ララとUFO、やがて小説
私が家を出て借りたアパートは結局は△市内だった。
家から出てひとり暮らしともなると色々出費が痛いが仕方ない。だが悶々とした気分もいくらか晴れる。
「ひとりで暮らすと色々物入りねぇ」とキキがどこかで聞いた台詞を得意そうにいってきたので「ちぇっ、ちぇっ、気取ってやんの」と合わせられるくらいの余裕も出てきていた。
そして職場の樹脂工場へは歩いていける距離になった。出勤にも車を使わなくてもすむくらいだ。これでガソリン代は浮くが家賃がかかる。けれど車は手放したくはない。あればさらに駐車場代や保険代、自動車税だってかかる(ローンだってまだ残っている)が田舎の生活には車は移動手段として必需品だし、人生には車を愛する潤いも必要だ。ああ、私のかわいいキャンパスちゃん(カラーはシャインホワイトとアプリコットピンクのツートンカラーだ)は買い出しと週末のお出かけ以外、駐車場で日光と風雨にさらされ続けるとなると心苦しくもなるが仕方ない。いまはこうやって家族と距離をとって心の澱をとり、静かに自らを見つめ直すのだ。二十数歳にして自分探しなんてダサいことこのうえないが、そこは女は面子だ。唐突にひとり暮らしがしたくなった、と家族にはいっておいた。キキは「ふぅん、そうなんだ」と、こともないようにいったが、なんとなく私の考えを見透かされているようで静かなくやしさを感じた。そして両親は「わっかる。そういうの私もあったなぁ」とか「やっぱり俺の娘だ。人生一回は孤独な一匹狼になりたいときだって……」などと思い思いに私の心情とはあさっての方向を口にしていたが、説明するのも億劫だし、なんだかその気楽な口調にくやしさのような怒りのような、なんともいえない気持ちになり、ますますひとり暮らしへの決断は正しかったと思うようになっていった。
そうそう、借りたアパートの一室は意外なほど格安だった。不動産屋で「この辺でコインランドリーとコンビニが近くにあって、WiFiが整備されてて部屋はきれいで道幅が広くて格安なんて都合のいいとこなんてありませんよねぇ」と冗談混じりに私の正直な要望をいったら「あるにはありますが」と難しそうな顔で紹介されたアパートだった。なんでも訳あり物件で、その正式名称は心理的瑕疵物件というらしい。借りた人が自殺や他殺などがあった部屋ということで安いらしいがいまの私にとっては安かろうよかろうだ。一通りの説明を訊いたのち、不動産屋のおばちゃんはのぞき込むように私の顔をみて「どうでしょうか?」といわれて、私は「ああ、それでいいですよ」とさらりといった。おばちゃんは珍獣でもみるかのように目を大きくしたが、そこはプロなのだろう。声色は変わらず「では自殺のち行方不明が出た部屋とガス爆発で事故死した部屋がございますが」と選べる二通りのメニューまで用意してくれた。しかもその場所は隣部屋同士らしい。呪われたアパートかよ、と心のなかで呟きながら家賃をみたら自殺のち行方不明の部屋ほうが安かったのでそちらにした。ガス爆発のほうは内装をリフォームしたばかりで若干、高いからだ。
部屋が決まり契約書にサインやら押印すると「ありがとうございます。一回住んでもらうと心理的瑕疵物件ではなくなるからこちらも助かるんですよ」と、私にはこういうことを話しても問題ないと思ったのか肩の力を抜いて正直に話し始めた。私が住むことによって禊になるとか、まるで私が神さまみたいじゃないか。心霊的なものにはとんと興味がわかない私にとってここは訳あり物件でもなんでもない。ただの優良物件だ。第一、呪いだとか霊だとかいっても人のほうが怖いだろう。だって日々、ニュースを賑わすのは人と人の揉め事ばかりだ。人とおばけの揉め事はごく少数なのか、あっても些細な出来事なのか、もしくは私たちの知らないところで示談が成立しているのか、人とおばけの揉め事は話に聞くだけでニュースにすらならない。
話は変わるが、私には人にいえない趣味がある。
ひとり暮らしになるのでその趣味にもいままで以上に楽しめるだろう。
人にいえない趣味、といっても反社会的な行為や特殊な性癖などではない。想像への没頭、幻想への飛翔、理想の現実化……もったいぶらせて申し訳ないが私の趣味とは単純に小説を書くことだ。
またまた話は変わるが(なぜこっそり小説を書いているのか、という説明になるが)、私の家族はオタク文化を嫌っていた。むしろ憎んでいたといっても過言ではない。それこそ南アフリカ共和国のアパルトヘイト政策下における白人が黒人を見下すかの如くだ。それは両親にとっては社会的通念に近く、私たち姉妹が中学にあがる頃にはアニメや漫画が一切禁止になっていた。私たちも成長の過程においてそれが必要不可欠かつ普通だと思っていたし、校内のオタクは幼児性の抜けきらないやつらで、それこそアパルトヘイト政策下の白人のように見下し、明確なラインを引いて接していた。むしろそこになにかしらの優越感さえ感じていた。けれど高校のときに現代文に夏目漱石の『こころ』が出てきたときだ。そのときの衝撃といったらなかった。授業で先生がいっていることなど耳に入らず小説の世界にのめり込んだ。私はどこをどう読んだらそうなるのか、いまでは説明がつかないが、この話は一人称で語られる私とKの恋愛に読めてしまったのだ。センシティブな同性間純愛小説(また私とKは自身たちの思いを恋愛とは気づいていないもどかしさよ!)を見事な文章で綴って、主人公に打ち明けている。そんな美しくも耽美なものを授業でやるなんて大概にしてくれ、と叫びたかったが、静かに授業を受けるしかない。そして、授業で取り扱う文章は小説の一部であることに気づき、生まれて初めて図書室で本を借りた。そのときの受付の同級生の図書委員と目があったのを覚えている。そいつはメガネ越しに熱い視線を私にぶつけてきたのだ。「同志よ」と。私はその瞬間、気づいた。多くは語らない。ただアパルトヘイト政策は人道にもとる下劣な政策であり、人に優劣などはないのだ、と。あるのは、いかに人生明るく楽しくテキトーでハッピーにおくれるか、ということだけなのだ。しかし、私はそれを公はできなかった。私の生きてきた大半はアパルトヘイト政策を盲目的に信奉していた白人のような有様なのだ。その十字架を背負っている。どの面下げて「人類皆平等」と叫べるのか、と。ただ相手は私の気持ちを察してくれてはいたようだ。『こころ』を返すときにそれとなく『山月記』を私の手元に置いてくれた。(『山月記』大変美味しくいただきました)私は迷うことなくその本を借りた。私は虎だった李徴であり、図書委員の彼女は虎だった私を人としてみてくれた袁傪だったのだ。 その後も卒業するまで図書室の受付コーナーで視線の交差だけで行われた同志との無言の熱いやりとりはいまでも青春の宝物なのかもしれない。
いや、いいたいことはそういうことではあるが、そういうことではないのだ。ただ文学作品に劣情を見出す特殊性癖の吐露になってしまってないか心配だが、そういうわけではなく、それはあくまできっかけというだけであって、なんというか、そういう思春期の気の迷い的な、あるいは生来持ち合わせた女性目線で美しいものを愛でる性癖はなりを潜めても、私の心を掴んだ趣味自体はなくなりはしなかった。私の小脇には常に小説があったし、いまでも暇つぶしにスマホを開くときは文章を読む。
そのときはたと気づいた。
キキが猛勉強をしたこともあるし、私だって満更、頭が悪いわけではない。両親がヤンキーだったのは単純に自分たちの思う、かっこいいとか、かわいいとかを追っていただけなのではないか? それを追うのに必死で勉学が疎かになって、学歴が振るわなかっただけで実は頭は良かったのかもしれない。だいたい、いまのご時世に小さいながら会社を立ち上げて、キキが入ってくるまで知恵とカンと度胸で一家を養いつつ会社をまわしていたのだ。
ふむ、と私は考える。
両親もできたのだ。なにかしら私も自分の才覚を見出し、一攫千金を狙おうかと思った。なにができるかわからないが、きっと私もなにかできるはずだ。そして車をキャンパスからフォルクスワーゲン・ミニへとグレードアップして愛でてやろう。
数ヶ月前、仕事後の倦怠感をそんな思いで癒しつつ、さらにひとり暮らしへの思いをつのらせながら、ネットで物件を検索していた。結局、スマホの画面だけではパッとしない。実際の物件をみるしかないか、と疲れた目を擦りつつ、窓をみた。五月末の空は夕闇に沈みつつあって、空を彩る最後の光は今日一日の終わりを名残惜しむように雲を紫色に染めるばかりだった。それはいつもと同じ風景だった。気にとめるほどでもなく、スマホを充電しようとしたときだった。目端に光をみた。慌てて窓の空を見直すとそこには雲を照らす弱い陽の光とはあきらかに違う光があった。
「UFOだ」
私は呟いていた。
重くたちこめた黒雲を照らしながらいくつもの発光体が初夏の夜に舞う蛍のように△市の空一面に飛び交ってしだいに増えていくのだ。最初、私はストレスかなにかで自身に問題が起こり、認識が狂って、目に映るはずのないものをみてしまったのではないか、と疑った。それくらい現実離れした光景なのだ。しかし、部屋から見える道の車は止まり、車窓を開け皆々は指を指し、あるいはスマホを向け、空を行き交う発光体に驚き慌てている。どこかで慌てすぎた誰かが救急車や消防を呼んだのかもしれない。遠くでサイレンが聞こえた。私は身を乗り出して空を見上げた。
そこには明滅する光の乱舞があった。銀河の星々の光がそのまま降りてきたような。その一光々々は絡み合い、あるいは編隊飛行をし、多数に分裂したかと思えば、多数の光がひとつに収束し合った。それは機械を思わせる無機的な運動だけでなく、クラゲや蛍のような有機体を思わせる動きをするものもある。この世のものでないかのように、またはこの世を超越したものであるかのように飛行し、地球の大気や重力を嘲笑うかのように振る舞い、夕闇に沈む△市の街全体を日光とは違った青白く冷たい光で照らしながら、△市中央の空に集合し青白い不可思議な天体になり、しばらく見下ろしたかと思えば、信じられない速度で東の空に消えていった。
私は慌ててスマホを空に向けたが、もうすでに空には光るものは一切残っておらず、ただ雨がぽつりぽつりと降り始めていた。
私はさきほど空にあった光景に興奮していた。
現実離れした現実がいまさっきまで空にあったのだ。あんな不思議な光景は一生に一度もみることはできないだろう。そして、もしかしたらみたことのある人たち以外信じてすらもらえないだろう。そのとき私はそのUFOの正体に思いを巡らせるのではなく、なぜだか小説を書かなくてはならない、と思った。話すべき理由も理論建てた思考もない。ただ生まれて初めて小説を書かなくてはならないと決心したのだ。
私はあのとき空を切り裂かんばかりの雷と屋根を叩きつける雨音を眠りのなかで聴きながら、その決心を私の魂は静かに受け入れていた。
その後、やはりUFOのことはみた人以外誰も信じず、あれは特殊な気象現象だと様々な考察や理屈をつけ始めた。最初はそんなはずはない、とみた人は皆、動画や写真を取り出しては説明したが、説明しても科学的に論破されるだけだった。そうするとみた人すら、そういうものかもしれない、と次第に思うものらしい。あるいはあきらめて自らの殻に閉じこもってしまった。もしかしたら人は理屈では通らないものは理解できないのかもしれない。そして理屈で通るものはすんなり受け入れるのだ。ネットやSNSで盛り上がったUFO論争は一ヶ月後には誰一人語らなくなっていた。
そんななか私はひとり暮らしの準備をしながら執筆を開始した。
小説はスマホで執筆した。仕事の休み時間にでも家の居間にいるときでも気楽にできる。オタク文化を嫌っていた両親にも気づかれない。私は私の書く小説といったら特殊な家庭の話だとか、恋愛ドラマとか、ミステリーかと思っていたが、結局、書き上がったものはSFだった。失恋した青年と試作品のコールドスリープに実験台として飛び込んだ彼の曽祖父の話だった。曽祖父は未来の地球を出歩き、青年はその道案内をしながら自身の失恋の傷と向き合うというロードムービーのような作品だ。UFOがきっかけで書くには、どうしてこんな小説を書いたのかと、我がことながら理解に苦しむ。私の家庭環境だとか、思想とか、そういったものも表立っては反映されていなかったようだ。そんな物語が私のなかから出てきたのに驚きながら、考える間もなく次々と書いていき、今度は誰かに読んで貰いたいという欲求すらでてきて『小説家になろう』というサイトに投稿した。少しアクセスがあっただけだったが誰かが自分の小説を読んでくれたのだと思うとお礼がしたくなるほど嬉しいし満たされた。
楽しい、と素直にそう思えた。
そしてなぜ自分がこんな話を書くのか不思議だった。ただスマホで文章を打っているだけで淀みなく話が湧き出してくる。頭のなかは文章的になった。少しぼうっとしてるように他人にはみえていたかもしれない。それは仕事や生活をしながらでも意識のどこかで物語が進行しているからだ。
高校の頃、あの図書室の同志も普段はぼうっとしたやつだった。いまではどうしてだかわかる。彼女の頭のなかにも物語が溢れ出していたに違いない。
私はコンテストに何作品か応募してみた。
そしてひとつの作品が一次選考を通過した。
死病を患い余生を過ごすために火星に訪れた人、絶滅言語で歌われる歌、火星に咲く花、壊れたアンドロイド……暗喩に満ちた小説だった。
しかし一次選考止まりで二次選考には残らなかったが、私はほっとした。私の小説は決して自己満足だけで終わっていないのだと。
なんのための小説なのか、なぜ書かなければならないのか、書いた先になにがあるのかまるでわからないがとにかく書き進めていた。
家族と距離を置き、ひとり暮らしを始めると執筆活動は加速した。ひとり暮らしは私の執筆活動にも精神的にも、そして生活にとっても充実したものだった。炊事洗濯掃除などの家事にわずらわしさを感じなかったからだ。そういう日常を丁寧にすることによって、頭のなかの雑多に溢れ出してくる物語は補強され再構築され、小説となってゆく。
しかし、十月のある日、ぱたりと小説が書けなくなった。頭のなかの物語は相変わらずとめどなく湧き続けている。まるで岩清水のように滾々と。それを私は制御できなくなっていた。日常生活の様々なことでは足りないと感じていた。もっと私生活だけではなく、周りを知らなくてはならないと思った。そして気づけば取材していた。取材といっても休日に出歩き、図書館や博物館などの公共施設の職員に話しかける程度だけだったが、新しくなったばかりの公共施設だから話題には事欠かない。そして仕事場でのおしゃべりにも夢中になっていた。つまるところ私には小説を書くということは周囲のなにかしらを材料にして再構築してゆく作業なのかもしれない。そしてその流れから生活感の溢れるオカルト小説ができつつあった。
そう、あのUFO事件の話を書くときがきたのかもしれない。そして、あのとき前後には△市にオカルティックな事象が次々起こっていることに気づいた。世間話、噂話、ネットのなかから次々と出てくる。
さらにそれをまとめようとしていた人物もいたのだ。オカルト雑誌MUにあった日常系の小さな記事をあつかっていた『南魚文』という人物だ。
△市に起こっていた様々な出来事を追うと南魚文に行き着き、すでにMUの記事にさえなっていた。地名は伏せられていたが、あきらかに△市の住人ならばこの周辺だとわかるような内容だ。それはなにかの示唆なのか、ただ南魚文の性格による脇の甘さなのかはわからない。
そして、調べていくうちに彼はUFO事件後に記事は終了していた。私はMU編集部に電話をし、あのコラム記事のファンだと名乗り、あの記事の連載はどうなったかと訊いたら、彼(どうやら『南魚文』は男性のようだ)と連絡がつかなくなり、家族に連絡したところ行方不明になっているらしい。その後のことは編集部にもわからないとのことだった。
もしや、と思う。
私のいま住んでいる部屋の行方不明になった住人はこの『南魚文』だったのではないか、と。
個人情報なので探偵でもない私には調べようはないが、なにか確信めいたものがあった。そしてそのあやふやな情報は私の小説の糧になりさえする。
私は休日を買い出しや取材で費やしていた。
車のなかでMU編集部への電話が終わり、メモ帳にいま話したことをメモすると買い物袋を持って帰宅した。
しかし、おかしなことにドアに鍵がかかっていない。確かにでかけるとき戸締りはきちんとしたはずだった。
これはスペアキーを渡しておいたお母さんが来たのかも、と玄関に入り「ただいま」といった。
「おかえり」と返ってきた声はお母さんとは違っていた。
「お邪魔してるよ」とキキが梨を切り、皿にのせていた。
なんとなくキキはわたしの心を逆撫でする。その原因は同じ顔だからだろうか? それとも姉妹だからだろうか?
「梨もらってさ。ララ、梨好きじゃん」
「ありがとう。これ、秋月?」
だが好物をもらって悪い気を起こすやつはいない。私は遠慮なくひとつ食べた。確かに私は梨が好きだ。この梨は甘さより瑞々しさが勝っているし、わずかな酸味がきいて、果肉が固めの食べやすく美味しい梨だった。
「うん。あ、いや、幸水? 豊水? いや、二十世紀か。やっぱり秋月ていってたかも」
「この辺でつくられてる梨、いま全部いったよね」
「みんな同じじゃん。甘くて美味しい」
頭がいいくせに私よりも適当なところもイラつく。
「それより灰皿ある?」
キキはバッグからポッキーみたいに細いタバコを取り出し、口に咥えながらいった。
「ほらよ」
「サンキュー」
灰皿をフリスビーのように投げて渡した。私の粗雑なところは両親譲りなのかもしれない。私はタバコは吸わないが両親とキキが吸うので灰皿は用意してあるのだ。
キキはタバコを吸いながら部屋を見渡し、ひとり暮らしって楽しそう。でも炊事洗濯とか面倒いよね。ああ、この子供のころの家族写真とか懐かしい! とか変に明るく振舞っているのがわかった。ウソをついているときのキキの癖のようなものだ。こうやって私の様子をうかがっているのだろう。
「私んち来たの、梨もらったからだけじゃないでしょ?」
面倒くさいので単刀直入にいった。
「はぁ」とキキはため息をつき「なんか心配になっちゃってさ」と私から目線を外した。
なんだ、その告白前の男子のような態度は? 高校のときに私にもこういう瞬間があったなぁと甘酸っぱい気分になった。まぁ、キキのことだ。どうせしょうもないことをいうのだろう、ともう一切れ梨を頬張りながらキキがなにをいうのか待った。
「……月空リリ先生の更新がストップしてるから気になっちゃって」
『月空リリ』なんのことはない。私の小説家になろうでのハンドルネームだ。名前が星野ララだから適当に月空リリにしただけの話で深い意味はない。
「ふぅん」
私はもう一切れ梨を一口食べると固まった。
「いまなんつった?」
キラキラと尊敬の眼差しでみつめるキキに私は思わず聞き返していた。