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匣の街  作者: Mr.Y
15/35

夢路と阿田

 私は私自身のすべてを終わらせることにしました。

 その結論にいたる前に悩みました。当たり前といえば当たり前でしょう。最後の決断ですから。納得いかなければ行動までうつせない。納得しても躊躇してしまうかもしれない。最後はきっと苦しいでしょう。辛いでしょう。

 けれども私には生きる時間というものが普通のひとより少ないのです。ですからこうするより他はない。

 病気にかかってから、すぐに疲労を感じてしまいます。すこし前まで仕事も生活もなんとかこなせていましたが、いまはもうダメ。親の手を借りなければ、仕事だけで一日の生活は終わってしまう。病状は好転することなく悪化するばかりです。定期検診を待たなくてもはっきりとわかるほどです。衰弱は早く、薬の効きも緩慢になってゆきます。横になると楽にはなりますが、そうするとそれだけで一日は終わってゆく。しかしその休息も安らぎを見出し、力をたくわえるすべではありません。夢寐の時間は短く、気怠く浅い覚醒のなかを浮遊して、一時の安らぎを感じるだけ。

 近いうちに私は仕事もできなくなるでしょう。

 日に日に衰弱していき、家族に看取られながら病院の天井をみつめ……それが生きている、ということなのでしょうか。

 そんな私にも恋人がいます。

 白露夢路(ハクロ ユメジ)というひとです。

 大きくて強くて優しくて、ちょっと気が回らない、私のテディベア。

 私が病気になっても気にかけて時間が空けば会いに来て私を癒してくれます。

 いつか私が死んだらきっとたいへん悲しんでくれるでしょう。でも私はその先を考えます。私がいなくなって何年か経てば彼は私を忘れるかもしれません。そして彼の隣には私以外の女がいる可能性だってあります。私はそれを許せるでしょうか?

 体力がなくて病弱で気も弱くて、できることは少くなってきて、身も心もきたなくなって、行き場のない気持ちをまわりに当たり散らすしかない身で、あと少ししか生きられない私にできるのは、夢路くんの胸に私を……私という存在を深々と刻みつけることだと決死しました。

 夢路くん、私を忘れないで。

 その思いだけが私を動かしている理由です。

 本当にきたない。

 だからこの縄がお似合いなのでしょう。

 私は紙袋をかぶりました。最後にみて欲しいのは私の死であって醜い死に顔ではない。

 私は本当に醜い。

 私は彼の優しさを知っています。

 こうすることで彼は私を一生忘れない。

「まだ死にたくないよ。生きたい。私は夢路くんと一緒に生きたいんだ」

 私の口から出た吐息にも似た言葉は、かぶった紙袋のなかに反響し、消えました。


  〇


 俺はいつもの夢をみて目が覚めた。

 彼女は死んだ。自殺だった。

 病気で弱り、ひとり暮らしができないから実家に戻るということで、引越しの手伝いにいったときだった。綺麗に片付けられた部屋で彼女は首をロープで吊っていた。それはかすかに揺れていた。その揺れは彼女が生きていた最後の名残りのように俺の目の前でいつまでも揺れ続けている。俺はその現実が受け入れられなくて呆然としていた。ほんとうに呆然と。頭の認識がまわらなくなり、周囲のできごとがあやふやになるくらいだ。やがて救急車や警察がやってきた。誰が呼んだのかわからない。たぶん俺がアパートの玄関を開けっ放しにしていたのを不審に思った住人が通報してくれたのだろう。この前後のできごとの記憶は曖昧だ。だが彼女の死は俺の心に焼き付いて離れない。何度も反芻する。過去の出来事なのに過ぎ去ること望まないように。まるで心が忘れることを拒んでいるかのように。もう過ぎ去ったあの日が、なんの奇跡かまた再び訪れたらなにかが変わると思っているように。くり返しくり返し、夢にみる。そのたびに心に痛みを覚える。「俺は間違っていたんじゃないか」と彼女を救えたのではないか、彼女の苦痛をもっと和らげてあげれたのではないか。けれどそれができた時間は戻ってこない。

 俺はなにもできなくなり一年引きこもり、自らを責め、傷つけた。その末に俺の心の一部はなにも感じなくなっていた。もう彼女の死に対して悲しみだとか自責の苦しみを感じない。ただその光景を心がくり返しくり返しみることを望むのだ。まるで毎日訪れる夕暮れのように俺の心に訪れる。俺は黙ってそれを受け入れるようになっていた。それは心の一部が壊死してしまったのかもしれない。うまく感受器官が働かず、悲しみを起こった事象としてしか受け入れられないのかもしれない。俺はひとつの決断をした。彼女の後を追うことだ。けれど俺は彼女の後を追って自死することができなかった。部屋のなかでうずくまり、なにもできない日々で憔悴しきった果てに起き上がり、いまは農家の手伝いなんてやっている。

 彼女は俺になにを望んでいたのだろう。遺書はあったが、それは家族に向けての謝罪のようなものだけだった。せめて俺にも一筆でもあれば、なにかしら納得(納得という言葉に違和感があるが)できたのかもしれない。けれどなにもなかった。ただ、彼女は明確な意志をもって最後に俺に自分の死をみせた。それは怨みだろうか。わかちあえない苦しみをみせたかったのだろうか。わからない。それらに俺は俺自身で答えを出すことはできるだろう。そして都合良く綺麗な言葉で飾り立て生きることもできた。けれどそれは冒涜だ。彼女の心や決心は彼女のものであって、それは彼女自身が知り得るものだ。わかちあいたいなら言葉にして俺に伝えなければならないことだ。俺が都合良く解釈していいはずはない。だから、俺は彼女の死を死のまま、起こったことを起こったまま記憶し、反芻しているのかもしれない。出るはずのない答えを求めている。いつまでも。だから朝起きたら、もう涙を拭かなくてもいい。ただあの日の寂しい夕暮れを思い出すだけだ。忘れ去りたいけど忘れられない寂しく悲しい夕暮れを。

 そしてまた一日が始まる。

 部屋のテーブルには危険物取扱者乙四種の参考書やら農耕車用免許証取得要項などのプリントがのっていた。昨日遅くまで勉強をしていたのだ。

 この部屋は実家ではなく圭介さんの家の一室を使わせてもらっている。やはり「農業を継いでもいい」とはっきりいったせいだ。圭介はその一言でもう俺に継がせる気になったらしい。気の早いひとだ。もっとも俺も言った手前、農家を継ぐための様々なことをネットで拾い、役所の農林課やら地域の農業委員会に問い合わせて資料を送ってもらっていた。そして冬の農閑期になにかできないものか、と調べたら危険物取扱者の資格が取りやすそうだったので学生時代に取りそびれた危険物取扱者乙四種を取ろうと勉強していたのだ。冬は農業では稼げそうにないからガソリンスタンドでバイトするのもいいかもしれない、と軽い気持ちで申し込んだが、俺の頭では少し難しいかもしれない。期日までにこれを頭のなかに叩き込まないといけないとなると早々と気が滅入っていた。

 そうそう、圭介さんちは二世帯住宅になっていた。関東(埼玉だったか群馬だったか)に働きにいった息子夫婦のために改築したらしい(昔、米はお金になったのだろう)が、息子夫婦は関東に家を建てたので長らく彼らが帰ってきたときのための宿泊場となっていた。その寝室、台所、風呂場を使わせてもらっている。台所はまだ奥さんが腰を痛めてない頃に農協の直売所に漬物を販売していたらしく、漬物製作所になっていたため、なかなかの漬物臭だったが、二日で匂わなくなった。それが俺の掃除によるものなのか、慣れのせいなのか判断しようがないがとにかく良しとしよう。少なくとも不快でなくなった。風呂場も給湯器が取り付けてなかったため、しばらくはお湯張りができなかったが、俺のなけなしの貯金で支払えるだけの中古品を取り付けてもらった。あとは実家に引きこもる前にひとり暮らしで使っていた家具を持ち込んで生活をしている。こうやって俺は少しずつ農家になっていっているのだ。

 朝ごはんを食べると土器の破片がでてきた田んぼに向かった。これ以上、田んぼを発掘現場にされても困る。ここはみつかるまえに土嚢でも積んでなにもなかったことにしよう。それにしてもなぜ蛇渕(ヘビブチ)はここに遺跡があるとわかったのか。

 俺は崩れた畦畔(けいはん)にめいっぱい土を詰めた土嚢を積みながら考えていた。俺は勉強よりこうやって汗を流すのが好きだ。土嚢を積んだり、体育館で走ったり、心臓を銅鑼のように叩き打ち、骨身を軋ませることが……いや、好きというより性分だろう。頭で考えるより、身体を動かすほうがいい。引きこもりを止めてからそういう傾向が強くなってきた気がする。だから親戚とはいえ無理して農家を継ぐといってみたり、無駄に体育館で走ったり……自死できなかった俺はこうやって身体を痛めつけることによって少しずつ死に至ろうとしてるのだろうか。だとしたらなんて消極的な自殺なんだろう。

 この考えは疲れた身体が嫌な妄想をつくりだしているのだろうか。

 俺は気晴らしにスマホを取り出し、蛇渕のラインをみてみた。そこには蛇のイラスト(一昔前のヘビメタバンドのCDジャケットのような)のプロフィール画像がある。蛇渕だから蛇のイラストとか捻りのないやつだ。そういえば蛇渕がなんでここに遺跡があったのがわかったのかを訊きたいし。今夜はちょうど空手サークルをやっている日だったので出向いてみるか、と思い、スマホをしまうと仕上げに排水路に落ちた土を土嚢の上にのせ、足で踏みつけ固めて仕上げをした。

 そのときに声をかけられた。

 最初は俺が呼ばれているとは思わなかった。

 早朝、駅の近くだったので人通りもある。俺以外の誰かを呼び止めたのだろうと思っていたが、どうやら違うらしい。

「おーい、そこの君!」と、声が近づいてきて、ようやく俺が呼ばれたのだと気がついた。

 その声の主は朝露に濡れる雑草も気にすることなく、田んぼの畦畔を歩いてきた。その足取りは確かで濡れて滑りやすい草むらや、土の崩れる位置を把握しているかのように足元を見ずに近づいてくる。靴はトレッキングシューズらしく防水加工をしてあるのだろうが濡れるに違いない。俺なら長靴でなければこんなところに来たくはない。よほど俺に用事でもあるのだろうか。しかし、その顔にまるで見覚えがなかった。

「おはようございます。そして、はじめまして。私、阿田大輝(アダ タイキ)といいます」

 にこにことカーキ色のニット帽を取って坊主頭を出しながら、丁寧な挨拶をしてきた。言葉の感じがここの地域の者ではなかった。テレビでよくみる関西芸人のなまりに似ていたので関西人なのかもしれない。すると交友関係の狭い俺には接点がまるでなくなる。

「おはようございます。俺になにか用ですか?」

 率直にいってみた。田んぼについてのクレームではないだろうし、観光なら駅の人に訊けばいいに決まっている。疲れもあってか少し不機嫌な語調だったかもしれない、と後悔した。

「いやいや、お時間はとらせませんよ。実は私、こういうものでして」

 ウィンドブレーカーから名刺を取り出して俺に渡した。そこには『放浪阿闍梨・阿田大輝』と書かれており、携帯の電話番号とメールアドレス、SNSのアカウントもあった。

『放浪』はわかるが『阿闍梨』がなにを示すものなのかわからない。しかし宗教臭しかしてこない。

「ああ、そういうの足りてますんで」

 最初は不機嫌な対応をしてしまってすまないと思ったが、宗教勧誘の類かと思うと正解だったと思い直した。

「いえいえ、君は大変いい対応をしていましたので……もしかして君は霊能者かなにかでは?」

 俺が霊能者とか話がまるっきりみえてこなかった。

 ああ、とりあえず褒めて機嫌でもとる気か、と俺は名刺をポケットに突っ込むと余った土嚢袋とスコップを持って軽自動車へ向かった。しかし、阿田はそっけない態度の俺に気後れすることもなく着いてきて話をしていた。さきほど呼ばれたときもそうだったが声の通りが尋常ではない。そして、畦畔を歩くときのバランス感覚やウィンドブレーカーの襟元からみえた首の太さをみるになにか武道や格闘技をやっていた人間に思えた。

「宗教勧誘ならお断りなんで」

 軽自動車にスコップと土嚢袋を詰むと俺は早々に去ろうとしたが、阿田は俺にまだ話しかけてきた。話されると無下に行くのも気が引けるものだ。

「いや、ですから君が霊能者ではないとしたら……ああ、この話は止めましょう。ネットとかみます? オカルト系なら私のことは知ってると思うんだけどなぁ……」

「いや、あなたのことなんて知らんから。じゃあ、もう、いいですか?」

「ああ、じゃあ、お礼だけ! いや、ここの遺跡を封印して下さってありがとう。できればここはこのままにしておいてください。また顔をのぞかせるようならさっきみたいに埋め戻してくださいね」

 俺は軽自動車のドアにかかっていた手をとめた。なんでこの阿田は俺が遺跡がありそうなところを埋め戻したことがわかったのだろう。

「それと、また遺跡がでるようならご一報頂きたいんです。連絡先は名刺にあるんで。いまはY村に滞在させてもらっているので、あと数週間ならすぐにでも伺えると思います」

 俺は阿田大輝をもう一度みた。

 顔はどこにでもいそうな優しげな顔でウィンドブレーカーを着て、リュックを背負っている。ボトムスはカーゴパンツだ。宗教的な匂いはしてこない。ただ歩き回ることに特化して自然とこういう格好になったという姿だ。宗教的なところはニット帽をとると坊主頭というところだけだった。

「もう出たよ」

 俺の言葉に阿田の目は大きく見開いた。

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