64.未踏の果て【透明の色彩】
驚いた。目の前には私が夢見た、あの絵画そのものの景色が広がっていた。私の能力には、絵画の中に入る力もあったらしい。ここで、私はこれまで集めた絵画たちを思い出す。あれらの景色も、この身で体感が出来るのか。私は多くの景色に浸り続けた。
遂に、遂にこの時が来てしまった。そう、飽きである。とはいえ、絵画自体にはまだ執着を持っている。並び立つこの風景画に、私は飽きてしまったのだ。それだけではない。私が集めてきた多くの伝承画にも飽きがきてしまったのだ。だが集めた絵画たちは、飽きたとはいえ大切なものだ。故に何処かに保管しておかねばならない。だが私は閃いた。この私の立場を使えば、望む絵画を描かせることなど造作も無いことだ。そうだ、絵画を描かせよう。このアトラポリスを模した、巨大な塔の絵画を描かせよう。まあその絵画自体には興味無い。ただ保管部屋を作らせるだけだ。
広大な部屋。そこにも確かに絵画は点在していた。しかしそこにあったのは先ほどまでの絵画とは違い、風景画は一枚も存在していなかった。代わりにそこには、一枚の絵画が厳重に飾られていた。先の見えない、開いた扉の絵画。それを見たイゼルが息を呑む。
「これだ。これこそが、『過酷への逃避行』。ではパレット。頼んだ」
「うん……。これで、最後なんだよね。……みんなで、帰れるんだよね」
目的の絵画であることを確認したイゼルが、パレットへ指示をする。言われるがままに絵画に触れようとする彼女だったが、その手は直前で止まり、彼女はうつむいてしまった。
「どうしたんだパレット。時間の制限は無いとはいえ、早くやってくれないか」
少し苛立ったような様子のイゼルは、少し強めの口調で促す。だがパレットは、うつむいたまま動かない。
「やっぱり……、嫌だよ……」
少し黙った後、声を震わせてパレットは言葉を絞り出す。彼女の足元には、数滴の滴があった。
「嫌、だと? 何を言っている」
イゼルは眉をひそめた。この状況は、彼にとっても想定外であった。
「私は……、まだ消えたくないよ……! もっと皆と、クラヴィオと一緒にいたいよ……!」
ついにパレットはその場に崩れ落ちる。涙を流し、その場にうなだれてしまったのだ。突然のこの事態に誰もが困惑を隠せない。ただ1人を除いては。
「……」
だがその1人も、神妙な面持ちで黙ったままだ。だがその沈黙に耐え切れなくなったのか、やがて口を開くのだった。
「……もう隠せないな。皆、聞いてほしいことがある。……パレットのことだ」
観念したかのように、クラヴィオは口を開く。だが、それを制止した者がいた。
「いいよ。自分のことは、自分で話さなきゃ」
それはパレットだった。彼女は立ち直り、絵画の前に立っている。目には涙の跡が残っていた。
「さっきリトスが言ってたことだけど、……言う通り、私の色は薄くなっている。そういう、能力だから……」
改めて、彼女の姿を見る者たち。その色彩に気付いた者たちは、一様に顔色を変える。
「私の能力は、絵を実体化する能力。でも、その代わりに私の色は薄くなっていく。そして私の色が完全になくなった時、私は……」
言い淀むパレット。しかしそれも一息の後に、取り払われ、彼女は再び口を開く。
「……消えちゃうの。こうして話すことも、歩くことも、……みんなと会うことも、できなくなる」
影を落とす彼女の瞳は、彼女の身体以上に色を失っていた。この事実を長く抱え続けていたクラヴィオも、それは同様だった。
「パレット……」
「……でも、よくないよね。私1人のせいで、消える道理のない貴方たちを閉じ込めておくわけにはいかない。……イゼル、今すぐやるから」
涙はまだ残っている。それでも彼女は絵画へと向き合って手を伸ばす。だが彼女はおろか、その周りにいる者たちは気が付かなかった。彼らとは全く違う人影が、密かに忍び寄っていたことを。そしてそれにいち早く気付いたのは、ストラダであった。
「パレット! 危ない!!」
「え……」
絵画へと手を伸ばすパレットを突き飛ばし、彼女のいたところへ割り込むストラダ。それは一瞬であったがために、気付けたのはごく僅かであった。そして全員の理解が追いついた時には……。
「ぐ、あああ……。何だ、一体……」
「ストラダ! 誰だ!」
そこにいたのは腹から血を流し倒れるストラダ。彼の腹部には鈍色の剣が突き刺さっていた。即座に反応を見せたイゼルは、自身の短剣を投げて応戦する。だがその反撃を意に介さず、続けて2本目の剣が放たれた。
「他愛もない……。……! 今のは……」
放たれた剣を短剣で難なく弾いたイゼル。しかし弾いたと同時に、彼の横を影が通り過ぎた。それは他の者には捉えられないほどの速度で、絵画へと近づいた。
「しまっ______」
気付いた時には、何もかもが遅かった。剣よりも大きな何かが振るわれたと思われたその次の瞬間に、何かが落ちる音が2度する。だがそれを気にも留めず、イゼルの視線は闖入者へと向く。
「そんなはずは……。この場で、いるはずなど……」
それは、身の丈以上の大鎌を振り抜いていた。腰にはまるで帯のように無数の剣が留められており、その何本かが存在していない。だがその姿を見るだけで、イゼルはその者の正体を確信していた。だからこそ、その表情は驚愕に染まっている。
「良い再現性でしょう? 英雄は、やはり強くなくてはね」
不意に聞こえたのは謎の女の声。それは彼らの後方から聞こえたものであり、それには誰もが振り向いた。そして、大きく驚いていた。
「あら、貴方たちまで来ていたのね。……まあ当然か」
それはリトス達にとっても馴染みのある声。しかしその口調は、彼らが知るものよりも酷く冷たいものだった。次々に、その女は彼らの間を通り過ぎていく。そして、闖入者の横に立った。
「貴女は……! どうして、こんなところに……!」
「……ストラダ。貴方が抵抗さえしなければよかったのに。私の楽園に、ただいればよかったのに」
血を流しながらも声を絞り出すストラダに、女は憐れむような視線を向ける。
「やはり貴女か……! どういうつもりか、説明を求める」
「……イゼル。貴方は相も変わらず冷め切ったままね。私も少し、似てきたかも」
語気を強めたイゼルに、女は少し自嘲気味に笑う。
「アンタは……!!」
「貴方は……。ごめんなさい、どちら様かしら?」
そして誰も見たことが無いほどの怒りを露わにするクラヴィオ。それに対して女は少し困ったような表情を浮かべた。
「俺を忘れたとでも言うつもりか……! 俺は、パレットはアンタを忘れたことなどひと時も無かった!」
これまでにない叫びを見せるクラヴィオ。だがそんな彼に対して、女は本気で困惑している様子だった。
「何とか言ったらどうなんだ! イノシオン!!」
彼が口にした女の名前。それは、この場にいる者たちの誰もが知る、画廊の主たる女の名前だった。
第六十四話でした。遂にイノシオンの再登場です。彼女の真意はどこにあるのか。それは次回に明かされます。アトラポリス編もいよいよ終盤ということで、次回に色々ぶちまけようと思います。では、また次回。
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