98.ヒューマノイド・ドール
シャラファクトリーを管理する中で、ラフムは基幹システムであるラハムの過去を知った。その瞬間からラフムは通常の管理の傍ら、ラハムの極秘改造を始めていた。ちょうどその頃から、シャラファクトリーで生産される物資に、謎の灰色の泥のようなものが付着するようになったという。
剣を取り落とし立ち尽くすアウラには目もくれず、ラフムは膝を付いたクイックに近づく。両腕のブレードは解除されていた。
『さて動くなよ……。大丈夫。穴が空いてるだけすぐ終わるから』
その手にはいつの間にか灰色の破片のようなものを持っており、それをペンを弄ぶようにして回しているラフムは、上機嫌な様子で歩み寄る。
「やめて……! これ以上クイックに……!」
『君は確か傷が浅かったね。その分アプスタイドの入りが悪かったのか。それとも、君って意外と強靭だったり?』
必死でラフムへ食らいつこうとするアウラ。だがその足は重く、腕すら上がっていない状態だ。それでも彼女はラフムを止めようとする。
「私が、貴方を……!」
『でもそれまでだ。後で追加のアプスタイドを注いでやるから今はおとなしく、なッ!』
近づこうとするアウラに対し、ラフムは振り返って彼女の方に歩む。しかしある程度近づいたところで、ラフムは強烈な蹴りを放った。それをもろに受けたアウラは派手に吹き飛ぶ。
「ぐ、うう……」
『さて待たせた。こいつにやられた傷が痛むだろ? すぐに良くなるから、ね』
そして蹴り飛ばしたアウラには見向きもせず、ラフムは再びクイックに向き合った。しかし僅かばかりか時間を稼がれたのだろう。ゆっくりと、クイックが立ち上がる。
「……バーカ。何言ってやがんだヒトモドキ」
『……なんだと?』
「痛む傷なんざ、あるわけないだろうが……! アタシにあるのは、『ゼッテー勝つ』って気合だけだ! それにな……」
確かなダメージも抱えているのにも関わらず、それでもクイックは叫んだ。いまだに血を流していながらも、その叫びは空気を震わせる。
「アタシは『クイック』だ! アタシに勝とうとか、ヒトデナシが笑えること言ってんじゃねえよ!!」
『……そうか。じゃあお前はヒト以下だ。肉塊だ。忌むべきものだ。僕の勝利の先に、お前の存在を根絶してやろうか!』
牙を剥くように笑ってみせるクイックに対し、ラフムは不気味なほどの無機質さで返した。その手に持っていた破片はいつの間にか元の、それ以上に禍々しい形状のブレードに姿を変えていた。
結論から言えば、それは一方的であった。最早勝負にすらならないそれは、最早一方的な暴力と言った方が正しいだろう。そんな暴力的な斬撃の雨を浴びながらも、クイックは急所を外して耐え凌いでいた。
『威勢は虚勢か! 啖呵は嘘か! 最後に笑うのはどちらだろうか!』
「うる、せー……! アタシはまだ、立ってんだぞ……! ぶっ倒れ、て……、参ったって言わねえと……、負けじゃねえんだよ……!」
『生憎、僕は勝ち負けにはこだわらない! 可能な限り惨たらしく死んでくれればそれでいいんだ……! というわけだから、さあ!』
「……悪いけど大人しく殺されてやるほど優しくないんだよアタシは! だけどな……!」
ボロボロになりながらも破核棒を構え、クイックはラフムの右腕を狙いすます。
「『それ』は貰うぜ!」
振るわれた破核棒がラフムのブレードを砕く。だがそれだけでは終わらないのがクイックだ。彼女は散った破片の1つを掴むと、それを腹部に躊躇なく突き刺したのだ。思わず苦悶の表情を浮かべ武器を落とす彼女に、ラフムは一瞬驚いたものの嘲りを顔に浮かべた。
『おかしくなったな! じゃあ遠慮なく行かせてもらおうか! 自らの手で首を締め上げるといい!』
その行動がアプスタイドを体内に取り込むためのものであると瞬時に悟ったのだろう。ラフムは即座にアプスタイドを操ってクイックを自害させようとする。
「アタシは……、負けねえぞ……!」
自ら取り込んだアプスタイドが身体を蝕み、自由な制御さえ奪っていく。死へと進む自身の動きを堪えながら、彼女は落としていた破核棒を拾い上げた。
『武器を手に、何をする気かな!? ……そうだ。確かそれには強力な電流を流す機構があるみたいだな! 丁度いい! その電流で身を焦がすといい!!』
そう言うが早く、破核棒の先端が放電する。だがそれに対してクイックは抵抗を見せない。
「……いいぜ」
『死に際で抵抗すら諦めたな! これはもう僕の勝ちだ! 自分の手で死ぬがいいさ!』
「……はあ?」
先端を首に近づけながらも、彼女に敗北を認めたような様子は無い。それどころか、彼女はある種の称賛を抱いているようだった。
「何勘違いしてんだ。アタシは負けてねえ。それにな……、自分の手で死ぬのはお前だよ!」
そして彼女は、自身の首筋に放電する破核棒の先端を押し当てた。
「ぐ、おおお……! 言うこと、聞きやがれッ!!」
機械を殺す電流がクイックを襲う。常人であれば即死してもおかしくないそれを受けながらも、彼女は立っていた。
「あっ……!?」
だがそれも長くは続かない。顔の半分を覆っていた猟犬のマスクが外れると共に、彼女は膝から崩れ落ち倒れ伏した。俯せに倒れているために顔は隠れたままだが、明らかに意識は失っていた。
『最後まで嘘か……。何にせよ死んでもらうつもりだったけど、これじゃどうにも煮え切らないというか……。そうだ、君がいた』
倒れたクイックを一瞬だけ残念そうな目で見た後、ラフムはアウラに視線を向けた。
『お待たせ。ああ、そんな今にも噛みつきそうな顔して。最後に見る顔としてはこれも悪くないかな。何か言いたいことがあれば聞くけど、どうする?』
「私は……、私たちはまだ負けてない……ッ!」
馬鹿にするように笑いながらアウラへと歩み寄るラフム。アウラはそれを睨み、虚勢を張ることしかできなかった。そんな彼女に対して向けていた笑みが、一瞬で無表情に変わる。
『……しょうもない。結局最後までそれだなんて、失望したよ』
ラフムが左腕の破損していないブレードを振りかぶる。そのまま振るえば確実にアウラの首を落とすであろうそれを前にしても、何故かアウラは恐れる様子が無かった。
「わからないんですか……? まだ誰も倒れて、降参なんかしてないってことが……! だからまだ貴方は勝ってもいない! 勝ち誇るのはその後にしてくださいよ!」
『ああもういい。これ以上しゃべるな。……こんなことならさっさとやってしまえばよかった』
「負けを見ていないのに勝った気になるだなんて、そこに限ってはとても人間らしいですね本当に! そこ以外は人間以下だなんて言うのももったいない! 機械的も贅沢です! 言うならそう、ヒトモドキのヒトデナシです!!」
『……こっちが優しくしてりゃ調子乗りやがって! じゃあもう自我も必要な……、ッ!?』
無感情すらも崩れ怒りを露わにするラフムは、そのままブレードを振るおうとした。しかしそれがなされることは無い。ラフムが怒りに見開いていた目。それは次の瞬間には驚きに見開いた。その腹部は後ろから破核棒で貫かれている。
「な? 負けてないだろ?」
『お、まえは……!?』
腹部を貫かれたラフムの背後には、傷が目立つも弱っている様子の無いクイックがいた。
「訳が分からねえって顔してるな。まあアタシだって一か八かだったけど、上手く行けばこっちのもんだぜ……!」
『何をした……! 仮にあれで死んでいなくても、アプスタイドが身体の自由を奪っていたはずだ……!』
マスクは既に外れており、隠されていた口元が露わになっている。そんなクイックは、露わになった大きく裂けた右頬を吊り上げて牙を剥くように笑っている。
「そのアプスタイドを、アタシが屈服させたんだよ! まさか本当に上手く行くなんて思わなかったけどな! アタシの破核棒は特殊な電流で、お前らの核をイカれさせてぶっ壊す武器だ! ただのナノマシンじゃないとは思ったが、まさかお前らと似たような構造だったとはなぁ! お前の制御をぶっ壊してアタシの身体の復帰に活用させて貰ったぜ!」
破核棒をねじり込むようにして、彼女はラフムに詰め寄る。
『お前……! よくもよくも!! 僕たちの、アプスタイドを……!』
「あーはいはい。黙れ黙れ。これ以上話す気も、聞く気もねえっての」
『そこのお前何をしている! こいつを、殺せッ!!』
「だったら秒で終わりにしてやるよ。アタシも早く帰りたいんだ」
ラフムの命令で、呆然としていたアウラの身体が動く。しかしそれと同時にクイックは深く差し込んでいた破核棒を少し引き、先端がちょうどラフムの内部に残るようにした。引くその間際、破核棒の先端が僅かに放電していた。
「アタシも受けたんだ! お前も行っとけよ! 『破核棒術・雷鳴』!!」
それはまさに落雷。おおよそ人の操る武器から出ているものとは思えないほどの電撃がラフムを襲う。それをまともに受けたラフムは悲鳴を上げることもなく、しかしその電撃の終わりと共に濃い灰色のマネキンのような無機質な姿となって力なく倒れた。
「手間かけさせやがって……。よしアウラ、ちょっと痺れるぞ」
「何を? あああああッ!?」
ラフムだった人形から破核棒を引き抜くと、クイックはその先端をアウラの胸元に当てて電気を流した。それはラフムに食らわせたものどころか彼女が自身に流したものよりもはるかに弱いものであったが、それでも常人ほどの肉体強度しか持たないアウラにとっては立派なダメージとなる。
「大丈夫か?」
「身体が動く……!」
しかしそれはアウラのアプスタイドを無力化するには十分だった。電流を食らってすぐにアウラは動けるようになった。しばらく動かしてみてその身体に違和感が無いことを確認する。
「私、何も役に立てませんでした……。それに、私はクイックを……」
「ああ、気にするなって。どうにもならないときは誰にだってあるし、結果的には大したことなかったからな。いいからさっさと帰るぞ」
悔しそうにするアウラの肩をポンと叩き、クイックは出口へと向かおうとする。しかしその直後、彼女は体勢を崩して動けなくなった。
「クソ……! やっぱ無理があったか……。アウラ、悪いけど肩を貸してくれないか? 身体が動かねえ……」
「……はい! それじゃあ帰りましょう!」
先程までの力強い振る舞いが嘘のように、クイックは力なくアウラに肩を借りていた。そんな彼女をアウラは支える。だがそんな彼女たちの帰還は、空間全体に広がった赤い光によって突如として中断される。
『ラフムユニットの停止を確認。これを非常事態と判断し、ラフムユニット、アプスタイドの増産を開始する』
鎮座し続けていたラハムが突如として赤いランプの点灯と共に起動する。明らかにこれまでとは違う様子のラハムに、2人は動揺を隠せない。これまでにないほどの勢いで稼働するラハムの下部にあるハッチが開いた。
「嘘、ですよね……。まさか、そんな……」
「何でもありか……! ナノマシンってやつは……!」
開いたハッチの奥から怪しげな赤い光が漏れる。そこから無尽蔵に現れるのは、撃破されたはずのラフムであった。それは人をどこまでも馬鹿にしていたような先程までのラフムとは違い、まるで切り取ったような全く同じ無感情でそこにあった。
第九十八話、完了です。やっとの思いでラフムを撃破したその次の瞬間に、再びの窮地となりました。一瞬だけ表出して以降すっかり背景と化していたラハムですが、ここに来て本格起動となりました。ここから果たしてどうなるのか、ぜひ次回をお待ちください。ではまた次回。
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