130.意志の旅路【不本意に立ち止まる】
列車に何らかのトラブルが発生し停止した場合、即座に近隣のルオーダ兵団の屯所に緊急通報が入ります。お客様につきましては、兵団の到着までお気をつけてお待ちください。
そして、再び場所は列車の中に戻る。倒せども倒せども際限なく発生し続ける恐像を相手にし続けるリトスとモロバは、流石に消耗を隠せていない。
「……キリが、無いね」
「リトス、俺に提案があるんだけど、聞いてくれる?」
「この状況を変えられるなら、いくらでも」
「よしきた。知っての通り、このままだと俺たちはいずれ消耗し切って負ける。そうなる前に、この状況の元凶を断つ必要がある。だからリトスには、この車両の先にある貨物車両に行って欲しいんだ」
「なんでそこに?」
「そこにいるからだよ。この列車をこの場に留めているものが。増幅した恐怖の受け皿と一緒にね」
襲いくる恐像を魔術で、剣戟で退けながら会話は続く。
「こいつらを生み出している大元は列車の外にいる。でもそっちは他の誰かと交戦中みたいだ。だったら俺らは俺らに出来ることをやろう」
「でもなんでさっきから、どこに何がいるとかがわかるのさ!」
「ちょっと能力と体質の都合で、そういう気配には敏感なんだよね。それよりもリトス、今から走れる?」
「多分……?」
よし、とだけ言ったモロバは剣を逆手に持ち替えると、飛び掛からんとする獣のような構えをとる。それと同時に彼の周囲には僅かながらも蒼白い奔流が迸った。
「今から道を作る! その隙に走るんだ!」
奔流は次第にモロバの構える剣へと集い、そこに蒼白の大剣を形作る。それは車両すら輪切りにしてしまいそうなほどに長大に伸びていた。
「これは、魔術!?」
「俺も多少は使えるんだ……! イゼル隊長の手解きを受けたのと、この武器のおかげでね……! さあ、準備はいいかな!? 『サイレンスペイル』!」
その構えから、モロバが獣のように飛び掛かる。振るわれた蒼白の大剣は車両ごと恐像の群れを薙ぎ払った。無論、魔術としては未熟なその一撃だけで恐像は打ち倒せない。展開された天素の刃も砕けてしまった。だが、その一撃だけでは終わらない。
「さあ広がれ、天素の牢獄! 列車の中ではお静かに!」
薙ぎ払いと共に砕け、恐像に付着した刃の破片が、まるで植物のように成長していく。やがて樹木のようになった蒼白い結晶は恐像たちの間で結合し、その場に繋ぎ止めるのだった。
「今だリトス! 貨物車両へ!」
その言葉が出るよりも僅かに早く、リトスは恐像たちの間をすり抜けて走り去っていた。その足は迷うことなく先頭車両へと向かっていく。こうして、イドラたちの前にはモロバが1人残ることとなった。
「さて、あとは潰すだけか……、ん?」
拘束された恐像を前にして剣を構え直したモロバだったが、目の前で起きている現象に動きを止めた。
「……なるほど、対策はされてるわけか」
恐像が分解されてゆく。それらの中核たる黒い塊が集合してゆくと、それは外殻としてまとっていた瓦礫を地面に落とす。そしてそこには、漆黒の大蛇が現れていた。常人ならば恐怖に耐えきれないそれを前にしても、モロバは動じていない。
「リトスはもう行ったか。だったら、好都合だ」
剣を構えるモロバは、影のような薄いベールを纏っていた。
車外にて戦いが続いている。その中で、レヴィアフォビアが列車へと視線を移した。
「もしや……、車内の恐像が融合を起こしたと……!」
「何を見ている!」
よそ見をするレヴィアフォビアへと鈍色の軌跡が振り下ろされる。それはレヴィアフォビアへとクリーンヒットし、彼を地面に叩きつけるのだった。
「随分と余裕なようだな。それとも、怯えているのか?」
クラヴィオの言葉に、立ち上がろうとしていたレヴィアフォビアの動きが一瞬止まる。その後立ち上がった時にも、彼は冷静を装うようにサングラスを整えた。
「ワタシが怯えを……、恐怖を感じているとでもいうのですか? 馬鹿馬鹿しい。恐怖の支配者たるワタシがそのような……」
「その腕、震えてるぞ。それにアンタ自身もな。いいかナイトコールズ。これを機に知るといい。心の底、魂の芯が凍えるような感覚。まるで水の中に閉じ込められていながら乾きを感じるかのような矛盾。そしてその先に感じる夜よりも暗く深い、安息などあり得ない闇。それこそが恐怖だ」
レヴィアフォビアにあったのは、打ちのめされたような表情だった。しかし何かがかみ合い、ある種の悟りを得たかのような表情でもあった。
「……ああ、そうか。そう、だったのか」
濃いサングラスの奥で、鋼の瞳が怪しく光る。そして次の瞬間には、黒を纏い巨大化した刃が横薙ぎに、戦う力を持たない者たちへと振るわれた。
「させません!」
当然それが見過ごされるはずもなく、アウラが振るわれる刃を剣で受け止める。鳴り響く金属音。だが受け止められたと思われた横薙ぎは、徐々にアウラを押していく。
「力が、強すぎる……」
「おい、嬢ちゃん……! 肩に……!」
「大丈夫です……! 皆さんに、危険は及びませんから……!」
剣で決定的な一撃は抑えられていた。しかし湾曲した刃は彼女の肩に食い込み、血を滲ませる。
「上に、弾けろッ!!」
肩に走る痛みに構うこともなく、アウラは剣を精一杯の力で振り上げて刃を上方へ弾き飛ばした。しかし食い込んだ刃が何もなく離れる、ということは無かった。彼女の右腕が力なくだらりと下がる。肩には痛々しい大きな傷が残っていた。
「そんな……! こんなに強い人が……」
「腕に、力が……」
「……そうだ、その目だ」
レヴィアフォビアがおもむろにサングラスを外す。その奥から現れた、鈍色に輝く鋼のような双眸は、アウラの背後にいる乗客たちを見据えていた。その表情に、邪悪な笑みが浮かぶ。
「そうだ。希望を砕かれたその瞬間だ。無力を自覚したその時だ。そして、安息なき終わりが迫った今だ! それこそ恐怖だ! そしてそれは、ワタシとて例外ではない……! ワタシは恐れている! 今この瞬間、計画は傾きつつある! 『彼』もこの事態を良くは思わないでしょう……! だが、それでもいい! ああ感謝します! ワタシは、更に高みへと至れるのです!! ワタシこそが、恐怖の支配者だ!!」
まるで嵐のような黒い奔流がレヴィアフォビアの周囲で迸り、渦巻き、一点に集まってゆく。その度に彼の重圧が増してゆき、恐怖が掻き立てられていた。暗闇の中、2つの鋼の輝きだけが恐ろしく存在していた。
一方車内では、黒い大蛇とモロバの戦いが続いていた。高速で襲い来る黒い連撃を、モロバはまるですり抜けるように避け続けている。そしてその中で、彼は冷静にこの状況を分析していた。だがその思考する時間も短く終わる。
「まあ何はともあれ、的確に仕留めてから、かな」
そう結論付け、モロバは剣を構えて正眼に大蛇を捉える。そして、ただ大蛇の横を通り過ぎた。当然ながら彼の背後に、大蛇の咬合による一撃が迫っている。だがそれが彼に届くことは無かった。
「……『仄暗鬼術・魂倒』」
大口を開けた大蛇の首が落ち、その首も原形を保つことなく斬り刻まれた。
「こんなに狭い車内じゃ、これが限界かな。さて、リトスの後を……」
大蛇に背を向け前方へと歩みを進めるモロバは、しかし次の瞬間には即座に振り返る。その瞬間、黒い一撃がモロバの胴体に叩き込まれた。胴体に剣を挟み込んだことで大ダメージを回避したモロバであったが、吹き飛ばされて貨物車両へと続く扉に激突した。
「クソ、扉が壊れたか……! しかし確かに、活動は停止したはずだったんだけどな……! どこからこんな力の供給が……! いやこれは……!」
剣に損傷もなく、ダメージも抑えられ、モロバは戦闘を続けられる状態だ。だが、ただ戦闘を続ければいいという状況では無くなりつつあった。
「巨大化が続いている……! これは、まずい!」
首のない大蛇の体躯は際限なく巨大化を続けている。それは周囲を押し潰し、車両を破壊し続けていた。モロバは窓を突き破って車外へと離脱したが、次の瞬間には彼がいた場所は黒い大蛇に押し潰され破壊された。
「まだ誰かいたのか! ってアンタはモロバ、だったか?」
「モロバさん……。 貴方も、いたんですね……」
モロバはクラヴィオとアウラ、そして今もなお力を増し続けるレヴィアフォビアの前に躍り出る。2人に視線を送ると、即座に戦闘態勢に入った。
「2人はリトスの仲間か! まずはコイツを倒してから! 詳細はその後でね!」
「そうか、貴方だったか! 車内で妙なことが起きていたと思ったら、貴方がやっていたというのか! だが関係ない! 最早破綻したこの計画などどうでもいい! 既にビルガメスでの別の仕事は果たしている! 同じ計画を、また別の街で実行するだけだ! 次はビルガメスの適当な街を計画の場としよう!」
「……そうですか」
その時、モロバの目つきが変わる。口調が気味の悪いほどに冷静になり、彼が纏う影のベールは濃さを増した。
「お前が秩序を乱す者ならば、私は使命を果たすまで。ルオーダ兵団の兵士が1人として、秩序を果たす責務を全うします」
「ルオーダ兵団! 秩序など、幾多もの無秩序の果てに齎されるものだ! 貴方たちが与えてきた小さな秩序が、本当の希望を齎したか!? いいだろう! 片付けの前に、まずはお前から始末してやる! 来い!」
巨大化し、遂に車両を完全に破壊した大蛇は、そのままレヴィアフォビアの黒い奔流へと飲み込まれる。それが引き金となった。大蛇がゆっくりと首をもたげると、無いはずの首がそこにあった。底知れない恐怖を振りまく双眸は鈍色に鋼の輝きを放ち、大口から覗く牙は黒く妖しく無数に並んでいた。そして全身に並んだ鎧のような鱗には苦悶や絶望といった、無数の恐怖の表情を浮かべる顔があった。
「リトスの仲間のお2人」
剣を構え、モロバは振り返らずにクラヴィオとアウラに声をかける。
「戦うのならば、勝手に戦ってください。私に手を貸すのではなく、あくまでもご自分のために」
大蛇と化したレヴィアフォビアを前に、モロバは孤独な戦いに臨もうとしていたのであった。
第130話、完了です。レヴィアフォビアとの戦いが続く中で、列車の旅も強制中断となりました。この事件の行く末は次回にて明かされます。更新をお待ちください。では、また次回。
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