星野ララのハッピーライフ
私はサンリオのキキララについてちょっと詳しい。彼女ら姉妹の身体は月と同じくらい巨大だとか、キキはララのつくったホットケーキが好きだとか、基本的なことは知っている。キャラクターへの興味や好悪とは別に嫌でも詳しくなった。いや、ならないほうがおかしいかもしれない。だって私の名前はララ。双子の姉の名前はキキだからだ。
キキララ姉妹、とこれだけ聞けば、さぞや仲の良い双子の姉妹だろう、と想像してしまうかもしれないが、私たち姉妹の仲はあまりよくない。
鏡合わせのようにそっくりなふたりが不仲な理由は私たちの間にあったようには思えない。その理由はお母さんにあったのかもしれない。私たちにお気楽にキキララという名前をつけ、しかもかわいいもの好きでなにも考えず、行動してしまうせいだ。それは些細なことだろう。しかし些細なことが積もり積もってかけ違えたボタンのような仲になった、というのが私の考えだ。ほかにも色々あるだろうが、ただ決定的な姉妹不仲の原因はこのキキララという名前にあったのは間違いはないと思っている。
知っているひとは知っていると思うがサンリオのキキは男の子という設定だ。幼いとき姉はそれを知ると不機嫌になった。しかしお母さんにいわせれば「キキといったら魔女の宅急便じゃない」と、サンリオのキャラクターから名前をとったにも関わらず、設定については頭になかったらしい。おそらくキキララは水色のショートカットとピンクのロングヘアの姉妹と思っていたのだろう。しかし不機嫌そうなキキの機嫌をとるようにとっさに思いついたのか「キキといったら魔女」とジブリだったか角野栄子の小説のキャラクターをもちだした。姉は釈然としないまでもとりあえずは納得したようだった。
お母さんにとっては細かいことより、名前の響きやかわいらしさが重要らしい。だからあまり考えず男の子のキャラクターの名前を姉につけてしまったのだろう。それは幼いときのキキに少なからず影響を与えてしまった出来事でもあったかもしれない。そんな些細なことは人生に影響を与えるほどではないだろう、という方もいるかもしれないが、幼いときというものはその身体と同じで、なんでもかんでも身の回りの出来事は大きくみえ、大人にとって些細なことも幼い子には衝撃的だったりするのだ。そして大人になるとその身体の変化したスケールと同じであのときの衝撃は振り返れば些細な出来事としてしまえるように。そしてすっかりと幼いときの感情を忘れてしまう。
話を戻そう。ちなみに私たち家族の姓は星野。私、星野ララに姉の星野キキ。姓名合わせてかわいらしいキラキラネームなんてそうそうないだろう。そしてそんなキラキラネームを平気でつける親なんていったいどういう親なのかなんとなく想像はつくだろう。まぁ、そういう家庭だ。
お父さんはバリバリのガテン系で解体作業員をしていた。私たち姉妹が幼いころは市営住宅に住んでいたが、私たちが中学校に入学するころには独立していたようだ。お父さんは「お金がない」と日々なかば口癖のようにいいつつ、独立とともに市営住宅から新築の一戸建てに引越したし、私たち家族も本気で貧乏をしたことがないので、かなりやり手なのだろう。自慢は左太ももの内側にある五百円玉大の根性焼きと背中いっぱいに彫られた錦のように見事な鍾馗様だ。根性焼きはなんでも高校のころ自分にどれだけ根性があるかどうか知りたくてタバコを束にして火をつけて思いっきり当てたらしい。私たちが小さいときはパンツをめくりあげ(当時からみたくもなかったが)その醜く大きな火傷跡を自慢していたものだ。そして背中の鍾馗様は大人になったとき記念にいれたらしい。記念に、と一昔前の反社のひとの真似をするという意味がわからないし、真っ当に生きているのに反社と疑われたら色々社会でやっていくのは難しいんじゃないかと心配になる。記念どころか一生消えない彫物を背中いっぱいにいれ、背負ってゆく気持ちもわからない。ただ私たち家族はそのわけのわからない極彩色の鍾馗様に支えられている。
お母さんといえば常に金髪にしていて(仕事が忙しいと染めにいけず、いわゆるプリン状態になっていた。もともと茶色がかった髪色のため、なかなかいいカラメル具合のプリン状態になる)もう四十路なのにヤンママ気取りだ。一回もう金髪なんてやめなよ、といったことがあるが「私ね。本当はアメリカ生まれで金髪なの」と日本国N県△市生まれのおばちゃんに真剣な顔でいわれ、私は呆気にとられた。お母さんは自身の思い描く本当の自分と現実の乖離を金髪にすることによって埋めているだけなのかもしれない。そうなれば私に口出しする権利はないのかもしれない。これが性自認とかだったら事はもっと複雑だ。いや、そうなれば私たち姉妹も生まれなかったのだから金髪くらいいいのかもしれない。そして「だって金髪ってカッコ可愛いし」と満足そうにいっていた。歳をとってもまだまだ金髪を続行するらしい。彼女のなかの自分がそうだから仕方ないのだろうが、金髪のおばあちゃんというのはどうかと思うのは私だけだろうか、もう少し年相応になって欲しいと願わなくはないが、この人は人として年相応に成熟することはなく金髪おばあちゃんになっても明るくハツラツと楽しいものとかわいいものを愛し続けるのかもしれない。ただ仕事に関してはいたって真面目でお父さんの仕事の事務をしており、仕事の手配や請求書、見積書など書いたり、たまにお父さんや社員に代わって重機に乗ったりと縦横無尽に動き回っていた。
うちは小さな解体作業会社だ。社員はお父さん、お母さんを抜ければ社員ふたりだけだ。おそらく大きな会社の下請けをしているのだろう。
そんなヤンキーあがりの夫婦が結婚し、賑やかで荒っぽい家庭で私たち一卵性双生児の姉妹は育った。
ある日、キキが宣言した。
「私、△高にいく」
中三の春、市内屈指の進学校にいく、といきなり宣言したのだ。私には訳がわからなかった。そんな必死に勉強しなければ入れなそうな学校になぜ入るのか、と。もっと楽な高校に入って明るく楽しくテキトーでハッピーな学園ライフを楽しめばいいのではないか、と思ったし、現実、私はそういう学園ライフに憧れて必死に受験勉強をしなくていい△商業高に決めていた。キキの宣言に家族も呆気にとられているだろう、とふたりの顔をみるとまんざらでもなく、むしろ微笑ましい顔でキキをみていた。お父さんにいたってはその言葉に満足気に頷いて「やっぱ俺の娘だ。根性が違う」とやたら関心していた。
一卵性双生児とはいえ違いが出てくるものだ、とそのときはのんびり思っていた。
その後、キキは必死に勉強をした。もう生まれ変わったかのようだった。私に比べ内気で大人しい性格だったせいか勉強というひとりで黙々としなければならないことに性格的合致があったかもしれないし、このころから私に対しての対抗心に身を焦がし、実現に向けていたのかもしれない。
そうなのだ。キキは私を疎ましく思っていたのだろう。幼いころ写真館に連れていかれて家族で記念写真を撮った。その写真はいまでも私の部屋にある。その写真にはショートカットのキキにロングヘアの私、その間にお母さんがいて後ろにはお父さんがいた。ふたりの双子は白いドレスを着せられている。そして腰にはキキにはブルーのリボン、私にはピンクのリボンがあった。キキララのイメージで撮ったのだろうというのは訊かなくても想像はできる。そのキキの顔はぎこちないつくられた笑顔だった。
おそらく嫌だったのだ。文句をいえば、お母さんにいいくるめられる。家族の和というものある。釈然としないまま写真に写ったのだ。きっとキキは男の子ではなく女の子としてかわいがられたかったのだろう。キキというイメージで写真に撮られるのが不本意だったのだ。
△高に入学するとさらに勉強に励み、N経済大に入った。なにが彼女をそこまでさせるのかわからなかったが、両親は自分たちが学業で振るわなかったせいか、勉学に励むキキに対して尊敬の眼差しでみるようになった。そして、キキは卒業後、家に入った。つまり星野解体屋に就職したのだ。
血というものだろうか。キキには年配の親事業者と解体作業業務でやり合う根性も爆音を轟かせる重機も臆することなく扱った。
私はといえば△商業を卒業後、近所の樹脂製品工場に就職した。明るく楽しくテキトーでハッピーな学園ライフなんて三年で終わった。振り返ってみればあっという間で、待っていたのは日々ずっとパソコンのまえで事務仕事をして、繁忙期には工場でタッパやピーラーなどのプラスチックの製品に不具合がないかみる検品作業だ。おそらく一週間で自分の人生で使うであろうプラスチック製品をみたし、一ヶ月でこの町全体で使うであろうプラスチック製品をみた。しかし何年経ってもプラスチック製品は大量につくられ続け、また大量に売れていく。町工場の一社でこれだけつくり、さらに市内に三件ある。国全体ならもっと工場があるのだ。世界のどこにこれだけ大量のプラスチック製品の需要があるのだろう、と不思議な気持ちで仕事をしていた。
そんなころ、キキが卒業と同時にわが家に就職したのだ。私は日々、無目的に仕事をし「仕事とは人生において金銭を得るための必要悪」と達観していた。しかし、キキは違った。私とは明らかに違う仕事への情熱は眩しいばかりだった。
経営に関しては素人で人づてやら本やらネットを駆使して手探りで会社を運営していた両親とは違い、体系立てられた経営というものを勉強してきたキキの戦力は計り知れないものだった。あっという間に従業員は十人ほど、重機も何台か買い増すまでに成長した。
そのころから家族はキキを中心に回り始めた。
両親はキキと話したがり、また経営に関しての相談を常にキキを頼り、キキもまたフットワークが軽くどこへでも商談へいっていた。△市で図書館や体育館、団地などの公共施設の老朽化、耐震性が問題となり、解体作業会社の出番となったが、なぜか市内の解体事業者ではなく、東京の会社である凹凸建設に一任されたが、キキは△市の業者で唯一、凹凸建設から何件か仕事を引っ張ってきたりもしていたようだった。
私はそういう話ばかりしている家族に嫌気がさした。というか、家族と一緒に住んでいても誰とも話す機会がないのだ。つまり、なにがいいたいのかといえば、私は家に居場所がなくなったのだ。
思えば幼少のころ、キキがそうだったのかもしれない。似合わないショートカットにさせられ、やや暗い性格だったせいか、楽しく愛嬌があり、少しわがままな私のほうがかわいがられていた。そして、キキはあまり自分から話さなかった。いや、話さなかったのではなく、話そうにも賑やかに振る舞う私たちをみると嫉妬心のほうが勝り、都合のいい言葉が出てこなくなっていたのだろう。そうするうちに話さないほうが楽になるのだ、いまの私のように。
もうキキはキキララのキキではない。魔女のキキになったのかもしれない。さしずめ私はジジにすらなれない駄目猫ララだ。
ずっとキキはこうなりたかったのだろうか、私に対しての嫉妬心があって勉強に励んだのだろうか。
ただ私はもう大人だし、キキが受けたであろうほどの衝撃はうけない。ほのかでささやかな嫉妬心と薄めた墨のような後悔があるだけだ。
私と同じ顔で同じ血液、スマホの顔認証すら抜けられる。お互いがお互いの臓器提供者にだってなれる。そもそも遺伝子すら同じで……もし私たちのどちらかが赤ちゃんを産んだとしても遺伝子的にはどちらの赤ちゃんになり得たりするのだ。だが私たちは別人だ。私はララで姉はキキ。性格も違うし、スマホの顔認証ですらみつけられない顔の違い(両親と私たちだけだが)だってある。私たち姉妹を別々にするもの。それは性格や思想など……いいかえれば魂といえるのかもしれない。私の魂とキキの魂はあきらかに違う。
だからふたりは別人で別々の人生を歩んでゆくのだ。私は家から出て、ひとり暮らしをはじめる。
家を出る前、私はもう一度、キキのためにホットケーキをつくってあげたかった。けれどキキは拒むだろう。キキがつくったホットケーキを私が食べるなら別だろうが。だから「さようなら」とお互いひとこといって別れた。盆と正月くらい帰るけど。