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匣の街  作者: Mr.Y
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游と博士

 医院長の隣にいた女性をくわしくですか?

 メガネをかけて白衣を着ていましたが、医師というよりは看護師のような雰囲気です。性格はキツそうでしたが、仕事は的確にできそうでした。もし医師だとしても、あまりかかりつけ医にはなって欲しくない感じですね。人を人でないようにみている目が、どうも他人への共感力を欠いているような気がしました。彼女が若いせいもあるかもしれません。まぁ、すべて僕の主観ですが。

 身長は僕より低く……一六○センチくらいでしょうか? 名前? 知りませんよ。そのひとは常に医院長の隣にいて、なにもしていません。常に隣にいたから医院長のお気に入りの看護師か、秘書などの事務をやっていたのかもしれません。変なところはなかったか? いえ、とくに印象に残る感じのひとではなかったですね……あえていえば少し冷静すぎるくらいですかね。なにが起こっても動じず医院長の隣にいました。まるでよく躾られた警察犬のようでしたよ。

 あのひとはいったい何者なんです?

 はぁ……僕の疑問に対しての答えはなしですか? 話を続けろと。仕方ないですね。僕は色々訊きたいことが山ほどあるっていうのに。


 あの高校一年生の寒さの残る春、▽高校の体育館で、▽町はなにもかもが変わりました。

 ええ、発端は卒業式のとき現れた医院長のせいです。

 彼の名前はわかりません。医院長や博士といわれていました。▽中央病院で医業をしているほかに研究をしていたらしいのですが、それがなんの研究であったのかはもうわかりません。ただ、▽町の健康診断や病気の治療、予防接種、妊娠出産などを通じてなにかしらの研究、施術をしていたのは確かです。そして、彼は拝屋樹(オガミヤ イツキ)や町長を通じて▽町全体を操っていた。いや、操るといっても彼にとっては研究、施術の延長線だっただけなのかもしれません。

 あの七つの建物も飼育されていた発光する生き物も、▽町の人類が第三成長期を迎えるようになったのも彼の仕業です。はっきりと彼の口から聞きましたから。

 卒業式でそれが起こったことはある意味、皮肉ですね。人間からの卒業。これより▽町は新たな時代に入ったのですから。いや、入らされたのかな。ゆっくり季節が巡るようにいつの間にか。そして、けっして後戻りできないように。


 博士(彼の▽町での主な呼び名でしたから、こちらを使います)は卒業式を行っている体育館の後方の出入口から入ってきて、卒業生が式の際歩く真ん中の通路を歩きました。博士が通り始めると第三成長期を迎えた生徒たちは軍隊の精鋭部隊がするような機械的な敬礼しました。保護者や先生方は戸惑い、ざわめくばかりでした。おそらくなにも聞かされていないのでしょう。しかし第三成長期を迎えた生徒たちは冷静で……いや、冷静というより待ち望んだ日が来たかのように静かな興奮に包まれているようにも感じられました。もしかしたら博士と第三成長期をむかえた生徒たちはどこかで繋がっていたのかもしれません。

 博士は生徒たちの敬礼も戸惑う先生や保護者の視線もまるで意に介することなく檀上に上がりました。

「よく成長したな。生徒諸君」と話し始めました。

 不安がる先生や保護者の視線は拝屋樹に注がれますが、拝屋樹は博士を憎々しく睨むばかりで、止めさせるわけでもなく、非難するわけでもなく、どうすることもできないようでした。

 そんな視線を意に介さず博士が話し始めます。その話は突拍子もない話でした。

「君たち人類がここを去ってから……」

 いったい何の話かと思いました。

 けれどその声は自信と説得力に満ちていました。

 僕は博士の声に耳を傾けました。先生方や保護者も同様で不安がるざわめきはしんと静まり返りました。

「……何千万年経たかはもはや忘却の彼方だ。おそらくなんの記憶も残ってはいない。しかし、君らの血のなかには残ってはいたようだ。猿人の幼形成熟(ネオ二ティ)という偽りの姿を捨て去り、人類、第三成長期を迎えた。本来の人の姿に戻りつつある諸君。まずはおめでとう……」

 タチの悪い悪夢をみせられているようでした。

 「君たち人類」ということは博士は自分を人類ではない、といっているのです。

 生徒たちは歓喜に包まれていました。それと対称的に僕は脂汗をかいていました。一刻も早くここから逃げなければ大変なことになる、と本能が告げているのです。この感覚は以前も感じたことがあるからです。この町の夜を観察していたときに夜の住人に窓ガラス越しに対面したあのときの恐怖に似ていました。あるいは僕は薄々気づいていたのかもしれません。第三成長期の末に人は夜の住人になるのではないか、と。あの作業員は夜の住人だったのだろう、と。

 狂気じみた演説は続きます。

 博士の言葉は多面的でした。よくわかりませんか? ひとの言葉は文章という二次元であらわすことができる。博士の言葉……口から発せられる音は聞くだけでいくつもの意味に受け取れました。同じ言語を用いているはずなのにね。博士の言葉は文章では書き記すことはできないでしょう。もし記すなら名工が立体の彫刻であらわすしかない。

 そうですね。要約すると以下の通りです。

「この世界から人類は地球に避難して来た。自分たちより上位の存在から逃げるために。その道を人類は秘儀(オカルト)を用いて封じた。それは上位の存在すら寄せつけない人類が編み出したものだった。その封印はいまも道を封じている」

 僕の聞かされてきた人類の話とは大きく違いました。人類は我々以外、極わずかになったのではないし、避難してくるひとは別の場所から(さら)ったひとで博士の実験台だった……僕はここで生まれ育ち生活しています。僕は独自に観察を続けており、薄々は気づいていましたが、覚悟はできていませんでした。それは僕だけではありません。皆、薄々は気づいていたのでしょう。ですがそれを受け入れる覚悟はなかった。安全な今を手放さずにいれたのなら、忌まわしい違和感は次第に遠のいていくに違いない、と期待していた。けれど忌まわしい違和感は現実に起こってしまった。保護者や先生方からの表情からも察せられました。

「人類は地球の原人と交わり、人間となったが、地球の環境には完全に適応できてはいない。それはここに来た第一世代がよく知っているだろう。不完全な人間社会、どうやってもうまれる格差があり、かつ日々の生活はどうやっても地球の生態、環境に甚大な被害をもたらす。君たち人類が編み出した科学すら無力感を認知するための手段にすぎない。他惑星への移住は夢のまた夢。まるで八方塞がりだ。身体も魂も『自分のいるべき場所はここではない』と悲鳴をあげる。戻るべき場所はやはりあちらなのだ、と思ったはずだ。我々、上位種は人類の秘儀に巻き込まれ、地球の、この封じられた入口に取り残された種だ。しかし永年、待った。人類がまた彼の地に戻る日が来るのを。我々はときに人類を捕食し実験し改造改良を続け、待った。そしてあらわれたのが、拝屋樹(オガミヤ イツキ)君だ。彼は君たちを導いた。私は知っている。霊能者の大半が、実は大した才も実力もない。能力をつけるための人一倍の努力もせず、自分は凡夫とは異なる特別だという尊大な自意識と理想的な救済への憧れだけを持ち生きている。中途半端な霊的知識を披露しながら、最終的には我々に惑わされるか捕食されるのが大半だ。しかし、彼は私に対抗する対等な実力を持ち、かつ皆の理想的な救済のために私に全人生を捧げ研究につきあってくれた。彼の姿は第四成長期真っ只中だ。上古の世、彼の地から去る人類より純粋な人類であり、かつ上位の存在になりつつある」

 僕は堪えられなくなり椅子に座っていました。

 この町全体が博士の研究所なのではないでしょうか。だとしたら僕に心当たりがあります。僕には母親がいないのです。もしかしたら、と思いました。取り残された上位種とやらが博士だけでないとしたら、父親は上位種の女性と交わったのではないか、と。ほかの生徒は父母がいました。なかには母だけの者もいましたが、彼らは皆、第三成長期に至っています。自分が例外だとするなら、その考えが浮かびます。

 生まれて初めて、どうしようもなく父親を恨み軽蔑しました。

「さぁ、霧の向こうへ行こう。彼の地に帰るのだ」

 体育館は生徒の歓声に包まれました。

 生徒は暴れながら出口に殺到し、保護者や生徒方はそれを止めるべく立ち塞がります。誰もこの町から去って帰ってきたものはいないのだから。しかし、生徒は歓喜に包まれた表情で博士の言葉に従い動きます。それは熱狂的であり狂気じみていました。怒号とも嬌声ともつかない叫びが、耳の奥まで響き、僕は現実を受け入れることが出来ないまま、うずくまり嵐のような狂乱が過ぎるの待ちました。


 肩にぽん、と手が置かれました。

 僕は悲鳴をあげビクリと身体が反応し、その場を逃げようとしましたが、自分で思っていたよりも長い間、目を瞑り、しゃがんでいたためか膝と腰が強ばって動けず転んでしまいました。

 そして、僕にふれた相手をみました。

 そこにはさきほど熱弁をふるい、すべてをめちゃくちゃにした張本人がいました。そして隣には拝屋樹と女性がいました。

 他のひとたちは暴徒と化した生徒たちを止めるべく出払ったのか、それとも皆、博士に感化され同じく暴徒と化し、町の外へとむかっていったのかもしれません。

「やぁ、犬飼游君」

 老人に見下ろされながら声をかけられましたが、なぜだかほっとしている自分がいました。もっと怒るなり戸惑うはずなのですが、気持ちがどうにも操作できないのです。

「座りたまえ」

 促され椅子に座ると健康診断のときのように口を開け、喉の奥をみられたり、下瞼を引っ張られ眼球をみられます。あたりには椅子や、引きちぎられた紅白幕があるのに、なんだかそちらのほうが場違いのように感じていました。

「みえないか?」

 博士は訊きます。

 僕はどう答えていいのかわかりません。ただ、みるだけならみえています。けれども博士のみえないか? という問はまったく別のもののような気がしました。

 僕が返答に困っているのをみて博士はため息をもらしました。僕らや町のひとたちの人生をめちゃくちゃにした憎い相手のはずですが、期待に応えられない自分がひどく惨めでした。

「まだだめか……」

「博士、あれは外見が蛇に似通っていたため、ミシャクジと名づけましたが、別物の可能性も……」

 拝屋樹が博士と話し始めました。彼にはこの騒動も僕のことも本当にどうでもいいことなのでしょう。それよりも博士と話したいようでした。

「だが同種だろう? 人類は彼らと話す術を完全に失ったわけではあるまい」

「はい」

「それにしても時期尚早だったかな。第三成長期のなかには会話が可能な者がいたと思ったが……多くのひとを失った。まぁいい。今後、昼の者と夜の者の棲み分けは止めて町を発展させなさい。あと、あちらへの塞がれた道をなんとか拡げ、人を連れてくるよう……それと、キョウソ君は……」

 教祖と同じ発音でしたが、博士独特の響きで嘲るような音をまとっていました。

「私を欺こうとはしてないよな」

 博士はじっと拝屋樹の顔を見上げました。

 その視線は強いものでしたが、拝屋樹はさらりと「博士を欺こうとは……人類にはできません」と首をふり博士の疑問を否定していました。

「そうか」と博士は外へむかって歩き出し、拝屋樹も女性も、そのあとに付き従いました。

「そうそう、游君、君にきっかけというか、次の段階にいくためのヒントをやろう」

 博士は振り返り、僕にいいました。

「人類の認知機能は理解できないこと、不安定な状態から距離を置きたくなるのだ。あちらにいたときの癖のようなもので怪異を必要以上に恐れる。地球では本物の怪異はわずかしかないのにね。そして、起こった怪異はいずれ自らのところまで来るに違いない、と考える。(人類がまだ科学的視野を得る前の話だ)だから間接的に扱った。直接的に認知せずなにかに置き換えた。例えば『狐の嫁入り』のようにね。晴れているのに雨が降る『日照雨』というような言葉で言い表せばいいのに日照雨とは言い表さなかった。あえて狐の嫁入りという言葉をつかった。人類の歴史はそのような時期の方が長い。いまは去った忌まわしき何者かと距離を置くにはそれが一番いい方法なのだ。怪異をあらわす言葉すら怪異の一部だと認識する。実際そういう面もあるんだがね。さらに距離を置く方法を考えた。狐の嫁入りに代表されるように自然と人間との間にいる狐、それは人間が理解しえる賢い動物で自然界にいる者だ。つまり狐に日照雨という怪異の代弁者となってもらうことにより人間ははじめて怪異を理解できずとも受け入れることができた。君は狐だよ。私の傑作のひとつだ! あの第三成長期の猿人どもとは違う。人類の胎内(ハラ)から産まれたものは所詮、人類だ。君は人類の(タネ)を元に我々から産まれた冗談のような存在だよ。そもそも君ら人類は初めから知っていたな。神や上人は人の胎内からは産まれいでない。なぁ、拝屋」

 拝屋樹は静かに頭を下げました。

 僕はいまでも博士のいった言葉の本当の意味がわかりません。この言葉だって僕の記憶によるものです。はじめにいった通り、博士の言葉は多面的です。どうとでも聞こえる。いわんとする意味はわかります。ただ、僕が理解しきれないのです。またいつか思い出し、話してみようと思います。そのときまた違った角度から話の内容がみえてくるのかもしれません。

「狐、三匹のなかの一匹よ。神をみて、神に会え。私の代わりにな。そして彼の地への道を開けるのだ。億に近い年月、海が干上がり大陸になり、大陸が海に沈むのをこの目でみるくらい待ったのだ。おまえの人生くらいの間は待ってやる」

 博士は僕に歩み寄り、頭を鷲掴みにして目を大きく見開きました。その黒い瞳は瞳などではなく、そこには深淵があるのです。その黒い深淵は眼球全体に広がり、僕はそこに落ちてしまいそうな錯覚すら覚え、博士の手を掴み悲鳴をあげていました。

 彼のなかには人としての内臓は備わっていないかもしれません。ただ落ちていきそうなくらいの深く黒い深淵が広がっているのです。

「博士、彼の地に帰るんだったらその前に私を地球に帰してくんない?」

 あの女性の声に博士は僕を離し「そうだな。そのときが来たらな」と僕には興味がなくなったように外へ歩き出しました。

 今思えば博士に軽口を叩けるあの女性はひととしてなにかが欠けていたのかもしれません。いや、博士に話しかけることで、もしかしたら博士から僕を守ってくれたのかも。

 あのときの僕はそんなことを考える余裕もなく、その場に力無く崩れ落ち、ただ顔を覆って泣き続けるばかりでした。

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