夕方•雨の街角
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雨がざあざあ降っていた。石畳の街は、1メートル先も見えないくらいの大雨に濡れていた。
通りのカフェはテラス席のテーブルや椅子がずぶ濡れだ。テーブルの下では、灰色の子猫がぶるぶる震えている。
通りかかった若者は、新人魔法使いの黒い裾長の上着を着ている。傘もなく、魔法で雨を避けている。この土砂降りの雨の中、なんの苦もなく歩いてきた。
濡れてすっかり細くなった子猫は、恨めしそうに若い魔法使いを見ている。魔法使いはきょろきょろと辺りを見回し、心配そうに眉を寄せた。
「エマー!どこいったー!」
すっきりと撫で付けた堅物そうな黒髪姿に似合わず、どこかぶっきらぼうに人の名前を呼ぶ。
「悪かったってー!反省してる!」
魔法使いは、あまり反省していないような、不機嫌な調子で叫ぶ。黒い上着を縁取る青い絹紐が、薄暗い雨の街で鮮やかに映える。魔法使いの目は菫色で、絹紐の色とよくあっていた。
「フーッ」
テーブルの下で、投げ降りの雨に濡れた子猫が、灰色の毛を張りつかせて威嚇する。
「ああっエマ!そんなとこにいたかあ」
魔法使いは、水溜りができた道に膝をつく。子猫と目を合わせると、顔中で喜びを表した。そして、後ずさる子猫を大きな節くれだった手で掴み、テーブルの下から引き出した。
子猫はもぞもぞ抵抗する。
「もう、こんなに濡れて」
魔法使いはサッと魔法で子猫を乾かす。灰色の毛はふわふわになり、子猫の透き通った泉のような青い瞳が不満そうに細められた。
「ほら、帰るぞ」
ぶっきらぼうに言い放ち、魔法使いは子猫を上着の懐に入れて、雨晒しのテラス席を後にする。
集合住宅の一室に入ると、魔法使いは冷蔵庫から何やら緑色のさらっとした液体を取り出した。懐に子猫を入れたまま、片手で鍋を用意すると、液体を火にかける。
疑わしそうに眺める子猫に、時々微笑みかけながら、ゆらりと湯気が立つまで液体を温める。
その間に、鮮やかなオレンジ色の根菜を細く刻む。真っ白く丸い野菜は、薄切りにする。そして、それらを平たい薄緑の皿に盛りつける。
鍋がよい加減に温まったようだ。魔法使いは、湯気の立つ緑色の液体を深皿に注ぐと、床の上にことんと置く。
「どうぞ」
魔法使いは短く言うと、灰色の子猫を深皿の前に下ろす。子猫は、尚も疑わしそうに魔法使いを眺める。
「のんで」
魔法使いに促されて、子猫は用心深く皿に鼻を近づけた。
魔法使いは子猫の側を離れると、飾り気のない木のテーブルに軽く温めた丸パンを置く。籠に盛られたパンの隣は、早朝に市場で手に入れた新鮮なバターと、自家製のジャム。
コーヒーポットがカタカタと蓋を揺らす。ソーセージとサラミを薄切りにして、フルーツとともに盛り付ける。赤と黄色の剥いたグレープフルーツだ。
「グレープフルーツだぞ。好きだろ」
魔法使いが振り向くと、波打つ灰色の髪の乙女が、深皿を手に口についた緑色を拭っている。
魔法使いは、乙女の美しく青い瞳を覗き込んで満足そうに笑う。
「ほんとに、気をつけてよね」
乙女は細い声で抗議する。
「ごめん」
「魔法の練習は外でやってください」
「反省してる」
「壁や天井で跳ね返って、変なものが混ざるから危険でしょう」
「悪かった」
「はあ」
「ごはん食べよ?」
魔法使いは、灰色の髪の乙女を優しく抱きしめてキスをする。
「誤魔化されないんだからね」
長いまつ毛の下から、エマは魔法使いを睨む。魔法使いは小さく笑って何事か呟く。
「なに?」
「へへっかわいい」
「はあー?もうっ」
魔法使いはもう一度エマにキスをすると、テーブルの方へ連れてゆく。
「座って」
「ダグラス〜」
「機嫌なおそ?」
「はあー」
「俺のかわいい奥さん」
「ふうー」
ダグラスはもごもごと口の中でお世辞を言う。エマは呆れたようにため息ばかり。窓の外では雨が小止みになって、美しい夕陽が射していた。
ダグラスは魔法でパンにバターとジャムを塗り、爽やかなミントグリーンの縞々模様をしたランチョンマットにふわりと載せる。
高い背もたれのある椅子に腰掛けた妻の肩に手を置くと、魔法使いのダグラスは頬にそっと口付けてコーヒーへと向かう。
エマはその様子を目で追いながら、普段はぶっきらぼうな夫の精いっぱいのご機嫌取りに心がじんわりと暖かくなるのを感じた。
お読みくださりありがとうございました