EX02.潰命、その間際
プリミラの、末期の独白と追想
昔から、私は特別だった。ペリュトナイ有数の名家の一人娘として生を受け、幼い頃からその立場からなる恩恵を受け続けていた。そして私は、あらゆる事に恵まれていた。勉学や競技においても、周りの誰にも負けたことなどなかった。努力など、出来の悪い者の足掻きでしかないと本気で思っていた。そう、あの男と出会うまでは。
ペリュトナイに魔術研究所が出来たのは、私が18歳の頃だった。この頃の私は、まあハッキリ言って仕舞えば傲慢極まりない愚かな小娘だった。周りの全てが私の下にあるだなんて、本気で考えていた。そして偶然にも魔術というものを得意としていた、と思い込んでいた私は、研究所の門を叩くことにした。
訳あって、私は魔術研究所で研究者として在籍することになった。結論から言えば、負けたのだ。あの日に門を叩き、そこに居た男に勝負を挑んだのだ。その男こそが、魔術研究所の所長にして、古くからペリュトナイの発展に力を注いできた偉人、スクラその人だったのだ。長きに渡る旅から帰ってきた彼が創設したのがこの魔術研究所だった。そんな彼に私は勝負を挑んだ。私が勝てば、この研究所を貰い受ける。私が負ければ何だって命令を聞き、従うと。
勝負にすら、ならなかった。魔術に対する理解が、精度が、知識が、何よりも熱意が。それら全てが彼には及ばなかった。地面に倒れ伏した私。そんなこと、生まれてこのかた初めてのことだった。あの時自分でも気付かないうちに涙をこぼしていたことは、一生忘れることはないだろう。悔しさから流す涙は、あれが最初のことだった。そして涙を流す私に、スクラは条件通り命令を下す。
「俺の研究所に来るがいい。一から鍛えてやる」
一瞬言葉が理解できなかった。そしてそれが追いつく前に、私はスクラに運ばれていったのだ。
研究者となってからは多くの発見があった。まだ見ぬ魔術の数々、天素という物の新たな活用法、知ろうとも思っていなかった魔術の歴史など、私の知らなかったことがそこにあった。歴史に関してはスクラの主観が多分に混ざっていたために、一般的なそれとはかなり違っていたのだが。しかしそれらは確かに興味深い物であったが、それ以上がそこにはあった。
これを自覚したのはいつからだろうか。魔術理論について学んでいた時か、天素研究に勤しんでいた時か、あるいは歴史についてひたすら聞き流していた時だろうか。今となってはそんなもの、道端の石ころ並みにどうだっていい。しかし当時の私にはその道端の石ころが、煌びやかな宝石に見えていた。魔術理論を解説する時の真剣な顔が。天素研究に頭を悩ませる困ったような顔が。そしてなによりも、歴史について話す時のこの上なく楽しそうなあの顔が。私にとっては何よりも素晴らしく、何物にも替え難い、素敵で不思議な宝物だった。もう明確なことなんてわかったものではない。『理』性が作る『由』来などではなく、『本』能の渇『望』の赴くままに、私は彼に特別が過ぎる感情を抱いているのだ。
しかし彼はわかってなどいなかった。仕方のないことだろう。彼は良くも悪くも素直な人だ。研究のことを常に考え、それに付随したものにしか心を動かさない。それは裏を返せば、研究に関すること以外には全くと言っていいほどに関心が無いのだ。しかしそんなものどうだっていい。研究にしか心を動かさないなら、私が研究に打ち込み、彼の心に刻みつけるより他ない。だから私は研究に没頭し続けた。頭が割れそうになるぐらい、日常の8割を削るぐらい様々なことを考え続けて研究に没頭した。その過程で新たな発見もたくさんあった。周りの研究者たちは讃えていたが、そんな声など石ころ以下の価値すら無い。全ては彼の、スクラの評価1つで圧倒的なまでに覆るのだ。私は評価される時を待ち続けた。
そんな日なんて、そんな時なんて来なかった。彼は常に、私ではなく他の誰かに関心を向けた。最初のうちは、偶々だと思った。今がダメでも次があると。その時は何度でも努力できた。しかし回数が重なり続けるごとに、私の中で何かが形成されていくのを感じた。それを取り除こうともした。しかしそれは少しずつ、確実に大きくなり続け、そして遂には私の心の大半を埋め尽くすようになった。それの正体は今になってみればよく分かる。振り向いて欲しいという願い。私にだけその輝かしい表情を向けて欲しいという願い。……表情を向けられる他者がどうしようもなく羨ましい。そんな思いが混ざり合い、悪く作用し合って黒くなったのだろう。しかしそんなこと、当時の私は知る由もなかった。そして当時の私には、それを振り切ることなどできなかったのだ。
事件が起こったのは、ちょうどその頃だった。突如として研究所に現れた人型の獣たち。私の知識の全てに合致しないその生物は、凄惨という言葉がこれ以上ないほどにふさわしい、暴虐の限りを尽くしていた。そんな中で、私は異質な獣と邂逅してしまった。それは他の獣に比べれば細身で、暗い金色のたてがみをなびかせていた。激しい怒りを見せるその獣が恐ろしく、しかしとても美しかった。ひと目見ただけで私の中で固まったのは、『死ぬこと』の覚悟だった。しかし固まった覚悟とは別に、もう1つ固まったものがあった。このように美しくなれれば、あのスクラさえも私に振り向くのではないか。スクラが振り向くのは私だけでいい。他の者など、この獣の力さえあれば蹂躙できるのではないか。私の中でもう1つ固まったのは、そんな浅ましく醜い『欲望』だった。それが固まった時には、もう後は簡単だった。
この獣は人間から生じている。誰もが抱く欲望が、人間という殻を破って出てくるのだ。更に同じ欲望から、獣は複数生まれることもある。しかしそれにはきっかけが必要であり、更には条件を満たしたとしても獣が生じるかは運次第であった。幸運にも、私はそのきっかけについては知ることができた。それは、獣から致命傷を受けるということだ。私は死者の内側から羽化するように出てきた獣を見た。それにより、獣と獣発生の関係性を見ることができたのだ。
もう私には、迷いなどなかった。受け入れるかのように両腕を広げ、ゆっくりと獣に歩み寄る。その後に来たのは胴体に走る、これまでにないほどの激痛だった。その痛みに倒れ、私の意識は急速に薄れ始める。意識が完全に落ちる間際、目の前の獣が笑っているように見えた。
私の意識が覚醒する。不思議なことに痛みはなく、更には思い切り裂かれたはずの胴体には何の傷も無かった。しかし服に残った大きく裂かれた跡が、先程のことが現実であることを裏付けていた。だとしたら不思議なことがある。あの様に裂かれたのならば、間違いなく死んでいるはずだ。それなのに、私はこうして生きている。いや、生きているにしたって私は獣になっているはずだ。しかし私の姿は人間のそれと変わらなかった。不思議に思い戸惑っていると、目の前に青年が現れる。暗い金髪をなびかせたその青年が私の前に立っていたあの獣の正体であると、私には何となく理解できた。なぜ私は人間のままなのだと青年に問うと、彼は馬鹿にするかのように笑った後で指を鳴らした。
私が、私ではなくなった。見える腕は細身とはいえ濃い灰色の毛並みを持つ獣のものとなり、僅かばかり体躯が大きくなっているようにも感じる。そして私の中には、ただ1つ、しかしとてつもなく大きな欲望が燃えていた。そんな私を見た青年が満足気に笑うと、再び指を鳴らす。すると私の身体は元に戻ったのだった。
「喜ぶがいい。お前は選ばれた。我と共に新たなペリュトナイを築く者としてな。……さあ、共に来るがいい」
その言葉が、私には至高の神託に聞こえた。この瞬間から私の、プリミラの道が拓かれたのだ。
獣となり、私は能力に目覚めた。『ウェプワネイトの冥眼』というこの能力は、獣たちの視界を覗き見ることができるものだった。これを利用し、私はペリュトナイ全土を監視する任を受けた。あの青年をどこかで見たと思ったが、どうやらこの国の第一皇子のエリュプス様だったらしい。まあそんな事などどうでもいい。私は獣の目を経由し、今日もペリュトナイを見続ける。他の獣とはまるで違う、私だけの『特別』な力だ。そんな中で、ひとつ不思議なものを見つけた。一見すれば、すぐにでも野垂れ死にそうな少年。それが今でも残っている抵抗派と呼ばれる人間たちに保護されていたのだ。最初はそんなもの、よくある事だと思った。行き場を失った者が保護される事など、それなりにある事だったからだ。しかしそれからひと月ほど経った時、その少年が魔術を使っているのを見た。抵抗派で魔術の師となり得る者など1人しか考えられない。スクラだ。その瞬間に、私の中で何かが再燃するのを感じた。また『彼』を振り向かせた誰かがいた。その事実が私にとっては許せない事だった。
スクラ。貴方はどうして私の心に居続けるの? どうして私に一度でも振り向いてくれなかったの? どうして私は認められなかったの? そこまでしてくれないなら、どうして貴方は私に道を示したの? たった一度でいいから私に振り向いて、その顔を私に向けて欲しかった。私は今貴方の敵として、立ちはだかっている。ここまでして初めて、貴方は私を見てくれた。でもそれもここで終わる。もうすぐ私は押し潰されて、周りの血溜まりの一部になる。あれだけ『特別』であることに固執した私が、最後には判別もつかない何かの一部になるのだ。嫌だ。嫌で仕方ない。どうせ死ぬなら、綺麗なまま貴方に殺されたかった。……そろそろ耐えるのも限界だ。意識も徐々に薄れてきた。スクラが何か言っているような気もする。もはや何を言おうとどうでもいいと思える。
「______」
……どうして。どうして最後にそれなんだ。あまりにも遅いんじゃないのか。どうして、それをもっと早く言ってくれなかったんだ。……こんなことになんて、初めからならなかったはずなのに。……そんなの、あまりにもずるいじゃないか。……ねえ、スクラ。貴方は_______
これ自体、割と前から用意してあったものでした。
やっと出すことができました。
個人的にトップクラスで好きです。
今更ですが、第二十八話を見ると楽しめると思います。
ではまた本編で会いましょう。