初めての王城生活 2
「セドレイ様は文字が書けるのですか? 素晴らしいですね」
「こんな計算も出来るなんて頭がよろしいのですね」
授業で待ってたのはフランシスコからの賞賛の言葉だった。孤児は読み書き計算が出来ないという前提で物事を考えている彼には驚く事だったのだが、そんな事はアリッツは知らなかった。
孤児院でもたくさん褒めてくれる先生はいたので、新しい先生であるフランシスコもそういう人なのだろうと考えていたのだ。
とはいえ、一けたの足し算で褒められるというのはどうなのだろう。もうアリッツは七歳なのだ。
「ね、ねえ、フランシスコ」
「何でしょう?」
「ぼくそんなにすごくないよ」
戸惑い気味に言う。
「何をおっしゃいますか。セドレイ様はご自分がいかに素晴らしいのか分かっていないのです」
「そんなことないよ」
こんなに大絶賛されてとてもくすぐったい。アリッツはどうしたらいいのかさっぱり分からなかった。
***
昼食の席でアリッツの話を聞いた父は苦笑した。
「そうだな。この国はそこまで識字率が高くないからな」
「しきじりつ?」
フランシスコが通訳してくれるが分からない。大体、言い直されても単語がそっくりなので何の助けにもならない。
「この国には字が読めない人がたくさんいるって事よ」
母が補足してくれる。アリッツは首をかしげた。意味が分からない。文字や計算というものは子供全員が勉強するものではないのだろうか。この国ではそれは普通ではないのだろうか。
そう尋ねると、両親は困った顔をした。
「そうね。アイハでは普通ではないわね」
「多分、孤児にまで読み書き計算を教えているのはレトゥアナくらいではないか? 少なくとも僕は聞いた事がない」
断言された。アリッツはとりあえず首をかしげる。両親が同時に小さく笑った。
「何でわらうの?」
息子の仕草のあまりの可愛らしさに二人の口元が自然とほころんだのだが、そんな事はアリッツには分からなかった。
ぷくりと頬を膨らませる。それを見て、両親はまた楽しそうに声を上げて笑った。
「何でわらうの!」
今度はもっと強く言う。
「ごめんなさい。こうやってあなたとゆっくりとお話が出来ると思ったら嬉しくて」
母がにこにこと言ってくる。なんだかごまかされている気がする。
「ハシント、それより午後も頑張れるか?」
父が話をそらした。さすがにこれは幼いアリッツにも分かった。でも、それでまた頬を膨らましたら両親は笑うのだろう。嫌な笑いには聞こえなかったが何だか恥ずかしいのだ。だから新しい話に乗ることにした。
「うん!」
「午後は魔術の練習だからな。お父様が教えてあげよう」
「パパが?」
きょとんとする。父は『国王』のお仕事で忙しいのではなかったのだろうか。フランシスコはそう言っていた。お仕事は大丈夫なのだろうか。
戸惑っているとフランシスコがそっと父に内緒話をする。父は『ああ、そういう事か』と言って納得した。フランシスコは何故か謝っている。何故彼が謝らなければならないのだろう。父もいいと言っているのに。
「後継者……ではまだ分からないな。お前を立派にするのもパパの大事な仕事なんだよ、ハシント」
「う、うん」
よく分からないがうなずいておいた。何故か偉いと褒められる。今日は褒められてばかりだ。
***
そうしてアリッツは広い部屋——『まじゅつじっけんしつ』というらしい——で父と向かい合っている。
壁には棚がいくつも備え付けてあり、その上には分厚い本や瓶が山ほど並べられている。それが珍しく、ついきょろきょろしてしまう。
「面白いか?」
父がレトゥアナ語で尋ねる。魔術の授業にはフランシスコはついて来ない。ここは父とその家族だけしか入れない部屋なのだそうだ。
「うん。あの瓶は何? すごいきれい。ジュース?」
薄紫色の液体が入った瓶を指差す。途端に父の顔が引きつった。一体、どうしたのだろう。
「わ、悪い人を退治するお薬だよ。よく効くから触ってはいけないよ。ハシントは悪い人ではないだろう?」
確かにアリッツは『悪い人』ではない。だから静かにうなずいた。
「魔術の練習はイライアとしていたんだったな?」
「うん」
「どこまで勉強しているか知りたいから今から見せてくれるか? 前に結界は見たからそれ以外で」
それに関しては何の問題もない。なのでうなずくと、父は何故か手に持っていたノートを開いた。
何故、今、ノートが必要なのだろうと疑問に思う。でもきっと何か意味があるのだろう。
――アリッツ。大丈夫よ。ゆっくりやればいいわ。落ち着いて呪文を唱えるのよ。間違いないように丁寧にね。
王妃の声が思い出される。そうすると安心できる。でもそんなことを言ったら父はまた『すねて』しまうだろうか。
まずは得意の水魔術を出した。これは失敗しても相手に水がかかるだけなので安全なのだと王妃も言っていた。基礎中の基礎と言っていた球体にする。続いて風の球体も出した。
火は出さなかった。一度たき火をしようとして火事になりそうになったことがあったから、王妃の前以外では出すなと言われている。
「火は出来るか?」
迷っていると父に指摘される。出来ることは出来るのでうなずいた。王妃との約束も話す。父は『なるほど』と言って微笑んだ。その表情はどこか王妃と似ていて安心できる。
「大丈夫だよ、ハシント。イライアからきちんと許可はとってある。だから安心して出しなさい」
まったく不安のない口調で言い切る。
「わかった」
それなら安心だ。それでもドキドキするので、丁寧に呪文を唱えた。すぐにアリッツの手のひらに綺麗な小さな火の玉が現れる。
ちゃんと出来てるのか不安でドキドキする。アリッツは無言で父の評価を待った。
「うん。良く出来てる」
父は笑顔でそう言った。安心する。だが、ため息など吐くとまた事故が起きてしまう気がする。なので目を火からそらさないまま小さく頷いた。
「じゃあゆっくり消してみてごらん」
そう言われたので王妃に言われたやり方で火魔術を消す。『よく出来ました』と言われ、一気にアリッツの体から力が抜ける。どうやら知らない間にかなり緊張してしまっていたようだ。
その体はすぐに父が受け止めてくれた。
「ありがとう、パパ」
お礼を言うと、父は優しく微笑んでくれる。アリッツもえへへ、と笑った。
「じゃあ、次は今までに出した魔術をもう一度順番に一つずつ出してくれるか? ゆっくりでいいから」
休憩はしないで次の練習に行くようだ。はい、と返事をして言われた通りにする。
火魔術はまだ少しだけ緊張するが、いつも通りいけた気がする。きっと王妃と何度も練習したのがよかったのだろう。
そしてまたよく出来たと褒められる。
「まだ頑張れるか?」
「うん!」
「じゃあもう数回やったら今日は終わりにしようか」
「はーい!」
父の言葉にアリッツは元気に返事をした。
しかしお互いに夢中になっていた練習は『数回』では終わらず、結局、息子を心配したセシリアが部屋に飛び込んでくるまで続いたのだった。