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Stern Baum   作者: kohaku
2/5

~ 星の木 2~


File:13 疑惑


聖倭大学附属病院夜間救急―――


オペレーターと救急隊との会話が忙しなく飛び交う。当直時間帯の静かな院内に、コードブルーが鳴り響いた。それを受けた各病棟からも応援スタッフが次々と救急へ駆けつける。


「救急車入ります、赤タグ、20代男女2名、全身打撲と熱傷、JCS3桁!」

「ストレチャーで奥に!オンコールにもすべて連絡を取れ!休みの医師も連絡付けられる奴は全員駆り出せ!」


管理当直医の怒号のような指示が飛ぶ。


「続いて3分後、救急車入ります! 黄タグ、50代男性、右半身に熱傷Ⅱ度、JCS二桁」

「10分後!黄タグ、70代男性、両足骨折―――」

「続いて30分後、グリーンの60代男性、ハンドルで胸部打撲と右前頭部から出血」

「到着したら胸部と頭部のCTを!グリーンはNP(診療補助看護師)と研修医がトリアージし、外傷が他にないか全身チェックしろ!手の空いた補助スタッフは受付フロアを開放し、簡易ストレッチャーを院内からかき集めろ!」


病院を、幾台もの救急車の明かりが照らした。

応援に駆け付けた外科病棟看護師が、状況を見て携帯を握る。


「車の爆発事故だって…外科患者多そうね」

「牧野先生に連絡する?」「でも先生、0時までは連絡してくるなって―――」

「酒飲まないって言ってたでしょ?!早く、コールして!!」


「ここにいる!今指揮を取ってるのは?」


赤タグ患者の救急車に同伴していた立夏が、携帯を握る外科看護師に声を掛けた。


「管理当直の佐伯先生です。当直の救急医は30分程前に到着した第一陣の患者にかかっています」


外科病棟のリーダー看護師が立夏に状況を伝えた。


「牧野先生、デートは…?」

「……見ての通り、最初っからぶち壊しだ!それより、今日外科病棟は落ち着いていたよな?出来るだけスタッフを救急にまわしてやってくれ。熱傷や骨折が多い、君らの腕の見せ所だよ?」

「わかっていますよ!」


バタバタと患者対応に走る看護師達を見送る立夏。

バームシステムをオフし、共に救急車に乗り込んで初期対応に当たっていた識がその様子を見て感心する。


「朝から散々整えてきたんだ…それがこんなところで役に立つなんてな――」


ため息を浮かべる立夏。


「真面目な牧野先生は知っているだろうが、日本の医師免許がない俺はココではただの観客だぞ?」

「知っている。ここは俺のフィールドだ、識はセナのメンタルケアをしてくれ…見せたくないものを、沢山見せてしまったから―――」


別便で搬送されるセナの精神状況を危惧する立夏。


(……本当は誰よりも、自分が真っ先に駆け付けたいくせに―――)


くすりと笑うと、識はロビーに運び込まれる軽症患者の元に向った。

先程立夏と話をしていた外科病棟看護師の隣に膝をつく。


「怪我の患者さん?どこか痛みますか――?」

「いやいや、立夏の友人だ。日本では免許がないから向こう行けと追い出されちゃってね…民間協力者として看護師さんの指示を受けて手伝うくらいなら、いいだろ?」

「……もしかして、牧野先生が言ってた“世界で一番大切な女の子”って―――」

「女の子に間違われた事は今までなかったけどなぁ―――」「ですよね…」


苦笑いを浮かべ、慣れた手つきでゴム手袋を装着すると、医師の指示の元で下腿を洗浄し処置する看護師を手伝った。後続で到着した救急車に運ばれたセナが、軽症患者としてロビーに誘導される。


「グリーン、10代女性、軽度外傷と、爆発に巻き込まれて衝撃を受けたそうです」


立夏のジャケットを羽織ったセナは、視線だけを泳がせ、周囲の惨状を確認する。

粗方の処置の手伝いを終えた識は立ち上がり、腰を屈めてセナに視線を合わせた。


「大丈夫か?」


こくりと、小さく頷くセナ。ロビーの椅子に座らせ、血圧を測ると、近くにいた看護師から聴診器を借りる。先程まで張り詰めていた緊張感が切れ、虚ろな瞳のセナの頭を撫でる織。


「立夏が、守ってくれたんだね?」


再びこくりと頷くと、消えそうな小さな声で答えた。


「私が守らなきゃいけないのに…立夏に、怪我させちゃった」

「立夏は大丈夫だ。俺が後から診てやるから―――。今は仕事で忙しそうだから、先にセナの傷を見せてくれる?」


両下腿の出血部位に目を移す織。


「あらら…女の子なのに傷つけちゃって―――」

「もう傷ついてるから、このくらい平気」

「……ちょっとまってて。生理食塩水、取ってくるよ」


聴診器を返すついでにと、看護師に事情を説明し医療用具を借りて手早く処置を行う織。


「痕が出来るだけ残らないように、少し擦るけど―――我慢して?」

「わかった」


小さく頷くと、奥歯を噛み締めぎゅっと目を閉じるセナはスカートの裾を、握り締める。

ひりひりとした痛みが、両足を襲う。


「~~~~っ…」


処置を終えた識は、ポンポンとセナを頭を撫でる。


「はい終わり、よく頑張りました!他に怪我や傷むところは?」

「……多分、大丈夫」

「うーん、服めくって全身診ていいなら俺が確認するけど―――」

「ヤだ」


フイと視線を逸らすセナに苦笑いの識。後ろから、看護師が声を掛ける。


「じゃぁ、お姉さん達に見せてくれる?向こうのパーテーションに行こうか?」


外科病棟看護師がニコリとほほ笑み、セナの手を引いていく。


「……ですよねぇ~」


看護師による全身観察と、医師の診察を終えたセナ。その頃には、救急搬送の波はひと段落を終えていた。残念ながらCPA(心肺停止状態)で運ばれた幾人かの黒タグ患者はそのまま死亡確認がされるという大事故となった。


 残りの業務を当直医に引き継いだ立夏は、セナを探してロビーに足を運ぶ。識の隣にちょこんと座るセナに駆け寄る立夏。


「セナ!大丈夫か?!」

「立夏……」


彼女の足に貼られたドレッシング材を見て顔をしかめ、両手でセナを抱きしめた。


「痛かったね―――ゴメン」

「どうして立夏が謝るの…?立夏に怪我させちゃったのは、私の方なのに・・・」


立夏の左腰に手を添えるセナ。黒くこびり着いた血液はすっかり固まっていた。


「手当とレントゲンは?」

「後でいい―――」「良い訳あるか!さっさと脱げ!創処置くらいなら俺が―――」


立ち上がり声を荒立たせる織に、ため息交じりに頑なな拒否を見せる立夏。

その態度が一層識を苛立たせる。


「自分でするからいい」

「腰だろ?!自分で出来るわけないだろうが!」「あーもう、めんどくせぇ!!離せよ!」


立夏の服を握り、脱がせようとする識の手を掴むセナ。


「…私が、立夏の手当てする―――。私に、させて?」


手を止め、二人はセナの方を見る。


「……セナは、自分のせいだとか余計なこと思って気にするから、ダメ」

「しないもん」

「してるじゃん、今でも―――ほら」


そう言うと、立夏は両手を彼女の両頬に添え、顔を挙げさせる。奥歯を噛み締め、悔しさや哀しさが入り混じったような彼女の瞳を見つめた。


「りつ―――」


セナの額に、そっとキスを落とす立夏。


「大好きなセナ―――。君を少しでも守れた俺を、誇らせて?」

「牧野先生、レントゲン呼ばれましたよ~」


看護師が、バーコードの印刷されたリストバンドを持ってくる。


「じゃぁ、ちょっと行ってくるね!セナは大人しくここにいる様に!」


リストバンドを受け取ると、ウインクを見せてロビーを後にする立夏。


「………」


後を追う様に、識も立ち上がる。


「どこに行くの?!織」思わず、その腕を掴んだセナ


「トイレ。ついてきてくれるの?セナ」

「——————ここにいる」


大人しく腕を離したセナに、ニコリとほほ笑むと、彼もまたロビーを後にした。


レントゲン室の操作室に、至極当たり前のように立ってモニターを見つめる織。


「あのなぁ!レントゲン室は部外者立ち入り禁止だぞ?」


放射線技師に誘導され、角度を変えながら骨盤のレントゲン撮影を行う立夏は不機嫌に言い放つ。


「まぁまぁ!硬いこと言うな!日本での研修の一環だって!」

「何が研修だ!何の申請も出してないだろうが!」

「牧野先生…外に出て貰いましょうか?」


おどおどと二人の間に立つ放射線技師に、諦めのため息をつく立夏。


「……いいよ。バレたらセカンドオピニオンでもなんでも、俺が許可したと言えばいい」

「じゃぁ、撮りますよ―――」


撮影された画像を睨むように見る織。


「ご友人は、読影できるんですか?」


撮影室から出て、操作室のモニターを覗き見る立夏。


「この男は心外医だ、心カテ(心臓造影検査)は出来ても整形は全くの専門外だよ」

「これでもUSMLE研修では軟骨移植や脊柱管拡大や…靭帯再建術なんかもしたぞ?」

「骨折と関係ーねーし…」


モニターに映った腸骨翼部を指さす織。薄く白い線が入っている。


「痺れは無いんだろ?歩けるし、こっちは安静にしてりゃ治るとして…問題は外傷の方だよな―――」


ありがとうと声を掛け、レントゲン室を後にする二人。落ち着きを取り戻した救急室に立ち寄ると、事情を説明して処置セットを借り受け、自分で処置するから奥のベッドを使うと看護師に声を掛けた。


後ろを付いてくる識を一瞥し、シャッとカーテンを閉めた。目の前をカーテンで遮られた識は、腕を組み、カーテン越しに話しかける。


「………処置くらいするぞ?立夏」

「あのレントゲン見といてまだ言うか?」


あのレントゲン―――。

打撲した骨盤周囲を撮影した2方向のレントゲン写真には、腸骨翼に軽い骨折線が見られた。その他の症状がない事から、骨折自体は大した傷ではないのだが、骨盤の形状を見た識なら、言わなくても察してくれ―――という意味も含ませていた。


「お前が、女だって事か?」


空気を読まぬ識が、ストレートに訊ねる。

カーテン越しの立夏の蹴りが、識の大腿部を直撃する。


「いでっ……」「……っったぁ~~~」


識よりも、蹴りを入れた立夏の方が声を上げる。


「当たり前だ!打撲してんだから腰回りの筋肉動かすと痛くて当然だろう」

「………~~~~ッ」


腰部の処置を自ら行うには、当然腰を捻る必要がある。生理食塩水で傷口を洗い流す痛みより、腰を動かす痛みの方が立夏には苦痛だった。

カーテン越しに聞こえる小さな悲鳴に、ため息をつく織は、本人の了承も得ずにカーテンの中に入る。


「?!!」


程よく筋肉がつき、引き締まった腰から上臀部を露にさせ、腰を押さえて顔をしかめている立夏。

ベッドに置かれたゴム手袋を慣れた手つきで装着すると、立夏の手から洗浄用の生理食塩水ボトルと取り上げ、ベッドを指さす。


「これ以上セナを待たせる気か?ほら、腹臥位(うつ伏せ)!」

「………ちくしょう―――」


セナの名前を出すと、舌打ちをし大人しくベッドにうつ伏せた。確かに、レントゲンに呼ばれただけなのにこれ以上長く彼女の傍を離れているのは心配だ。

枕を握り締めて顔を埋める立夏。


「痛い……」

「処置してんだから、当たり前だろ。高速道路のアスファルトで擦ったんだよな…金ヤスリに抉られたような傷だな―――これは、痕が残るぞ…」

「いーよ、別に。化膿しなきゃ―――」


枕に顔を埋めたまま、くもった声で答える立夏を見つめる織。


「……ありがとな、セナを守ってくれて」

「———俺のセナだ。お前に言われるまでもない」

「……“俺の”、だけどな」


軟膏を厚く塗ったガーゼをべったりと張り付け、処置を終えた二人はセナの待つロビーに戻った。そこには、診察処置を終え迎えを待つ患者がちらほらと残すのみで、先程までの戦場のような光景が一変し、静まり返っていた。

戻った立夏に気付いた看護師が、声を掛ける。


「ああ牧野先生!セナさん、先生のお連れの方ですよね…どうします?一応帰宅で後日処置に来てもらう予定で伝えていますが」

「ありがとう、俺が送るよ…」

「それと、警察の方から、牧野先生の車を一応病院まで運んでくださったようで―――」


(そうか、救急車でここまできたから、車を現場に置きっぱなしにしていたっけ)


ポケットをまさぐり、車の鍵がある事を確認すると、立夏はありがとうと笑みを浮かべた。


「今は病棟も落ち着いていますし、おそらく0時過ぎてからも当直医対応でいけると思います。ゆっくり、休んでくださいね…」

「うん、そうさせてもらうよ―――」


病棟に戻っていく看護師に手を振って見送り、帰ろうかとロビーをでるセナと立夏と織。

駐車場にレッカ―されていたRX-8の鍵を開けようと、ポケットに手を伸ばす立夏を制する織。


「ん?」

「…………ちょっと待ってろ」


そう言ってバームを起動させた。


「Force Program、link on!」


「フォースプログラム?」不思議に思い首をかしげる立夏とセナ。

ソースコードを可視化させた識は、車から流れる黒いソースコードに気付く。


「やっぱり、な。Copy -Virus destruction Program」


右手のグローブに碧いソースコードを纏わせると、RX-8のボディに触れる。黒いソースコードはみるみる碧色に塗り替えられていく。


「どういう事だ?首都高で元凶の車にワクチンプログラムをねじ込んだ。それで、全てのソースコードが戻ったんじゃなかったのか?」


立夏は顔をしかめた。


「ああ、あの場では確かにすべてのウイルスコードは書き換えていた。おそらく、けが人救助のどさくさに紛れて、誰かが再びこの車にウイルスを仕込んだんだ―――」

「まさか……」

「今回あの場にいた被害者もしくは警察・救急関係者の中に、犯人がいる可能性があるということだ」


セナと立夏は顔を見合わせる。


「どこまで見られていたかは分からないが、当面俺達3人は顔がわれているものとして警戒した方が良い。」

「・・・・・・分かった」


こくりと頷く二人を見た後、識は時計に視線を移す。


「そういや、メシもまだだし、ホテルのチェックインもまだだったな」

「もうこんな時間か…ホテルには電話するとして、メシはもう、空いてるところ探すしかないな」


携帯の時計を確認する立夏。時刻はもう直ぐ日付が変わろうとしていた。


「こんな時間に空いてるところ(で、未成年が入れるところ)なんて、限られているぞ?」



結局、車を走らせて近くで見つけたファストフード店に入り、夕飯を手早く済ませると、セナ達を予約していたホテルに降ろした。大きな荷物を下ろす織。じゃあと別れ際、識を睨む立夏は彼に釘を刺す。


「セナに何かしたら―――」


「何かって、なんだよ―――別部屋なんだ、安心しろ」

「当然だ!」

「立夏も帰り、気を付けて…着いたら、メールしてね?それまで起きてるから」

「分かった、直ぐ帰ってメールする。でも、今日は疲れたろうから、先に寝ていていいんだよ?」

「大丈夫……待ってるわ」


頬を重ね、お休みの挨拶を交わすセナと立夏。RX-8のテールランプが見えなくなるのを見送ると、識達はチェックインを済ませ、それぞれの部屋で立夏からの連絡を待った。30分ほどで、無事に着いたというメールを確認し、ベッドに顔を埋めるセナ。眼を閉じると、今日の惨状がフラッシュバックする。


「………ッッ!!」


(………許せない。絶対―――)


セナの心に、黒い靄がうごめく。

黒い靄をかき消すように、その日は明かりをつけたまま眠りについた。



翌日、朝からホテルに迎えに来る立夏。昨日の事件を考慮され、その日は臨時休暇扱いとなっていたが、自らとセナの創傷処置の為、聖倭大学病院に向った。テレビやインターネットの情報を検索するが、あれだけの大事故でありながら、様々な機関の上層部による圧力で、大々的な報道がされなかった事に、立夏は一層の不信を募らせた。


外科外来で処置の順番を並んで待っている間、セナは立夏にぼそりと訊ねた。


「昨日…識、立夏のところ行ったでしょ?その…腰の処置で」

「ん?ああ―――骨の中までばっちり見られたよ」

「!!!ごめんなさい、識を引き留めとくべきだったわ」


セナはスカートの裾を握り、視線を逸らせる。立夏は自らがGID(性同一性障害)である事を識に話していなかった。それは、彼女がそれを知られたくなかったからではないかと危惧していたのに。


「いいんだ。寧ろ留学期間中あれだけ一緒にいても、気づかれていなかったことに驚きだよ」

「…………」


無言のセナの頭を撫でる立夏。


「大丈夫だって!腰の傷の事を妙に気にされたのは癪に障ったけど、それ以外はいつもと変わらず接してくれてるし。アイツは、良い奴だと思ってるよ」

「そう…よかった」

「そう言えば、識は?」


先程から識の姿が見えない事に気が付いた立夏は、辺りを見渡す。この病院までは、立夏の車で一緒に来ていたのだが。


ピロン…ピロン――


受付時に渡された無線呼び出し機が震え、目の前のモニターに、K-7208と番号が表示される。

外来看護師が立夏の元に来ると、こっそり耳打ちした。


「セナ=クラークさんの診察ですが、次、牧野先生ですし、一緒に入られます?」

「あ、はい――――」


再度周囲を見渡すが、識の姿はない。


(仕方ない…諦めるか―――)


小さくため息をつき、セナを連れて診察室に入る立夏。


「やっぱり、7209番の患者さんって牧野先生だったんですね…聞きましたよ!昨日の首都高多重車事故に巻き込まれたって。救助していて怪我されたなんて、いやぁ…災難でしたね。でも、命ともいえる神の手が無事でよかったです!」

「ありがとうございます」


苦笑いで返す立夏。


(多重車事故———一般的にはそのように情報操作されているのか)


「じゃぁセナちゃん、そこの台に横になって?足の傷を先生に見せてくれるかなぁ?」


カルテに表示された年齢と、その可愛らしい見た目に合わせて話し方を変える外科医に、顔をしかめながら、少し高い寝台によじ登るセナを見て、隣でくすくすと笑う立夏。


「一晩休んで、やっぱりどこか痛いって思うところはあったかな?」


ガーゼをゆっくりと外しながら、医師が訊ねた問診に、しれッと答えるセナ。


「特にありません。頭部と上半身は庇われていましたから、衝撃は受けていませんし。今は両下腿の擦過傷痛だけです」


顔を挙げ、開いた口が塞がらない外科医に、診察介助に入っていた看護師もくすくすと笑った。


「牧野先生のご親戚ですよ~子ども扱いすると失礼ですよ~!」

「親戚?」


ちらりと立夏の顔を見ると、人差し指を立ててシークレットサインを見せた。


(そういう事にしとく方が、やり易い)


「これはこれは!失礼しました」


苦笑いを浮かべる医師。

初期対応が良かったせいか、傷の状態はすこぶる良好で、当面は洗浄と軟膏処置で大丈夫との事だ。後々体に痛みなどが出てくるようならまた受診する事の指示を受けた。


「ありがとうございます、軟膏処方だけ頂ければ、明日からは俺が診ます」


小さく礼をする立夏に、頷く外来医。


「そう言うと思ったよ!先生の隣で彼女の足に触っていると、いつか刺されそうで―――」

「あれぇ?俺そんな顔してました?!」

「そりゃもう、俺のセナに触んじゃねぇくらいの圧力が・・・」

「嫌だなぁ~先生の診察にヤキモチ焼いたりしませんよぉ」


カルテに記事を打ち込む先輩医師と、冗談を交わす立夏。


「で、牧野先生の腰の処置は、どうします?」


「へっ?ああ、先生の外来が忙しければ誰か他のスタッフに――」

「いえいえ、違いますよ!俺が処置するのは全然かまわないんだけどね、昨日のカルテには”牧野先生のアメリカ留学時代の外科医の同僚、かっこ恋人?かっこ閉じるが処置した”と付箋が貼られているから――――。」

「はぁ?!」


すっとんきょんな声を上げ、顔を引きつらせる立夏に、外来看護師がきゃあきゃぁと盛り上がる。


「立夏先生の彼氏ですか?」

「禁断の恋!ってやつですか?!」

「ちなみにどちらがせめ―――」「虚偽記載だ!カッコ部分を今すぐ削除して下さい!!つーか、彼女の前でなんてこと言ってくれるんだ!!」


セナを後ろから抱きしめ、彼女の耳を両手で塞ぎながら抗議する立夏。


「禁断の恋ってなに?立夏~」

「セナは聴かなくてよろしい!どうせ付箋を貼られるならセナへのロリコンで書いといてくださいよ」

「セナちゃん相手なら、俺もロリコンでもいいかなぁ~」


煽る外科医を、睨む立夏。


「立夏先生!彼、連れてきましたよ」


看護師がどこからか識を連れて診察室に入ってくる。


「わりぃ!日本の病院は興味深いから、ちょっとブラっとしていたらもう診察呼ばれてたんだな?で、傷の方はどうだった?」


パソコン前に座る外科医にペコリと礼をして診察室に入ってくる識を見て、他診察についていた外来スタッフもわらわらと集まってくる。


「えっ、立夏先生の彼氏が来てるって?」


「アメリカ留学時代の指導医らしいわよ!」「え~っじゃぁ、手術以外にも色々教えてあげるってやつ?!」


「「「「きゃぁ!!!」」」」


状況が呑み込めず、ぱちぱちと目を瞬かせると、ニコリとほほ笑む織とは対照的に、セナの耳を抑えて頭を抱える立夏。


「なんか、楽しそうだなぁ!」

「頼むから、これ以上俺の可愛いセナに不潔な話を聞かさないでくれ~~~。カルテも早急に訂正しろ~」


横目でちらりと立夏のカルテを覗き見る織。


「読影結果も、腸骨翼のヒビか!コルセット巻いて暫く安静だな。一応痛み止めだけもらっといたら?」

「整形外科のコンサルもできますが、俺も概ね、彼氏さんの診断通りで良いと思いますよ?」

「だから彼氏じゃないって…」


ここまで来ると軽い頭痛を覚える立夏。


「そうだぞ?俺は立夏の彼氏じゃない!セナの未来の夫だ」

「「「「きゃぁぁぁ!!!」」」」


いつもの調子でユーモアを見せる識の言葉に、外来女性スタッフが黄色い声を上げる。

日本でそのノリは受けないから、と頭を抱える立夏。


「それも違う。虚偽報告だ!セナの彼氏の欄に書くなら俺の名だ…って、もういいよ、いい加減誰か止めてくれ」


立夏の言葉に、ゴホンとわざとらしく咳き込む外科医。


「じゃぁ、牧野先生もコルセットと軟膏と鎮痛薬処方しときますんで、そこの男前先生に処置してもらってください!」


そう言うと、処置に使われる隣の診察室を指さす。とぼとぼと隣の部屋に移動する立夏に、看護師が処置カートを持ってきた。


「牧野先生、ここに置いときますね!処方箋は直ぐにお持ちします」


はぁと大きなため息をつくと、腰臀部を捲り上げ、処置台にうつ伏せる。


「………今日はやけに素直だな」

「……セナも、いるしな」

「私、隣にいていいの?」


恐る恐る尋ねるセナに、苦笑いを浮かべる立夏。


「いいよ。その代わり、傷の事はお互い様な。…俺も、セナの足に傷を負わせたこと、落ち込んでるんだから」


枕に顔を埋める立夏。手袋を装着し、ガーゼをゆっくり剥がす織。ガーゼには黒く固まった血液が付着していた。その傷を、覗き見るセナ。ボロボロに抉られた皮膚に、息を呑む。全身にぞわりと悪寒が走った。


「セナ、舌圧子(木べら)を使って、ガーゼ一杯に厚めに軟膏塗っていてくれないか?」

「分かったわ」


セナの視線を傷から逸らせると、給水シーツを敷き込み生理食塩水を流す。皮膚再生を促すため、傷口をしっかり洗う織。傷口からじんわりと出血する。


「~~~~ッ」

「お!今日は我慢強いじゃないか―――」

「セナが創処置で泣かなかったのに、俺が声上げてたら笑われるだろう―――」

「……そうか。」


処置を受けながら、そう言えばと昨日の出来事を振り返る立夏。


(あれだけ炎が上がった現場にいて、識は外傷を負っていないのか?そんなはずは―――)


枕から顔を挙げ、処置で手を動かす織を覗き見た。腰を捻ると痛みが襲う。


「心配しなくてもきちんと処置してる。」


上から拗ねた声が降る。


「別に、心配はしてない」


(それに、あの時識の周りにはハルの碧いプログラムのほかに、緋色のプログラムが螺旋を描いていた…あれは、一体―――)



“……識がいるなら、そちらでどうにかしてください。”


あの状況で白木が言った言葉も引っかかる。戦闘経験者の識が傍に居たら、大丈夫という事か?だが結果的にアシストのハルとの合流が遅れたあの状況では、フォースが二人いても解決が出来ないだけでなく、下手すれば二人とも危険にさらされる時間が長くなる。

セナがアシストをしているからか?否、彼女は簡易プログラムしか作れないはずだ。


(じゃぁなぜ、“識がいるなら”———だったんだ?)


立夏が頭の中であれこれと思案している間に処置は終わり、セナが処方箋を受け取っていた。


「起きていいぞ?立夏」

「ああ」


ゆっくりと起き上がる。


(識と、白木はいったい何者なんだ?俺は…こいつ等を信じてもいいのだろうか?)


何もかもが不審に思えてくる。一体何を、信じるべきなのか―――。


「立夏、痛む?」


表情が強張る立夏の顔を、不安げに覗き込むセナ。はっと顔を挙げるとニコリとほほ笑んで彼女の頭を撫でる。


「大丈夫だよ!それより今日は臨時で休みを貰えたんだ―――セナが良ければ、昨日行けなかった和食のお店、探してみるか?」

「うん!」

「よし、じゃぁ行こう」


会計を済ませて病院を後にした立夏達は、都内で有名な和食店でランチを楽しんだ。




File:14  二重の盾(Double shield)


都内某銀行―――


バチン…と大きな音を立て、電気線がショートする。

バチバチと、電源コードから火花が散った。


「きゃぁぁ!!」女性行員の悲鳴が飛び交い、頭を庇う様に座り込む。咄嗟にカウンター下の非常警報器を押すと、けたたましい音が銀行の内外に響き渡った。

狭い銀行内で銀行員の頭の上を縦横無尽にドローンが飛び回る。


「誰か、それを捕まえろ!叩き落とせ!!」


男性行員がドローンを指差し叫ぶが、それを嘲笑うかのように男の頭上をすり抜けて旋回する。若手の男性行員が奥から刺又を取り出し、ドローンを叩き落とそうと振りかぶるが、ひらひらと舞い降りる花弁のようにするりとすり抜け、出入り口の自動ドアを開くと建物の外に飛び出した。


「あれだ!追うぞ!!」

「了解!」


建物の外で待機していた2台のバイクが重音を鳴らし追跡を開始した。


「建物内での戦闘を避けるために外に出したはいいが、街中で逃げられると振り切られるぞ?どうする気だ?」

「かと言ってここでの戦闘もまずいな…邪魔なソースコードが多すぎる!」

『では、高速道路に誘導しましょう!』


白木がバームから指示を飛ばす。


「誘導ったって、追跡してるのはこっちだぜ?どうやって…」

『任せてください。誘導電波を使用し、高速道路に引きずります……白木さん!』

『分かりました、高速道路管轄管理会社に連絡し、すぐさま道路の封鎖と車を安全な場所へ待機誘導を依頼します。』


バームから、ハルと白木の声が重なった。


『Pass code、homing guidance!(ホーミング誘導)』


立夏の左手から碧いソースコードが伸び、前方を飛ぶドローンに鎖のように巻き付いた。


「よし、捕えた!」

『そのまま高速入口まで向かってください!』

「了解!」


フルフェイス越しに小さく頷くと、バイクを走らせていた立夏と織は指定された高速入口へ向かった。


1時間前…

いつもの如く、突然の白木の呼び出しを受けた立夏は、仕事の融通を付け相棒のGSXで指定された現場に向った。都内の銀行にドローンが押し入り、ウイルスプログラムをばら撒いているとの通報を受け、InsideTraceUnitに依頼が舞い込んだのだ。

狙われたのは様々な銀行の支店クラス。どちらかと言うと地域に根差したセキュリティ性の比較的低い支店が狙われ、警察による、次に狙われる場所の推測が行われた。日本滞在中で同じく白木から連絡を受けた識と現場で合流し、銀行支店前で待ち伏せしていたところ、問題のドローンに遭遇したというわけだ。




赤いGSX-Rの後ろを、黒と赤でペイントされたRSV4が続く。


「お前、バイク乗れたんだな―――」

「なんだよ…日本の免許はきちんと持ってるぞ?」

「つーか、なんでレンタルバイクでそんな化け物級選ぶんだよ…」

「いや、だって今回のミッションでの乗り物、白木が何でもいいって言うから」

『避難誘導終わりました!そのインターから高速道路に入ってください!』


立夏達のGPSを確認しながら、白木が誘導する。

高速道路にバイクを進める立夏と識。避難誘導の為か、平日の昼間だと言うのに一台の車も見当たらない。


『首都への交通の大動脈を止めています。長時間化すると様々な障害が出ますので、早急に片付けてくださいね!』


バーム越しに煽る白木の言葉に、バイクを止めてフルフェイスを外すフォースの二人。


「待たせたな。さぁ、フィールドは整ったぜ?姿を現しな―――アライド!」


立夏が右手のソースコードを引っ張ると、ドローンから黒いソースコードの線が溢れ出る。それらは集合して翼を持つ鳥のような形を成した。


「まぁ、想像は出来ていたけどな…」


苦笑いを浮かべる織。


「飛んでいるデータを相手に、どう叩き落すか―――」

「ウイルスプログラムの元凶はあのドローンだ。あれを落とすしかないな…」


頭を抱える二人。どちらにしろ、立夏や識がジャンプして手の届く位置にはない。


「銃で撃ち落とすのはどうだ?」

「ここは日本だ。そもそも銃なんて持ってないだろ?(持っていたら銃刀法違反で捕まるけどな)」


識の提案を、即座に却下する立夏。


『プログラムを銃弾のように一定の方向に飛ばす事は可能ですが、ソースコードを切り離せたとしても、デバイスのグローブに吸収させなければ回収できませんしね…』


バームの向こうから、ハルの悩ましい声も聞こえる。


「回収してワクチンプログラムを組み立てたとして、また空飛ぶアレに移植しなきゃなんだろ?」

「移植は一定方向にワクチンを飛ばせるなら、ぶつけるだけで出来ると思う」

『まぁ、接触による移植と比べて効力は半減すると思いますが―――』


さてどうするべきか。聖倭大学でモニターを見守る白木とセナも頭を悩ませる。

5人が頭を抱えていると、鳥型のアライドは立夏と識に向って飛びかかってきた。当然、アライドも対策を練る時間等悠長に与えてはくれなかった。


「「?!」」


慌てて避ける二人。


「このままじゃ、一方的にヤられるな―――」

「腕が伸びてこう、ベチンと叩き落とせればいいんだけどな―――」

「……ついに人間やめる気になったか?」


何処までも非現実的な話をする織に、顔を引きつらせる立夏。


(いや待てよ―――腕が伸びて……)


「俺、イイ物持ってるぞ!」


レッグバックから取り出したのは、一世代前に使われていた真鍮製のポインター(指示棒)


「は?なんでそんなもの―――」

「いや、呼び出しくらう前に外科カンファしていてさ、光源ポインターが壊れたからって急遽事務から借りていたんだよ」


伸縮性のあるポインターを引き延ばし、構える立夏。


「伝導率がいいコイツなら、グローブの腕の代わりにならないか?」

「…なるだろうけどさ、80㎝ほど伸びたところで、アレに届くのか?」


ポインターを高くかざすがドローンまでは2メートル以上高さが足らない。立夏達が近づこうと距離を詰めるとドローンは後退し距離を取る。


「高さとスピードを稼ぐ方法…か。だったらお前、RSV4のタンデムシート乗ってそれ振り回せ!」

「誰が運転するのさ」「俺だろ?」


疑惑に満ちた立夏の視線が識を指す。


「…………だったら俺がRSV4乗る」


そう言うと、ポインターを識に押し付け、フルフェイスを被ってRSV4に跨った。


「いや、ドローンに追いつくんだぞ?結構運転テクいるぞ?1000cc操れんのかよ、お前」


エンジンを回し、アクセルを思い切り捻る立夏。


「何してる、早くしろ。そういうのは俺に振り落とされずタンデムできてから言いな」

「無理だと思ったら交代しろよな」


ぶつぶつと文句を言いながら、フルフェイスを被る識。タンデムシートに跨ると、右手にポインターを握り、左手を立夏の肩に置いた。


「遠慮はしなくていい、行け」


識が立夏を挑発する。


「上等だ、振り落としても文句言うなよ?」


左手のクラッチを緩める立夏。唸りを挙げたRSV4が勢いよく飛び出した。襲い来るアライドを切り払う織。ドローンはスピードを上げて後退する。


「最大トルク7000rpmのイタリア製レースマシーンにスピードで敵うと思うなよ!」

「お前それ、アプリリアに乗りたかっただけだろ!!」


アクセルを回し、ドローンに追いつく立夏。と、ドローンが旋回し後方へ逃げる。


「ニーグリップ!(摑まれ!)」


立夏の腰に手を回し、膝を閉める織。膝がすれる程に傾けさせ、バイクを急旋回させる立夏。


(怖っええええ!!!)


命の危機を感じる織を諸共せず、ひらりと左右に揺れるドローンに追いつきバイクを真下に入れる。



「旋回するぞ!」


再び立夏がバイクを傾ける。立夏にしがみつく織は思う様に右手のポインターを伸ばせない。


(このままじゃポインターを接触させる前に俺が地面に接触する!!)


命の危機を感じた識は、直線走行に入ると、右手でアライドを切り払いながら左手でベルトを外す。


「ナツ、左手でこれを持っていてくれ」


ベルトの端を立夏に渡す織。


「どうする気だ?」「命綱だ、次の旋回後の直線走行で決める!」

「……分かった」


左手で受け取ると、ベルトの端を手に巻き付ける。バイクに追いつかれたドローンが、再び旋回し、後方へ逃げる。


「倒すぞ?!」「了解」


しっかりと立夏に捕まり、急旋回を乗り切ると、立夏に持たせたベルトを立夏の肩越しに右手で握り、ポインターを左手に持ち替えた。


「直線に入る!」


アクセルを開ける立夏の声を確認し、右手に巻き付けたベルトを握る。


「左手、離してくれるなよ?」「……安心しろ、絶対に離さない」


右手ベルトにテンションをかけて体を固定すると、識はタンデムシートの上に足を置いた。

直線、ドローンに追いつく刹那、左手を大きく振りかざすと、ドローンの羽を勢いよく叩き落とした。


バキッ……


何かが砕ける大きな音と共に、アスファルトに叩き落されるドローン。

急停止するバイクから飛び降りると、飛びかかるアライドを「邪魔だ!」と振り払い、グローブをドローンに押し付ける。黒いソースコードが、グローブの中に吸い込まれていく。


『受け取りました、解析を開始します―――』


バームから聞こえるハルの声に、立夏と識は顔を見合わせてアスファルトに座り込む。


「……死ぬかと思った」

「俺もだ」


羽を割り落されて墜落したドローンのプロペラを、全て踏み割っていく識。痺れる両掌を解しながら、息を調えハルからの応答を待つ。


「…今みたいな運転するなら、GSXの方が良かったんじゃねーか?最高出力も上だし、操作性もいいだろうに―――」

「だろうな。もーやらない!こりごりだ!次買うならR1000だな」

「全然こりてねーな、お前」


『Pass code、Virus destruction Program』(ウイルス破壊プログラム)


ハルの声と共に、立夏の右手に碧色のソースコードが舞う。


「サンキュー、ハル」


立夏は飛び起きると、黒いソースコードが蠢くドローンにグローブをはめた右手を接触させた。

黒いソースコードが碧く塗り替えられていく。


「チェックメイト…だな」


立夏が立ち上がったその時、


「待て、ナツ!」


ドローンから再び黒いソースコードが矢の如く貫いた。咄嗟に立夏の身体を押し倒す織。

黒い矢は識の左肩を貫く。瞬間、識の身体から緋色のソースコードが溢れる。


「っツ!!」


左肩を押さえる織。


「シキ、大丈夫か?!」

「―――ああ、掠っただけだ。念のためシールドプログラムを待機させていたから読み取られてもないだろ…」


大丈夫と言いながらも、その表情は苦しげだった。


「お前…左肩―――」

「ARとはいえ、電磁パルスが脳に直接作用するからな…多少の痛みは仕方ない」

「……ッ。すまない、俺が油断したから―――」

「かまうな、それより…ウイルスプログラムが効かない―――なんてな」

『すみません。もう一度、解析を行います。可能ならより多くのソースコードを集めてください』


ハルの声が、焦りを滲ませた。


「ああ、善処する―――が、どうやらさっきのアライドより、厄介だぞ?これは」


ドローンの周りを蠢く黒いソースコードは、近寄るモノに対し、高速で矢を放ってくる。

立夏と識は身構える。だが、放たれる矢を避けるに精一杯だった。


(どうする……?!)



File:15  Fake (嘘)


立夏の視覚情報を通して、研究室のモニターで状況を見ていた白木とセナは息を呑む。


「どういう事でしょう……」

「……アライドプログラム―――いえ、ウイルスプログラムが二重にかかっていた可能性があるわ」


セナは別モニターに視線を移す。バーム使用中の3人の脳波とバイタルをモニタリングする装置で、アシストのハルの脳波が異常に乱れていた。先程のワクチンプログラムが効かなかった事に、焦りが生じているのだろうか。

インカム越しに、ハルのバームに話しかけるセナ。


「こちら本部―――ハル、大丈夫よ…落ち着いて?」

『……すみません。ですが、今手元にあるソース情報では、いえ…私の力ではあのウイルスを壊すワクチンの作成が―――』


先の2件の事件においても、誰よりも冷静で正確にプログラミングを行ってきたハル。だが今回は、2重プログラムに気付けなかった事に、責任を感じているようだ。焦りが、冷静な思考を阻害する。

手に入れたソースコードを解析するが、どうしてもプログラミングが行えない。


『――――ッ。やはり、私では―――』


バームから聞こえるハルの焦燥と、力ない言葉。


「……ハル、今いるところ、一人?」


突然に、セナが話しかける。


『えっ?あっ、はい―――空き教室を自習にと使わせてもらっています』

「じゃぁ、今から私が指示する事をして?」

『……はい。』

「先ずは、椅子にもたれて、天井を向く。」

『―――――はい』

「次に、両手を椅子に掛けるか、もしくは頭の後ろで組んで―――」

『……こう、でしょうか?』


突然のセナの指示に、バーム越しに会話を聞いていた立夏と識は、飛んでくる矢を避けながら顔を見合わせ、小声で確認する。


「何やってんだ?アイツ―――」

「さぁ…………」


指示の内容を頭で想像するが、何のために行っているのか、目的すら皆目見当がつかない。


「最後に、両足を開いて机の上に乗せる!」

『えっ?』

「俗にいう、”偉そうなポーズ”よ。そのまま二分じっとしていて!」


バーム越しに、ハルが戸惑う様子が伺える。立夏と識も視線を交わすが、互いに首を横に振る。


『二分?あの、先生―――これは何の意味が…。私は、微力ながら一刻も早くプログラムの解析を―――』

「大丈夫よ。これは、貴方にとって大切な2分。科学者である私が言うのだから、よく聞きなさい―――?心と体というのは、密接に関係しており、どちらかが崩れれば必ず他方に影響する。息苦しいと思えば呼吸は早くなり、強いストレスは頭痛や吐き気を及ぼす。」

『先生――?』

「でも一方で、この日までは生きたいと強く願えば、どんなに身体がボロボロでも、その日まで命を繋いでくれるものなのよ。」


(……セナ―――)

識は、視線を落とす。


「先生、先生…」


白木がセナに耳うちする。


「昔ある高名な社会学者が学生を集めてこんな実験を行ったの。――それは――――」


話を止めようとしないセナの椅子を後ろに引く。


「先生!」

「何?白木…」

「話しは良いですけど、先生はその恰好ダメですよ!スカートで足開いて机に上げちゃ…私が目のやり場に困りますっ!!」


『?!』

『『……………(自分もやってたんかい!)』』


バームから聞こえる白木の声に、思わずセナの姿を想像してしまった立夏と識は頭を抱える。両足を机から降ろされたセナは小さくため息。


「まぁ、つまりはこうだ。自信のある態度は脳のホルモンに作用し、心や気持ちまでも変えていく。今はフェイク(作られた形)かもしれない、だがそれはやがて本物の自信になるの」


セナの説教を聞き、その姿を想像したハルは思わず吹き出し笑う。


『ふっ…あはは!なんだか先生のお話は説得力ありますね!今度ゆっくり、その実験について拝聴したいです』


「そう、それはよかったわ!」


『………(今の話に説得力?)』

『……マジか―――』


会話の一部始終をバーム越しに聴いていた現場のフォースの二人の、何か言いたげな無言の”間”に、白木もくすくすと笑いを見せた。


「そろそろ二分ね…どう?心境の変化はあった?」

『ええ、頭がすっきりした気がします。とはいえ、情報はもっと欲しいので、飛んでくる矢のソースコードを、バームで回収して下さい!』


現場の立夏達は顔を見合わせる。


『この矢を、回収?』

『そうですね―――バッティング…いえ、テニスのラリーの要領でそのポインターに中てるのは如何でしょう?』


識と立夏は顔を見合わせる。


「どうだ?」

「球技は経験ないが、やってみるか―――」


話し合いの結果、識がポインターの棒を持ち、ドローンに近づいた。彼を貫こうと飛んでくる矢を避けながらポインタ―に当てていく。初めは的を外すことも多かった識だが、徐々に容量を掴めたようで、徐々にその精度を上げて行った。

回収される矢の如くソースコードのデータを、次々と解析しながら新たなプログラムを作成していくハル。


そして―――


『Pass code、Virus destruction Program』


立夏の右手に、再び碧い光がまった。


「ハル―――」

『今度は、大丈夫です』


自信ありげなハルの言葉に、口元を綻ばせる立夏。


「よし、任された!」


立夏は、識が善戦を行う前衛に走り出た。


「ポインター貸せ、識!俺が行く」

「……気を付けろ!」


ポインターを立夏の進行方向に向かって投げる織。走りながらそれを受け取ると右手に握り直した。

次々と放たれる矢のように降り注ぐソースコードをギリギリのところで交わしながら、一気に距離を詰める。


「これで、チェックメイトだ!!!」


立夏は、フェンシングの突きの如くスピードで、ポインターの先を元凶のドローンに突き刺した。降り注いでいた矢は止まり、黒くうごめく靄は碧色に塗り替えられていく。


「……今度こそ―――」


全てのプログラムが塗り替えられた途端、碧色の線は四方八方に飛び広がった。その様子を、見上げる立夏と識。そして、立夏の視界から送られる情報をモニターで眺めるハルと、セナ、白木は、その光景に息を呑む。


大木から空に向って伸びる枝のように、碧色の光はキラキラと輝き、消えて行った。


『お疲れ様です。重要参考物証なので、そのドローンは回収してください。まもなく、高速道路の閉鎖も解除しますので、お二人は速やかに戻ってきてくださいね』

「「了解」」


白木の言葉に、短く返事を返し、バイクに向う。


『ありがとう、ございました』


ハルの声が、バームに届く。


「それは、こっちのセリフだ。次もまた、よろしく頼むぜ?相棒」

『―――はい!』


自信を秘めた明るいハルの声に、識や、セナ達は顔を綻ばせる。

寄せ集めのユニットに、“絆”が生まれていった。



File:16 白のバラ


数日後、識はアメリカに帰国し、セナも日本で手掛けているもうひとつの研究にかかりきりとなった。

幾つかの事件を二人で解決していくうちに、立夏とアシストのハルとの間には言葉では言い表せない信頼関係が生まれていた。先の銀行の事件からヒントを得て、伸縮可能なポインターを模して造られたデバイスを新たな武器に加え、今まで以上に迅速かつ正確な解決を図っていくバディの二人。危惧していた情報の読み取りやノックの疑いによる影響もなく、立夏の脳裏にはその事すら忘れかけていた―――。



2022年―――

秋も深まったある日、当直入りの立夏は病棟を巡回し、夜間処置が必要となりそうな患者の情報を夜勤看護師から聞いていた。

ポケットに忍ばせていた携帯電話が震える。


「牧野先生?電話―――」

「あーちょっとごめん」


そう言って携帯画面を確認すると、白木からの着信が入っていた。


「……悪い、また後で来るよ!」

「分かりました!病室回ってますので、戻られたら声掛けて下さいね!」


パソコンを乗せたカートをついて詰め所を出る看護師を見送り、通話ボタンを押す立夏。


『牧野先生―――大変です』


白木の声に、いつもの覇気がない。緊急事態なら、もっと声を張り上げていそうだが、今にも途切れそうなその声は、バタバタと騒々しい時間帯の病棟の音で上手く聞き取れず、立夏は顔をしかめて当直室に向う。


「また事件か?緊急か?」

『………ええ、緊急事態です』

「なんだって?お前声が遠くて聞き取れねーよ」

『――――ッ。先生が、意識不明の昏睡状態だそうです』

「・・・・・・は?」


思わぬ白木の言葉に、耳を疑う立夏。


「今から当直なんだ、質の悪い冗談なら、切るぞ?」

『冗談で、こんな事―――言いませんよ!』


白木の声に、苛立ちが滲んだ。立夏の、鼓動が早くなる。


(冗談じゃ、ない?だってお前今―――セナが昏睡って……)


「どういう、事だよ?説明しろよ!白木!!!」


携帯に向って叫ぶ立夏。


『先程、識から聞いた情報で…俺にもまださっぱり―――とにかく、直ぐにカリフォルニアに飛んで確かめてくるから、暫くはInsideTraceUnitの活動は中止、セナが居ないとバームのメンテナンスも行えないからそれも使用禁止だ!』

「……そんな」


白木の一人称が俺になり、いつもは”先生”と呼ぶセナの事を名前で示した。

白木が演技も出来ない程、自体が深刻だと言う事を物語っていた。


携帯電話を右耳に当てたまま、言葉を失う立夏。


『―――バームが使えない事は、ハルさんにも連絡をしておきます。また連絡しますので、携帯、離さないでくださいね』


少し間を置き冷静さを取り戻したのか、白木はいつもの口調でそう述べると、通話を切った。

プープーという、電子音だけが耳に残る。


(どういう事だ…セナ?)


暫くの硬直からようやく溶けた立夏は、セナの携帯番号に電話を掛ける。呼び出しは行われているようだが、誰も通話には出なかった。

白衣のポケットに入れていたPHSが音を立てる。はっと我に返り携帯電話の通話を閉じた立夏は、PHSを耳に当てる。


「はい。外科牧野―――」

『牧野先生?4階内科病棟の看護師です。リウマチの内服コントロールで入院中の患者さんがベッドから転倒したようで…スキンテアなんですけど診て貰えますか?』


(ここであれこれ悩んでいても仕方がない…とにかく、今は白木からの連絡を待つしかない)


「4階だね?今から行くよ……STARでどのくらい?」

『お願いします。カテゴリー1aですね、でも範囲が結構ガッツリいっちゃってて』

「了解!処置の準備しててくれる?」


携帯電話をポケットに突っ込み、立夏は当直室を後にした。


その後も何度も携帯電話を確認するが、白木からの着信はかかってこない。

カリフォルニアに飛ぶと言っていた―――早々直ぐに連絡が着くわけがないと分かっていながらも、心中穏やかでない立夏。

当直明けの午前中に予定されていた手術を無事に終えると、足早に帰宅しベッドにダイブする。何度も携帯画面を確認してはため息をつく。


昏睡って、なんだよ―――事故か?事件か?まさか…研究中のBMIが暴走して?


あれこれと考えれば考える程、立夏の不安は募る。

立夏は何度も、セナの携帯電話に着信を残した。





カリフォルニア―――


その日の予定手術を終えた識は、術衣を剥ぎ取るように着替えると足早に病室に向った。


コンコンコン…


「はい―――」


短い返事を確認し、病室に入る識。そこには、眠ったようにベッドに横になるセナと、その両サイドにクラーク夫妻が青白い顔をして座っていた。識に気付き、立ち上がるセナの父、水月と場所を変わり、動かないセナの手を握る。


昨日、セナの身体は日本から識の勤める病院に搬送されたのだ。


日本でのBMI(ブレイブマシンインターフェーズ)の研究中に事故に巻き込まれたと言う。ムリに外すことで脳を破壊し得る恐れのあるマシンを外す事も出来ず、セナは昏睡状態のままベッドに繋がれている。心電図モニターは正常な波形を映す。機械に繋がれたセナを見ると、数年前の記憶が識の脳裏をよぎった。


「セナは、まだ―――」

「……今回は、俺に打つ手はありません―――こんな、悔しい事はありませんよ」


奥歯を噛み締める織。握り締めた拳が、小さく震えた。


(どうして…こうなった―――こんな事ならもっと、傍に居てやるんだった)


後悔だけが識の心を支配する。

再び動かぬ我が子を見つめ、その瞳にうっすらと涙を浮かべるセナの母、アリア。


「クラーク夫人、ここ数日眠られていないでしょう?一度休みに戻ってください…」


識が微笑を浮かべ、アリアを促す。


「でも―――」

「セナが起きた時、貴女がそんな顔してちゃ、ダメですよ―――水月博士も…。ここ(病院)にいる限り、セナには俺や信頼できるスタッフがついています。それに、ポラリスも。何かあれば、直ぐに連絡しますから」

「……アリア―――」


水月が、アリアの肩を抱き立ち上がらせる。


「すまない、識君」


小さく礼をすると、アリアを病室の外へ促した。視線を逸らす織。

アリアのやつれた顔は、セナのそれを彷彿とさせて胸が痛んだ。クラーク夫妻の後姿を見送った後、識はベッド横の椅子に腰を落とす。


「……早く、戻ってこい―――セナ。君の見るべき”世界”は、こんなところで終わっていない。まだ俺は―――約束を果たせていないんだ」


セナの手を両手で握り、額にかざし、祈りを捧げる。


セナが眠り続けてから、1カ月。

両親だけでなく、識もまた、仕事の合間をぬっては毎日のようにセナの病室を訪れていた。

ベッドサイドの花瓶には、彼女の回復を願う人々から、毎日違う花が届けられる。その中には必ず、識が贈る白いバラも生けられていた。

それはたまにある貴重な休日でも変わらず、休みとあらばほぼ毎日セナの病室に入り浸っている。そんな彼の居場所は院内にも知れ渡っており、休日でもここに来れば識とコンタクトが取れると知ったスタッフが、次々に訪れる。


「Drクギョウ!この患者の指示を―――」

「Dr、明日の手術の事なのですが…」

「Dr、相談が―――」


「あのさぁ、俺、今日はOFFなんだけど?」


当たり前のように仕事を持ってくる同僚に、顔をしかめる織に、仕事を持ってきた同僚医師はにやにやと笑みを浮かべながら言い放った。


「OFFなのに病院に入り浸っているのが悪いんですよ!」


書類を受け取り、目を通していると、病室にその日の担当看護師がかけ入る。


「Drクギョウ!」

「今度は何?!」

怪訝そうに眉を顰める織。


「セナさんの” partner(恋人)”という男性が面会に来られていますよ」

「はぁ?!」


思わず声が裏返る織。


「いいよ、通して。クラーク夫妻が居ない今は、俺がその不埒な野郎を精査してやる」


口元を引きつらせ立ち上がると、腕を組んで仁王立ちする。そんな識を見てくすくすと笑う看護師が廊下にウインクを飛ばして合図する。

病室に入ってきた紅色のピンポンマム(ピンポン菊)の花束に目を奪われる識。


「よぉ、識―――」

「……立夏―――?」


いつもになく力ない声と、立夏の哀し気な表情を見たとたん、なんで患者との続柄が” partner(恋人)”なんだよ!と喉まで出かけたセリフを、呑み込んだ。気を利かせた同僚医師と看護師は病室を出る。立夏は、識と反対側のベッドサイドに腰を落とすと、セナの頬を優しく撫でた。


「本当に――――目を覚まさないんだな・・・」

「アルから聞いたのか?」

「ああ……」


セナがこの病院に運ばれて間もなく、白木ことアルグレードがカリフォルニアに帰国し、識に連絡をよこした。セナの状態を説明し、彼女の変わり果てた姿を見て膝をついたアルグレードは、セナから預かったBARMI研究の当面について話し、立夏とハルには自分から状況を伝えると言い残し、日本に戻っていた。


「……セナが、日本で別の研究をしていた事は知っていた。もっと彼女の―――」「それ以上は言うな。」


立夏の言葉を遮る識。


「皆…悔しい思いは同じだ。俺達よりも、クラーク夫妻の方がずっと―――」

「……そうだった、な」


個室に置かれた小さなテーブルセットに、色々な種類の花束に紛れ、白いバラが生けられているのを見た立夏は、言葉を止めた。白く細い腕に繋がれた点滴、少しやせた頬、ただ眠っているだけのようで…朝には何事もなかったかのように、起きてきそうな彼女の表情を眺める。


「………」


立ちすくむ立夏から紅色のピンポンマムを受け取ると、白バラの隣に生けた。

赤と白の花は、窓から差し込む暖かな光に、優しく照らされる。


「セナ―――」

立夏の声は、寂しく病室の風に流された。




第3章


File:17 夜明け


開発者であるセナが関われなくなったことで、まだ試験段階にあるバームの使用を一時中止していたが、凶悪かつ悪質化するサイバー犯罪にInsideTraceUnit projectからの度重なる依頼を受け、セナの父である水月が彼女に変わってバームの管理を行い、不備が生じた時はすぐさま使用を中止する事を条件にサイバー犯罪への解決に尽力を尽くしていた。


日本でもまた、立夏とハルの強い思いもあり、バームの使用が再開され、その機械と脳派等の管理は海を越えた水月が行う事となった。蓄積された、バームから得られた研究データは、セナがいつでも戻ってきて引き継げるようにと、水月の手によってまとめられ、厳重に保管される事となった。




2024年 カリフォルニア州 病院内――――


例年の猛暑を裏切らずカラッとした暑い秋を終え、冬支度を始める11月の、昨日から降り続く雨によるこもった湿気が、白衣と共に皮膚に纏わりつく。

午前から始まった予定手術が長引き、夕方になってやっと引継ぎを終えた識は、不快に纏わりつくガウンを脱ぎ捨てた。手を洗いながら、目の前の鏡に映る自分の姿を睨む。疲れきった自分の顔に、ため息を投げた。


売店で野菜ジュースとサンドウィッチを買い込むと、いつものように病室へ向かう。


「お疲れ様です、Drクギョウ――」

「お疲れ様―――」


すれ違うスタッフに、力なく挨拶を交わすと両頬をバチンと叩いて、病室の戸を開けた。


「ただいま、セナ―――」


2年間、一度も返事のないベッドに向い、いつもの声を掛けた。



2年―――セナが意識を失ってから、もう、2度目の冬が訪れようとしていたのだ。

その間、目覚めぬセナとなにも出来ぬ自分への憤りを埋めるかのように、本業の医業とBARMIを使ったInsideTrace事件の解決へと精を出す織。

病院近くに借りているマンションに戻ることなく、連日病院で過ごす事も多かった。


セナの横たわるベッドサイドに置かれた椅子に腰掛け、指先よりも長く伸びた茶色の毛を手繰り寄せ、布団の上に置かれた細く白い指に、自らの掌を重ねる。

ベッドにもたれるように上半身を委ね、繋いだ手越しに、セナの顔を見つめる織。


「今日は、疲れたよ―――思ったよりオペが長引いちまって…。―――なんだよ、しっかりしろとでも、言いたげだな?」


セナの手を、自らの額に当て、その顔に微笑みかける。


「セナが癒してくれたら、次はもっと―――頑張れるよ……」


連日の疲労が祟り、そのまま瞳を閉じ寝入ってしまう。額に、セナの手の温もりを感じながら―――。


前髪が揺れるくすぐったさで意識を取り戻す織。

頭が重い…


(ああ、俺―――ベッドにもたれたまま、眠ってしまっていたんだ……)


重たい瞼を持ちあげ、うっすらと瞳を開ける。額にかかる温もりが、目を開けようとする意識を邪魔する。頭を撫でる温もりが左右に揺れるたび、前髪が動き、くすぐったい…それすらも、心地いい―――


「し…き―――」


少しかすれた、愛しい声が…識の名を呼ぶ。もうしばらく聞いていなかった、彼女の声。


「セナ…早く、戻ってこい。俺はまだ、君との約束―――守れて、いないんだ・・・」


(これは夢だろうか。疲れすぎて俺はまだ、夢を見ているのだろうか)


目覚めたセナが、識の頭を優しく撫でる。そんな都合のいい夢を見ているのだろうか。

薄く開いた織の瞳に、すっかり日の落ちた病室がぼんやりと映る。


「戻って来たよ、織。約束、ずっと守ってくれて、ありがとう―――」


喉から空気が漏れ出ただけのような、かすれがすれのその声に、識の重い瞳がしっかり見開かれていく。ぼんやりしていた意識が、一気に覚醒した。


勢いよく顔を挙げる織。識の頭を撫でていた細い手が滑り落ちる。目の前には、こちらを見て微笑みを浮かべる、セナがいた。


「――――セナ?」

「うん。ただいま、織」


「セナ?――セナ…セナッ?!」


頭を撫でていた手を掴み、首だけを少し起こしてほほ笑む彼女の体を抱きしめた。





2年間、他動的にリハビリ介入を行っていたとはいえ、全身の筋力が弱った彼女は自ら体を起こす事すらできない。目を覚めた後の彼女のリハビリは、ベッドの頭部挙上機能を使い、ゆっくりと体を起こす事から始める。

ずっと中心静脈栄養で退化した経口摂取機能を取り戻すために、ST(言語聴覚士)による口を動かす運動や、発声練習。無重力化で動かしていた四肢を徐々に重力負荷をかけて動かしていく。

初めの2か月は、思うように動かない自らの体にどれだけ悔しい思いをしただろう。だが彼女は、周囲がやり過ぎだと止める程、どん欲にリハビリをおこなった。


日本に行かなければいけない…待っている人が、いるのだ――――と。


セナが日本で介入していた大規模な研究は、その主格研究者の単独的な非人道的犯罪により、多くの人々が脳に影響を受け、死亡したと言う。

2年前、大々的に報じられたそのニュースは、アメリカにいる織にも届いていた。

2年後、昏睡状態だった一部の人々はセナのように目を覚ましたが、未だに眠りについたままの人もいるのだとか。

セナは完全被害者なのだと周りが何度諭しても、彼女は聞き入れようとしない。セナはきっと、小さな胸に責任を感じその人達を救うために辛いリハビリを必死で頑張っているのだろう。




2025年 1月

カリフォルニア 国際線空港ロビー ――――


「本当にここまででいいから」


識から荷物を受け取ると、両手で彼の身体を突き返すセナ。

ハードなリハビリの甲斐が合ってか、わずか2か月で歩行や日常生活が行えるまでの、脅威の回復を見せたセナ。若いとはいえ、幼少期に心臓の手術を行ったその体は、お世辞にも丈夫だとはいえないはずなのだが。


「良いか?向こうに着いたらまず電話する事!あと、お迎えが来るまでは到着ロビーを出ない!そして仕事が終わったら、その場で立夏を呼ぶこと!」

「やめてよ識!恥ずかしいわ!!……もう15歳よ?!子供じゃないんから分かっています!」

「世間一般では15歳はまだ子供なんだぞ!(たぶん)」

「うるさい~!!父さんだってそこまで言わないのに!!」

「水月博士が言わないから、俺が言ってるんだ!!」


漫才のようなやりとりを重ねる織とセナを、後ろで時計を気にしながら見守る水月。

この日は、セナが2年間の昏睡後に初めて訪日する日だった。2年前の事件後、今だに昏睡状態が続く患者への治療において、脳科学分野で実績を挙げているセナを客員研究員として招きたいという日本の総務省からの依頼だった。

サイバー犯罪対策課にノックとして潜入しており、セナともVRMMO研究で面識のある白木がフォローし、訪日中の日常生活のフォロー(青年後見人)は立夏が引き受けると言う条件の元、今回の訪日が実現したのだ。


「セナ、そろそろ搭乗ゲートを通らないと…」


後ろから、遠慮がちに伝える水月。


「じゃぁ!行ってきます!!ラス(ポラリス)と母さんの事、よろしくね!織、父さん!」


手を振ると、足早に搭乗ゲートに向うセナ。


「……大丈夫ですかね?」その後姿を見ながら、小さくため息をつく織。

「アリアと同じで、言い出したら聞かないから。こんなところまで苦労を掛けるね、織君」


ペコリと礼をする水月に、両手を横に振る。


「苦労だなんてそんな!俺が好きでしているんですから―――それより、今日はアリアさんがどうしても仕事が外せない日で、良かったですね……」


この現場にセナの母、アリアがいたら。

搭乗ギリギリまで吠えていただろうと想像する識は、苦笑いを浮かべた。

水月も思わず苦笑いが零れる。


「ああ、それは出国の日取りを、セナがわざわざ、アリアのどうしても仕事が外せない日を選んだのだよ。アリアが見送りに加われば、土壇場で自分も行くだの、やっぱり行くのをやめろだの、口煩く言われるのは目に見えているからね」

「やっぱり…だから俺の予定も細かく聞かれたんですね。本来なら俺も今日は手術が入っていたんですけど、補助役だったので上手く同僚に変わってもらえたんですよ―――」

「セナにとっては誤算だったろうが、私にとっては君がいてくれて助かったよ。どうもあの子に強く指導するのは、苦手でね……」


出国ロビーを後にしながら、水月は「父親としては失格だ」と肩をすくめた。その隣をついて歩く織。

「あー。何となく、分かりますよ。それを言うなら、俺も主治医失格ですから」


2人は顔を見合わせて苦笑いを送り合う。


セナを見送った後、病院に戻った識は、親である水月に了承を得たうえで日本にいる立夏に連絡を取った。セナが出国した事に加え、最近の身体状況とリハビリの仕上がりについて、日常生活での注意事項等―――。

幾つかの対症指示について申し送りを受けた後、立夏は「日本でのセナの主治医は任せろ」と電話口で約束した。


File:18 タイムカプセル


日本 聖倭大学 ――――――


大学の研究室の一室に所狭しと並べられたコンピューターやモニター等を懐かしそうに見渡すセナ。総務省での打ち合わせを終えた後、白木の車で聖倭大学のBARMI研究室に立ち寄っていた。


自らが意識不明となっていた間、当然凍結されているだろうと思っていたバームの研究が、両親や白木、識や立夏、ハル達の手によってすすめられていた事に感激を覚えた。


「ありがとうございます…アル―――いえ、白木さん。この話は、破棄されているものと思っていたので…驚きました」


BARMIと、その先にあるだろう“Stern Baum”は、セナにとっては研究者人生における目標…人生そのものと言っても過言ではなかった。わずかに涙ぐみ、声を震わせるセナ。


「当然です。貴女の夢は私達の―――いや、人類そのものの夢でもありますから。バーム使用時の脳波計測とメンテナンス等は全て、貴女が研究室に残した資料を基に、水月博士がご尽力くださいました。幸いこの2年間、バームにおける大きなトラブルは発生していません」


パソコンを起動し、そこに蓄積された膨大なデータを見せながら説明する白木。それらすべてに目を通す。


「トラブルどころか…駆け出しだった研究をこれほどまで軌道に乗せて頂けるとは……」


研究室の重い扉が、挨拶なしに急に開く。


「セナ!」


何事かと振り返るセナと白木の視線の先には、慌てて飛び行ってきた立夏が立っていた。肩にかかるほど髪の伸びた立夏を見て、両手を伸ばすセナ。


「……立夏―――」

「……ッッ!!セナ!!」


駆け寄り、彼女の身体を抱きしめる立夏。二年ぶりの温もりに、目頭が熱くなる。


「総務省まで迎えに行くと、言ってあっただろう?」


2年間の不安な思いを拭う様に、立夏はセナを抱きしめたまま問いかけた。


「ごめんなさい、白木さんがここまで送ってくれたの」

「白木が?」


「いやぁ、思わぬ”アクシデント”がありまして……。BARMIの現状報告もしたかったので、私が送らせて頂きました。お役目取ってしまってどうもすみません、立夏さん」


いつもならアクシデントとは何だ?!と食って掛かる立夏だが、「セナが無事なら」と、深く追求せずに留めた。そんな細かい事はどうでもいいくらい、立夏にとってセナの存在を確認するこの瞬間が、何よりも大事なのだ。


「立夏、バームの事……続けてくれていて、ありがとう」

「いいよ、これは―――俺達の夢でもあるかなら」


ニコリとほほ笑みを見せる立夏の頬に両手を添えるセナ。


「髪、伸びたのね――――――少し、大人っぽくなった。貴女が無事で、良かったわ」

「惚れ直した?セナ。」

「ふふっ!」


ニコリと笑うセナに、今度は立夏が彼女の頬に両手を添える。


「セナも、大人びたね……可愛い少女から、急に大人の女性になってしまったようだ」


小さく頷きいたセナは、瞳を閉じ、寂し気な表情を浮かべる。


「そうね……街も、人もみんな変わって急に大人になった。自分の姿にすら、未だに違和感が拭えないわ。私一人が取り残されてしまったようで――まるでタイムカプセル(玉手箱)を開けてしまったみたい…」

「・・・・・・・・・寂しい?」

「―――少し」


そんな彼女を無言で見つめる立夏と白木。

白木は、どんな言葉を掛ければよいのか、分からずにいた。


「確かに、君が眠る間に世界は大きく変わった。俺も白木も識も…セナも。」

「うん―――」

「だけどね、バームを完成させたいと言う皆の想いは変わっていない。俺がセナの事が大好きだって事も、あの頃とちっとも変っていないんだよ!

おかえり、セナ…君の居場所は、いつだってここにあるよ」

「立夏―――ありがとう!」


くるりと向きを変え、パソコンに向かうセナ。


「セナ?」


首をかしげる立夏。


「取り戻さなきゃ。2年間みんなが守ってくれたバームも、私が眠り続けた2年間も…一つも無駄じゃないと、証明してみせるよ―――」


そう言うと、パソコンのキーボードを叩き、いくつものデータを照合させ、組み合わせていく。その様子を、顔を見合わせて見つめる立夏と白木。


「先生らしいと言うか―――」

「全くだ…」


セナの後ろから彼女の肩を抱き、キーボードの上を踊る両手に、手を添える立夏。


「バームも大事だけどさ、俺達には立ち止まる時間も必要なんだよ?セナ。識からも体に負担をかけないよう一日の稼働時間についてきつく言われてるんだ!今日の残りの時間は俺に、セナの時間をくれないか?」


大きな瞳を見開いて驚く。一刻も早くバームを完成させたいと言い張る事を予想していた立夏は、どうやって彼女を説得するべきかと考えていたが、予想外の彼女の反応に、立夏もまた、驚きを見せる。


「そうね―――立ち止まる時間も大事…。私、立夏の話が聞きたいわ―――?私の知らない立夏の2年間の話…」


「セナ―――。そうだね、沢山話したいことがあるんだ―――」


立夏は椅子からセナを立ち上がらせると、白木に視線を送る。

こくりと小さく頷きを返す白木。


そして、セナの手を引き研究室を出た。何度も通った懐かしい図書館の横を抜け、駐車場に止めたRX-8に乗り込むと、ゆっくりと車を発信させた。


「何から話そうか―――そうだな…まずは、二年前のあの日から・・・」


ぽっかりと開いた時を埋める様に、二人は夜まで思い出話を交わした。



File:19  Conductor(指揮者)


4月 日本 ――――


『へぇ!先生、日本に来られる時間が増えるんですね』


バームの通話機能で対話を行っていたハルの楽し気な声が届いた。


「ええ、今回は1週間ほどだけど…その後は日本の方が多くなるんじゃないかしら。カリフォルニアに居ると時差の問題でどうしてもレスポンス(返答)が遅くなってしまっていたけれど、日本にいると今まで以上にリアルタイムでの対応が行いやすくなるわ。これを機にハルが感じているバームの改善点や不服な点は遠慮なく教えてくださいね」


『分かりました!といっても、特に今は不都合ないんですけどね』


BARMI(バーム)―――Brain- Augmented Reality machine Interfaceはセナが研究を進めるBMIによりAR上にソースコードを映し出す機械だ。脳と機械を直接繋げている試作機であるため、連続使用が恒久的に人体や脳にどのような影響を及ぼすかは、現時点では調査段階の不確さが残る。よって、定期的に脳波やバイタル値だけでなく、問診による情報収集を行っていたのだ。


「万が一の情報漏洩の際、ハルの身を守る為、個人情報は話さない約束なので、応えられる範囲で答えてください―――」


パソコンモニターを眺めながら、得た情報を同時進行でパソコンに打ち込んでいくセナ。カタカタというタイピング音が、バームを通してハルにも伝わる。セナのタイピングが打ち止んだタイミングを見計らって、声を掛けるハル。


『わかっています、大丈夫ですよ―――。私の事を守って頂いているのは嬉しいですが、本音は私も、ナツさんや白木さん、以前お会いしたシキさんのように、先生と直接お会いして、先生のお役に立ちたいです。先生が他の仕事をされていた期間に、私も大学を卒業し、以前より先生方の近くに住んでいると思いますし―――』


セナの意識不明の件についてだが、白木の計らいでハルに対しては“先生は別の仕事が立て込んでいる、バーム研究に戻れる時期は不明だが、共同研究者が代行する為心配はいらない”と伝えられていた。余計な心配をかけない事と、セナの特定を避けるための配慮だった。


「ハルの活躍は、ナツや白木や、代行の博士から伺っているわ!無責任な事をして、本当に悪かったと思っている―――ごめんなさい」

『いえいえ!しっかり引継ぎをされているのですから、十分に責任は果たされていますよ!気になさらないでください!』


ハルの明るい言葉に、チクリと胸が痛むセナ。


「人間は五感と言われる5つの受容器から受けた刺激を脳で情報処理しているのだけど、ハルは特に音に対する反応が敏感なようね…。アシストが得られる情報はフォースから送られる視覚情報と聴覚情報に限られるから、仕方ない面もあるけれど。戦闘中はフォースから送られる会話…つまり音情報を受け取りながらプログラミングを行ってもらっているけれど、それについて不都合は生じていないかしら?例えば……ナツがうるさ過ぎてプログラミングに集中できないとか、要らぬ情報をしゃべり過ぎだとか、言葉遣いが汚くて不快だとか―――」


終始丁寧で穏やかな物言いのハルに、立夏の荒い言葉遣いがマイナスに影響しているのではないか…それにより“音”情報が敏感となっているのではないかと推測していた。


『いえいえ、大丈夫ですよ!ナツさんの話し方は、色々と参考になります…』

「参考?聞き捨てならないセリフだけれど、どういう事かしら?」


ハルはバーム越しにクスクスと笑いながら答えた。


『昔、先生がおっしゃってくれた―――心と体の相関性の話です。あれから私、自分を強く見せようと“フェイク”を実行しています。現実世界ではなかなか難しいので、先ずは今流行りのMMORPGの中の自分を、“強く”振舞っているんです。ゲームの中の私は、強くて乱暴で…とても先生方にお見せできる姿ではないのですが。それでも、私はそんなゲームの中の自分を気に入っているんです。ゲームみたいに強くはなれなくても、現実世界の私自身が、今よりずっと強くなれる様に―――。いつか、フェイク(作られた嘘)が現実になるように…って』


そう言えば、セナが目覚めてからのハルは以前よりずっと自信に満ち溢れていた。時々言葉使い崩れる事も見られる程だ。

2年前、自らが蒔いた“種”が、誰かの心に宿り育っている。

セナの目指すStern Baum(星の木)が少しずつ形を成してきている事が嬉しかった。


「なれるわ―――ハルなら、きっと」

『有難うございます、先生』

「でも、ナツやシキの言葉遣いは、あまり参考にしちゃだめよ―――!」


苦笑いするセナ。せっかく丁寧な物言いをするハルに立夏達の荒れた言葉遣いをまねして悪影響を与えるわけにはいかない。


『あはは!ちなみに先生は、どちらの方がお好きですか?』

「どちら…というと?」

『自信家で気の強い男性と、丁寧で優しい男性―――』


「あら?私、リアルで女性だと言ったかしら?言葉遣いは幾らでも演技できるわよ?」

『フフッ!以前、白木さんが言っちゃいましたから!“スカート履いて足を挙げると、目のやり場に困る”って』


(………そう言えば、言われたわね)


2年も前の事だが、覚えていたのかと感心するセナ。頬杖をついて、思考を巡らせる。

「そうね、ハイブリットかしら」

『ハイブリット(良いところ取り)ですか―――難しいですね』

「優しさは、強さだと思っているわ。本当に優しい人は、強くもあり、誰かに対しても丁寧で優しくできる。それに…私は女として可愛げは無いけれど、ちょっと強引にドキドキさせてほしいと言う人並みの乙女心は、持ち合わせているもの。」

『フフッ!良い事を聞きました!参考に、させて頂きますね!』


クスクスと笑うハルに「何の参考にもならないから」と遮った。




「先生!大変です!!」


研究室で脱線の多い問診?を行っていたセナの元に、白木が血相を変えて飛び行ってきた。バームを被りデータを打ち込むセナの姿を見て一瞬戸惑う。


「っっと!ヒアリング(問診)中でしたか―――、いえそれどころでは・・・実は大学構内にウイルスが出ている恐れがあるんです!」

「学校内に?」

『本当ですか?!』

「ハルさんと連絡が取れたなら話が早い…あとはナツさんに連絡を取ります―――」


慌てた様子で白木が携帯電話を握る。


「ナツは確か一日オ………surgery(手術)が入っていたはずですが」

「あ~もう、最近ますますあの人捕まり難くなりましたよね」


頭を抱える白木。


「………では、ナツと連絡が取れるまでの間、私がフォースを代行しましょうか?」

『えっ?!』

「ダメです」


人差し指を立ててニコリとほほ笑むセナに、間髪を入れずに返事する白木。


「貴女の事は、シキからもナツさんからも目を光らせておくようにと重々に言われているんですから…」


手間のかかる子供のお守を押し付けられたかのように、頭を抱えてため息を見せる白木。


「偵察よ!ナツが来るまでの間現場の情報収集を行うわ!それ以上はしないから、ね?“お願い”白木―――」


両手を合わせ、祈るようなしぐさを見せるセナに、口元を引きつらせ、白木は一歩身を引く。


「ったく……“あの頃”はただのガキだったくせに。一体どこで“そういうの”を覚えてくるんだよ」


くしゃくしゃとセナの頭を掻き乱すと、「現場を覗くだけですからね」と釘を刺し、研究室のドアを指さした。


「ありがとう!白木!」

「そういう事で、バディと連絡が取れるまでの間、先生のお守をお願いします…ハルさん」

『お…お守ですか?』「酷いわ!白木!!」


グローブを両手に身に付け、伸縮性のステッキ型デバイスを二本、左手に握ると、大きく深呼吸するセナ。


「Force Program、link on!」『Assist Program ―――link on』


セナは白木の誘導の元、構内に現れたと言うウイルスの現場に向かった。


「念のため、周囲の学生は避難させこのフロアは立ち入り禁止としています」


白木に案内された“現場”を見て、呆気にとられるセナ。


「学内に現れたウイルス…と聞いて、てっきりメインコンピューター室や重要機密研究室などを想像していたのだけど―――これは」


そこは、室外への完全防音と“音”の良さを最大限に反響・表現できるよう緻密に計算された造りを持つ、聖倭大学が誇る様々なミュージックホール。各種有名なコンクール会場や、音楽学科の学生の合同練習に使われる事も多く、文化祭などでは一般開放もされている。

室外に対しては完全防音の為、ホールのドアを開けるまでは中の惨状に気が付かなかったセナだが、ホールの二重扉を開いたとたん、中に置かれた楽器達が一斉に音を立てて不協和音を奏でていた。


「数日後に発表会を控えているらしく、今日も合同練習を行う為にやって来た学生がホールのドアを開けるとこの状況だったようです。こちらにある楽器はリモート合奏に対応する為全て電子制御システムが施されています。そこを狙われたようですね」

『これでは、まるで指揮者のいない演奏会です……』


バームの音声拡張システムを調整し、外部音声の入力値を高く設定したハルが苦笑いをする。フォースシステムを起動しているセナの視界にはそれぞれの楽器の周りに黒いソースコードが蠢く状態が確認できた。


「発表会前の大切な時期にこの状態じゃ…学生さん達が満足に練習できない。犯人の目的は、発表会を潰す気かしら?!」

「それが動機なら、随分子供じみた発想ですけどね」


白木もまた耳を抑えて苦笑いする。


「ハル、防御プログラムをくれる?」


『分かりました…でも、私達の目的はあくまで偵察。ナツさんが来るまではここで待機のはずじゃ―――』


嫌な予感を浮かべながら、苦笑するハル。


「ここはフィールド内、偵察においてもいつアライドが来るか分からないでしょ?」

『分かりました……Pass code、Strong shield』


とりあえず納得したハルの声に合わせ、セナの上空を碧色の鳥の形を模したソースコードが舞う。そのプログラムを視線で追うセナ。


「綺麗……」

『汎用性のあるシールドは、一部の特化型のウイルスには効きません。基本は避けてくださいね』

「分かっているわ!じゃぁ”調査”を開始するわ…先ずはアライドの有無とタイプ、そして元凶となる楽器を探すわよ」

『えっ?』

「やっぱり―――」

「フォースが到着するまでの”事前調査”よ!」


白木が止める間もなく、ホールの中央に走り出すセナ。


「だから連れて行くの、嫌だったんですよ!貴女が大人しく”覗くだけ”で済ませてくれるわけないと思っていたんです!!!」


半ばやけくそに叫ぶ白木を他所に、ホール中央まで歩み寄るセナを認知した黒いソースコードの塊は、集合して形を成す。

黒い塊のアライドに対し、左手に握ったステッキを振り下ろすセナ。

中央を引き裂かれたアライドを形作るソースコードの一部が、ステッキに吸い込まれる。


『アライドの攻撃パターンは読めません。気を付けてください、先生!!』

「分かっているわ!」


2本持ち込んだステッキを両手に構え、動かぬアライドを幾重にも切り刻む。


「何よ……反撃してこないじゃない?」


一方的な攻撃を重ねるセナの言葉に反応するように、アライドから黒い塊が伸びる。右手で切り払い、左手でソースコードの線を切り離す。


「あら、怒らせちゃった?」


黒い塊から分裂するように、小さな固まりがいくつも生まれ出る。


『先生、離れて!』


ハルの言葉に、本体のアライドから距離を取るセナ。分裂した小さな固まりは、セナに向って飛びかかった。多面同時攻撃―――セナの視界を共有するハルは息を呑む。


『先生!!』


そんなハルの心配を他所に、2本のステッキを構え、器用に固まりに一つ一つに当てていくセナ。


「所詮、データで出来た攻撃には質量がない。多面同時とはいえ、直線的で且つ飛翔スピードが一定の攻撃ならタイミングを合わせて当てられなくもないわね……」


その様子に呆気に取られるハル。


『…………意外でした。先生、動体反射速度が良かったんですね』

「私の場合は、経験則に基づく予測反応速度―――かしら」


『経験……(って、なんの?)』


「まぁ、それは兎に角…これじゃぁキリがないわね。体力には自信がないのだけど―――」


飛んでくる攻撃を予測し、ステッキを当てていくセナだが、2年間の昏睡明けで元々の基礎体力がない彼女にとって、単調とはいえど際限のない攻撃にさらされ続けるのは厳しいものがあった。


『先生から送られてくる莫大なアライドのデータを解析しています。印象としては、かなり稚拙なプログラムですね。でも、2年前のような事があってはいけませんので、念を入れた完全破壊を目指します。』

「そ……そう」


ハルの気合に入りように、押し負けするセナ。


『そう言えば、現場で鳴り響く楽器達の自動演奏ですが……』


セナはハッとし、耳に手を当てる。先程まで行っていたバーム被験者モニタリングで、ハルは特に”音”に敏感だというデータが得られていた。これだけの不協和音の中に連続的にさらされる事は、かなりのストレスを与えてしまっているのではないかと心配する。


「ハル!バームの音声拡張システムを調整し、外部音声の入力値を低く設定していく方が良い」


今更だがと反省するセナに、『大丈夫です』と軽く回答するハル。


『一聞するとメチャクチャに演奏されているようにも聞こえますが、一つ一つの楽器はちゃんとしたメロディを奏でているようです。リズムと表現とタイミングが噛み合っていないだけで―――』

「へぇ!」


セナの耳にはメチャクチャな演奏に聞こえるが、同じ”音”を聴いているはずのハルには、ちゃんと旋律が見えているようだ。

クスクスと笑いだすハル。


『まるで、寄せ集めユニットの私達の様ですね』

「……私達の、よう?」


問い変えす、セナ。


『はい、個々の能力は高いはずなのに、なんだか噛み合わなかったりするんです!』


セナの不在にしていた2年間を思い返すハル。総指揮(コーディネーター)は白木が行っており、確かに大きな不都合を生じたわけではないが、どこかちぐはぐしていた感は否めなかった。それはやはり、このプロジェクトリーダーでもあるセナの存在が欠如していた事による弊害であろう。このプロジェクトは、彼女の目指すStern Baumに共感した寄せ集まり…。個々の星の輝きがどんなに強く美しくても、主幹がなければまとまらないのだ。


このホールに鳴り響く騒音も同じ。個々の楽器の音色がどんなに美しくても、調和をもたらす指揮者がいなければ”不協和音”となってしまう。


『Pass code、Sound wall shield 』


ハルの声に反応し、セナの周りに碧いソースコードが壁を作る。


「これは?!」

『今回のアライド専用の、シールドです。あれだけソースコードを回収できたら、対ウイルス用のシールドが出来てしまいます。そして、

Virus destruction Program ―――私達の指揮者は、貴女です…先生』


セナの両手に握られたステッキに碧い光が舞う。

増殖し、飛んでくる黒い塊は碧シールドに阻まれ、セナの身体に到達する事なく消滅する。これなら、ワクチンプログラムの移植だけに集中する事が出来る。黒いソースコードを辿り、数ある楽器の間を抜けていくセナ。


『元凶は、あのピアノですね―――』


ハルの指示で奥へと足を進めるセナ。

ハルの指摘通り、黒い線はピアノに集まっていた。ピアノの前に立ち、左手をかざす。


「チェックメイト、ね」


幾重にも伸びていた黒い線は、碧く塗り替えられていく。そして、一つ…また一つと音が合わさっていく。重なった音はメロディを奏で、やがて一つの曲になる。

リズムやタイミング、音の調和をとることができれば、楽器はこんなに素敵なオーケストラを奏でる事が出来るのだ。


白木の連絡を受け、手術の合間に駆け付けた立夏が、ホールのドアを開けた。

碧く染まるソースコードの枝と自動演奏で美しく奏でられるオーケストラに、安渡のため息を落とした。


「なんだ、俺の出番は無いようだな―――」

「ご足労、有難うございます…今しがた、先生とハルさんが事件を解決されました」


ホールの出入り口に待機していた白木が、苦笑いを浮かべる。

バームプログラムをリンクアウトさせたセナが、立夏と白木が待つ出入り口に戻ってきた。


「偶然、今回のアライドとは相性が良かったから、無事に終えられましたけど―――もうこんな無茶は許しませんからね!」


白木の小言が研究室に戻るセナの背中をチクチクと刺した。


「……はぁい」


遠慮がちに返事をしてみせるが、彼女の表情はとても生き生きとしており、どこか楽しそうでもあった。その様子に、ため息を見せる白木。


「これは、解っていませんね…」

「仕方ないよ、その為に、俺達がいるんだから」

「まぁ、そうですけど…」


セナが、彼女らしくいられるように。

この空に、何処までも高くそびえる星の木を完成させられるように

フォローする―――


それが、自分達”大人”の役目なのだと。



File:20  AQUA NIGHT ONLINE (回想記)


Massively Multiplayer Online Role-Playing Game―――


1977年にCAI(コンピューター支援教育)の応用から生まれたゲームは、もはや一つの世界といっても過言でない。

パソコンや家庭用ゲーム機をオンラインでつなぐことで、ホストコンピューター側に作られた”もう一つの世界”に自分を投影するキャラクター(アバター)を置き、RPGゲームをよりリアルに楽しめるようになった。


1990年中盤以降はインターネットの普及により、より緻密で美しいグラフィックや戦闘システムを強化したゲームが数多く登場し、チャットシステムにより大規模多人数が文字通り“繋がる”事が可能となる。

課金制度を取る事で一つの商業サービスの形として、各メーカーがこぞって技術を競い合ったことも後押しし、今日までその技術の進歩は目覚ましく、実に様々なゲームが生み出されてきた。


一方で、兼ねてから進められてきたBMI(ブレイブマシンインターフェーズ)研究の飛躍的な進化と開発により、脳への直接的刺激を感覚刺激と融合させることで五感をオンライン上に移行させ、かつては不可能と言われたVR(仮想現実)世界にあたかも実在するような感覚を得ることが、可能となった。


 一部の科学者からは恒久的な脳への影響や、現実世界に残された身体状況への影響などが危険視されたが、夢にまで見たRPG世界を全身で体感できるその不可思議な感覚を求めた多くのユーザーに支持され、VR機器を使ったゲームは次々と開発されるようになった。


自分じゃないもう一人の自分が、現実世界(リアル)の自分には出来ない動きや表現を実現してくれる。祖父母の家から通っていた大学を卒業し晴れて社会人となるも、学生時代から続くトラウマにより引きこもりとなっていた春間碧もまた、そんな魅力に取りつかれたプレイヤーの一人だ。


数年前、大学時代に知り合いの伝手で紹介されたBARMIプロジェクトのリーダであり開発者の科学者から言われた一言


”自信のある態度は脳のホルモンに作用し、心や気持ちまでも変えていく。今はフェイク(作られた形)かもしれない、だがそれはやがて本物の自信になる“


自分に自信が持てない…ここぞの時に足が竦んでしまう。そんな自分を変えたくてMMORPGの世界に興味を持った。


「バームプロジェクトの事は、一応極秘扱いと言っていたし、同じハンドルネームの”ハル”を使うのは良くないよな―――さて、どうしようか…」


新しく始めようとインストールしたVRMMORPGの説明画面をパソコンで読みながら頭を悩ませる碧。

ふと、彼女の言葉が蘇る。


(椅子にもたれて、天井を向く。両手は椅子にかけ、両足を開いて机の上にのせ―――”偉そうなポーズ”のまま二分じっとする………)


「・・・・・・・・・・・・」


時計の針が、2分を刻む。

両足を勢いよく降ろし、VRゲーム機器を装着した。


「あーもう、なんかめんどくせー。名前なんて何でもいい…強くなりたい、それだけだ」


こうして、碧はInsideTraceUnitでのアシストを務める傍らで、MMORPG【AquaNightOnline】にのめり込んでいた。


 海深くに巣食うラストボスのポセイドンを倒すためのRPG。一般的なHPゲージの他、時間経過で減少するエアライフというゲージにも気を配らなければいけないため、バディを組んで攻略をして行くのがセオリーだった。


深海と同化するこの碧色の髪のアバターは、俺であって、俺でない。ゲームの中では、何だってできる、強い自分でいられる―――碧はそう思っていた。

だが、普段からコミュニケーションが上手なわけではない。顔の見えない文字や音声のみの通話では話せても、面と向かい瞳を見て話すとなると、言葉を上手く選べず、強くあろうとするあまりに人を傷つけた。


なんでもいいとランダムで選んだ碧のアバターは、このゲームでは【火・土・金・水・木】と5つある属性の中でも、希少種とされる水属性。

そして偶然見つけたレアアイテムにより、バディを組まずともエアライフ値に余裕があり、気づけばソロプレイヤーとしてその悪名を轟かせてしまっていた。


他プレイヤーから恐れ嫌煙される存在。その創り上げられたイメージ(期待)に沿おうとプレイヤーキルや強奪を行った。現実世界では決してできないだろう美しい異性プレイヤーを傍に置くと、またもや創り上げられたイメージが風に乗り広がり、誰が呼び始めたのか”海賊王”という二つ名が出来ていた。

それが拍車をかけ、風変わりなプレイヤーが物珍しさを求めて寄ってくる。嘘にうそを重ね、何が本当なのか、自分自身さへも分からなくなる。



(こんなはずじゃなかったんだけど…)


昔から、諦めは早かった。実のならない事に費やす時間は無駄だと理由を付けて、自分が傷つかない道を探し選んできた。思い通りにならないゲームに飽きてきたそんな時、文字通り空から降ってきた藍白色の髪をした、水属性のプレイヤー。

初期装備で上級プレイヤー用フィールドに一人で降り立ち、群がるサメの大群の鼻頭を素手で殴っていく少女に、興味を引かれた。可愛らしいアバターに似合わず、強い意志を秘めた瞳をした彼女は、アオイが出会った他のどんなプレイヤーとも異なっていた。


彼女の事を知りたいと追いかければ追いかける程、距離を取ろうとする少女。名前も教えず、バディも組まず、ただ何かと必死に戦っていた。

InsideTraceUnitでの経験が、碧に”彼女は危険だ”と悟らせる。だが、危険だと思えば思うほど、彼女への興味は強くなる。


彼女の事を知りたい―――

彼女の傍に居たい―――

彼女を助けたい―――

彼女を守りたい―――

愛したい・・・


気が付けば、現実世界との境界を失うほどに、その少女にのめり込んでいた。

強くなりたいと思い始めたMMORPGで、やっと強さ以外の目的を見つけたのだ。

誰かを救いたい…彼女を、諦めたくない、と。


彼女との出会いが、それまでソロプレイヤーを貫いてきた碧に共闘を教えた。

同じ目標に向って仲間と共に戦う事の楽しさと、チームの中で求められる自らの役割、仲間に背中を預ける心地よさを知ったのだ。


(強い武器を振りかざし、強い敵を倒す事が”強さ”ではない。

これが、あの時先生が言っていた”強さ”なのだろうか―――)



File:21  決断


2026年 4月

InsideTraceUnit projectは大きな過渡期を迎えた。


各国で多発するサイバー犯罪と、それを阻止しようと画策していたInsideTraceUnitの動きはもはや秘密裏に行える範囲を逸脱し、広く世間の注目を浴びるようになった。

彼等を英雄だのヒーローだの崇めて支援する人々が出てくる一方で、InsideTraceUnit対策を施したサイバー犯罪が緻密化かつ巧妙化され、アライドはより凶暴性を増し、各国で対策を講じるInsideTraceUnit projectの対策は追いつかず、寧ろ後手に回りだしたのだ。


今や有名となったInsideTraceUnitの名を使った”インサイドトレース”というAR(拡張現実)機能を使ったMMORPGまで出てくるようになった。プロジェクトと同じようにフォース(実働部隊)とアシスト(プログラマー)の二人一組以上のバディが各地に現れるARボスと戦うと言う趣旨のゲームで、英雄化されたInsideTraceUnitの人気も後押しし、アメリカを中心に爆発的なヒットを得た。


ゲームを応援すべくスポンサーも表れ、ボス戦では高額な懸賞金がかけられるようになり、それを目的としたプレイヤー達の間で暴力事件が発生したりと、サイバー犯罪対策課は要らぬ対策にも追われる事となる。



カリフォルニア セナ研究室――――――


「どうして”ゲーム”で暴れるプレイヤーの対応に追われるんだよ」


赤い屋根のその家内に、識の不機嫌な叫び声が響いた。とばっちりを受けぬようにとそくさくと彼の傍を離れた犬型BMIマシンのポラリスが、セナの足元に逃げ、すり寄る。


「ゲームプレイヤーに軍関係者やプロのプログラマーが参加し、傷害事件が多発していて警察でも手に負えないらしい。」


壁にもたれて腕を組む白木―――いや、ここでは演技する必要もない為、素の姿を見せるアルグレードが説明する。


「そんなのゲーム配信会社を突き止めてサービス停止させた上に多額の補償金を支払わせてやればいいじゃないか!」

「それが、無料配信されていて配信者が不明。何度か規制をかけたがまた直ぐに配信再開されたうえに、ゲーム自体が厳重なプログラムによって保護され、配信の規制すらできなくなっちまったみたいだぜ?」

「………お偉いさんたちは一体何やってんだよ?給料返せよな!!」


「落ち着いて、識」


珈琲を飲みながら、セナが静かに諭す。


「……お前は、落ち着き過ぎだと思うぞ?」

「仕方がないでしょ?有効な対策手段が見つかるまでは、水際対策するしか手がないのだから。元はと言えばラボの先輩に舞い込んだ以来だけど、幸い、インサイドトレースゲームのARプログラムコードは私の開発したバームに相互性があるらしいし、手伝えなくもないのだから。」


セナの座るソファーの背もたれに片手を付け、壁ドン…ならぬソファードン?をして威圧する織。


「だからと言って、わざわざ自ら危険に足を踏み込まなくてもいいだろう…ただでさへお前、巻き込まれ体質なのに―――」

「わざわざ威圧しなくったって、素直にセナが心配だと言えばいいだろう?識」

「お前は黙ってろ!」


横から要らぬ口を出すアルグレードを睨む。

セナは慌てることなく珈琲をソーサーに戻し、識を瞳を捕らえる。


「先日、インサイドトレースゲームで初めての、昏睡患者が出たそうよ」

「昏睡、患者―――?」

「そう。バームもそうだけど、インサイドトレースには、ARを可視化させるために脳に直接電気刺激を送り込むゲーム機械を使用している。勿論、微量な電磁波に脳破壊が行えるエネルギーを発生させることは不可能と思われているけれど、過去に何例か、機械をブーストさせることで脳にダメージを負わせた症例がある。今回も、それが原因ではないかと言われているらしいわ」

「………機械をブーストさせるように、ソースコードが書き換えられた恐れがある…と、いう事か?」


ソファーから手を離し、顔をしかめる織。


「そう。だから、調査が必要なの…ソースコードを可視化させる事が出来る” Brain- Augmented Reality machine Interface”… BARMI(バーム)という武器を持った、私達が―――ね」


すっとソファーから立ち上がるセナを、識は視線で追う。


「どこに行く気だ?」

「識が、ダメだと言っても私はこの調査を行うわ。私には…責任がある」


(だからそれは、お前の責任じゃない―――)


何度言っても聞き入れないだろうとため息をついた識は、二階に上がろうとするセナの腕を握って引き留めた。


「わかった。今回の調査は俺がする……だから、セナは現場に出ずにバームのメンテナンスを行って俺をフォローしてくれ」

「……識?」

「お前はもう、”やり過ぎた”。これ以上はその心も体も壊しちまう。世界を見せると約束したからな―――こんなところセナにで壊れられると、”俺”が困るんだよ」


「――――――私はまだ・・・」


(まだ、戦えるのに―――)


顔をしかめて否定するセナの言葉を、もたれかかっていた壁から背を離して遮るアルグレード。


「その条件なら、俺も協力するぜ?今回の“ゲーム”の敵はアライド(データ)じゃない、生身の人間だ。噂によると軍関係者がフォース(実働部隊)を務めてるそうじゃないか…?運動神経悪そうでひ弱なセナにフォースが務まるとも思えないし、そもそもお前まだまともな武器プログラミングなんてできないだろ?」

「………うぅっ―――」


正論過ぎて反撃できないセナは、口を紡ぐ。


「こうなりゃ、日本からアイツも呼べばいいさ!」


ウインクするアルグレード。


「「アイツ?」」


声をそろえて顔を見合わせる織とセナ。


「運動神経抜群の独身で身軽で暇そうな脳神経外科医!」

「――――――立夏か?!だがそうだとしても、俺にはフォースをしながら立夏のプログラムまで手が回らないぞ?」

「だったらもう一人、適役がいるだろう?身軽で暇そうなプログラマー」

「「???」」

「まぁ、”私”に任せなさい!」


再びウインクすると、アルグレードはひらひらと後ろ手を振ってラボを出て行った。



後日、訪日したアルグレードは再び白木の名を使い、適役と名を挙げたプログラマーを都内のカフェに呼び出した。


「いやぁ、貴方が横浜にお住まいで助かりました―――都内と関西を往復しなければいけないところだったので。」

「……はぁ。それで、わざわざお会いしてのご相談とは?」


黒髪にすらりとしたスーツ姿の、今時珍しい真面目そうな青年は、にこにことほほ笑む白木の前に、鞄からノートパソコンを取り出した。白木からの面会という事は、おそらくバームプロジェクトについての相談だろうと予測した”ハル”こと、春間碧はパソコンを立ち上げる。


「いえいえ、今日はプログラミングの話ではないんです―――いえ、ハルさんにプログラミングをお願いしたい事に変わりはないのですが、”今ここで”ではないんですよ」

「…といいますと?」


要件をその場で打ち込んでいこうとした碧の手が止まる。


「InsideTraceUnit projectは新たな局面を迎えました。フィールドはアメリカ、デバイスはARゲーム。これまで以上に緻密で策略的で即興を要するプログラミングが求められます。ハルさんに、アメリカに来ていただきたいのです」

「アメリカに―――?」


目を見開く碧。とはいえ、社会人になってSEやプログラマーとしての仕事も幾つか任されている碧にとって、急にアメリカに来いと言われても即答は出来ない。そんな彼の事情を察した白木はメモリーカードを差し出した。


「折角パソコンを立ち上げて頂いたのですから、概要はこちらでお話ししましょう。」

「・・・・・・・・・」


メモリーカードを受け取ると、パソコンで開き、確認する碧は、二度目を見開く。


「これは――――」

「これが、今アメリカで起こっている出来事です。そしておそらく、これらの火の粉は違いうちに日本や、世界に降りかかるでしょう。そうなれば、世界のインターネット社会は崩れ去ります」


パソコンをスクロールさせながら、映し出された文面の細部に目を通す碧を、じっと見つめる白木。彼には確信があった、目の前の真面目な青年は必ず、YESを言うと。

詳細データに目を通し終えた碧は、メモリーカードを抜き取り、白木に返す。


「………これが、”先生”のご意志ならば―――喜んでお手伝いさせて頂きます」


ニヤリと口元を綻ばせると、白木は右手を差し出した。


「リアルでの接触を依頼する限りは、我々は全力を挙げて貴方の身の安全を守ります。ですが、これまで以上に危険な任務だと言う事は、ご理解ください」


碧は「解っています」と小さく頷き、白木の右手を取った。

それを確認し、再びニコリとほほ笑むと碧のメールに飛行機の予約券を送りつけ、立ち上がる。


「出発はその日取りで―――。急がせて申し訳ないですが、それだけ事態は急を要します。向こうでの生活は先生のラボを拠点として動きますし、日常生活に必要な物品はあちらでご用意いたしますので、何なりとお知らせください」

「分かりました、有難うございます―――あの、白木さん……」

「私はこれから、貴方のフォース…”ナツ”さんの説得に行ってきます。おそらく、ナツさんの方は即答でOKされるでしょうが」

「なぜ、分るのですか?」

「ナツさんは、”先生”にご執心ですから!向こうに着いたら、ハルさんにも先生やナツさんを紹介しますね」


そう笑うと、ペコリと一礼してカフェを出た。

その背中を見送る碧。


(……このBARMIを設計し、SternBaumの理想を掲げる憧れの先生に、ついに会える―――)

碧は期待に胸を躍らせた。


そして数日後、指定された飛行機に乗り込み、単身カリフォルニアに向う碧。

この日までにやるべき仕事は多かった。家族への報告を済ませた後、抱えていた仕事のクライアントに事情を説明し、暫く知り合いのプログラマー引き継いだ。アメリカでも行える仕事については、打ち合わせ等をリモート対応としてもらう事で調整が出来た。

元々パソコンとインターネット環境があればある程度引きこもってでも行えていた為、大した問題が生じなかった事は、幸いだったと言うべきか…。


唯一の気がかりは、MMORPGで出会った年下の少女の事。

偶然というべきか、運命と呼ぶべきか―――現実世界で彼女と再会した碧は、彼女に対する恋心を今だに消せずにいた。


(渡米の事を言うと、心配させるだろうから―――落ち着くまで黙っておこう)


窓の外に広がる雲を見つめながら、あれこれと想い人の事を考える碧。


こうして再び人を好きになれた事も、自分でも驚きの行動力を見せ渡米を決断できたのも、全部バームという世界を教えてくれた”先生”のおかげ。


(会ったら、先生にお礼を言わなきゃ…な)


瞳を閉じ、これから忙しくなるだろう新たな生活を思い、フライト時間に暫しの仮眠をとった。



File:22  Reunion(再結成)


入国手続きを終え、到着ロビーに着いた碧は、携帯電話の設定を国際モードに変更しながら辺りを見渡す。


(確か、白木さんが迎えに来てくれるって―――)


周囲には、迎えを待っているだろう何人もの日本人が同じように辺りを見渡していた。何となく居心地の悪さを感じた碧は待合の長いすに腰を落とす。

すると、二つ隣にドスンと乱暴に腰を落とすサングラスの男が、しきりに時計を気にしていた。


(……なんか怖い人来たし――――白木さん、早く来てくださいよ…)


心の中で祈る碧。


「Hey Japanese!Tourism? Shall we show you?!(やぁ、日本人!観光かい?俺達が案内してやろうか?)」


突然かかる声にはっと顔を挙げると、見知らぬ男が2名、碧を囲っている。


(そして変なのも来たし―――)


「That's fine. I………(結構です、俺は……)」


どうにか穏便に済ませようと手を振る碧の腕を、一人の男が掴み、強引に立ち上がらせる。


「He's with me.(こいつは俺の連れだ)」


とたん、隣に座っていた知らないサングラスの男が、碧の腕を掴む男の腕をがっしりと掴み、力を込める。


「What?(なんだ?)」


舌打ちし、睨むサングラスの男に、何でもないよと立ち去っていく男達。


(助けて…くれたのだろうか――――)


「あの、有難うございます―――」


ペコリと礼する碧を、サングラスを外した男はめんどくさそうに睨んだ。


「お前も、言いたい事はガツンと意思表示しろ!だから日本人はと舐められるんだ!」


雰囲気も言葉遣いも怖いが、サングラスを外した彼はすらりとした長身と、モデルのお忍びかと思うほど綺麗な顔立ちをしていた。じっと見つめる碧に顔をしかめる男。


「何?」「あっ、いえ…すみません―――」



「あっ、いたいた!すみません遅くなって!!」


向こうの方から手を振る白木に、ほっと胸を撫で降ろす碧の隣で再び舌打ちし、「遅いぞ白木」と不機嫌を露にするサングラスの男―――


「「えっ?」」


思わず顔を見合わせる二人―――


「あれ?二人とももうお揃いだったんですね!”ハル”さん、”ナツ”さん!」


「お前がハル?!」「貴方がナツさん?!」


互いに指差し驚く姿を、くすくすと笑いながら見ている白木。

偶然とは、恐ろしいものだ。これまでずっとバディを組んでいたと言うのに、互いの顔を知らなければこんなふうに驚くこともあるのだと。


「では、このついでに紹介しちゃいますね!こちらが、アシストして下さっていた”ハル”さんこと、春間碧さん」


再びペコリとお辞儀する碧。


「なんだ!やっぱり男か」

「え?女だと思っていたんですか?」


問い返す碧に、少しだけ表情を綻ばせ、首を横に振る、サングラスの男(?)立夏。


「いや、一度だけお前、一人称が”俺”になった事があったからな。薄々気付いていた。まぁでも、イメージ通りの好青年で安心したよ」


そう言って右手を差し出す。


「で、こちらはフォースをしていた”ナツ”こと牧野立夏さん」

「これからよろしく!ハル……いや、もう碧と呼んだ方が良いか」

「よろしくお願い致します、立夏さん」


碧は差し出された右手を握り返した。


「では、私達のラボへご案内しましょう!碧さんは、先生のラボは初めてですしね!」


そう言って車に案内すると、住宅地の一角にある、一見では普通の民家にも見えるセナのラボに向った。車内では、立夏が興味深げに碧に対し矢継ぎ早に質問を重ねていく。


「そんな急いで質問攻めにしなくったって、これからゆっくり互いを知っていけばいいじゃないですか!」


苦笑いの碧を庇う様に、白木はフォローを入れるが、立夏は全く聞き入れる様子はない。


「いやだって、気になるだろ?!なぁ?碧」

「あはは……」


(気に…なるけど―――怖いです)


車内では終始立夏に圧倒される、碧だった。


そうそうしているうちに車は街中を抜けてラボに到着した。


「これが、先生のラボですか―――」

「どうした?」

「いえ、何か静かで…”研究室”のイメージと違うと言うか……」


戸惑う碧に、ニヤリと口を綻ばせる立夏。


「イメージだけで考えていると面食らうぜ?なんだってバームプロジェクトのリーダーである”先生は”・・・・・・」


車から荷物を下ろしていると、家の中から黒髪の男と黒い毛並みの犬、そしてこの洋館の見た目にふさわしい精巧に作られた人形のような茶髪の少女が出てきた。

少女の姿を見て、固まる碧。


「13で大学博士課程を卒業後、15でこのプロジェクトを任された脳科学界の若きダークホース―――」


立夏の説明が終わらぬうちに、碧の口から彼女の名前が零れ出る。


「………セナ―――?」


少女もまた、大きな瞳を一層見開いた。


「碧?!」



「なんだ?お前ら知り合いだったのか?」

「………ええ、ある事件で助けて貰った命の恩人よ」


隣にいる男、識が問うと、驚いた表情のセナは答えた。


「知り合い?日本でのか―――」

「それは、初耳でした……」


立夏とアルグレードもまた、セナと碧の顔を視線で往復させる。


「セナが”先生”?ずっと前から…会っていたのか?」

「”ハル”が―――碧だったの?」


「・・・・・・まぁまぁ、積もる話は中で―――」


固まる碧や立夏の背中を押しながら、家の中へと誘導するアルグレード。


家の中に入ったとたん―――


「だって、ハルはずっと女の子だって思ってたのに!!」


声を荒立てるセナに、負けじと碧も反論する。


「それはこちらのセリフだ!大体フェイクの事を教えて貰ったのも先生からだし、貴女の意見を参考に、俺はセナにアプローチしていたことになるんだぞ?!」

「それは、結果的には良かったじゃん?」

「まぁ、そうですけど―――」


あれこれと話を交わすセナと碧に、立夏と識も加わったことで余計に激化していた。

そんな彼らを他所に、キッチンでガリガリと豆を挽くアルグレード。

落ち着いたころ合いを見計らい、4人の前にスッと珈琲を差し出した。


「はい、そこまで!じゃぁさっそく仕事の話をしようか?」


先程までの優男キャラ(白木)を一変させ、言葉遣いを変えた。

その変わり様を見た立夏と碧は口を開けたまま固まる。


(やはりコイツ、猫を被っていやがった!!)


差し出された珈琲を一番に受け取り、そのアロマを楽しむセナ。


「……珈琲らしい香りね?」

「そりゃ、珈琲だからな!今日はベネズエラの深煎りだから、セナはミルクや砂糖を使うといい」


忠告を無視し、珈琲に口を付けるセナ。彼女の表情に、4人の視線が集まる。


「……………ん~ん――」


整った顔が、徐々に顰められていく。眉を顰める彼女を見て、アルグレードはクスクスと笑った。


「とても、大人な味がするわ」


(大人な味?)


識や立夏、碧も珈琲を手に取ると、恐る恐る口に含む。独特の苦みが口腔内を潤した。


「ベネズエラ産は独特の苦みが特徴の豆で、それを深煎りしているから余計に苦く感じるんだ」


アルグレードからミルクと砂糖を受け取ると、セナはカップに混ぜ入れる。


「旨いな」

「言うほど苦みを感じないが―――」

「これは、美味しいですね!」


口々に称賛する3人に、一人だけミルクを加えたセナは口を尖らせた。


「味への評価は経験値と好みだ!普段からそれ以上に苦いものを口にしていると苦みの感じ方も違ってくる…そんなところで張り合わなくても、君は君の感性のままでいいんだよ!後でセナの為にグァテマラを淹れてあげるよ」

「ホント?!ありがとう!」


すっかり話題を珈琲に奪われてしまい、先程まで激化していた話し合いの内容はいつの間にやらどこかへ消え去っていた。珈琲は人を幸せにする…強ち間違えてもいないようだ。

パソコンを起動させ、白い壁に画面を映写した。珈琲が落ち着いたところで本題を見せる。


「早速だが“インサイドトレース”の次のイベントは今週末の土曜日。その日は午前中から地元のローカルイベントがあるらしく、そのクライマックスに予定されている」


アルグレードの言葉に声を上げる碧と立夏。


「ローカルイベントのクライマックスに被せてきた?!」

「ゲームイベントなんて、もっとマイナーなものだと思っていたぜ」

「インサイドトレースは通貨還元システムが採用されている。イベント自体を広告塔に使う企業や金持ちの道楽で、メジャーな場所にかぶされたイベントの方が懸賞金が跳ね上がるんだ」


識の説明に、息を呑む。


「……………」

「知名度を上げユーザーを増やす事が目的なら、現状は哀しいかなインサイドトレースゲームの運営側の思うつぼだと言う事だ」

「ちなみに、そのゲームの懸賞金は幾らくらいなんだ?」


立夏が訊ねる。


「そうだな…イベントの大小や―――それこそスポンサーの数にもよるが、大体ボス1体を日本円換算で5万から50万位とピンキリだ」

「50万?!」


珈琲を吹き出しかける碧と立夏に、セナは静かに珈琲を飲み干した。


「土曜日のイベントはローカルイベント直後に同じ会場でという事ともあり、今まで以上に懸賞金が跳ね上がり、それを目当てに寄ってくる”プロ”達の死闘―――負傷者が出る可能性が高いと言う事ね?」

「Exactly!(その通りだ!)」


親指を立ててウインクするアルグレード。

大金を目の前にぶら下げられ、本気でそれらを奪いに来る屈強なフォースとそれをアシストするプログラマー…


「ゲームというよりむしろ、戦争だな」

「そうだ!俺達が戦う相手は、鍛え抜かれた体を持つ軍関係者や、数々のタイトルを総なめしている格闘家―――そんな”プロ”達だ。どうだ…怖気ついたか、新人?」


下を向いて言葉を失う二人に、にんまりと嫌らしく笑みを浮かべる織。


「ちなみに。この話が俺達に回ってきた時、セナは自分がフォースをすると言っていた」

「「やめとけ!!!」」


無言を貫いていた立夏と碧の声がハモる。


「まともに奴等とやり合っても勝てない。何か作戦が必要だな―――」


頭を悩ませる立夏に、碧が鞄からバームを取り出した。


「AR戦闘なら、その場には確実にソースコードが存在する。幸い俺達の持つバームにはソースコードを可視化する機能がついている…。ズルい方法かもしれないが、他のプレイヤーのソースコードの接続を切る…もしくはそこにウイルスプログラムをねじ込んで機能不全にしてからボス戦に挑むのはどうだ?」


碧の言葉に、識や立夏、アルフォードも驚いた様子で彼を凝視した。

セナは驚くことなく小さく頷きを返す。


「確かに、いい方法ね―――。物理攻撃には対処できないけれど、そのハンデをプログラムでカバーするなんて、碧らしい提案で好きよ」


(碧らしい?!)


言いようによっては反則(チート)を犯そうと言い出すのだ。

バームプロジェクトでは真面目で大人しく、正統派な碧のイメージとかけ離れた作戦の提案に驚いていたと言うのに、セナはそれを彼らしいと発現したことに二度驚いた3人。


「作戦の是非は別として、俺にはどうも”碧らしい”作戦だとは思えなかったんだが―――」


最も驚いたのは、バディを組んでいた立夏だった。納得のしていない彼らに、考え込むセナ。


「じゃぁ、言い方を変えるわ!”私の知っているアオイらしい作戦”って事でどうかしら?」

「ああ、きっとそんな感じだね」


セナの言葉に、ニコリと笑顔で答える碧。

二人だけの世界について行けていない識と立夏は顔をしかめる。


(俺達の知らない…セナを知っているだと?)


まぁ詰まるところの、単なるヤキモチなのだが。


「結局のところ雰囲気を掴めないと対処の仕方も分からないし、初陣の今回は情報収集をメインとさせてもらうよ。」


早速にと碧は武器や防具プログラムの作成に取り掛かった。


「ハルって、ああいうキャラだっけ?」

「さぁ?どれが本当の彼なのかを見極めるには、まだ時間がいりそうだな―――」


碧の態度の急変についてこそこそと耳打ちし合う織と立夏に釘を刺すアルグレード。


「二人は当日までに、体を仕上げてくださいね?」


それを聞き、腕を伸ばしてストレッチを始める織。立夏はそんな彼を横目で見る。


「体を仕上げるって?」

「当然、ボス戦の為に、だよ!リアルで殴られてもビクともしない強靭な体と他のプレイヤー達を出し抜くスピード、攻撃をひらりと交わす動体視力と運動神経!フォースにはすべてが必要だからな」

「ってか、無理だろ?!それ!!人間じゃねーって」


泣き言をいう立夏に、識は手に持っていたダンベルを渡した。


「おや?じゃぁ大人しく俺に守られとくか?立夏さん?」

「………てめぇより多くの敵を倒してやる…首を洗って待っとけ!」


立夏の闘争心に火をつける織。呆気なく挑発に乗った立夏は、片手にダンベルを握ったまま、ラボ内でそれぞれに与えられたプライベートルームのある2階へ消えて行った。


「じゃぁ、俺も自室で集中させてもらいますね!」


碧もその後を追って2階に上がる。


こうして、InsideTraceUnit―――改め、バームユニットが再結成されたのだった。



File:23 星の木ラボの日常(Rest File)


閑静な住宅街に溶け込む、赤い屋根の一軒家。


一見するとただの民家だが、屋内には数々のコンピューターや最新機器が常備されている、脳科学界の若きダークホース…セナ=クラークの研究室(ラボ)となっていた。

ラボの主な研究目的は天才科学者セナが開発を行っているBrain- Augmented Reality machine Interface…通称 BARMI(バーム)の実証実験。そして、秘密裏に行われているもうひとつの目的が、世界中で蔓延るサイバー犯罪対策に一石を投じるべくInsideTraceUnitとして活動する事だった。


そんなラボの朝は―――とても不規則。

この家の主な住人は、3人(と、1頭)。

様々な経歴を持つ寄せ集めユニットだ。



先ずは古参の九暁(くぎょう) (しき)Age:28―――。


コネとコミュニケーション能力で這い上がり、アメリカでは狭き関門と言われる心臓外科医としてカリフォルニアにある総合病院で勤務する若き医師だ。

父親が医師だったこともあり、子供のころから受けた英才教育で飛び級を重ね、医学部に進学。21歳で病弱だったセナと出会い、手術を拒否した彼女に『お星さまにも見れない世界を見せてやる』と言い、24歳で彼女の心臓デュアル形成術を見事に成功させた命の恩人でもある。

 以前は病院の近くにアパートを借りてそこから勤務していたが、最近はこのラボに寝泊まりし、ここから愛車で通勤しているようだ。自慢のヴァンケルエンジンの“本気”をセナに見せたいとドライブに誘っているが、セナは頑なに乗車拒否しているとか。

主治医と患者以上の関係を続ける織は、胸に傷が残る事を気にしていたセナに対し、『嫁に行き遅れたら俺が貰ってやる』と言い放っていたが、彼の真意は未だつかめぬままだ。



 2人目は、そんな識の良き(?)ライバルでもある牧野(まきの) 立夏(りつか)Age:28―――。


セナの父親である水月=クラークの母校でもある日本の聖倭大学の医学部を卒業し、付属の大学病院に勤務する脳神経外科医。研修医時代のアメリカ留学中、留学先の大学教授の計らいでセナと出会う。


猫を被っていた立夏だが、面倒を避けようと教授が去ると同時に本性を現し、自らが性同一性障害(GID)だと告白した。これで頭が良いだけの少女は自分を避けるだろうと踏んでいた立夏だが、意外にもセナは『あなたの事が知りたい』と立夏に興味を示した。

硬く閉ざしていた立夏の心を溶かすセナに徐々に惹かれていく立夏は、“自分を救ったのはセナだ”と彼女に執心する。GIDにより体は女性だが心は男性である立夏はセナに対する思いを、可愛い妹から、無くてはならない親友…そして、年の離れた彼女に対し密かに恋心を抱いていた。

だが識の入れ知恵から“医者になるにはコミュニケーション能力とユーモアセンスが求められる”と思い込んでいる当人のセナからは、“いつものユーモア”だとか”過保護な姉“と思われており、無邪気にハグを求めたり隙を見せる彼女に、いつも心を振り回されていた。



3人目は新参の春間(はるま) (あおい)Age:23。

セナ達との出会いは一番浅く、当初はセナの研究するBARMIプロジェクトで日本で初の臨床実験の被験者とし、プロジェクト情報と、メンバーの個人情報漏洩を防ぐため“ハル”というハンドルネームを使った匿名でInsideTraceUnit projectに参加していた。

関西の大学に通っていたこともあり、立夏やセナ達との直接の面識はなく、コンタクトは全て、総務省サイバー犯罪対策課の白木を名乗っていた男(アルグレード=ビスカム)を通して行われていた。

この度、InsideTraceUnit projectが新たな局面を迎えた事で、リスクを曝しながらもアメリカでの活動に参加を表明したのだ。自称引きこもりで、自分に自信のなかった碧だが、“先生”と呼ばれていたセナの言葉で、強くなりたいと始めたMMORPGの世界にのめり込み、乱暴な言葉遣いや強引な態度など、現実世界の自分では表現できなかった姿を“アバター”を使って発散させた。そのVRゲームの世界で出会った不思議な少女に恋し、現実世界で運命の再開を果たしていた。


アメリカに渡った碧は二度驚く。ゲームで知り合った想い人が、バームプロジェクトの開発者であり、自らに“強さ”を与えてくれた“先生”だったのだ。さて、彼の恋の行方は如何に―――。


最後は、一番の古巣でラボのマスコットキャラクターでもあるポラリス(性別:?)。

一見すると黒いレトリーバー犬に見えるのだが、中身は最新テクノロジーが惜しみなく詰めこまれた自動機械(オートマタ)だ。普段はAIプログラムにより“ちょっと賢い犬”を装っているが、専用のデバイスを繋ぎBMIアプリケーションPolarisを起動させると、ポラリスの身体を随意的に動かす事が出来、またポラリスの視界から映像情報を得て、音声情報の出入力が行えるのだ。


 ポラリスの目下の任務は家の住人たちの起床介助から始まる。2階にある個々に与えられたプライベートルームには電子ロックが掛けられているが、ポラリスはそれらの部屋の全ての電子ロックを解除する事が出来るマザーシステムを持っている。当然悪用されれば大変な事となるが、ポラリスに施されたウイルス排除プログラムは、かの有名なBMI研究者でありプログラマーでもある水月=クラークが設計している。父親に対抗心を燃やしたセナですら、未だにそのプログラムに侵入できたことは一度もない。


まぁ、そのチート鍵を使って各個人の部屋に侵入し、布団を剥ぎ落して耳元で「バウッ!」と吠えると、大抵の人間は、飛び起きる。



建物管理者であるセナ=クラークは、ラボからほど近い自宅から通勤してくる。


そして、謎多きこの男、アルグレード=ビスカム――― Age:35。

カリフォルニア州にあるViscum album(ビスカムアルバム:ラテン語で白い宿木)のオーナーマスターであり、白木という偽名でサイバー犯罪対策課にノック(スパイ)として潜入している。InsideTraceUnit プロジェクトとBARMIプロジェクトの担当者として立夏達と接触し、匿名で動いていたチームの調整役として尽力していた。識とは昔からの知り合いらしいが、互いに過去の事は語らず、その素性には謎が多い。立夏からはダブルノック(二重スパイ)の疑いもかけられているが、識が信頼を寄せる彼を、セナも信頼し、セナが信頼するからこそ、立夏や碧も仲間として動いている。


不思議な関係がここには成立していたのだ。



月に数回程ある救急当直を終え、珍しくその後の外来や手術の予定がなかった識は、ヴァンケルエンジンを唸らせ足早に帰宅の途についた。

途中、セナの家により、彼女を助手席にのせると、“いつもにない”安全運転でラボに向う。


「ただいま―――」

「だぁぁぁぁ!!もう、うるせぇ!!!ポラリス!!」


赤い屋根の家の玄関の扉を開けると、タイミングを見計らったように2階から立夏の叫び声が響いた。思わず顔を見合わせる織とセナ。


「おはよう!セナ、識」


リビングでノートパソコンを膝に置き、カタカタとプログラミング(仕事)を行う碧が、玄関で固まる二人に声を掛けた。


「碧…立夏は?」

「流石にこの時間だから、ポラリスが起しに行ったよ―――。昨日も遅くまでインサイドトレースゲームのデュエルモードで戦闘練習していたみたいなんだ。立夏、真面目だよね――」



そう言う彼もまた、昨夜は遅くまでプログラミングを行っていたのだろう。膝に置かれたノートパソコンには、画面を埋め尽くすほどのプログラムコードが組み立てられていた。


「……珈琲を、淹れるわ―――」


セナが台所に立つ。


(自分が二人を巻き込んだせいで、無理をさせているとか、またアイツ、余計な心配しているんだろうな)


台所に立つセナを視線で見守る碧と識。



ガタッ

コンコン―――


ガチャガチャ……ガタン!

・・・

ジュー…


ガリガリ

メキッ!


((・・・・・・メキッ?))


台所カウンターの中から聞こえるあり得ない音に、見守っていた二人はハテナを浮かべる。


「なんだ識、今日は当直明けじゃなかったのか?」


着替えた立夏が、ポラリスと共に階段を下りてくる。


「昨日は救急だったからな!日勤に引き継いでさっさと帰って来たよ」

「そうか―――って、セナ?!」


階段の残り3段ほどを飛び降りて、台所に走る立夏。


「何してるの?!」


フライパンを持つ手を止めるセナ。


「何って、朝食にフレンチトースト作ろうと思って―――」


((ああ。珈琲じゃなく、フレンチトーストを…。じゃぁ、先程の メキッ って何?!))


識と碧が先程までの音を振り返る。

キッチンが、急に騒がしくなる。


「あぁぁ、焦げる!火力強すぎ!セナ、焼く前にバター入れた?フライ返し逆!わぁ、折れてる!!待ってセナ!包丁の持ち方危ない!それは俺がやるから、珈琲淹れてて!」


「……入らない方が良いよな?あれ」

「そうですね、ここは立夏に任せよう」


キッチンから目を背け、ソファーに座る識と碧。


しばらくして落ち着いたキッチンから、お皿を運んでくるセナ。

少し焦げたフレンチトーストの横にフルーツが盛り付けられており、フレンチトーストは少し焦げているものの見た目は十分に食べられそうだった。

騒がしかったキッチンの様子から想像していたよりも、ずっとマシなものが出てきたことに驚く。


食卓に4人分並べられたプレートを囲み、朝の祈りを捧げる。


「「「「いただきます」」」」


「お!食える!」

「美味しいよ、セナ!」


(お前ら、手伝わずに食ってるだけだろう!)


満足そうに頬張る碧と識を不機嫌に睨みつける立夏。隣でフォークとナイフを動かすセナに、ちらりと視線を向けた。


「セナ、家でもお料理手伝ったりしていたの?」

「……母さんが料理している所はあまり見ないし…家で皆で食べる事も少なかったから」

「―――そうだったのか (どうりでか!!!)」


心の中でツッコミを入れる3人。


「もっと上手くできると思ってたんだけど…やっぱりシステムアシストがないと、難しいのね」


((料理のシステムアシストって、何?!))


立夏と識が、下を向いたままフォークとナイフを持つ手を止める。

両手を動かしながら、唯一意味を理解した碧が助言する。


「“あっち”の“料理”は回数と種類をこなすレベル制だからな…。スキルコンプリートもリアルじゃ役に立たないよ」

「……そうなのよねぇ。“向こう”じゃ綺麗に包丁回せたのに」

「それ、次からは“こっち”でやっちゃだめだよ?セナ。飛んで人に刺さって危ないから」

「気を付けるわ」


((ゲームか? VRゲームの話をしているのか?!))


意味不明な会話をする二人に、付いていけないでいる織と立夏。


「でも、助かったわ、立夏!お料理できたのね!」

「いや、料理スキルはないぞ…俺には。外食と院内食と弁当でほぼやっていけてるからな。(それでも、フレンチトースト位は作れる……)」


「織や碧はお料理できるの?」


セナが首をかしげる。


「俺も学生時代は寮食と…社会人になってからも院内食と外食ですませてたな―――アパートに小さなキッチンはついてるが、めったに使わないから綺麗なものだぜ?(それでも、フレンチトースト位は作れるはずだ……)」

「俺は実家暮らしだし、大学時代もばあちゃん家から通っていたから自分で料理する事なかったよ……(それでも、フレンチトーストは焼けると思う……)」


「……へぇ―――そう……」


口を尖らせるセナに、3人は慌ててフォローを始めた。


「俺は料理が出来ない嫁でも全然問題ないぞ!セナ」

「最近は色々便利になってるからな~。ほら、料理なんて何とでもなるよ!」

「俺も料理苦手だし、一緒に練習しないか?セナ」


3人の必死のフォローも空しく、彼女の機嫌はその日一日戻らなかった。


「はぁ?誰も料理が作れない??」


午後からやって来たアルグレードは事情を聴いて笑い出す。


「だったら、ビスカムアルバムから宅配サービスしようか?知り合い割引きで安くしとくぜ?」


識から、商売人めと揶揄されながらも、朝・昼はそれぞれ当番で軽食を作ることとし、夜は結局アルグレードの店から宅配やテイクアウトを受ける事となったメンバー。


このユニットに、料理が作れるメンバーが入るのは…もう少し後の事である。



File:24  Saturday of THE DAY


各々が対策を進める中、ついにやって来た週末。

識は何度かインサイドトレースバトルに参加したことがあったが、立夏や碧にとっては初めての対人戦闘であり、緊張が高まっていた。

朝のラボのダイニングは、ピリッと張り詰めた重い空気が漂っている。その日の朝食当番だった識は、サラダやフルーツ、シリアルを食卓に並べるものの、どう話しかけてよいのか戸惑うほどだった。


(重い……重すぎる――――。午前中はみんなでフェステバルを楽しもうって話だったのに、何だ?!この重い空気は・・・)


「Familyの一日の幸せに祈りを―――いただきます。」

「「いただきます」」


無言で黙々と食事する3人。

この空気に耐え切れない識は食事を慌てて口の中にほおり込むと、早々と席を外した。

携帯電話を取り出し、セナにメールを送る。


朝食が終わったころにはラボに来ると言っていたくせに、今日に限って遅いじゃないか。

彼女からの助け舟を待つ識は何度もリビングの時計を確認する。


1分、3分…5分―――10分…。


無言の時間が、やけに長く感じる。

リビングのソファーで識の隣に丸くなっていたポラリスの耳がピクリと動く。ソファーから飛び降りると、玄関ドアへ走る。


(セナが来た!)


待ってましたと言わんばかりに、識が玄関ドアを開けると、不思議そうに首をかしげるセナがいた。


「遅いじゃないか!」

「そう?普通だけど。何通もショートメール送ってきて…いたずらメールかと思って後半開いていないのだけど、何かあったの?」


両肩と両大腿部を大胆に露出した、重ね着したノースリーブトップにショートジーンズ、鍔の大きな帽子を被ったセナが識を見上げる。


「…………セナ?」


その恰好に、言葉を止める織。足の先から頭の先までの確認された事に気付いたセナはきょろきょろと自分の恰好を見渡す。


「やっぱり、変?」


恥ずかしそうに上目遣いする彼女に、識は片手で顔を覆い隠した。

その反応を見て、急に恥ずかしさが込み上げたセナ。


「やっぱり変なのね?!酷いわ母さん…フェステバルは皆こういう恰好をするものよって言うから!!」


(やっぱり、アリアさんチョイスか!!)


彼女が声を荒立てるのを聞き、キッチンで食器を片付けていた立夏や碧が、何事かと玄関に寄ってくる。


「どうした?」

「セナが来たんだろう?」


2人もまた、セナの“彼女らしくない”服装に、目を奪われ言葉を失う。


「~~~ッ!!!やっぱり私、着替え直してくるッ!」

「いや、待て!」


識は、玄関を出て行こうとする彼女の手首をがっしりと掴み、引き留める。


「着替えなくていいよ!そのままで十分可愛い!フェステバルらしい!(のかは、よく分からないけれど)」

「……そう?」


いまいち納得できていないセナの肩に、パーカーをかける立夏。


「でも今日は日差しが強いから、日焼け予防に上着は着とこうな」

「確かに、日中歩くなら日焼け対策必要だな…」

「そうそう、サングラスある方が便利だぞ?!」


ともあれ、セナの思わぬ格好での出現により、重い空気が流れていた屋敷内に会話が戻った。



支度を済ませた後、4人は識の運転で今日のインサイドトレースゲーム会場でもあるローカル祭りの会場に向った。既に人が集まり、屋台やイベントスペースに人だかりができている。

再び緊張した面持ちで当たりを見渡す立夏と碧。この中に、今日のゲームに参加するライバルがいるかもしれないのだ。そんな緊張感を漂わせる二人の隣で、“お祭り”の様子に目を輝かせるセナ。


「楽しそう~!!」


その様子を、口元を綻ばせて見守る識。セナを視線で見守りながら、立夏と碧の肩を叩く。


「識?」

「今日は…セナの為に、祭りを楽しんでやってくれないか?」

「…………」

「遊びに来たんじゃないって、勿論分かってる。祭りが終わったら、俺だって仕事モードに入るさ。でも、セナには……アイツにはこういう楽しい世界も見せてやりたいんだ。それにさ―――」


こそこそと話をする3人の方に振り向くセナ。


「…どうしたの?3人とも―――」

「―――いいや、何処から回ろうかと相談していたんだ!そう言えば、ビスカムアルバムもどこかでイベントスペース出しているって言ってたぜ?見つけて冷やかしに行こうか!」


「そうなの?!だから今日一緒に来なかったのね…」


セナを連れて会場の奥へと進んでいく識。その様子を見ながら、顔を見合わせた立夏と碧は、くすりと笑う。張り詰めていた緊張の糸が、ほぐれた二人。


「俺達、初戦のくせに張り切り過ぎだったよな」

「確かに…目的は偵察のはずだから、寧ろ目立つような事しちゃいけないよな」


セナと識に追いつき、立夏は前方のイベントスペースを指さした。


「射的があるぞ?!あれ、本物の銃か?」

「んなわけないだろ!エアガンでBB弾(澱粉弾)飛ばしてんだろ?」

「あれやろうぜ!負けた奴が今日の夕飯当番でどうだ?」

「良いぜ?その勝負乗ってやる!」


子供のようにイベントスペースに吸い寄せられる二人を、苦笑いを浮かべらながら後ろをついて行く碧とセナ。


「心配、かけたね―――もう大丈夫だよ」


ぼそりとセナに呟く碧。彼らの緊張の理由を知っているセナは謝罪を口にしようとしたが、


「……碧、ゴメ―――「“ゴメン”って言ったらキスしてもらうから」

「ん?!」


慌てて両手で口を塞ぐセナ。


「俺も立夏も、自分の意思で希望して、自分で決めてここにいるんだ。セナに気を遣われたら、やりにくい―――」

「ゴ…「キスするよ?」


「~~~ッッ!!」再び両手で口を覆うセナを見て、ニヤリと意地悪く笑う碧。


「今日一日、“ゴメン”ってゆったらキスな?」


“自分のせいで、立夏や碧に緊張とストレスを与え続けた”と、気を使ったセナを制した碧。出来るだけ明るく振舞い、その緊張を解せるようにと気を使った事を、碧に見破られていた事に驚いた。彼の方が、ずっと上手(うわて)だ。


「・・・・・・“ありがとう”、碧」

「うん!その笑顔の方が断然やる気出る!」


「こら碧!お前も勝負だぞ?!夕飯当番掛かってるんだからな!!」


前方のイベントスペースから手招きする織と立夏。


「え?俺も?!」「当然だろう?!」


嫌そうに顔をしかめる碧に、セナは両手をグッと握ってポーズを決めた。


「碧、頑張って!」

「……あぁ!」



「で、結局言い出した立夏が負けたのか?」


祭り会場に出店していたビスカムアルバムのカフェセットで小腹を満たす4人に、追加オーダーの珈琲を運んできたアルグレードが彼等の会話に参加した。

納得のいかない様子でふさくれる立夏に変わり、識がその時の状況をアルグレードに説明する。


「意外に碧が一番上手かったんだ!」

「質量のある弾丸を打つわけじゃないからな…正直筋力は必要なかった」

「成る程ね…仕事の丁寧さが勝敗を左右したわけだ」


笑うアルグレード。


「そんな言い方酷いわ―――!後から参加して全然当てられなかった私は、まるで仕事が雑みたいじゃない!」


立夏の隣で頬を膨らませるセナ。

3人の勝負の後、セナもまた射撃ゲームに参加していたのだ。笑いながらではあるが、きちんとフォローを入れる織。


「セナは発射音にビビって体幹ぶれていたのが原因だろうな!次は上手く当てられるよ!」

「そう言えば、さっきクレー射撃のファイナリストがうちの珈琲飲みに来ていたぞ?他にも各界の強者達がわんさかいる今日のイベントのライバルじゃなければいいけどな。」


クレー射撃。飛行中のクレー(クレーピジョン)を散弾銃で撃ち落とし、その枚数によって点数を競う競技だが、静止した的を狙う射撃ゲームと異なり、動いているものを打ち落とすと言う意味ではより実戦に近い競技だ。

アルグレードが指摘する通り、夕方から予定されたインサイドトレースに参加しそうな屈強な奴等が先程から会場をうろうろしている。気にしないようにと自らに言い聞かせてはいるが、どうしても意識は消せず、余計に見つけてしまうのかもしれない。奴らがライバルかもしれないと考えると、自然と視線が向いてしまう。


「・・・・・・・・・・・・」


再びテーブルに、重たい空気が流れた。


「あれ?もしかして話題間違えたか?」

「あーもう、アルのせいでお通夜みたいだ」


茶化しを入れて誤魔化そうとする織だが、碧が真面目な話として繋ぎ直す。


「ARでの銃攻撃は質量のないデータ攻撃。それ自体はデータで作るシールドが予防できるから大した脅威じゃない。問題は、プレイヤー同士の物理的攻撃だ。ゲームのHP減少よりも、攻撃によるリアルの痛みや外傷で行動不能となる。」

「碧!祭り中は―――」


止める織の言葉を遮る碧。


「考えないようにとしていても、考えてしまうんだ…仕方ないだろ?だったらもう、いっそ話してしまった方がスッキリする!」

「powered exoskeleton(アシストスーツ)を着用する方法も検討したけれど、結局それ自体にプログラムが使われているから、万が一に乗っ取られた時は余計に厄介だわ」


識の気遣いも空しく、セナも碧に続いて意見する。


「……ああ、もう―――」頭を抱える織。思い通りにいかず、少し苛立ちを見せた。

そんな彼の手を取るセナ。


「ありがとう、識。気にかけてくれてたこと、知ってたんだけどね―――」

「……知っていながらどうして、危険に身を置こうとするんだ?俺は君に、初めてのお祭りを普通に楽しんで欲しいと思っていたのに―――」


(だから、ラフな格好でラボに現れた時は、とても嬉しかった。セナが祭りを、楽しみにしてくれていたと…そう思ったから)


思わず本音が零れる織。


セナには綺麗な空を見せてやりたい。


生きていてよかったと……あの時頑張って良かったと―――

心からそう思ってもらえるような世界を沢山見せてやりたい

やりたいと思う事は叶えてやりたい

その為に、出来る限りの事はしてやりたい


もともと、単なる主治医で終わらせる気はなかった。彼女を生かすと決めたその日から、セナの人生は背負うつもりでいた。そのくらいの覚悟がなきゃ、お星さまになりたいと願う彼女の気持ちを捻じ曲げて、生きて欲しと手術を押し付けた責任は果たせない。


「お祭り、とても楽しいよ!隣に、識や碧や立夏がいてくれて、皆でビスカムアルバムでカフェ出来て―――すごく楽しい」


識の手に自らの手を重ね、ぎゅっと握り締めるセナ。


「でもね…一人だけ楽しんで、守られて―――仲間外れは、寂しい。私も一緒に悩みたいし、不安も共有したい。私用に作られた世界じゃなく、識達と同じ世界を見たいの!私だけ置いてけぼりは、辛いよ…識。」



File:25  同じ空の色


「――――――あっ」

次の言葉が見つからず、視線を逸らす織。


彼女を大切にしたい…

うんと幸せになって欲しい……

なのに、どうしても思い通りに行かない。

大事にしようと守り囲ってもセナは、自ら険しい道を選ぶのだ―――。


だけど、それを望んでいる自分もいるのだ。

険しい道だと分かっていながらも、飛び込んでいく彼女の背を見守りながら

自由に羽ばたいていくセナを誇らしく思う。

星の木を目指す彼女が疲れた時に羽を休めるための、宿り木になれればいい。


(心配なんだと言ってしまえば、彼女はその羽ばたきを止めてしまうだろうか―――?)


哀し気で、寂し気で、愛おしい、複雑な視線がセナを見つめる。

その様子を、頬杖の先にとらえて見守る立夏。


「……ッ!お前、いつもはつまらねーことでベラベラ喋ってくるくせに、何で黙り込んでんだよ!」


セナへどう伝えるべきか、いくら考えても言葉が思いつかない識は、涼しい顔で頬杖をつく立夏にイライラをぶつけて舌打ちした。


「え?俺?―――だって『助けてりっちゃん』ってお願いされてないし」

「………それ、俺が言うと思う?(こっちは本気で悩んでるのに…)」


頭を抱えて机にうずくまってしまう識。

立夏に視線を送るセナ。


「私、いけないこと言っちゃったかな?」

「いいや。識は今、子離れできない親の気持ちで悩んでいるだけだよ。今識の頭ん中は、こ~んなに沢山セナのこと考えて葛藤してるんだ」


両腕を広げ、意地悪く笑みを浮かべる立夏に、セナはちょっこりと首をかしげる。

立夏は頭を抱えたままの識を横目で確認し、くすりと笑った。


「置いてけぼりにしたいわけじゃない。大事だから、心配で―――心配だから言えないんだ…『セナの作る世界を誰よりも応援している』って」

「―――――あ」


立夏の言葉に、セナはテーブルに伏せる識の頭をポンポンと撫でた。


「ありがとう、識。識や皆が心配して居てくれるから、私はこうして自分のやりたい事が出来るのよ」

「…………ッ」


識はゆっくりと、気恥ずかしそうに顔を挙げる。


「―――随分と、詩的にまとめてくれたな?」

「……でも、概要は合っているだろ?お前にはマネできないスキルだ」


ふさくれる識の真似をして、テーブルに両肘を付けるセナ。


「ふふっ!大事に想ってくれて、ありがとう!識」

「……解ったなら、ちったー大人しく大事にされてくれよな?」

「うーんと…善処します?」


(……ったく、日本語はこういうあいまい表現が多くて困る―――)


4人は話し合いを重ねたが、結局有効な対策など見つかるはずもなく、自分の身を守る事―――これが唯一だった。


夕方になり、人々のボルテージは最高潮に達していた。

アルグレードが危惧していたように、昼間からうろうろしていた屈強な男たちは彼らにとってメインイベントとなるインサイドトレースゲームに参加するようだ。参加プレイヤーだけでなく、傍観目的のユーザーも多く、会場は、昼間とはまた違った盛り上がりを見せていた。


「「Force Program、link on!」」

『Assist Program ―――link on』『BARMI Program link on』


バームを起動させ、人込みの中を歩いて偵察していく識と立夏。

セナと碧は少し離れた場所からバームに表示される二人の現在地を表す光点の動きを確認する。

立夏達のバームの視界には、インサイドトレースゲームを起動させたプレイヤー達のソースコードが幾重にも伸びていた。


「凄い数だな……」

「今回のボス戦は、祭りの後の事もあってスポンサー数が多い。懸賞金が桁違いな上にボスの出現率も高いとの噂だ!一攫千金を狙ったにわかプレイヤーも多いだろうけどな」

『イベント予告時刻3分前だ―――』


碧の忠告が、バームを通じて聞こえる。元々の撮影用ドローンの他に、何処からやって来たのか上空を飛び交うドローンの数が急激に増えた。ドローンからAR映像が配信される。また、プレイヤー達のゲーム機器にも、映像や音データが送信された。


『宵の国に放浪する小さき者たちよ―――』


ゲームのアナウンスを聞いて驚く立夏。


「なんだ?日本語?犯人は日本人か?」

「いや、それはインサイドトレースの初期設定で使用言語を日本語にしたからだろ?この音声は同時通訳されてそれぞれのデバイスに配信されているはずだ」

「なんだ―――」


ため息をつく立夏に、緊張感漂う碧の声が制する。


「何だじゃないよ、立夏。同時通訳があるって事は、それぞれの国のユーザーを想定しているって事だ。つまり近い将来、世界中に進出つもりがあるって事だ」

「ああ、成る程!」


ゲームアナウンスを聞き洩らす立夏に変わり、識が今回の設定を説明する。


「インサイドトレースの戦闘設定やグラフィックは毎回変わるんだ。今回は、環境汚染によって住んでいた惑星を追われた地球外生命体が地球を乗っ取りに来たという設定らしい。エネミーは複数体出てくるぞ」

「ご丁寧に、随分細かい設定だな…」


眉をしかめる立夏に対し、カチカチとタイピングを始める碧。


『属性優位性が関与するって事だな―――環境汚染?微生物学?とにかく、汎用性のあるシールドを送る。敵データの回収を!Pass code、Strong shield』


立夏と織の上空に、碧色の鳥が舞う。

初戦とは思えない程機転の利く碧の働きに、口笛を鳴らす織。


「碧…お前結構ゲーム慣れしてる?」

『まぁ、そんなところです。伊達に引きこもりやってませんから』

「あはは!これは、頼もしいアシストだな!」

「属性優位性?環境汚染?微生物学?!何それ――」


逆に、隣で両手に伸縮性のあるデバイス武器を短く構えたまま、顔をしかめ、ぶつぶつと呟く立夏を見て、苦笑いを浮かべる。


「対してこっちは、初戦は使い物にならなさそうだな……」


『バイオテロが相手なら、その原因菌が解れば対策が取れる。汎用性のあるシールドを作るなら、「塩化ベンザルコニウム」「ジデシルジモニウムクロリド」「ポリヘキサメチレンビグアニド」「ジメチコン」辺りが強力で且つ、持続可能な抗菌・除菌・抗ウイルス・防臭効果が得られる成分ね……化学式いる?』


「いや、セナ!このゲームにそこまで細かい設定は多分ない。」


周囲に次々と現れるモンスターデータの固まりを確認するや否や、フォースプレイヤー達が我先にと敵に切りかかった。


『Pass code、Twin Swords』


碧の声と共に、立夏の両手に握られたデバイスに、二本の短剣グラフィックが投影される。


「先に行くぜ?」


そう言うと、人込みをすり抜けて敵中に飛び込んでいった。


「おっ…おい!立夏!!」

『識はどんな武器がいいとか、リクエストある?』

「いや、序盤は今まで使い慣れたプログラムを流用させるよ。属性プログラムが出来たら俺にもパスしてくれ!」

『了解』


今までの戦闘になく、大人数の戦闘に合わせてか、敵モンスターの出現も多かった。

いわゆる雑魚モンスターの討伐でも、多少のドロップ品(懸賞金)がある為、まだボスが現れていないと言うのに、プレイヤー達のやる気は熱い。その中で立夏もまた、二本の短剣を風のように翻し、次々にモンスターを討伐していった。


その切り取ったソースコードを集め、チートともいえる武器プログラムを作成する碧。


『立夏が倒した対エネミープログラム、完成しました。Pass code、Virus destruction Program(ウイルス破壊プログラム、送信)』


碧の声と同時に、立夏と識の右手グローブが碧色に輝き出す。その光は、二人の手に握られた剣を、碧く染め上げる。


「サンキューな、碧。後は、任せろ!」


軽快な身のこなしで屈強なプレイヤー達をすり抜け、モンスターに向って剣を一振りすると、一撃でモンスターが四散する。


「What is that!!(なんだよあれ!!)」

「At one swing?!(一撃で?!)」


周りのプレイヤー達が、息を呑む。


「Don't disturb !!(邪魔すんじゃねぇ!!)」


獲物(モンスター)を横取りされたプレイヤーが、立夏に向ってPKを仕掛けてきた。そう…インサイドトレースの“敵”は、モンスターだけではない。寧ろ本当に怖いのは、実撃を加えてくるプレイヤー達の方だ。


「碧、こいつらの動き止められるか?」

『一時的に麻痺させるくらいならなんとか。リアルの身体を止めるくらいの強いプログラムは即興じゃ無理だ』

「なんでもいい…鬱陶しいのを止めたい!」


『Pass code、Feature freeze Program―――(転送、機能停止プログラム)。相手にもプログラマーが居るからな、長くは持たないぞ?』

「サンキュー碧!」


右手に握る剣に氷結晶を纏わせた立夏は、向かってくる男にニヤリと不敵な笑みを浮かべた。

口元を引きつらせ、一瞬警戒するプレイヤーの物理攻撃をひらりと交わし、ウイークネスライン(ソースコードの線)に沿わせるように斬りつける。氷の映像エフェクトが、プレイヤーを包み込む。


「Don't disturb me.(邪魔するな)」


何が起こったのか解からず、動きを止めるプレイヤー。そして、周囲の屈強なプレイヤー達もその様子に驚愕した。


モンスター達が次々と狩られていく中、ついにARがその姿を映し出す。メインターゲットのボスがの登場だ。

金属の外装に覆われた、人の形を成した人ならざる者…THE Invaders(侵略者)ボスの頭上に、文字が浮かび上がる。そのHPゲージが、何層も重なり表示された。


「ザ・インベイダーズ?」


立夏の隣に並ぶ識が、視線を送る。


「came out!(出てきたぞ!)」

「shoot!(撃て!)」


プレイヤー達のボルテージが、最高潮に達する。皆、その奇怪なエフェクトのボスキャラに総攻撃を仕掛けた。


隣で凍り付くプレイヤーに手を添える立夏。


「?!!」

「Now, to get to the point?(これからが、本番だぜ?)」


プレイヤーの、ソースコードの硬直が解除される。動けるようになった男は不思議そうに手足を確認する。


「Why……did you help me?(何故……助けた?)」

「Why?―――何故って、地球外生命体相手なんだ、俺達(プレイヤー)は皆仲間のはずだろ?」


ニヤリと楽しそうに笑みを浮かべると、先陣を切る他プレイヤー達の後ろから、ボスへの攻撃に加わる立夏。


「……Japanese?(日本語?)……Funny guy!(おかしな奴め!)」


意味が理解できず、首を傾げた男は、今一度、剣を握り返す。

そして、ボス戦を戦うプレイヤー達の後に続いた。


シールドプログラムを使用しながらも、ザ・インベイダーズの範囲攻撃に苦戦するプレイヤー達。大規模な攻撃が来る度、彼等のHPゲージはどんどんと削られていく。

流石一大イベントだけあり、早々簡単には倒させてくれないようだ。

そんな中、ザ・インベイダーズの攻撃プログラムを解析して作られたシールドを展開していく立夏と識は、2回目以降の範囲攻撃は全て防御できている為、他プレイヤーに比べてHPの減少率が低かった。しかも、確実に敵のHPゲージを削る攻撃を繰り出していく。敵や、邪魔立てする他プレイヤーの物理攻撃をひらりと交わし一切相手にしない運動神経と、細い体のどこにそんな体力があるのかと思わせる動きに、他プレイヤー達は息を荒らしながら顔を引きつらせていく。


「What the hell is that?…(なんだよ?アイツ…)」

「Assassin from the Orient―――(東洋からの刺客―――)」

「He's a ninja!(彼は――忍者だ)」


周囲のプレイヤーの様子を見渡す織。


「……ったく。秘密裏って言ったのに、初戦から二つ名が付くほど目立ってどうするんだよ」


気付けば、ザ・インベイダーズのHPゲージはレッドラインに入っていた。


「そろそろやめろ、立夏!お前がLA取ってどうする?!」

「そうだった!ヤバっ、調子に乗り過ぎた!」


バームから響く識の声に、両手で切り上げていた攻撃を途中でやめて、後方に下がる立夏。

入れ違いで、他プレイヤーが踏み込み、ラストアタックを決める。

カラフルなポリゴンの欠片が花火のように四散し、軽快なサウンドエフェクトと共に、ラストアタックを決めた男の頭上に、“Your win”の文字が浮かんだ。


しばらく呆気となる男だが、LAボーナスと、戦闘貢献度に合わせて送られる配当金がアイテムストレージに送られた事を確認すると、現実を実感し両手を掲げて雄叫びを挙げる。周りからはその健闘を称えて拍手が送られた。周囲で傍聴していた観客や、テレビ局のインタビューが、LAを決めた男に集中する。その混乱に乗じて逃げ帰る立夏と識。


「お前、目立ち過ぎだ!!」

「今の内だ!厄介ごとに巻き込まれる前にさっさと会場を出るぞ?」


人気の無い会場の外で碧やセナと合流した立夏と識は、識の車で会場を後にした。



夜の静寂をぶち壊し、盛り上がりが冷めない会場を、傍観席から見渡すアルグレードは、バームについている小型カメラで会場の様子を記録する。


(何とかは現場に戻ると言うからな―――ここ中に、犯人が居るかもしれない…)


隈なく辺りを見渡すが、一見ではそれらしきモノを捕える事が出来なかった。



ラボに着いたセナ達、ソファーにどっさりと腰を落とす立夏と識。


「お疲れ様―――」


冷蔵庫から、冷えたお茶をリビングテーブルに置くセナ。キッチンカウンターにパソコンを置き、早速と起動させる碧の隣に座り、彼にもお茶を差し出す。


「ありがとう、セナ」

「……うん」


静かな笑顔を浮かべる。

ソファーに全身を預けながら、顔を向ける織。


「……。現場に残ったアルグレードが、アフターイベントの映像を持ち帰ってくれるはずだ。詳しい話はそれを確認しながらだが…あの戦況、どう思う?セナ」

「?!」


名前を呼ばれて、振り向くセナ。


「……俺達は目の前の事に必死になり過ぎていたからな。立夏なんて、秘密裏だって言ってたのに、目立ち過ぎたし。あの場で一番冷静に現場を見ていたのは、セナだろ?」


「あっ――――」


(“たたかい”に、必要と、してくれているの?私も……一緒に戦って、良いの?)


識の言葉に、目を見開くセナ。


「お前の事は必要だし、一緒に戦いたいと思ってる。大体…セナが一緒だから、俺はこんなめんどくせー(インサイドトレース)に関わる気になったんだ…」

「しき……」


視線を逸らす、識。


(あの時は立夏の言葉を借りたが、こういうのはやっぱ、きちんと自分の言葉で言わなきゃいけないよな)


「置いてけぼりとか、そんなつもりじゃなかったんだ。なのに―――寂しい思いをさせて、ゴメン」

「……識…私ッ―――」

「――――!」


セナの表情を見た識は、ソファーから立ち上がり、キッチンカウンターに座るセナの元まで歩み寄る。大きな瞳を潤ませているセナの顔を隠す様に、その頭を抱きしめた。


「不安にさせてゴメン、セナ。仕事ならきちんとできるのに、セナの事になると俺、毎回言葉足らずだよな…。でも、俺はセナと同じ色の空を見ていると思っているよ?それだけは、知っていて」


ソファーにもたれたまま、それでもなお口足らずな識の言葉に、苦笑いを浮かべる立夏。

セナの隣のカウンターで、碧もまた、小さくため息をついた。


「“俺達”だ、識。間違うな?」

「“俺達”も、セナと同じ色の空を、見ているよ」


「立夏…碧―――」


識の胸から顔を離すセナ。


「ありがとう、皆」


彼女は泣き顔を悟られないように、にんまりとした笑顔を作った。



アルグレードがラボに到着してから、2階にあるバームのメインサーバーの置かれた部屋で映像を解析しながら会議を行った。セナとアルグレードの第三者的視点から先刻のボスイベントを見ても、会場で怪しい動きを見せるプレイヤーは見つけられなかった。


「逆を返せば、立夏のあの目立った行動から、何か動きがあるかもしれない。次のイベントを待つしかないな」

「ええ」


寄り絆を深めた4人は、再び次のイベントに向け、それぞれがすべき事を模索していた。



File:26  Shadow(影)


カリフォルニアにある、とある大学構内


人影が、人気の無いはずの夜の校内に影を作る。時刻は22時になろうとしていた。

薄暗い廊下を抜け、影は、話し声が聞こえる部屋のドアの前に止まる。



御影研究室―――


アメリカBMI研究の第一人者とも呼ばれる名の知れた研究者である御影隼隆(みかげはやたか)は、自身の出身大学で教授として教鞭をとっていた。


「こんな時間まで、有難うございます―――なんとか明日までにまとめられそうです」

「うむ。いいレポートを期待している」「はい!では…私はこれで失礼します!」


深々と礼をし、部屋を出る生徒と入れ違いで、影の人物は室内に入ってきた。互いに小さく会釈を交わしすれ違う。


パタパタと廊下を走る足音が遠ざかるのを確認し、影の人物は、先程まで学生指導を行っていた研究室の主の隣に並んだ。研究室の主、御影隼隆はパソコンに向かったまま、隣に立つ男に声を掛ける。


「しくじったようだな?イデア」

『ハイ。スミマセン…父サン』


開いた口から、機械の音声が流れる。


「………秋兎に繋げ。」

『了解シマシタ。コールシマス。――――――』


『はい。』


程なく、若い男の声が、イデアと呼ばれた男の口から、流れた。


「敗因はなんだ」


繋げられた通信。イデアを介して会話するのは、御影隼隆が“秋兎”と呼ぶ相手。抑揚のない籠った声が、イデアの口を模したスピーカーから発せられる。


『……。ターゲットに、ソースコードをフリーズさせるプログラムが、施されていた。アレに触ると、オートマタ(自動機械)のイデアも固まる。接触したプログラムから、解除コードを作成できる、けど、数秒間の不自然な、タイムラグが生まれる。』

「――――成る程。LAを取ったというプレイヤーの戦闘成績はどうだ?」

『Mobを3体。大した戦況ではない、です。LAも、偶然、でしょう』

「そうか。使えんな……そろそろInsideTraceUnitが新たな対策を講じてくるころだ。“ヤツ”の仕上がりはどうだ?」

『………まずまず、でしょう。………』

「………」

『…………』


反応が薄い様子を見て、隼隆は眉をしかめる。


「眠いのか?秋兎。」『少し』


通話の相手がいる日本は、朝の6時過ぎか―――。時計を見て、小さくため息をついた。


「そうだな、すまなかった。頃合いを見てインサイドトレースゲームの活動の場を日本に移そう。その時までに、バディの様子を観察しておけ」

『了解、しました。おやすみなさい、父さん』

「おやすみ―――秋兎」


プツリと、通信が途絶える。


『活動ノ場ヲ、日本ニ移スノデスカ?』


再び機械音声が、隼隆に問いかける。イデアと呼ばれた男は、表情を変えずに首をかしげる。


「アシストがあの様子だと、お前も動き難いだろう」

『…………。俺ハ、父サンニ従ウダケデス。』

「そうか、いい子だ。次は、行けるな?イデア」

『ハイ、必ズ。』


返事を聞き、小さく頷く隼隆はパソコンにコネクトコードを繋いだ。コードのもう一方をイデアに差し出す。


「今日は戦闘を行ってはいないが、メンテナンスは必要だ。お前が、賢く動く為にな」

『ハイ。父サン』


隼隆からコードの端を受け取ったイデアは、近くの椅子に腰を下ろすと、後ろ髪をかき上げて首元にコードを突き刺した。隼隆のパソコンに、プログラムが高速で流れていく。


一見では普通の人と変わらない容姿のイデアは、全身が軽量金属でできたオートマタ(自動機械)だ。その金属の身体の前面を覆い隠す様に、人間を模したコスメチックカバーで覆われていた。先程至近距離ですれ違った学生も、イデアがオートマタだとは気づいていない様子だった。


プログラムを確認し、一部修正を加えたプログラムをイデアに再インストールする。


「これでいい。家に帰ったら充電し、待機していろ」

『ハイ。了解シマシタ』


後頚部からコネクトコードを外すと、イデアは研究室を後にした。先程になかった金属のぶつかる音が、廊下に響き、遠ざかる。


「…………私を、止められるものなら止めてみろ…InsideTraceUnit」


ソースコードで埋め尽くされたパソコンを見つめながら、御影隼隆は不気味に笑った。





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