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Stern Baum   作者: kohaku
3/5

~ 星の木 3~

賽は投げられた―――。


InsideTraceゲームに隠された目的とは?

” Noah's Flood”とは一体。

物語の行く末は……


サイバー犯罪がはびこる世界に警鈴を鳴らすべく、自らが設計したAR(拡張現実)デバイス、BARIM(バーム)を武器に奔走する少女セナと、それを支える友人たちの戦いの物語。



その時、セナが選んだ道は―――。

File:27  家族


初戦から1週間、各地で行われるインサイドトレースゲームのイベントに勢力的参加していく立夏と碧。識は本業との兼ね合いから、時間が合った時だけの参加となった。

基本は敵モンスターの攻撃プログラム(ソースコード)の回収を目的とし、大規模な喧嘩とならぬようパトロール的役割が大きかったが、自分達がInsideTraceUnitと悟られぬよう、自然な戦闘への参加も心掛けた。


戦闘状況を含めた周囲の様子は、セナやアルグレードが小型カメラで撮影解析し、他プレイヤーのソースコードからプログラミングの癖を洗い出したり、ゲーム参加率等の傾向の統計をデータとして蓄積させていった。


犯人は誰だ―――

犯人の目的は――――


いずれにしても、インサイドトレースを作り出し運営する黒幕を暴く為、多くの情報が必要なのだ。


インサイドトレースイベント―――


「「「「「Yeah!!」」」」」


何度かの戦闘参加で、他プレイヤー達に馴染みの顔が出来た立夏は、ハイタッチを交わす。


「You’re amazing!(凄いじゃないか!)」

「You did a great job, too!(アンタもな!)」


自然とプレイヤー達の輪が出来る。だが、そんな仲良しを当然疎ましく思うプレイヤーもおり、一方で苛立ちの混じった舌打ちが聞こえる。


「Don't be complacent.(ナメんじゃねーよ)」

「This is war……If it's fun, do it at home.(これは戦争なんだよ……ママゴトなら家でやりな)」


その様子を、離れたところで観察していたセナ。


「強い敵相手なら協力プレイは望ましい。本来ゲームとは、こうあるべきだけど………お金が絡むと予想通り、“アンチ(反対派)”も現れるわね」


「そうだな……まぁ、“本来”と言えば、こういう大人の汚い世界を予想していた識は、君に“コレ(汚い世界)”を見せたくなかったらしいけどね」


隣で苦笑いを見せるアルグレードを、見上げる。


「―――知っている。でも、同じ色の空を見るって、約束したの。どんなに汚くったって、私は“人”から目を逸らさない」


年の頃に似合わないセリフに、アルグレードの戸惑いは消えない。


「二年間…。君が長い眠りから覚めたあの日から、なんだか雰囲気が変わった気がするよ」

「―――2年も経つのだから、当然でしょ?ちょっとはレディになった?」


ひらりとスカートを翻すセナ。


確かに、この頃の女の子の成長は目覚ましい。大きい瞳と東洋系独特の幼さを残しながらも、すっかり女性らしさが滲む容姿だけでなく、“人”への関わりに躊躇いがなくなったと言った方が語弊がないのだろうか。


「いや、見た目だけじゃなくてね……」

『セナ、アル!俺はこの後碧と合流してラボに向う!そっちも適当に切り上げて、戻って来いよ?』


バーム通信機能から、立夏の声が響く。


「了解。イベント後の会場の様子を一通り撮影したら、戻るわ」


すぐさま返事を返すセナ。


「で、何か言いかけてなかった?アル」

「――――――いや、大したことじゃない。とりあえず、俺達も周囲の様子を観察して引き上げよう。やり方は、いつもと同じでいいね?」

「……いいわ。なかなか慣れないけれど―――」


恥ずかし気に視線を逸らすと、大きくため息をつくセナ。そして―――


「今日も凄かったわね!パパ!フォースの皆、カッコ良かったわぁ!私も早くフォースになって戦いたいのに~ねぇ、良いでしょ?パパぁ」


突然に、甘え声を出すセナ。


「ダメだよ!そんなこと言って君は、勉強しなくなるだろう?今度、赤点取ったらイベントにも連れてこないからね?」


アルグレードの言葉に、頬を引きつらせ、彼を睨み上げるセナ。


「何?!私、赤点設定なの?!言っとくけど今まで―――」

「ほらほら、演技!ゲームファンの親子設定で、毎回イベント後までウロついても不自然にならないようにふるまうのが、約束だろう?」


意地悪い笑みを浮かべるアルグレードに、顔を伏せるセナ。


「……そうね、パパ。たくさん勉強するから、今日はステーキ食べたいわ!後、ミックスジュースと塩辛いポテチも沢山!ママには秘密で、パパのお小遣いから、ね?」

「………え?ママに秘密って―――」

「ねぇパパ~“お願い”ッ!」


くるりと振り返り、アルグレードの右手を両手で握って揺らすセナ。はたから見れば、二人の作戦通り、父親と夕飯をねだる娘なのだが、セナのその視線は、アルグレードに向けられておらず、その後方を行き交うプレイヤーやゲームを観戦するために集まった野次馬達に向けられていた。


(………コイツ)


セナの(傍から見れば)可愛らしい態度に、周囲の人々の会話が耳に入る


「あら、可愛らしい子ね!お人形さんみたい」

「パパに甘えているのか、羨ましいなぁ」

「ステーキ連れて行ってやれよ!オヤジさん!」


アルグレードに声を掛けてくる人まで現れる。


研究職にしておくのは勿体ないくらいの美人でもある母アリアの遺伝子に、父水月の東洋系の幼さを受け継いだセナは、普段でも注目される美人であるが、屈強な猛者が多く集うこのような会場ではひときわ目立つ。

だからこそ、何度も出没する事に違和感を与えないためにアルグレードと一芝居を打ちながら周囲の情報収集を行うのだが、秘密裏に動くにはやはり目立ちすぎるらしい。


「じゃぁ、ステーキとデザートご馳走するから、今日はパパと一緒にお風呂入って、明日に備えて早く寝ようか?君が寝るまで、傍で頭を撫でていてあげるよ!」

「分かった!じゃぁ家族みんなでお風呂入ろっか~お兄ちゃんとお姉ちゃんもきっと楽しみにしているよ♬」


(……お兄ちゃんと、お姉ちゃん―――?)


アルグレードの背中に冷や汗が伝う。


『一緒に風呂入りますかぁ?アルグレード“父さん”?』

『金物タワシで背中洗ってやるよ、アル?』


バームから、碧の低い声が響く。立夏達との通信をすっかり切り忘れていたため、今の演技の会話を全て彼らに聴かれたようだ。


「あ、でも、ママがヤキモチ焼いちゃうから、パパはママと一緒の方が良いね!私はお兄ちゃんとお姉ちゃんと一緒に寝るから、パパはママと一緒にお休みしてね!」

「………ママって―――(よもやアリアさんじゃないだろうし)」

「パパは、しーママの事、大好きなくせに!」


(識かよ!!!)


何処から出てくるのかと不思議に思う会話を楽しみ(?)ながら、粗方の周囲を見渡した後、二人はセナのリクエスト通り肉やフルーツの買い物を済ませてラボに戻ってくる。


「お帰りなさい“父さん”」


作られた、満面の笑みで出迎える碧。


「た、ただいま…」


声を上擦らせるアルグレードとは対照的に、機嫌よさげに家に入り、出迎えたポラリスを撫でるセナ。


「ポラリス聞いて!今日はアルがステーキとミックスジュースと、塩ポテチ作ってくれるのよ!!アルの驕りで!」

「バフッ!!」

「………今日だけだからな!」


バームを碧に手渡し、不貞腐れながらキッチンに向うと、エプロンを付けて慣れた手つきで夕飯の準備に取り掛かるアルグレード。

セナもまた、着けていたバームを碧に手渡し、集めた画像の解析を依頼した。


二つのバームから得られた情報解析が終わったころ、セナの隣でうずくまっていたポラリスが、車の音に反応し玄関へと走った。それに続く、セナ。


「ただいま……」


本業の病院勤務を終え、重たい肩を回しながら疲れた表情で入ってくる識を、出迎えるセナ。


「お帰りなさい!“ママ”」

「…ママ?」


不思議そうに首をかしげる識に、にやにやとしながら、ソファーから彼を呼ぶ立夏と碧。


「お帰り、“母さん”!」

「今日は“父さん”がステーキを焼いてくれるらしいぜ?早く着替えてきな」

「は?」


状況が呑み込めない識は、セナに促されて二階に荷物を置き、着替えて戻ってくる。

食卓には美味しそうなステーキに、ミックスジュースとポテチが添えられていた。


「なんだ?今日は誰かの誕生日だったか?」


促されるままにダイニングチェアーに腰を落とす織と、それに倣って5人が座る。


「インサイドトレースの“おままごと”の続きだよ」


にやにやと笑う立夏と碧とは対照的に、不貞腐れた表情のアルグレード。


「「「「「いただきます」」」」」

と祈りを捧げた後、フォークとナイフを動かす5人。


「で?なんだよ、父さんと母さんって」

「実はね…」


インサイドトレース後のアルグレードとセナの視界画像データを確認しながら食事を進める。


「……成る程。で、“約束”しちまったから、今夜は肉なんだな」

「そう!」

「演技の一環じゃなかったのかよ…」

「最初の“赤点”発言が、良くなかったな、アル」

「……だったら“約束”通り、セナは俺と風呂入るよな?」


半ばやけくそに、問題発言するアルグレード。


「この家の風呂じゃ大人5人は無理だろ?遠慮するな、“妻役”の俺が金属たわしで体の隅々まで洗ってやるから!」

「……俺、急に仕事入っていた事を思い出したよ―――食ったらすぐにお暇するわ」


背中に寒気を感じたアルグレードは立ち上がる。


「待って、アル!」「?」


袖をつかんで引き留めるセナ。


「今日、このままみんなでラボで一緒にお泊り会しよう?」

「セナ?」

「……“お願い、パパ”――」

「………」


もう、3年近く前になるだろうか。識に連れられてビスカムアルバムに始めてきた日のセナをアルグレードは思い出していた。


大人しく静かな子だと思っていたが、鬼のように勉強し、卒業後も研究を頑張りたいのに眠気が辛いと言う彼女に、珈琲を紹介し淹れ方を教えた。


自由の国アメリカで、自分の価値観を人に当てはめるのは本意ではないが、識から聞いた彼女のこれまでの話では、どうも年の頃のソレとはかけ離れた人生を送っている。識が彼女に“普通”を見せたいと願う思いには同意していた。


だが、近頃のセナを見て“普通”とは何だろうと、思うようになる―――――。


「ったく、水月さんに羨ましがられてしまうな」


セナの頭をくしゃくしゃと書き乱し、仕方がないなと呟くアルグレード。


「じゃぁ、“しーママ”は食器洗い、“兄ちゃんと姉ちゃん”とポラリスは二階から布団を落としてくれ。セナは“パパ”と、机やソファーを端っこ寄せるぞ?」

「アル?!」


思わぬアルグレードの言葉に、目を見開く織。

“何言ってるんですか先生”と苦笑いを浮かべ、てっきり逃げ帰ると思っていたのに。


「……よし、じゃぁ俺達も準備しようか?碧」


立ち上がる立夏に腕を引かれ、二階に向う碧。


「しーママもさっさと食器片づけたら、テーブル動かすの手伝えよ?」

「あ…ああ」


食べ終わった食器を台所に運び、食洗器に片付けていく識。

キッチンからテーブルをどこに寄せるかと話しながら、ダイニングの小物を片付けていくセナとアルグレードを眺めた。


(……あの、アルグレードが―――すっかりセナ色に染められちまったな)


手早く食器を片付けると、アルグレードと共にソファーをリビングの端に寄せる。リビングダイニングの真ん中に、ぽっかりと大きな空間が出来た。


そこに、各部屋のベッドから布団や動かせそうなマットレス、簡易ベッド等をかき集めて

きた立夏と碧が、無造作に並べる。ポラリスも、皆の枕を二階から投げ落とした。


順番にシャワーを済ませていく5人。セナのシャワー中、識はクラーク夫妻に事の事情を電話連絡した。


「――――――はい。突然にすみません。いえ、大丈夫です、俺も立夏もいますし。―――」


父、水月は今夜は研究室に泊まり込みだと言う事で、母、アリアが申し訳なさそうに電話に応じた。通話を終えた識に、アルグレードが訊ねる。


「クラーク夫妻、何て?」

「家族みんなで夜を過ごす機会はあまりなかったから、元々憧れがあったのだろうって。ご迷惑をおかけしてすみませんと、アルや皆に伝えてくれ、だってさ」

「…………そうか」


少し安心したようにため息を落とすアルグレード。


「お前がこの提案受けるなんて、驚いたぜ」

「……俺も、驚いてるよ。俺も、大分セナ色に染められてしまったかな。子供が居たら、こんな感じなのかもしれない」

「……アルの年だと、セナ位の年の子がいてもおかしく無いのか?」

「大学行かずに結婚すればな」

「・・・俺だと12の時の子か…やべぇな」

「そういう発想になるお前の頭がやべぇよ」


気付けば髪が濡れたままのセナと共に、立夏がリビングに降りてきていた。


「セナ、シャワー終わったのか?」

「うん!お先でした―――。で、識とアルで、何の話をしていたの?」


首をかしげるセナの両耳を慌てて塞ぐ立夏。


「セナは聞かなくて良い!それよりほら、髪乾かすって言ったろ?コンセント壁側だから、ソファーに座って!」

「はぁい!」


楽しそうにソファーにダイブするセナの後を追い、ドライヤーで彼女の髪を乾かし始める立夏。


「アイツの方がよっぽど”ママ”だな」「確かに……」


その様子を微笑ましく見送った後、最後のシャワーに向うアルグレード。


(そう言えば”家族”でこんなふうに過ごすのは、いつ振りだろうか…)


遠い記憶をさかのぼり、表情を曇らせる。


「・・・・・・・・・」


手早くシャワーを済ませてリビングに戻ると、キャンドルに火を灯し、ハンディサイズのスピーカーから静かなピアノBGMを流しながら、雑談を交わしていた。


「簡単に洗って換気扇かけといたぞ?」「お、サンキューな!アル」

「で、何を話していたんだ?」


マットレスに腰を下ろし、雑談に加わるアルグレードに、識が説明する。


「いやぁ、こうして一つの空間にみんなで寝るって発想はこっち(アメリカ)にはないだろ?!俺やセナ的には結構新鮮でさ!立夏や碧は普通だって言うから、アルはよく知ってたなとおもって!」

「ああ――そんな事か!昔暫く日本に住んでいた事があってな!座敷という畳の上に布団を敷いて皆でごろ寝するんだ!プライベートも何もあったもんじゃないし、隣の奴のいびきは酷いが、なかなかに楽しかったぞ?!」

「「へぇ!!」」


好奇心に満ちた瞳を輝かせるセナと識。


「興味あるなら、今度日本に行った時は”旅館”を選択すると良い!座敷に布団で寝られるぞ?!」

「面白そうだな!」

「行ってみたい!」

「じゃぁ、その時は皆で枕投げだな!」

「ああ、修学旅行の定番的な!!」

「それ、怒られるヤツだから、やめとけ。」


童心に返って話をするメンバーを見ていると、InsideTraceUnit projectを背負っているとは思えない光景だった。互いの素性を隠し、寄せ集めで始まったこのメンバーが小さな”家族”となっていく。

その日5人は、夜が更けるまで話を交わしていた。

今までの時間を、埋めるかのように。



File:28  Victim(犠牲者)


2026年5月


立夏達の善戦も空しく、インサイドトレースゲームの開催頻度は徐々に増していった。

戦闘状況をインターネットで紹介するユーザーも現れ、事前告知やゲームのネット配信などに規制や警告を行ってはいるものの、その人気は留まる事を知らない。


「焼け石に水…俺たちのやってる事は何の意味があるんだろうな」


重い溜め息を浮かべながら、今夜のゲームイベント会場に向かう立夏と識と碧。バームを接続し、その通信を行いながらセナとアルグレードは別ルートで会場に向かう。


少し離れた駐車場に車を止めた識は、碧を車内に残し、立夏と共に徒歩で会場に向った。会場となった公園では、既に多くのプレイヤーやリスナーが集まり、携帯電話などで動画配信らしき行為も見られた。


周囲を見渡し、チッと舌を鳴らす織。

リスナーの動画配信が活発になる頃から、黒い色付きサングラスがバームデバイスに追加された。不特定多数が見ているネット上に素顔を拡散させない為と、バームのBMI機能を使わずともメンバー間の通信が行えるようにしたことで、BMI接続時間を短くし、まだ未知の領域ともいえる脳への恒久的ダメージを最小に抑えようとする配慮だった。

それだけでなく、識の提案でちょっとした変装を行うようになった。

一番外観を変貌させるのは、ウイッグの着用。普段はショートカットヘアの識と立夏だが、ゲームイベント参加時はそれぞれ緋色の髪と深緑色の髪のロングヘアのウイッグを被り、黒のサングラス型デバイスで目元を覆っている。

結局、戦闘時に鬱陶しいからと高い位置でポニーテールに緋色の髪をまとめた識と、腰まで長いウイングの一部にセナが施した三つ編みをなびかせる立夏は、それだけで十分本人の特定を困難とさせた。



「よぉ!Ninja、今日のイベントも参加かい?」


馴染みのプレイヤーが話しかけてくる。


「ああ、そっちの調子はどうだ?今日こそLA取れそうなのか?」


立夏が気さくに話し返す。互いに小さく目配せし、識はその場を離れた。

別のプレイヤーと情報交換を行う為だ。


「今日はどうだろうなぁ、噂ではあの”1000人切りのアッシュ”が参加するらしいしな」

「1000人切りのアッシュ?」

「そう!あそこにいる灰色髪だよ」


高い戦闘能力で数々のALを勝ち取り、その為ならPKも厭わない凄腕のプレイヤー。Mobも含めると、その討伐数は1000を超えると噂される事から付いた二つ名が”1000人切りのアッシュ”だという。確かに、立夏も何度かイベントでその姿を見た事があった。


「この会場じゃ、一番LAに近い男だよ」

「へぇ―――」


立夏の会話を、サングラス型デバイスで共有していたアルグレードは、サングラスをコツコツと2回叩く。『了解』の合図だ。


『会場で最強のプレイヤーなら、私達が堂々と見ていても不思議じゃないわね』

『じゃぁ、この人込みで娘とはぐれて君を探す父親のていで、俺は会場全体を見渡してくるよ』

『了解。じゃぁ私は父親とはぐれた事にも気づかないくらい、そのNO1プレイヤーに魅入っていた、って感じで彼の追っかけをしているわ』


共有した会話を、識の車の中で視聴していた碧は苦笑いを浮かべる。


『毎回細かな設定と、それに追随する二人の演技力には脱帽させられるよ―――』


識と立夏が、サングラスの縁を2回叩き”全くだ””同感!”の意を示す。




告知時刻が近づくにつれ、プレイヤー達も、傍観するリスナー達も、そのテンションが上がっていく。特に、NO1プレイヤーと称される”1000人切りのアッシュ”の周りは、男女問わずファンが詰めかけていた。


『これは…彼の取り巻きが凄くてなかなか視界に捉えられないわね―――』


元々人混みが苦手なセナは、顔を歪める。


『無理するなよ?セナ』


一人となった識がセナの身を案ずる。


『―――――そうね、不本意だけど一旦退却するわ…っ!!きゃっ!!』


セナの小さな悲鳴に、耳を押さえる立夏と織。

アルグレードも慌てて彼女のポインターを頼りにセナの元へ向かう。

『?!』『セナ?!』


人込みに押されて転ぶセナ。慌てて落としたサングラスを拾い、両手で握る。


「ちょっと通して―――!大丈夫?君」


人込みを押しのけて、セナの前に膝をつく人影に、ゆっくりと顔を挙げるセナ。


「あっ……」


その人物の顔を見て、思わず声が漏れる。


「1000人切りの…アッシュ?!」


(しまった…傍観はしたかったけど、接触する気はなかったのに……)


「ほら、みんな気を付けて?こんな可愛い子に怪我させちゃダメだろ?」


男はセナの腕を掴み立たせると、周囲のファン達に注意を促す。


(しかも、意図せず目立ってしまったわ……)


言葉を詰まらせ、慌ててサングラスを掛けようとするセナだが、その左手を掴んで阻むアッシュ。


「なっ…」

「君、可愛いのにサングラスつけるなんて勿体ないよ!」


(……どうしよう―――ッ。こうなれば…)


「It's a miracle!(奇跡よ!)どうしましょう、本物のアッシュに起こされたわ!私、あなたのファンなの、ずっと追っかけしているのよ?!」


(……これが、設定上一番自然な流れよね?)


セナは彼のファンの演技を続けた。


「へぇ、君俺のファンなの?!」嬉しそうに口角を挙げるアッシュ。

「ええ!…そうだわ、サインをお願いできないかしら?」


咄嗟にペンと紙を差し出すセナ。


「良いよ!歓んで!君みたいな可愛い子になら特別に、身体に俺のサイン、つけてあげるよ?」


そう言うと、アッシュはセナの首元に唇を近づけた。


「あっ……」

「あ……?」


「Actually!(やっぱり!)形に残るサインの方が良いわ、クラスの友達に自慢できるもの……」


アッシュの顔の前に、紙を差し入れるセナ。


「……aha.」



やや納得のいかない様子で、アッシュは紙とペンを受け取り、手早くサインを書く。


「彼女にだけズルいわ!私にもサインして!」

「こっちもだ!アッシュ!!」


周囲にいたプレイヤーが、次々とペンとノートを差し出した。


「ありがとう、アッシュ!応援しているわ」


人込みの混乱に乗じて、アッシュとの距離を取るセナ。


「Wait!Wait!!(ちょっと!待って!!)」


ファンの波に押され、あっという間にセナの姿は見えなくなった。


人込みから逃げるように離れるセナの腕が、後ろから掴まれる。

勢いよく振り向いたそこには、息を荒らした識が立っていた。サングラスに映し出されたポインター(現在地)を頼りに、この人込みの中から彼女をみつけだしたのだろう。


「識―――」

「大丈夫か?何も、されていないか?」

「大丈夫よ、紙に、サインしてもらっただけ」

「――――そうか。それなら、よかった」


「識!セナ!」

後ろから駆け寄るアルグレード。彼もまた、急いで彼女を探したのだろう。普段涼しい顔をしているくせに、息を荒らしていた。


「やっぱり、離れない方が良いな…不測の事態の対処が…遅れてしまう」

「アル…」


ブオォォォォン――


上空に、何台ものドローンが集まり出し、ARグラフィックを映し出す。


「始まるぞ…」


セナの手を引き、離れるアルグレード。

彼と共に、場所を映そうとするセナの手を引き留める織。


「セナ!」

「?」

「お前は…誰を応援するんだ?」「えっ?」

「……だからッ!アッシュの応援、するのか?」


(………さっきの、サングラス型デバイス越しの演技(会話)を聞いて―――?)


「…勿論、識の応援するよ!識と立夏の応援している!だから、頑張って?」


柄にもなく、ヤキモチを見せる織。

「そうか」と小さく微笑み、セナの額にキスを落とした。


「LA取ったら、サインしてやる!そこで待ってろよ?」


そう言うと、右手に伸縮型デバイスを握る。


『Force Program、link on!Assist Program Additional link on!(フォース始動!アシストプログラム追加!)』


識の周りに、緋色のソースコードが舞う。


「……よっぽどヤキモチ、焼いたらしいな?アイツ」


識の背中を見送り、苦笑いを浮かべるアルグレード。

セナもまた、意外そうに彼の背中を見送った。


「識がヤキモチ…焼いてくれるんだ―――」


セナの反応に、アルグレードは苦笑いを重ねる。


「……これは、どんな手術よりも厄介だぞ、識」「え?今日の敵、そんな危険なの?」


心配気にプレイヤー達の中の識を見つめるセナ。


「違うよ!今日のボス戦は、寧ろいつもより見ごたえあるんじゃないか?あいつがデュエルプログラム(本気)を使っているんだからな―――」



インサイドトレースゲームイベントの、カウントダウンが始まる。


グラフィックを映し出す広野に、甲冑を身に付けて整列する歩兵が現れた。その後方には馬兵が弓や槍を構えて進軍してくる。いつものインサイドトレースゲームにない、敵兵の数に息を呑むプレイヤー達。


その一番奥に“The Demon(魔人)”の文字が浮かび、ゲームがスタートした。


「どけぇぇぇぇ!!」

「やってやらぁ!!!」


プレイヤー達が一斉に飛び出した。


『立夏、どうする?』バーム越しに、どこかにいる立夏に呼びかける織。

『……今回は敵兵の数が多すぎる。とりあえず、序盤はソースコードの回収に努める。碧、頼んだぞ?』

『了解』


『悪い立夏、今回は俺、LA狙いで最前線に突っ込んでいいか?』

『は?お前はいちプレイヤーじゃないぞ?俺達の目的は―――』

『分かっている!だけど今回は…ぜってーに負けたくないヤツがいるんだ』

『………』


識の言葉に熱がこもる。バーム越しでも、その熱意が伝わってくる。


『そう言う時もあるだろう?いいんじゃない、立夏』


バーム越しに、碧の声が響く。


『サンキューな、碧!Use code……Flame shield& flame on Sword』


識の周りに、緋色のソースコードが舞う。

そして、右手に握られたデバイスには、炎を纏った剣が握られていた。


「……識は、プログラムも行えるの?!」


目を見開くセナの隣で、アルグレードはニヤリと口元を綻ばせた。


「そう!それが、識の本気―――Assistとforceを同時に行うDual Programだ。当然、正規のAssistのような完全なプログラムは行えない。事前にプログラムされた断片を、必要に応じて引き出し組み立てていく方式だから、手持ちのカードにない対処は行えないが、それでも別の人物がプログラミングを行うよりもずっとレスポンスは早く、自分のイメージ通りの攻撃が行える利点がある」

「………凄い―――」


「立夏や碧達が日本でバームプロジェクトを展開させている間、識はああやって、一人でアライドやウイルス達と戦っていたんだ。君と―――君の目指す未来を守るために、ね」


バームのマイク部を手で覆い、他のメンバーに聴かれぬように、アルグレードはセナだけに告げた。



“……識がいるなら、そちらでどうにかしてください。”


識と共に訪日したその日、高速道路上で電子制御車のプログラムが書き換えられる事件が起こった。その際、白木―――いや、アルグレードは確かにそう言った。

Force二人ではワクチンプログラムの作成が行えない。

成る程、識にプログラミングの技術があるのなら、あの時アルグレードが”識がいるなら―――”と言った意味が理解できる。



” 一人でアライドやウイルス達と戦っていたんだ。君と、君の目指す未来を守るために“

アルグレードの言葉が、セナの心に反復する。


(識――――。)



右手の剣に纏った”炎”が、次々と敵兵を切り倒していく。

隣では、長剣を振り回し、常人離れした運動神経を駆使して敵兵をなぎ倒し、ボスの元へと進んでいくアッシュが居た。


(なんだろう、この気持ち…。立夏の時と似ているけど少し違う―――。俺はコイツに、負けたくない)


「なんだ?!アイツ…あのアッシュの動きについて行ってるぞ?!」

Scarlet(スカーレット)の尻尾、あんなプレイヤーいたか?!」


アッシュと共に圧倒的な戦闘力を見せつける織の存在に気付くアッシュ。


「なんだよお前、すげーな!」

「……お前もな」


戦闘中でも他プレイヤーの動向を確認しながら声を掛けてくる余裕に、識は苦笑いを浮かべながら答えた。


「今日は可愛いファンが応援してくれてるんだ、悪いがLAは俺が貰うぜ!」

「フン……。アイツは―――あいつだけは絶対に渡さない!」


後方から飛んでくる矢や槍を交わしながら、どんどんと奥へと進んでいく識とアッシュ。他プレイヤーも追いかけるが、多兵に阻まれて前に進めない。


後方で、碧のプログラムした対兵用の二本の短剣を振りかざし、彼等を追いかけようとする立夏だが、一撃で兵達を倒すチート武器を使っても識やアッシュの元には追い付けないでいた。


「チッ!この兵数、ハンパねぇな!!碧、範囲攻撃は出来ないのか?なんかもう、ロケットランチャーかミサイル的なヤツ!」

『なんだよそれ!戦争でもおっぱじめる…いや、対魔人軍との戦争設定だったよな…コレ。……40秒、いや、1分待て!』


そう言って、プログラミングに集中する碧。


そのうち、馬兵を抜けてThe Demon(ボス)の前まで躍り出る織とアッシュ。

互いに、息が上がっている。シールドを使っていたにもかかわらず、HPゲージはイエローゾーンに入っていた。


「ボスの首は、俺が貰うぜ!!」



アッシュは長剣をザ・デーモンに斬りつけた。

何層にも連なるデーモンのHPゲージが減り始める。


「渡すか!!」


識もまた、炎の剣でデーモンに斬りかかる。

デーモンもまた、攻撃を仕掛けてくるが、ギリギリのところでパリーする二人。そして、着実に敵のHPゲージを削っていった。その様子を見て、呆気となるリスナー達。


「なんだよあの二人―――」

「規格外だ…!」



ドオオオオンン!!!


後方で、爆発音が轟く。と、敵の歩兵と馬兵が一瞬にしてライン状に砕け散った。


「・・・・・・あそこにもいるぞ、規格外」

「なんだありゃ…」


近くにいたプレイヤー達は、腰を抜かして座り込む。


「に…Ninja!それは、なんだ?!」

「ん?うちのアシストがプログラムした秘密兵器だ!向こうが歩兵と馬兵なら、こっちは砲撃で行くぜ!!」


そう言うと、2発目の爆発音が会場に轟いた。


「それもう、隠密でも秘密でもねぇから……どっちがデーモン(悪魔)か分からないから!!」

「ほらほらどうした兵ども!かかってこいやぁ!!!」


ちゅどぉぉぉぉん!!!


立夏の規格外の砲撃は、大群の兵を半壊…いや、ほぼ一掃していた。


一方、最前線で死闘を繰り広げていた識とアッシュ。

何度剣を斬りつけただろうか―――ザ・デーモンのHPゲージは赤色に達していた。

もう少し…そう、これで―――


「貰った!!!」


アッシュが剣を勢い良く振り上げる。


「させるか!」


デーモンを挟んで反対側から、識もまた遅れて剣を振る。

アッシュの剣がデーモンを貫いた瞬間―――


カチ・・・カチ・・・カチ・・・


近寄る金属音と共に、バチッと何かが弾ける音が聞こえた。


「カ・・・ハ―――」


ドサッ―――


重い何かが、地面に倒れる。


(なんだ?今の音―――)



ザシュッ!!


識の剣が、デーモンを貫く。デーモンのHPはレッドラインを切り、0となる。デーモンは

花火のようにポリゴンの欠片となって砕け散った。


“Your win”の文字が、識の頭上に浮かぶ。イベントの終わりを告げるサウンドエフェクトが鳴り響き、各プレイヤーのアイテムストレージに配当金が振り込まれると、ARグラフィックが消滅し、ただ広い公園が広がっていた。そこに、うつむきに倒れる男を見て、識は目を見張る。


「………アッシュ?」


駆け寄り、その体を起こす織。


「おい、しっかりしろ!いつまで倒れ込んでいるんだよ、ゲームはもう終わったぜ?」


アッシュの頬を叩き、起こそうとする識。

だが、灰色の髪のプレイヤーは全く反応する様子がない。不審に思った立夏が、後方から駆け寄る。


「識?」

「立夏―――」


識の腕に抱かれた男の手足を抓る立夏。その指先は、びくりとも動かない。


「GCS3………識、救急車だ!アル、警察を呼べ!この現場から誰一人帰すな!」


バームに向って叫ぶ立夏。周囲をパトロールしていた警察が、即座に反応した。

会場にはどよめきが起こる。


立夏はアッシュの身体を見渡すが、あきらかな外傷や出血部位など、身体状況に目立った外傷は見られない。まるで、意識だけが抜けた人形のようだ。

アッシュの顎を上げ、呼吸状態の確認を行う立夏。どうやら、まだ呼吸は正常のようだ。


「呼吸と循環状態の確保を、救急車…いや、ドクターヘリでもいい!直ぐにお前の病院に運んで頭部CTの手配を―――とりあえず頭蓋内圧病変の有無を調べて―――!」


目の前で、事件が起こった事にショックを隠せない識は、ぼーっと地面を見つめる。


「識?おい!大丈夫か?!」


その体を揺する立夏。


「…………」


バチン!


立夏の平手が、識の頬を直撃する。


「―――ッ!しっかりしろ、識!ここ(アメリカ)は、お前のフィールドだ!医者だろ?お前!!」


はっと顔を挙げる織。


(そうだ……ぼっとしている場合じゃない、目の前の患者を、助ける事に集中しろ―――)


「悪い、立夏―――」


上空から、ライトが照らされる。

プロペラの風が、大きく立夏達の髪を揺らした。


ヘリが到着したのだ。インサイドトレースゲームでは負傷者が高頻度で出ていた為、近くに待機していたヘリが出動したらしい。


アッシュをヘリに運び入れると、識は隣に乗り込む。

そして、立夏に手を差し出した。


「お前も乗ってくれ、立夏。患者は意識障害を伴う…脳神経外科医のお前がいてくれると、心強い」

「………解った」


識の手を握り返し、立夏もヘリに乗り込んだ。呼吸循環状態に気を配りながら、識の勤め先の病院へと搬送された。


一方、地上では待機していた警官達が即座に規制線をはり、会場にいる全てのプレイヤーとリスナー達から聞き取り調査を行っていた。

リスナー達が録画録音していた画像音声データも、参考資料として押収されたが、InsideTraceUnit projectを掲げたアルグレードやセナ、碧は特権で直ぐに釈放され、リスナー達の持つデータの提供を受けた。


当初一番近くに居たと思われる識は、リスナーの録画データにより、アッシュが倒れる寸前はボスキャラを挟んで対角線上に位置し、その間は数メートル離れていたことが確認された事が証拠となり、犯人ではないと証明された。

プレイヤー達からの聞き取り内容と押収された画像データのコピーは、捜査資料としてアルグレードにも手渡され、セナのラボでそれらを解析調査を行った。


すると、アッシュが倒れる少し前、一人の歩兵が彼に近づき、剣を首元に沿わせる映像が残っていた。


「・・・・・・コイツが、犯人?」


モニターを凝視するセナと碧。


「いや、これだけでは解らない。画像が荒いうえに上空ドローンからの撮影だから距離が離れている―――警察の画像処理を待つしかないな」

「まさか…二人目の犠牲者を、目の前で出してしまうなんて…」


悔しさから、セナが拳を握り締める。


(しかも、その被害者はあの時接触した、”1000人切りのアッシュ”―――)


「……セナ―――」


握り締められた左手に、手を添える碧。


「あお・・・・・・」

「幸か不幸か、これだけ大規模となったインサイドトレースゲームの人気のおかげで、今まで皆無だった犯人に繋がる手掛かりが、見つかるかもしれない。俺達のする事は、過去を悔いる事じゃない…一刻も早く、犯人を見つけて被害者の意識を取り戻す事だ。そうだろ?」

「……そうね。病院では識と立夏が、アッシュの治療にあたってくれている。私達は、私達のできる事をするべきね」


握り締めた左手を緩め、小さく頷くセナは、碧と共に画像の解析を急いだ。



File:29 弱音


ヘリでアッシュの身体を勤務病院に運んだ織と立夏は、ストレッチャーに乗せ、すぐさま呼吸と循環状態、ルート確保を行い、各種検査を実施した。

様々な検査結果を総合して確認するが、意識レベルが低いにも関わらず、当面の命に関わる危機は見られない。当然、油断はできない状況であるため、観察室で厳重管理となる。


生命の危機に関しては、検査結果が良好…だが、状況は、最悪だった。

以前、インサイドトレースゲームで意識不明となったプレイヤー患者の状態に酷似しているのだ。“意識だけが抜けた人形”これが、今の患者の状態を表す最適な言葉かもしれない。



 翌日、ラボに戻ってきた識と立夏は、2階のメイン研究室で患者の状態について説明した。また、碧やセナも、会場にいた参加者からの情報や画像データの精査結果を報告した。


部屋に、重いため息が重なる。


「これだけ情報が多いにもかかわらず、結局この歩兵についての情報はないんだな……」

「ARグラフィックが重ねられている為、誰もこいつの存在に気が付かなかった。逆を返せば、あの会場に出現する敵データにここまで酷似したデータを被せられると言う事は、コイツ自信がインサイドトレースゲーム運営側とつながっている可能性が高いと言う事だ。インサイドトレースゲームと2件の意識不明患者の事件は同一犯によって意図的に行われている裏付けが取れたと言っても良い。」


5人は互いを見合わせて、小さく頷く。


「もう一つ。推測されるのは意識を消失させるこの瞬間、歩兵に扮した犯人がアッシュに接触したと言う事。アッシュはリアルにおいてもかなり高い戦闘能力を持つ人物。敵にとどめを刺す隙を狙われたとはいえ、接触はかなりリスクが伴う行為だけど、あえてこの方法を取ったのは、リスクを冒してでも接触する必要があったからと考えていいわ。」


セナの言葉に、4人は納得する。

確かに、ボス戦におけるとどめの一撃の瞬間は、イベントの中で一番注目される瞬間でもある。当然、プレイヤーだけでなくリスナーの目や映像記録が残される可能性だって高かったはずだ。特定されぬようARグラフィックを重ねているとはいえ、この注目された環境下での犯行は不自然過ぎた。そうせざるを得ない理由があったのか―――。


「やはりこのゲームデバイスが、一つの鍵かもしれないわね。」


セナがバームを指さす。


「バーム?」

「バームも含めて、このインサイドトレースゲームがプレイできる、ARゲームデバイスの方よ。そもそも、linkonされていない状況下でも同様の犯罪が行えるくらいなら、こんなハイリスクなやり方を選択しないわ」


「確かに…。そんな事が可能なら、俺達では手の打ちようもなくなるけどな」

「その可能性については、この事件調査を持ちかけられた時点で真っ先に予測し、既にデバイスのトレースをかけているわ。先の意識不明事件で被害者が使っていたデバイスには、何らかのプログラムが流れ込んだ形跡が確認された。残念ながら何のプログラムかは既に消去されていて特定はできないけれど、今は意識障害を及ぼす脳へのダメージとの関連性も含めて解析を進めている段階よ。今回の被害者、アッシュが使っていたARデバイスもうちの研究室で預からせてもらえることになったから、近いうちにそれなりの成果は出せると思うわ―――」


腕を組み、険しい表情で話をするセナに、視線を向ける4人。


「「「「……―――。」」」」

「・・・何よ?」


視線を感じ、問い返すセナ。


「いや、考察内容と言葉のチョイスだけではどこの偉い先生が答弁しているのか―――と思っていたんだけど」

「うん、セナの顔を見るとなんかほっとすると言うかなんというか……」

「可愛いよ、セナ♬」


「……私の話では説得力に欠けるって言いたいの?!私は十分“偉い先生”よ!どこぞのお役人が、言っていたでしょ!『信じるのはお互いの仕事だけ。男だから、女だから…子供だから、大人だから…見た目が綺麗だから…醜いから―――そんな理由で仕事の良し悪しは決まらない。』って!」

「あはは、そんな事も言っていましたねぇ、白木君が…」


他人事のように話すアルグレード。

顔を引きつらせるセナに配慮た識が、咳ばらいを挟み、話の続きを始める。


「セナの仮説が正しいとすれば、プレイヤー同士の戦闘も含めて、ゲームデバイスへの接触がないように見張ればいいんだな?」

「方向性が解っただけでも大きな進歩だ!」

「そう言う事なら、今後のインサイドトレースゲームイベントにおいてはプレイヤー同士の接触に注意した見回りの強化と、画像データの収集にも力を入れるよう警備の方にも要請しておくよ」


そう言って立ち上がると、アルグレードは部屋を出た。


「じゃぁ俺は、夕飯作ってくるよ―――射的ゲームで負けたしな」


後ろ手を振り、階段を下りる立夏。


立夏に続き、スッと立ち上がる識。


「……じゃぁ、メシが出来たら呼んでくれ。今日は結構動いたからな…俺も自室で休むよ」


口元だけを綻ばせ、部屋を出た。その表情に、いつもの力がない。


「……識―――」


立ち上がるセナの腕を、掴む碧。


「――――碧?」

「…………」



(行かせたくない、識の元に…)


そんな自分都合な考えが、碧の頭を巡り、掴んだセナの手を離せずにいた。


「………識の事、頼む――――。」


思いとは逆の言葉が、碧の口からこぼれる。


(彼女は、そんな俺の嘘に、気づいてしまっただろうか……)


「………。はい、任されました!」


セナは静かな微笑みを浮かべ、部屋を出た。バタンと、扉が閉まる音が、妙に部屋に響く。

残された碧は、パソコンの置かれたテーブルの上に、顔を伏せる。


(セナは優しい子だから。俺だけの女の子じゃ――ないから…)


碧の心の奥に、黒く靄っとした感情が浮かぶ。


(そんな事解っていたはずなのに。分かっている、はずなのに。何だろう―――苦しい。この年になって、こんな思いするなんて…)



2階にある、識のプライベートルームのドアをノックするセナ。

中から返事はない。


ラボの管理者権限で、マスターキーを持っているセナは、無理矢理部屋に押し入る事も出来る。

だけど…


「識?開けてくれるまで、ここで待ってるから―――」

「…………」


ドアに向って声を掛けるも、中からの反応は無い。

仕方なく、扉にもたれかかるように廊下に座り込むセナ。


「・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・」


ドアの向こうから、何かがぶつかる音がして、気配を感じる。ドアを挟むように、もたれ掛かり、座る織。


「セナ?立夏の夕飯の支度、手伝ってやってくれ。」

「……ここにいる」

「――――ふぅ」


小さなため息をつく織。

彼女は一度言い出すと聞かない。それは識も、重々解っていた。


「女の子が腰冷やすのは、良くないぞ?」

「………ここにいる」


何度言っても、聴かないだろうことくらい、予想できる。こうなれば、どんなに機嫌が悪くても折れるのは自分の方だと、識は諦めて扉を開いた。


「…ったく!ほら、立って」


廊下に座り込むセナの腕を引きあげ、立たせる識。


「俺今あまり機嫌よくないから、誰とも顔合わせたくないんだけど?」


つい言葉遣いがきつくなる。こうなる事が分かっていたから、自室に籠ったと言うのに。よりによってセナが来るなんて。


識は片手で頭を抱えた。


「知ってる。だから、来た」

「……解って、ないじゃん。それ」


口調が、荒くなる。

セナには…彼女にだけは―――こういう姿を見られたくなかったのに。

思いが苛立ちとなってあふれ出す。奥歯を噛み締める織。


「……私に、何かできるなんて、ずうずうしい事は思ってないから。だけど、識が辛い時は、傍に居たいって思う。私が、辛くて誰にも会いたくなかった時…識が、傍に居てくれたように」


扉の前で立ったままの識の隣をすり抜け、識のベッドの上に長坐位になるセナ。


「“会いに来てくれたのは嬉しいけど、今日はちょっと…会いたくなかったな…”」

「セナ?」


脈絡なく発せられた彼女の言葉に、首をかしげる識。寧ろその言葉は、今自分が彼女に向って言った言葉だ。


「“セナは…お星さまになりたいです。お星さまになって―――走りたい。泳ぎたい。学校にも行きたい。図書室に行って本を読みたい……それから―――。お洒落なカフェに行って、ミックスジュースと塩っ辛いポテチも食べたい。友達と、遊びたい…救急車じゃない車に乗って、ドライブしたい――――”」


ドクン…

と、胸がムラ打つ。


ベッドに座るセナの姿が、3年も前の彼女の姿と重なり、手が震える。


「“織にも、会いに行く……”」


沢山の機械に繋がれた、細くやつれた少女の姿が、記憶に鮮明に蘇った。

識の頭を支配していた不安やイライラは、彼女の言葉で一瞬にして消え去った。そして気付けばベッドに座るセナの身体を抱きしめていた。


「“お星さまにならなくったって、会えたよ?セナ”」


あの時と同じセリフが、何も考えなくても自然と口からこぼれ出る。


「全部、識が叶えてくれた事。お星さまの代わりに、私がしたい事を全部叶えてくれたんだよ?」

「………ッ!!!」


抱きしめていた腕を離し、セナの胸に頭を埋める織。心臓の音が、規則正しくパルスを刻む。

その頭を、そっと撫でるセナ。


「私は、生きている。アッシュともう一人の被害者も、まだ生きている。私の罪まで全部一人で抱え込まないで…?」

「違う!セナは何も悪くない!!」


顔を挙げ、慌てて否定した識の目を、少し寂し気なセナの瞳が捕えていた。


「ほら、そうやって全部持って行っちゃうんだから…。私用に作られた世界じゃなく、ありのままの世界を観たいって言ったでしょ?私は、大丈夫―――識や皆が、支えてくれているから。大丈夫だよ―――」


ニコリとほほ笑むセナ。

機械に繋がれ、細くやつれた彼女はもういない。


(先日から、俺は何をナーバスになっているんだろう…。10以上も年下の女の子に、慰められるなんてな―――)


守りたいと願った笑顔はここにある…。あの時施した添え木なんてずっと昔に追い越して、識の予想よりもずっと大きく、ずっと早く、ずっと高く、強く成長していくセナ。


(君が目指している“Stern Baum(お星さまの木)”―――俺には君が既に、立派に輝く星の木に見えるよ……)



コンコンコン…


遠慮がちにドアが鳴る。

かちゃりと開くとポラリスが侵入し、セナの足元にちょっこりと座る。

続いて、こっそり覗き込むように立夏が顔を出した。


「メシ、出来たけど…識、大丈夫か?」

「うん―――」


ヘッドで寝息を立てる部屋の主に変わり、ベッドサイドに座って識の頭を撫でるセナが応えた。気持ちも身体も疲れが最高潮に達していた識は、あの後ベッドに転がり寝入ってしまった。寝顔を確認し、席を外そうと立ち上がりかけたセナだが、寝惚けた識に右手を掴まれ、仕方なくそのまま傍に居る事にした。


「疲れていたみたいだから、起こすの忍びなくて…」

「ったく。セナを独占なんて、良い度胸してるじゃねーか」


セナの右手を確認した立夏は、小さくため息をつく。

「ふふっ」と、苦笑いのセナ。


「仕方ねーから、もう少し待ってやるか―――なんて優しい事は言わねーぜ?ラス、仕事だ!遠慮なくヤっちまいな!」


にんまりと意地悪く口元を綻ばせた立夏は、識を指さす。ポラリスがベッドの上に飛び乗り、識の身体の上に立つ。肉球から、機械の体重が圧し掛かる。


「ううっ……」


そして、耳元で止めの「バフッ!!」

低い声が吠える。


「うわぁぁ?!えっ、なんだ?ラス?!…と、セナと立夏?」

「おはよう、識」

「メシ出来たぞ?そろそろセナの手、放してやれ」


「手?」識の右手が、しっかりとセナの右手を掴んでいた。


「ああ!わりぃ…もしかして、寝てる間ずっと傍に居てくれたのか?」

「起こすの、悪いかなって思って……」

「そうか―――サンキューな!」


1階に降りると、碧が皿やドリンクをテーブルに並べていた。


「おはよう、識。すっきりしたか?」

「……ああ、もう大丈夫だ」


「そっか、よかった―――」ニコリと笑う碧。


こうして、セナ達の長い一日は、終わりを告げた。



File:30 海を超えて


御影隼隆 私邸―――


太いコードに繋がれたイデアがゆっくり眼を開ける。そこは、沢山のモニターやコンピューターが並べられた隼隆の私邸だった。大学の研究室にも引けを取らぬほどに最新設備が整えられた部屋は、もはやラボと呼んでも過言でない。

充電を終えたイデアは接続コードを外し、全ての関節をゆっくりと動かしていく。


『Automatos system all green―――(機械動作正常)』

「おはよう、イデア」


珈琲を片手に部屋に入ってくる隼隆に、視線を移すイデア。


『メンテナンス完了シマシタ』

「良い子だ」


そう言うと珈琲を一口口に含み、デスクに置かれたパソコン画面を注視する。


「そちらの様子は、どうだ?秋兎」

『フォースから送られた、映像データ、送信します』


隼隆のパソコンには、インサイドトレースイベントの映像が映し出されていた。

ARボスに対し、まだ手慣れない様子で闘うフォース達。そこは、広いアメリカではなく、整備された日本の公園が映し出されていた。

画面の向こうで闘うフォースも、ほとんどがアジア人…もっと言えば、日本人である。


「ふむ。まぁ、システムに慣れるまでは、こんなものか…」


頬杖をつき、詰まらなさそうに画面を見つめる隼隆。

隼隆の宣言通り、インサイドトレースゲームはついに、日本に上陸された。

まだ知名度のないゲームの為、プレイヤー人数は少なく、その動きにもぎこちなさが感じられる。


「引き続き、各所でインサイドトレースイベントを開催する。“お前達”は現場の映像データを集め、ターゲットとなりそうな人物を探せ」

『了解、しました』


音声通信が切れた後も、送られてくる映像データを見つめながら、珈琲を口に含む隼隆に、イデアが声を上げる。


『ボス。インサイドトレースヲ、日本ニ上陸サセタノデスカ?』

「ああ。例のNO1プレイヤーのプログラム移植後、警備体制が強化された。誰かが、インサイドトレースの秘密に気づいたのだろうな…。これ以上、アメリカでの活動はリスクが大きい。元々日本でもターゲットを探すつもりでいた。計画に何ら支障はない」

『弟達ニ、コノ任務ガ出来ルノデショウカ』


人と何ら変わらないイデアの顔は、不自然なほどに無表情だった。


「なんだ?心配か?」

『イエ。ボスノゴ意志ニ異存ハアリマセン』

「まぁ、見守ってやろうじゃないか…。あの“似た者バディ”のやり方を―――」


イデアもまた、隼隆のパソコンに送られてくる画像データを確認する。


『ボスノ、オ心ノママニ』



翌日のインターネットニュースを見て、立夏は驚愕する。


「“インサイドトレースゲーム、ついに日本上陸”だと?!」

「予想していたより早かったな…」


朝食の片づけを行う識が声を掛ける。


「予想していた?」

「前にも言ったろ?インサイドトレースゲームはメニュー画面の言語選択で日本語選択が出来る。それは、日本語を使うユーザーを視野に入れているからだ。まぁ、圧倒的ゲーム人数の多い中国よりも先に日本を選んだところに、何かカラクリはあるんだろうけどな」

「最近、警備体制が強化されたせいか、あれから意識不明になる事件は起きていないし、ゲーム中プレイヤーに直接接触する輩は現れていない。個々で行われるデュエルまで手を回せていないが…概ねセナ達の仮説が当たっていたと思っていいかもしれないな」

「とりあえず、アルからの連絡をまとう―――」

「俺はセナに連絡する。午後からバームユニット会議だ」

「了解」


三人は、それぞれに情報収集に努めた。




午後からアルグレードに連絡が付き、セナも含めてラボに集合した5人は、ニュース画面を確認する。


「どうやら、日本でインサイドトレースゲームイベントが行われたのは、本当らしいな」

「ご丁寧に、向こうでもゲーム通貨還元システムが取られているらしい」

「このシステム、日本ではそれこそ犯罪だろう?!警察は取り締まらねーのかよ?!」

「……まぁ、上の方で何か利権関係が絡んでいるか……限りなく黒に近いグレーの扱いなんだろうな」


「で?どうする?」


識が立夏と碧に視線を送る。


「どうするって…日本で被害が広がる前に、阻止する必要があるだろ?」

「とはいえ、アメリカでの事件が解決したわけじゃない」

「…………。」


「二手に分かれよう。俺と立夏は日本に帰り、日本でのインサイドトレースゲームを追う。識とアルグレードはこのままアメリカに残って意識不明事件を追ってくれ」


珍しく、碧が提案を行う。


「……私は―――」名前を呼ばれなかったことを不思議に思い、声を上げるセナ。


「セナは、俺達と日本に来てくれ。」

「?!」「碧?」


識とアルグレードが眉を顰める。

立夏も、彼の強い口調に、思わず顔を確認した。


「勿論、アメリカでの研究が途中なのは知っている。識やアル達と連絡を取りながら、日本が落ち着いたら、二国間を往復する形になるだろうから、一番負担はかけてしまうだろうけど…

バームを使用した事件で、あらかじめ日本上陸が予定されていたものだとすれば、日本での調査にセナの力は必要だ。」

「…………まぁ、一理あるな」


顎を抱えて頷くアルグレード。識は碧を睨みつける。


(…………コイツ―――)


識の視線に対抗するように、碧も識を睨み返した。


「…………」


重い空気が、部屋に漂う。

その空気を切り裂いたのは、セナの言葉だった。


「確かに、日本でも既に別のARゲームやアプリケーションが出回っている。ユーザーがインサイドトレースゲームに馴染むのも時間の問題よ。そうなる前に、捜査の基盤を作っておかなければいけないわ。識は立夏達よりインサイドトレースの戦闘慣れしているし、フォースとアシストを同時に行うスキルもある。二手に分かれるなら、碧の提案通りがベターね。」

「セナが、それでいいなら。俺は従う」


立夏も納得する。

しばらくの沈黙の後、識も重い首を縦に振った。このチームのリーダーでもあるセナが納得した以上、識がどうこうを言える立場にないと考えたからだ。


「……解った。」


下を向く織を横目で確認し、アルグレードは立ち上がる。


「じゃぁ、早急に航空券の手配をする。日本での活動となれば再び“白木”を使ってサイバー犯罪対策課を動かそう。立夏と碧は帰国の準備を進めてくれ。セナも、ご両親に事情をきちんと説明するように!」

「「了解」」「分かったわ」


部屋を出るアルグレードと碧、セナ。


立夏も立ち上がり、会議室を出ようとしたとき、識が立夏の腕を掴む。


「立夏…頼みがある―――」

「断る。」

「はぁ?俺まだ何も言ってないぞ?!」


不貞腐れた顔で短くため息をつく立夏。


「言わなくても分かるよ。セナの事だろ?アイツを守るのは俺の意思だ、お前にどうこう言われる筋合いはない。それに……」

「…………。」

「碧の方は、 “男”としての覚悟が決まってるみたいだぜ?お前は、どうするんだ?主治医か?兄か?父か?……それとも―――」

「俺は……」

「まぁ、離れてみるのもいいんじゃないのか?お前らちょっと距離近すぎだし、そしたら見えなかったものが見えてくるかもよ―――」


「余計なお節介だ―――」


フイと、視線を逸らす織を確認すると、立夏はわざとらしく肩をすくめ、部屋から出ていった。


(俺は―――どうしたいんだろう)

立夏から指摘されて識は改めて頭を抱えた。



結局、自分の気持ちに答えが出せぬまま、立夏達の帰国の日となった。

アルグレードも総務省役人“白木”として、一度日本で動く事となり、アメリカに残るのは識だけとなった。空港で見送る識と、セナの父水月。


「無理はしない事と、何かあったらすぐに呼べ!海の向こうから駆け付けてやる」

「お前こそ、助けてほしくなったら俺を呼べよ?」


拳を重ねる立夏と識。


「じゃぁ、母さんによろしくね!」


またもや、母アリアの仕事日に出国日を重ねたセナは、父から荷物を受け取るとニコリとほほ笑んだ。苦笑いを浮かべる水月。


「あまりアリアの見送りを避けていると……そのうち日本に追っかけかねないぞ?」

「きちんとテレビ電話するわ!大丈夫だと言っておいて?それと―――」


ちらりと、立夏と雑談する識に視線を移す。


「識君の事?私の出来る限りで彼に協力はするよ。彼は、私の大切なセナの、命の恩人だからね―――」

「ありがとう、父さん……」


じゃぁと手を振り、出国ロビーを後にするセナに、再び声を掛ける水月。


「……セナ―――」「?」

「私は、セナがこうして私達に頼ってくれる事が、とても嬉しい。君の父で居られて、幸せだと思う。どうか無事に帰っておいで、愛しい娘」

「…………ええ、勿論よ。私も父さんの娘で幸せよ!―――行ってきます」



4人を乗せた飛行機を空港で見送る識と水月。


「前にも、こんな事ありましたね―――」

「そうだな……。」


表情を曇らせる水月に、識が訊ねる。


「何か、気になることがあるんですか?」

「………ああ。でも、大丈夫だ―――セナなら」

「……そうですね」


飛行機は、遠く日本に向って飛び立った。



水月の不安が現実の事となったのは、それから暫くしてから。

知らせは、セナから突然に告げられた。

『日本で、InsideTraceの意識不明被害者が出た―――』と。



File:31 最強のアシスト


カリフォルニア―――

インサイドトレースイベント


広野に現れたボス、“THE Thanatos(ザ・タナトス)”を討伐すべく、多くのプレイヤーが武器を構えて一斉に走り出した。


『Pass code、Chase of Silence―――(転送、沈黙の追撃者)』


アシストの声に反応し、識の右手に白銀色のソースコードが幾重にも重なり円を描く。


「だぁぁぁぁ!!!」


識が空間を切り裂く様に右手を振るうと、ソースコードが飛び出し、先を行くプレイヤー達がぴたりとその動きを止めた。ARゲーム支配下にあるプレイヤーが一人残らず、白銀色のソースコードに絡み取られている。空間上部には、大きな時計型のグラフィックエフェクトが浮かび上がっている。


「……すげぇ―――」


誰より驚いたのは、そのプログラムを使用した識自身だった。

まるで時が止まったように動かないプレイヤー達の間を走り抜け、THE Thanatosの前に躍り出る織。手をかざし、黒い靄を飛ばして攻撃してくるタナトス。識から送られる視覚情報を、モニター越しに眺めていたアシストの男が、指示を出す。


『……識君、その黒い靄を回収してくれ』

「了解です!」


右手に構えた剣を振り、靄に接触させる識。霧は識の剣型デバイスに吸い込まれていく。

次々と襲い掛かる黒い靄を避け、また剣で受け止めていく識。

ARだというのに、手足が動かせないでいる他プレイヤーは緋色の髪のウイッグを靡かせ、一人ボスと対峙する識を見て息を呑む。


『Pass code、Self-destruction program(自己破壊プログラム)…“Silver Bullet”(銀の弾丸)』


「…Bullet?銃かなんかで打った方が良いですか?」

『いや。敵が“THE Thanatos(死の神)”だから、Silver Bullet(悪魔殺し)と名付けてみただけだ。プログラム回収のためにもデバイスを接触させてもらった方がいいよ』

「…………なんか、遊んでいます?水月さん」

『ゲーム(遊び)だろう?』

「……まぁ、そうですけど」


再び右手を握り締め剣を構えると、ザ・タナトスを形作るソースコードの固まりに剣を突き刺した。みるみるとソースコードが剣に吸い込まれていく。


「こんなもんか、な!」


剣を引き抜き、後方にと距離を取る。とたん、一瞬にしてタナトスのHPが消え去り、そのグラフィックは花火のように四散した。


「一瞬?!何したんスか―――?!」

『タナトス(死の神)の自己破壊プログラムを起動させた。元々、タナトス(死)の概念は、細胞の自己破壊から起こる。精神分析学者フロイトが使用した用語で――――』

「あー水月さん、その辺は帰ってから聞きます!とりあえず俺、これ以上目立つ前にラボに戻りますね!」


(セナの、あの小難しい説明は、水月さんの影響だったんだな―――)


心の中で苦笑いを浮かべる織。識の頭上には“Your win”の文字が浮かび、プレイヤー達の硬直が溶ける。


『分かった。Assist Program ―――link out』


通信が切れた事を確認し、急いで会場を出ていく識。

近くに停めていたRSV4に跨ると、エンジンをふかし、逃げるように走り去った。


(ARであんな大規模範囲攻撃って、ありえねーだろ?!こんな事ならもっと変装しとくんだった…)


セナのラボに戻ると、2階に明かりがついている。

識は玄関の電子ロックを解除し、二階の明かりの部屋に向った。



コンコンコン……


「識です、戻りました」

「お疲れ様」


バームメインコンピューター室のパソコンの前に座り、カタカタとプログラミングを行っていた水月=クラークは識の姿を確認すると、その手を止める。


「怪我は、無いか?」

「あんな範囲攻撃されちゃ、怪我のしようがありません……」


両手を広げて大げさに肩をすくめる識。


「セナからは、ゲームデバイス使用中の接触により、何らかのプログラムが移植されて意識不明状態になった可能性があると聞いた。君を任されている限りは、誰一人君に触れさせはしないよ」

「水月さん、そのセリフ男前すぎて惚れちゃいそうです」

「私には、アリアとセナがいるのだが・・・・・・」

「あはは……」(冗談、通じない人だった……)


苦笑いを浮かべながら、水月の手元を覗き込む識。


「プログラミングですか?」

「ああ、先程君が回収したプログラムの解析を行っている。あと、セナから頼まれた武器プログラミングと―――」

「セナから?!」


どうやら、日本ではアシストの碧に対し数名のフォースでチームを組み、インサイドトレースに参加するとの事だった。


「一人で多人数のフォースを管理するなんて、無謀だ!」

「武器プログラムをあらかじめアイテムストレージに待機させ、必要に応じてプレイヤーがそれらを選択して使用する基本戦法をとるらしい。」

「……俺が、アシストとフォースを同時に行う時に使っていた方法ですね」

「またセナは、危険に首を突っ込もうとしているらしい―――」

「……大人しく守られてはいてくれない姫さんですから」

「そのようだね」


水月はパソコンからデータファイルをメモリーチップに移すと、識に手渡した。


「これは?」

「インサイドトレースに使用されるMobやボスのプログラムを解析して作った武器や防護プログラムだ。きっと君を守ってくれる」

「………行くんですね、日本に――――――」


メモリーチップを受け取ると、くすりと笑う識。


「すまない、識君」

「大丈夫です。アルグレードも明後日には帰国すると聞いていますから、こちらの方は任せてください」

「頼んだ…」


水月は静かに微笑むと、再びキーボードを叩き始めた。

その背中を確認し、識もまたプライベートルームに戻って体を休めた。



File:32 失踪


セナのサポートをするためにと単身日本に渡った水月だが、複雑化するアメリカでのインサイドトレースゲームのアシストは、引き続き彼が日本からアシストを行った。

時差もあるため、何とか一人で闘うと言った識に、君を守るのは私の仕事だと、アシスト役を譲らなかった。一度言い出したら聞かないところは、はやり親子で、セナと似ている。


昨夜もインサイドトレースのイベントに参加し、水月からもらった武器や防具プログラムの整理を終えてからラボのプライベートルームで寝ていた識。

身体の上に、重さを感じる。


「んん―――」

『バウッ!!』

「うわぁぁ!!!」


飛び起きると、ポラリスが胸の上に乗りかかっている。


「………ラス、もう少し優しく起してくれ・・・今日は半休だから昼まで休みなんだよ」

『ごめんなさい、識。緊急事態なの』

「へっ?!セナ?!」


ポラリスから、セナの声がする。


(BMIアプリケーションPolarisを起動していたのか?!)


最近は滅多に使用されていなかった為、その存在自体を忘れていたが、天才科学者水月=クラークが作ったこのBMI機器は、ゴーグル型デバイスと専用アプリケーションPolarisを起動する事で、犬型自動機械ポラリスの身体を3次元的に動かし、通話する事が可能なのだ。あれから何度かアップデートを重ね、セナの開発したバームとの相互性を持たせることで、バームでもポラリスを動かすことが可能となっていた。


研究室の全ての鍵を解除できるポラリスと、アプリケーションPolarisを使えば、このラボにプライベートは存在しない事になる……。


「セナに寝込みを襲われるなら喜んで!俺を好きにしていーよ?」


両腕を広げてベッドに転がる識。


『有難う、識。じゃぁ急いで着替えて病院に向ってくれる?インサイドトレースゲームの意識不明被害者の身体が消えたの。』


「なんだって?!」


再び飛び起き、上着を脱ぎ捨てる織。

ポラリスはベッドから飛び降り、フイと壁を向いて話を続けた。


『アメリカでの被害者の身体の失踪については詳しくわからないから、識に調べて欲しい。でも、同時刻、日本でもインサイドトレースゲーム被害者の身体が病院のベッドから忽然と姿を消したの。警察やサイバー犯罪対策課が捜査を行ったけど、まだ状況がつかめていないわ』

「分かった。とりあえず、病院に向うよ―――」


識は車を走らせ、自らの勤務先であり先のインサイドトレースゲームで意識不明となったアッシュの身体が療養している病院に向った。



病棟に上がるなり、すれ違う看護師から声が掛かった。


「あれ?Drクギョウ、今日は午後からのはずでは?」

「患者の失踪を聞いた…状況が分かる人はいるか?」

「インサイド何とかの被害者ですよね、確か役人と警察が病室に詰めかけていましたよ?」

「ありがとう」


識が病室に着くころには、粗方の捜査が終わった警察が見張りだけを残して引き上げていた。

警察と話をしていたアルグレードが、識に気付いて駆け寄る。


「識!」

「アルグレード…これは一体」

「それが、俺にもよくわからないんだ…朝方に連絡を貰って駆けつけたが、当直スタッフも誰も被害者を見ていないし、院内の防犯カメラもそれらしき現場は写されていない。」

「……おそらく、防犯カメラ映像を書き換えられたな―――」

「だろうね」

「クソッ!!」


思い切り壁を殴る識。


どういう事だ…なぜインサイドトレースゲームの被害者が姿を消す?

しかも、日本とアメリカで同時刻に行われた?


「・・・・・・・・・どうなってんだよ」

「日本もアメリカも、当直帯で院内スタッフの手薄な時が狙われている。どちらかの事件が公になれば他方でも警備が固くなる。双方の油断をついた時期に、時差を考えて同時刻に行われ、綿密に計算された事件だ。捜査はもう、プロに任せた方が良い」

「ああ―――」


識とアルグレードは頭を抱えた。


(全てが後手に回っている。俺達は、インサイドトレースの掌の上で踊らされているようだ。)


事態は再び、暗礁に乗り上げてしまったのだ。



後日、日本に渡った水月からインサイドトレースゲームの日本での被害者が失踪した日に、立夏が大けがをしたと聞かされた。当の本人からは全く連絡がない。セナからも連絡がないところを見ると、立夏が口止めをしているのだろう。流石に水月まで口止めが回らなかったようで、日本でのセナ達の様子は、水月を通して手に取るようにわかった。あの日、わざわざPolarisを起動させて識を起こしたのは、直接彼の無事を確認する為だったのだろう。



昼休み、携帯電話でセナにコールする識。

特別何か用事があったわけではないが、暫く声を聴いていなかった。

電話の理由など、後から何とでも言い訳できる。


日本はまだ明け方か……。流石にこの時間に“声が聴きたかった”では、怒られるだろうか。

頭の中であれこれと理由を探していると、意外に早く、電話を取ったセナ。


『はい。識?』

「大丈夫か?セナ―――」

『……大丈夫よ。識こそ、怪我…とか、してない?』


(立夏の事か―――)


「俺を誰だと思ってるんだよ!水月さんのプログラムのおかげで“緋色の鬼”なんて呼ばれ出したぜ」

『フフッ…鬼、ね―――。気を付けて?識』

「…何がだよ」


セナが言葉を詰まらせる。


『これは、私の推測でしかないけれど、アメリカの事件でも、今回の日本での事件でも…意識を失ったフォースに目立った外傷がない。そしてターゲットは皆、体力や身体能力に優れた戦士ばかり……もしかすると奴らの目的は、若くて健康な”優れた(からだ)”なんじゃないかって、思ったの』

(からだ)?じゃぁアッシュ達の身体も、最初っからそのつもりで意識を奪い、回収したって事か?」

『根拠はないわ。だけど、そうだとすれば―――』

「目立ちすぎると、今度は俺がターゲットか。フン…来るなら来いよ、返り討ちにして―――『識ッッ!』


識の声を打ち消す様に発せられたセナの声が、震える。


(そうか…立夏に怪我をさせたと、落ち込んでいるんだった。)


不謹慎な発言に、声のトーンを落とす織。


「わりー。大丈夫だ、無理はしない。セナを悲しませるような事はしないよ、絶対。」

『約束、してね―――』

「お前も、だぞ?セナ」


いつも無茶ばかりする彼女に、釘を刺す織。


『分かったわ。お仕事、サボっちゃだめよ?識』

「わーってるよ。じゃぁな、セナ。――――――――――――愛してる」


携帯電話を額に当て、祈るように呟く織。


プーッ……プーッ……


通話終了の電子音が静かに響いた。





「Drクギョウ!こんなところにいたのか…PHS何度も鳴らしたんだぞ?午後一のオペ予定の患者が急変して、もう一度ミーティングを開くみたいだ!」


医局で電話していた識の元に、同僚の医師が慌てて走ってくる。


「ああ、わかった。直ぐ行く」

「……Dr、なんかいい事あったか?」


携帯電話を見つめる織に、不思議そうに尋ねる医師。


「いや?寧ろ厄介ごとが山積していて、参ってるところさ」

「そうには見えなかったが…妙に色っぽい顔していたぞ?」


ニヤリと笑うと、PHSを取り出し、識が見つかったと連絡を取り出す医師。

暗転した携帯電話の画面に映る自分の顔を見る織。


(俺、そんな顔してたっけか……?)


鏡のように反射する画面には、苦笑いを浮かべる自らの顔が映り込んでいた。



File:33  緋色の華


カリフォルニアでも、識達の居る地域は年間を通して温暖で過ごしやすく、冬の雨季を外せば、夏場はほとんど雨が降らない。


5月も中頃…この時期は夏に向けて最高気温はどんどん高くなり、日差しが強い為日中は暑く半そで1枚で十分だが、日が落ちると逆に上着が必要となる。シャワーを済ませ、ジャケットを羽織ると、ラボのプライベートルームにあるパソコンの前に座る。


一刻程前、オンラインビデオ通話を繋いだが、肝心の相手はまだ画面の前に現れない。

先程からバタバタとフローリングを走る足音は聞こえているため、近くにいるようだが…

画面には、壁際に置かれたソファーしか映っていない。時差を考えるとそろそろ夕刻だが、夕飯の準備をしているのだろうか。



昨日、日本にいる水月から識に連絡が入った。

色々あってインサイドトレースについては一段落したが、度重なる心的ストレスにより、セナがPTSD(心的外傷後ストレス障害)らしき症状をきたしていると言うのだ。そう言われて、ほっておけるわけがない。日本には立夏や碧もいるため、彼らがセナの心を癒してはくれるだろうが、ただでさへセナと離れて久しく、水月からは“色々あった”その内容について詳しく聞いておらず、少なくあいまいな情報が識の不安を煽った。


(急遽オンライン通話を持ちかけた事は悪かったが、いつまで待たせるんだよ……)


画面の前で頬杖をつき、別の作業を行っていると画面に影が落ちる。


「セナ?」

『……待たせてすまないね、識君。』「水月さん?!」


水月の来日後、ホテル住まいをしていたセナは父と共に聖倭大学からほど近いマンスリーマンションに移り住んでいた。Inside Trace事件でセナの後を追って来日した水月の噂を聞き付けた母校の聖倭大学電気電子工学科から、日本にいるなら是非教鞭をとって欲しいとの依頼があり、特別講師として講義を請け負っており、通勤に便利だと言う事と、大学の隣に建つ聖倭大学病院に勤務する立夏もまたこの近くのマンションに住んでいる為、フォローしやすいとの理由からだ。


ネクタイを締めたシャツ姿の水月が画面の前に座る。


『セナはもう少し待たせそうだから、少し私の相手をしてくれないか?』

「え?はい、勿論―――」


頬杖を離し、改まって座り直す織。


水月からは、“色々あって”と省略されていた、ここしばらくのInsideTrace事件の動向が語られた。


インサイドトレースゲームにより、日本で2名の意識不明患者を出し、アメリカの被害者の失踪とほぼ同時期にその2名の身体は忽然と病院から姿を消した。

その後、この事件は体力や身体能力に優れた“器”がターゲットではないかというセナ達の推理を裏付けるかのように、並外れた身体能力を持つ牧野立夏がターゲットとされ、敵の誘いに乗ってゲームに参加した立夏は腹部に内蔵損傷の重症を負った。


水月や立夏の母校である聖倭大学でセナが知り合った両側義足の青年に助けられ、意識不明になる事態は避けられたものの、療養先の病院でまたもやARデバイスを付けた人間に襲われた。何とか難を脱し、その人間を取り押さえると、先日病院から姿を消したインサイドトレースゲームで意識不明となっていた被害者だったという。



彼等の脳には、ARデバイスを通じてウイルスプログラムが移植されており、とあるプログラマーによって操られていた。そのプログラマーの居る屋敷に乗り込むと、自らをアメリカインサイドトレース事件でフォースとして動いた実行犯と名乗るオートマタ(自動機械)が待ち受けており、戦闘となる。

オートマタにウイルスプログラムを移植させ、その動きを止める事が出来たが、アシストを務めたプログラマーにたどり着くと、彼は自らARデバイス機械をブーストさせ、脳を焼き切ろうとした。


今回の事件の重要参考人であるアシストは一命をとりとめたものの、その影響により脳にダメージを負っている。彼の回復についてはVirtual Reality(仮想現実)世界を使用し、現在セナを中心に回復のための研究を進めている所だと言う。


『先日のInsideTrace事件の日本被害者達に埋め込まれていたウイルスは、除去プログラムを使って削除できた。意識不明となる前の記憶までは取り戻せたが、戦闘後から今までの記憶は、すっかり抜けてしまったようだ』

「そんな事があったんですね……。それで、そのアシストは―――」

『立夏君の見立てでは少しずつ記憶が繋がってきているそうだ。だが、元の記憶が戻るかは定かではない…彼にとっても、全てを忘れている今の状況の方が、幸せかのかもしれないな……』


そう声を落とす水月に、識は声を荒立てた。


「甘いですよ!水月博士。日本の被害者は意識を取り戻したかもしれないが、アメリカの被害者の身体は未だ行方知れずだ!!一刻も早く記憶を取り戻させて全てを吐かせ、真相を暴くべきです!」


識の脳裏には、意識を失ったアッシュ達の顔が浮かぶ。


『アシストの少年が記憶を取り戻したとしても、アメリカ事件の被害者の行方には辿り着けない可能性が高い。』

「なぜです?!」


声を荒立てる織に、水月は落ち着いて答えた。


『セナを助けた両足義足の青年…彼は日本インサイドトレース事件で2名のフォースを意識不明へと追いやった実行犯のフォースだ』

「なっ?!!」

『だが彼は、義足と引き換えにある人物の指示通りに動いていた駒でしかない。アシストの少年も、その可能性が高い。』

「……そんな―――」


(折角事件解決への糸口が見つかりかけたと、思ったのに―――)


肩を落とす織に、水月は続ける。


『識君に、頼みがある。カリフォルニアで”御影隼隆“という人物を追ってくれないか?出来れば、秘密裏に。』

御影隼隆(みかげはやたか)―――ですか?」


その名は、識にも認識がある。水月=クラークと共にBMI研究分野において名を轟かせている科学者だ。


『隼隆はその昔、養子を貰ったと聞いていた。それが今回の二つの事件でアシストを務めていた、御影秋兎だ。彼には渡米歴がなく、アスペルガー症候群があり外部との関わりを極力避けて育っている。そんな彼がオートマタを作り上げて単独で動かしていた黒幕とは思えない。』

「?!」


つまり、だれかが裏で糸を引いている可能性もある。アメリカでのインサイドトレース事件にオートマタ(自動機械)が使われていたとなると、事件に御影隼隆が関わっている可能性が高いと言う事か。

人の脳にウイルスを移植し、身体を操る技術があるのなら、そもそも誰が操られているのかすら怪しい。

誰が敵で、誰を信じるべきなのか―――。


「分かりました、俺は御影隼隆の行方を追います―――。」

『頼んだ。分かってはいると思うが、接触にはリスクが伴う。くれぐれも、調査だけに留めるよう―――』

「解っています。これ以上、セナを悲しませるわけにはいきませんから」


ガシャリとドアの開く音が聞こえる。


『私を悲しませる?識、何かする気なの?!』


画面の向こうで、セナの慌てた声が聞こえる。


『戻ったのか?セナ』

『遅くなってごめんなさい、識。父さんと話していたの?何が危険なの?父さんに何か言われたの?!』


矢継ぎ早に質問を重ねるセナ。


「インサイドトレースゲームの事さ。アシストの水月さんに、無理はしないようにと言われた所だ」

『………本当に?』


水月を押しのけるように、画面をのぞき込む。


『セナがなかなか来ないから、識君が困っていたぞ?』

『ごめんなさい、識……』


画面の前で水月と会話する“いつものセナ”に、安堵する識は微笑を浮かべた。


「いいよ、水月さんに相手してもらっていたし…思ったより元気そうで、安心した」

『もしかして、父さんから聞いたの?PTSDのこと―――』

「聴いたよ。本当は日本に行ってやりたいくらいだけど…」

『心配、してくれて有難う―――私は大丈夫よ!』

「君の“大丈夫”が、大丈夫であった試しがないんだが?」


視線を逸らせる識。


『え~っ?!そんな事ないわ、きちんと加減は心得ているわよ?』

「どうだか……」



「水月さんから、粗方の事は聞いている。大変だったな…よく頑張った、セナ」

『―――うん。色んな人に、助けて貰ったの。新しい仲間も出来たわ。落ち着いたら、識にも紹介するね』

「ああ。」

『あとね、立夏がハクと……あっ、ハクっていうのは―――。えっと、VRの話からした方が良いのかしら―――』


次々と、話したい事が湧き出てくる。話がまとまらないセナに、識はくすくすと笑い、制した。


「ゆっくりでいいよ、セナ。初めから聴かせて?日本でセナが、体験したことや思った事…辛かったことも、嬉しかったことも―――全部」

『………。うん――じゃぁまず、日本で出会った人たちの事からね―――』



セナは、日本で出会って助けられた色んな人達の事を話し出した。今まで語られなかった、数年前のVRゲームでの碧との出会い。インサイドトレースで出会った、新たな友人達、立夏が、VRゲームを始めた事を―――。


4年前、手術から目覚めたセナの周りに沢山の花が届けられた。彼女が望んだ白い花だけでなく、看護師長達メディカルスタッフが届けた色とりどりの花達を思い返す織。


“白い花に自分の色を付けるのも人生だけど、貴方の周りには沢山の色を持つ人がいる。その素敵な色達と触れ合い、時に喧嘩し、選んでいくのもまた、これから待ち受ける貴女の人生よ!”


そして今、彼女の周りにはあの時届けられた色とりどりの沢山の花のように、色んな人が集っている。出会いも別れも、反発する事だってあっただろう。

様々な出会いが彼女を成長させ、彼女を輝かせていく。

画面の前で楽しそうに話すセナを見つめながら、セナと出会ってからの日々に思いを馳せた。


(子離れできていない親…か。確かにそうだ―――責任や覚悟と託けて、彼女を引き留めているのは、俺の方かもしれない。俺が居なくても、彼女は十分羽ばたけているのに……)


『……き?識―――?』


はっと画面を覗く織。画面の向こうで心配そうに、首をかしげるセナ。


『ごめんなさい、疲れているのに…話し込んじゃった?』

「いいや、疲れていないよ。セナの話を聴くのは、楽しいし、とても嬉しい」

『楽しい?』

「うん」


セナはじっと考え込む。そして、ニコリと笑みを見せた。


『昔ね、心臓の手術から目を覚ました時に、皆がいろんなお花をくれたでしょ?』

「ああ、そうだね―――」

『識は“約束を守る”と、白いバラを。専門医の先生は“美しさ”と“誇り”を表す白いアマリリス。父さんと母さんはこれからの“希望”を込めて白いガーベラを。』

「あの日の事は、今でもよく覚えているよ……。その後師長達が持ってきたカラフルなお花で、病室が埋め尽くされてたよな!おかげで俺の花が目立たなくなってしまった」

『ふふっ!識は毎日白いバラを持ってきてくれたから、一番目立っていたじゃない!』


クスクスと笑うセナ。


『あれから私、師長さんの言う様に、いろんな色を持つ人と出会ってきた。みんながみんな良い人じゃないし、辛い別れもあったけれど―――この世界には、いろんな色があるんだって知ったの!』

「……そうか―――」


それは、識にとっても誇らしい事。彼が、セナの人生に望んだこと。


「俺は、君にとって…何色なんだろう―――?」


彼女の人生を彩る“色”に、なれているのだろうか。

あの時の白バラのように…色のないままなのだろうか…。


『識は、緋色ね』

「緋色?」


そう!と、楽しそうに即答するセナ。


『深紅色、スカーレット…赤より紅く、鮮やかでいて深い…誰もが惹かれ目を奪われる強い赤。だから、識の(あけ)は直ぐに見つけられるの!』


(scarlet……)


トクン…

と、識の胸が静かに打つ。

靄ついていた心に、一片の”色”が落ちてきた。


『色遊びかい?じゃぁ、私はセナの目には、何色に写っているんだい?』


席を外していた水月が、戻ってきたようだ。


『父さんは、白銀色かな』

『識君に比べて随分地味な色だな―――』

白銀(しろがね)は物体表面の光学的状態で、色としては白や灰色で表現されるけど、表色系だけで表現できない“変わり色”ね』

『……白銀の可視光線反射率は98%…光を当てるとほぼ白で見えない。それは、存在が薄いって事かい?』

『そんなこと言ってないじゃない!被害妄想よ?』


“直ぐに見つけられる色”と表現された識と比べて、“表現できない色”と言われた事に不満気な水月。そんな親子の会話に、思わず笑いが込み上げてくる識。


「緋色か…ありがとう、セナ!なんか嬉しいよ」

『そう?なの?』


首をかしげるセナ。


『今日は二人ともこの辺にしておきなさい。識君は明日も仕事なのだろう?』

「はい。って、こんな時間か――」

『すっかり話し込んじゃったね…』

「有難うございます、水月さん。ありがとう、セナ―――」


『こちらこそ、遅くまで付き合わせてすまなかったね』

『お休みなさい、識!』




通信を切ると、識は部屋のベッドにダイブした。心地の良い眠気が識を襲う。


彼女の父であり、兄であり、主治医である…。

セナとの“約束を守る”責任と覚悟に縛られた“白”い識は、もう役目を終えていたのかもしれない。


今度は、“緋色”の花として、彼女と共に歩んでいきたい。



「離れて気付く事もある…か。言ってくれるぜ」


識は静かに目を閉じた。


File:34  restart(再出発) 

Different perspective 『アキウサギと本の虫?』


その後、セナ達は重要参考人である御影秋兎の意識レベルを取り戻すため、VRMMOへのフルダイブを通して脳への刺激を与える方法を試行した。この試みが効を奏し、参考人秋兎は自発的な動きを取り戻したのだ。

だが、今回彼が脳へのプログラム移植に使用したARデバイスからの高出力電磁パルスの影響か、元々の彼の中に潜んでいた性質なのか…彼の記憶は完全には戻らず、多重人格という形で現れてしまった。

それでも、義理父、御影隼隆の記憶は確かにあり、アメリカでのインサイドトレース事件の解決と御影隼隆との関連性を調べるため、セナ達はアメリカへ帰国する事となった。



のだが―――。


セナと立夏、碧は、日本インサイトトレースゲームの実行犯のフォース、白李と共に帰国し、参考人である御影秋兎は、セナの父、水月=クラークが幾つかの国を経由してアメリカに入国させた。日本のサイバー犯罪対策課は、御影秋兎の身柄を参考人として保護したかったようだが、アメリカインサイドトレース事件の重要参考人…いや、重要参考品であるオートマタ(Idea)をサイバー犯罪対策課が強制収容し、提供を拒んだため、アメリカのInsideTraceUnit projectとのわだかまりが生じたようだ。

そこで、アメリカInsideTraceUnit projectの責任において御影秋兎の身柄をアメリカで保護する事となった。といっても、多重人格を発症し、完全なる記憶回復が行えていない不安定な精神状態が崩壊せぬようにと、出来るだけストレスの少ない環境下で軟禁する形となり、顔見知りの多いセナの“星の木ラボ”にて預かる事となった。


たまたま夜勤と緊急手術続きで病院に泊まり込むことが多くなっていた識は、セナ達の帰国後なかなか彼らに会えずにいた。



「だぁぁぁぁ!!!」


昼過ぎまで長引いた午前の外来診察を終え、診察室の椅子にもたれて奇声を上げる織。

診察室の隣で物品整理をしていた看護師が顔をのぞかせる。


「お疲れ様です、Drクギョウ!今日は飛び込みの患者さん多かったですものね」

「なんで皆こんなに怪我してんだよ…」

「最近はやりのARゲーム、『InsideTrace』の影響ですかねぇ…金銭絡むと人間怖いですから」

「…………ったく。ここんとこずっと家に帰れてないんだぞ、俺は。アイツの帰国後の診察だって―――」


はっと思い、電子カルテの外来一覧を見直す織。

確か今日の予約に、セナの定期健診を入れていたはずだが、電子カルテは未来院になっている。


「セナ=クラークはどうした?今日は予約日のはずだろう?」

「ああ、セナさんなら帰っちゃいましたよ?今日は予約外の患者が多いって言ったら、私の診察は緊急を要しないから別日にします。って―――」

「はぁ?!誰が許可したんだよ、主治医は俺だぞ?!」

「許可も何も、本人のご意志ですから。残念でしたね、Dr!今日はセナさんに会う為に朝から頑張っていたのに」


くすくすと笑いながら、診察室の机に置かれた白いバラに目を移す。

セナの予約日には、必ず診察室の机に白いバラを用意していた識。


「あ、そうそう!セナさんからDrに言伝を預かっていたんです」


外来横の休憩室にふらりと消えると、看護師は紙袋を持ってきた。


「暫くお家に帰れていない先生に、差し入れですって!」


紙袋の中には、野菜ジュースとサンドイッチに小さなメモが添えられていた。


“無理しない範囲で、お仕事頑張ってね。セナより”


片手で顔を隠す織。隣にいた看護師はメモを覗き込むが、日本語で書かれたメモが読めずにいた。


「Dr!セナさんのメッセージ、なんて書いてあるんですか?」

「可愛すぎて、昼から仕事サボりたくなるような事……」

「え~?!」

「午後処置まで2時間あるな、昼休みは院外に出ているから、何かあったら携帯ならして?」

「ちょっとDr?!」



看護師の制止も聞かず、黒いスクラブ(医療用白衣)の上からパーカーを羽織り、駐車場に向う。片手で手早くメールを送ると、近くの大学に向った。



駐車場に車を滑り込ませると、識は構内を抜けて図書館へと急いだ。

ピンクのレンガと石造りのその建物は、中心にそびえる6角形が印象的な趣のある建物だ。

慣れた建物の本の間をすり抜け、ふわりと揺れる茶色の髪に近づく。


「定期受診、サボってんじゃねえよ」


識の声にゆっくりと振り向いたそこには、目を大きく見開くセナが居た。


「お仕事頑張って…って、看護師さんにメモを渡したのだけど?」

「差し入れサンキューな!移動中に車内で食った。」

「お仕事頑張れって託けたのに……。サボったのね!」

「昼から頑張る。その前に、エナジー補給だ」


そう言って、セナの身体を抱きしめた。

懐かしい、セナの香り……手に触れる、茶色く柔らかい髪の触感が心地よく、くすぐったい。


「おかえり、セナ……会いたかった」

「ただいま、識」


識の腕を離し、彼の姿を見返すセナ。


「スクラブにパーカー…。職場を抜け出してきて、また看護師さんに迷惑かける!」

「定期検査抜け出したの、セナだろう?」

「きちんと検査の予約日変更かけたもん。検査技師さんもOKしてくれたわよ?」

「主治医はOKしていない!」


そう言うと、ポケットに入れていた聴診器を取り出した。


「?!ここで?」


セナの左手首を掴んで脈に触れる。少し早めのパルスがリズムよく刻まれる。


「~~~ッ!」



身体を硬直させるセナの両手を片手で握り、本棚に押し当てる織。


「ちょっと…」

「じっとしてろ!」


覆いかぶさるように、識の体が視界を塞ぐ。

側腹部から滑り込んだ聴診器がひやりと体に触れた。


「~~~~ん!!」

「パルス、早いぞ?セナ―――」




「セナ?!」


若い男の声と共に、死角から、突然に分厚い本が飛んでくる。咄嗟に聴診器を持つ手を離し、片手で本を受け止めた識。


掌に加わった圧力が、バシッ……という、重い音を立てる。


カタン…と聴診器が、床に落ちる。


「?」


次の瞬間には本を投げつけた男がセナの腕を引き、覆いかぶさっていた識の身体から引き剥した。

セナを奪った腕の先を睨む識。彼女を、自らの背に隠す様に立つ男…。


「Who?(誰?)」


セナもまた、目を見開いて驚いているようだが、彼女が男から逃げる様子はない。


(………知り合い、か?)


目を細める織。


「秋…兎?」


胸元を両手で押さえ、男の背後に隠されたセナは彼の名前らしき単語を口にする。

秋兎と呼ばれた男は、識を睨みつけた。


「She is not the one you can touch. (彼女は、アンタが触れていい相手じゃない)」

「アキ…」「帰るよ?セナ。そろそろハク達の買い物も終わってる」


恐らく勘違いを修正しようと言葉を言いかけるが、秋兎と呼ばれた男によって阻まれる。

そして、男はセナの手を引き駆け足で図書館を飛び出してしまった。


(なんか、セナ持ってかれちまったけど……知り合いっぽいし、大丈夫だよな?)


電光石火の如く出来事に、床に散乱する本を手に取り、セナ達の背中を驚いた顔で見送る識。


BMI(ブレイン・マシン・インターフェース)とEMOM (エレクトロアクティブ・マッスルド・オペレーティブ・マシーン)についての考察……?御影隼隆教授の著書か。Hmmm———」


識は残された本のタイトルを確認した。


(御影隼隆…。そして彼が、秋兎―――ね)


識は近くに山積みされた本の束を持って医学書の棚を後にした。図書館を出ると、本を抱えたまま携帯電話を手に取る。


「あ、Dr?識です。スミマセン、午後からの処置当番、変わってくれません?外せない用ができて午後休取りたいんです……。良いですよ!じゃぁ、明後日の当直と交代で!すみません、お願いします」


午後からの要件を先輩医師に押し付け手短に通話を切ると、駐車場に止めた車に乗り込み、久しぶりに帰る星の木ラボに向った。



玄関の戸を開けて、暗い屋内に入る。電気を付けると、ポラリスが駆け寄って来た。


「よしよし!セナ達はまだ帰ってないんだな―――」


当たりを見渡すと、ここ数日で自分の知らない荷物が増えている。水月から聴いていた、新しいバームユニット達の私物だろうか。リビングテーブルの上に本を山積みにし、ソファーに転がる。


「ああー疲れた。連続勤務が体に堪えるなんて、年かな……」


ソファーに飛び乗り、識の脇腹に鼻先を埋めるポラリスを、片手で撫でる織。

ポラリスはオートマタ(自動機械)だ。AIプログラムが識の『疲れた』の言葉に反応し、甘えと癒し(セロトニン)を与えてくれる。


疲れからか、眠気が識を襲う。


連日の疲れがたたってか、識がソファーでウトウトしかけた頃、ガチャリと玄関ドアが開いた。

識に寄り添っていたポラリスが、帰ってきた主人(セナ)を玄関先で出迎える。ポラリスの頭を撫でるセナ。


「ただいま、ラス!(しき)に遊んでもらってたの~?」

「ワフ!」


その声を聴き、安心した識は口元を綻ばせる。

買い物に行っていたのだろう、当たり前のように立夏と碧が、てきぱきと荷物を片付けだした。

ポラリスと二人きり(時折水月やアリアが顔をだしていたが)だったラボに、人の流れが戻る。足音や、がたがたという生活音が、ひどく懐かしく感じた。


「おっ…オイ、何落ち着いて侵入者無視してるんだよ!」


聴き慣れない男の声が、識に向けられる。


(侵入者だぁ?)


ソファーで寛いでいた識は、聞き捨てならない言葉に重い腰を上げた。。


「侵入者とはご挨拶だな?お前らん所のちっこいのに、ご丁寧に本を届けてやったんだぜ?」


識はリビングテーブルの上に、山積みにされた本を指さした。

このラボでは、識はむしろ立夏や碧よりも古参なのだ。新入り達に侵入者呼ばわりされる覚えはなかった。


玄関先で固まるのは、初めて見る黒髪に両側義足の男と、先程図書館でセナを奪って行った背の低い少年。こちらの少年はたしか、先程図書館で秋兎と呼ばれていた。

秋兎は識の頭から足先までを見下ろすと、指を指して叫んだ。


「あ~~っ!こいつ、セナを襲おうとしてた変態!!」


識の口元が、引きつる。


「はぁ?!折角本を持ってきてやったのに何だ?!この失礼なちっこいのは!」

「ちっこいの言うな!!」


(会って早々に、侵入者だの変態だの…日本人は礼儀を知らんのか!)


連日勤務で疲れの溜まった識は、いつもなら受け流す嫌味を一々拾ってしまう。

口論となる識と秋兎の間に、ようやくセナが割って入った。


「だから、話を聴いてって言ってるでしょ?彼は九暁 織。近くの病院に努める医師で、このラボのメンバーの一人よ」


普通はもっと、早くに紹介をしておくべきだが…

セナの要領の悪さに、識は思わずため息を溢す。


「キミの体をオレにくれるなら、セナ専属でもいいんだけどなぁ~」


病院を抜けだし、彼女を追いかけて図書館まで駆けつけたと言うのに、見知らぬ少年に感動の再会(?)を邪魔された挙句連れ去られてしまったのだ。改めて彼女の茶色い髪をふわりとすくい上げ再会を喜ぶ識。


途端に、台所からステンレスの盆と階段下収納庫からバーベキュートングやアイスピックが、織をめがけて飛んできた。


(マジですか!!)


「よっ!」


一足早く飛んできた盆を掴むと、それを盾にトングとピックを叩き落とす織。


「バディー組んでいる癖に息合ってないな、お前ら。これじゃぁ盆で防いでくださいって言ってるような物だろ?」



立夏と碧に会うのも久々だと言うのに、ご挨拶な態度に嫌味を溢した。


「セナの目の前で、お前に当てる事はしないさ」

「あーそういう事?」


(わざと当てませんでした…って事か?言ってくれるぜ)


リビングの端で突っ立ったままの秋兎と白李は一層警戒を強める。

織は二人のところに歩み寄ると、スッと手を差し出した。

セナが選んだ“仲間”なら、識にとっても“仲間”になるはずだ。



「そういう事。よろしくな、新入り諸君」

「……フォースの冬城白李だ。」


警戒しながらも、両足義足の男が手を握り返した。だが、その隣で織を睨んだままの秋兎は手を出そうとしない。


「…………」

「コイツは、プログラマーの御影秋兎。理由合って今はアシストとしては動いていないが、とあるプログラムの解析を担当している」


代わりに、白李と名乗った男が秋兎を紹介した。


「御影…ね。よろしく、秋兎」


(やはりコイツが、御影隼隆の義理息子。)



水月に調査を依頼され、御影隼隆の消息を追ったが、教授を務めていた大学には暫く顔を出していないらしく、長期休暇の申請が出されていた。行先を訪ねるも、首を横に振る者ばかりだ。隼隆の自宅を突き止め、張り込んでみるが自宅にも帰った様子はない。一向に姿を見せない御影隼隆は、もはやカリフォルニア…いや、アメリカ国内に居るかどうかも怪しかった。


その隼隆の命令を受けて動いていただろうプログラマーが、この、御影秋兎(みかげ あきと)。隼隆の調査線状に浮かび上がった隼隆の義理の息子だ。小学校低学年で実親に捨てられ、隼隆に養子として育てられた。見た目はセナと年も変わらないくらいの少年で、水月の話では元々アスペルガー障害があり、日本での戦闘でセナ達に追い詰められた彼は自らのARデバイスにプログラムを移植し、脳破壊を起こそうとした。その影響か、解離性同一性障害(DID)を発症してしまったようだ。


アスペルガー症候群……。自閉症スペクトラム障害のうち知的障害および言語障害をともなわないグループを言うが、アメリカの学会などでは、アスペルガー症候群そのものは障害ではなく、治療すべき対象ではないという議論もある。“対人関係の障害”“コミュニケーションの障害”“パターン化した興味や活動”という3つの症状がある発達障害のひとつとされ、原因ははっきりとは解明されておらず、先天的な脳の機能不全によるものと考えられている。

警戒の為か、腰を曲げ、縮こまって識を睨んでいる。


フイと視線を背けると、秋兎は二階にある自室に走っていった。


「あら?嫌われるような事したかな、オレ」


(こちらも警戒していたのが、伝わってしまったか―――)


苦笑いを浮かべる織に、義足の青年はフォローを入れた。先程までは失礼な物言いをしていたが、こちらの男はそれなりのコミュニケーション能力がありそうだ。いや、本来はこれが普通なのだろうが、星の木ラボには変わり者が多くて普通が普通じゃなくなっているだけかもしれない。


「17歳、難しい年頃なんですよ」



「いーや、織の大人げない態度のせいだ!後できちんと謝っとけよ?」


荷物の片づけが終わった立夏は、顔をしかめて釘を刺した。


(まぁ、アスペルガーと分かっていながら大人気ない態度を取ったのは事実だ。)


「へいへい……」


適当な返事を返す織。


「全く、子供なんだから―――」


セナはぼそりと呟き、二階に上がる秋兎の後を追った。


「結局、今日の夕飯何にするんだ?」


台所で買い込んだ食材を手に持ち、碧が訊ねる。


「まだ時間あんだろ?全部作るよ―――」

「全部って?」

「ハンバーグカレーと、デザートにチーズケーキとメロンパン」


右手でくるくると包丁を回すと、白李は手際よくニンジンやジャガイモを皮むき切り分けていく。

そのちぐはぐなオーダー内容に顔を引きつらせる識。


(カレーとメロンパンはセナのオーダーだろうな……)


「メロンパンなんてどうやって……」

「ホットケーキミックス使えば何とかなる」



頼りになる白李の言葉に、手伝うよと鍋を用意する碧。キッチンでテキパキと作業する二人に驚く。特に、白李と呼ばれた男の手際の良さは、ビスカムアルバムの店主、アルグレードを見ているかのようだった。


冬城白李(とうじょう はくり)……水月からの情報では、交通事故で両側大腿義足となり、引きこもりの生活を送っていたという。御影隼隆から電子制御された両大腿義足(筋電義肢)を渡す代わりにInsideTraceゲームに参加するよう命じられていた。元々、水月や立夏の母校でもある聖倭大学の大学生で、大学の近くのマンションで一人暮らしをしていたようだ。



「すげぇな、最近の若いのは。そういや立夏も一人暮らしじゃなかったっけ?」


横目で立夏に視線を送る識。


「俺にはあんなスキルはない。ご飯は職員食堂で事足りるしな―――」


(そうだった。この星の木ラボには、まともに料理が作れるメンバーが居なかったんだ)


「料理スキルを持ったメンバーが来てくれるのは大歓迎だな!」


カレーの食欲をそそる香りと、デザートの甘い香りが、家の中に広がった。


「あいつら、いつまで上にいる気だ?」


立夏が階段の上を見上げる。


「俺が呼んできます―――」


InsideTraceゲームでは秋兎のフォースを務めていたと言う白李が二人を呼びに上がった。

白李の背中を見送った後、識の隣に並ぶ立夏。


「秋兎の解離性同一性障害(DID)…多重人格については、脳に無理な負荷をかけず、自然に任せるのが俺とセナの方針だ」


立夏が説明する。


「……脳神経系ではお前の方が詳しい。そっちはお前達にまかせるよ―――」

「出来るだけ穏便に、仲直りしてくれよ?」

「へいへい。俺が大人気なかったですよ―――」



「この匂いはカレー?!え~っ僕ハンバーグがイイって言ったのに!!」


先程とは雰囲気の違う口調で、ドタドタと階段を下りてくる秋兎。どうやら機嫌は直っているらしい。


「ハンバーグも乗っけてるから!早く来い秋兎」


キッチンに戻って皿を運ぶ立夏が、叫ぶ。


「カレーハンバーグだって!良かったね、セナ!」

「はいはい…」


その後ろから、小さなため息をつくセナも降りてきた。


6人で食卓を囲み、先程の大人気ない態度を詫びる織。秋兎も今度は素直に手を差し出した。

新たな仲間を迎えたこの6人が、星の木ラボの住人…バームプロジェクトの、メンバーとなるのだ。



第4章 


File:35  Noah's Flood(ノアの大洪水)


BaumProjectの活動の場をカリフォルニアの星の木ラボに移して間もなく。

立夏や白李達のいない日本でのInsideTraceゲームで、PKを専門にしている『神』と呼ばれるプレイヤーが居るとの噂を聞きつけ、その調査の為セナ達は一時、日本に出向する事となった。


現在秋兎は日本では重要参考人として追われる立場の為、アルグレードやポラリスと共にカリフォルニアに残る事とし、今回はセナ・識・立夏・碧・白李の5人での訪日である。


翌日この近辺で予定されているInsideTraceゲームのイベントに合わせ、以前のお泊り会で、“次に日本に行く時は絶対に旅館”とのセナの強い希望もあり、今回は和風旅館の宿が選択された。


「お食事は18時半からでよろしかったでしょうか?しばらくしたらお茶の給仕に―――」

「いえ、社外秘の仕事の打ち合わせもありますので、夕飯と朝食の準備以外はこちらでさせて下さい」


部屋を案内した仲居に断りを入れる白李。

何かの拍子にインサイドトレースについての秘密裏の会話を聴かれるわけにはいかない。

離れの部屋を用意したのも、アルグレードのそう言った配慮だろうと考えていた。


「わかりました。何かございましたら内線でお呼びください。では、ごゆっくり―――」


にこやかに礼を交わすと、部屋を出ていく仲居を見送った。



案内された部屋を見渡し、瞳を輝かせるセナ。一面に広がるい草の匂いに、掛け軸の飾られた床の間、大張りの窓から望む中庭はこの部屋専用のプライベートガーデンのようだ。


「すげぇ部屋をとったな?アルの手配だろ?」

「セナや立夏に配慮して、内風呂付きの方が落ち着くだろうって事らしいぜ」

「ああ、なるほど……」


部屋はちょっとした離れとなっており、サンダルを履いて出られる小庭と、大きな内風呂が備え付けられていた。一見して高そうな宿に、息を呑む立夏や碧、白李。

一方で何が“一般的”で何が“普通”なのかの基準がない識とセナは部屋や庭の探索を楽しんでいる。


「日本の“旅館”には、庭と温泉があるのか!これは凄い!!」

「本当に!名立たる文豪達が執筆のために旅館の部屋を数か月貸切ると言うのも頷けるわね!この環境だと素敵なお話が描けそう!」


(これは絶対勘違いしているな………)


「言っとくけど、これが”普通“じゃないからな!寧ろここは”特別“なくらいだ……」


早々に訂正を入れる立夏。


「寧ろ“一般人”の俺はこんな豪華な部屋に泊まった事はないぞ……」「俺もだ―――」


口元を引きつらせる白李と碧。


「早くお布団ひいてごろんってしたいわね!」

「楽しみだな!」


アメリカ育ちの識とセナは立夏の話など聞いてはいない。

識はさっそく庭に出ると、周囲の風景をカリフォルニアにいるアルグレードや秋兎に送った。

リモートでつながったカリフォルニアの二人からは、歓声が上がる。


『庭すごっ!!いーな!!ずるいよ皆、僕も行きたかったなぁ~!!識、あっちの橋も見せてよ!え~っ池があるの?!』


「ったく……」


悪態をつきながらも、撮影の補助を行う立夏。




一方、座卓の前に座り、てきぱきと急須と湯飲みにお湯を張る白李。

セナが物珍しそうに隣に座り覗き込む。


「珈琲淹れるの?ハク」

「ん?これは、緑茶だよ―――。日本までのフライトも疲れただろう?先ずは休憩しようか」


そう言うと、湯飲みに順番にお茶を煎れていく。


「ありがとう、白李。識と立夏を呼んでくるよ」


座椅子から碧が立ち上がり、中庭を探索する識達を呼びに出た。煎れられたお茶を覗き見ながら、ぼそりと呟くセナ。


「ハクって、お料理も出来るし人当りもいいし、気遣いもできるし…お嫁さんにしたい人よね」

「・・・・・・嫁さん?」


目を見開いて戸惑った白李だが、とたんにクスクスと笑いだす。


「嫁かぁ、いいね!じゃぁセナの嫁さんになるよ!毎日ご飯も作るし珈琲も入れてあげる。休日はバイクでお出かけしよう」

「おぉぉ~っ!毎日ハクのご飯―――素敵かも……」


白李の嫁姿を想像していたセナの背中を、碧が呼び戻す。


「白李だけ、ズルいぞ?プレゼンテーションの機会は平等にあるべきだ」

「碧?」


セナの隣に腰を下ろす碧はうーんと考え込む。

そして――――


「じゃぁ俺は、セナと一緒にVRMMOの世界を作る嫁になろうかな。君の作りたい世界を実現するプログラミングの力になれるし、休日はピアノでセナを癒そうか」

「AquaNightの更新が今まで以上に進みそうね!」


頭の中をすっかり仕事モードに変換してしまうセナ。


「なんだ?セナの嫁プレゼンテーションタイムか?」


一通りの部屋の撮影を終え、碧に呼ばれた識と立夏も座卓の横に座る。


じゃぁと口を開いた立夏の言葉を遮り、リモートが繋がった識の携帯から、秋兎が口を出した。

先程と雰囲気の違うこの口調は…


『プログラミング…なら、俺も出来る。MMOは苦手、だけど…BARMEなら、俺は、役に立てる。Book Fairy(本の虫)に付き合って、図書館に一日籠れる嫁は、俺くらい……』

「裏アキト?!」


便宜上そう呼ぶ“彼”は、秋兎のもうひとつの人格。

陽気で人懐っこく、一人称が“僕”のアキウサギ(秋兎)と自らを区別する為、かつてのバディだった識の一人称を真似し“俺”と呼ぶ裏アキトは、コミュニケーション障害が色濃く出ている。そんな彼が、わざわざ自分から人格を変えて声を上げるのは珍しい。


「確かに、私の図書館に一日付き合ってくれそうなのは、裏アキトくらいね…」


(確かに…)碧や白李達は苦笑いを浮かべる。


「俺だってBARME研究の手伝いが出来るぞ?プログラミングじゃなく、脳神経系の知識として…だけどな。それに、この中だと俺はセナの一番近くにいてやれるよ!いろんな意味で」

「色んな意味?」

「うん!例えば…せっかくの内風呂だし、一緒にお風呂入ろうか?とかね」


ウインクして見せる立夏。


「成る程……」


「いや、セナ!そこ納得しちゃダメだろ!立夏もこんな時だけ“女”使うなんて卑怯だぞ?!」


互いをけん制し合うメンバーに、片手で口元を覆い考え込む識。


(俺は…なんだろうな―――俺だけが、セナに与えてやれるもの……。

主治医じゃなく、兄じゃなく…一人の男として…?)



「識?大丈夫?」


突然に黙り込む識に、心配気に首をかしげるセナ。


「俺には…俺だけがセナにしてやれることは、無いかもしれない。だけど、ずっと一緒に歩いていく事はできる。この中で一番長く、深く、君に関わった者として…色んな葛藤を抱えるセナを見てきたからこそ、これから先も一番近くで、君が描くSternBaumを見続けていたい。」


「…………てっきり俺が主治医だとか専属だとか言ってくると思ったのに。」

「識…それは嫁と言うかなんというか…」

「なんかそれ、もうプロポーズだろ?」


抜け駆けだと言わんばかりの立夏達の冷たい視線が識を指す。


「プロポーズなら、ずっと昔にしているぜ?12歳の、セナに。君はもう、忘れてしまったかもしれないけどね」


苦笑いを浮かべて見せる織。


「12歳の少女にお前は手を出していたのか?!」

「……ロリコン抜けて、犯罪者だろ―――」


口元を引きつらせ、つかみかかろうとする立夏の両腕を後ろから掴み、制する白李。

碧は小さなため息とともに、白李が煎れた茶をすする。


「まてまて!立夏…落ち着けって―――」



「……覚えてるわよ・・」

「えっ……」


胸を押さえ、小さくつぶやくセナの言葉に、掴みかかろうと上げた腕を下ろす立夏。


「どうせ子供の私をあやすための口先だけの世辞だって…解っていたけど―――。仕方ないじゃない、そういうの…初めてだったんだから」


フイと顔を背けるセナは、耳まで赤く染めている。

照れ隠しをするように、お茶をすすった。


(どうしよう・・・照れているセナ、凄く可愛いんだけど―――)


そんな彼女に、固まる4人。タイミングよく、部屋のドアがノックされる。


「そろそろ夕飯の準備をさせて頂いてもよろしいですか?」


硬直が溶け、ハッと我に返った識達は、慌てて返事を返した。



次々と食卓に運ばれる豪華な夕食に、感激の声を上げる。出汁と素材の旨味が生かされた贅沢な味わいと、華やかに計算されつくした色合いに、繊細に作り込まれた美しい見た目。食べるのが勿体ない位の美しい料理に、5人は舌鼓を打った。


食事を終えた5人は、満足げに座椅子に体重を預け、腰を伸ばす。


「風呂入った後、外庭を散歩しようぜ!一般客室から望める庭と、建物の周囲が遊歩道になっているみたいだ!夜はライトアップされるらしい」


旅館のパンフレットを見ながら指差す織に、メンバーが案内を覗きこむ。


「へぇ!今の時期なら夜風も寒くないし、行ってみるか」


立夏が立ち上がる。


「じゃぁ、風呂入る前に…セナ!フロントに色浴衣があるらしいから、選びに行こうか!」

「浴衣?!着られるの?!……でも私、お着付けできない―――」

「風呂上りに着付けてあげるよ、大丈夫!じゃぁその間に、3人は風呂回しといて?」

「え、俺もセナの浴衣選びたい―――」

「君らは見てのお楽しみだ!」


ウインクを飛ばし、セナを連れて部屋を出る立夏。


「仕方ない、先に風呂入っとくか」「そうだな……」


残された識と碧、白李は交互に内風呂を堪能した。



「ただいま!」


セナと立夏がフロントから戻ってくる。

両手に袋を抱えているが、浴衣の色は確認できない。

先に風呂を終えた白李と識は、旅館の浴衣に着替えて白李の両大腿義足を外し、その断端の確認を行っていた。


「お帰り!」

「気に入ったのは、見つかった?」


振り向く彼等に、セナは急に視線を逸らす。


「!!!ッ―――うん……」


「「?」」


気に入る浴衣が見つからなかったのだろうか。識と白李は顔を見合わせる。


「大腿義足に驚いた?」

「いや、セナはこれの事知っているぞ?俺の断端面も見た事あるし、触れた事だって―――」


「お帰りセナ、立夏。可愛い浴衣は見つかった?」


丁度、風呂を終えたばかりの浴衣姿の碧が、奥から出てきた。


「!!!~~~ッ!じゃぁ私、次お風呂頂くね…」


色浴衣を両手で抱え、下を向いたまま碧の隣を通り抜けていくセナ。


「・・・あれ?」


いつもにない反応の彼女に、首をかしげる碧。識と白李に視線を向けるが、彼等も首を横に振る。


「立夏、喧嘩した?」

「んなわけないだろ。気に入った浴衣も見つかったし、さっきまで機嫌よかったよ」


荷物から袋やタオル等を用意する立夏。

悩ます3人を一瞥し、小さくため息をつく。


「………無自覚かよ、お前ら」

「は?」


そう言うと、セナの後を追って内風呂に向おうとする。


「ちょっとまて!お前、セナと一緒に入るのか?!」


慌ててその腕を掴んで引き留める碧。


「そだよ」

「って、お前はGID(心の性は男)だろ?!」

「セナは良いって言ったぞ?まぁ…一つ条件は飲んだけど。俺、セナの為ならプライドなんて紙屑同然なんで」

「はぁ?!」


ニコリとほほ笑むと、掴んでいた碧の腕を捻り、離させた。


「いてて!!!」

「じゃぁ、覗くなよ?」


ひらひらと後ろ手を振り、内風呂に向う。内心不安げに見送る碧と白李。


「……良いのか?」

「……―――――分からない。でも、セナが良いって言ったんだろ?」

「セナは、立夏の事”彼女”と呼ぶしな……何かあれば、叫ぶだろ。その時は引き剥がすさ」




複雑な心境の3人を他所に、内風呂に入るとその解放感に感激する。

賭け湯を終え、ゆっくりとお湯に足を付けるセナ。半露天風呂となっており、外界からの風が気持ちいい。


「んん~~っ!素敵!」


めいっぱい背伸びをして、凝り固まった体を伸ばす。


「……本当に、一緒に入って良かったの?」


後ろから遠慮がちに入ってくる立夏に視線を奪われるセナ。


「あ………えっと―――」


慌てて視線を逸らす。


「やだったら、やめとくよ?」

「ううん、私は、嬉しい。知らない人大勢のお風呂は遠慮するけれど…知らない場所で一人も心細いから―――」

「そう―――」


柔らかく微笑みながら賭け湯を済ませると、肩まで湯につかりセナの隣まで近づく。


「女性っぽい立夏を見るのは、教授に紹介されて初めて出会ったあの日以来ね…」

「……そうだったかな?あの時も直ぐに猫被るのやめたけどね」


半露天の壁の向こうの、空を見上げるセナと立夏。


「立夏こそ、よかったの?私の”お願い…”立夏にとっては、その―――複雑だよね?」


色浴衣を選んでいた時の事を、思い返すセナ。



大浴場で知らない人がいるのは不安。だけど、知らないお風呂に一人で入るのも、寂しいとぼそりと呟いたセナに、じゃぁ一緒に入ろうかと提案した立夏。

身体は女性だが心は男だけれど、それでも良ければと付け加えた。


複雑な表情を見せて悩むセナに、立夏は再び提案する。


「じゃぁ今夜一晩だけ”セナの姉さん”でいるよ。だったら、俺の事怖くない?」


セナにとっては、有難い申し出ではあったが、これまでGID悩んできた彼女の事を思うと、素直に『はい』と言えなかった。そんなセナの頭を撫でる立夏。


「この中だと、俺はセナの一番近くにいてやれると言っただろ?それに、昔…君に話したことあったかな―――俺が、男と女のどちらを好きになるかって話の答え―――」

「……ええ。人として誰を好きになるかで、性別を決めるって―――」

「そう―――」


様々に並べられた色浴衣を見渡しながら、淡い水色の浴衣と、深緑の浴衣を手に取る立夏。


「俺が好きになったのはセナ(女の子)だから、心のままに男になりたいと思う。でも、君が、”女の立夏”を望むときは、君の望むままになるよ?」




これで良かったのだろうかと、立夏の言葉を心の中で反復させるセナ。

そんな悩ましい彼女の表情を見て、立夏は隣でニコリとほほ笑んだ。


「辛い事じゃないよ!大好きな子の傍に居てその不安を拭えるなら、むしろとても幸せだ」

「立夏………」

「―――。これを、気にしていたの?」


立夏は、セナの胸に残る手術の傷痕に、そっと触れた。


「……うん。」

「……そっか―――。でも、セナの事を好きになる男なら、この傷が原因で君を嫌いになったりしないよ。……と、”男の立夏”も言っています!」

「!!!ふふっ!ありがとう立夏!…って、男の子立夏にも、伝えておいて?」

「あはは、伝えておくよ!」



「身体洗っちゃおうか」と、立ち上がる立夏の左腰に、手を伸ばすセナ。


「ん?」振り向く立夏。


立夏の腰に触れたセナの指先には、昔InsideTrace事件でセナを庇って着いた傷が淡い瘢痕を残していた。


「ああ、これ―――。セナはさ、“私”のこれ(傷痕)を見て、“私”の事、嫌いになる?」


首を大きく横に振るセナ。


「嫌いにならない、そんなこと…絶対にない!」

「…”私”もそうだよ?セナの傷を見て、君の事を嫌いになったり、絶対にしない」

「……うん。ありがとう―――立夏」


洗体後に再び湯につかり、2人は露天風呂を存分に楽しんだ。







なかなか風呂から上がらない二人に、急須で煎れたお茶を空にしながら気を揉む3人。


「………遅い。何やってんだ?アイツら」

「―――長いな、もう2時間近く出てこないぞ…」

「何かあったのか?まさか倒れて―――」


(まさか――――)


浴室は屋内において血圧の変動が最も大きい場所の一つだ。

嫌な予感が脳裏をよぎる。

識は勢いよく立ち上がり内風呂に向おうと仕切りの障子を開けた。


「……覗くなって、言ったよな?」


明けた障子の向こうに、顔を引きつらせる立夏が立っていた。


「り…立夏?!」

「お待たせしました…」


立夏の背後から、ちょっこりと顔を出すセナ。


「お…遅かったな?」


2・3歩身を引く織。


「そりゃ、セナの髪乾かすのと、着付けと―――女の子は色々忙しいさ」


呆れる立夏の姿を、何度も見返す織。座卓に座る碧と白李も、開いた口が塞がらずに硬直している。


「……立夏、その恰好―――」


深緑の色浴衣に、黄色い帯を巻いた立夏の湯上り姿に、言葉の続きを失う識。


「女装?」「他に言葉はねぇのかよ(怒)」


失礼な物言いをする識の頬を右手でつねり上げた。


(素直に”目のやり場に困る”って言い返したら、もっと怒るだろうが……)


識は大人しく立夏につねられる。


「まぁ、感覚的には”女装”だけどな…」手首を挙げて、袖を眺める立夏。


「いや、女装というより、女性だな―――綺麗だよ。(心なしか胸があるように見えるし)」

「確かに。元々美人だから違和感ないな……(あれ、絶対胸あるよな……)」


硬直していた碧と白李が、本心を隠しながらさらりと言い放つ。


「お前らに言われるとすごく気持ち悪いけど、今だけは”ありがとう”と言っておくよ」


苦笑いを見せる立夏の袖を掴むセナ。


「あ、ごめん…慣れた言葉遣いはなかなか戻らないね―――気を付けるよ」


立夏が選び着付けた淡い水色の浴衣に、赤い帯を巻いたセナの頭を、撫でる立夏。

立夏の後ろから出てくるセナの姿を見て、3人は2度驚いた。


いや、こちらはある程度の想像はしていたし、覚悟もしていた。

だが、いざ目の前でその姿を見ると……


「「「可愛い……セナ」」」


年甲斐もなく、口をそろえる3人。


「あ…ありがとう―――」


恥ずかしそうに下を向く。その仕草ですら可愛く思えてしまう。


「お庭散策、行くんだよね?」

「ああ、そうだったな!全員揃ったし、行こうか―――」


5人は旅館の周囲を散策した。




遅咲きのアジサイが残り、夏椿の白が可憐な美しさを庭に沿える。自然に配置されたごつごつした大岩と、高低様々な木が庭に奥行きを表現し、それを淡く照らす光が、見る者の初夏の一夜に癒しをもたらす。周囲では若い話し声も聞こえ、他の宿泊客もまた、この見事な庭を楽しんでいるのだろう。


足元に、じゃりじゃりと、砂を踏む音が響く。

少し前を歩く3人の後ろを、手を繋いでゆっくりと追いかける立夏とセナに、視線を向ける織。


「何だって急に女装なんだよ、あいつ……」

「GIDだとは聞いていたけれど、普段女性だって意識した事なかったしな」


暫くの付き合いがあった識と碧ですら、想定外の立夏の姿に戸惑いを隠せない。

会って日が浅い白李は尚更だ。


「セナにとっては安心できる姿なのだろうけど…こっちの心境は複雑だな・・・・・・」


小さく頷き、同意を重ねる碧。


「いや。だってあいつ(セナを狙う)ライバルだろ?!」

「美青年だとは思っていたけど…ああいうのは反則だよな―――」


白李と碧はどうも納得がいかない様子だ。


「・・・・・・若いねぇ、青年たちよ」


遠くに視線を移し、一人年寄りくさいセリフを吐く識。


「俺くらいになると、ライバルが男だろうが女だろうが子供だろうが親だろうが・・・もう関係なくなるよ……」

「・・・・・・苦労してんのな、お前」


碧と白李は、そんな彼に同情の目を返した。






「お庭綺麗だね!立夏!」


立夏に手を引かれながら、セナは美しい庭にうっとりと笑顔を溢す。涼し気な風の音と虫の鳴き声…機械に囲まれたカリフォルニアでの生活を思えば、別世界に来たようだった。


「そうだね!たまにはこういうのもいいね、セナ」


飛び石を、少し大股で歩いていくセナがこけないようにと、手を引きエスコートする立夏。セナの足取りが、少し遅くなる。


「……すこし、休もうか?」近くの長いすを指さす。


「ううん、大丈夫よ…識達が待ってるし―――」

「待たせておけばいいよ!”私”も実は、浴衣は着慣れなくて少し疲れたから…。足が開けないって、不便だよね」


苦笑いを見せる立夏。



セナを長いすに座らせると、識達に声を掛けようと立ち上がる立夏の前に、3名の男達が囲った。


「…………ああ、ここ…使います?だったら私達はお暇しますが―――」


一切の無駄な動きを見せず、セナを背後に隠して彼女の肩に手を置く立夏。


(俺達の他にも数名の宿泊客が庭に出ていると思ったが…こうもお決まりな展開になるとは)


立夏はちらりと横目で、先を行く識達に視線を向ける。3人は何やら話し込んでいるようだ。


(チッ…。肝心な時に役に立たない奴等だ―――)


「いやぁ!綺麗な庭を散策していたら、可愛い女の子を見つけてさ―――良かったら一緒に………」


(やっぱり、セナ狙いのナンパかよ。さて、どうしようか―――)


立夏を女と思い込み、油断している男三人くらいなら簡単に捻り上げられるが、セナには一晩”お姉さん”でいると約束した手前、乱暴な解決はしたくないのだが。


穏便にあしらう方法はないかとあれこれと悩む立夏の浴衣の袖を、引っ張るセナ。


「全然よくないわ。行きましょう、立夏……」

「あっ、セナ―――」


(穏便に済まそうと、思ったのに……)


立夏の気苦労は、一瞬で水の泡となった。


「待ってよ、俺らこう見えてけっこう有名人なんだぜ?!あっちでお話――」

立夏を捕まえようと手を伸ばす男の手を、セナは振り払う。


「shove off!(あっち行って!)」

「へっ?」


振り払われた手を握り、聴き慣れぬ英語に一瞬戸惑いを見せる男達。

その隙に、その場を離れようと立夏の手を引いた。


「待てって!」


追いかけようとする男の後ろから、ポンポンと肩を叩く人物。


「ところで君たちは、どう有名なの?」

「どうって…俺達はInsideTraceの―――」

「ああ、ソッチね…」


苛立ちを募らせながら振り向く彼等の肩に手を添えて、憐れむような視線を送る識。

いつの間にか、碧と白李も後ろに立って睨みを効かせていた。


「悪い事は言わないから、その人だけはやめておけ!お前らの手に負える相手じゃないから…」

「どういう意味かなぁ?識」


少し下がった場所で、セナを背に隠しながら作られた笑みを浮かべる立夏。


「どうって、ほら…まだ若いのに色々使い物にならなくなったら、かわいそうだろ?」


「色々使い物???「InsideTraceの話だよ!彼らは有名らしい!」


そうなの?と首をかしげるセナの視界を遮るように立ちふさがり、慌てて耳を押さえる立夏。

セナに不謹慎な言葉を聴かせるわけにはいかない。


「なんだよ、お前らもInsideTraceやるのか?」


男の一人が顎を挙げて煽る。


「ああ、一応な」

「おい、識―――」


挑発に乗る識を、止める碧。


「いいじゃねぇか、どうせ俺達の目的は”神探し”なんだ。奴らがそうなら、話は早いだろ?」

「だからってこんなところで…」


「”神探し”?それは、俺らの事を探してたって事か?」

「どういうことだ?」


浴衣の袖に忍ばせていたバームを確認しながら、白李が問う。顔を見合わせて、にやにやと不敵な笑みを浮かべる3人の男達。


「この辺をうろついていて、且つInsideTraceゲームを知っているってことは、お前ら明日のイベントの参加者だろ?だったらPKを専門にしている『神』の話は、聞いた事あるだろう?」

「ああ。俺達はその『神』とやらを探してきたんだ」


白李もまた、男達の挑発に合わせた。「白李まで……」頭を抱える碧。


「そっちは3人かぁ……。じゃぁ俺らとゲームしようぜ?俺らが勝ったら、後ろの可愛い子達は一晩預かるけどな……」


男達は持っていたARデバイスを装着した。


「向こうさんやる気だけど、どうする?」


白李がにっこりとほほ笑む。


「そりゃ受けるに決まっているだろ!!」

「お前達が煽ったんだろうが!!!」


乗り気の識は浴衣の袖からバームを取り出す。

白李もまた、カチューシャ型のバームを頭部にセットし、両腕にグローブをはめた。どうしてこうなった…と、ため息をつきながらも、碧もまたバームを装着する。



「……血の気の多い奴等だな、”私”達は参加できないのか?」


戦闘態勢に入る男達を見て、苦笑いの立夏。


「君らは俺達の戦利品だからな、そこで大人しくしといてくれるか?」


ARデバイスを起動させた男達が、厭らしい笑みを向けた。


「『戦利品』かぁ…。その一言は、言わない方が良かったな―――。”俺達”みんな本気モードに入るから」


思わず”俺”と言ってしまった立夏は、はっとして慌てて口を塞ぐ。ちらりとセナを横目で窺った。


「……まぁ、あちらが『神』を名乗る以上、受けるしかないわね。私達の訪日は、そもそも『神探し』が目的なわけだし―――」


胸元からカチューシャ型のARデバイス”バーム”を取り出し、装着するセナ。続いて立夏も、バームをセットし、左手でセナの手をしっかりと握ると、右袖に折りたたんだポインター型デバイスを忍ばせた。


「「「「「Force Program、link on!」」」」

「「Assist Program ―――link on」」


DUELモード、開始――――――。




6人の周りにARグラフィックが映し出される。


「「バームプログラム、始動」」


そのグラフィックを可視化し、戦闘を見守るセナと立夏。

『神』と呼ばれ、自らもそう名乗るからには何か秘密があるはずだ。彼等が今回の調査対象ならば、決して軽視はできない。万が一に備え、立夏もまた、戦闘準備を待機させた。


Assistプログラムを起動させた碧の周りに、碧色のソースコードが幾重にも円を描く。

いつもはフォースの視覚情報を共有し、離れた位置からパソコン上でプログラミングを行い送信するが、今回は現場でのプログラミングが求められる。それは、碧自身もプログラミング中に敵フォースからの攻撃を受ける可能性があると言う事だ。


だが今回のデユエルにおいては、相手方も条件は同じ。フォースプログラムを展開する二人の男の後ろで、黄色いソースコードの輪を重ねる相手のアシスト。


「どう動く?先ずはアイツらが本物の(ターゲット)かどうか、様子を探るか?」


白李がバームを通して通信する。


暫く前方を注視していた識がにやりと口元を綻ばせた。


「……そうだな。様子見で、俺が突っ込んでみる。白李は碧の援護を頼む。この状況だと、アシストを先に潰された方の負けだ」

「了解―――」



周囲に緋色のシールドプログラムを展開させ、右手には炎を纏わせた剣を握り、ゆっくりと男達に近寄る識。

相手のフォースは顔を見合わせて、二人で識を囲んだ。


(2対1で先に俺を倒そうってか?甘いぜ!)


2人の攻撃をひらりと交わす織。


「Pass code、Göttermord Gun」


白李の右手に、碧色のソースコードが舞い、銃のエフェクトが姿を見せる。


「ゲッターモルド…神殺しの銃か―――厨二的だなぁ」


苦笑いを浮かべながら、手にした銃で相手のアシストを狙う白李。

プログラムの弾丸は、相手アシストのシールドに阻まれるが、構わず打ち続ける。狙われている事を意識させることで、相手アシストのプログラミングを阻害する事が目的だった。


「さぁて、どうする?このままだとシールドの耐久値が切れるぜ?」


(どう出る?一人がアシストの援護に戻るか…もしくはこちらに攻撃を仕掛けてくるか―――)


2人のフォースの攻撃を避けながら、識もまた次の展開を予測する。

だが、識を狙うフォースの男達は、にんまりと口元を綻ばせた。


「誰が、Three to three (3対3)って言ったよ?」

「俺らは”ゲームしようぜ”って言っただけだぜ?」


「?!…まさか―――お前ら最初っから!!」

「勘違いしていた、お前達が間抜けなんだろ?」


大きく舌を出し、識を挑発する男。


「碧!立夏!!」


碧の後方から、陰に潜んでいた別のフォースが拳を振り下ろす。


「なっ!!!」「碧!!」


その拳を義足で受け止め、蹴り戻す白李。


「何っ?!」拳にかかる思わぬ衝撃に、怯む敵フォース。

同時に、セナや立夏の背後からも、別のフォースが襲い掛かった。


「やっぱりな、一筋縄でいかないと思ったぜ!セナ、離れるなよ?」


右手に忍ばせたポインターを伸ばし、姿勢を落として襲い掛かる男の腹部に食い込ませる立夏。


「……くぅはぁ?!」


衝撃が走る腹部を抑えてうずくまる。

完全に奇襲をかけたつもりが、いとも容易く返り討ちに合う仲間の姿を見て、目を見開いたのは神を名乗る男達の方だった。


呆気にとられる男達に、炎を纏わせた剣で切るつける識。


「成る程。これが『PK専門の神』の正体か―――」


Three to three (3対3)…もしくは同人数と思わせ、潜んでいた仲間が後から参戦する。不意をつかれたプレイヤーは態勢を崩し、動きを封じられる…と言ったからくりか。


「残念だったな?Five to fiveだ」


男達のHPを削っていく識が、不敵に微笑んだ。


「フン…それはどうかな?」


戦況は識達に有利。だが、男は、まだ口元を綻ばせている。


(……まだ何かを隠し持って―――?!)



「Pass code Noah's Flood !(転送、ノアの洪水)」


アシストをしていた男の隣に、もう一人、ソースコードを纏わせたアシストが並ぶ。

とたん、周囲に大波のグラフィックエフェクトが襲った。


「何だ?!」

「大規模範囲攻撃?!嘘だろ?!」


5人は剣とシールドで防ぐが、耐久値を削られて四散する。

HPゲージがみるみると減少していく。


「かかったな!Six to fiveなんだよ!」

「チッ!ダブルアシストか!!」


碧がシールドをプログラムし、連続で重ねていくが、範囲攻撃の威力が大きすぎて防ぎきれない。


(マズイ!!!)





『Pass code……Noah's Ark(転送、ノアの箱舟)』


バームに、聞き覚えのある声が響く。蒼色のソースコードが、5人の身体を纏った。減少していたHPはぴたりとその動きを止める。


「これは……?!」


自らの周りを纏う蒼い光を見渡すセナ達。


『これだけ、範囲攻撃で、ソースコードをまき散らせば、対シールドで防御してと、言っているようなモノ』

「秋兎?!」

『Six to six(6対6)……だ。そろそろ、神殺し(反撃)の時間だよ』


そう言うと、識と立夏、白李の右手に、蒼い光が纏った。


『Pass code―――Sword of the God Killer(転送、神殺しの剣)』

「これはこれは…たいそうな武器だな!」

「じゃぁ、反撃と行きますか」

「了解……!」


3人は、それぞれの近くにいるフォースに斬りつける。


「範囲攻撃が効かないだと?!今までそんな事なかったぞ?!」

「クソッ、こうなったら……」


慌ててプログラミングを行うアシストの頬を、赤いダメージラインが抉る。

セナと碧が、二人のアシストを挟むように、銃口を構えた。


「お前の相手は俺だ」「チェックメイト、ね」



ドン……――――――。



重い発砲のサウンドエフェクトが、周囲に轟く。相手6人のHPゲージは消滅し、セナ達の頭上に” Winner”の文字が浮かんだ。


「バカな……」


膝をつき、目を見開いて闘気をなくす6人の”神”を名乗る者達に、追撃の声を掛ける秋兎。


『Hey brothers…….(ねぇ、兄弟)君たちに” Noah's Program(ノアのプログラム)”を渡した人とは、どうやって知り合ったの?』


ゲームデバイスを通して、秋兎の声がプレイヤー達に響く。男達はびくりと肩を震わせた。

「秋兎?どういう事だ……」

『”ノアのプログラム”は、そこのアシスト達のプログラムじゃない、”借りものの剣”。そうだよね?』


「………」口を閉ざす男達。


小さくため息をついた白李は、右足に装着していたコスメチックカバーを外して、金属の義足をむき出しにさせた。目の前で膝をつく男の顔の前に、義足を寸止めさせる。


「ひいいいいい!!!」「いっ…イデア?!」


声を引きつらせながら後方へ居座る。他のメンバーも、金属の足を見たとたん震えだした。


(イデア―――?)


その単語に、顔を引きつらせる白李。


「イデアと、会ったのか?……会ったんだな?どこでだ?」

「…………し、知らない―――」

「この状況で、シラを切れると思うなよ」


白李の冷たい声が、目の前の男を刺す。


「デュ…デュエルだよ―――。俺達はInsideTraceの掲示板でデュエルを申し込んできたプレイヤーと戦って、PKしてきたんだ…。それに申し込んできたイデアって男と1対6で闘って……」

「負けたんだな?イデアに。」

「……ああ。アイツはもう、化け物だ。お前みたいに金属の足を使って、人間じゃねぇ動きをしやがる!!」

「――――――負けたのに、その” Noah's Program”を貰ったのか?」

「そうだよ、お前たちは”素質”があるから…って」


震えながら答える男に、白李は小さなため息を落とした。


「それは、神に選ばれた”ノア”の素質じゃない…洪水で流され、新たな大地の糧となる”生贄”の素質だ」

「……そんな―――」

「その証拠に、譲り受けたのは” Noah's Flood”(洪水)のプログラムだけ。お前たちは誰かを救うノア(神)なんかじゃない。箱舟に乗る事を許されなかった、哀れな神の犠牲者だ」



「……成る程。神に見初められたノアには、本物の” Noah's Program(脳破壊プログラム)”が移植されるって訳ね―――」


(アメリカで姿を消した、アッシュ達のように……)


『”父さん達”は、各地に” Noah's Flood”をばら撒いて、”その時”を待ってるんだ…神に選ばれた者たちが支配する、新しい世界を』


「Pass code―――Preventing floods(転送、破壊プログラム)」


碧のプログラムが、彼等の” Noah's Flood”プログラムを内部破壊する。

これでもう、彼らは” Noah's Flood”(大規模範囲攻撃)のプログラムを実行できない。


「明日のイベント…また今日みたいな真似をするなら、受けて立つけど?」


冷たい瞳を浮かべ牽制する識に、すっかり戦意喪失している敵フォース達は首を横に振った。


「『神』なんて呼ばれて、凄いプログラムを貰って、いい気になってた―――。明日のイベントは、初めから6人で戦うよ。こんなふうに負けちまったら、辞めるべきなのかもしれないけど…俺達、やっぱりInsideTraceゲームが好きだから…まだ、皆で闘いたい」


立ち上がり、しおらしく互いの顔を確認する6人。


(まだ、皆で闘いたい―――か)


「秋兎―――お願い」


セナの呼びかけに、即答する秋兎(アキウサギ)


『……ヤだよ、僕は。そんな奴等信じられない。―――――でも、裏アキトがセナに渡せって言ってる。』


セナの左手に、蒼いソースコードが舞い、キューブ型のグラフィックに形を変える。


「”神の犠牲者”は、貴方達だけじゃないわ。貴方達のような人たちが、これから日本各地で増えてくる…」

「――――あっ」

「その時は、これを使って―――」


戸惑うアシストの一人に、蒼いキューブを形取ったプログラムを手渡すセナ。


「……Noah's Ark(ノアの箱舟)プログラム。洪水に押し流されそうになったプレイヤーを、今度は貴方達が助けてあげてほしいの」

「そんな凄いプログラムを、俺達に渡していいのか?」


アシストの男は、顔をしかめた。


「俺達は―――ッ。アンタ等を騙して…その、酷い事しようって―――」

「まだまだ子供ね。…本物のワルモノは、そんな情けない顔しないわ?最後まで笑ってだまし続けるものよ。それに…」


キューブを男に手渡すと、立夏の元に戻り、彼女の腕を掴んだ。


「皆で一緒に戦いたいって思いは、私も一緒なの!どうせ戦うなら、最後に自分達だけ助かっちゃう神様に味方するより、誰かの宿木になれる星の木の枝を一緒に広げてみない?」


6人のプレイヤー達は、驚いたように再び顔を見合わせた。そして、小さく頷く。


「わかった…。6人でゲームを続けられるように、今度は俺達が助けるよ。」

「君らが俺達の目を覚まさせてくれたように……」


識の隣で下を向いていたフォースの男達が、識に手を差し出した。

ふっと笑い、その手を握り返す織。

白李は義足に怯えていた男に、手を差し出す。男もまた、白李の手を取った。


「酷いこと言って悪かった」

「俺もだ。お互い様、な」


その様子を見守っていた碧は、小さなため息と共に苦笑いを浮かべた。


「極度のコミュ障なくせに、この上なく人タラシだよな、セナって」

『全くだよ!アイツ(裏アキト)までタラシ込むなんてさ―――。まだまだ子供なのは、セナの方なのにな!』


バームの向こうで、ため息をつく秋兎に、碧は同意してくすくすと笑った。



散歩を終えて、離れの部屋に戻るセナ達。すっかり日は暮れ、湯上りの身体が冷えてしまった。


「う~っ!冷えたな!」

「大洪水のグラフィックエフェクトに浸かっていたしな…」


身体を震わせる白李と碧。


「寝る前にまたひとっ風呂浴びてくる?今度は大浴場の方でさ!」

「いいね!」


盛り上がる識に、白李と碧も同意する。


「じゃあ私達も内風呂でもう一度温まろうかな……」

「そうだね―――。3人とも部屋にいないなら、声を気にせず風呂に入れるし……」


意味深に話す立夏に、部屋を出ようとした白李と碧の足が止まる。


「声って……」

「セナに妙なことすんじゃねーぞ?!立夏ッ」


慌てる二人に、ニヤリと意地悪く笑う立夏。


「妙な事って?”私”はただ、セナと2人きりで、ゆ~っくり話が出来ると言っただけだよ?」

「はいはい!一々挑発されるな…2人とも。立夏も若い子煽らない!」


識は白李と碧の腕を引いて部屋を出ていく。


「挑発って、識はなんでそんな落ち着いていられるんだ?!アイツ、心は男だろ?!」

「……本気で“妙な事”をしたいなら、とっくにしている。セナは信頼した人に対して隙だらけだからな―――」

「……まぁ」「確かに―――」


視線をそらせ、苦笑いを浮かべる碧と白李。二人にも、思い当たる節があるようだ。


「アイツの、”自分の気持ちを押し殺してでもセナを大事にしたい気持ち”は信頼している。だから大丈夫だよ。それより白李は大丈夫か?」

「義足の事か?狭い風呂なら防水カバー使って意外にいけるんだけどな。大浴場の広さと人の多さによってはちょっと手伝ってもらうかも…」

「それは大丈夫だ、任せろ」

「指示をくれたら俺も手伝うよ」

「サンキューな」



「ただいま~」


風呂から戻った3人。畳の上には一面に布団が敷かれており、両肘をついてうつ伏せに転がる立夏がシークレットサインを見せる。


「………」


顔を見合わせ、音を立てないように配慮しながら洗濯物を片付ける。そっと立夏の隣を覗き込むと、セナが既に寝ているようだ。


「識達が戻る前に布団を敷こうって言って、敷き終わって転がっていたら寝てしまった―――今日は色々あったから…」

「枕投げとか言ってた張本人がこれかよ」


くすっと微笑を浮かべる織。その隣でセナの寝顔を覗き込む白李に、立夏が声を掛ける。


「白李は大丈夫だったか?」

「え?俺?」

「セナが気にしていた。大きいお風呂でコケてないかって―――」

「……人を何だと思ってんだよ。識や碧に手伝ってもらったし、人も少なかったからのんびりできたよ。大浴場入るのは、義足になってからは初めてだったんだけどな―――」

「そうだったのか……」

「ああ。だから、嬉しかったし、二人が助けてくれた事も凄く有難かった……。この身体でも、出来る事がまた一つ増えたよ」


静かに笑みを浮かべる白李。


「手伝いッたって、ほとんど自分でやってたけどな―――」苦笑いの碧。



「俺達は、セナが居なかったらこうして出会わなかった面子だよな……」

「ああ。セナが、SternBaumで繋いでくれた人脈だ。普段はコミュニケーション苦手なくせに…」

「確かに!今日なんて自分から枝葉を伸ばしていたよな…俺じゃ人を疑ってばかりで、あんなふうに信じる事なんてできなかった。」

「……ほんとに。その真っすぐさは憧れでもあって、危なっかしくてほっておけない…。だからこそ、みんな君に惹かれていくんだろうね。」


4人は顔を見合わせた。


「俺達も寝るか!セナ抜きで枕投げも出来ないだろー――」

「そうだな……お休み―――」

「おやすみ―――」


日本での夜は、静かに、更けていった―――。


翌日のインサイドトレースゲームイベントでは、昨夜の6人と対峙しながらも、呆気なく立夏がボスのラストアタックを取ってしまい、周囲のMob達も、識と白李が瞬殺で終わらせてしまった。

参加者から新たな”神”の出現だと噂されたのは、言うまでもない。



File:36  Ironアイアン Curtainカーテン


カリフォルニアに戻ったセナ達は、秋兎を踏まえ、ラボの2階のメインコンピューター室に集まった。


先日、日本で遭遇した若者達が持っていた” Noah's Flood”(ノアのプログラム)、あんなものがそこら中に拡散されているとすれば、たちまちゲームバランスが崩れる。ゲームバランスだけでない、恐ろしいのはその後だ。圧倒的な力を持ってターゲットに接触し、第3のアッシュを生み出さないとも限らない。


「片っ端から、洪水プログラムを使うプレイヤーを全世界中探して見つけだして叩いていくのか?!現実的に無理だ」

「そもそも今回奴らが持っていたプログラムが、今回たまたま洪水プログラムだっただけで、他のプログラムが同じとは限らない。」

「じゃぁ、どうやって奴らを見つけ出すんだ?!何千万もいるInsideTraceゲームのユーザーの中から!」



答えが出ない会議に、立夏や碧、白李達の声が荒々しくなる。


識は腕を組んで下を向いている。そんな強張った部屋の空気を打ち破ったのは、先程からずっと黙り続けていた秋兎だった。普段はこの会議に出席する事がない彼が、珍しく出席を希望し背中を丸めたまま口を開いた。


「でもさぁ?イデアが拡散者なら、” Noah's Program(ノアのプログラム)”は奴のいた日本かアメリカに限定されるんじゃない?それに、現在イデアの身体は日本政府によって保管されている。これから先に拡散されるような事はないだろうし、今後も拡散が続くようなら――――」


「………第2のイデアの存在を肯定する事になる……か」


イデアとは、AI(人工知能)と自動機械(オートマタ)で作られている、つまりは、AIのデータさへバックアップを取っていれば、2号機が作られていても不思議はないと言う事だ。


イデアと呼ばれたオートマタと直接対峙は、日本でのInsideTrace事件の時。立夏、白李、セナは記憶にあるが、秋兎はイデアのアシストを行っていたものの、敗戦後にARデバイス機械をブーストさせ、脳を焼き切ろうとした後遺症で記憶を断片的に失っている。それでも、イデアに対する脅威はメンバーと共に共有していた。


「後手だな……」「ああ」

「待っていても仕方がない、敵の両手が捥がれた今、こちらから仕掛けるべきだ!」


「いや。第二のイデアの存在が否定できない以上、むやみに動くのは危険だろ?情報こそが戦略の基本…今は少しでも多くの情報を集めるべきだ」

「確かに…今は焦るべきじゃない」


次々と現れる事象に対し、対処的にしか動けない。これでは何も解決しないどころか自体は悪化する一方だ。


これだけ探していて、なぜ御影隼隆は見つからない?彼の右腕・左腕として動いていていた秋兎は星の木ラボでセナ達の仲間として動いており、イデアは日本のInsideTraceUnit projectが管理している。隼隆はまだ何か、隠し持っているというのか?


ならばこちらから攻撃を仕掛けるべきだという立夏や識の意見に対し、相手の出方が分からない以上今は我慢の時期だとの慎重な碧と白李の意見。事態の打開をはかれない苛立ちから、メンバー内にも緊張状態が生まれていく。


4人の視線が、このラボのリーダーでもあるセナに向けられた。


「…………ッ」


4人の視線を感じ、決断しなければならぬと眉間にしわを寄せるセナ。双方の意見はもっともだ。これまでも決断の遅れが、後手に回るリスクを生んできた。だが、この判断を間違えればラボのメンバーだけでなく、世界の安全を脅かす一手にもなる恐れがある。

決断に対する責任は、重い。



攻めるべきか、守るべきか―――


どちらの意見にも加担せず、じっと話を聴いていた秋兎が突然に立ち上がる。

そして、スタスタとセナの椅子の隣に並ぶと、


「セナが、一人で、背負うべきじゃない。今日の話合いは、ここで解散。」


そう言って、セナの腕を引きあげ立たせた。


「待って、秋兎!」

「待たない。今、決断すれば、後悔する。セナは、こっち来て。次の話し合いは、1週間後。それまで、他の4人は、頭を冷やして。」


無理矢理に彼女の手を引き、部屋を出ていった。

残された4人は、互いに視線を合わせることなく無言で席を立ち、それぞれのプライベートルームに戻っていった。




「秋兎、待って…どこ行くの?!」


セナの手を引いたまま、ラボを出る秋兎。


「あき……」「背負わなくて、良いから」

「え?」


ラボを出て、歩きながら、秋兎はやっと口を開く。


「今の決断に、正解なんてない。誰にも、未来は、判らない」

「……それでも、私は逃げるべきじゃなかったわ。星の木ラボのリーダーは私。私が、決断すべきだったのよ」


秋兎に手を引かれながら、下を向くセナ。


「そんな、後ろ向きな、決断に…意味はない。だから、セナは、絶対、後悔する」


この状況下で100%思い通りになど動くはずがない。必ず直面する問題に、その度彼女は、決断した自分のせいだと後悔する。責任を負う為の決断など、する必要はない。秋兎は、そう言い放った。


「………じゃぁ!―――じゃぁ私は、どうすればよかったのよ……」


(こんなのは…ただの八つ当たりだ。自分が決断できなかった苛立ちを、ただ感情的に彼にぶつけているだけ―――)


頭では分かっていた。だが、収拾のつかない気持ちが、“言葉”となって飛び出す。ぴたりと、足を止める秋兎。振り向き、微笑を浮かべた。


(えっ……笑った―――?)


先程までの口調から、今の秋兎はおそらく“裏アキト”の方だ。おそらく途中で人格が入れ替わったのだろう。表情をコロコロと変化させるもう一人の秋兎(表アキト)と違い、“彼”の方は滅多と表情を顔に出さない。微笑するのは、珍しかった。


「それで、いいよ」

「え?」

「どうすれば、いいのか、皆で、考えたらいい。セナが、一人で世界を、背負わなくていい。リーダーは、決断する人じゃ、ない。皆の意見を、まとめる者、だ」


だから今は、“まとめる”ためのその時じゃない。


「―――私、逃げちゃった。そのせいで、今、ラボの皆の心がバラバラになっちゃった……。」


(皆をまとめなきゃ、いけなかったのに―――――)


「そうだね。皆の間には、見えない、鉄のカーテンが、塞いでいた。だから、俺達に必要なのは、冷静になる為の、時間なんだ」


「…………冷静になる為の、時間?」

「そう。何が、大切なのか…。何のために、戦うのか―――。もう一度、考えるための、時間」


そう言って、再び歩き出す秋兎。


冷静になる為の時間。確かに、今の星の木ラボのメンバーに必要なのは、冷静さかもしれない。感情的になって口調が荒くなったあの状況では、良い案は浮かばなかっただろう。あのまま話し合いを続けても、秋兎の言う様に、鉄のカーテンがどんどん厚くなるだけだったかもしれない。


普段は子供じみた行動をとるくせに、時折セナも驚くような正論を言い、誰よりも冷静な判断を下す。それが、彼の持つ解離性同一性障害(DID)の多重人格と言えば、そうなのだろ。だが、そのAIにも似た冷静過ぎる言動が、セナには時に、恐ろしくも感じた。


セナの手を引き、歩き続ける秋兎。一体彼は、何処に行く気なのだろう。


手を引かれるままに向った先は、セナもよく見知った母校でもある大学。セナの卒業した神経科学学部で取っていたクラスとはまた違う建物に入っていく秋兎。


彼は今回が初めての渡米であり、大学の建物には入った事もなかったはずだが。セナよりも見知った建物のように迷うことなく歩いていく。


「秋兎…どうしてここを知っているの?」

「―――イデアの、視界を通して、何度も、見ていたから」

「イデアの…視界?」


確かに秋兎は、InsideTraceゲームでは自動機械(オートマタ)であるイデアの、Assist(プログラマー)を務めていた。イデアの視界を通してこの大学構内を覚える程、何度もここを通っていたというのか。


(イデアが、この大学を歩いていた……だとすると、秋兎が今、向かっている場所は―――)



「秋兎…待って―――もしかして」


セナは足を止め、握られた手を引き返す。その手を強引に引っ張り、再び歩き出す秋兎。


「待って…秋兎―――」「ここだよ」


ぴたりと足を止めた秋兎。


「ここ……?」


長い廊下に面した、扉には“御影研究室”と表札が掲げられている。



アメリカBMI研究の第一人者とも呼ばれる名の知れた研究者である御影隼隆(みかげはやたか)は、自身の出身大学で教授として教鞭をとっていた。その高名さは、同じ大学出身であるセナにも聞き及んでいたが、学部が違う為、当時からこの部屋を訪れる事はなかった。


「……御影教授は長期休暇を取っていて、大学には来ていないって―――」

「知ってる」

「研究室の電子ロック(鍵)は、ラボの責任者と大学側のマスターキーじゃないと開けられないわ。ここにきて、どうする気?」


妙な緊張感が、セナの背中を走り、心臓の鼓動が、早くなる。


秋兎は頭部にバームを装着し、右手にグローブ型デバイスをはめた。

扉の電子キーに右手をかざす。


「BARMI Program、link on. Master call…Unlock Program」(バーム始動。マスターコール…ロック解除)


カシャリ。


「?!!」


軽快な音を鳴らし、電子ロック(鍵)はあっけなく開く。

真っ暗な室内が、廊下からの明かりで薄く照らされた。



「Turn……『普通に電気つけてよ!!』


裏アキトの言葉を遮るように、もう一人の人格が口を止める。


(……アキウサギ、面倒臭い。セナを、意識し過ぎ)


「秋兎、大丈夫?」


突然に、自分の口元を押さえて黙り込む秋兎を、心配気に覗きこむセナ。

入り口から一通り室内を見渡すと、秋兎は壁に沿って手を伸ばす。


室内の電気が灯り、何台ものコンピューターが所狭しと並べたられた部屋を明るく照らした。


「たー『だ~か~らぁ!コンピューターの電源くらい、パスコード使わずつけて!』


「………アキウサギ、面倒臭い。英語も、面倒臭い。」



先程から、身体の主導権を担っているはずの裏アキトに干渉(抵抗)を示す、もう一人の秋兎。そのせいで周りから見れば行動が不可思議に映り、セナに不信感を与えていた。

表情にこそ出さないが、その雰囲気で、秋兎が苛々しているのが伺える。


「秋兎が面倒って、何かあったの?」

「……いや。秋兎が、子供過ぎ――――。言葉遊びが、好きらしい。」

「はぁ。(言葉遊び?)」


秋兎はため息交じりにコンピューターの電源を入れる。周囲にそびえる幾つものコンピューターが、一斉に起動し始めた。

辺りを見渡し、息を呑むセナ。


「じゃぁ、始めようか・・・・・・」

「始めるって…一体何をする気なの?秋兎―――」


「もう、後には、引けない。覚悟は、いい?」


秋兎は表情を強張らせるセナの顔に、右手を伸ばした。





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