書きを読み、目の前にあるその縄文時代後期の女性の遺骨をまじまじみていると、なにかふつふつと好奇心が湧き上がってくるのを感じた。私の心情を察したのか教室にいた白衣を着た教授が私のところに来て説明をしてくれた。

 その話によるとこの縄文時代の人骨がどのようにして被熱されたのか検討した研究所はここがはじめてで、形態的な肉眼観察の他にも動物骨の焼成実験、新手法の理化学分析をおこなっているらしい。それまで被熱人骨は焚火などのそばに置かれ偶然被熱されたものが一般的だったが、完全に被熱白骨化したものも発見されてきているのだという。

「土葬が一般的だったのになぜ火葬にしたんですか?」

「まさにそれを調べているんですよ。いかんせん、縄文時代のころです。文字もない時代ですし、書物として記録が残っていません。しかも色々、記録が残っている鎌倉時代から江戸時代ですら土葬するひともいるし、火葬にするひともいる。これが身分によるものだとすれば理解できますが、天皇家すら土葬と火葬にわかれる時代もあります。それがどうしてなのかわからない。なぜ土葬にしたのか、火葬にしたのか書き記してくれなかった。縄文時代ともなると、ねぇ。いま私たちは縄文時代のひとが亡くなったひとを埋葬する手段のひとつとして、なぜ火葬を選択したのか研究しています。それにはまず亡くなったひとの性別、年齢。遺体をどの時点で、どのような手法で焼いたのかを明らかにしようとしています。人類史において家族や仲間が亡くなった場合、どのようにして葬送儀礼をおこなったのか解明することは精神性、心性の歴史を探るうえで極めて重要な視点だと思うんです」

 度々話している言葉なのだろう。すらすらと言葉が出てきていた。

「やはり呪いとかの呪術的な意味合いとか、昔の人だって病気とかが伝染ることを知っていたでしょうから他の人に伝染らないように完全に白骨にしたとか、あとは犯罪者で罰の意味を持っていたとか……そういったことはわからないのでしょうか?」

 私も私で次々と好奇心から湧き上がる言葉が出てきた。しかし教授は専門的な分野を扱っているひと特有の狭量的かつ慎重な言葉で「それが骨からわかればね」とあくまで骨の専門家として意見を述べるにとどまっていた。

 だが私は骨の専門家ではないし、科学者でもない。ただの工場の事務仕事が専門であり、趣味で小説を書いているだけの身だ。従って無責任な放言も許される、と思う。つまり土葬と火葬について想像力に任せるままキーボードを叩きながらネット上にテキトーに書けるのだ。けれど私は専門家でないので素人くさい話になるのはご容赦願いたい。

 土葬と聞いてすぐ思い浮かぶのがイスラム教やキリスト教などだ。この世の終末には死んだ人々が甦り神の裁きにあう、というもので、そのために遺体がなくてはならない。(土葬でも遺体はやがて腐り果ててしまう気もするが) だから遺体を焼くのはいけない、という考え方だ。

 火葬は……これはイスラム、キリスト教と仏教の違いを考えれば一目瞭然だ。仏教は悟り、つまり輪廻からの解脱を目指す。苦しみのあるこの世から解き放たれることが理想だろう。つまりは遺体はなくてもいいのだ。むしろ肉体に執着しないのを良しとするなら焼いたほうがいいのかもしれない。

 こんなふうに考え分類していると綺麗にまとまるがなんとなく釈然としない。それは現代的な感覚で考えているからだろうか。縄文時代ともなると思想自体がまるで違うのかもしれない。なぜ死んだ親しいひとを焼かなければならないのか、と考えると不可思議な迷路に迷い込んだ気分にさせられる。それには説明できる十分な理由が必要だろう。

 親しいひとを焼く。いや、親しいのであれば焼けはしないだろう。死ぬことによって親しいひとでなくなったとしたら? 死がいまより身近な昔では死が忍び寄ってこないように火で焼いたのではないか。疫病などで亡くなった者、ひととは思えない犯罪行為をした者、親しいひとが親しいひとでなく、別の者になった場合か? 私の豊かすぎる想像力はひとの姿をしたまま怪物となった者を連想させた。縄文時代、火は明かりであり、調理に欠かせない存在であり、いま以上に神聖かつ重要な存在だったのだろう。なにかを別のものに変換することのできる存在だ。生肉を食べられるようにしたり、食材を煮炊きして食べられるようにしたり、水をお湯にしたり、暗闇を照らしたり……その火という現象をつかい遺体を別のものに変換せざるを得なかったとしたら?

 私はそんなとりとめのないことを考えながら展示場を観覧したあと、友人たちと合流し、帰路に着いた。彼女らは楽しそうに学園祭について語り、お笑い芸人のショートコントについて語った。私もそんなに面白ければお笑い芸人のほうをみに行くんだった、と話を合わせた。家に着くとちょうどつけたテレビにそのお笑い芸人が出ていて、友人がいってたショートコント(彼らの鉄板ネタなのだろう)をやっていた。確かに笑い転げてしまったが、いまこうやってキーボードを叩いている現在、彼らの名前を忘れている私がいる。結局のところ私はこうやって答えのでない神秘的なことについて思いを巡らせるのが好きなのかもしれない。

 そしてそこに方向性はなく、UFOをみて小説を書き始めたのに、こうやって土葬と火葬について思いを巡らせている。つまり私は不思議なことへの好奇心が抑えられないだけなのかもしれない。

 ふと、土葬と火葬のほかにも葬送儀礼があることに思いを巡らせる。鳥葬や樹木葬、空葬や宇宙葬。様々なひとの終わりがある。

 そんなことを考えているせいか面白い小発見があった。『死後』という言葉がある。それは直接的に読めば『死んだ後』ということだ。つまり『私が死んだ後』。この言葉には死んだ後に遺産(私にはまだそんなものないが)や生前にやり残したことを頼むという遺言的な意味がある。しかし『死後』という言葉には死後の世界、あの世を連想するひともいるのではないだろうか。こちら側とあちら側のことを『死後』という言葉は現せるのだ。

『私の死後』というと遺言にもなれば、あの世の話にもなるのは少し面白い。『死後』は私が死んだ後に続く、私のいなくなった世界。そして私が死んで、あちら側へいって続く私の世界。

 そうなると縄文時代に焼かれた女性の遺体は死後、あちら側から戻ってこれないようにしたように思える、いまのところは。


 作者 : 月空(ツキゾラ) リリ

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