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匣の街  作者: Mr.Y
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游と来るべき足音

 僕は高校生になりましたが、身体はやはり第二成長期で止まったままで第三成長期へと移行する気配はありません。入学式などの式典で同級生と並ぶのは惨めなものでした。第三成長期を迎え成長している同年代をみると僕は幼く、または虚弱体質のようにも思えます。けれど父親は「私たちの世代には第三成長期はなかった。游はきっと私たち世代の血が濃いのだろう」と慰めてはくれましたが、僕と同世代と学校生活をするなかで成長の差というものを事あるごとにみせつけられます。とくに体育の時間は苦痛でした。バカにされるのはまだましなのです。思いやられ手加減されるとプライドが傷つけられます。ええ、こうみえても負けず嫌いなので。そして怒りに任せてぶつかれば僕はちょっとしたことで怪我をしてしまいます。もはや同級生との絶対的な力の差に僕はいつも居心地の悪さを感じていました。久方さんがいっていた「自分はここにいるべき人間では無い」と思うようになっていました。

 もしかしたら僕の行っていた観察も(きっかけはこの町の隠している真実をみつけるためでしたが)この居心地の悪さによる現実逃避という見方もあるかもしれません。だからこそやめることはただ僕が惨めで孤独、しかも欺かれ続ける、ということを認めるようなものです。ですから投げ出せない。投げ出すのは簡単だったのにね。それでも投げ出さなかったおかげでたどり着けた発見もありました。

 それは三号棟撤去跡に新しくできた建物とかね。

 奇妙な高層ビルのような建物で、壁はなく階層ごとに鉄柵で覆われていました。見た目は……そうですね。立体駐車場のようにみえましたが、入口は車が入れるほど広くありません。一階にひとが二人並んで入れる入口があり、工場の出入口でつかわれる防風シートがかけられていました。

 外見は立体駐車場にみえますが、なにか特殊なものがつくられる工場にもみえました。そこに日々忙しそうに作業員が出入りし、運搬車や手押し車に干草のようなものが載せられて搬入されていくのです。そして階層ごとに一ヶ所、大きな出入口がありました。ええ、上の階にもトラックが出入りできそうなくらいの出入口があるのです。あきらかに一階にある出入口より大きく広いのです。そこから糞尿のようなものが滴り落ちていました。しかし異臭はしませんでしたから糞尿ではないなにかだったかもしれません。

 その奇妙な建物は僕の目には奇怪な多口の巨獣のようにもみえました。

 干草搬入や作業員の姿からすると、その建物はおそらくなにかの飼育場ではないかと思えました。

 僕はとりあえず話しやすそうな同級生をつかまえ、なにか知らないか、と訊いてみました。「町で新しい事業がはじまったのだろう。なにか豚や牛でも飼育してるのではないか」と何人かが興味もなさそうにいいます。たしかに一応、納得はできますが、なぜ郊外ではなく町中に建てる必要があるのでしょうか? 僕は別の理由があるのではないかと思いました。そしてなぜあの建物を誰も疑問に思わないのか不思議でした。

 僕は休日をつかって町を歩き、その場所を調べるとどうやら本当に七ヶ所できており(建物の形状はどれも同じものでした)そこは以前、公園だとか図書館、体育館などの公共施設があった場所でした。わざわざ町民にとって必要な公共施設を壊し、移転させてまで建てた建造物はいったいなんなのだろうと不思議でしたが、新聞にも広報にもその情報は載っていません。

 僕は父親にも訊いてみました。拝屋樹のことを訊いたとき、聞かなかったふりをしてくれたこともあります。ですから、なんとなくこの町のことは訊いてはいけないような気がしてました。父親は僕にはただなんの疑問もなく普通に過ごしていて欲しいと望んでいるように思えていたからです。ですが今回は好奇心に勝てず訊いてしまいました。

「やめなさい。そんなこと知らなくていいから」

 案の定、想像通りの言葉を聞かされました。

「僕は不思議がるといつもそうだ。お父さんは僕の好奇心を好きではないみたいだ」

「好奇心があるというのはいいことさ。けれどもこの町は余計な好奇心を持つと色々厄介なことを引き起こしかねないんだよ」

「なぜ? 厄介なこととはなんですか? 僕はなにもかも知らないのはごめんです」

 この言葉が父親がもっとも嫌う言葉だったかもしれません。幼いときの僕には大人になったらわかる、とか軽い嘘で誤魔化されていましたが、僕はもう高校生でした。大人ではありませんでしたが、もう子供でもありません。父親は困った顔をして「いつか教えなくてはならない日がくるから……どうかその日まで待ってくれないか?」と僕にいいました。誤魔化すわけでもなく、いい訳するわけでもない。ただの問題の先送りです。けれどもそれは僕を尊重した言葉でもありました。だから僕は父親の言葉を信じました。訊きたいことは建物のことだけではありません。たくさんあります。拝屋樹や教団、勇と翔、そしてぼくの母親のことを。

 父親の沈黙がいつか破られる日が来るでしょう。けれども僕の押さえつけられた好奇心はなくなりはしませんでした。ふとしたことで行動に移ってしまいます。

 ある日のことです。下校中に観察を兼ねてあの建物のひとつの近くを歩いていたときです。

 駐車場にトラックが止まっており、トラックの荷台から大量の干草を作業員がフォークスコップで運搬車の荷台に運んでいました。そのなかの気怠げに作業していたひとりがバランスを崩して転んだのです。

 僕はその作業員に「大丈夫ですか?」と駆け寄りました。作業員は皆、転んだひとを気遣っていましたが作業が押しているのか搬入作業の手を止められないようでした。そのなかのリーダーらしきひとが「ちょっと休んでいろ」と木箱が並んでいる場所を指さしました。

 その作業員はよほど体調が悪いのか歩くのもやっとそうなので僕は彼の肩を担ぎ一緒に木箱が並んである場所にいき、作業員を座らせました。

「ありがとう。体調が優れなくてね。この時間に働くのは久しぶりだったからかな?」と作業員は木箱に座り荒くなった息を整えているようでした。

 作業をしているひとたちをみると作業員は皆、目深に帽子をかぶり、ゴーグル付きのガスマスクをしています。具合の悪そうな作業員もマスクを外さず休んでいるのをみると僕は不安になりました。

「僕はこんな格好で大丈夫ですか?」

 僕は学生服を着ているだけだからです。

「ああ、これは」とガスマスクを人差し指でとんとん叩きます。「我々に必要なだけさ」といいました。

 ガスマスクの黒いレンズの奥にある目はみることができませんが、確かに彼は「我々」といいました。僕はとっさに「安心しました。じゃあ」と足早にそこを去ろうとしました。

「ちょっと君」

 後ろから声をかけられ、僕は思わず駆け出したい気持ちになりましたが「もう少し休みたいんだ。話相手になってくれないか? 話すふりでいいから、さすがにリーダーも君のような学生の前では仕事に戻れとせっつかないし、怒鳴らないだろうから」と手招きしています。

 僕は肌が粟立つのを感じていました。

「我々」ということは「僕」と彼はなにかが違うということです。「我々」は顔を覆うガスマスクがなければここでは作業できない、ということを彼は朦朧とした頭で口走ってしまったかもしれません。一方でただの言葉のあやかもしれません。しかし走って逃げても彼が第三成長期を経ているひとだったのなら僕はすぐに追いつかれてしまいます。

 ですから僕は木箱に座る作業員の隣で立ったままで、かつ不自然でないように壁に背をつけ、いつでも駆け出せるように目は道路をみて話ました。

 僕の心配とはよそに彼の話はごく普通の会話でした。

 君はいくつだ、どこの高校だ、将来なにになりたい、こんな仕事はつくんじゃないぞ、と次第に仕事の愚痴にかわり「やんなっちまう。なんでこんな時間に起きて、あんなものを飼育しなければいけないのか」という話になりました。

「ここはなにを飼っているんです?」

 やはりここはなにかの飼育場だったのです。僕はなにを飼っているのか訊きたくなりました。しかし、作業員はもうその頃には疲れが抜けて頭がはっきりしてきたようでした。

 彼は深呼吸をすると「……いつかわかるさ」と、その声色はひどく冷静で自分が口を滑らしたことを自覚しているようでした。

 そのとき建物の上から法螺貝のような壊れたトロンボーンのような音、またはそのどれとも近く違う機械音が……いや、なにかの鳴き声と階層ごとにある出入口から青白い発光があり、夕焼けの空を一瞬照らし、嗅いだことのないすえた臭いがあたりに充満しました。

 彼は僕の肩を叩くとビルの角を指さし、背中を叩きました。おかげで僕は一目散にビルの角、作業しているひとたちからみえないところに隠れることができました。

「ナンバー六三、作業に戻ります」

「あの高校生は?」

「すでに帰りました」

「よし! では搬入に入れ、あとの者はトラックへ」

 作業員の彼は運搬車に乗り込み、建物のなかへ入ろうとしたとき、また光と鳴き声、臭いがしました。そのとき、運搬車に積まれた干草の一部がうねうねと動きました。作業員は面倒臭そうに角スコップを持ち出し、動いた干草を思っきり数回叩くと干草は弱ったようでした。

 干草は干草でなく、なにか線虫のような生物なのでしょう。

 僕は建物のなかが気になりました。

 あの干草を食べる生き物はなんなのか? なぜ光、鳴くのか? こんな大きな建物が町内に七棟ある。どれだけの数の生き物がいるのか? どうして飼い始めたのか? ここにいる生き物はどんな姿をしているのか?

 周囲にはさきほどの搬入作業が終わり、誰もいません。

 出入口には監視カメラもありません。

 僕はゆっくりと防風シートをめくりました。

 そこは嗅いだことのない異臭と生暖かさに満たされ、空調設備か、それとも飼育されている生き物の息遣いなのか、空気が音をたてて震えていました。そして外界とは遮断された異世界のような闇があるばかりで、防風シート越しの光が足元だけを照らしていました。

「やはり来たか」

 あの作業員の声が聴こえました。

 中は暗く、目はなかなか暗闇に慣れずなにもみえません。そして声が建物内に反響し、前から聴こえるのか左右どちらから聴こえるのか、近くにいるのか遠くにいるのかさえもわりませんでした。ただその声はよく通り、あのガスマスクは外されているように思われました。

「みたいか?」

 僕は可能性として一切合切、建物のなかのなにもかもをみることができました。しかし、僕は結果的にみることも知ることもできなかった。知見を得るには代償を要求されるのがわかっていました。普段通りに生きるならなにも代償を要求されない。少なくとも要求されてはいない。ここを知るということは勇と翔、久方さんと同じ運命を辿ることになるような気がしました。彼らは僕の知らないなにかを知っていたから僕の目の前から消えた。

 ……僕はおそらく臆病者なのです。危険を冒す勇気がありませんでした。彼は僕に親切丁寧に色々教えてくれたかもしれない。けれどもあのときの僕は好奇心より恐怖心が勝ってしまい、僕は逃げ出しました。彼から感じる雰囲気は『夜の住人』そのものだったからです。


 この町の違和感を調べればなんらかの代償を払わなくてはならないようです。これが▽町の不文律なのかもしれません。父親はそれをひどく恐れていました。ですが違和感は七つの建物のように日常に侵食してきていました。そしていつかは違和感そのものが町全体を覆う日がくるようでした。そのときやはり代償は払わされるものでしょうか。それとも違和感が日常となれば、それはもう日常であって慣れ親しむものなのでしょうか。そのことを考えると久方さんを思い出します。彼の老い疲れた顔を。

 僕はあのとき作業員の声に逃げ出したことを後悔しています。みておけばよかった、と。

 どうせ、違和感は町全体を覆い、隠されていたものは堂々と姿をみせるのだから。

 久方さんは真実の足音は忍び寄るようにしてやってくるといいました。けれども真実の足音は忍び寄るようには来なかった。最初は足音立てずにひっそりと来ていたのかもしれない。そしてそれはいつの間にか僕の周囲を取り囲んでいました。それが僕の視野に入るなり巨大な地響きをたて、あたりを揺らしながら迫ってきました。そして自らこそが真実だと、日常だと、欺き、脅迫し、従うよう強要してくるのです。

 そのときにはもう僕に逃げ場はありませんでした。


 三年生の卒業式のときです。

 高校の体育館で僕は不思議な方の姿を目撃しました。それは顔は深い皺の刻まれた老人でしたが、背中はまっすぐ伸び、行動は年齢を感じさせないどころか、力強く若々しい。本当に年齢がよくわからない方でした。そして耳が側頭部に沿うようにあり、正面からみれば耳の存在を忘れてしまうくらいでした。そして頭髪がまるで最初からないような頭ですが、つるつるではなく頭にも表情筋があるかのように皺がありました。その人はそもそも体毛がないようにも思え、その姿は僕に爬虫類を連想させました。

 そのひとが檀上に上がり、町長のかわりに祝辞をいうのです。

「▽町代表、拝屋樹(オガミヤ イツキ)様」とアナウンスがあり、拍手がおきます。僕は驚きました。探していた人がすぐ目の前にいるのです。

 このひとが▽町に人を呼び寄せ、いまの形にしたのです。そして久方さんがいままでの人生を捨て、彼に着いてきて、後悔し、疑っていたひとでもありました。

 そのひとは異貌ですが、ごく普通の言葉で卒業生に祝辞を述べ、一礼をし、檀上から降りようとしたとき、目を見開き、体育館の出入口をみました。

 皆が気になり、後ろを振り返るとそこには▽中央病院の医院長と二十代のメガネをした女性が入ってきていました。

 そしていま、卒業式をやっている最中なのを意に介さないように真っ直ぐ歩いてきました。

 老人は普通の老人のようで痩せており、はるか昔に髪の毛はなくなったような頭をしてました。気難しげな口元に額の眉は不機嫌そうに寄せられ、彫りの深い顔のなかの目は深い知性を感じさせました。

 二十代の女性はショートボブの似合う丸顔で柔らかな印象でしたが、近くでみると視線はキツくまるでなにもかもを見下しているようにみえました。

 ふたりは歩き檀上に向かうと、その歩調にあわせるよう次々と生徒は頭を下げます。それこそ独裁政権が保持する軍隊のように整然とかつ深々と。

 ひょっとしたらなにも知らないのは僕だけで皆知っていたのではないか、と愕然としました。

 けれども愕然としたのは僕だけではありませんでした。保護者たちも先生方もざわめき、なぜ突然、▽中央病院の医院長が卒業式にあらわれたのか誰も知らないようでした。

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