136.黒猫と、既に知る秩序
老人が語ることには、ここ1ヶ月の間雨が止まなかった日はなく、降り始めたその日から異様な重圧を感じていたという。
老人によって開け放たれる扉。元は酒場であったであろうその建物には似つかわしくない重厚な作りの鉄扉の先には、机に広げられた紙に何かを書き込んでいる少女がいた。リトスやアウラと歳の程は変わらないその少女が羽織っている白いコートは、リトスたちにとっては見覚えのあるものだった。そんな彼女の傍には1匹の黒猫がおとなしく寝転がっていた。
「おかえり……、ってそこの人たちは誰?」
「まあ色々あってこの街に来てしまったようでな。それよりも病人がいる。彼を連れてきてくれ」
老人の言葉を聞き、少女よりも先に黒猫が起き上がって奥へと消えていく。少女はそうなることがわかっていたかのようにその場から動こうとしていなかった。
「またルオーダ兵団の人か」
「お、よくわかったね。てかこんな目立つコート着てれば誰だってわかるか」
乾いた笑いを漏らす少女だが、どうしようもなく疲れ切ったような様子だった。
「僕はリトス。アマツ国への旅の途中なんだ」
「私はマオ。ルオーダ兵団の未踏域調査隊の隊員だよ」
「未踏域調査隊?」
「まあ馴染み無いよね。私だってこの仕事をするの初めてだから説明が難しいな……。まあ簡単に言うならこの街みたいな場所を調査する仕事かな。まあそんなこと中々起きないから普段は他の隊の隊員をやってるんだけどね」
ちなみに私はカレドール小隊ね、とマオが言っている間に黒猫が再び姿を現す。その背後に白いコートを羽織った大柄な男を連れて。
「助かる。……そうだ彼女だ。応急処置はしてあるが左腕に裂傷。あと高熱だ」
「……」
大柄な男がアウラを担いで奥へと下がっていく。終始無言ではあったが、老人の様子から彼がこの場にいる医者なのだろう。
「人を連れてくるなんて、賢い猫なんだね」
感心したリトスが猫を撫でようと手を伸ばす。
「その言葉は良いものとして受け取る。だが『猫』という点は訂正させていただいてもいいかな? ああ、その手は止めなくて結構。続けたまえ」
猫を撫でようとしたリトスの手が止まる。突然発された妙に深みのある男の声は、この場にいる誰の声とも一致しないものだった。
「今の、誰?」
「おいこっち見んなよ。俺じゃねえぞ」
「儂でもない。……驚かすのも大概にしたらどうなんだ、猫よ」
老人は呆れたような口調で黒猫の方を向く。
「このようなナリをしているが、猫という呼び方は適切ではない。そもそもワタシは……」
「はいそこまで。『キャストル』に猫呼びはやめたほうがいいよ。こうなるから」
不満そうなキャストルを抱えて机の上に乗せ、ふと何かを閃いたかのようにリトスの方を向く。
「あ、そうそう。ついでに1つ頼みたいことがあるんだ。私の仕事を手伝ってよ」
「それはどういう」
「待てリトス。安請け合いをする道理は無いぞ。大体どうして兵団の仕事を素性の知れない旅人に手伝わせようとする。他の隊員はどこに行った?」
「いや、それがさ。もう大体調査は終わって、後は街の中央にあるエリアの調査だけなんだ。私はこれまでのデータ整理のために残って、みんな調査に出てるんだよ。……もう5日も戻って来てないけど」
マオが机上の紙の端に視線を移す。そこには5本の線が引いてあった。
「確かに出発して何日も帰れないなんてことはよくある話だって知ってるよ。研修でもそう聞いてるし。でもここまで長ければ誰かが補給に戻って来てもおかしくないよね。同じ街の中だしさ。でも誰も戻って来ない。明らかに何かおかしいと思わない?」
それに対しリトスたちは何も言えない。マオは続ける。
「それにこのままじゃ撤退も出来ないんだ! その権限は全部隊長が持ってるから、どうにかして合流しないとダメなんだよ! ……もう物資も無くなりそうだし、このままじゃこんな訳の分からない街で飢え死に……。そんなの嫌だ!」
「あまりそのようなことを言うものではないぞ。君は曲がりなりにも秩序の使徒、兵団の兵士だ」
ついに限界を迎えたのか、声が大きくなったマオを老人が諌める。
「秩序で飯が食えたら苦労しないっての……」
マオは完全に沈んでしまっている様子だ。それを見ていたりトスが思わず口を開く。
「ねえ、クラヴィオ。手伝ってあげようよ」
「……まあ、医者を手配してくれた恩はあるからな」
「うん。それに、何かかわいそうになってきた」
かくして半ば恩返し、半ば憐れみによってリトスたちの旅の寄り道が決定したのだった。そしてここぞとばかりに青年が話し始める。
「そういうことなら俺も行くぜ! この街のことなら俺に任せてくれ!」
「待て。君は待機だ。また問題を起こされてはたまったものではない。代わりに儂が行こう」
「おい待てよ爺さん! 俺以上にこの街に詳しいってのか!?」
しかし老人にキッパリと話を終わらされ、青年は憤慨する。しかし老人は様子を変えずに続ける。
「流石に住人である君ほど詳細に知っているわけではないがね。元々この街があった場所に居を構えていた身だ。街が現れたせいで家が跡形もなく消えたからしばらく街を彷徨っていた。その中で、街の大まかな様相は頭に入っている」
なんて事のないように語る老人だが、それはマオたち調査隊がするべきことに他ならなかった。惜しむべくは彼は兵士でもないためにそれを最後までする理由などないということだ。だがこの状況において、街の様相を知る者がいることの意味は大きい。そして彼は、青年への気遣いも忘れていない。
「代わりに君には重要な要件を任せる」
そう言った老人は、何か含みがあるような目をしていた。
第136話、完了です。紆余曲折あり寄り道をすることになりました。早速次回から調査の手助けをすることになります。では、また次回。
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