48.氷零と静謐の虚塔【新雪街道を往く】
実は大画廊の回廊を上に進んでいくだけであれば、片道数時間とかからない。しかしそれぞれの階層から派生する様々な展示に目を向ければ、話は別だ。特に当代画廊主のイノシオンの趣味である英雄物語の絵画は1つの階層を丸ごと使って展示しており、様々な解釈を基にして描かれた、『変幻武芸武神』の絵画が無数に展示されている。
先程の凍り付きながらも綺麗だった景色とは打って変わって、様々な色が飛び散った回廊を下っていく一行。クラヴィオの大筆から微かに滴るその水色は、しかし落ちた瞬間にその痕跡を残さずに消える。そうしてしばらく歩き続けた後で、彼はある絵画の前で立ち止まる。それは、どこまでも続く牧歌的な道を描いた絵画だった。
「よし、着いたぞ」
「いや、着いたって……。ただの絵じゃないですか」
「来たばかりのアンタたちには分らんことだろう。まあ見ていろ」
そう言うとクラヴィオが懐から何かを取り出す。青と僅かな緑が見えるそれは、何かしらの絵画の切れ端だった。彼はそれを、道の絵画に押し当てる。すると一瞬絵画が光った後で、彼の腕が絵画に吸い込まれた。これには、リトスとアウラも随分驚いている。
「絵に……、入った……!?」
「着いてきな。大丈夫だ。何が起こるでもないから安心しろよ」
そう言ったまま、クラヴィオは絵画の中に完全に入っていった。彼が入った後の絵画は、まるで小石を投げ込んだ水面のように微かに波打っていた。恐る恐る、リトスは絵画に手を伸ばす。
「あっ! 本当に入った……」
「本当にどうなってるんでしょう……」
自身の腕がすんなりと入ったことに驚きつつも、リトスは特に躊躇うことも無く絵画の中に入っていく。それに続くように、アウラも少しの間を置いて絵画に入っていった。
2人が絵画に入った時、クラヴィオは既に先に進んでいた。広がる光景は、先程絵画で見たのと同じような、牧歌的な光景。穏やかな日差しが差し込み、新緑が映える道。しかしそんな暖かそうな光景とは裏腹に、2人が感じることは真逆だった。
「まだ寒くない……? こんなに暖かそうなのに……」
「よく見たら、足元の草が少し凍ってますよ……。クラヴィオさん、これはどういうことですか?」
「まったくやかましい新参だ……。あのクソみたいな『塔』の影響が他の絵画に出始めてるんだよ。ここはまだマシだぞ。寒いだけだからな。本当に深刻になると、『異景の剥滴』が現れる。ああ、さっきのバケモノのことな」
凍り付く草を踏む、何かが割れるような軽い音がなる。気付けば雪が降り始めており、辺りは白くなり始めていた。
「ところで、どこに向かっているんですか?」
「『村』だよ。アンタたちや俺以外にも、絵の中に迷い込んだやつはそれなりにいるんだ。そんな奴らを、見つけ次第保護してるってわけだ。まあ、俺1人でやってることじゃないんだけどな」
「他の人って、どんな人がいるんだろう……」
リトスの問いに、クラヴィオは少し考えたような仕草を見せた後、思い出すように並べだした。
「そうだなぁ……。恐らくアンタたちのように画廊を訪れた旅人だったり、あとはこの事件を探ってたルオーダ兵団の兵たちだったりとか……」
「ルオーダ兵団?」
「ああそうでした。リトスは知らないんですね。ルオーダ兵団というのは、各国に跨って点在している治安維持のための兵団です。ああでも、ペリュトナイの隊は……」
アウラがリトスに説明をしつつも、途中で言い淀む。その様子に疑問を持ったリトスは、そのことを尋ねることにした。
「ペリュトナイの隊は、どうしたの? そんな様子の人たちを見た覚えがないけど……」
「……ペリュトナイ隊は、撤退したんですよ。エリュプスの事件がきっかけとして、獣の数が爆発的に増えた時があったんです。その時はまだ、ペリュトナイの戦士たちと一緒に戦線に立っていたんです。でも、元々ペリュトナイの戦士だったイミティオが裏切って、多くの死者が出たんです。それを目にした『ガジョウ隊長』の判断で、彼らは姿を消してしまいました。……かなりの痛手になったと、聞いています」
アウラはかつて誰かから聞いたその顛末に、リトスは今聞いたその顛末に、共に顔も知らない誰かに対して想いを馳せる。だがその件は決着をつけてある以上、これ以上思い返しても仕方のないことであった。そしてそんな話をしている間に、目の前には白く大きな壁が迫っていた。
「よし、この辺りだ。確か、ええと……。どこに隠しておいたか……。ああ、あった」
壁を触りながら何かを探していたクラヴィオは、ある一点でそれを止める。そして何かを掴んだ後、それを剝がすように取り払った。まるで幕を取り払ったようなその壁には、のどかな村を描いた絵画があった。
「さあここだ。入ってこい」
絵画に入ろうとするクラヴィオの後ろで、それに着いてくる者はいなかった。突如として2人分の倒れる音がする。クラヴィオが振り返ったそこには、まるで人形のように動かず倒れているリトスとアウラの姿があった。それを見たクラヴィオは驚いたような顔をした後で、大きくため息をついた。
「まったく……。世話の焼ける新参だな……」
絵画に片腕を突っ込んでいたクラヴィオは腕を引き抜くと、倒れる2人を抱えて絵画に入っていくのだった。その間2人は微動だにせず、何も言葉を発することはなかった。
第四十八話、完了です。突如倒れた2人に、一体何が起こっているのでしょうか。その答えは次回に明かされます。というわけで、次回またお会いいたしましょう。




