遠乗り
「ビバル、今日の午後も遠乗りに行くの?」
「はい」
義母と夫のいつものやり取りをイライアは美味しい腸詰を頬張りながら聞いていた。
この会話をする時、ビバルはいつも心底幸せそうな表情をしている。
ビバルは体を動かすのが好きなのだ。なので執務が少ない時は大体遠乗りに出ている。
「イライアはどうする?」
ビバルが尋ねて来る。
今日の執務が少ないのはイライアも同じなのだ。自分は自由時間をどうやって過ごそうかと思案する。魔法や魔術の勉強をしてもいいし、魔法薬を作ってもいい。何はともあれ、大好きな実験室に籠るのだ。
そう答える。ビバルがなぜか苦笑した。何か変なことでも言っただろうか。
「イライアも来ますか?」
「どこにですか?」
「遠乗りに」
ビバルのその言葉にイライアはつい目をパチクリさせてしまう。未だかつてビバルが遠乗りにイライアを誘ってくれた事はなかった。
「どうして?」
だからそう聞いてしまう。
「この間の旅行の時に思ったけど、イライアはそこまで馬に慣れてない気がして。特訓も兼ねて同行してもらおうと思ったんです」
「つまり乗馬の授業なのではないですか!」
ついそう言ってしまった。ビバルはイライアを見て楽しそうに笑った。
「それが表向きの理由です」
では裏の理由もあるのだろう。尋ねてみるが、ニコニコと笑ってはぐらかされるだけで答えてくれない。
「楽しんでいらっしゃい」
義母までニコニコしている。
「はい」
イライアはそう返事する以外の選択肢はないようだった。
***
ビバルは教えるのが上手い。
イライアより身分が高いから当然なのだが、おべっかは絶対に言わないし、それでいて厳しすぎるわけでもない。
おまけに、イライアの遅いスピードに合わせる努力をしながらも、きちんとイライアにも馬にも目を配っている。
「ビバル様は本当に乗馬がお上手なのですね」
なだらかな道なので声をかけてみた。
「体を動かすのが好きなんですよ」
素直に返事が返ってくる。
それはよく分かる。
そういえば、最近よくビバルは乗馬以外にも体を動かしている。散歩やトレーニング以外では城で過ごしているイライアとは正反対だ。
すごいな、と思っていると、ビバルが馬を止めた。周りの護衛もそれに習っている。何があったのだろう。
「ビバル様?」
「ここからは狭い道に入るので私の馬に一緒に乗ってください」
そう言われてしまうと従うより他はない。イライアは素直に馬から降り、ビバルの後ろに乗ろうとした。なのに当のビバルに止められる。
「そうでなく、前に」
「え?」
戸惑っていると、さっと抱き上げられ、というより、持ち上げられ、ビバルの前に横抱きにされて座らされてしまった。ちょうど、彼の両腕に挟まる形だ。
なんだか落ち着かない。
「しっかり捕まっていてくださいね」
「はい」
それでも心臓はうるさく鳴る。ビバルを見上げてみるが、気にしてないようで平然としている。
「前に後ろに乗せた事を乗馬の教師に話したら叱られてしまいましてね。前に乗せたほうがいいと」
よく分からないが、どうやらそういうルールがあるらしい。なら初心者はその通りにしておくべき他はない。
真っ赤な顔を見られないようにビバルの胸元にそっと埋まる。
「イライア……」
ビバルの苦笑い混じりの声が上から降ってくる。
「景色も見てください。もったいないですよ」
支えてますから、と言われる。でも、その付け加えられた言葉が恥ずかしい。
「これじゃあこちらが落ち着かないので」
それは確かにそうだ。イライアはそっと顔を上げる。そして思わず歓声を上げてしまった。
イライア達がいたのは橋の上だった。それは小さな島に続いている。そして、目の前に見えるは海だ。
「綺麗でしょう?」
ビバルが誇らしげに言う。イライアは素直に『ええ』と答えた。
一応、この場所の事は知識としては知っていた。この国の王妃なので当たり前だ。だけど、実際に見たのは初めてだ。
島の上には王家所有の小さな別荘がある事も知っている。
「島に着いたら別荘のテラスでお茶をしましょう」
「はい」
それは嬉しい提案だ。運動をしたせいでお腹がぺこぺこなのだ。お茶の時間のためにいろんな菓子を持って来たのだ。
とても楽しい。まるでデートみたいだ。
そう考えてハッとする。これは本当に『デート』なのではないのだろうか。
——今度は私が誘いますからまた『デート』をしましょう。
前にビバルはショコラテリアでそう言っていた。
もしかして、その約束を果たそうとしてくれていたのではないか。そう思ってしまう。
そうっとビバルの方を見る。彼はしてやったりというようににっこりと笑ったのだった。