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オブリヴィジョン〜意志の旅路と彼方の記憶  作者: 縁迎寺
アトラポリス編・停滞の巨塔
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47.氷零と静謐の虚塔【凍結の混色彩】

 アトラポリス大画廊の終着点に近づけば近づくほど、絵画は古くなっていく。だがその絵画には人を虜にする力があるようで、登山にも等しい絵画巡りを行う来場者は大勢いるという。

 ここは何処だろう。暗くて寒い、そんな風に感じる。目の前に立って、僕を見下ろすのは誰だろうか。アウラ? でもこの感じ、アウラじゃないことは確かだ。だとしたらメガロネオス? でも、ここはあの部屋じゃない。だとしたら、これは一体……。


「きみ、は……」

「すぐに会えるよ。……大丈夫。もう過酷なことなんて、無いんだから」


聞こえてきたのは、やはりアウラとは違う声。聞いたことのない声だ。それに対しての疑問を言葉にする前に、僕の意識と視界が鮮明になっていく________


 リトスは目を覚ました。場所は先ほどと変わらず、出っ張った通路の端だった。隣にアウラが倒れており、まだ目を覚ましていない様子だった。彼はそれに気付くと、アウラを揺り起こす。


「……アウラ、起きて」

「う、ううん……。リトス……。私は、一体……」


存外あっさりと、アウラは目を覚まして立ち上がった。そして2人が立ち上がったところで、異変に気付いた。



「どうしてこんなに、寒いんだ……」


ふと気付いた違和感。その正体は刺すような寒さだった。しかしそこに吹きすさぶ寒風は無く、その空間全てが凍てついているかのようだった。そして、もう1つの異変は2人の目の前にあった。


「絵画が……! 無い……!!」


大きく目立っていた巨塔の絵画。それは姿を消していた。まるで最初からそこに存在していなかったかのように、2人の目の前にはただの石の壁があった。


「とにかく……。ここから移動しましょう。ここを出れば、寒くない場所があるはず……」

「うん……。動かないと、凍えそう……」


寒さに身をよじりながらも、2人はその場から去ることとした。この場所は、今の彼らには理解できないことが多すぎた。


 というわけで、彼らは階段を降り続ける。道中の絵画たちは、変わらずにそこに存在し続けている。しかし、どこに行こうと相変わらず寒い。寒さに囚われながらも、2人は出口たる石の大扉へと辿り着いた。しかし、そこを通ることさえ叶わない。


「……扉が、凍ってる! これじゃあ開けられない……!」

「凍っていないとしても、イノシオンさんの持っていた鍵が無いと開かないじゃないですか……! そんな、私たちはどうしたら……」


根本的な問題であった。それが開けることのできない状態だろうとそうでなかろうと、開ける手段を持っていなければ何の意味も無いのだ。だがそれに気付いたところで、何をすることもできない。そしてここで何もできないという事実だけは、確かな信頼と共にここにあった。


「……どうしようか」

「動かないと凍えてしまいますからね……。上に、行ってみましょう」


事実がどうなろうと、状況がどう変わろうと、寒さは変わらずに襲い掛かる。それから逃げるように2人は階段を上り始めた。出迎える絵画たちも、その存在感を増しつつも見向きもされない。


「一体何がどうなって……!」

「……わからないよ。でも、今できることをするしかないんだ」


そうしてどれほど階段を上っただろうか。先ほどの回廊の分かれ道を先に進み、彼らは未踏の道へ進んでいった。当然、見たことのない絵画たちが2人を出迎える。


「……ここからは、風景画が多いみたいだね」

「そう、ですね……。すごい精巧さ……」


並ぶその風景画。その存在感と精巧さは、まるでそれらが景色を移す『窓』であるかのようにそこにあった。そんな景色たちに見とれている2人を、あることが我に返すことになった。きっかけは、アウラが聞いた音だった。


「何か、聞こえませんか? こう、ベチャっとしたような……」


何処からともなく聞こえてくる、重く水っぽい音。その正体が未だ見えないながらも、2人が警戒を露わにするには十分だった。


「……近づいてくる!」


ゆっくりと、その音は大きくなっていく。そしてそれがある程度の大きさになった時、その音の正体が姿を現す。それは、この場には異質なものだった。


「あれは、誰……?」

「……人じゃないことは確かみたいですね」


それは、姿だけを見れば人そのものではあった。しかしそのおぼつかない足取りに、どこを見ているのかすらもわからない視線。そして何よりも異質なのが、まるで炎天下の汗のように流れ落ちる、混ざり合ったような色の粘液だった。不安を覚えるようなその顔も、精巧ながら描かれたような不気味さがあった。粘液が滴るたびに、描かれた顔が滲んで歪む。それは、ゆっくりではあるが確実に近づいてくる。


「……関わらない方が、よさそうだね」

「同感です。……なるべく気にしない風に、通り過ぎましょう」


意を決して、2人はその不気味な人型のいる道の先に進む。そしてその横を、通り過ぎた。幸いにもその人型は何をするでもなく、ただゆっくりと回廊を下っていった。この事実にほっと胸を撫でおろす2人。しかし道の先を見たとき、その安心は吹き飛ばされることになる。


「……噓でしょ」

「また、ですか……」


その道の先には、またしてもその人型がいた。先ほどとは少しばかり顔の造形が違うながらも、そこにいたのは紛れもなく同じ人型だった。そして、それだけではない。


「……そんな、こんなの、どうすればいいんだ……!」

「どうしてこんなに……!」


重なる水音に、滴る混沌の色。道の先を埋め尽くさんばかりに、その人型は存在していた。都の大通りの往来のような規模で、それらはゆっくりと行進を続ける。その圧倒的な規模に、2人は言葉すら発することが出来なかった。だが言葉を交わさずとも、やるべきことは理解していた。2人は顔を見合わせると、堂々とその群衆へと歩みを進める。


「……!」

「……! ……!?」


滴る粘液の一部が顔にも付く。それに、特にアウラが嫌な顔をしつつも、2人は無事にその群衆を通り過ぎる。そうして行きついたのは、分厚い氷の壁だった。そこには1つだけ、絵画が飾られている。そのあっけなさに2人は落胆するものの、まるで吸い寄せられるように絵画へ近づいた。


「この絵画、一体何を描いているんだ……?」

「わかりません……。でも、惹かれるものがあるように思います……」


人型たちの発する水音が聞こえる中で、絵画に目が釘付けになる2人。その中でアウラの目に、この絵画の額に刻まれている文字が飛び込む。それはこの絵画の題であったが、それを彼女が知る由もない。だが、彼女は思わずその題を口にする。


「『異景(いけい)』……」


その直後、この空間に無数に響いていた水音が一斉に止み、静寂が空間を支配した。


 最初に異変に気付いたのはリトスだった。どういうわけかアウラよりも深く見入ることのなかった彼は、一斉に止んだ水音に疑問を覚えると共に、言い知れぬ恐怖を感じた。


「……アウラ、何かおかしい」


彼が声をかけても、アウラは絵画から目を離さない。まるで憑りつかれているかのように。そんな彼女に、リトスは軽く蹴りを放つ。


「痛っ! ちょっと、何をするんですか!」

「……ごめん。でも、それどころじゃない……! 後ろを見て……!」


突然の痛みに、アウラも正気に返った。そしてリトスの言葉の通りに、彼女は後ろに振り返った。そして、目の前に広がる光景に驚愕することになる。


「ヒッ……! 何ですか、あれは……!」

「よくわからないけど、まずい状況みたいだよ……!」


先ほどまで行進を続けていた人型たち。それらすべてが足を止めて、2人のいる方向をじっと見つめている。その視線は一様に、一方向に注がれている。そして2人がそれを認識した時には、遅かった。再び聞こえ出した水音に、2人は恐怖を顔に浮かべる。


「こっち来てない……!?」

「それに……! さっきよりも速いですよ! とにかく逃げ……!?」


振り返って、アウラは顔を青くする。目の前には絵画と壁。道など、無い。人型の迫る前方を除いて。だが先ほどとは違い、向かってくる人型に近づいて無事で済む保証はない。それは、この場にいて恐怖に浸りきっている2人が一番よくわかっていた。


「迎撃するしか、無いか……!?」

「でも武器は宿泊所に置いてきちゃいましたよ……! 武器が無いと、戦うことなんて……!」

「武器……! ……ん?」


武器と聞き、リトスの頭に何かがよぎった。彼も当然、自身の武器たる杖を置いてきてしまっている。だが、彼の武器は何もその杖だけではない。懐から、彼は短い金属の棒を取り出した。


「リトス……! それは……!」

「こっそり持ってきたのは悪いとは思うけど……、結果的にこうして役に立った!」


それは、リトスが何となく持ち出した金属の杖だった。それを構えると、彼は群衆に向かって魔術を放とうとする。だが彼が杖を構えて集中しようと、魔術の起点たる蒼い奔流が起こることは無かった。徐々にリトスの顔に焦りが見え始め、アウラの顔にあった希望の色も薄れていった。尚も、群衆は迫り続ける。


「リトス……? どうしたんですか……? 早く魔術を……」

「……できないんだ」

「ちょっと……。こんな時に何を言ってるんですか? 貴方はペリュトナイでの戦いのときだって、魔術を使えてたじゃないですか! まさか、怖くて使えないなんて言いませんよね……!?」

「違う……! 確かに怖いけど、それで使えないわけじゃない……! 『天素を感じ取れないんだ』……!! この空間に、『天素が無い』んだよ……!!」


焦りと恐怖の入り混じった顔で、リトスが叫ぶ。彼の言う通り、その空間には魔術の蒼さなど微塵も無かった。その言葉にアウラは愕然としながらも、信じられないと言わんばかりに首を横に振る。


「あり得ませんよ……! 天素はどんな場所の空気にもあるはずです……! 吸って吐いたこの息の中にも……!」

「そんなのわかってるよ! でも、おかしいんだ! こうして呼吸するたびに吐かれる天素が、どこにも無いんだよ……! それに呼吸程度の天素じゃ、魔術には使えない……!」


珍しくも2人は言い争う。そんなことをしている間にも人型の群衆は迫り、ついには彼らのすぐ近くにまで来ていた。迎撃の手段はもうここにはなく、故に2人がとれる行動は1つしかない。それは、最も原始的な防御行動。両腕を前にして、身を守ろうとすることだった。鼻にくるツンとした臭いが2人に迫る。腕の隙間から見える色彩は、言葉にし難いほどに混沌としている。そして、濁流にも等しい人型が迫る……!


「そこの2人! そのまま防御を崩すんじゃないぞッ!!」


だがその色彩が、2人を飲み込むことは無かった。突如として響いたのは、低い男の声。そしてその声と共に、ぐしゃりと何かを潰すような音と、重いものが落ちる音が2人の目の前で響いた。飛び散る粘液から身を守りながらも2人が隙間から見たのは、巨大な鈍色の塊だった。その塊の下から、粘液が滲んでいる。


「当初の予定とは違うが……、仕方ない。『空想具象・落涙くうそうぐしょう・ラクリマ』!!」


男の叫びと共に、次に響いたのは一段と大きな水音と、何かが流れるような音だった。道を塞いでいた塊の上から降りかかる謎の液体を、2人も浴びることになってしまった。


「……水色? これは、何だ?」

「絵具……? どういうことなんでしょうか……」


その水音が全てを終わらせたかのように、辺りは静かになった。そして目の前にあった塊は、いつの間にか消えていた。あった場所には、鈍色の染みがこびりついている。そして露わになった乱入者の姿を、2人は目にすることになる。着崩した着流しに、首にはスカーフ。一部が逆立った灰色の髪が目立つ頭には、それ以上に目立つ藍色の色眼鏡が乗っている。そして背中には、毛先が水色に染まった身の丈ほどの大筆が背負われていた。その男は、瓶に人型の残した粘液を集めている。


「よしよし……。燃やされた分以上に回収できたな……。上々だ。……ああそうだった。忘れるところだった……」


そしてある程度の瓶を集め終えた男は、それを手にしていた籠に入れる。そして2人を、暗い黄土色の目で一瞬見た後で立ち上がった。


「俺はクラヴィオ。取り敢えず、俺に着いて来てもらおうか。アンタたちのことも、後で聞かせてもらうとするよ」


2人の返事が来る前に、クラヴィオは歩き始める。突然のことの連続で困惑しきっていた2人。だが何とか我に返り、リトスが口を開く。


「ここは一体……!」

「……ああ。まあそれくらいなら、今教える」


クラヴィオはため息をつき、上を見上げる。その横顔は妙な美しさと共に、隠しきれない憂いを帯びていた。


「ここは『絵画の中』だよ。あのクソッタレ、『停滞の巨塔』のな」


あっさりと言い放つその言葉は、2人を更に困惑させ、愕然とさせた。クラヴィオの見上げる先、分厚い氷の天井から僅かに透けて見えるその先には、冷たく淡い光があった。



第四十七話、完了です。ここからアトラポリス編が本格化します。クラヴィオにも注目が集まりますね。彼は活躍させます。では、次回の話でお会いいたしましょう。

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