126.忘我の境、公園の片隅、或いは研究所
「そういえば、フラッグとオーフェクトはどうして仲が悪いの? 昔何かあったとか?」
『あー……、あれね。すごくくだらない話だけど、聞く?』
「まあ、折角だから」
『昔はね、あの2人は結構仲が良かったんだよ。でもある時、オーフェクトがフラッグの楽しみにしていたアマツ国産の果実酒をデータ化しちゃって……。それにフラッグはまあ怒ってね。あれから何百年も経った今でも、2人の関係は険悪なままなんだ』
「……それだけ?」
『うん。それだけ。でも、食べ物の恨みは恐ろしいって言うんでしょ?』
「いやまあ、確かに言うけどさ……。えぇ……。しょうもないなあ……」
ネルガルキングダム進軍中の、リトスとクサリクの密かな会話より
目を覚まして、最初に感じたのは鎖の重みと身体の不自由さ。ああ、これはつまりそういうことだ。しかし、やけに疲れている。
「やあ、お疲れ様」
「……流石にもう慣れたよ」
「俺もいるぜ」
目の前にいるのはメガロネオスとフードの少年だ。相変わらず貌は見えない。
「それにしても、貴方は行く先々で大変な目に遭うね。何? そういう旅路?」
「僕だって叶うなら平和な旅がいいとは思うけどさ、なっちゃったものはしょうがないと思わない?」
「おいおいどうしたよ。ずいぶんやる気が無さそうじゃねえか」
「それはそうだよ。だってこっちは散々命を張ったんだよ? たまにはこんな感じでもいいじゃない」
疲れの正体は、そういうことだったんだ。これまで戦いが続く中で、真に心が休まる時間なんて無かった。僕自身、戦いになんて向いていない。改めて、そう自覚する。
「……『我』は貫いたか?」
「……見ていた君ならわかるでしょ?」
「それもそうだな。……よくやったよ、お前は」
フードの彼の問い。その答えは、ずっと見ていた彼ならわかるはずだ。だから僕はそれに適当に返した。どうやら、合っていたみたいだ。しかし……。
「君って、意外と優しいよね」
「なっ……。お前なぁ……」
「あー、それ言えてる」
相変わらず彼の顔は見えない。それでも明らかに狼狽えていることはわかる。こうして会話を花を咲かせている中で、僕の中にある疑問が湧いてきた。
「ねえ。君たちって夢なの? いつも僕が気を失ったり眠ったりしてる時に、こうしていつもここにいる。そこにいる君たちも、ここも、僕が見てる夢なのかな」
僕の問いにメガロネオスは考え込む。答えに困っているようだ。
「夢……。夢ね……。そう言われると難しいな。第一、夢っていうのは……」
「あー、やめとけやめとけ。小難しい話は長くなると面倒だ。それに俺もこいつも、なによりお前だってそういうの苦手だろ。まあひとつ言うとするなら、こうして俺たちがお前と話してるのも、お前が縛られてそこにいるのも、夢とは言えないってことだよ」
結局のところ納得のいく答えが出る前に、強引に締められてしまった。次の機会にでも改めて聞いてみようと思ったところで、僕の視界がぼやけだした。
「とにかく、ほら。目覚めの時だぜ」
「……本当だ。今回は随分長かったよね」
「起きたらびっくりするよ。じゃあ、またね」
視界がぼやける。そして、やけに眩しい。こうして僕の意識は長い眠りから覚めるのだった。
一方、ところ変わってここはビルガメス最大の都市であるメトロエヌマの中心街タンムズガーデン。まだ破壊の跡が目立つものの人が行き交う賑やかな場所だ。そんな街の一角にあるのどかな公園で、2人の女がベンチに並んで座っていた。2人の手には紙に包まれたハンバーガーらしきものが握られていた。ビルガメス奪還部隊の制服に身を包むその2人。アウラとウリディンムは手にしたハンバーガーに目を輝かせていた。
「これだよこれ! 1回食ってみたかったんだよ!」
「私も初めてです! 故郷にもビルガメスの料理を扱った店はあったんですが、行く機会が無くて……」
手にした料理に興味津々、期待を膨らませる2人は早速かぶりつく。途端、顔を綻ばせた。
「……! 美味しい! 持ち運べる食事で、この重厚感! このボリューム! この満足感! 毎日でも食べたいくらいです!」
「これは……! 何回経験してもこの感覚は最高だ! ……人間って、いいもんだな」
一口を堪能して、飲み込みまた新たな一口に進んでいく。そうしているうちにアウラはあっという間に平らげてしまった。
「……ところで、『その身体』もう慣れましたか?」
包み紙を丸め、近くのゴミ箱に捨てに行くアウラが問いかける。それにウリディンムは食べる手を止めて、ここしばらくのことを回想した。
「……まあ、最初に比べたらな。あれからもう3週間か。最初はいろいろ苦労も多かった。食事なんて概念でしか知らなかったから、最初の1週間は特に大変だったな」
「食事を忘れて倒れていたこともありましたね。……でも慣れてくれてよかったです」
ため息とともに答えたウリディンムに、アウラは苦笑で返す。また一口を頬張り、咀嚼し飲み込んだ後で、一息ついてウリディンムが話し始める。
「……お前たちが出発するのと同じタイミングで、私も旅に出ようと思うんだ」
「やっぱり、旅に出るんですね。……じゃあ、よかったら私たちと一緒に……」
アウラの提案に、ウリディンムは首を横に振る。
「いや。私は1人で行く。その提案はありがたいけどよ。私の旅は私の、それと『あいつ』の旅だからな。それをお前たちの旅に背負わせるのは違うだろ?」
もちろんそれもいいかもしれないけどな、と彼女は付け加える。だが未来に見据えるその旅に確固たる意志を介在させる彼女は、今や立派な命ある人間だった。
「 ……そういえばお前はどうしてリトスに着いていってるんだ?」
不意に投げかけられた問いは、最初に沈黙と言う形でウリディンムに返される。だがしばらく時間を置き、続けるべき言葉を考え出したアウラは口を開いた。
「私は……。私は、これでいいって思うんです。正直、私は1人では旅に出ようだなんて思いませんでしたから。でもあの日。旅立つリトスを見送ったあの時、私は思ったんです。本当にこのまま、ここに留まっているだけでいいのか。ただそれだけを思った時には、私は走り出していました。もちろん、私にもこの旅の中に目的があります。でも私はそれを果たそうと、リトスに着いていくと決めたんです。旅はまだ始まって間もない。でもこの短い旅は楽しいことも、苦しいことも、全部合わせて輝いて見えました。この先に想像もつかないような苦しみがあったとしても、私はこの輝きをくれたリトスにどこまでも着いていくと決めたんです」
時に言葉に詰まりながら、しかし彼女は思いのたけを口にする。その言葉の全てに迷いも、後悔も、悲観も無かった。それを見つめるウリディンムの目には、ある種の敬意があった。
「後悔は無いんだな。いや答えなくていい。私でもわかるよ。……ところで、お前の目的ってのは何だ?」
「それは……」
アウラが答えかけた瞬間、ウリディンムのポケットに入っている携帯端末から着信音が鳴る。残り数口分となっていたハンバーガーを手早く口に放り込み、飲み込むと同時に彼女は通信に出た。
「……本当か! わかった、すぐに行く。アウラも一緒だ。連れて行く」
携帯端末をポケットにしまい、包み紙を近くのゴミ箱に放り投げる。その動作が済む頃には、ウリディンムは立ち上がっていた。放り投げられた包み紙は、吸い込まれるようにゴミ箱へと入っていた。
「アウラ、イナンナタワーに行くぞ。リトスが目を覚ました」
それは、新たな旅の始まりを告げるものだった。
更にところ変わって、ここはメトロエヌマの郊外にある研究所エンリルラボ。ウムダブルトゥが君臨していたかつての戦場も、本来の役割を取り戻しつつあった。そこのある区画で、フラッグがタブレットを手にして会話をしていた。タブレットに映るウムダブルトゥの姿はアバターのものであるはずだが、それは彼自身の機体と同じ姿であった。
「気分はどうだウムダブルトゥ。メンテナンスとはいえ、久しぶりに機体から解放されただろ」
『虚と言わざるを得んな。何かと不便の多いものではあるが、故に得られるものは多い。……そんなことよりも、考えるべきことがあるのではないか?』
「まあ、そうだな。ラフム、ムシュマヘ、そしてギルタブリル。今回の一連の事件でメトロエヌマ各所の管理体制は崩壊状態だ。管理AIはそのほとんどが破損、ロストしている。今は新しい『統括管理者』がメインでやってくれているが、正直負担が大きすぎる」
『故に私やクルールも諸々の業務に追われている。特にクルールなど、脱出の折に機体を奪還し全員を運び出したのだ。その上で復興にも参加をしている。クサリクには及ばないとしても、奴の負担も考慮すべきだろう。……このような時にウリディンムの小娘はなんということを……』
「ウリディンムはもはやAIとも呼べない存在となっている。あの時以来、精神のアップロードが出来なくなっているからな」
『最早復帰は不可能だな。あれは既に、クイックともウリディンムとも違う何かだ』
「……だが同時に、あの2人でもある。だからこそ、今の彼女に必要なのは知見だ。多くを見て、多くを知って、その果てに何をするべきかを彼女自身で決断するべきだ」
『私には理解の出来ぬことだが、私から強制できることではないからな。最終的な決断者はあの小娘だ。……だがそれでも、手が足りんのは変わらんがな』
「そんなお前に朗報だ。シルトの群体意識となっていた『ウシュムガル』と『ウガルルム』の復元に成功した。今後は彼らにも復興に手を貸してもらう。元々ティアマトの守護者として生み出されていた彼らにも、復興後には何処かの管理を任せようと思っている」
会話を弾ませるフラッグとウムダブルトゥ。そこに1人の来訪者が現れる。それは、一束の紙の資料を手にしたオーフェクトだった。彼はシルトを一機引き連れている。
「フラッグよ。リジェクトパレスで保護している『ラフム侵食患者』共について報告だ。詳細はデータを見てもらうとして、少なくとも全員生存している。意識の戻らん者もいるが、大体は快方に向かっている」
「苦労を掛けるな。……癪だが、感謝するよ」
「同感だ。この件の片が付いたら、今度こそ我輩は隠居するぞ。モロバはまもなく帰ってしまうからな。クルールも返してもらうぞ」
「馬鹿を言うな。クルールはメトロエヌマの管理AIだ。個人が所有できるわけが無いだろう。それにそっちには行き場のないシルトを預けてあるだろ。労働力はそいつらでいいはずだ」
両者の間に険悪な空気が流れる。だがそれはリジェクトパレスの時のものとは違い、腐れ縁同士の小競り合いといった雰囲気だった。
「若造が……」
「正確な歳で見れば同じくらいだろうが」
「ふん……。我輩は帰るぞ。患者共を放ってはおけないからな」
資料を近くにあったデスクに置き、オーフェクトはシルトを引き連れて帰っていった。
『……セイバはどうなった』
この間、沈黙を保っていたウムダブルトゥが問うのは自身の親友についてだ。それを知るフラッグは、少し苦々しい顔をした。
「アイツはもう『秩序の国』に帰ったよ。度重なる命令違反の数々。その件で裁判にかけられるそうだ。……すまない。だが他国、それもあの国のことに関しては、俺はどうにもできなかった。……まあ、二度と会えないわけじゃない。いざという時は面会にでも行くか……。おっと、誰だ?」
突如、フラッグの携帯端末が着信を知らせる。
「俺だ。ああ、クラヴィオ氏か。パッチはどうした? いない? そんなことどうでもいい? それはどういう……。なんだと? ……わかった、すぐに向かう」
通話を終え、端末を手にしたままフラッグはラボを出ようとする。だがその前に、彼はウムダブルトゥの入ったタブレットと、デスクの横に待機させてあったウムダブルトゥの機体を接続した。
「ウムダブルトゥ。今日のところはお前に任せたぞ。急用が出来た」
程なくしてタブレットの電源が落ち、入れ替わるようにウムダブルトゥの機体が起動する。
『聞いた。行け。今の奴にとって必要なことだ』
ウムダブルトゥはデスクの上に置いてある資料の束を手にしてその場を離れた。
「悪いな。では、偉大なる旅人の所へ行くとするか」
後を託したウムダブルトゥに背を向け、フラッグはラボを後にした。メトロエヌマの奪還を果たしたこの時でも、彼の背の奪還の旗印は堂々とそこにあった。
第百二十六話、完了です。いよいよ戦闘が終わり、日常が帰ってきました。リトスの目覚めと共に、皆が集います。当然そこには、彼女の姿も……? 次回、ビルガメス編最終回。それでは、また次回。
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