133.ドロップアウト・アンカー
オブリヴィジョン人物録vol.16
ドロップアンカー
種族:ナイトコールズ
等級:ディシュヴァリエ
異能:固停捕錨クサビ(自身が触れているものを、自身の両腕の錨が触れているものに固定するどちらかが離れる、もしくは錨を本体から分断するなどをしない限り、固定は解かれない)
※その他、レヴィアフォビアの発生させた恐怖の受け皿となったり、黒鳥を同じ場所に繋ぎ止める錨の役割を果たしていた。
好き:なし
嫌い:なし
ディンギルスターに襲撃をかけたナイトコールズ。両腕が鎖と錨になっている以外は普通の少年の姿をしている。感情らしい感情を見せることはなく、動いているところを見なければまるで人形のようである。
逃げる。逃げる。私は逃げる。すっかり元に戻ってしまった両足で、大地を蹴って走り去る。置いてきてしまったあの少年のことなど気にも留めず、恐怖で染まった私は走り続ける。あの剣士に刃を潰されてから、私の中の『覚悟』がすっかり消えてしまった。既に私だったものを何もかも置き去りにして、帳の黒鳥すらも飛び去り、そして私も……。結局私は最後まで何も成し得なかった。せっかく手に入れた機会さえ、全部無駄になってしまった。思い返してみれば、これまであらゆる物事を無駄にしてきた。それを二度と繰り返さないために、せっかく得たこの機会すら、私は無駄にしてしまった。もう私は元には戻れない。このまま逃げ延びても惨めに生き続けるだけだ。このまま、このまま……。
「そこの方。急いでどこに行くのかね?」
だが、その惨めな逃亡すらも私には許されない。『地獄の門』は気付けば背後で、その大口を開けていた。
「……ヘルゲート、殿」
私の眼が捉えたのは、黒い影のような細身の男。もしかすると私よりも力がないように見える朧げなそれは、しかし今の私にとっては至上の恐怖そのものだった。
「レヴィアフォビア。君は今何をしている?どこに行こうとしている?」
「私は、私は……」
言葉が続かない。何を言っても、私はおそらく無事では済まない。
「……君に貸し与えたヤミトバリの補填はどうしてくれるつもりだ?」
「……」
言葉が出てこない。思考を巡らせても、最善の言葉を紡ぎ出せない。
「……ドロップアンカーを置いて、君だけが逃げ延びるつもりか?」
「……私は、死にたくないだけなんですよ」
無意識に、言葉が紡がれた。理由などわからない。どこからとも知れない生への渇望が、そうさせたのか。
「ククク……、ハハハハ! 死にたくない、そう言うのか! まだ先のあった彼を置いていった君が! それ以前に、命ですらないナイトコールズたる君が!」
ヘルゲートが笑う。影を揺らめかせて笑っている。その様が、私にとってひどく恐ろしい。
「野心を持った君に刃を与え、更には協力もしてやった! その結果がこれだ! それで最後には生きたいだと? 命ですらないナイトコールズが生を渇望するか! 全くもって面白すぎるじゃないか!!」
激情のままに、黒い影が嗤っている。実体のある右腕に接合された歪な刃が、月に照らされて鈍く輝く。さっきまで私にもあったものと同質のそれを、かつて私が望んだそれを、今では魂の全てが拒んでいる。
「ハハハハ……、まあいい。どれだけ何を言っても状況は変わらない。取り返しのつかないことは切り捨てよう。だが、出来ることは最低限やらせてもらうからな」
突然ヘルゲートが影のような左手で私の右肩を掴んだ。触れられた実感はまるで無い。しかしこれが何か恐ろしいことに繋がっていると、私の全てが感じている。
「な、何を……。一体何をするつもりで……」
「今出来ることだよ。君と私がね」
ヘルゲートの左手から、影が私の腕に侵食する。やはり実感は何も無い。そう、本当に何も無いのだ。
「まず君は私への負債を返す。その方法は私に協力してもらうことで解決だ。そして私は君に協力してもらい実験をする。これはそれらの下準備だ」
「私の、私の腕が……!」
影は既に私の腰まで侵食を広げていた。その全てに、私は何も感じることが出来ない。
「本当は最初に頭から始めた方が楽なのだが、君とは最後まで話をしていたいからね」
「何をするつもりだ……。私の身体を、どうするつもりだ……!」
首から下は、完全に影となった。もはや私は首から上だけである。
「実験だと言ってるじゃないか。君には私の実験体群、ヘルゲーツのひとつとなってもらうのだから。それに君の異能は実に有用だ。魂のエネルギーをまた違った形で生成できる。君の魂の一欠片に至るまで、余さず活用しよう」
「返せ……。私を返せ! 私の身体を! 私の魂を……、私の全てを、返せ!!」
「申し訳ないが、仮に今気が変わってもそれは不可能だ。私の『獄門領域エイト』は、一度侵食を始めれば終わるまで止まらない。最も、気が変わるなどあり得ないが」
「ふざけ_______」
何かを飲み込んだかのように歪に肥大化した影の左腕が、収縮し元に戻っていく。そして少し経つと、腕は元通りの大きさになっていた。
「さて、どうしてくれようか。ディシュヴァリエを材料とするのは初めてだからな……。ここは単純に……。いや、それではつまらんし……」
思案するヘルゲートは、まるで先程のやりとりなど無かったかのように自分だけの世界に入り込んでいた。月は地平線に沈み始め、反対側からは太陽が顔をのぞかせている。
「……何はともあれ、まずは帰るとしよう。考えるのはそれからだな」
鬱陶しそうに陽光に背を向け、沈みかけの月に向かって歩き始めるヘルゲート。そんな彼がいた場所には、ひび割れたサングラスと鈍い光沢を放つ眼球が2つ転がっていた。そしてそれらは陽光に照らされた瞬間に黒い粘液となって溶け、跡形もなく蒸発して消えるのだった。
第133話、完了です。結局のところ逃亡者に平穏は訪れることなく、死よりも恐ろしい結末を迎えることとなりました。次回からはリトスたちへと視点を戻し、旅を再開していきます。では、また次回。
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