4話 勝負の行方
昨日少しうたた寝したのと、藍とケンカして気が立っていたせいか、あまり良く眠ることは出来なかった。
朝早くに目が覚めた俺は、少しスッキリしたくてそのまま脱衣所に向かう。
「あ…… 」
もう少し考えてから脱衣所のドアを開ければよかった…… ちょうど浴室から出てきた藍とバッタリ目があった。
「うわっ! ゴメ…… 」
「ひっ!? こんのぉ! 」
藍は素早くバスタオルを身に付けて右腕を大きく振りかぶった。
何も考えずにドアを開けたのだから俺が悪い…… 素直に引っぱたかれようと直立で目を閉じた。
が、いつまでも頬に強烈な一撃が来ない。
「あれ? 」
薄目を開けると、藍は片手で胸元のバスタオルを握り、フルスイングしたと思われる右手は寸止めされていた。
「…… え? 」
「…… エッチ 」
耳まで真っ赤になった藍は、潤んだ目で俺を見ていた。
俺はトンと優しく胸を押されて脱衣所の外に出され、ドアは勢い良く閉められる。
「…… へ? 」
閉められたドアに鼻をぶつけて痛かったけど、それよりも藍のしおらしい様子に驚いてしまった。
いつもならきっと思いっきり殴られて、『ふざけんなー!』と怒られると思ったのだが…… 面食らったのは俺の方だった。
「興味あるのはお年頃だから仕方ないけど、覗くならもうちょっとスマートにやりなよ 」
ドアの向こうから聞こえてきた藍の声は、恥じらいながらも冷静なものだった。
「ゴメン…… 覗こうとしたわけじゃなくて、その…… 」
テンパって言葉が続かない。
「じゃあ覗く? ウチのシャワーシーン覗いちゃう? 」
ドアの隙間から顔を出した藍は、菜のはのようなちょっと意地の悪い笑顔だった。
「…… 覗く 」
いつもの藍ではない仕草に調子が狂う…… 少し困らせてやろうと思った。
「バカ。 調子に乗んな! 」
今度はみぞおちに強烈な突きを頂きました。
そうそう…… こういう反応じゃないとなんだか調子が出ない。
「今日さ、スマホの修理も行っていい? 」
「あ、ああ…… 」
ニコッと笑った藍は、やはりなんか違うと思ってしまう。
「あの…… 藍さん? 」
「ん? 」
まだ拭き切れていない髪と、肩の水滴が妙に色っぽく見える…… 藍ってこんなに色っぽかったっけ?
「どうしたの? 固まっちゃって 」
「いや…… 終わったら教えてくれ。 ゴメンな 」
俺はバスタオル姿の藍にクラクラしながら、その場をそそくさと退散した。
派手にお腹が痛いとアピールする菜のはに見送られて、俺と藍は駅前にある商業施設に来た。
映画館は朝一発目の上映という事もあって比較的空いていて、俺達は見やすい中段の上の方に席を確保する。
俺はこの映画の事を知らなかったが、藍に聞くと北海道を舞台にしたラブストーリーらしい。
正直俺には興味がないジャンルだったけど、藍は目に涙が浮かべてスクリーンを眺めていた。
その横顔に俺はドキドキし…… 思わず手を重ねると、藍は俺を振り返ることなく重ねた手を握り返してきた。
その仕草にまたドキドキし…… 普段とは違う顔を見れたと思う反面、なんとなく不安も募っていく。
「…… 」
クライマックスだというのに、二つ下の席ではカップルが暗がりの中でイチャイチャしていた。
俺は映画よりそっちの方に気を取られて見ていたけど、藍はそんなことお構いなしに熱中している。
もし藍とつきあったら、俺らもあんな感じになるんだろうか……
ないな、俺らは。
「ちょっと、なんでこのシーンでため息なわけ? 」
カップルに対してついたため息を藍に注意されてしまった。
映画館を出た後は、藍の水没したスマホの修理に向かう。
「保証があるから同機種と入れ替えた方が安く済むって。 データ移さないとならないから少し時間かかるみたい 」
好きな楽曲や写メのデータまで移せるかは、やってみないと分からないと店員に言われて、藍はショックを受けていた。
「ついでにアンタのスマホも見てもらったら? 」
「そうだなぁ…… 」
特に不具合はないけど、中学の頃から使っているせいか最近バッテリーの減りが速くなってはいる。
おもむろにスマホをポケットから出すと、知らない間に蒼仁先輩から着信が入っていた。
多分映画を見ている最中だったのだろう…… 無視しては失礼なので、店舗の外に出てリダイヤルする。
「すいません先輩、電話に出れなくて 」
― いや構わないよ、忙しい所すまないね。 実はね…… ―
蒼仁先輩の用件は、爆発事故で焼け出された楓の身柄を預かって欲しいという事だった。
「可哀想な話ですけど、でもウチでは無理ですよ。 菜のはもいるし、そんな責任持てないことは出来ません 」
― そう言うと思ったよ。 君が安請け合いしないことに感心はしているのだが、楓君の立場を考えるとそうもいかなくてね ―
「立場? どういうことです? 」
それから蒼仁先輩は要点をかいつまんで楓のお家事情を説明してくれた。
父親が二ノ宮クリニックで悪い意味で有名人で、二ノ宮家では預かれない事。
事故を起こしたアパートの保険会社の連絡が遅れていて、未だに避難先となる仮住まいの手配が出来ていない事。
少し長くなった電話に、藍も店舗から出てきて俺の側に寄った。
「藍…… お前の近所で起きた爆発事故に、楓が巻き込まれたらしい 」
「え…… 」
一気に血の気が引いていく。
「お前、その顔は前から楓の事を知ってた風だな 」
「まぁ…… 同じ中学校だったから。 ウチの中学であの子を知らないのはいないんじゃないかな。 警察もよく来てたし、噂は絶えなかったから 」
― おや、藍君とデートの最中だったのか。 それは悪いことをしたね ―
藍の声が聞こえたのか、蒼仁先輩は『頭の隅にでも置いておいてくれ』と通話を切った。
「あの子、また何かやったの? 」
さっきまでの少し浮かれていた雰囲気は消えて、藍はいつになく厳しい表情を俺に向けた。
俺は楓がとりあえず寝泊まりする場所に困っていることを伝えると、深呼吸するように大きなため息を吐く。
「今日のデートはここまでかな…… ゴメン燈馬、二ノ宮先輩にあの子はウチで預かるって伝えてくれる? 」
「うぇ? お前が引き受けるのかよ? 」
「仕方ないでしょ? アンタの家じゃ無理だろうし、ウチなら多少広いからどうにでもなるから。 それに…… 」
それに…… なんだ? 藍の考えが読めずにキョトンとしていると、少し顔を赤くして突っかかってきた。
「いいじゃん別に! それくらい察しろ鈍感! 」
怒られはしたけど…… いつもの藍に戻ったような気がして、安心している自分がなんだかおかしかった。
「そういえば、勝負ってなんだったんだよ? 」
店舗に戻って行く藍の背中に声を掛ける。
「おあずけ! わからないんだったらしばらく悩め! 」
振り返ってベーッと舌を出す藍が、見惚れる程可愛かったなんて本人には言えなかった。