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妹との交流

「兄妹の訪問」の翌朝の話です。

 小鳥の鳴く声に誘われ、目を覚ました。


 一つ伸びをする。その後に灯りの魔術を使うのは幼い頃からの習慣だ。


「何だ。まだ五時じゃないか」


 備え付けの時計を見てため息をつきたくなる。いつも起きる予定より一時間半も早い。きっと昨日の就寝時間がいつもより早かったせいだろう。


 もう眠れる気がしない。


 さて、どうするか、と考え、この客室の本棚に入っている、おそらくは暇つぶしのために用意された本の事を思い出した。


 近くに寄って本棚を眺める。なかなかのラインナップだ。客がどんな好みをしていてもいいようにという配慮か、様々なジャンルの本がある。さすがに魔術系はないが、この国にはほとんど魔力持ちがいないので仕方のない事なのだろう。


 どれにしようかと散々迷って有名な詩集を選んだ。百年前の詩人の全集だ。


 ゆっくりと本をめくる。そうして改めて頭をレトゥアナ語に切り替えるのだ。アイハ語とレトゥアナ語は良く似ている。元々、レトゥアナ語自体がアイハ語の南部方言から派生した言葉なのだ。ついうっかりアイハ語が出ないとも限らない。妹のフローラに厳しく言っている以上、僕が失敗するわけにはいかないのだ。


 この詩人は自然を詠う事が多い。一昨日、昨日、と通って来たレトゥアナの道が思い出される。


 道中、すごいすごいとはしゃいでいた妹の姿を思い出す。フローラは末っ子だからか、どこか子供っぽいところがある。それもあってか、イライアはフローラをものすごくかわいがっている。母上があの子を妊娠していた時は嫌がってたくせに。


 幼い頃、『おかあさまがおなかの子にばっかりかまうの! イライアのおかあさまなのに……』と泣いていたイライアを思い出して笑ってしまう。


 そんなに小さかったイライアが今は一国の王妃をやっているのだ。世の中は何が起きるか分からないものだ。


 だからこそ……。そこまで考えて嫌な気分になる。イライアと共にレトゥアナに送り込んだモニカにイライアの様子を手紙で送らせているから事情は知っている。国王であるビバルが、表には出さないが、イライアを拒絶しているという真実を。


 これはイライアが防音をしていなかったから分かった事だ。モニカが探っていた事など考えもしなかったのだろう。


 あの男なら妹を大事にしてくれるだろう、と信頼していたのだ。裏切られて腹が立つというより、悲しい。


 もちろん、僕もビバル陛下には申し訳ないと思っている。レトゥアナの前王と王太子が亡くなったのは、僕がイライアとビバル陛下の婚姻を無理矢理押し進めたせいだと思ってる。


 でもこれは別だ。二人の死に妹は全く関係ない。そんな事はビバル陛下も分かっていると思っていた。


 だからこそ、今回の滞在中は可哀想なイライアを目一杯甘やかそうと決める。


 ただ、『甘やかす』とはどうすればいいのだろう。いつも妹に対してはきつい言葉しかかけて来なかった。もちろん嫌いなわけではない。二人とも可愛くて大切な妹だ。だが、父や侍女達が放置しているので僕が教育するしかなかったのだ。特にイライアは時々突拍子もない行動をとるから余計に注意している。


 この部屋の本棚に『弟妹の甘やかし方』なんていう本があったら読みたいけど、そんな本はない、と思う。一応確認をしてみるが、やっぱりなかった。


 少しだけがっくりとしていると、ノックの音がする。時計を見ると、いつもの起床時間だ。


 ミゲルの声に返事をすると、ミゲルと一緒に見知らぬ侍僕が一人と侍女が一人立っていた。きっとレトゥアナ側——多分ノエリア王太后——からつけられた者達だろう。

 まあ、そう簡単には信用されない事は分かっていた。僕は()()マルティネス王の息子だし。


 それにしてもどこかミゲルから嬉しそうな気持ちが漏れて来ている。一体どうしたのだろうか。


「ミゲル、どうした? 妙にご機嫌だな」

「すみません。久しぶりにモニカと朝食をとったので嬉しくて。結構待遇がいいみたいでしたのでほっといたしました。友人もたくさん出来たと嬉しそうに言っておりました」

「モニカと?」

「はい。どうやらお……イライア王妃陛下からの計らいのようで」


 今、『王女様』と言いそうになったな、ミゲル。後で叱っておこう。


 でも、なるほど……。


「食事、か」

「イライア王妃陛下に確認して参りましょうか?」


 気が利きすぎている。でも今はそれがありがたいのかもしれない。


 頼む、と言うと、ミゲルはすぐに出て行った。代わりにレトゥアナからつけられた侍僕が朝の支度を手伝ってくれる。侍女の方は気を使って下がってくれる。


 さすがはノエリア王太后殿下がつけた侍僕だ。あっという間に支度を整えてくれる。


 ただ、その間、話しかけてくるのが気になる。レトゥアナの王城はそういう事に寛容なのだろうか。それともこれはこの男の性格なのだろうか。まあ、おしゃべりな方が情報を喋ってくれそうだから問題はない。


「僕の妹はもうここに慣れたか?」

「はい。あ、ただ……」


 侍僕が困ったような声を出す。表でもビバル陛下に冷遇されているのだろうか。そういう報告は受けていない。だが、心配だ。


「『ただ……』何だ?」

「王妃様は少し無茶をする傾向がございます。陛下も王太后様も、とても心配しておられまして……」

「どういう事だ?」

「この間、過労で倒れたんですよ」

「何だって!?」


 思わず大声をあげた。そんな報告は受けていない。意図的に隠されたか? でもこの侍僕が話してしまっている。一体どういう事なのだろう。


「一日休んで体調は復活しましたが、私達も心配なんですよ。それで王妃様のお兄様であるエルナン殿下から叱っていただけないか、と……」


 それは分かったが、何故、ただの侍僕であるこの男がそんな事を言ってくるのだろう。


「……王太后殿下からのご伝言です」


 それで納得がいった。ならば結構大切にされているのかもしれない。


 そのタイミングでミゲルが戻ってくる。イライアの許可はしっかりともぎ取って来たようだ。



****


 イライアはこの朝食を『レトゥアナの王妃とアイハの王太子との交流』だと思ったらしい。少しだけ格式ばった感じのドレスに身を包んでいる。


「おはようございます、セドレイ・エルナン。よく眠れましたか?」


 そしてこの挨拶だ。ため息をつきたくなる。イライアにとって僕はどれだけ『厳しい兄』だったのだろう。


「おはようございます、イライア陛下。こちらは温かいのでぐっすり眠れましたよ」


 この国の王妃と隣国の王太子。身分はイライアの方が上だ。だから僕から無礼講を言い出す事は出来ない。それがとても歯がゆい。


 困っていると、イライアの口から笑いが漏れた。


「それはよかったですわ。……それより、そんな堅苦しい態度などやめて楽にしてくださって構いませんわ。言葉遣いも崩して結構ですよ」


 その茶目っ気あふれる表情で、イライアがわざと堅苦しい態度を取っていた事が分かった。ならこちらも遠慮する気はない。


「じゃあ朝食の時にたっぷり叱りたい事があるから覚悟しているように」


 わざと威圧感を感じさせるように微笑むとイライアは『しまった』という顔をする。でももう遅い。『兄』をからかったイライアが悪い。


 イライアがしゅんとうつむいた。その仕草は子供の時のそのままで、とても温かい気持ちになる。


 気を取り直して朝食のテーブルにつく。

 今日のメニューはサラダ、スープ、腸詰め、トマトソースのかかったプレーンオムレツ、そしてパン。シンプルなメニューだがとても美味しそうだ。


 さて食べるか、とフォークを持ち上げようとすると違和感を感じる。その正体はすぐに分かった。妹が食前の祈りをしているのだ。


 食前の祈りは北の塔の管理人時代に毎日見ていた。ビバル陛下、当時のビバル殿下が毎回していたからだ。その習慣がイライアにもうつったのだろうか。


 ビバル陛下とある程度は仲良くしているのだろうか。少しだけそんな期待を持った。


 祈りを終えたイライアは僕の視線に気づき、恥ずかしそうに頬を染める。


「じっと見ないでくださいな。わたくしは珍獣ではないのですよ」

「いや、珍しいなと思って」


 そう言うと、イライアは納得したように苦笑する。


「初日に叱られましたからね」

「誰に?」

「陛下に」


 その呼び方にまた違和感を感じる。イライアは昔からビバル陛下の事を『ビバル様』と呼んでいたはずだ。


 まあ、指摘はしないでおく。それを咎めるのはおかしな事だ。礼儀正しいのなら何も問題はないのだから。


 僕がもう『隣国の王太子』という立場だから、という理由もあるかもしれないし。だが、そう考えるのは寂しい。


 この子は僕の妹なのに。


「お兄様?」


 妹の呼ぶ声で我に帰る。


「どうしたんですの? 嫌いな物でもありましたか?」


 心底心配そうに聞いてくる。僕に好き嫌いはあまりない事を知っていて聞いてくるのだ。使用人達の不安をとってやれ、と言われているのだ。


「いいや。お前は成長したな、と思って」

「わたくしはもう十八歳なんですのよ。成長くらいしますわ」

「へぇー。昔は僕の後ばかりついてきたのに……」

「いくつの時の話ですか!」


 ぷんぷん怒りながらも丁寧な仕草で朝食を口に運んでいる。マナーも立派になったな。


 そう言ってやると心底嬉しそうに微笑んだ。少し安心したように見えたのは、そういう事なのだろう。こういう何気ない時に、自分がいかに厳しかったのかを思い知らされる。


「ところで」


 食事も終盤に入り、デザートの柑橘系の果物がサーブされたところで、僕はあの話を切り出す事にした。


「何ですか?」

「過労で倒れたんだって? 使用人が心配していたぞ」

「かろう?」


 よく分からないという顔をする。嘘をついているようには見えない。つまちとぼけているわけではないという事だ。『過労』という単語を知らないという可能性もあるが、まさかレトゥアナ王国で一年過ごして『過労』の意味を知らないなんて事はないだろう。


 イライアは少し考え込んだ後、『あ』とつぶやき、気まずそうに目をそらした。


「この前に気分が悪くなった時の話ですね。これから気をつけるようにします。心配かけてごめんなさい」


 何故か早口だ。どこか怪しい。この妹は何かを隠している。


「……イライア?」

「な、何ですか? お兄様。本当に気をつけますから」


 やはり慌てている。納得がいかない。だから少し責めるような目線を向けてやった。


「イライア。怒らないから正直に話しなさい」

「……この件はお義母様にもビバル様にも注意を受けたんです。もちろん侍女や侍僕のみんなからも厳しく言われましたわ。その上、お兄様にまで言われるなんて……」


 答えだけ聞いていれば納得いくようになっている。まあ、そういう事にしておいてやろう。イライアの反応と注意をお願いしたのがノエリア皇太后だというところで倒れた理由は分かってしまったけど。


「それだけみんな心配だったんだよ」


 僕のその言葉にその場にいたレトゥアナの侍女侍僕、そしてモニカがうんうんとうなずいた。イライアはその件では相当みんなに心配をかけたのだろう。


 それにしてもアイハではこんな事はなかった。もしかしてレトゥアナ王城では王族と使用人の距離が近いのだろうか。だからあの侍僕も僕に普通に話しかけてきたのだろうか。

 とにかく、こんないい使用人に恵まれて妹は幸運なのだろう。


「まあ、あまり無理はしない事だな」

「……はい」

「何か困った事があったら事前に相談しなさい」

「え……?」


 僕のその言葉に、侍女と侍僕たちが緊張する。イライアも戸惑った声をあげた。


「……お前の夫君に」

「あ、はい」


 明らかにほっとした顔をされる。これが『他国に妹を嫁がせた』事のデメリットなのだろう。別に国の秘密を相談するようにとは言っていないのだが。やはり父上のせいだ。


 僕としては不本意なんだが仕方がない。まったく。ビバル陛下がイライアをいじめなければ僕もこんな事は言わないのに。


 今回の滞在中、ビバル陛下と話をしようと決める。正直、もうこれ以上妹にこんな辛い思いをさせるのは嫌だ。



****


 そんな事を考えていた僕はもう一人の『困った妹』の事を忘れていた。


「姉さまと朝食をご一緒したんですって!? あたくしに黙って!」


 部屋に戻った途端、怒りながら詰め寄ってくる末妹にため息をつきたくなる。


「あのな。この訪問はイライアとの交流なわけで……」

「でしたらあたくしも対象なのでしょう?」

「ああ、まあ……そうだな」

「でしたら……」


 フローラが次の言葉を発する直前、ノックの音が聞こえた。ミゲルが応対に出ているのが聞こえる。


 その用件を聞くうちにフローラの顔には笑みが浮かんでいく。対して僕は苦い顔をしているのだろう。


「セドレイ様、フローラ殿下、イライア王妃陛下から昼餐の誘いがあったのですが、どういたしますか?」

「もちろん行きますわ! あ、兄さまは欠席で」


 勝手な事を言っている。僕は無言でフローラを睨んだ。


「どちらの都合もいいと伝えておきます」


 ミゲルが苦笑している。


 イライアの遣いが去るのを確認すると、僕は、ご機嫌で部屋に戻ろうとするフローラの首根っこを掴んだ。


「何ですか? 兄さま」

「お前、この国にいる間はレトゥアナ語で話すという約束はどうした?」


 指摘すると、フローラは頬を膨らませた。


「でもここには兄さましかいません」

「僕がお前にもレトゥアナ語で話しかけている意味がわからないか?」

「でも……」

「『でも』じゃない。今から復習するから」

「えー!? ちょ、ちょっと離してください、兄さ……『離していただけませんか、お兄様!』」


 フローラは嫌なようで足をばたつかしているが問答無用でソファーの所に連れて行く。今更レトゥアナ語にすれば許してもらえると思ったら大間違いだ。


 ミゲルに目をやると、すぐにレトゥアナ語の簡単な物語集——教科書として使っている——を用意してくれる。それを見て、フローラも諦めたようだ。がっくりと肩を落としている。


「お兄様って厳しいですよね」

「アイハとレトゥアナが仲良くなるきっかけを父上が壊したからな」


 だからイライアの立場をまずくする事はなるべくしたくないのだ。


「お姉様も大変ですね」

「本当にな」


 僕たち兄妹は同時にため息をついたのだった。

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