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Stern Baum   作者: kohaku
5/5

~ 星の木 5 ~

道は分かれる―――。


セナが選ぶ星の木の枝の先に

誰と、どんな未来が待ち受けているのか


サイバー犯罪がはびこる世界に警鈴を鳴らすべく、自らが設計したARデバイス、BARIM(バーム)を武器に奔走する少女と、それを支える友人たちの戦いがついにクライマックス。

その時、セナが選んだ道は―――。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


【 Attention 】


File:46・47は選択制となっています。

5つのルートを以下の順番で配置します。お好きなルートをお選びください。



★ Scarlet Route


☆ Summer Route


★ Winter Route


☆ Spring Route


★ Fall Route



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




★Scarlet Route


File:46  SternBaum Laboratory(星の木ラボ)  


カリフォルニア―――病院


意識を失ったセナの身体は、急いで病院へと運ばれる。

全身の精密検査を行い、やはり脳に加わった強いダメージによるショック状態だろうとの診断が下された。


「とにかく、しばらく様子を観よう―――」


呼びかけても返事を返さない彼女を見て、病院に駆け付けた碧や白李も、頭を抱える。

意識のないセナの姿を見るのが初めてだった二人は、相当のショックを受けているようだ。病室に寝かされたセナを見て、部屋を出る織の後姿に、視線を送る白李と碧。


「アイツは…セナがこんな時でも落ち着いているんだな―――」


奥歯を噛み締め、今にも泣きそうな表情を見せる二人に、立夏がぼそりと言い放った。


「いいや、一番堪えているのは識だろ―――何度もこんな姿を見て、その度不安や希望と葛藤しながら…今度こそ、目覚めないんじゃないかと、誰よりもおびえている」

「―――あいつが?」


駆けつけたアリアがセナの手を握り涙を流す。その背中を、支える水月―――。

重い空気の流れる病室で、立夏が皆をラボに戻るようにと促した。

残された水月とアリアはセナの両手を握り締め、ただ静かに、祈りを捧げた。



「Drクギョウ!この患者の次のオペの話ですが―――」

「Dr!先月オペしたこの人の心臓リハビリの件で……」


病室に、ノートパソコンを持って次々と詰めかける同僚に、私服のままセナのベッドサイドでカタカタと自身の患者の指示出し(仕事)をする織は頭を抱える。


「あのなぁ、俺、今日休みなんだけど―――」

「いやぁ、ここに来るとDrクギョウが居るって噂を聞いて…」


へらへらと笑う同僚に、ワザとらしい大きなため息を返した。


「居るさ、居るけど―――仕事はしない!」

「Dr、手元の電子カルテ――仕事中ですか?」


鋭く突っ込むスタッフに、「これだってさっき指示出しを頼まれたからしているだけ」だと悪態をつく。


(そう言えば、前にもこんな事あったな……)


山のように仕事を持ってきては去っていくスタッフを病室から追い出すと、識は隣で眠るセナの顔にちらりと視線を向けた。


セナが眠りについてから、もう直ぐ1カ月が経とうとしている。床頭台には、毎日誰かが見舞い来ては、色とりどりの花を持ってくるため、病室はいつも優しい花の香りで包まれていた。その中で一際存在感を放つ緋色の薔薇の隣で、書類やパソコンを広げては外科(持ち場)と病室を往復する生活を送る識の事は、病院側も黙認していた。


灼熱の恋を表す緋色の薔薇を送り続ける織の気持ちと、二人のこれまでの事を知っているからこその配慮だが、腕の立つ外科医がほぼ毎日院内にいて、時間外でも小言を言いながら相談に応じてくれるのは病院側としても公に出来ないメリットがある。


気軽に相談が出来る上級医がいるのならばと、最近若手がこぞって当直を希望するという現象まで起きているのだ。


「君は俺を、心配ばかりさせる。俺はずっと―――セナを待ってばかりだ」


コンコンコン……


「はい」


不機嫌に返事をする織。今度は何の仕事を持ってきたんだ―――。


「随分と、不機嫌だな?」


病室のドアを睨むように見つめた識は、声の主の立夏を見て視線を逸らす。


「さっきから、ここに来る奴は仕事を持ってくる―――」

「あはは、そりゃ君が院内に居ると分かれば使わぬ手はないだろ!」


他人事のように笑う立夏。


「…で、お前はなんだ?」


ふと、寂し気な表情を浮かべ、識と反対側のセナの隣に腰を掛ける。


「セナに、報告をしに来たんだ。俺は一旦日本に帰る―――Polaris3型での潜入捜査で、十夜が四肢に内出血を追っているらしい。暫く安静にさせなきゃいけない」

「―――そうだったな。大事にと、伝えてくれ」

「ありがとう」


セナの、頭を優しく撫でる立夏。


「白李も留学期間が終わるから、いったん日本に帰ると言っていた。秋兎は、水月博士と一緒に、何とかセナの意識を戻す方法がないか探っている。碧は、毎日病院には来ているけど、千奈の病室に通ってる。」

「俺が、千奈を優先するように言ったんだ―――。切断した腕の受容の為には、今は一番大事な時期だ―――アルや碧や、彼女にとって安心できる人が傍に居る方が良い」


識の言葉に、立夏も納得して頷く。


「俺も、そう思う。本当は傍に居てやりたいんだけど…すまない、セナ―――」


彼女の額に、自らの額を当てる立夏。


「セナなら、十夜の事をお願いと―――お前の背中を押し帰しているだろうな」

「………だろうね。セナが目を覚ました時に、君に怒られないように―――俺は日本に戻るよ」

「そうしてくれ―――」


視線を交わした識と立夏は、握った拳を互いに交わし、互いの健闘を誓った。



トン―――


静かに閉まった病室の扉を見送り、小さなため息をついた。


「今度はいつまで待たせる気だ―――セナ。」


人がいる時にはけして見せない不安げな表情を浮かべ、識は祈るように呟いた。




Scarlet Route 

File:47  世界の続き (エピローグ)


セナが眠りについてから1カ月が過ぎようとしていた。

その日は、意図せぬ形で突然に訪れた。



17:00―――

日がかげり、夕焼けが辺りをうっすらと緋色に染めはじめる。


コンコンコン……


「起きたか―――セナ」


仕事を終えてた識が、病室のドアの前に立つ。

ベッド頭部を挙上し、長坐位で窓の外を見ていたセナは、声の主に視線を向けた。


「君が目を覚ましたら、オペ中でも連絡を入れるように根回しをしていたはずなんだけど―――?」

「そう思って、看護師さんに識のお仕事が終わるまで秘密にするようにって、伝えたの。」


短いため息を落とし、肩をすくめる識。


目覚めたら、誰よりも早く君に会いたかったのに―――。

一番初めに君を、抱きしめたかったのに。


一番初めが両親だという事は仕方がないと分かっていながらも、心のどこかで自分がセナの一番で居たかったという勝手な妄想を抱いていた。


本当は、午後の手術が終わった時点で外回りの看護師からセナが目覚めたと連絡が入っていた。直ぐにでも駆け付けたい、抱きしめたい…そんな思いが識の全身を駆け巡ったが、同時に、識への連絡は彼が仕事を終わってからするようにとセナから口止めされていると言う。だから絶対に17時までは病室に入らないようにと、連絡をくれた看護師からしつこく念押しされた。


目覚めたセナの全身状態は極めて良好であり、連絡をくれた看護師からも、即座に指示が必要な状況にない事は主治医として把握していた。

それを聞いていながら、仕事中に顔を出すわけにはいかない。セナと看護スタッフとの信頼関係にも関わってくる。直ぐにでも駆け付けたい気持ちを抑えながら、午後からの処置をいつも通りに行っていた。


なぜセナは、仕事が終わってからなどと、わざわざ告げたのだろうか。



病室を一通り見回すが、一番に駆けつけていると思っていた水月やアリアの姿はない。面会を終えて帰ったのだろうか。彼らなら今夜は一日セナの傍についていると、付き添い許可を申請していそうなものだが―――。


「呼んでくれたら、直ぐに駆け付けた。セナは俺に、会いたくなかった?」


残りの仕事を終えて少し早めに切り上げた識は、病院を出てなじみの花屋に寄り、定時の時間を待ってからセナの病室を訪問していた。買ってきた花束を白衣の背にかくし、モヤモヤとした気持ちをそのまま、子供染みたセリフで投げかける。

返されたのは、意外な言葉だった。


「識を、待っていたの。」

「え?」


「いつも、待たせてばかりだから―――今日は私が、識が来てくれるのを待ちたかったの」


夕日に赤く染まる病室で、やわらかく微笑むセナの顔に

一瞬ドキッと胸を打たれた。


「み…水月さんや、アリアさんには―――」

「ラボの受付さんに、定時が過ぎてから報告して欲しいとお願いしておいた。今頃報告を受けて、病院に向かってくれているかもしれない―――」


―――まったく、君は!!!


背中に隠していた花束をベッドの上に落とし、両手でセナを抱きしめる織。


「ずっと―――何度も…俺はセナに待たされてばかりだ・・・。だからもう、待たない。セナを待ったりしない」


「―――ごめん…なさい」


少し震えた声を籠らせ、セナは識の白衣の裾をぎゅっと握った。


識や、沢山の人に、何度も心配をかけた。怒られても、仕方がない…。

識の胸に、顔を埋めるセナの顎を、片手でぐいと引き上げる。


「―――ッ!」


上を向かされたセナの目の前には、鮮やかな緋色の薔薇の花束が向けられていた。


「??!―――緋色の、ばら?」


「流石に108本の薔薇は、師長に怒られた。そう言うのは、もっとムードある場所でしなさいって―――代わりに、これだけ許してもらった」


識は、11本の薔薇の花束を差し出した。


「11本の薔薇は、”最愛”を意味するらしい。もう待たない、だから俺の傍にいてくれ」


「識の―――傍に……」


両手で顔を隠そうとするセナの左手を掴み、顔を露とさせる。

夕焼けと同じ色に顔を染め、熱をおびたそんな可愛い表情を見せておいて、嫌だと言わせる気は更々ない。


「待たないと、言ったろ?何か、言う事は?」

「あっ―――。……ッ」


開きかけた口をもう一度閉じて、口ごもるセナ。

困らせているのは百も承知だが、今日という今日は、あやふやにさせるつもりはなかった。


観念したかのように、セナは恥ずかしそうに下を向く。受け取ったバラの花束から、3本の薔薇を引き抜くと、スッと識に差し出した。


「えっ―――」


意味を理解できないままそれを受け取る識に、今度はセナが覚悟をしたかのように、真っすぐ大きな瞳を向ける。


もう待たないと言われた。

私は―――この手を離したくない…きちんと、伝えなきゃ―――


自分の声で、自分の言葉で……



「3本の薔薇の意味は、告白…。私は識を―――愛しています」


彼女の口からやっと聴けた言葉に、にんまりと口元を綻ばせた識。


「やっと、セナの言葉を聴けたな。 俺も愛してる―――セナ。」


恥ずかしさで俯くセナの唇に、そっと唇を重ねる織。

白の世界が、窓からの光で緋色に染まる。識の熱が、唇から伝わってくる。


心臓の音が聞こえてしまうのではないかと思うくらい早く鼓動を打ち、恥ずかしさで瞳が潤む。そんな可愛い反応を見せる彼女をみて、識はクスリと笑って彼女の左手をすくい上げた。


「大丈夫。”こういうの”はもう少し待ってあげる。ゆっくり時間をかけて、白のセナを俺色(スカーレット)に染めていくから、覚悟して?」

「~~~~ッッ!」


そう言って、セナの左手の薬指に、キスを落とし、再び彼女を抱きしめた。




――――お星さまにだって見えない“世界”を見せてやる。

これから先も、君の一番近くで―――




Stern Baum 【Scarlet Route】 THE END







★Summer Route

File:46  SternBaum Laboratory(星の木ラボ)  


カリフォルニア―――病院


意識を失ったセナの身体は、すぐさま識の勤務する総合病院へと運ばれる。

全身の精密検査を行い、やはり脳に加わった強いダメージによるショック状態だろうとの診断が下された。


「とにかく、しばらく様子を観よう―――」


呼びかけても返事を返さないセナを見て、病院に駆け付けた碧や白李も、頭を抱える。

意識のないセナの姿を見るのが初めてだった二人は、相当のショックを受けているようだ。


―――傍に居ながら、どうして守れなかったのだろう。

彼女だけは絶対に守ろうと、あれだけ誓っていたのに―――。


病室に駆け付けたセナの両親の震える背中を見て、今日のところはラボに戻ろうと皆をうながした。今一番苦しんでいるのは、セナの両親だ―――。



プライベートルームのベッドに転がり、じっと携帯電話を見つめる立夏。

日本はまだ夜明け前。こんな時間に、アイツは起きてはいないだろうな―――。

小さくため息を浮かべ、諦めて携帯電話を布団の上に落とす。


セナは、いつ目を覚ます―――?

今度こそ…目を覚まさなければどうしよう…不安が、立夏の胸を締め付けた。


『もしもし―――。何かあった?』


投げつけた携帯電話から、声がする。


「え?」


慌てて電話を拾い上げると、通話状態となっていた。何かの拍子に、通話ボタンをタップしてしまったのだ。


『立夏?』

「悪い―――間違えて押しちまったみたいだ。」


電話の相手に、笑って答える立夏。

いつもと違う力ない作り笑いに気が付いた電話の主は、通話を切るなと声を掛ける。

終了ボタンを押しかけた立夏の指が、ぴたりと止まった。


『何か、あったんだろ?話せよ』


電話の向こうで、通話相手の立夏の兄、牧野十夜が声を上げる。

胸に押し込めていた不安が、喉まで湧き上がったが、血友病で血が止まり難い体にもかかわらず、先の御影隼隆の屋敷潜入捜査で四肢に内出血を追う大けがを負った十夜の身体を思うと、これ以上心配を増やすわけにはいかない。


「―――いや、お前…大丈夫かと思って―――」

『――――――。ああ、内出血の事なら心配ないよ、直ぐにRICE(補助的ケア)と補充療法の注射は行ったから。―――ってか、そんな事言いたかったんじゃないだろ?』


立夏の不安を見透かしたように、問いただす十夜。


『セナに、何かあったんだな―――立夏がそんな声をするのは』


「十夜―――俺はまた、セナを守れなかった」


優しく語り掛ける兄の声に、押し込めていた感情が関を切ったようにあふれ出す。

今日の御影隼隆との戦闘の事を、十夜に話す立夏。

感情に任せ、十分にまとまらない立夏の話を、十夜はただじっと聴いてくれたのだ。


『大丈夫だ、立夏。セナは必ず目を覚ます。お前が、傍に居なくてどうするんだよ。』

「―――ッッ!!十夜……」

『ほら。早く行け』


「ありがとう―――」


通話を切ると、立夏はラボの外に止めてあったバイクに跨り、夜の住宅街を走らせた。

病院の面会時間はとっくに終わっている。院内に残っているはずの識に電話をし、彼を病院の外まで呼び出した。


「なんだって、こんな時間に戻ってくるんだよ―――」


ため息交じりに、少しの悪態をつく織。


「ゴメン―――」


素直に謝る立夏を見て、それ以上の追及をやめ、セナの病室へと案内した。


「アリアさんが酷く落ち込んでしまって、とりあえず水月さんと一緒に帰ってもらった」

「―――そうか」


薄暗い夜の病室に、廊下から漏れる蛍光灯の明かりと窓から漏れる星の明かりが、白いはずの病室の壁をぼんやりと青白く照らす。


ベッドで眠るセナの顔を見て彼女の手を取り額に当てる立夏。


「―――ここでは、俺は随分と無力だな」


臨床研修留学で出来る範囲は限られている。いつだって君を、結局守れずにいるんだ――。


「だったらUSMLE Stepを受ければいいじゃないか。セカンドまで取れば勤務医は出来るし日本でも受験できる。俺も、今後セナが日米両国で活動するなら、日本の医師免許を取りたいと考えている」

「――――――識」

「セナは絶対に目を覚ます。そして、俺達は、俺達しかできないことがある―――そうだろ?」


セナの手を両手で握り、その甲に口づける。


「この世に絶対はないと、そう言ったね―――お前の周りにいる男達は、やたらと“絶対”って言葉を使いたがるんだ。でもそれは、結果じゃない…決意―――何よりも強い意志の言葉だよ。だからセナ、俺は“絶対”君を諦めない。」


立夏の決意を、隣でじっと聴いていた識。


「それ、俺のいる前で言うか?聞いてるこっちがこっぱずかしいよ」

「そういや識、こういうの苦手だったよな――」


意地悪く笑う立夏に、識は肩をすくめて立ち上がった。


「はいはい―――メルヘンな世界は居心地が悪い。俺は当直室借りてシャワーでも浴びてくるから、何かあったら呼べ」

「ああ、わかった」


識が病室を出ていく。静かに扉が閉まるのを見送り、立夏は再びセナに視線を移した。


「聞こえているんだろう?セナ。どうしたら目を覚ましてくれる?大好きだって何度も耳元で伝えたら起きてくれる?それとも、セナから借りた小説みたいにキスしたら、目を覚ましてくれる―――?」


窓からの薄明かりが、立夏とセナの顔に、白と黒の影を落とす。

手を握り、頭と頬を撫で、ふわりと細い茶色の髪にキスした。



識がシャワーを済ませた後、軽食を腹に押し込み、珈琲を持って部屋に戻ると、セナのベッドに転がり彼女を守るように両手で抱きかかえたまま小さく寝息を立てる立夏が居た。


「こら―――立夏。簡易ベッド用意してやるから寝るならそこで―――」


立夏を起こそうと手を伸ばすと、立夏の胸のあたりでごそごそと茶色の髪が動く。


「?!」

「大丈夫…識―――このままで」


顔を上げたセナを見て、驚きの声を抑える織。


「目を、覚ましたのか――セナ。頭痛は?症状は―――」


小声で話しかける織に、セナは小さく首を振った。


「二人こそ、身体は大丈夫?イデアの攻撃…」

「俺達の事なら大丈夫だ。衝撃はあるが受け身は取っていたから。立夏も打ち身ですんでいる」

「よかった…訳ないか―――二人に痛い思いさせた」


じんわりと、目に涙を浮かべるセナの頭を撫でる織。


「よかったよ、君が目を覚まして。御影隼隆とイデア2体は重要参考人で身柄を拘束、白李や碧達の方も、InsideTraceゲームの会場にいたアッシュ達2名の行方不明者の身体を保護してくれたんだ。まだやる事は残っているが、被害の拡大は防げた―――お前の、シュテルンバームの力だ。よく頑張ったな…ありがとう」


再び首を、小さく横に振るセナ。


「違う…皆の力だよ―――私は助けられてばかりだった。」

「そんな事ない―――。

が、これ以上の説明は立夏に譲るよ。俺より上手く、言葉にしてくれそうだ」


立夏の寝顔を見上げるセナ。

これだけ近くでお話していても起きないのは、それだけ疲れていると言う事か。それとも、夢の中でセナの声を聴いて、彼女の温もりを両手で感じて、安心しているからだろうか。


「聴覚の感覚入力がある事を知っていながら、さっきまでずっと耳元でお話してくれていたの―――嬉し恥ずかしくて、死んじゃいそうよ…」


顔を真っ赤に染めながら、再び立夏の胸に顔を埋めた。その様子を見ながら識はフッと寂し気な微笑を溢す。


「そう言えばセナは、立夏にだけはそうやって体を許すよな?一緒に風呂入ったり、寝たりさ―――ずっと前から。

立夏はGID…心は男だぞ?」


少し考えこむように、首をかしげると、自らの腕を立夏の背に回したセナ。


「……性染色体が作り出す生物的性別も、脳が作り出す自己意識的性別も―――科学の進化の中で人が見つけて勝手にカテゴリー分けしたモノ。大多数に分類されるものを正とし、それ以外を状態異常と区別した。人の作り出すこの世界の中で、生きにくく差別した…それだけ。立夏は私が望むなら、男でも…女でもいいと言ってくれた。私も、人としての立夏が好き。立夏といると、安心する―――。だから立夏を守りたいし、この腕に、守られていたいの」


安心したように瞳を閉じるセナ。


――――自分で、選んだんだな…セナ。


「そこまで言われちゃ、出る幕ないな―――俺は休憩室の方で残りの仕事をしているから、何かあったら呼んで?直ぐに駆け付ける。セナと立夏の後ろには、俺や十夜や水月さんやアリアさん、白李や碧やアルグレードがついてる事を、忘れないで―――」

「知ってるわ―――。識達がいるから、私は自由にシュテルンバームを目指せるんだもの」


再び病室を出ていく識。

立夏の胸に再び顔を埋めるセナの頭を、立夏の片手が優しく撫でた。


「―――立夏?起きてたの?」

「―――セナの後ろに、識達がいて…俺は、君のどこにいるの?」


温かい手が、後頭部を優しく癒す。


「立夏は、ここにいて―――。私の隣で、一緒に星の木の枝を広げるの。

白と、深緑の枝を―――ずっと、遠くまで」


「ああ、約束するよ。大好きなセナ…ずっと、傍に居るよ」


Summer Route

File:47  世界の続き (エピローグ) 


数日後―――


翌日の全身検査で大きな問題がない事が分かったセナは、怪我を負った十夜の様子を見に行くという立夏と、留学期間を終えて帰国する事となった白李と共に日本に渡る事となった。


空港には、碧と織、アルグレードが見送りに来る。


「セナも、日本に行くのか?」


「ええ。聖倭大学に残したバームプロジェクト研究室の処遇を大学側と協議しようと思って。元々拡散されたウイルスや対アライド用に日本のInsideTraceUnit projectの支援で立ち上げたものだから、一旦除籍するのが妥当だと思っているわ。今回の件で、あきらかに日本のサイバー犯罪対策課とはアイアンカーテン(対立)が出来てしまったしね。対策課とつながりがある状態で私の研究データを置くのは不安だもの。」


「そうか―――」


見送りに来た碧が、寂し気に頷いた。


「聖倭大学の父の研究室で、BMI義手適応についてもう少し改良を加えるわ。

千奈に、もう一度あの美しい音を弾いて欲しいから」

「ありがとう、セナ。それまで、千奈の事は俺と碧で支えるよ」


アルグレードも、静かにうなずいた。


また連絡すると、短く挨拶を交わした白李は、セナの荷物と自分の大きなトランクケースを転がしながら、国際線のロビーに足早に歩いていく。

トランクケースを片手に、識の隣に並ぶ立夏。


「ありがとう、識。行ってくる」

「ああ、落ち着いたら――セナと一緒にまた戻ってこい。USMLE Stepの指導してやる」

「お前こそ、日本の国試は甘くないぞ?」


そう言うと、後ろ手を振って二人の後を追った。

識と碧、アルグレードは日本へと向かう3人の背中を見送った。



聖倭大学附属病院からほど近いマンションの駐輪場。

赤のGSX-R600の隣に、白いNinja250Rを滑り込ませるセナ。メットホルダーにヘルメットをかけ、借りていた合鍵でエントランスに入ると、エレベーターに乗り込んだ。


背中に背負ったリュックから、紙袋を取り出し、左の突き当りの部屋へと向かう。


部屋を開けると、ヴァイオリンの音色が玄関まで聞こえた。ドアの外には全く聞こえなかったというのに、最近のマンションの防音設備は大したものだと感心する。


「お邪魔します…立夏?」


ヴァイオリンの音に誘われて、吸い寄せられるようにリビングの戸を開けた。


バッハの二つのヴァイオリンのための協奏曲―――


白い壁のすっきりとしたリビングに、互いに背を向け、二つのヴァイオリンが息の合ったのびやかな音を重ねる。

纏う空気すら別世界へと変えてしまうこの二人が揃うと、恐ろしく絵になる光景に目を奪われ、思わず扉の前で音に聴き入ってしまうセナ。



曲が終わり、セナに気付いた立夏が駆け寄って来た。


「そんなところにいたの?声を掛けてくれたらよかったのに―――」

「素敵過ぎて、声が出なかったわ―――そういえば、十夜先生も立夏もヴァイオリンを習っていたんだっけ…」

「私はリツカ程上手くは弾けないのだけどね」


謙遜して見せるが、二人の実力の違いなど一聞して分かるものではない。


「腕の内出血、だいぶ回復したみたいで、良かったです―――」


弓を持つ捲り上げられた十夜の前腕にそっと触れるセナ。

心配していたが、演奏が出来るほどまでに回復したことに安心する。


「心配かけてごめんね…でも、嬉しいよ――セナ」


腕に触れた手を引き、セナを抱き寄せようとする十夜の顔前の寸前で、ヴァイオリンの弓が止まる。


「……危ないよ、立夏?」

「俺のセナに触れないでくれるかなぁ。」「まったく、ヤキモチ焼きだなぁ」


わざとらしく大きく肩をすくめる十夜の腕からセナを奪い、自らの腕の中に抱き寄せる立夏。このやり取りは、セナ達が日本に来てからはいつもの事になっていた。


「セナ、俺に会いに来てくれたの?嬉しいな―――言ってくれたら水月さんのマンションまで迎えに行ったのに」


日本に来てからは、水月が聖倭大学の講師として大学に出勤するのが便利なようにと借りたマンションに一緒に住んでいた。大学と附属病院は真隣にある為、必然的にセナと立夏のマンションは近くにあり、徒歩で行けなくもない距離だ。わざわざ迎えに来てもらうほどでもない。


「立夏がUSMLE Step受験するために、休みの日は勉強を頑張っているだろうと聞いたから、差し入れにと珈琲豆を持ってきたのよ。」


リビングを見渡すが、それらしき参考書は見当たらない。

リビングに置かれた小さな座卓にはノートパソコンが置かれていたが、パソコンで勉強でもしていたのだろうか。


「十夜先生も、お休みだったのですか?」


ヴァイオリンをケースの中に置き、台所に向かう十夜に声を掛ける。


「私は救急当直明けだよ。勉強しているだろう立夏に昼食を作りに来たんだけど…ヴァイオリンを弾いて遊んでいたから、ついつい、ね」


十夜は肩をすくめてウインクを見せると、勝手知ったる台所でテキパキと昼食の準備を始めた。


二人のわだかまりが溶けてからは、料理の作れない立夏に代わり、時折十夜がご飯を作ったり持ってきてくれていたようだ。勤務日は専ら病院の食堂を利用していたが、休日は買い込んだ総菜や弁当に偏っていた為、有難く作ってもらっていた。


「十夜先生、お料理作れるの?」

「立夏よりは上手だとおもうよ♬セナも食べるでしょ?アレルギーや嫌いなものはある?」

「アレルギーは無いわ!私もお手伝いしていいかしら?」


十夜と共にキッチンに立つセナの姿を見るのは、立夏にとって面白くない。

子供のように頬を膨らませ、俺も一緒に作ると寄ってくる立夏を十夜は片手でシッシと追い払う。


「君はきちんと勉強しなさい。識君に負けてもいいのかい?」

「それは、腹立つな―――」


どうやら、識の名前を出したのが効いたようで、別室からテキスト持ってきてリビングのソファーの下に長坐位になり、耳にイアホンを当てて本を読み始めた。ついさっきまでは勉強モードを微塵も見せなかったというのに、その切り替えの早さと真剣な視線に、目を奪われるセナ。


「立夏の扱いに、慣れていますね―――十夜先生」

「昔から負けず嫌いだったからね。ライバルを目の前に吊るせば直ぐにムキになる単純な奴さ。でも、あの切り替えの早さと集中力と諦めの悪さは、立夏のイイ所だね…」

「―――やっぱり、カッコいいなぁ…立夏」


目を細めて立夏を見つめるセナを見て、くすりと笑う十夜。


「雑に見えて、結構繊細な子だから―――立夏の事よろしくね」

「はい!よろしくされました!」


小さく敬礼して見せると、セナは少しの照れ笑いを浮かべた。


――――君が、立夏の傍に居てくれて、本当に良かったと思うよ。


3人で昼食を取った後は、セナの淹れた珈琲で寛ぐ。

自分で珈琲を淹れる事などないくせに、珈琲セットが立夏のキッチンに合った事を不思議に思っていた十夜は納得を得た。


「成る程、セナが時々ここに来ていたんだね――。珈琲セットや、立夏に似合わない可愛いものが増えていくから気になってはいたんだ。」

「昔の彼女さんは、お家にいろいろ持ち込んだりしなかったの?」


不思議そうに首をかしげるセナに、十夜と立夏は一瞬顔を見合わせて笑い出す。


「立夏が人を家に入れる事すら想像できなかったけど…えーどうなの?そこは俺も知りたい!」


十夜の一人称が、俺へと変わり、興味深そうに立夏の顔を覗き込んだ。兄としては立夏の恋愛事情は気になるのであろうか。確かに、兄妹でそのような浮ついた話をしそうな二人ではない。

立夏は頭を抱える。


「俺は基本、自分のテリトリー内に人を入れるのは好きじゃない。デートは外でするし、家に入れても見ての通りここには何もないからな」

「そう…なの?」


驚いたように目を丸くする。

珈琲セットを家に置くことも、二人での買い物中に見つけたふわふわの可愛いクッションを、セナ用にと家においておけばいいと言ったのも、立夏の方からだ。彼女が人を家に入れなかった…いやむしろ、テリトリー内に人を入れないというのは、初耳で想像もしていなかった。


「それだけ君が、特別だと言う事だね」


驚いているセナに、十夜が珈琲を飲みながら話す。


「そう、特別―――。何もないこの部屋は、俺と同じだ。だから、セナの好きなように変えて行っていいよ。俺を、君色に染めて♡」


セナの肩に、甘えるように頭を寄せる立夏に、口に含んだ珈琲を誤嚥して咳き込む十夜。


「ゲホッ―――お前ッ、そういう事言うキャラだったか?」

「セナ好き~っ」


―――これは、言うまでもなく相当彼女色に染まっているな…立夏


はぁと小さくため息を落とし、そっと洗い物をキッチンに運ぶと片づけを始める十夜。キッチンからリビングを覗き見ると、セナに促され、立夏はテキストを再び開いていた。立夏の隣でセナもまた、膝にノートパソコンを置きカタカタと仕事を始めている。


そう言えば、外科の看護師から聞いたことがある。セナが居ると立夏の機嫌がよくなるだとか、仕事が早く終わるだとか―――。

今の立夏の集中力は、確かに今まで見たこともない。


「ったく、仕方ないなぁ―――」


―――俺の真似じゃなく、自分で見つけた大切なモノ、手放しちゃだめだよ、立夏。


片づけが終わった十夜は、そっと部屋を出た。

そんな二人を、ずっと見守っていこうと、心に誓って。



Stern Baum【Summer Route】THE END




★Winter Route

File:46  SternBaum Laboratory(星の木ラボ) 


カリフォルニア―――病院


InsideTraceゲームの事後処理を終えた白李とアルグレードは、識から連絡を受け山奥にひっそりとたたずむ御影隼隆の屋敷に向かった。そこでは、どうやって集めたのかと思うほどのコンピューターと設備の全ての電源が落とされ、物言わぬ鉄の塊と化していた。

生きた人形のように視点の合わぬ御影隼隆の身柄が、アルグレードによって連行される。


識と立夏に捉えられ、こちらも鉄のガラクタと化したイデアらしき2台のオートマタもまた、水月によって重要参考物資として回収された。


意識を失ったセナを見て、愕然とする白李。


何が、どうなったんだ―――。


「プログラムの移植で、脳には相当なダメージを負っているはずだ。―――だけど、必ず目覚める。俺が、セナを目覚めさせる」


セナの左手を握りながら、秋兎が決意ともいえる言葉を言い放つ。


程なく救急車が到着し、セナの身体は病院に運ばれ、全身の精密検査が行われた。

目が覚めない原因はやはり、脳に加わった強いダメージによるショック状態だろうとの診断が下された。


「とにかく、しばらく様子を観よう―――」


病室を出ていく識。こんな時でも落ち着いているのは、彼が医療者だからか―――?

駆けつけたセナの両親が、彼女の手を握り涙を溢す。

悔しさが、もやもやとした感情となって全身を襲った。


どうしてあの時―――立夏と一緒にセナの元に行かなかったのだろう。

どうして―――俺は・・・


後悔だけが頭の中を反復する。

白李だけではない。ここにいる誰もが、何が出来なかったのかと自分を責めていた。



その日の夜。

どうしても納得のできなかった白李は、一人セナの病室を訪れる。

そこには、彼女のベッドサイドに腰を落とし、じっと祈るように見つめる識がいた。

静かに開く病室の扉に、視線だけを向けた識。


「お疲れ―――水月博士達は?」


病室にセナの両親が居ない事を見て、不思議そうに尋ねた。


「いったん、帰ってもらった。アリアさんをあのまま病室に居させるのは、セナにも良くないし…俺も辛い」


成長するにつれ、顔立ちがアリアと似てくるセナ。両眼を腫らし、涙をすするアリアの姿は、セナのそれを彷彿とさせ、胸が痛んだ。


カタンと、オーバーテーブルに温かい珈琲を置く白李。


「デカフェだ。暫く変わるから、シャワーでも浴びてきたら?」



「……俺は、大丈夫だよ。でも、珈琲は折角だから貰っておこうかな。ありがとう」

「どういたしまして」


識と反対側の椅子に座ると、白李はじっと眠ったままのセナの顔を見つめた。


「識は、落ち着いているんだな―――。立夏は、一番ショックを受けているのは、識だと言っていたけど」

「あはは…セナにはもう、何度も待たされているからな―――嫌な意味で、慣れたよ」

「そうか―――」


薄暗い夜の病室に、廊下から漏れる蛍光灯の明かりと窓から漏れる星の明かりが、白いはずの病室の壁をぼんやりと青白く照らす。

光が作り出す影が、暗く…濃く映り、何かとてつもないものに呑み込まれてしまうかのような幻覚を感じるのは、白李が夜の病室という特殊な空間に慣れていないせいだろうか。

少し緊張した面持ちの白李の顔を見て、くすりと笑う織。


「お前さぁ―――なんか似ているんだよな」

「似ている?」


脈絡のない識の言葉に、怪訝そうに眉を顰めた白李。


「・・・・・・昔の俺に」

「―――あんま嬉しくないけど」




「――――セナの事、好き?」


ベッドに両肘をつき、微笑を浮かべながら問いかける織。

何かを試されているような、不快さを感じた。


「当然だろ。好きじゃなきゃ、こんな時間にここには来ないし、お前とセナを二人きりにさせるのを阻止ししようとしたりしない。」

「あ、やっぱり―――出て行けよと言わんばかりに睨まれているよな、俺!」

「わかってんなら、出て行けよ」

「無理。俺も、白李とセナを二人きりにさせたくないから」


チッと、小さく舌打ちをし、視線を逸らす白李。


「そう言うところが、似てるんだよ―――。」

「あぁ?」

「自分以外誰も信じない―――。大切なセナを誰かに任せる事への不安。半ば器用に何でもこなせてしまうから、誰かに頼るより、自分の手の中に納めて守りたいと思ってる」


「…………」


薄暗い部屋で、ベッドを挟みながら識を睨む白李。

不快を感じたのは、彼の言う事が、強ち外れてはいないから。


―――大切なものを守るのに、誰かの手を借りたりしない。自分の大事なモノ位、自分の手で守ってみせる―――。


自分のいないところで、セナが意識を失う事となった…

もうこんな思いは、二度としたくない。


白李のそんな決意と想いを、見透かすように識が淡々と話し出す。

彼にはそれが、不快で仕方がなかった。


「俺も結構器用に人生を生きて来た方でさ―――。こんな小さな女の子一人くらい、俺が抱きしめて守ってやろうって思ってた。だけど、セナは俺の腕なんかするりと抜けて、自分の目指すものの為に突き進んでしまうんだ。

危険な物から遠ざけて、綺麗な世界を見せてやろうと思っても、自ら危険なところに突っ込んで、傷ついて涙を流してしまう」


「――――――そうだな…」


白李にも、思い当たる節は幾らでもある。大人しく、守られてくれる子ならばどんなに楽だったが。だけど……


「そんなセナの方が、セナらしくて―――俺は好きだな」

「ああ。だから今は、汚い世界も傷つくことも、色んな事を経験して成長していくセナを、隣で支えたいと思ってる」


識の言葉は、苛々させる。

そんな事、解っている―――俺だってセナを束縛したいわけじゃない。

そんな白李の思いが、辛らつな言葉となって識に返される。


「………なんだ、セナを好きな自分自慢がしたかったのか?」

「いや?―――違う。自由なセナを、24時間365日、ずっと隣にいて守ってやることなんてできないし、白李がセナをそうして束縛する気なら、俺は全力でお前を排除する。」


識は白李の言葉を諸共せずに、軽く受け流す。

これが、識と自分の余裕の違いなのだと、思い知らされた。


「俺には―――識のように後ろから彼女を支えてやれる程の器はない。セナを守りたくて、笑ってほしくて、その為に自分に何が出来るのか必死にもがいている子供だよ。

だからこそ、隣にセナが必要なんだ。誰でもいい訳じゃない―――俺が、俺らしく成長していくために、本気で愛したいと思える彼女が必要なんだ!」


少し声を荒立てた白李の言葉に、識は一瞬目を見開いて驚いた顔を見せたが、再びクスクスと笑いだした。


「やっぱ似ているわ、お前―――。ってかそれ、俺に向って言っても仕方ないだろ?」

「識が俺を煽るからだろ?!」


クスクスと、腹を抱えた笑い出す織。


「―――そうだな。夜はまだ長いし、当直室借りてシャワーでも浴びてくるよ…。暫くセナの事、頼んだぜ?」

「――――言われなくても」


立ち上がり、空になった珈琲カップをもって扉に向かう織。


「あ、そうそう…ひとつ大事な事言い忘れた。」


「あ?」

「セナは確かに眠っているけど、聴覚と触覚が繋がっている事は脳派の検査で確認できているんだ。お前のさっきの言葉、もしかすると全部セナに聞かれているかもな―――」


ひらひらと後ろ手を振り、何かあれば呼んでくれと病室を出ていく識。


「……えっ?!―――マジ?」


(そう言うのは、先に言えよな!!)


本人が眠っていると思い、感情に任せて大胆な言葉を口走ってしまった。片手で顔を覆いながら、自分の言葉を振り返り赤面する白李。

ちらりと横目で、セナの横顔を確認する。


「………眠っている―――よな・・・?」


ベッドに置いた白李の片手に、温かいぬくもりが、触れる。


「?!」

「――――眠っていた方が、良かったかも…目を覚ますに、覚ませなくなっちゃう」


片手を白李の手に重ね、もう一方の片手で布団を口元まで被るセナ。


「セナ?!起きていたのか?!」

「―――目が覚めたのは、今だけど…識の言う様に周りの音は、届いていたわ」



重ねられたセナの手を、ぎゅっと握り返す白李。

今更ながら、恥ずかしさが全身からあふれ出す。


「……めっちゃカッコ悪い事、聴かせてしまったぞ―――俺」

「そう、かしら?かっこよかったけど―――。嘘なら、とても残念だわ」

「…嘘じゃない。アイツみたいに余裕がないのも、セナの事が必要なのも、本当だ」


片手で顔を覆ったま、視線を逸らす白李。

まさかこのタイミングで、セナが目覚めるなんて思っていなかった。嬉しさと、恥ずかしさで上手く言葉が出ない。


識を―――両親を呼ばなければ?それよりも先に、ナースコールで病棟スタッフを呼ぶべきか?思考がパンク状態で慌てる白李の、顔を覆う手を握ってゆっくりと降ろすセナ。


「カッコ悪くないよ。私も、ハクも、今から大人になっていくんだから―――足らないところを補い、成長してくもの…だから必要と、してくれているんでしょ?」



「セナ―――」


白李は、ニコリと自らに微笑むセナを抱きしめた。


―――それなりに器用に生きてきた…だけど、君に対しての余裕なんて、これっぽっちもない。

誰かと比べれば比べる程、自分の幼さにイライラする。


だけど、この気持ちだけは本物だ。


セナと一緒に、セナの隣で―――シュテルンバームの世界の続きを、一緒に作りたい。

黒い空に輝く白い星の木の枝のように、君の隣を走っていたい。


「必要だよ。セナが―――大好きだ」



Winter Route

File:47  世界の続き (エピローグ) 


数日後―――


留学期間を終えた白李は、日本に帰る事となった。

立夏もケガを負った十夜の様子を見るため日本に帰国するという。


「セナも、日本に行くのか?」

空港に見送りに来た碧が、大きな荷物を彼女に渡しながら寂し気に目を伏せた。


「ええ。聖倭大学に残したバームプロジェクト研究室の処遇を大学側と協議しようと思って。

元々拡散されたウイルスや対アライド用に日本のInsideTraceUnit projectの支援で立ち上げたものだから、一旦除籍するのが妥当だと思っているわ。

今回の件で、あきらかに日本のサイバー犯罪対策課とはアイアンカーテン(対立)が出来てしまったしね。対策課とつながりがある状態で私の研究データを置くのは不安だもの。」


「そうか―――」

「安倉千奈の事は、私が何とかする。また彼女のピアノを聴きたいもの―――だからそれまで、アルと碧には千奈の事を支えてあげて欲しい。」

「―――分かった。千奈の事は、任せて……」


共に見送りに来ていたアルグレードもこくりと頷く。

二人の後ろで、ただ腕を組んで口を閉ざす織に、白李が自ら声を掛けた。


「識は、来ないんだな―――日本に」

「…ああ。俺はカリフォルニアで、セナの星の木ラボを守ってるよ。」

「大切なものは、自分の手で守りたいんじゃなかったのか―――?」


「24時間、傍に居てやれるわけじゃない。それを、セナも望んでいない。セナの体調の事は立夏に申し送ってある―――」

「ふーん」


視線を逸らせ、鼻で返事をする白李。


「信頼していなけりゃあの時、お前を残してセナの病室を出たりしない。お前達は、好きなように星の木の枝を伸ばしていけばいい。つまずいて、失敗して、傷ついて、どうしようもなくなったときは、俺達を頼ればいい。振り向いた後ろに、必ずいてやる」


「……カッコつけやがって。」


くるりと振り向き識に背を向けると、セナの手を引いて国際線のロビーに足早に歩いていく。トランクケースを片手に、識の隣に並ぶ立夏。


「―――なんだ識、随分と白李を気に入っているじゃないか?」


「ああ。ああいう奴は、応援してやりたくなる。昔の俺が出来なかった事を、白李なら叶えてくれるかもしれない」

「……お前は自分の手で叶えていくやつだと思っていたが?」


クスクスと笑う立夏に、頭を掻きながら眉を顰めた。


「俺には俺の役割があるんだよ―――。若い奴には、敵わないしな」

「へー。随分年とったんだな!」

「うるせぇ、立夏も同じ年だろうが!」

「心は20歳だ!」


(サバ読みすぎだろ―――ずうずうしい奴だな)


顔を引きつらせた識の肩をポンと叩き、後ろ手を振って白李とセナを追いかける立夏。


「まぁ、日本でのあいつらの事は、俺に任せろ。それが俺の“役割”だ」

「ああ。頼んだぞ―――」


識と碧、アルグレードは日本へと向かう3人の背中を見送った。





―――聖倭大学

海洋学部クラス


長い夏休みが開け、それぞれ有意義な夏を過ごした学生達が、久々の講義の後にそれぞれの近況についての話に華を咲かせていた。


「カリフォルニア留学はどうだったんだ?ハク。レポートはまとまったのか?」


机でノートパソコンを開く白李の元に、仲の良い学友のタキとナオがやって来た。

夏休み前よりもこんがりと焼けたナオとは違い、浮かない顔でため息を溢すタキ。


「現地でレポート書いていたからな―――今朝教授に提出したよ。二人は、随分と対照的だな?」

「華の大学生だというのに恋の一つもしない寂しいお前らに代わって、俺はひと夏の恋を謳歌してきたぜ!」


こんがり焼けた腕を見せながら、自慢げに話すナオ。どうやら文学部の彼女とは順調なようだ。たいしてタキは―――。


「休み前に落とした単位の補修で夏が終わった…。ちくしょう!!俺も華の大学生やりてぇ!!」


相当フラストレーションが溜まっているようだ。


「お前の場合はまず本業優先だな…」

「固いこと言うなハク!夏はまだ終わっていないぜ!今日の花火大会、文学部の選りすぐりとグループデートセッティングしてやるからお前らも来いよ!男連れてくるように言われてんだよ」

「マジ?!行く!やっぱり持つべきもんは親友だよ、ナオ!!」


急にテンションが上がるタキの腕を引き留める。


「おい、お前らは夏季休暇の課題提出しているんだろうな?!タキは今度落とすと本気でヤバいぞ?!」


すっかりその気になっているタキに、白李の言葉は届いていない様子だ。


「1日くらい大丈夫だって!」

「そうだよ、単位より大事な運命の出会いがあるかもしれないだろう?!」


(……お前何のために大学入ったんだよ――)


ため息をついて頭を抱える白李。


「お前も来るだろ?ハク。課題は朝に提出したって言っていたしな」

「俺はパス。彼女いるから」


先程の講義の内容のまとめをカタカタと打ち込んでいく白李。


「「彼女?!」」


タキとナオの顔が、ノートパソコンとの間に割って入る。


「うわっ?!なんだよ」


思わず椅子に仰け反る白李。


「大学は勉強するところとか言いながら、お前も留学先でパツ金彼女出来たって言うのかよ!」

「ちょっとカフェテリア付き合え、ハク」

「えっ、ちょっと―――おいまて!」


両脇を抱えられて教室を連れ出される白李は、構内のカフェテリアに引きずられていった。

カフェテリアに着きテイクアウトのサンドウィッチと珈琲を購入すると、席に着くことなく出ていく。


「えっ、何処に行くんだよ―――」


オーダーを慌ててテイクアウトに切り替え、白李の後ろを付いて歩く二人。


3人が着いたのは聖倭大学が誇る図書館。入るなり、海洋系の本を片っ端から抜き取り、テーブルにドサリと並べた。


「へ?」


呆気となる二人にテーブルに着くように促すと、自らもどさりと机に腰を落として、パソコンを広げて授業のまとめの続きを始める。


「ほら、見てやるからさっさと課題のレポート仕上げろ、タキ。夜はナオとクループデート花火に行くんだろ?」

「ハク―――お前良い奴だな!」

「御託はいい、さっさとやれ!」


白李に促され、ノートパソコンを広げてレポートの作成に取り掛かるタキの隣で参考書を広げながら作成を手伝うナオ。


「そういや、夏休みは彼女見なかったな―――」

「彼女って、お前が入れ込んでた図書館の姫っていうあの?」


レポートを打ち込みながら雑談を始めるナオとタキ。


「運命の出会いがあるかもって、毎日ここに通っていたのに、一度も会えなかったぜ」

「そりゃ、図書館の姫は夏休み中カリフォルニアにいたからな。アイツには手を出すなよ、ナオ。代わりに今日の花火大会で出会いがあるようにこうしてレポート手伝ってやるから」


愁いのため息を溢すナオに、しれッと言葉を溢す白李。


「えっ…どうして―――」

「まさか―――ハクの彼女って…」


金魚のように口をパクパクと動かす二人に、ニヤリと不敵な笑みをこぼした。


「「マジ?!」」





夕方の学校終わり。

授業が終わった白李は図書室で待ち合わせたセナを迎えに行くと、そのまま駐輪場に向かった。


ちらちらと、後方を気にするセナ。


「ねぇ、お友達がついてきているけど―――いいの?」

「いいんだよ。タキの課題レポートは終わらせたんだ、後はナオのグループデートに連れて行ってもらえば青春できるだろ」

「……意味わからないわ」


駐輪場でバイクのヘルメットを受け取ると、慣れた手つきでヘルメットを被るセナ。


「それよりセナも、水月さんには今日遅くなる事伝えたか?」

「ええ、どうせ父さんもラボの用事で遅くなるみたいだし。夕飯はハクと食べてくるって言っておいた」

「それは良かった」



フルフェイスを被り、にんまりと口を綻ばせる白李。セナの左耳についたインカムを、自分のインカムとコネクトし、黒のCBRに跨った。


『帰りは暗くなるから、タンデムで行こう。乗って?』

『―――ええ、でも…どこに行くの?』

『ついてからのお楽しみ―――』


セナをタンデムシートに乗せると、アクセルを開けてバイクを走らせた。

こっそり様子を伺いついてきていたナオとタキは陰から顔を見合わせる。


「アイツ、本当に図書館の姫と付き合ってるんだ―――」

「あのハクに…マジで彼女が出来るなんて―――」



暫くバイクを走らせ、着いたイタリアンのカフェで早めの夕食を取る二人。

周囲には、カップルらしき男女が多く、浴衣姿の女の子もちらほら見かける。食事と会話を楽しむこの中では自分達も、きちんとそのように見えているのだろうか…


―――本当は、もっといろんな人に自慢したいくらいなんだけど。セナはこういうデートをどう思っているのだろう…。


パスタを頬張るセナの顔を、じっと見つめる白李。


――――自分には、セナが必要だ。だけど、彼女は本当に、俺で良かったのだろうか―――。


彼女の周りには特殊な人が多すぎて、時々不安になる。

視線を感じたセナは目の前の白李に問いかけた。


「どうしたの?ハク―――」

「いや…何でもない」

「なんでもない顔してないわ」


頬を膨らませながら、フォークを立てるセナ。


「―――う~ん。俺はきちんと、セナの彼氏できてるのかなって…」


苦笑いを見せる白李に、持っていたフォークを置いた。


「ハクは、私を選んだ事後悔してる?」

「微塵もない。するわけない。今だって、セナと一緒にいられる事は幸せだ」

「じゃぁいいじゃない!私もハクといて幸せよ?一般で言うお付き合いがどんなものか、よく分からないのだけど―――私達お互い変わり者だから、お互いが良ければそれが正解じゃないかな」


―――ああ、そうか。俺は、何と比べていたのだろう。

一般…普通…?そんなものからはとっくの昔に逸脱している。

“人並み”を目指して、それに近づけて、何になろうというのだろう。


「変わり者同士か―――そうだったな。らしくない事を考えてた……」


ニコリとほほ笑む白李の表情を確認すると、再びパスタを頬張るセナ。


食事を終えた白李は再びセナをタンデムシートに乗せてバイクを走らせた。

すっかり空は暗くなり、車通りの少ない静かな高速道路を走り抜ける。


これからもこうやって彼女に助けられて、成長していくのだろう。

だから、自分に出来ること全てで、彼女の事を支えたい―――。


だから、君を選んだ。



バイクに取り付けたナビゲーションのモニターが、19時を指す。


『そろそろだ。セナ―――左側を見ていて!』

『左?』


インカム越しに、後ろのセナに話しかける。視界には、真っ暗な海が広がっている。




黒の空に、一筋の白い光が駆け上った。


ヒュルルルル―――― ドォン!!!



フルフェイスのシールドに、7色の花火が光った。


『?!!』


バイクの左側で、次々と大輪の花火が打ち上げられていく。その光は、眼下の水面に反射し、天地の境界を消して広がった。



ドン…ドォン―――ヒュル―――― バァン!!





『うっわぁぁぁ!!!』


バイクのエンジン音よりも大きな花火の音が、辺りに響く。

ヘルメットのシールドを上げるセナ。インカムから聞こえる、彼女の興奮気味の声がセナの楽し気な顔を想像させる。


『大きい!綺麗っっ!!』


VRの世界で観るよりも、その音はずっと大きく鼓動を揺らす。

胸を直接打つように、身体の奥まで響く―――。


『大学卒業したら、もっと大きな世界を探しに行く!その時は、セナに隣にいて欲しい!』


エンジンと、風と、花火のどんな音にもかき消されないように、声を上げる白李。


『ハクの追いかけるシュテルンバームを、私も一緒に探すわ!』


白李のジャケットを握り締め、その背中にヘルメットをこつりと当てるセナ。


『だから、私を―――離さないでね』


色とりどりの大輪の花を咲かせる花火に、二人は誓いを交わした。



Stern Baum【Winter Route】THE END




★Spring Route

File:46  SternBaum Laboratory(星の木ラボ) 


カリフォルニア―――


海沿いの小高い丘の上にある、白い壁と赤い屋根の家。

窓を開けると、潮の香りのする風が、半透明なカーテンを揺らす。

海鳥の鳴き声と、波の音が、まるでセイレーンの唄のように心地よく響く。


ここは、セナの両親が、御影隼隆との闘いで脳にダメージを負ったセナがゆっくりと療養できるようにと用意した別荘。


6ヵ月――あの日からセナは、ここで眠り続けていた。


白で統一されたベッドとリネン。サイドテーブルには、今日も白いバラとピンクのガーベラ、紅色のピンポンマムが柔らかい風に花びらを揺らしている。

セナの眠る寝室の隅に、ひっそりと置かれたピアノ。

海の唄に合わせるように、優しい音色が奏でられる。



コンコンコン……


寝室のドアが鳴り、ピアノを奏でる手を止める。


「ピアノ、止めなくて良かったのに――」


ドアから安倉千奈が、ひょっこりと顔を出す。


「今日はお天気良いから、シーツやタオルは干しといたよ!ダイニングに簡単な物作っておいたから、碧君も早く朝ごはん食べるように!」


「ありがとう千奈。でも、俺の事は気にしなくていいんだよ?一通りの家事は出来るつもりでいるし」


眠り続けるセナの傍に居たいと、この別荘でずっと看病を続ける碧。

海の見える一等席の寝室で、パソコンで仕事をしては、時折ピアノを奏でる。

脳にダメージを負い、目を開ける事も、話す事も、手を動かす事も出来ないセナだが、唯一触覚(皮膚の感覚)と音だけは聞こえているのだと、病院の検査で判明した。


ピアノの音が、少しでもセナの刺激になればと、暇を見つけてはピアノを弾いていたのだ。


「ふふっ!私がしたいのよ!この左手(義手)でピアノを弾けるのは、セナちゃんの研究のおかげだもの」


部屋に入り、セナの眠るベッドの隣に腰を落とす千奈。眠るセナに、子守唄を歌うように優しく語り掛けた。


「私、アルのお店を手伝いながら、時々ピアノコンサートを行っているの。まだ前のようには上手く弾けないけれど…諦めるなって、セナちゃんが言ってくれたから―――。」


セナの頭を撫でながら、優しく微笑む千奈。


「千奈、時間いいのか?」


碧の言葉に、ハッと時計を確認する。


「いけない!今日は仕込みを手伝うって約束してたの―――じゃあ行くわね!何かあったら呼んで?直ぐ来るわ」

「ありがとう、気を付けて行ってらっしゃい」


義手の装着された左手をひらひらと振ると、急いで出かけた千奈。

入れ違いに、ポラリスが部屋に入ってくる。


「どうした?ラス―――パソコン?」


パソコンの上に手を置き、碧を誘導するポラリス。

ベッドサイドに置いた小さなテーブルセット(碧の仕事スペース)に座ると、促されるままにパソコンを開いた。


「―――メール、か」


パソコンを操作しメールを開くと、3通の未読メールが確認できた。

ピアノに夢中になり、メールが届いていた事に気付かなかった碧に、ポラリスが指摘してくれたのだ。


「識達からだね―――

今日の往診は仕事終わりで夕方になるって。一足先に立夏が来て、いつもの他動運動(リハビリ)を行ってくれるらしいよ。そっか、今日は高カロリー輸液の日だね…また点滴かぁ…仕方がないけど、辛いね、セナ。この前立夏が来た時、アメリカでセナの主治医が出来ないのは悔しいからこっちの医師免許取るとか言ってたけど―――あれ、本気なのかな?」


苦笑いを浮かべながら、返事のないセナに語り掛ける碧。


「もう一通は水月さんだ―――前に言ってた脳への刺激に、VRMMOを使うって話。

秋兎と協力してセナのバームの一部を改良して新型バームを作ってみたらしい。臨床実験が終わったら持ってくるって!凄い…これならAquaNightOnlineの方でセナと話が出来るんじゃないか?!

―――そう言えば秋兎、クラーク家の養子になったって…。御影隼隆の件があったから、水月博士がクラーク家に来ないかと提案したんだけど、ようやく秋兎が了承したみたい。セナの行ってた大学にも通って、BMIについて研究するんだってさ。セナと秋兎が兄妹かぁ―――なんか不思議な感じだな。」


カチカチとマウスを操作し、最後のメールを空ける碧。


「最後は、白李からだ。あいつ留学期間を終えて聖倭大学に戻ったんだよな―――。なんか学友達と楽しくやってるっぽいよ!温泉旅行に行ってきたって、画像送ってきた!前に皆で温泉に行ったのが、自信になったようだな―――。自分だけ日本で寂しいから、セナが目を覚ましたら、ビデオ通話で話したいって書いてる……それ、俺がヤケるけど―――」


少し頬を膨らませ、頭を掻く碧。


瞳を閉ざしたまま返事をしないセナの顔を、寂しく見つめた後、再びピアノの前に腰を下ろす碧。


「もう一曲弾いたら、朝ごはん食べてくるよ――」


碧はそっと鍵盤の上に両手を落とす。


―――今日もセナの心が、穏やかでありますように。

思いを込めた指先は、心に沁みる優しい音を奏でた。


「どこにいたって、俺はセナの隣で音を奏でる。君が目指す星の木に、この音が届くといいな―――」


ピアノの音は潮風に乗り、爽やかな朝の空を彩った。



Spring Route

File:47  世界の続き (エピローグ)  


アーモンドの花が一面を淡いピンクで彩る3月の初め。海沿いの家にも、春がやって来た。


ここカリフォルニアは、地中海沿岸を除けば北半球で唯一アーモンド栽培に適している、アーモンドの聖地。日本の桜を彷彿とさせるその花の美しさだけでなく、健康や美容効果も高く重宝されるアーモンドの実は、世界のアーモンドの約80%がカリフォルニア産だと言われている。


買い物から帰った碧は、両手で薄ピンクの花の咲く鉢植えを抱え、真っ先にセナの眠る寝室にと足を運んだ。


「帰ったよ、セナ!さっき市場でアーモンドの木を見かけたんだ!日本の桜みたいで懐かしかったから、思わず買ってきてしまった。」



春の暖かな日差しが降り注ぐ窓辺に鉢植えを置くと、眠るセナの額にいつもの小さいキスを落とし、ピアノの前に座る。


「店のマダムが教えてくれたんだ―――アーモンドの花言葉…永久の優しさと希望、そして真実の愛だって。こちらの人の言い回しはとてもストレートだから、恥ずかしくてうまく話せなかったけど・・・大切な人に贈りたいんだって伝えたら、今度は君を連れてくるようにと冷やかされてしまったよ」


照れ笑いを浮かべながら、鍵盤に指を落とす碧。

懐かしい和を感じさせる繊細な音は、ここがカリフォルニアである事を忘れさせるかのようだった。


ゆったりと、ピアノを弾いていた碧の指が一瞬びくりと震える。

ピアノの音に交じって、かすかに…ほんのかすかに歌が聞こえた。



碧が聴き間違えるはずがない―――

誰よりも愛しい、この声を……


「ら~らら…ら――」


鍵盤をより優しく押して音を落とす。

すると、より鮮明にその歌が、碧の耳に届いた。


ケホケホ……


咽込みが聴こえ、演奏を止めた碧は慌ててベッドへ駆け寄る。


「セナ?!」

「…―――やっぱり、いきなり歌は、歌えないわね。昔枕元で、父さんがよく歌ってくれた曲なのに」


柔らかく微笑むその瞳を見て、思わず彼女の身体を抱きしめた。


「目を覚ましたんだね―――セナ」

「……碧の音が、呼んでいたから」


「―――うん。おかえり…セナ」


「ただいま――――碧」


暫くセナの身体を抱きしめた後、ようやくその腕を緩める碧。


「―――水月博士に連絡しなきゃ…立夏にも。千奈も君と、話したがっていた」

「知ってる。千奈がいつも頭を撫でてくれていたの…わかってた。お姉ちゃんがいるみたいで、嬉しかったの」

「そうか―――」


フッと、微笑みを浮かべると、携帯電話を取り出し水月達に連絡を取る。

セナが、目を覚ました―――と。


直ぐに向かうと、電話口で声を荒立てた父の声を、碧の隣でくすくすと笑いながら聴いていたセナ。


「ねぇセナ―――」

「はい?」

「水月さん達が来るまで、セナを抱きしめていていい?」


キョトンとした顔で、碧の瞳を見返した。そして、再びクスクスと笑いだす。


「―――えっと…」


戸惑う碧に、ハグを求めるように両手を伸ばすセナ。半年も寝ていたせいか、身体が思う様に動かない。それでも、必死に腕を伸ばす彼女の姿に、碧は返事を待たずして彼女の身体を抱きしめた。


「さっきは、何も聞かずにハグしてくれたのに―――本当、ゲームの中のアオイと現実が全然違うんだから―――」


「……そうだった。昔、”バーム開発者の先生”に教えて貰ったんだっけ―――。セナはちょっと強引なのが、好きだったよね?」


そう言うと、にんまりと意地悪く口元を綻ばせる碧、そして


「ん………ッ」


セナの唇にキスを落とした。顔を一気に紅潮させ、背けようとするセナの唇に、小さく舌を当てる。


「わっ……わわ―――ッッッ!!!」


碧の腕の中で、耳まで真っ赤になるセナを見て、くすくすと笑う。


「セナ、可愛い―――」

「~~~~ッッ!」


――――――君だけは、諦めないよ。


「愛してる―――セナ」


真っ赤な顔を、碧の身体で隠す様にうずくまるセナの頬に、今度は優しくキスをする。


約束する。セナの作る世界を、これから先もずっと、一緒に作っていきたい。


―――碧く白く広がるこの空のように。



Stern Baum 【Spring Route 】THE END



★Fall Route

File:46  SternBaum Laboratory(星の木ラボ) 


カリフォルニア―――


海沿いの小高い丘の上にある、白い壁と赤い屋根の家。

窓を開けると、潮の香りのする風が、半透明なカーテンを揺らす。海鳥の鳴き声と、波の音が、会話の無い屋内に音を作った。



3年間、この場所で、眠り続けたままのセナ。


白で統一されたベッドとリネン。サイドテーブルには、今日も白いバラとピンクのガーベラ、紅色のピンポンマムが柔らかい風に花びらを揺らしている。

ベッドサイドに座り、カタカタとパソコンを叩いていた男は、セナの身体に埋め込まれた中心静脈ラインから、本日分の高カロリー輸液の滴下が終了したのを確認すると、手際よくヘパリンを流し入れ点滴をロックした。



ピロン……


パソコンからなる電子音に反応し、彼の足元に、ポラリスがすり寄る。


「……ラス、ありがとう。メールだね、誰だろう」



輸注を片付けると、ベッドサイドの小さなテーブルとイスに腰掛けてパソコンを操作した。

メール画面を開くと、3通のメールが届いている。


右手でパソコンを操作し、左手を、ベッドの上のセナの左手に沿えた。


「皆から、メールが届いている。


碧からは、今度の千奈のピアノコンサートをカリフォルニアで行うから、セナに会いに行くだって。アルグレードも一緒に来るそうだよ。そう言えば最近、千奈のコンサートに碧も一緒に演奏しているんだってさ。今度一緒に聞きにいこうよ。


ハクからは、海洋調査で7つの大海を航海中で、1カ月後にはカリフォルニアに一時停泊するから、その時にここに寄ってくれるんだって。また珍しいお土産持ってきてくれるよ―――楽しみだね!


識からは、今度の往診日に立夏と休みが合ったから、二人でバイクに乗って来るって。立夏、最近見ないと思っていたら、こっちで二次試験(USMLE STEP2)合格したそうだよ、凄いな。識も日本の医師国家試験合格していたし、良いライバルしているよね。結局あの二人、どっちがバイク早いんだろう……」


窓からの爽やかな風が、セナの茶色く柔らかい前髪を揺らした。


「………」


前髪を、整えるように優しく撫でる。


「また、賑わしくなりそうだよ…セナ」


返事のないセナの顔をじっと見つめるのは、彼女が眠りについてから3年間、ずっとこの家で彼女を見守り続けた秋兎だった。

カチューシャ型のBMI“バーム”を装着させ、その脳にVR(仮想現実)情報を流し続ける。

無理矢理抜き取られた脳の欠片を再度繋ぎ合わせ、記憶や感情を再構築するプロセスを、セナの創り上げたVRMMOの世界に託したのだ。


現実世界で20歳になった秋兎はすっかり背も伸び、幼かったその顔は、大人の青年へと成長していた。


「俺も、今年はセナと同じ大学を卒業する―――。君と同じで、ほとんどリモート講義だったから、図書館で教授に笑われたよ。まるであの時のセナを見ているようだ…って。だから俺、卒業後は大学に残ったままの御影研究室を、継ごうと思うんだ。教授も、あの卒論見せると、是非にと言ってくれた。」


セナの頬に手を添え、彼女の額に小さくキスを落とす秋兎。

デスクトップのメール画面を操作し、保存していたメールにデータファイルを添付すると、送信を押す。



“メールを送信しました”

添付ファイル:Stern Baum Project presentation By Clark Laboratory

 (星の木プロジェクト プレゼンテーション バイ クラーク研究室)


「目が覚めたら、また一緒に描こう。シュテルンバームの、世界の続きを―――」



Fall Route

File:47  世界の続き (エピローグ)  


星が降るように輝く11月の夜。


大学卒業後に御影隼隆の研究室を引き継ぎ、新たに発足させた“クラーク研究室”でBMI研究に打ち込む秋兎は、深夜まで寝室で研究データのまとめを行っていた。

柔らかなオレンジの光を灯す星型のベッドサイドランプが窓からの優しい風に静かに揺れる。


ベッドサイドに山積みにされた本を手に取り、目を通す。


「―――隼隆の本は、言い回しが難しすぎて嫌いだ。ねぇセナも、そう思う?」


3年間、返事のないセナに話しかける事が日課となった秋兎。

眼を開ける事は出来ないけれど、脳波を確認すると触覚刺激と、聴覚だけはきちんと繋がっているという検査結果を聴いて、彼女への刺激のためにと事あるごとに話しかけていたのだ。


家の中でも大学でも、その癖がついてか独り言が多くなったと自覚はある。

元々、脳内のもう一人の人格と話をしていたため、違和感はないのだが。


御影隼隆の隠れ家に乗り込んだあの日から、人格交代が起こらない。裏なのか、表なのか…秋兎自身もよく分からないのだ。


二つの人格が、一つになった―――。


言葉にして表すなら、それが一番正しいのかもしれない。

裏だって、表だって…どちらも自分自身。秋兎自身が、それをやっと受け入れる事が出来なのだろう。


小難しく書かれた本を睨んでいると、視界の片隅で、茶色い髪が揺れる。

窓からの風が、強すぎた?


いや―――


「―――星が、振ってくるみたい―――」


波の音がかき消してしまう程のか細い声に、耳を疑う。

持っていた本が秋兎の手から滑り落ちて、床にがたんと、音を立てた。


眼を見開いて身体を硬直させる秋兎を、ベッドの上から、光を宿して揺れるセナの大きな瞳が、じっと見つめていた。


「おはよう、秋兎―――」

「ねぼすけセナ―――遅いよ」


開口一番の嫌味に、苦笑いを見せるセナ。優しい風が吹き込む窓を、見上げる。


「ここは、夜なのね―――。」

「うん。―――そうだ、”父さん”と”母さん”に連絡しなきゃ!識にも…きっと、すぐ飛んでくるよ」

「いいよ、夜だもん。明日連絡すればいい―――。

秋兎も、早く寝なきゃ…また朝に、なっちゃうよ?」


パタリとパソコンを閉じると、言われるままにセナの隣にゴロンと転がる秋兎。

ベッドの左側が、沈み込む。


「おやすみ―――秋兎」

「……………」


秋兎は横向きに転がり、じっとセナの瞳を見つめる。


「――――――眠れない?」

「なんか、勿体ない。セナが、起きているのに、眠るのは。

ねぇ何か話してよ。3年間、俺ばかり話しかけていたんだから―――。

聴いていたのだろ?俺の声。3年分の答えを返して―――?」


「……無茶言うわね。そうね…御影隼隆の本は、賢い人用だから、私も理解が難しい―――」


クスクスと、笑みを浮かべるセナにつられて、秋兎も笑みをこぼした。


「あと…大学卒業おめでとう……私や識の、後輩ね。大学の研究室を継いだって―――凄いじゃない」


「うん――――他は?」


ニコリと微笑みながら、セナの瞳を離さない秋兎。




「もっと沢山あるよ―――?話したこと。もっと、大事な事も……」

「大事な事―――」

「そう―――。それを聞くまで、寝ないから」


そう言うと、ぷにっとセナの唇を人差し指で押し、意地悪く微笑む。


「あー――むっ…」


口を開こうとするが、秋兎の指に阻まれて言葉を出せない。


「忘れちゃったの?セナ―――仕方ないなぁ、じゃぁもう一回、言ってあげる」



照れ隠しをするように、枕に半分顔を埋めた秋兎。


忘れたわけではない。この3年間、ずっと枕元で言い続けてくれた言葉。


眼を開ける事も、身体を動かす事も、声を出す事も出来なかった為、答えを返す事が出来なかったけれど。その言葉は確かに覚えている―――。



「大好きだよ、セナ。目が覚めたら、また一緒に描こう。

シュテルンバームの、世界の続きを―――これから先、ずっと…二人で」


重くて動かしにくい左手を精一杯動かして、唇に触れる秋兎の右手の指に、自らの指を絡ませた。


「うん―――ずっと…一緒だよ 秋兎」


照れ笑いを浮かべるセナの額に、秋兎は自らの額をこつんと当てた。


星の木の枝は、再び、空に向って成長を始めた。

止まっていた時間を埋めるように蒼く…白く―――輝きながら。



Stern Baum 【Fall Route】THE END



Stern Baum 本遍 END


Stern Baum サイドストーリー

【Aqua Night Online】

【Inside Trace】

【Caffe Break】


また、Stern Baum から24年後の世界を描いた

【Avatar Code】


を順次掲載予定です。

引き続きこの世界をお楽しみいただけますと幸いです。


※ Stern Baum 他、サイドストーリー等は 別サイト 『占いツクール』様にも掲載させて頂きました。こちらの更新が遅い場合は『占いツクール』様の kohaku のページをご確認いただけますようお願い申し上げます。

なお、『占いツクール』様サイトでは、二次創作が含まれますので、一部内容を変更しております。

『小説家になろう』様サイト掲載分が、メインの内容となりますのでご了承ください。





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