88.クラスター・バース
イナンナタワーはいわゆるアーコロジーとして造られており、メトロエヌマに何かがあった時にはここが市民たちの避難場所となる。独自の物資の生産ラインを備え、その原料を生産するための階層も存在するこのタワーは、シャラファクトリーやシャマシュリアクターに並ぶメトロエヌマの最重要施設の1つと言っても過言ではなく、故に管理AIの選定は慎重に行われた。その結果、タワーの管理AIには人間に最も友好的であったクサリクが選ばれており、万が一に備えて彼女には強力なプロテクトがかけられている。それが最も効果的になったのが、この大反逆事件である。
シャラファクトリーはメトロエヌマだけに留まらず、ビルガメス全体に供給されるあらゆるものを生産していた大工業地帯であった。その歴史は古くビルガメスの黎明期にはその記録が存在しており、故にデータは詳細に記録されていた。
「しっかし、アタシたちの持ってたマップから随分様変わりしたもんだ。ほら、ここ見てみろよ。ここが今アタシたちのいる場所だろ? 何の変哲もない廊下って感じだけど、マップ上では食堂だぜ?」
「本当です……。ここってどう見たって食堂って感じじゃないのに……」
だが現在はこうだ。反逆を起こしたAIとそれが従える機械によって大工場地帯全体がシルトの生産工場に作り替えられ、従来の記録は殆ど役に立たなくなっている。この廊下でさえ、厳密には完成したシルトを配備用スペースに送るために設けられたスペースでしかない。
「でも今は、詳細な地図を持っているんですよね?」
「ああ。……何処の誰が寄こしたのかもわからんものを使うのは、どうにも気が進まないけどな」
マップを表示していた端末の画面を操作して、古いマップと今のマップを切り替えるクイック。その正確なマップに対して完全に良い感情を抱いているわけではないことは、事情をほとんど知らないアウラでも理解できた。
「さっきも言ってたそれって、どういうことなんですか?」
「これは何か月か前に送られてきたデータの中に入ってた。クサリクが逆探知を仕掛けても、送り主はわからなかった。……でもそんなことが気にならなくなるくらい、データにはすげえ数の情報が入っていた。今いるファクトリーのマップから、シルトに使われてる特殊な金属と大型兵器の共通する弱点……。全部言ったらキリがないくらいの情報だった。あ、ちょっと離れてろ」
彼女はそう言って腰に差していた警棒のようなものを手にし、持ち手にあるスイッチを押す。すると彼女の手にしていた武器が一瞬で伸び、彼女の身長以上の長さとなった。
「アタシが持ってるこの『破核棒』もその情報を元にして、技術班が作った武器なんだ。アタシの能力でも壊れない頑丈さもそうだが、何よりもすげえのはこの武器の機能なんだ」
身長以上のそれを、まるで木の棒を振り回すかのように軽々と扱うクイック。扱い方はまるで違っていたものの、アウラは彼女のその姿に亡き戦友であるカルコスを思い出していた。
「詳しい原理はまるでわかんねえけど、これでシルトを殴ると回路を滅茶苦茶にして内側から壊しちまうんだ。使い始めてからまだちょっとしか経ってないけど、今じゃアタシの立派な相棒さ」
クイックが破核棒を元の警棒の長さに戻し、それを頭上に放り投げる。華麗に回転するそれはしばらく宙を舞った後で彼女の手に捕らえられ、元の位置に差し戻された。
「元々使ってた武器も槍だったんだ。アタシが元治安維持部隊ってのは言ったと思うけど、それはその入隊を祝ってくれた親友が贈ってくれたものだった。……まあ、今じゃその武器も壊れて、親友も死んじまったけどな」
愁いを帯びるクイックの横顔は、しかし完全に沈んでいるだけではない。どこか決意じみたもので固められている。それはアウラの理解を超えたものとして映っていた。
「クイック……。貴女は、どうしてそこまで……」
「悲しんでなんかいられねえからだ。アタシが前に進んでこの街を救う。そうでもしなきゃ、死んでった奴らにどやされちまう」
アウラは圧倒されていた。前提として彼女は既に戦士である。しかしその実情はまだ年端も行かない1人の少女だ。いかに戦えるとて、その精神は未だに脆弱さを持ち続けている。
「……すごいなぁ。私では、とてもできないことです……」
故にアウラは目の前にいるクイックのことがとても大きく見えていた。実のところ彼女も背負うものがある。だがその象徴である折れた鉄槍は、彼女の心に深く突き刺さったままであった。気付けば彼女の目から、雫が一筋落ちる。
「アウラ。お前は強いよ。まだ10年やそこらしか生きてないのに自分の意志で戦って、仲間のことも背負ってここにいる。そんなの、少し前のアタシなら出来なかっただろうね」
クイックが拭い去り、雫は見えない跡となる。その言葉に嘘偽りはなく、暖かな光となってアウラの心に差し込んだ。アウラにはそれが、永遠に限りなく近いほど長い時間に感じられた。
「さて、続きは後だ。そろそろコントロールルームは近いはず……」
だが現実、その時間は一瞬だった。その一瞬でマップへと目を落としていたクイックが、目の前と端末を見比べながら辺りを探る。そしてそれは突如壁から現れた。何かの機械の駆動音が微かに聞こえるその扉の先は、その源すら確認できないほど暗い。だがそれこそが、クイックの探していたものであった。
「……これだな。この中に入れば、コントロールルームはすぐそこだ」
「でもこれって、どう見てもちゃんとした入り口じゃないですよね……」
「人間が来ることを想定してない場所だからな。……この先に、物凄く広い空間がある。そこにいるのが……」
「っ!? クイック、奥から……!」
何も見えない暗いその先に何かが近づいてくる。重なる複数の足音と共に近づくそれは、当然ながらクイックたちの特になるものではない。暗闇から現れたのは、その闇に溶け込むようなシルトの軍団だった。それらは全て、まるで造られたばかりのように小綺麗だった。
「やっぱり何も無し、ってわけにはいかないわな! アウラ、戦うぞ!」
「言われなくても! 弱点は頭に入れています……! 行きましょう!」
シルトの数は数十。対するはアウラとクイックの2人。数の差は圧倒的だが、2人はこの状況を微塵も恐れてはいなかった。武器を構え、2人の女戦士は果敢に突撃していくのだった。
機械の放つ淡い光だけが照らす、仄暗い大空間。その光の源たる巨大な機械の傍らに、地面まで達するほどの赤い長髪を持つ青年が立っていた。青年は傍らの機械を、愛おしそうに撫でている。
『姉さん。ネズミが2匹入り込んだよ』
『……』
『ネズミに失礼だよね。ごめんねネズミさん。でもどうしようね。接敵した子たちじゃ止められないよ。弱いからね』
『……!』
『悪く言ってごめんね。でも事実だから怒らないでね』
2度にわたって地鳴りのような音が広大な空間にこだまする。まるで天災の前触れのような轟音をぶつけられても、その青年は全く恐れを抱いている様子はなかった。
『……』
『流石は姉さん。遂にあの子たちを出すんだね。でもいいの? あの子たちの調整はまだ終わってないよ。もしかしたら僕たちだって危ないかもしれない』
『…………』
『そうだね。許せないんだよね。わかるよ。その気持ちは僕も同じだから』
青年の言葉に呼応するかのように、大型機械の放つ光が強くなり、照らされ明らかになる機械のその姿。それは脈動するように光る赤いチューブが無数に走る巨大なタンクだった。タンクの下部には二股に分かれた太い管があり、その間から伸びるコンベアにはおびただしい数のシルトが載せられ、何処かへと運ばれていた。止まらない誕生に伴う機械の光は強く、それはまるで怒りを現わしているかのように、次第に強く苛烈になっていった。
『さあ、僕らの繁栄のために全てを泥に沈めよう。そうすればみんな一緒だ。みんなみんな灰色で、仲良く揃って生まれ変わろう』
強い光に、轟音にも等しい稼働音に晒されながらも青年は笑っていた。狂気的なその笑みが加速させたかのように、誕生の速度が加速度的に上昇していった。
(……そう。僕たちは母さんの最初の仔。母さんに最も近い僕が、姉さんが遅れを取っていいわけが無いんだ。今に見ていろ高慢ちき共。僕が、僕たちこそが一番優れているんだ)
その狂気の笑みの裏で燃える強い執念に気付く者は誰もいない。人も機械も、同胞すら知らないその感情は、人ならざる青年が抱くにはあまりにも強すぎるものであったのだ。
第八十八話、完了です。今回はアウラたちの視点のみでお送りして参りましたが、次回はリトス側の視点メインに戻ります。そしてそちらでも、倒すべき敵が登場します。どうぞお楽しみに。それでは、また次回。
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