指は口ほどに物を言う
ノエリアの回想です。
「母上って結構最初の頃からイライアに友好的でしたよね?」
のんびりお茶をしている最中に息子がそんな事を言って来た。ノエリアは頭を抱えたくなる。
なんて空気の読めない子なのだろう。隣で妊娠中の嫁が聞いているというのに。
「あ、それ、わたくしも気になっていましたの」
だが、イライアは全く気にしていない様子だった。
「幼かった頃に会ったから、というのは聞きましたけど、それでも……」
敵国の王女を信用するには足りないのではないか、という事だろう。ノエリアはため息をついた。
「会った事があったんですか?」
「そうみたいです」
イライアがうつむいた。恥ずかしい所をノエリアに見せてしまったからだろう。だけど、別にノエリアはそんな事は気にしない。
「可愛かったのよ、小さい頃のイライアは」
「やめてください、お義母様!」
イライアはすっかり恥ずかしがってしまっている。ノエリアはくすくすと笑った。いつもきつめの性格を演じているのを見ているから特におかしい。
そういえばあの時もそうだった。
ノエリアは昔話をイライアとビバルに語り始めた。
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ノエリアだって、アイハ王国の第一王女がビバルに嫁ぐ事には動揺していた。アイハ王は数ヶ月前に夫王と長男である王太子を殺したのだ。その真実を知っていてなお嫁いで来ようとする王女を警戒しなければ嘘だろう。
本人に会った事があると言っても、それは彼女が一けたの頃の話だ。あのマルティネス王の教育を受けてきたのだ。もしかしたら高慢な性格に育っているかもしれない。
唯一の救いはセルジが『あの子は大丈夫』と言っていた事だろう。どうやらセルジはアイハの王太子を通してイライアと話して来たらしい。もし酷い性格をしていたら、どんな交渉をしてでも、当初の予定通りに自分が娶って、しっかりと監視すると言っていたのだ。
そのセルジもいなくなってしまった。
セルジの見立てが間違っていたらどうしよう。自分は事実上の女王です、という態度をとられたら、自分はどう対処すればいいのだろう。ノエリアはずっと恐怖と戦っていた。
婚儀の時にはアイハを訪れた。それでもイライアは遠くからしか見えない。それもアイハの重臣に囲まれ得意そうに笑っている姿ばかりが見える。ビバルなど形だけの王でしかない、実際にはあなたが支配するのでしょう、と——もちろん別の話に聞こえるように言い方に細工はしていたが——言われても平然としている。
「まあ、そんな。お上手ですこと」
そう言って得意そうに高笑いをしながら扇を仰ぐ姿は高慢そのものだった。
それの姿に絶望して目線を下げる。
その時にノエリアはふと違和感を感じた。
何だろうと考え込む。そしてもう一度じっくりとイライアを観察する。
原因はすぐに分かった。イライアの扇の持ち方だ。
普通は優雅に見せるために扇を持つのにそんなに力は入れない。なのにイライアは指先で握るように扇を持っているのだ。どこか怒りを抑えるように。
遠くなのに扇がみしりときしんだ音がしたような気がした。
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「……ああ、ノヴォ侯爵達と話していた時かしら。そういえばそんな事言われたわね」
イライアの顔が怖いものになった。隣にいたビバルが怯えて身を固くする。
「正直、扇が壊れたらその破片で刺してやろうかと思いましたわ」
怒りをこらえるように、そんな物騒な事を言っている。そしてあの時の扇のようにきつくティーカップの持ち手をつまむ。
「イライア、ティーカップは壊さないで頂戴!」
ノエリアは慌てて止めるはめになった。それでイライアは気づいたようだ。恥ずかしそうにカップをソーサーに戻している。その仕草はもうすぐ母親になるというのに、どこか子供っぽい。
そういえばレトゥアナに来た日もイライアは仕草でノエリアを安心させたのだ。
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婚儀でのイライアの態度で少しだけ不安を取り除いたノエリアはビバル達より先にレトゥアナに戻る事にした。二人を迎える用意をしなければいけないからだ。そして馬車をアイハに迎えに行かせなければいけない。マルティネス王に間者を送り込ませる隙を見せるわけにはいかないのだ。
イライアの侍女長にはアイハ語を理解するルシアをつけた。イライアは信用出来てもマルティネス王は信用出来ない。いつ何時、イライアがとんでもない事に巻き込まれるか分からないのだ。そういう時の為にアイハ語を解し、ノエリアに報告する者は必要だろう。ついでに彼女の親友であるセリナもイライア付きにしておく。
そうしてイライアが連れて来た侍女ともなるべく仲良くするよう言っておく。そうすれば連絡がやりやすい。
そうしてノエリアはビバルとイライアを迎えた。
一番最初にイライアを無視してビバルに挨拶したのは彼女の反応を見るためだ。普通なら怒りだすだろう。その時に出る言葉をノエリアは知りたかった。大国アイハの王女である自分をないがしろにするのかと怒鳴り散らすか、大げさに割り込んで自分の存在をアピールするのか。
だが、イライアは何も言わなかった。何も言わずにノエリア達の再会を見ていた。
いや、見ていたというのは間違っているだろう。そっと目をそらして邪魔をしないようにしていた。
悪い事をしてしまった、という罪悪感がその時のノエリアの心を駆け巡っていた。
そうしてノエリアはイライアに声をかけた。
そこでまたノエリアは驚く事になった。
「イライア・レトゥアでございます、これからよろしくお願いします、王太后殿下」
基本的に、嫁入りの時の挨拶は実家の性を名乗る。たとえ実家で婚儀を終えていてもだ。その国代表として来ているというアピールをする為だ。ノエリアが幼い頃にイシアルの王子に嫁いで来たノークイル王国の王女はそうしていた。
なのにイライアは『レトゥア』性を名乗った。つまり彼女はアイハ王家の人間ではなくレトゥアナ王家の一員としてここに嫁いで来た事を示したのだ。
警戒していたのが馬鹿みたいだ。そう思って微笑もうとした時にノエリアはまた気づいた。
ドレスの裾を持つイライアの手が震えている。怒りのものではない。緊張しているのだ。
無理もない。半年前に自分の父親がこの国の王を殺したのだ。そんな『敵国』に嫁ぐのは不安だろう。心細くもなるだろう。
そんな王女を自分は試したのだ。
「あなたは先に部屋で休んでいてください」
おまけに息子は空気も読まず、嫁を追い出しにかかっている。気持ちは分からなくもないが、もう少し優しく出来ないのかしら、とため息をつきたくなる。
だから再会したばかりだが、しっかりと叱りつけた。
そうして二人に椅子をすすめる。もちろん夫婦である二人は隣同士に座らせた。ビバルも結婚をしたという真実を受け入れて貰わなければいけない。
だが、反応したのは意外にもイライアの方だった。ちらりと恥ずかしそうにビバルを見て、もじもじと指を動かしている。どう見てもビバルに惹かれている態度だ。
それでノエリアはこの婚姻の本当の理由を理解した。
——あの子は大丈夫ですよ、母上。
不意にセルジの言葉が蘇ってくる。
——そうね、この子は大丈夫ね。
ノエリアはもうここにいない我が子にそっと心の中で返事をしたのだった。