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初めての王城生活 3

「七歳の子どもにあんなに練習させるなんて! もしハシントの魔力が枯渇したらどうするつもりだったの、エル!」


 夕食のスープを口に運びながら母が怒っている。


「……この子は高魔力保持者だ」

「そういう事を言っているのではないの!」

「ぼく楽しかったよ」

「そういう事も言っているのではないの!」


 何故かアリッツまで叱られてしまった。何で楽しいのがいけないのだろう。


 実際には、夫と息子に一言で論破されてしまったセシリアが苦し紛れに叫んだ言葉だというだけだったのだが、そんな事は七歳のアリッツには分からなかった。


「セシリア義姉さまは過保護ですね」


 叔母のフローラが苦笑いをしている。


「だって、この子はまだ七歳なのよ。それに魔術の練習も慣れてないでしょう」

「姉さまから少しずつ教えていただいていたと聞きましたけど?」


 『じじょ』がスープの入っていた皿をテーブルから下げ、その代わりにグリルしたお魚が乗ったお皿を置く。さっきはサラダを食べた。孤児院では一つのお皿にサラダ、おかず、パンが乗っていたが、ここでは一つ一つ別に食べるらしい。


「それで? 本当に楽しかったの? 無理はしていない?」

「楽しかったよ」


 素直に答える。父が嬉しそうに微笑んだ。


「明日からもパパとれんしゅうするの?」

「そうだよ」


 それは楽しみだ。明日は何の練習をするのだろう。自然と顔に笑みが浮かぶ。


「ねえ、ハシント」


 静かに食事をしていた祖母のバルバラが口を開いた。少し声が厳しい。先生に怒られる前のようだ。何を言われるのだろう。自分は何か変な事をしただろうかと不安になる。


「あなたは、エルナンとセシリアの事を『パパ』、『ママ』、と呼んでいるの?」

「う、うん」


 確かに自分は両親の事をそう呼んでいる。それではいけなかったのだろうか。馴れ馴れしすぎたのだろうか。


「へ、『へいか』?」

「そこまでかしこまらなくていい! いや、公式の時はそう呼ばなければいけないが……そうではなくて! 母上! 変な事をこの子に吹き込まないでください!」


 とりあえず他の人が呼んでいる言葉を使ったら父が何故か慌てた。


「いずれ、ハシントも貴族の前に出る事があるでしょう。その時に、『パパ』、『ママ』なんて言っていたら恥をかくのはこの子なのよ」


 何の事を言っているのか分からない。とりあえず、『パパ』、『ママ』という呼び名はここでは良くないらしい。


「だからね。そうね、親しみやすい呼び方だったら、『父様』、『母様』と呼ぶといいと思うわ。フローラも私の事を『母様』と呼んでいるのよ」


 祖母が優しく教えてくれる。つまり『パパ』の代わりに『父様』、『ママ』の代わりに『母様』と呼べばいいらしい。


「とーさま?」


 試しに呼んでみる。父が固まった。


「か、かーさま」


 母の事も呼んでみる。何故か母が涙を浮かべた。

 何か間違った事を言っただろうかと不安になる。


「えっと……とーさま? かーさま?」


 心配になってもう一度呼ぶ。


「何だ? ハシント」

「はい。なぁに? ハシント」


 今度は返事をしてくれた。しかも満面の笑みだ。ほっとする。間違っていたわけではないらしい。


「はい。よく出来ました。おばあさまが褒めてあげますよ」

「おばあさま?」

「そうよ」


 祖母の呼び方も分かった。


「あたくしの事は『フローラねえさま』と呼ん……」

「フローラ、いけません」

「母さま?」


 叔母も呼び方を教えてくれる。なのに祖母に止められてしまっている。どうしたのだろう。


「きちんと『叔母様』呼びをさせなさい」

「でもあたくしはまだ……」

「イライアの為です。イライアの呼び方を変えるのがハシントにとって一番大変なのだから。あなたももう十五歳なのだからわかるわよね? フローラ」

「……ごめんなさい、母さま」


 叔母はしぶしぶと言っていい様子でうなずいた。


 フローラ叔母の事は『おばさま』。そして、王妃の事も『おばさま』と呼ばなければいけないようだ。区別するために頭に名前をつけるようにと言われる。

 試しに『フローラおばさま』と呼ぶ。叔母は苦笑いをして『はい』と返事をしてくれた。


「それにしても、こうやってあなたと楽しく話せる日が来たなんてまだ信じられないわ」


 母がまた涙を浮かべた。やはりアリッツは何か変な事を言ったのだろうか。

 不安になっていると、父が優しく微笑みかけて来る。


「大丈夫だよ。お前のお母様はお前にまた会えて、そうしてこうやって一緒に食事が出来て嬉しいって言っているんだよ」


 母はとても嬉しいらしい。それなら安心だ。アリッツも同じ気持ちだ。みんなと食事をするのはとても嬉しい事なのだ。


 アリッツはニコニコしながら柔らかい牛肉を頬張った。


***


 静かだ。ほとんど何も聞こえない。


 夕食が終わって少しおしゃべりをしてからアリッツはベッドに入った。


 でも眠れない。何かよく分からない気持ちがアリッツの心を支配しているのだ。


——こらー! あんた達、いつまで起きてるのー!

——わー! スサナだ! やばい! ねたふりするぞー!

——ちょっと! 今、寝たふりって言ったよね?

——スサナねーちゃんのじごく耳ー! にげろー!

——待ちなさい! ちゃんと寝てる子もいるんだからドタバタしないの!


 懐かしいやり取りを思い出す。確かあの時はその声で目を覚ましたアリッツのためにスサナが子守唄を歌ってくれたのだ。時々、部屋を抜け出そうとする子達に『こらー!』と叱りながら。


 今はそんな声も聞こえない。この部屋には、そしてこの大きなベッドにはアリッツ一人しかいないのだ。


 ぎゅっと唇を引き結ぶ。なんだか涙がこぼれそうだ。


 父と母に会えて、一緒に暮らせて幸せなはずなのだ。そう言い聞かせる。


 でも、孤児院のお友達にはもう会えないのだ。まず『国』が違う。つまりものすごく遠い所にいるのだ。


「マルク……アルベルト……アンヘル……スサナねーちゃん……マルセラせんせい……」


 友人や先生の名前を一人一人呼ぶ。でも返事なんか返ってくるわけがない。


 そのかわりに涙がやって来た。涙はアリッツの目からどんどんこぼれ落ちて行く。


 みんなに会いたい。そう思いながらアリッツは枕に向かって涙を流し続けた。


***


「……さま。セドレイ様!」


 どれくらい経っただろう。肩をゆさぶる感触がする。


 そっと枕から顔をあげる。心配そうな表情をしたフランシスコの顔が見えた。


「フランシスコ?」


 フランシスコの周りには同じような表情をした女官と侍女達が立っている。

 うるさかったのだろうか、と心配になる。


「大丈夫ですか? セドレイ様」

「きっとお寂しくなったのでしょう」


 何故かシルビアが目をハンカチで押さえている。


「こんなにお小さいのに……」



 他にも何人かの女性が泣いている。アリッツが泣かしたのだろうか。ついおろおろしてしまう。


「大丈夫ですよ。今、テレサが陛下の所に行っていますからね。もうすぐですよ。大丈夫ですからね」


 シルビアが安心させるように顔を覗き込みながらゆっくり話してくれる。


「パパの?」


 『へいか』というのは父の事だ。父が一体どうしたのだろう。


 不思議に思っているうちに、テレサが戻って来た。そしてすぐにアリッツを抱き上げる。


「陛下がすぐに来るようにとの事でございます、セドレイ様」


 満面の笑みでそんな事を言ってくる。そうしてアリッツを抱き上げたまま部屋から出て行く。


「さ、行きましょうね」


 何が何だか分からないがとりあえずうなずく。なんだか安心出来る気がするのだ。


 テレサはしばらく歩いてから大きな扉の前で足を止めた。ここはどこだろう。


 テレサに着いて来たフランシスコがドアをノックする。


「セドレイか?」


 父の声がする。思わず口から小さな声で『パパ』と漏れてしまう。


「はい、セドレイ様をお連れしました、国王陛下」


 テレサがアリッツの代わりに答える。


 入りなさい、という言葉が返ってくる。テレサはアリッツを抱っこしたまま部屋の中に入った。

 部屋に入ってすぐに目に入ったのは母の姿だ。アリッツを見て泣き出しそうな顔をしている。


「テレサ、ハシントを」

「はい、王妃殿下」


 テレサはその言葉を聞くとすぐにアリッツを連れて母の側まで行く。


「セドレイ様、王妃殿下ですよ」


 そう言いながらテレサは母にアリッツを手渡す。母はすぐにアリッツを抱っこしてくれた。


「寂しくなってしまったのね」

「今までは大勢で一緒に寝ていたからな」


 両親はアリッツを優しい目で見ている。そしてかわるがわる抱きしめてくれた。頭も撫でてくれる。

 とても温かい。


「ハシント」


 その呼び名は慣れないが、自分の名前らしいのでそれでいいのかもしれない。


「ママ……あ、かーさま」


 『ママ』という呼び方はいけないという事を思い出す。気をつけないといけない。


「ええ、あなたの『母様』はここにいますよ」


 間違っていなかったようだ。母が穏やかな笑顔で見つめてくれる。


「こら、父様の事は呼んでくれないのか?」


 父が拗ねたような口調で言う。


「とーさま」


 なので呼んでみる。父が笑顔を浮かべた。


「今日は『父様』と『母様』と一緒に寝ましょうね」


 母が嬉しい事を言ってくれる。父もまた頭を撫でてくれた。


 いつもとは違う。でも、なんとなく幸せだからそれでいい。両親の腕の中でアリッツはそう考えた。

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